2022年12月8日木曜日

4月の発表会に向けて

 アマオケに入団すると、どうしても演奏会の曲を練習する時間が長くなって、スタジオのレッスンが後回しになりがち。いぜんは、アマオケで弾く曲をスタジオのレッスンで見ていただいたりしていたのだが、数年のうちに状況が変わって、スタジオはスタジオ、アマオケはアマオケと、それぞれ切り分けて、アマオケの曲はスタジオに持ち込まないことにした。

 いちばん大きな変化は、スタジオでもアンサンブルのレッスンが始まったこと。ヴァイオリン2人とヴィオラで始めたレッスンが、最近はチェロも参入して弦楽四重奏のレッスンに。難易度はそれほど高くはないけれど、これはこれでしっかり練習していかないと、みんなのレッスンを無駄にしてしまう。

 二つ目の変化は、これまでの2年に1回のスタジオの発表会に加えて、毎年3月か4月に、先生が主催される発表会ができたこと。アンサンブルも発表するのだが、ソロの発表もしたいとなると、それなりに練習もレッスンも必要になるので、レッスンでアマオケの曲を見ていただくような時間もない。

 とはいうものの、やはりアマオケの定期演奏会のような大きなイベントが近づいてくると、家でする練習時間のほとんどはアマオケの曲に取られてしまう。しかし、それも落ち着いて、やっと少ない練習時間から発表会の曲に割く割合を一定確保できるようになってきた。

 以前の記事で練習がスランプに陥っている話を紹介したが、その後、少しずつ曲を通して弾けるようになってきて、それなりに練習が進むようになってきた。正確に言うと、いつもつまずくところがだいたい決まってきて、そこはそこでそこだけ練習する、というようなスタイルが定着しつつあるところ。できないところばかり繰り返し練習するのは、やはり精神的にはきついのだが、もうどこが弾けるのかわからない、という状態から考えると、数段、ステージが上になっていると思う。

 もっか練習しているのはこれ。動画は普通にヴァイオリンで弾いているけれど、ヴィオラ用にオクターブ下げて譜面を起こした。

  これ、いっかい6年前のスタジオの発表会で弾いている。しかし、いろいろ不本意な演奏だった。スタジオの発表会はまだだいぶ先なのだが、その前に先生主催の発表会があるので、そこでリベンジをしたい。そんな感じの選曲なのだ。ただ、練習していると、よくこんなので発表会に出たなぁ、とつくづく思う。

ぜんぜん弾けてないじゃん。

6年前の無謀ぶりを改めて省みつつ、リベンジに向けて、少しづつでも前に進む。

2022年12月1日木曜日

新型コロナウィルス感染!

 流行しだした頃は、こんな記事を書いたら、なんて不謹慎なとバッシングの嵐を覚悟しなければならなかったものですが、だいぶ風向きが変わってきました。届け出があるだけでも、もう国民の4~5人にひとりが罹患しているのですから、もはや「国民病」※1。誰もが順番に罹る「当番」か「お勤め」のような病気になり、罹ったことを隠さないといけないような雰囲気とか、最初に罹ったのは誰だ的な犯人捜しの雰囲気は、いつのまにかなくなってますよね。

 それで、私にもそのお勤め当番が回ってきました。土曜日辺りから倦怠感があり、ひどい眠気があるのによく眠れないという予兆があって、日曜日に微熱、食欲の著しい減退。夜中になると38度台まで熱が上がり、月曜日に発熱外来を受診。PCR検査を受けて火曜日に新型コロナウィルスに罹患していることがわかりました。熱はいったん下がったものの、鼻詰まりや咳込みがひどくなり、火曜日から再び微熱とひどい倦怠感に苦しみました。きっとこれでも「軽症」なのでしょう。

 会社は1週間休み。休んでいいとは言われるけれど、その間、別の人が仕事を全部やってくれるわけではないので、これも痛しかゆし。症状のあるうちは休めて有難いけれど、症状が軽くなって普通に生活できるようになると、狭い寝室に閉じこもって、食事も家族に運んでもらい、トイレに行くときは、アルコールの瓶を持って声を潜めて行く、歯を磨くのも家族が寝た後、というような生活をしていると、会社行っている方がよくね、と思ってしまいます。まあ、インフルエンザの場合も同じなので仕方ないですが。


 火曜日までは、ひどい倦怠感で、新聞さえ読む気がしなかったのですが、水曜日ぐらいから徐々に体調が戻り、ネットニュースを見たり、動画を見たり、本を読んだりと、少しづつ集中力のハードルを上げて、ついにヴィオラケースを開くことに。体調は良くなったとはいえ、いちおう病人ですから、思いっきり音出し練習、なんてことはせずに、まずはフィンガリングだけ。そのあとは指ではじいて軽く音を出すぐらい。

 時間はたっぷりあるのだけれど、病気による倦怠感があって、なかなか長時間、集中して練習ができません。メトロノームを鳴らしながら左手を運ぶ練習をしていても、どこかでつまずいて、やり直してもうまくいかなくて、なんてことが続くと、たちまち練習が嫌になってしまいます。いや、これ、病気の所為じゃないかも。


 木曜日の朝の状態は、頓服を服用しないで熱が37度前後。読書したり考えごとをするぐらいの集中力は回復。ときどき咳込みがあり、食欲は油脂や刺激物以外なら何でも受け付ける程度。出口が見えてきました。

 以前は、罹患する前の行動を事細かに聞き出されて、それが無防備に世間に晒されたりしたものですが、いまはそういう尋問もなく、私の場合はどこで罹ったのかは不明。どんなに注意していても、絶対に罹らない方法なんてないのだから、それでいいと思います。これで、罹った人が適切な治療を受けられなかったり、重症化しても放っておかれたりすることのない「罹っても大丈夫」な社会が出来れば、「withコロナ社会」といってよいのではないでしょうか。


※1 デジタル大辞泉で「国民病」の意味を引くと「国民の多くがかかり、人口が減ったり生産力が下がったりするなどの大きな影響を及ぼす病気」となっているので、まさにそのとおり。昔の結核のような不治の病ではないので、人口が極端に減ることはないけれど、生産力は下がって、いろいろ問題を引き起こしていますね。クルマが納車されないとか。

2022年11月25日金曜日

「パヴァーヌ」の蘊蓄

  『カプリオル組曲』とその原典である『オルケゾグラフィ』についての蘊蓄をつらつら書き記すシリーズ記事。前回の「バス=ダンス」に続いて、今回は「パヴァーヌ」についての蘊蓄です。


アルボー

…パヴァーヌは廃れてしまったわけでも、まったく踊られていないわけでもありません。昔ほど頻繁に踊られていないことは事実ですが、私は、決して廃れることはないと思っています。パヴァーヌは、一般的にバス=ダンスの前に踊られていたものです。今の楽士は、良家の娘が結婚式を挙げるために教会に向かうとき、また何某かの名士の信徒会の司祭たちや旗手や会員たちを先導するときにパヴァーヌを演奏します。

p.28v


カプリオル

このパヴァーヌとバス=ダンスは、優雅で荘重なものであって、高貴な方、とくにご婦人方や令嬢方にふさわしいと思います。

アルボー

貴族の男性が踊るときはケープや剣をつけたままでよいのですが、あなたのようなそれ以外の人たちの場合は、長い上衣をまとって礼儀正しく落ち着き払って足を運びます。そして令嬢方はつつましやかな物腰で目を伏せ、時おり、処女のような恥じらいをもって列席の人々を見ます。とくにパヴァーヌは、厳かな祝祭の日に、王や王子や大貴族たちが、立派なマントや儀式用の服に身を包んで姿を見せるときに用いられます。もちろんそのとき、王妃や王女や貴婦人たちも服の裾を長く引いて、時には令嬢方に裾を持たせて共に進みます。

pp.29r-29v


 踊りというよりも、舞踏会の会場に高貴な方が入場されてくるときの入場行進曲のような体のようです。『カプリオル組曲』では2曲目に配されていますが、1曲目にした方がよいのかもしれません。インパクトは確かにバス=ダンスに敵いませんが。

 『オルケゾグラフィ』には「4声のパヴァーヌ」という譜表が掲載されていて、歌詞も書かれています。太鼓をバックにした合唱曲のようです。再現してみました。


 なかなかいい感じです。歌詞は再現できませんでした。初音ミクを連れてくれば再現できるかもしれないのですが…

 『オルケゾグラフィ』も『カプリオル組曲』もまだまだ続くのですが、『オルケゾグラフィ』で通読して面白いのはここまで。実は、この2曲は比較的、ダンスのステップが単純で、『オルケゾグラフィ』を読むのにそれほど苦労はありませんでした。この先はステップが格段に難しくなります。ひとつひとつのステップについては、挿絵を見て、文章を読んで、自分でやってみて、というようなことをしながらでないと理解ができません。そして、ひとつひとつのステップを理解したうえで、そのステップをどの順番で踊っていくのかが説明されています。『カプリオル組曲』に収録されている舞曲だけでなく、ガボットとかクーラントとか、わりとお馴染みの曲についても解説されているのですが、ステップの解説を、辞書を引くように見ながら読まないと、どんな踊りなのかよくわかりません。

 それで、図書館で借りた本はいったん返却して、本屋さんに取り寄せてもらうことにしました。暇なときに真剣に読もうと思っています。

 演奏の方もちょっと難しくなって、踊りの練習をしている場合ではないのですが…。

 そんなことで、再開がいつになるかはわかりませんが、奮発して本も買ったので、たぶん、いつかこの続きの記事を書くと思います。お暇な人だけ見てください。

2022年11月24日木曜日

「バス=ダンス」の蘊蓄

 16世紀にフランスで著された音楽と舞踏の指南書、『オルケゾグラフィ』(トワノ・アルボー著)について紹介来年の定期演奏会で『カプリオル組曲』を弾くかもしれないので、その原典の『オルケゾグラフィ』を読んでいるという話兵隊の行進で音楽の基礎理論が解説されている話とやってきて、今回はやっと、『カプリオル組曲』についての記事になります。

 『カプリオル組曲』は6つの舞曲で構成されていますが、1曲目は「バス=ダンス」です。やっとご婦人の手をとってダンスが始まるのですが、ずいぶん暗くて重たい曲です。この曲もニ短調、『オルケゾグラフィ』が著された当時の言い方だと「第3旋法」あるいは「フリギア旋法」と呼ばれていた調性で、自然に怒りの感情を呼び起こし、アレクサンドロス大王を猛り狂わせたという調性です。なぜ「娯楽の踊り」の最初にこんな暗い舞曲をもってくるのか。それには理由がありそうです。

カプリオル

さて、私たちは今、広間の端に立っています。楽士たちはバス=ダンスを奏し始めます。どのような動きで、私たちは進み始めればよいでしょうか。

アルボー

最初の動きはレヴェランスreverence(挨拶)です。それは大文字Rで表されます。2番目の動きはブランルbranleでb、3番目の動きは2つのサンプルsimples(シングル)でss、4番目の動きはドゥブルdouble(ダブル)でd、5番目の動きはルプリーズrepriseで小文字rで表されます。

カプリオル

標準的な普通のバス=ダンスを踊るのに必要なものはこれですべてですか。

アルボー

バス=ダンスにも、バス=ダンスのルトゥール(折り返し)にも、他の種類の動きはありません。いま述べた種類の動きを何回も繰り返すのです。

バス=ダンスの動きに関する覚え書き

R b ss d r d r b ss ddd r d

r b ss d r b c.

カプリオル

最後に置かれたcという文字は、どんな意味ですか。

アルボー

それは相手のご婦人に対して行うコンジェcongé(別れの挨拶)のことで、ご婦人の手をとったまま軽くお辞儀をします。

pp.25v-26r

 つまり、5つの動きと最後の挨拶さえマスターすれば踊れる簡単な踊りだから、最初にもってきたのです。踊り方については長くなるので引用しませんが、跳んだり跳ねたりの複雑なステップはなく、『オルケゾグラフィ』を読めば私でも踊れそうです。当時の踊りを書き記すことで後世に残そうとした著者トワノ・アルボーの面目躍如です。

 それにしても暗くて重い。先生に訊くと、現代の楽器で演奏するから必要以上に重くなっているのかもしない、とのこと。前の記事で紹介した兵隊の行進のように、当時から一般に用いられていたであろう笛や太鼓で演奏すると、それほど暗い感じにはならないのかもしれません。

 ちょっと試してみました。


 どうですか。わりと牧歌的ですね。まだ練習し始めたばかりなので、どんなふうに仕上がっていくのかわかりませんが、個人的にはあんまり重い感じにはしたくないように思います。

アルボー

実はバス=ダンス全体は3つの部分から成るのですが、最初の部分が今言ったバス=ダンスで、2番目の部分がそのバス=ダンスのルトゥール、3番目すなわち最後の部分がトルディオンと呼ばれます。…

p.26r

 『カプリオル組曲』では、2曲目がパヴァーヌ、3曲目がトルディオンです。パヴァーヌはバス=ダンス以上に荘重な雰囲気の曲ですが、トルディオンは軽やかで生き生きとした拍どりになります。

 次回の記事は、パヴァーヌについての蘊蓄の予定です。


2022年11月23日水曜日

拍取りと太鼓のバトマン

 来年の定期演奏会で『カプリオル組曲』を弾くかもしれないので、その原典の『オルケゾグラフィ』を読んでいるという記事の続き。

 『カプリオル組曲』は、「Basse Danse」という舞曲から始まるのですが、『オルケゾグラフィ』は、踊る前にいろいろ音楽の基礎についての講釈があります。邦訳版から引用します。

アルボー

ではご要望に応えて、それについて私が知っていることをお話しましょう。こうした題材を扱ったり実際に踊ったりするのは、いま69歳でもある私にはふさわしくないかもしれませんが。

最初に戦いの踊り、その後で娯楽の踊りについて話しましょう。戦いの行進の際に使われる楽器としては、ブッキーナとトランペット、リテゥウスとクレロン、ホルンとコルネット、ティビア、フイフル、アリゴ、太鼓、それにこれらの楽器に類似したもの、同じく今言った太鼓に類似したものがあります。

p.6v

 アルボーの講釈は、まず兵士の行進の拍取りと太鼓のバトマン、つまり太鼓の打ち方の話から始まります。ここで、いまの四分音符(形は二分音符に似ていますが)にあたる「ミニマ」、八分音符(これも形は四分音符に似ています)にあたる「セミミニマ」、16分音符(くどいようですが、形は八部音符に似ています)にあたる「フーサ」の説明があります。下がその説明なのですが、四分音符は「タン」、八分音符2つのところは「テレ」、16分音符4つのところは「フレー」とかフリガナがついています。

The Library of Congress (https://memory.loc.gov/cgi-bin/ampage) より

 『オルケゾグラフィ』には原典としては、4つの版があることが知られていて、ヨーロッパの名立たる図書館などに所蔵されています。そして、この原典を複製した版がいくつか作製され、さらにそれらを写真に撮って複製した「ファクシミリ版」というのが20世紀後半から作られるようになりました。ここで紹介している画像は、米国議会図書館のデジタルアーカイブで公開されているもので、1589年に刊行された原典を撮影して作製されたファクシミリ版がもとになっていると思われます。原典に近いものがこんなに簡単に世界中から閲覧できるのはありがたいことです。

 邦訳版を読み進めていくと、兵士の行進や戦闘の際の太鼓のリズムについての説明が続き、そのリズムに合わせた笛の吹き方の説明が始まります。

カプリオル

これで私も多分、[太鼓の]バトマンと拍取りに合わせて、軍隊の歩調でうまく行進したり踊ったりできそうです。しかし、どうして鼓手には笛吹きがひとりふたり付いているのですか。

アルボー

私たちがフイフルと呼んでいるものは、6つの孔のあいた小さな横笛のことです。…このフイフルの代わりに、アリゴと呼ばれるいわゆるフラジョルとかフリュトが使われることがあります。…

カプリオル

フイフルやアリゴを吹くのに、何か特定の方法があるのですか。

アルボー

太鼓の音に合わせて区切りを付けさえすれば、奏者は好きなように吹いてよいです。でも、音楽家が第3旋法と呼んでいるフリギア旋法は自然に怒りの感情を呼び起こすので、リディア人が戦闘に赴くときに使ったと言われています。歴史が記すところによれば、ティモテオスがティビアをこの旋法で演奏すると、アレクサンドロス大王は戦闘に赴くために猛り狂ったように立ち上がりました。…彼はこの方法でインド人を征服したのです。インド人たちは、わめき散らしながら無秩序な群集の状態で前進してきたので、簡単に蹴散らされて負けてしまったのです。

pp.17v-18r 

 この対話の後で旋律のある譜表が示されます。「音楽家が第3旋法と呼んでいるフリギア旋法」というのは、注釈や解説をいろいろ読んで、たぶん、いまのニ短調ではないかと思われます。そう思って、書かれている譜表から旋律を再現してみました。


 いろいろわからないことを適当にやっているので、本当にこれで合っているかどうかは疑わしいのですが、アレクサンドロス大王を猛り狂わせた旋律としては、なんだか牧歌的というか…。まぁ刺激の少ない時代だったのでしょう。

 次回はいよいよ『カプリオル組曲』について書きます。

2022年11月22日火曜日

『オルケゾグラフィ』と『カプリオル組曲』

  前回の記事で、16世紀にフランスで著された音楽と舞踏の指南書、『オルケゾグラフィ』(トワノ・アルボー著)について紹介しましたが、今回はその続き。

 『オルケゾグラフィ』について知ったのは『カプリオル組曲』※がきっかけ。『カプリオル組曲』は、イギリスの作曲家ピーター・ウォーロック(1894-1930)によって作曲された組曲なのですが、そのオリジナルは、この『オルケゾグラフィ』に載っている楽譜です。『オルケゾグラフィ』には、いくつかの舞曲の例が掲載されていて、それぞれの曲に合わせてどのように踊るのかが解説されています。その多くは、太鼓のような打楽器が拍をとりながら、笛のような楽器で単旋律のメロディを奏でるようなものです。その舞曲がウォーロックによってアレンジされ、組曲になったのが『カプリオル組曲』です。

 ピーター・ウォーロックについては、いまのところ手元には、wikipediaのほかに情報がないのですが、イギリスの音楽評論家で、「音楽は主に独学で、自身が好んだ作曲家、特にフレデリック・ディーリアスやロジャー・クィルター、ベルナルド・ファン・ディーレンなどの作品から、独力で作曲を学んだ。またエリザベス朝時代の音楽や詩、ケルト文化などからも強く影響を受けている」と解説されています。アンサンブルのご指導をいただいている先生によると、イギリスの作曲家は、古典音楽をアレンジしてその音楽に新しい命を吹き込むことに長けた人が多く、ウォーロックもその一人だということでした。

 今年の1月に初めて、この曲が演奏されるのを聴いたのですが、最近、先生がご指導されている別のアンサンブルでも演奏したらしく、うちのアンサンブルでも、来年の定期演奏会に向けた選曲候補になっています。前回の記事でもご紹介しましたが、2020年に著者トワノ・アルボーの生誕500年を記念して『オルケゾグラフィ』の邦訳版が出版されたのも、この曲が演奏されるようになるきっかけになったのかもしれません。

 そんなことで、図書館で『オルケゾグラフィ』を借りてきて読んでいるのですが、これがなかなか面白い。というか、ぜんぜん面白くないのですが、じっくり読むと面白くなってきそうな内容だったので、少々値が張るのを奮発して、本屋さんに取り寄せてもらうことにしました。

 初めて聴いたときの記事でも紹介していますが、『カプリオル組曲』はこんな曲です。

 ご婦人を舞踏に誘うにはずいぶん深刻な旋律ですが、それについては次回かその次ぐらいの記事で私見を述べようと思います。


※ 『カプリオール組曲』と「オ」を伸ばして表記するのが一般的なようですが、『オルケゾグラフィ』の邦訳版で、「Capriol」を「カプリオル」と表記しているので、それに倣って表記します。

2022年11月20日日曜日

『オルケゾグラフィ』について


  『オルケゾグラフィ』は16世紀にフランスで著された音楽と舞踏の指南書。作者のトワノ・アルボーと堅物で処世術に劣るカプリオルとの対話形式で書かれています。表紙には「トワノ・アルボー著」と記されているのですが、これはこの本の中で講師役としてカプリオルにダンスを指南する人の名前。今日でいうところの「中の人」がいて、それがジャン・タブロ(1520~1595)。2020年にこの著者の生誕500年を記念して、道和書院から邦訳版が刊行されました。


アルボー

古代の踊りについては、たいした説明はできません。というのは、年月の経過でわからなくなったり、人々が伝えることをなおざりにしたり、記述することが難しかったりしたために、知識として残っていないのです。…われわれの父の時代の踊りでさえ今とは違っていたのですし、いまの踊りについても同じことが起こるでしょう。…

カプリオル

そうすると、先人たちの踊りが知識として残っていないのと同じように、今おっしゃった新しい踊りが、後世の人々にはまったくわからなくなってしまうことも考えられますね。…そうならないようにお力を貸していただけませんか。そういったことについて書き記してくだされば…先生がいらっしゃらない時でも、その理論と規範にのっとって生徒が自分の部屋で独習できるのは確かなのですから。

pp.4v-5r

 ここにこの本が著された動機が端的に示されています。

 やや毛色の異なる私事をもちこんで恐縮ですが、私の勤める会社はそこそこの人数の従業員がいて、数年に一度は人事異動があります。実にいろいろな部署があって、その部署によってやっていることは全く違うので、齢四十を過ぎていても、異動先の部署ではまったくの新人のようなもの。引継資料などはほとんどなく、OJTという名の場当たり的口述伝授によって業務が引き継がれます。新しいことに対応する力は身につきますが、これでは人が変わるたびに同じ苦労をすることになり、前任者と同じ失敗を重ねたり、前任者の事例を引き継げずに業務が劣化していったりしてしまいます。異動のたびに「これはいかん」と思って、時には百ページを超えるような引継書類を用意するのですが、これがまったく読んでもらえない。業務内容はA4用紙2ページほどに簡潔にまとめなければならず、くどくどと長い文章を書くのは能力のない社員のやることだと思われているのです。なにも百頁をすべて暗唱せよといっているわけではなく、業務を進める中で何かがあったときに「あ、そういえば前任者が何か書いていてくれていたな」と思い出して読んでくれればいいのですが、そうなると「前任者から引き継がれていません」という言い訳ができないので「簡潔に」などというのだろう、と穿って見てしまいます。引き継ぐ側にしてみれば、それまでこの百頁分ぐらいの仕事をやってきたのだし、それを遂行できるぐらいの能力のある人に対して、必要な知見を伝授するつもりで書いているのですが。

 いや、何が言いたいかと言えば、著者ジャン・タブロは、おそらく社交界でいろいろな経験を積み、『オルケゾグラフィ』が刊行された時には推定69歳。もう社交の第一線から退くほかない年齢になって、自分が積み上げてきたノウハウを人に伝え、後世に残すことを考えたのではないだろうか、と思うのです。私のように、自分のもっている知見を書き記すことによって人に伝えようとした人が500年前にもいたのだと思うと、愛おしく思えます。

 『オルケゾグラフィ』のもうひとつの魅力は、聞き手となるカプリオルの純真さです。

アルボー

まず、踊りの会場に入ったら、あなたが良いと思うしとやかなご婦人を誰か選びます。そして左手で帽子をとり、踊りに誘うために右手をそのご婦人に差しのべます。賢明で育ちの良いご婦人なら、左手をあなたに差し出し、あなたの誘いに応えて立ち上がるでしょう。…

カプリオル

もしそのご婦人に断られたら、私はたいへんな恥をかくことになりますが。

アルボー

育ちがよいご婦人なら、光栄にも踊りに誘ってくれる人を拒むことは、決してありません。そんなことをしたら、愚かな人だと思われます。踊るつもりがなければ、皆の中にいるべきではないからです。

カプリオル

そうは思いますが、それでも断られたら恥ずかしさにおそわれるでしょう。

pp.25r-25v

 舞踏の指南書なのか恋愛の指南書なのかよくわかりませんが、この本が著された時代は、音楽、舞踏、恋愛、社交といったものが渾然一体となっていたのでしょう。ただ恋愛指南のような記述はここだけで、あとは音楽と舞踏に関する記述が続きます。音楽については楽譜によって、舞踏については、解説と図示によって、そして楽譜の中に舞踏の型を書き込むような図によって、恋愛や社交に必要な音楽と舞踏の伝授がなされていきます。

 邦訳されているとはいえ、簡単にすらすら読める本ではありません。じっくりと読んで、また思うところをこのブログに書いていこうと思います。もしご関心があれば、「簡潔に書け」などとおっしゃらず、気長に読んでください。

2022年11月12日土曜日

スランプを克服するには

 どうもヴィオラの練習が行き詰っている。

 アンサンブルの方は定期演奏会も終わって、ぼちぼちという感じなので、それほど行き詰っている感じではないのだが、スタジオで受けているレッスンの方がなかなか進まない。来年の春の発表会に間に合うような気がしない。アンサンブルの場合は、弾けないところは練習せずに、弾けそうなところだけを練習すればよいのだが、発表会はそうはいかない。曲は少ないとはいえ、その曲はひととおり最初から最後まで弾けないといけないのだがら、まずは弾けないところから練習することになる。

 ところが、そのフレーズばかりなんど練習しても、そう簡単に弾けるようになるものではない。そのうちに指が吊りそうにさえなってくる始末。そうなると、他のフレーズも含めて練習が出来なくなってしまう。そんなことで、だんだん練習が嫌になってくると、家でやっていればお菓子に手が伸びる。お湯を沸かしてコーヒーを飲む。ちょっと休憩のつもりが、練習している時間よりも長い休憩になってしまう。

 とりあえず弾けているフレーズもなんだか雑な感じ。
あぁもぅ、とやっぱり練習する気が殺がれていく。

 今日はレッスンがあった。正直に、このところ練習がしっかりできていないことを言うと、「そんなこともありますね」と破顔一笑。「何を言っているの。しっかり練習しなきゃ発表会に出られませんよ」とお𠮟りを受けるのか、さすがに大人相手だからそんなことも仰らないまでも、心の中ではそう思いつつ「それは困りましたね」と困った顔をされるのか、いろいろ想像していたのだが、救われた感じ。

 嫌になるまで練習しても上達はしないから、嫌になる前に止めて、別の日に練習するとか、別のところを練習するとかすればいいですよ、とのこと。

 具体的なご助言としてはふたつ。

 ひとつは曲想をより具体的に思い浮かべながら弾いてみること。

 なるほど、理屈でなんとか弾こうとするのではなく、情景を思い浮かべてみたり、こんなふうに弾きたいということを考えてみたりすると、練習する意欲も沸いてくる。レッスンで先生に弾いていただくと、いつも何かそういう発見がある。

あ、ここで風が吹いてくる とか

あ、鳥が鳴いている とか

そういうのを感じながら練習すれば、それで弾けないところが弾けるようになるわけではないけれど、雑な感じがするところが、どうすれば雑な感じでなくなるかを考えることが出来るし、完成形をより高いレベルでイメージすることが出来る。

 もうひとつは、何か音源と一緒に弾いてみること。

 これは、前の先生には固く禁じられていたのだが、それは速弾きの癖がついてしまうからで、ゆっくりでいいので音源と一緒に弾いてみれば、弾けないところも弾けているような気がして楽しく練習できるし、それに曲想もつかみやすい。いっしょに弾きながら、

あ、ここはクレシェンドか とか

あ、ここはもっとやさしくだな とか

ただ聴いているだけよりも、よりイメージしやすいだろう。

 そんなわけで、今日、聞いたばかりなので、これでスランプが克服できたわけではないのだが、とっかかりは出来たので、明日から頑張ろう。

2022年11月1日火曜日

ふりがな

 楽譜を見て、初見でパッと弾けてしまう人は羨ましい。たとえば、「今度のコンサートのアンコール曲です」とか言われて配られた楽譜を見て、その曲を知っていても知らなくても弾けてしまう人。ゆっくりでも何でもいい。弾いてみて「あぁこの曲かぁ」なんて言ってみたいものだ。

 自分はというと、楽譜を渡されたら、まずYouTubeとかで音源を探して、あぁこういう曲か、とだいたいの全体像を掴んで、それから楽譜にフリガナを振っていく。最近はイタリア語で振ることが多い(つまり「ドレミ」ね)。その時にマイルールがあって、A線を弾くときは五線の上、D線を弾くときは五線の第3線と第5線の間、G線の時は第1線と第3線の間、C線の時は五線の下に書くと決めている。ドレミの書いてある位置でどの弦を弾くのかが直感的にわかるし、移弦するところがわかりやすい。ドレミを書くときは色のペンを使うのだが、その色も決まっている。スズキ教本でキラキラ星を弾くときの指の形を基本形として、この指の形で押さえるところは橙色。その半音下の場合は緑色、半音上の時は赤色。楽譜を読んで弾くというよりは、こうやって自分で書いたフリガナを読んでいる。五線の第3線と第5線の間に橙色で「ファ」と書かれていれば、それは「#ファ」でD線ファーストポジション2指。そんな変換を頭の中で直感的に行いながら弾いているのだが、ときどきその変換が追いつかないようなところが出てくると、「ドレミ」に加えて。あるいは「ドレミ」に代わって、指番号を書くようにする。これをアラビア語のフリガナと呼んでいる。書く位置や使うペンの色に関するルールはイタリア語の場合と同じ。

 さらに、休符明けの出るタイミングをとるために、他のパートの音型を書いたり、歌のある曲なら歌詞を書いたり、なんてことは青色のペンを使う。

 ハイレベルな楽団と違って、楽譜は一人ずつ譜面台を立てて見るようになっているので、どれだけ楽譜に書き込みをしようと、他人に迷惑がかかるわけではない。先日の定期演奏会では、アンコール曲の「カントリーロード」の楽譜が、何かの手違いでエキストラの方に渡っていなかったので、急遽、自分の楽譜をコピーして渡したのだが、なんともカラフルだ。アンコール曲は決まるのが遅いので、急いで練習しなければならないから、とにかくフリガナをすぐに書く。「ドレミ」と指番号の両方が書かれているところもあるし、カントリーロードの場合は歌詞まで書かれていた。もちろんカラーコピーして渡した。

 そんなことをやっておかないと、わりと簡単な曲さえも弾けない。自分で「情けないなぁ」といつも思うのだが、仕方がない。いつか、ある程度、上手な人と同じように、何もフリガナのないきれいな楽譜で弾けるようになりたいものだ、なんて思っているのだが、先般の定期演奏会で客演してくださったプロの先生のコメントがなかなかのご慧眼だった。

初心者の方々の指番号入りの譜面を拝見、ものすごい努力であの場に座っておられることにも、驚きました。

 自分が「情けないなぁ」と思って、いつか先生みたいにこんなことしなくても弾けるようになりたいと思いながらやっていることを、とてもポジティブに、それが何かとても尊いことのように捉えてコメントされていることに、ものすごく励まされた。プロの先生が仰るからこそ励みになる言葉なのだと思うが、これからはこのコメントをお守り代わりにして、エキストラの方にフリガナだらけの楽譜のコピーを渡すときも、堂々と、誇りをもって渡そうと思う。

2022年10月23日日曜日

定期演奏会レポート

 終わりました。

 いや~楽しかった。

 途中の休憩時間。後半はあと2曲。なんか、サザエさんが始まった時みたいな感じだなぁ、なんてことを呟いていたら、そうそう、とみんな頷いている。楽しい日曜日が、あとサザエさんとフランダースの犬(いゃ別にハイジでもいいんだけど)を見たら終わりか~ って感じ。そして、その後半のステージも終わったあとで、「いい遊びやと思わへん?」という人もいる。まさにその通り。キャンプとかゴルフ(ぼくはしないけど)とか1日やって、快く疲れた感じ。いつになく血の巡りがいいように思う。

 午前中のゲネプロでボウイングの指示が出る。他のパートはもう少し前からボウイングを合わせていたのだけれど、ヴィオラには明示的な指示がなくて、客演で入ってくださる先生のボウイングを見ながら、コソコソッとリハーサル中にボウイングを書き留めたりしていた。それがゲネプロで細かく、ここは上げ弓、ここからここまではスラーと指示が出る。全部じゃなくて、特に気になるところだけを仰っておられるのだけれど、そんな直前に言われて、言われた通りできるかしら、なんて思いつつ、実際にやってみると意外とできた。そのボウイングが自然なのかもしれない。

 これもいまさらだけれど、ロッシーニの苦労していたフレーズについて、こういうのってどうやって練習したらよかったんですかね、と訊いてみる。これは難しいですから、弾けなかったら最初の音だけ弾けばいいですよ、とのこと。まあ、本番の日の午前に訊いているのだからそうとしか答えられないところなんだけど、いやそうじゃなくて、もしこれ1か月前だったらどうご指導されます? と訊くと、これだけパターンがばらばらだったら目で追うのは難しいから、楽譜にドレミを振って覚えるとか、少しでもパターンが同じところに印をしておいて、そのパターンのところだけ練習するとか、いろいろご指導いただいた。実際、私の譜面にはドレミが振ってあるし、パターンが同じところには印をつけていたりするので、「やってはるじゃないですか」とお褒めいただいたのだが、いや、やってもできないんですよ。結局、本番は最初の音だけを弾くことになった。けっして最初からそうしたわけではないけれど、結果的にそうなった。

 コロナの影響で通常の客席は使えず、パイプ椅子を100席ほど間隔を空けながら並べて客席を作った。それが満席で、椅子を数十席追加した。若い人も中にはいた。

 夏休みの宿題で作った曲の紹介は、メンバーの方が立派なパンフレットに仕上げてくださった。カラー印刷だし、厚手の紙だし、かなりおカネがかかっているように見えるのだけれど、ネットプリントを使うとそれほどかからないらしい。

 前日のリハーサルからホールで弾いているので、ホールの響きにも少しは慣れてきた。周りの音が聞こえにくかったのだけれど、本番では、隣で弾いているエキストラの方(プロ野球の助っ人外人みたいなもので、演奏会の成否は実はエキストラさん頼み)だとか、どきどき前の先生の音も聞こえてくるようになった。「よく聞こえますよ」と言うと、「私も聞こえてますよ。ロッシーニのあそこ、最初の音だけ弾いていたでしょ」とのお返事。バレていたか。チェロの人からも、ヴィオラがよく聞こえると仰っていただいた。ただ私の音がよく聞こえているのか、他の方のヴィオラの音が聞こえているのかは定かではないが、あるいは、「あそこちゃんと弾いてないでしょ」という含意があるのか。

 ともあれ、楽しかった。たぶん、これだけのメンバーがステージの上で同じように呼吸をしていたのだと思う。そして、客席の人の中にも同じように呼吸をして、私たちと同じように血を巡らせていた人がいるのだと思う。時間と場所を共有するというのは、きっとそういうことなんだと思う。まだまだいろいろ制約のある中での開催だったけれど、開催できてよかったと思う。

2022年10月19日水曜日

オンブレブンビンバ

 


 いよいよ今週末に定期演奏会が近づいてきているのだが、相変わらずここが弾けない。もう仕方がないので「弾かない」という選択肢もあるのだが、決定的に難しいフィンガリングがあるわけではない。楽譜を追いながら咄嗟に指が出ないだけなのだ。

 そこで解決策を考えた。

 楽譜を追わないで弾く

 いやもうこれしかない。これで弾けなかったら弾いているふりだけしよう。楽譜を追わずに弾くということは暗譜だ。

シレ#ソ ドミラ ドレ#ファ シレ♮ソ シレ♮ソ #ドミソ #ドミソ レ#ファラ

こんな調子で、20小節ほど音階をノートに書きだして、それを本に挟んで、電車の中で呪文のように唱える。もちろん声は出さない。口は動いているかもしれないが… 繰り返して唱えると、何かの呪文みたいだ。何かいいことが起こる呪文だったか、元気が出る呪文だったか…

 さすがにこれは効果絶大。少なくとも上に書いた4小節は、寝床で何も見なくても唱えられるようになった。だから弾ける、というわけではないが。

 暗譜がいつの間にか暗唱になっている。

2022年10月15日土曜日

古いリュートのための舞曲とアリア

 アンサンブルに入っているおかげでご縁のできた演奏会を聴いてきた。
 うちのアンサンブルは、本番になると、先生がご指導されている大学の学生さんやら卒業生さんやら、先生つながりでご縁のある別の先生がエキストラに入ってこられる。そのようにしてご縁のできた先生が、隣町で指導されている音楽教室の生徒さんを中心とした演奏会だった。教室のホームページを拝見すると、弦楽器だけではなく、いろいろな楽器のレッスンが受けられるらしいのだが、今回は弦楽器と、ヴァイオリンを弾いておられた方がおひとりソプラノも披露してくださった。残念ながらヴィオラを習っておられる生徒さんはおられないようで、うちのアンサンブルからも何人かがヴィオラのエキストラに入っていた。
 ステージの上は約20人。半分ぐらいは先生かエキストラだったが、演奏された曲はなかなか興味深い曲ばかり。来週の定期演奏会で弾く曲、以前にうちの定期演奏会で演奏されたけれと自分は会社の事情でステージに載れなかった曲、私がヴィオラを弾くきっかけになった曲などなど、個人的な思い入れのある曲も多かった。
 表題の「古いリュートのための舞曲とアリア」は20世紀の前半に活躍したレスピーギの曲。作曲者の名前は初めて聞いたが、どこかで聴いたことのある曲だった(動画は別の方が弾いているもの)。
 ちょっと難しそうだけれど、結構いい。ヴィオラが終始聴かせどころを弾いている。

 見ていて思ったのだが、やはり目の前で楽器を弾いているというのは説得力がある、というか、CDやYouTubeで聴くのとは違う楽しみがある。演奏している人の気持ちがダイレクトに伝わってくる。最前列で弾いておられるのは、それぞれプロなのだが、無理な動きがまったくなく、そうかといって腕と指だけで弾いているわけではなくて、見ている人を誘い込むような弾き方をされておられる。聴いていて、知らず知らずのうちに、演奏している人と同じように身体が動いているような、演奏している人と同じように呼吸をしているような、身体の中の血が演奏している人と同じように巡っているような感じがしてくる。どういえばいいのかわからないけれど、なんとなくそんな感じ。たぶん、生徒さんが見ているので、身体全体で合図を出すつもりで弾いておられるのだろう。普段ご指導いただいている先生が目の前で自分と同じ旋律を弾いている。そういう安心感の元に弾いておられるのが、また伝わってくる。
 さぁ、来週はうちの定期演奏会。うちもこんなふうに弾けるとよいのだが。

2022年9月25日日曜日

ホール練習

 定期演奏会まで約1ヶ月となったのでホール練習があった。

 はじめてこのアンサンブルの演奏会を聴きに来た時から同じホールなのだが、初めてステージに載ったときに、残響がほとんどないことがわかった。いまは合併して市立になっているが、できたときは「町立」。演奏会だけでなくて、いろんなことに使えるようになっているから、とりあえず「残響」などというような、寸法を測ったり人数を数えたりできないものは「要求仕様」に盛り込まれなかったのだろう。

 久しぶりのホール練習で大きな変化がひとつ。コロナ禍で、観客同士の間の距離を確保しないといけないことから、階段状の座席は出さずに壁面に収納しておき、パイプ椅子のちょっといいやつを平面に並べて客席にするとのこと。そして、舞台の上ではなく客席と同じ平面で演奏する。普段は客席になっている場所だ。

 この客席、実は舞台のうえよりも響きがいい。手をたたけば違いがはっきり分かるぐらい、響き方が異なる。そういえば、舞台で弾いていて、やらたと観客の話し声が気になったことがあったが、そうか、舞台よりも客席の方がよく響くのか。

 よく響くといっても、響き方は舞台と違って、大きな空間全体で響くので、隣の人が弾いているのはあまり聞こえこず、自分が弾いている音ばかりがよく聞こえる。全体の音もよく響くんだけど、とくかく自分の音がよく聞こえる。先生曰く。

ひとりひとりの音がよく聞こえます

 ということは、間違えるとめっさ目立つということか。しかも、周りの音は聞こえにくいから、なんとなく自分がひとりで弾いているような感覚になる。ちょっと不安。それに、自分が適当に弾いているところを、周りの方が弾いている音で誤魔化して、なんとなく自分が弾いたようなつもりになってドヤ顔する、という技が使えない。

 しかし、少し弾いているうちにそういうのにも慣れてくる。自分が慣れただけでなくて、全体に慣れてきたのかもしれない。最初よりも周りが聞こえるようになってきた。聞こえなくても、少し気持ちに余裕ができてくると、視界に入ってくるようになる。「目で聴く」という要素もあるのかもしれない。

 やっぱり、こういう練習をして慣れておかないとだめなんだな、と納得した一日だった。

 それにしても、残り1ヶ月なのに、まだこんなに弾けていない…

2022年9月19日月曜日

ヴィオラが弾けない

  定期演奏会か近づいてきて、まだ曲順は決まっていないけれど、だいたいこの順番かな、という想像の元に楽譜を並べて、前から順番に弾いていく。ひとりリハーサル。メトロノームで合わせたり、YouTubeの音源と合わせたりして、本番に近い環境を再現する。

 本番に近いというのはいろいろな意味があって、たとえば弾けないところを何回も繰り返して練習するとか、そういうことよりも、そこは適当に誤魔化して、最後のところだけ弾いて、なんとなく全部弾けたような充実感を味わう、というところも含まれている。それでも、弾けないと悔しいので、あとでそこばっかり練習したりもするのだが…。

 おかげでそこそこには弾けるようになってきた。でも、いつも思うのだが、これは、その曲が弾けるようになったというだけのことで、ヴィオラが弾けるようになったことにはならない。その曲よりも難易度の低い曲がいつも弾けるかと言えば、そういうわけではない。難易度が低くても、せいぜい練習の期間が短くて済むぐらいのことで、初見ですぐに、なんてことは到底無理。この前も、定期演奏会の曲で、簡単な曲だと思って高を括っていた曲が意外と弾けない、なんてことがあった(だから、順番に通しているんだけど)。

 とはいっても、本番が近づく中で基礎練習に勤しむ精神的余裕はない。そこで折衷案なのだが、バッハのブランデンブルク協奏曲3番の第3楽章には、繰り返し音階練習のようなフレーズが出てくる。そこで、練習をする前にまずこの音階みたいなのを練習する。これもブランデンブルク協奏曲3番の練習だと思えば、本番が近づく中でも、ちゃんとやらなきゃという気持ちになるし、いまさら音階練習なんて、などと侮ることもない。現にちゃんと弾けていないのだから(ドヤ顔)。



2022年9月3日土曜日

コードを弾くように

  主旋律があまり回ってこなくて伴奏が多いヴィオラ。たびたびこんなフレーズが回ってくる。例えば、16分音符で「シレシレシレシレ ドレドレドレドレ」みたいなのとか、「ソレシレソレシレ ソラミラソラミラ」みたいなのとか。苦労するのは3連符になったとき。しかも同じパターンの繰り返しではないとき。

シレ#ソ ドミラ ドレ#ファ シレ♮ソ シレ♮ソ #ドミソ #ドミソ レ#ファラ

 たまに同じパターンの繰り返しになるのだが、法則性が見つからず、覚えるのもままならない。音符を追って弾こうとするのだけれど追いつかない。
 先生曰く、こういうのは3つの音符を同時に読まないといけない、のだそうだ。ピアノを弾かないので同じなのかどうかわからないが、ピアノは和音を同時に出せるので、音符もお団子のように重なっている。演奏する人がそれを読むときに「ドミソだからえーっと」と考えていたら弾けない。たぶんいちばん下の音だけ見て、そこからお団子になっているから指はこう、と瞬時に変換が出来てしまうのだろう。ヴィオラでも、「まずシだから2指、次はレだから開放弦(よかった)」とかやるのではなくて、「シレ#ソだから左手の指の形はこうでこう移弦させてこうする」というのを瞬時に読まないとダメなんだろう。ギターも弾かないのでこれも当てにならないが、コードに変換して、#Gm on H, Am on C とか読んでいけば…
うーーん できない
 ロッシーニの第3楽章でこんなのがたびたび出てくる。いまのところ練習は3つのうちの最初の音だけを弾いて弾いたつもりになっているのだが…。
 先生曰く、3回練習して出来ないところは10回練習してもできない。この辺りはアンサンブルの指導をなさる方と個人レッスンをされる先生では違うところだろう。個人レッスンの先生なら、弾けないところがあるときは、弾けるところは練習しなくていいから弾けないところを繰り返して、10回連続で間違えずに弾けるようになるまで練習する、などということを仰る。アンサンブルの場合は、ぜったいに弾けないところは他の人に任せて霞んでおくことにして、もう少し練習したら弾けそうなところを繰り返すとか、全体をオンテンポで通せるようにするとか、そういうところに練習の軸足を置かないといけない。いくら練習してもダメなものに貴重な時間を割かない。
 むむ…、本番までまだ1ヶ月以上あるこの段階で早くもトリアージか。

 しかしよくよく見てみると「シレ#ソ ドミラ ドレ#ファ シレ♮ソ」のパターンはたびたび出てくる。そのパターンのところに印をつけて、これだけ弾けるようにしておけば、いま弾けないところのうち半分は弾ける。残りの半分は…

やっぱりトリアージか。

2022年8月28日日曜日

アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳

 スタジオのアンサンブル・レッスンではバッハの曲を見ていただいているのだが、これがどうもバッハの曲ではないらしい。

 1720年、35歳のバッハは妻と死別。翌1921年に16歳年下のソプラノ歌手と再婚する。1725年、この若い妻のために鍵盤楽器用の小作品を筆写した楽譜を贈った。妻の名前から『アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳』と呼ばれるこの作品集に掲載されている曲は、長い間、J.S.バッハ自身が作曲したものと思われていたが、現在では、他の作曲家の作ったものということが定説になっているそうだ。

 この音楽帳には45の作品(詩や楽典を含む)が載せられているが、J.S.バッハの曲として有名な曲もたくさんある。平易で短めの曲が多いが、まとめるとひとつのステージになりそうだ。

 動画はできるだけ弦楽器で演奏しているものを集めたが、もともとは鍵盤楽器(当時は主にチェンバロだっただろう)用の曲なので、アレンジはレッスンで見ていただいているものとは違う。どの動画もJ.S.バッハの曲として弾いておられるが、教則本にもJ.S.バッハの曲と書かれているのだから、弾いておられる方や動画をアップされた方の間違いではない。

 クリスティアン・ペツォールトは、J.S.バッハよりも12歳年上で、ドレスデンの宮廷楽団で奏者をしていた。鍵盤楽器のためにさまざまな小品を残しているが、この音楽帳に載せられている2曲がもっとも有名ではないだろうか。

 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハというのは、J.S.バッハが最初の妻との間に設けた息子で、当時はまだ11歳。家庭の事情まではよくわからないが、新しい母親のために父親の指南を受けながら作曲したと思うと微笑ましい。


(参考文献)

2022年8月16日火曜日

夏休みの自由研究~ロッシーニ編~

 夏休みの自由研究の最後はロッシーニ。しかしこの曲に関しては、先週、曲の同定ができたという記事をアップして以来、たいした進展がない。彼のオペラ作品について詳しく説明する資料は図書館でいくつか見つけたが、この曲を作曲した少年期については詳しい説明はされていない。出典のはっきりしないインターネット上の記事を繋ぎ合わせただけで、信憑性に欠いた紹介文になってしまっている。

 そんなわけで、いろいろ差し引いて読んでいただきたい。


 米国議会図書館にあるこの曲の筆写譜には、「12歳のジョアキーノ・ロッシーニ氏が1804年にラヴェンナで作曲した六つのソナタ作品」と記され、パート譜の余白にロッシーニ自身による書き込みもあるとか。

 ロッシーニ一家は、1802年ごろから、イタリア北部ボローニャ近郊のルーゴという街に住み、一家のパトロンでコントラバス奏者だった実業家アゴスティーノ・トリオッシの別荘にたびたび招かれたようです。彼の楽譜への書き込み信じるならば、この曲は、その別荘に集まった仲間内で演奏するために作曲したもの。コントラバスの聴かせどころはアゴスティーノのために書かれた旋律と言えるかもしれません。

 ただ、米国議会図書館に残されている楽譜の用紙はロッシーニが1808年から1812年にかけて使っていたものと一致するとか、とこどろころに修正の痕跡が残っているなどの指摘があり、ロッシーニが16歳になった1808年頃の作品ではないかともいわれています。真偽のほどはわかりませんが、まだ少年だったロッシーニが周囲の「遊び相手」ともいえる人たちと演奏するために書いた曲であることは間違いないようです。その遊び相手にヴィオラがいなかったからか、ロッシーニ自身のオリジナルにはヴィオラパートがありません。定期演奏会での演奏は、ロッシーニ自身のオリジナルではなく、のちに弦楽四重奏に編曲されたものです。


参考文献


練習用音源

夏休みの自由研究~ヴィヴァルディの四季編~

 有名な『ヴィヴァルディの四季』から「秋」。これも私家蔵書にスコアがあって、その冒頭に解説文が書かれている。それによると、当時のイタリアでは、作曲された曲が2,3シーズンを越えて再演されることは稀で、聴衆の嗜好に応えて次々に作品を仕上げていくために、手稿譜は「覚え書き」ぐらいに扱われていたらしい。しかし、外国ではヴィヴァルディの名声は高く、パリやアムステルダムで多くのソナタや協奏曲が出版されたそうだ。

 『四季』はマルツィン伯爵に献呈されたものがアムステルダムで出版されたもののようだ。マルツィン伯爵を調べていくと、おそらくハイドンが仕えていた「モルツィン伯爵」のことではないか、というところまで行き着いたのだが、それじゃこの曲はモルツィン伯爵に捧げたのかというとそうではなさそうだ。やはりピエタ修道院の娘たちのために書いたのだろうということで、無難に紹介文をまとめた。


 ヴィヴァルディは、1703年9月、ベネチアにあった孤児院兼音楽学校オスペダーレ・デッラ・ピエタ(ピエタ養育院)のバイオリン教師となり、その後、逝去前年の1740年まで「ピエタ」との関係は断続的に続きました。そしてピエタの娘たちのために数多くの協奏曲、室内楽曲を作曲し、上演しました。『ヴィヴァルディの四季』として有名なこの曲は、1727年にアムステルダムで出版されたヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』に収録されたもので、楽譜に四季折々の情景を描写するソネット(イタリア民謡を原形とする14行の定型詩)が書き添えられています。演奏する「秋」には次のように書き添えられています(日本楽譜出版社の楽譜より)。

第1楽章
冒頭: 村の若者達の踊りと歌: 村人は踊りと歌で
実りの秋を祝う
32小節目: 酔っ払い: バッカスの飲み物に紅潮し
89小節目: 酔っ払い男が眠る: 若者は喜びの果てに、眠りにつく
第2楽章
冒頭: 眠る酔っ払い達: 安らかで心地よい大気は
人々の歌と踊りを
終わりにさせる
皆を快い眠りの楽しみに
誘うのがこの季節
第3楽章
冒頭: 狩: 夜明けに狩人が
手に角笛と猟銃を持ち
犬をお供に狩に出る
76小節目 逃げる獣: 逃げる獣
狩人は追う
82小節目: 猟銃と犬: 大きな猟銃の音と犬の追う声に
獣は驚き疲れ
傷つき怯え
逃げ惑い
129小節目: 逃げる獣は息絶える: 追い詰められて息絶える


参考文献

  • 田島容子「ヴァイオリン協奏曲《四季》」. 日本楽譜出版社.『Kleine Partitur: Vivaldi: LE QUATTRO STAGIONI: Il Cimento dell!Armonia e dell'Ivenzione Op.8 No.1-4』
  • "ビバルディ", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-16)
  • "ソネット", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-16)


練習用音源

夏休みの自由研究~ブランデンブルク協奏曲編~

 個人的には定期演奏会のハイライトだと思っているバッハのブランデンブルク協奏曲3番。スコア譜を買ってきて私家蔵書にするぐらいの気持ちの入れ様。スコアを買ってきたから弾けるわけではないのだが。
 自由研究としては、このスコアの巻頭にある解説文が役に立つ。百科事典にも載っているぐらいの有名な曲なので、ネタには困りません。


 バッハが活躍した時代の音楽家の多くは、宮廷や貴族または教会に仕えていました。バッハもまた、1717年から1723年までアンハルト=ケーテン侯レオポルトの下で宮廷楽長として仕えました。1721年3月、バッハは、ケーテン侯と親交のあったブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートウィヒに6つの協奏曲を献呈しました。その後、プロイセン王女アマ―リアの蔵書となり、1914年にベルリンのドイツ国立図書館の蔵書となったバッハの直筆譜によれば、これらの協奏曲はフランス語で「Concerts avec plusieurs instruments (種々の楽器を伴う協奏曲)」と題されているのですが、ブランデンブルク辺境伯に献呈された曲であることから、一般に「ブランデンブルク協奏曲」と呼ばれています。演奏される3番は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがそれぞれ3パートと通奏低音の合計10パートからなる大曲で、当時わずか6名のメンバーしかいなかった辺境伯の宮廷楽団では演奏できません。他の曲も同様で、そうした事情からこれら6曲は辺境伯のための書下ろしではなく、それ以前に作曲された協奏曲のなかから6曲を選んで浄書・献呈したものとみられています。バッハが仕えていたケーテン侯の楽団が縮小される中で、新天地を求めたバッハがいわゆる就職活動を有利にするために献呈した、いまでいえば学生がお目当ての企業に提出する「ポートフォリオ」のようなものだったのかもしれません。


参考文献

  • 角倉一朗「バッハ ブランデンブルク協奏曲」(全音楽譜出版社[編].『Zen-On Score Bach Brandenburgische Konzerte』. 1966.巻頭解説) 試読はこちら
  • "ブランデンブルク協奏曲", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-16)
  • "ブランデンブルク協奏曲", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-16)
  • Wikipedia ケーテン, ブランデンブルク協奏曲 


練習用音源

2022年8月15日月曜日

夏休みの自由研究~パリ協奏曲編~

  定期演奏会では、ヴィヴァルディの曲を2曲弾く予定です。ひとつは有名な『四季』の『秋』。もうひとつはいままで知らなかった曲です。この、いままで知らなかった曲について調べました。

 まず曲の同定。ハ長調の弦楽協奏曲だというところから、無料楽譜サイトIMSLPを探し回り、リオム番号114であることがわかった。

https://imslp.org/wiki/Concerto_for_Strings_in_C_major%2C_RV_114_(Vivaldi%2C_Antonio)

 お手本演奏はこちら。

 ヴィヴァルディは生涯に600を超える協奏曲を作っています。そのなかにはいつどこで作曲されたのかが明らかではない曲も少なくありません。この曲は、おそらくヴィヴァルディがその晩年に作曲した曲で、浄書された楽譜がパリのフランス国立図書館にあるため「パリ協奏曲」と呼ばれています。パリにこの楽譜がある経緯は明らかでなく、フランスの啓蒙思想家、シャルル・ド・ブロスがイタリアを旅行した際、1740年頃にヴィヴァルディから購入したと言う協奏曲の中にあったという説や、ハプスブルク家の女主マリア・テレジアの夫であったロレーヌ公フランソワ3世エティエンヌ(後の神聖ローマ皇帝フランツ1世)が買い上げたとする説などが、CDの曲紹介やインターネット上の記事に見られます。音楽の本場、ヴェネツィアでは流行の変化が激しく、ヴィヴァルディの飛ぶ鳥を落とす勢いも衰え、忘れ去られた作曲家となってしまったあとも、外国での彼の名声は高く、彼の楽譜は名君や財を成した人たちの垂涎の的だったのかもしれません。


参考文献


練習用音源

2022年8月12日金曜日

夏休みの自由研究~ヘンデル編~

 夏休みは、図書館で、定期演奏会で弾く予定の曲紹介のネタを探す。手始めに、ジョージ・フレデリック・ヘンデルの「Alcina」。本で調べると英語読みで「アルチーナ」と書かれているが、オケのみなさんはイタリア語っぽく「アルキーナ」と発音される。

 フルで聴くとこんな感じになる(いや、これは聴かなくてもいい。3時間以上あるんだぁと思っていただければ十分。もちろん、こんなのフルではやりません)。

 弾くのはその中のいくつかの舞曲。上手な演奏を聴きたい方は以下のYouTubeへのリンクでお楽しみください。

Entree
Gavotto(1)
Sarabande
Menuet
Gavotto(2) Tamburino

 この曲は、1735年4月にロンドンのコヴェント・ガーデン劇場で初演されたオペラです。

 ジョージ・フレデリック・ヘンデルは、ドイツ オーデル河上流の街、ハレに生まれ、ロンドンを中心にイギリスで長く活躍しました。当時のロンドンでは、オペラの上演が興行的におこなわれるようになり、多くの劇場が競うようにオペラ作品を世に送り出していました。ヘンデルは、そのような劇場のひとつだったコヴェント・ガーデン劇場のオーナーだったジョン・リッチと契約を交わし、1734~35年のシーズンに「ダンス・オペラ」と呼ばれる軽快なオペラを次々に発表しました。「Alcina」もそのひとつです。客のお目当てのひとつは、この劇場の専属ダンサーだったマリー・サレ嬢のバレー。そしてカストラート・ソプラノ歌手のジョヴァンニ・カレスティーニの歌声。「Alcina」には多くのバレーが組み込まれ、アンコールではきまってアリア「Verdi Prati」が歌われたといいます。「Alcina」は、この劇場とサレ、カレスティーニに捧げられた曲と言ってもいいでしょう。

 「Verdi Prati」は歌曲なので、今回は演奏されませんが、こんな曲です。


(参考文献)
  • 渡部恵一郎. 『ヘンデル』(大音楽家と作品 15). 音楽之友社. 1966. 巻末作品表 p.103, 「「貴族オペラ」とコヴェント・ガーデン劇場」
  • クリストファー・フォグウッド 著, 三澤寿喜 訳. 『ヘンデル:GEORGE FRIDERIC HANDEL』. 東京書籍. 1991. pp.217-222

2022年8月10日水曜日

Rossini, Gioacchino "Sonates for Strings No.1"

 定期演奏会で弾く曲の同定ができた。

 楽譜には「Gioacchino Rossini hrsg und eingerichtet von Rudolf Malarie」と書かれているだけで、第一楽章はト長調ということぐらいしかわからない。重要なヒントは、練習の時に先生が仰っておられたこと。

「この曲は、ロッシーニが12歳の時に作曲した」

 ロッシーニの生没年はウィキペディアでわかる。1792年生まれ。ということは1804年ごろに作曲されたもの。どこのどなたが書かれたページかわからないが、こちらのページにロッシーニの生涯と主な作品が紹介されていて、その中に

『弦楽のためのソナタ』(6 sonate a Quattro, G. A, C, B♭, E♭, D, 2 vn, vc, db)(1804年):全6曲。ヴァイオリン2、チェロ、コントラバスのための楽曲。

という記述が。(いや実はウィキペディアででも「弦楽のためのソナタ(ヴァイオリン2、チェロ、コントラバスのための・全6曲)、1804年」って書かれていたのだが気が付かなかった)。をぅお~、これだ。ここまでわかったら、YouTubeで音源を探す。あった。間違いない。この曲だ。


 さっきのページにも、こんなことが書かれている。
1802年頃、ロッシーニ一家はルーゴ(Lugo)に移り、父は少年ロッシーニにホルンを教授するようになると同時に、ロッシーニは、地方の司教座聖堂参事会員2)ジュゼッペ・マレルビ(Giuseppe Malerbi)のもとで声楽と作曲法を習うようになる。この時期に、ロッシーニは、ラヴェンナの豊かな実業家アゴスティーノ・トリオッシ(Agostino Triossi)と出会い、コンヴェンテッロの別荘に招かれる仲となる。この経験をもとに、若き作曲家ロッシーニは、『弦楽のためのソナタ』(sonate a Quattro)を作曲し、後にこの友人のために 『シンフォニア・アル・コンヴェンテッロ』(the Sinfonia ‘al Conventello’ )と『コントラバスのための大序曲』(the Grand’overtura obbligata a contrabbasso) も創作することとなる。
容姿はやや太り気味だが、天使のような姿と言われ、かなりのハンサムだったので、多くの女性と浮き名を流した。
ということも書かれているので、だいぶ様子がわかってきた。あとは図書館で本を漁れば、曲が書かれた経緯とか、そういうこともわかってくると思う。
 ちょっとこれで練習のギアを入れられるかも(いやギア入れろよ、ってか)
 もうひとつ、さっきのページに重要なことが書かれている。
ロッシーニは音楽家として活動する両親と共に舞台に立つようになり、ヴィオラ奏者として1801年のカーニバルシーズンのファノにおけるオーケストラに参加したことが確認されている。
 を、そうか。9歳にしてヴィオラを弾いていたのか。さぞやヴィオラが好きだったに違いないと思いきや、IMSLPでダウンロードした楽譜にはヴィオラパートがない。よく見ると、さっき引用したところにも「ヴァイオリン2、チェロ、コントラバスのための楽曲」と書かれているではないか。動画にもヴィオラが映っていない。
 こりゃ余程ヴィオラ弾かされたのが辛かったんだな。父親はホルンだかトランペットだかを吹いていて、母親はヴォーカル。その同じ舞台で主旋律のないヴィオラを弾かされることに疎外感を感じたのか。
 そういえば楽譜に「Gioacchino Rossini hrsg und eingerichtet von Rudolf Malarie」って書かれているじゃないか。Rudolf Malarieって人が編曲しているんだ。この編曲版がなければ、ヴィオラは休んでいてよかったんだステージの上でずっと休んでいないとだめだったんだ。これはだいぶ疎外感があるな。
 そんなことでRudolf Malarieって人についても調べないといけなくなった。
 つづく…たぶん。

2022年7月30日土曜日

定期演奏会に向けて~とにかく最後まで弾く~

 野外演奏会も終わって、いよいよ定期演奏会に向けてまっしぐらなのだが、これがなかなか思うようにいかない。毎年なかなか豪華な選曲なのだが、ことしはクラシックばかり。パッヘルベルのカノンとかバッハのメヌエットとか「主よ」とか、比較的簡単そうなのもあるが、ヘンデル、ヴィヴァルディ、バッハ、ロッシーニと、そこそこの大物が揃っている。他のメンバー方は、いちど弾いた曲はそれなりに思い出して弾けるという方ばかりなのだが、私にとっては初めての曲だったり、 「前は弾けたんだけどなぁ」という曲ばかり。最近は、どこを弾いているのかわからなくなってしまうということはなくなったが、音が出せずに声ばかりが漏れる。

 いちばんの難曲はこれ。


 初めてこのアンサンブルのステージに載ったときに確かに弾いているのだが、もうすっかり弾けなくなっている。いや、前にステージに載ったときも弾けていなかったのかもしれない。動画を見ていただいた通り、ヴィオラが3パートに分かれる。うちのアンサンブルのヴィオラは普段は3人しかいないので責任は重大。自分のところに主旋律がまわってきたときに音が出せず声しか出せない、というのも2、3回はウケをとれたが、いつまでもそういうわけにはいかない。
 いや自分に主旋律が回ってきたところに限って弾けないのよ。
 それで、その自分が主旋律のところだけを集中的に何度も練習する。何度も練習しているうちに弾けるようになる。弾けないところはそうやって、10回連続して間違わずに弾けるようになるまで練習するように、などと言われるので、サバを読んで5回連続で弾けるようになるまで練習するのだが、さあみんなで合わせますよ~、となると弾けない。
 隣の人曰く、メトロノームと友達になるか、YouTubeでゆっくりでもいいから再生してそれに合わせて弾くとか、そういう練習をするとよいとのこと。さっそくメトロノームを鳴らしながら通して弾こうとするのだが、友達になるというよりも格闘している感じ。3時間ほど練習したが、結局、最後まで通すことはできなかった。
 YouTubeの方はどうか。
 こっちの場合、自分が弾けなくても曲はどんどん進んでいく。弾けないところを弾けるようにするというよりも、弾けないところは飛ばして弾けるところを練習する感じ。それはダメよ、といつも言われる練習パターンに陥ってしまう。 まあしかし、アンサンブルとなればそういう練習も必要なのかも。自分一人が弾けないからと言って練習を止めてはくれない。それならば、まずは弾けるところだけでもしっかり弾いて、みんなについていかないと練習にならない。
 いろんな動画がアップされているのだが、古楽器で演奏しているものが多く、ピッチが合わない。チェンバロなんかを出してきているのは、たぶん、どれも古楽器だと思う。この動画ならモダンの楽器でもピッチが合うだろう。明日はこれで練習だな。

 上の動画はピッチが合わないことが判明。こっちならモダン楽器のピッチ。
 とりあえず再生速度0.5倍からだな。

2022年6月19日日曜日

野外演奏会

 所属するアマオケの演奏会が無事に終了。

 このアマオケ、もともと県内のとある町立ホールの取り組みから始まっているもので、その町が平成の大合併で市になってから、市の公民館みたいなところで練習をするようになった。遠くから通う身なので詳しくは知らないが、合併特例債なんかで建てられたのかもしれない。新しい瀟洒な建物だ。敷地に芝生の広場があって、そこに面した1階の交流室だかそんな名前の部屋の扉が折戸になっていて、芝生の広場に向かって開け放てるようになっている。今回の演奏会の会場はそこ。折戸の内側で演奏するのを外側から聴く。芝生広場やら、折戸を開け放ったところにあるウッドデッキやらに椅子を並べて会場を設営。お客さんが近い。誰かを狙って石を投げたら命中しそうなぐらいに近い。あまり下手な演奏はできない。

 心配していた天気もまずまずで、そこそこに人も集まった。40人ぐらいだろうか。ホールだとガラガラに見えるところだが、そういうシチュエーションなので結構いっぱいにみえる。野外なので、子供がぐずったりというようなことは気にしなくていい。選曲の方も、ちょっと子供向けのものを混ぜて軽くしている。いつもご指導いただいている先生のMCもあって、こんな軽いところなのでぜひご入団くださいと、公民館の利用者増加にも一役買おうという企画になっている。

 きのうからエキストラのみなさんにも入っていただいて、練習とリハーサルがあった。やっぱり人数が増えると迫力も増す。人数以上に、エキストラのみなさんの技量が高い。先生も「そこ、ビブラートをかけて」なんて、いつも絶対に言わないようなことを仰る。その日の朝に言われても、というところではあるが、エキストラのみなさんはそういうリクエストにもすぐ対応できてしまう。すごい。

 そんなわけで、パプリカとか忍たま乱太郎なんかは軽くクリア。アイネ・クライネ・ナハトムジークも何の問題もなし。自分はというと、ちゃんと弾けていないところも結構あったのだが、さいわい石が飛んでくることはなかった。

2022年6月11日土曜日

アイネ・クライネ・ナハトムジーク

 5月に再入団したアンサンブルの復帰後の初本番が近づいてきた。本番と言っても、いつも練習をしている公民館みたいなところの庭でやる小さなものなので、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」以外は小品ばかり。「ドラゴン・クエスト」とか「パプリカ」とか「100%勇気」とかの飛び道具もある。実はそっちの方が難しかったりする。

 再入団1ヶ月ちょっとなので、なかなか周りについていけない。それでも最近はやっと、「ああ、この人、アイネ・クライネ・ナハトムジークを弾きたいんだろうなぁ」ということがわかるようにはなってきた。あとは聴く人の想像力と優しさ、そして心の耳があれば、きっと素晴らしい演奏になるはずだ。

 当日はエキストラさんにもきてもらう。先生がほかで面倒を見ておられる大学のアンサンブルの学生さんとか卒業生さんだ。

 ヴィオラ3人来てもらいますから。

 とのこと。ヴィオラは私を入れて3人なので、実質2人半ぐらい。エキストラの方が多いじゃん。これで安心。弾いているふりだけという訳にはいかないが、まあ、たとえばフォルテとかピアノとかあまり気にしなくても、エキストラさんたちが何とかしてくれるでしょう。

 ずっとアンサンブルにいる方は、エキストラさんの名前もよく覚えておられるが、私は出たり入ったりなので名前を言われれてもほとんど覚えていない。その中に、7年前に初めてここのアンサンブルのステージに載ったときに来てくれていた女子学生の名前があった(女子学生だから覚えているとか、そういう訳ではありません)。もうとっくに卒業されているはずなのに(留年しているのか…)、卒業してからもヴィオラを続けているんだ。なんだか嬉しい(女子学生だからではありません)。羨ましい。そして何の縁なのかこの街まで足を運んでくれる。こっちも本番までにちゃんと練習しておかなくては(けっしてその娘にいいところを見せたいという不純な動機ではありません)。

 アイネ・クライネ・ナハトムジークの話に戻るが、有名な曲で何度も聴いているが弾くのは初めて。モーツアルトって聴いても弾いても楽しい。これが弾けたら、他でも合奏したりできるかも。

2022年5月5日木曜日

次の発表会に向けて

 今回の発表会の選曲は、次の発表会でこれが弾きたいと決めてずっと練習してきたというよりも、たまたま発表会の話があったときにレッスンで見ていただいていた曲を弾いた、という感じできまった。コロナ騒ぎでいつ発表会があるかわからず、あまり発表会のことを意識しないレッスンが続いたからだ。しかし、こうしてスタジオの発表会が再開して、ほかに先生の教室の発表会にも出るとなると、やはり前のように、次の発表会でこれを弾きたい、というのをモチベーションにして練習をする、というスタイルになりそうな気がする。

 ヴィオラの場合、発表会の選曲にはひと苦労だ。ヴィオラのために書かれた曲というのはとにかく少ない。それで他の楽器の曲をヴィオラにアレンジして弾くことが多いのだが、ヴァイオリンの曲をヴィオラで弾くのはミニバンにスポーツカーの走りを期待するようなもの。と、わかっているのだが、発表会で聴いた「お手本演奏」のバッハ ヴァイオリンパルティータ2番のシャコンヌが格好良かったので、何か無伴奏を弾きたいという思いがふつふつ。それで前から気になっていたバッハ ヴァイオリンパルティータ3番のプレリュードに触手を動かす。

 これはかなり無謀だと思ったのだが、とにかく半分ぐらいまで練習してレッスンに臨む。

 やはり無謀だった。

 だけど、例えば最初の12小節ぐらいを、セヴシックでもやるつもりで、誤魔化さずに真剣に練習するというような感じで少しずつ練習していけば、全部は弾けなくても2年後にはそこそこ弾けるようになるんじゃないかしら、みたいなことを仰る。だけど、ヴィオラ用にオクターブ下げてしまうと曲の意図がちゃんと表現できないから、もともとホ長調のところをシャープひとつ取ってイ長調に移調した方がいいとのこと。あらかじめネットでヴィオラ用の楽譜を探していたら、確かにハ音譜でイ長調に移調した楽譜がアップされている。

 それと、この曲よりもガボットの方が楽しいですよ、とのこと。プレリュードは「これから始まりますよ~」というだけの曲で、意味とかそういうものがないけれど、ガボットとかいわゆる舞曲は踊りのステップがイメージできるように作られているから、意図を汲み取りやすい、というようなことを仰る。

 しかしこの曲については移調版がネット上で見つけられなかった。自分で入力してアレンジするしかない。これは結構大変な作業に違いない。むむむ。いっそヴァイオリンに持ち替えようか。

 結局、2年後にあるだろうスタジオの発表会のことは棚上げにして、当面、無伴奏は諦めて、以前にスタジオの発表会で弾いてあまり思うように弾けなかったヘンデルのソナタ4番を見てもらおうとしている。

 伴奏があるので、下手に移調するわけにはいかない。さいわいオクターブ下げればヴィオラの音域でほぼ弾ける。たぶんヴァイオリンで弾くとハイポジション炸裂なんだろうけど、オクターブ下げることで3ポジぐらいまでで弾けるはず。ヴァイオリンの教則本にも出てくるので、ヴァイオリンをやっている人は「難しい曲」のイメージがあるはず。しめしめ。

 さて、次のレッスンはどうなることか。

2022年5月1日日曜日

アンサンブル再入団

  いろいろな都合があって(コロナとは無関係)続けられなくなっていたアンサンブルに再入団できる目処がついた。いろいろというのは、とにかく練習場所が会社からも自宅からも遠く(どちらからも50㎞超)、しかも最寄りの駅は1時間に1本しか電車の来ない田舎駅で、最初は魔法のように電車が接続していて、会社が終わってすぐに行けば7時過ぎには着けたのだけれど、それがダイヤ改正でダメになり、次は働き方改革で5日間の有給休暇消化が義務付けられたことをいいことに、それを時間休にして、練習のある日は1時間早く仕事を切り上げて通っていたのが、時間単位の休暇は消化が義務化された5日間に算入してはいけないという厚生労働省の省令でダメになり、ということだった。それが最近、それまでクルマでパートに出ていた妻がパート先を変え電車で通うようになったので、練習のある日はクルマで通勤して、仕事が終わったらクルマで練習会場に行く、ということが可能になった。これも脆弱な条件ではあるのだが、とにかくそれぐらいのことをしてでもここには参加したいと思わせるものがある。

 本格的な練習参加は5月からなのだが、先日、楽譜をいただきに行った。50kmちょっとなのだが、会社帰りの時間は渋滞しがち、高速道路を使っても、着いたのは7時過ぎだった。通い始めたころの魔法の接続なら7時15分に最寄り駅について、そこから歩いて1分だったので、田舎の電車とはいえ如何に電車が速いかがわかる。それにその日は小雨も降っていて、クルマの運転は相当に疲れた。慣れるまでは結構たいへんかもしれない。

 楽譜を取りに行くことは予め伝えていたので、ちゃんと用意をしてくださっていた。自分の席もあった。こっちの都合でいったん辞めているのに、みなさん心優しく迎えてくださる。こんな嬉しいこと、ありがたいことはない。

 ともあれ、楽譜をもらってきた。6月には小さな演奏会があるらしい。小さいといっても弾く曲はそれなりにある。アイネクライネナハトムジークの第1楽章とか、そんなん1ヶ月でできるんかな。いままでは発表会用に3曲ほど、それもほとんどが小品ばっかりだったのが、いきなり練習するべき曲が増える。2時間ぐらいがあっという間に過ぎて、それでも半分しか練習できていなかったりする。

 いろいろ生活が変わるなぁ。クルマ通勤といい、練習時間といい。また妻から小言を言われそうだ。

2022年4月10日日曜日

図々しさも成長のうち

 スタジオ創立20周年の節目の発表会が終わった。温かくて居心地の良い発表会だった。

 自分の発表は、というと、ひとことで言えば楽しかった。

 曲目は先月の発表会と同じ。

 まずパッフェルベルのカノン。これがいちばん無難にできた。いつものスタジオと違って、会場が広いので、ほかの奏者が遠い。けれど、これはチェロがばっちりリズムをとってくれるので、とにかくチェロさえ聴いていれば大事には至らない。

 続いてバレンティーニの幻想曲。これは先月の発表会で拍を掴めずに沈黙してしまった曲だ。チェロはなくて、ヴィオラがチェロパートを弾く。チェロさえ聴いていればなんとかなるパッフェルベルと同様なら、ヴィオラさえ聴いていれば何とかなるはずなのだが、パッフェルベルと違って途中に2小節ぐらいの休符が何箇所かあって、そこから復活するところで拍が取れなかったりする。上のパートは楽譜が多くて本番はどうしても走りがち。そこで拍を取ろうとしても取れないこともあるということがわかったので、今回は何が何でも弾くと決めて、休符の間はほかのパートを聴かずに自分で拍を取る。思わず声を出してしまいそうになるが、とにかくちゃんと入れた。最後が合ったので、たぶんちゃんとリズムはあっていたはず。

 最後はソロ。長丁場の発表会も終わり掛け。最後から3番目の出番だったのだが、いきなりから間違えてしまう。

すんません。もういっかい。

何回も発表会に出ていると、こういう図々しさも身につけてくる。何年か前なら、もうそこで頭の中が真っ白になってしまったところなんだが。

 これを成長と言ってしまっていいのかどうか。

 ま、しかし、上手なところを見てもらう訳ではなくて、楽しんでいるところとか、満たされているところとか、そういうのを見てもらえるといいと思うので、これぐらいはご愛嬌ということで許してもらおうか。

 発表会の間はテンションが上がっていたのだが、終わってみるとバタンキュー。まるで小学生が運動会や遠足でエネルギーを使い果たすかのような、とにかく楽しい一日だった。

スタジオ20周年発表会

 コロナ騒ぎでしばらく出来ていなかったスタジオの発表会が4年ぶりにあった。もともと2年おきに実施されていて、ちょうど前回2021年がコロナ騒ぎでできなくて4年ぶりとなった。今年はスタジオ創設20周年ということで、主催者側としてもどうしてもやりたかったところだと思う。もちろん生徒も大歓迎だ。

 出てくる楽器はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのほかに、ピアノ、サックス、クラリネット、マリンバ、ジャズヴォーカルと相変わらず多彩だ。以前はフルートやトランペットもあった。弦楽器はアンサンブルレッスンもあるので、ソロの発表のほかにアンサンブルの発表もある。プログラムを見ると、サックスは打楽器やベースをいっしょにセッションをされているし、マリンバも先生とのコラボあり、ヴォーカルとのコラボありと、楽器だけでなく楽器編成も多彩だ。クラリネットのアンサンブルもある。

クラリネットもアンサンブルをされるんですね。

と訊くと、いや、プログラムみたら、ほかの楽器がいろいろ面白そうなことやっているし、クラリネットもやらなあかんと思って、ということだった。20周年だからという訳ではないが、こうやってみんなちょっとずつ、いろいろ花を添えようとされている。

 午前中からステージでのリハーサル。2時開演。まず子供の部があり、それから写真撮影。大人の部は3部構成で、2部と4部が楽器の演奏、3部はジャズヴォーカルという構成。終わったのは6時半という長丁場。

 他の楽器をされている方とは、こうして発表会の時にしかお会いしないが、何回か見ているとお人柄もよくわかる(ような気がする)。マリンバを弾かれる高齢の女性の方の演奏(ベートーヴェンのスプリング・ソナタだった)を聴くと、とても柔らかくて、包まれるような感じ、もうひとりのマリンバの男性は、いつもなにか盛り上げてくださる。この方は、さだまさしのファンで、今回は満を持して「北の国から」の挿入歌を弾かれていた。なんでもアレンジにこだわりがあって、プロのアレンジャーにお願いして(もちろんおカネも出されているのだと思う)マリンバ用にアレンジしていただいたのだという。

 いつもなら、終わった後に打ち上げがあるのだが、時節柄それはなく、何人かの方を昼食に誘うぐらいしかできなかったが、互いの近況を報告し合いつつ、スタジオへの愛を語り合う。他の楽器の講師の先生も、私のことをよく覚えてくださっていて、何かと気にかけてくださる。本当にこうして発表会ができてよかったと思う。

 会場にはこれまでの発表会の写真が掲示されていて、第1回の発表会の写真には、当時まだ3歳だったうちの娘も写っていた。自分の写真を見てもあまり変わり映えはしないが(他人が見れば老けたのかもしれない)、子供の20年は大きい。もうその娘が23歳なのだから。ご夫婦でされておられる小さなスタジオなので、最近では、もういつまで続けられるかわからない、などと仰ることも時々あるのだけれど、生徒としてはいつまでも続けてほしいし、スタジオを続けておられる限りレッスンも続けていこうと思う。

2022年3月20日日曜日

県立ホールの発表会

 

 県立の立派なホールで発表会があった。

 といっても、地下のリハーサル室なのだが。

 ホールでコンサートがあるときに入る入口じゃなくて、守衛さんのいる地下の通用口から、入館パスを見せて建物に入る。

 お、カッケー

 いつもお世話になっている先生が、ご自身の教室でレッスンをされている生徒さんの発表会に、私も混ぜていただいた。20人以上はおられたと思う。まだ小学校に行っていないと思しき子供たちの弾く「あたばよ」でお馴染みの曲、小学校の高学年ぐらいから高校生ぐらいまでの超絶上手で、このあと自分が何年練習しても絶対に行き着けないレベルの演奏、大人になってからヴァイオリンを始めた人たち、まぁホントにいろいろな人が発表した。

 先生の教室はどういうレッスンなのかよくわからないが、アンサンブルが多い。だいたい同じぐらいの年齢とレベルの人を合わせて、それぞれに相応しいレベルの曲を弾かされている。ご多分に漏れず、私も、ソロ1曲とアンサンブル2曲を弾いてきた。

 もうさ、如何に上手かを発表するのはやめた。

 上手でも下手でも、こうやって続けていますよ、ということを発表するのみ。昨日はリハーサル、今日は直前練習で、ピアノ合わせをしていただく。そこで、

 何があっても最後まで弾きますから

 と宣言。実はまだリズムの怪しいところが何箇所かある。ピアノを待たずに飛び出したり、反対に待たなくていいところでピアノを待ってしまったり。まぁしかし、ちゃんと辻褄を合わせてくださるので、安心して間違えられる(てへ)。

 一方、安心できないのがアンサンブル。こっちはそういうプロの人がいないので、自分たちで合わせないといけない。ヴァイオリンが走り出すと拍が取れなくなって、どこを弾いているのかわからず、しばらくフリーズ。10小節ぐらいヴィオラが寝てしまうところが2回ぐらい。これは曲を知らない人にも「あれっ」と思わせたに違いない。何があっても弾かなきゃな。

 パッヘルベルのカノンは上出来。そりゃいろんなことが起きたが、まぁちゃんと弾けた方だと思う。

 順番としては、午前中にシニア、午後は1時半から比較的小さい子供、3時ぐらいからは高校生ぐらいまでの「ジュニア」とはいいがたい子供の発表。ひとりひとり、頑張ってきた痕跡やら楽しんでいる様子やら、演奏を通じていろんなものが見えてくる。

 楽しい一日だった。

2022年3月13日日曜日

ピアノ合わせ

 発表会に向けてピアノ合わせがあった。

 不覚にも・・・ 何となくピアノと張り合っている感じになってしまう。向こうはプロだし、なんたってピアノだから、1台でオーケストラを背負うような楽器だし、圧倒されてしまう。負けないように弾く、という感じになってしまう。

 もちろん、ピアノに合わせる、という意識が強くて、リズムの取りにくいところとかをピアノの伴奏に頼って取っているところもあるのだけれど、弾いていてすごく息苦しい。息苦しくて最後まで弾けなかった。こういうこともあるんだぁ。

 途中でやめたので、先生の方は不思議な顔をされて「どうされたんですか」などと仰っている。正直に思ったことを言って、

やっぱり人格の問題ですかねぇ

なんて言いながら心を落ち着ける。2回目からは大丈夫だった。

 本番と違って、ピアノの先生と向かい合って弾くので、タイミングを合わせようと先生がときどきこちらを見られる。見られるたびに何か間違っていないかとドギマギしてしまう。これは人格の問題だけでなく、練習がちゃんとできていない問題。何度かやっているうちに慣れてきて気にならないようになった。

 伴奏でも合奏でも、誰かと合わせるとなると、ひとりで弾いているうちは全然問題にならないことがいっぺんに表面に出てくる。いつもの倍ぐらい疲れた。

2022年3月5日土曜日

弦と弓毛を替えたら

 先月、弦と弓毛を相次いで交換した。いちおうもれなく記録しているつもりなのだが、その記録によると、弦の交換は去年の5月以来、弓毛の交換は2020年4月以来。そんなにも替えていなかったのかと驚いてしまうが、さすがにこれだけ放っておくと、調子のわるいのが素人でもわかる。特に弓毛の方はツルツルした感じで全然、弦を掴んでくれない。弦は弦で、松脂がこびりついてギトギトした感じ。弓毛が弦を掴まないから松脂を無駄にたくさん塗るので、ますます状況がわるくなる。弦と弓毛を替えるとさぞやいい音が出ると思ったのだが如何に。

 確かに弾きやすくはなった。

 演奏を録音してみる

 ・・・

 駄目だな、これは。

 なんだろうな。とにかくゆっくりした曲は難しい。下手なのがすぐにわかる。早いパッセージでチャカチャカチャラチャラと弾く曲なら、とりあえずそれらしく弾けばそれらしく聞こえるのだけれど…

 イージーな音程の取り方が気になる。

 音の出はじめのところでうまく音程が取れていない。指を動かしているつもりはないのだけれど、一瞬だけ、出そうとしている音より低い音が出て、ボアーーンボアーーンという感じで本来の音程になる。聴いていて聴き取りにくい。桑田佳祐みたいな感じ。

 みつめ ぅあーうと すぬあーぅおにー

 って感じで、かならず装飾音符がついている感じで、その装飾音符の音程が定まらない。音程の定まった母音の前に音程の定まらない子音がねっとりと付いてくる。いや、桑田佳祐は好きなんだけど、歌詞は聞き取りにくいし、ましてや歌詞のないインストルメンタルでやると気持ちがわるい。

 なんとかならんのか…

2022年2月20日日曜日

録音からの…

 先週、アンサンブルの自主トレをやった。

 スタジオが空いているところを確認して、みなさんの予定を調整して…。あっ、これなんとなく懐かしい。こういうことをしている自分が。

 ともあれ、カノンを演奏するのに必要な4人と録音技術者が集まって、早速練習してみる。このメンバーのうち、チェロと合わせる機会がいままで余りなかった。さてさてどうなることか、と思っていたら、あらら、最後まで弾けたじゃん。ま、本番も近いのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。

 録音の方は有無も言わさずに実行。弾き終わるとすぐに再生が始まる。

 ん、ん、ん

 ま、いちおう弾けたと思ったのだが、なんかゴチャゴチャした感じ。今度の発表会はスタジオの20周年記念でもあるので、20周年に相応しい発表にしよう、ということで、いろいろ、ああでもない、こうでもないと議論が始まる。

 ゴチャゴチャするのはお互いが主張しすぎなのがたぶん原因。カノンは、自分が主役のところと他人が主役のところが交互に出てくるので、自分が主役の時は一歩前に出て、他人が主役の時は一歩下がって弾いてみよう、などという、いいアイデアなのか降らないアイデアなのかよくわからないことをやってみる。

 音が前に進まない感じは何なのだろう。みんな走らないように気を付けて、チェロの音に合わせて拍を取ることに集中している。その結果、弓の動きが固くなっている。走るのはダメなんだけれど、弓を返す前のところで返す準備がちゃんと整っていれば、全体的に「前へ、前へ」という印象になるんじゃないか。確かに録音は「ギーーコギーーコ」って感じで弾んだ感じがなく、なんとなく「ドスン、ドスン」と歩いている感じ。

 そんなこんなで2時間ほど練習。

 それで今日のレッスン。

 先生に、「ずいぶん練習されたんですね」と褒められる。褒められるとやっぱり嬉しい。

2022年2月12日土曜日

はなしたくない

 発表会までもう数週間ともなってくれば、それなりに「落しどころ」みたいなのをみつけて、そつなく弾くことも考えていくフェーズになっていくのだが、それでも、ここだけは何としても弾きたいというところは出てくる。フィギュアスケートの羽生結弦選手がクワットアクセルにこだわるように、スノーボードの平野歩夢選手がトリプルコーク1440にこだわるように、いくらそつなく演奏できたとしてもこれだけはちゃんと弾かないと収まらない、というフレーズはある。いま、やっているモーツアルトでいえばこのフレーズ。
失礼、間違えました。。。
このフレーズ。
原曲は変ロ長調のところ、ヴィオラ用にト長調にアレンジされているので、
ソ#ファドーーラ#ファラソーー
となる。ソ#ファはD線1ポジだけど、その次のドはA線8ポジ3指という鬼フィンガリング。しかし、ここはさっきの尾崎紀世彦みたいに「はな⤴し~~~」とたっぷりビブラートをかけながら、マイクを離さないと音が割れるぐらいの声量、もとい音量で弾きたい。しかし、ご存じの通り、ポジションが上がれば音程も取りにくくなり、かつ音量も出なくなる。氷上雪上の彼らもこうして悩みつつそれを克服してきたのだろうか。。。自分にはあんまり関係のない世界だけど。

2022年1月22日土曜日

カプリオール組曲

  隣町にお気に入りのアンサンブルがあって、1年に1回か2回のペースで演奏会をされていて、いつも楽しみにしているのだが、くだんの病気が騒がれるようになってから演奏を披露いただく機会が失われていた。今日、約2年ぶりに演奏会があったので聴きに行ってきた。

 練習も苦労されているのか、曲は少なめ、時間も短め。エキストラの割合が多く、舞台ではみなさんマスクをされていた。

 いちおうアマチュア・アンサンブルとおっしゃっておられて、演奏会も無料なのだが、演奏の腕前はセミプロ級。エキストラはプロの方にお願いされてるようだ。

 その演奏会で聴いたのがこの曲(動画は、ここで紹介しているアンサンブルとは別のアンサンブルが演奏しているもの)。

  プログラムに書かれている説明によると、ルネサンス期のフランスで出版された処世術の本に載せられていた舞曲を、20世紀の初頭にアレンジしたものらしい。なんでも、真面目で処世術を知らない法律家、カプリオールに、処世術を教えるという内容の本だそうだ。いまでいうなら、自己啓発本の隅の方にある、真面目で能力はあるのに人づきあいがわるくて評価の芳しくないサラリーマンに理不尽な指示ばかりを出す上司が出てきて、ひとりアパートで悩んでいるところに、なんだか訳のわからないのが出てきて、同僚との付き合い方とか上司のあしらい方なんかを指南するマンガみたいなものか。ルネサンスの頃はいまと違って、付き合いと言えばダンスだったので、ダンスの指南書になっているらしい。

 そう聞くと、なんだか自分のために書かれた曲のようにさえ思えてくる。いつか弾いてみたいと思う曲だった。

2022年1月9日日曜日

自己表現ってなに?

  年明け早々、むずかしいタイトルにしてしまったが、このところいろいろ考えることがあって迷走中。いやむしろ瞑想かな。

 きっかけは、島根県隠岐郡海士町というところに行ったこと。本州からフェリーで3時間もかかる離島で、人口およそ2,400人のちいさな島なのだけど、島留学の高校生や子供たち、Iターン移住してくる人たちが、全国から吸い寄せられるように集まってくる、不思議な魅力のある島。コンビニもスタバもマクドも百均も、もちろんホームセンターもヤマダ電機もイオンモールもないのだけれど、島中に図書館がある。中央図書館のほかに分館が24館。煩わしい日常を離れてひねもす本でも読んで過ごすにはなかなかいい場所だ、と思って訪れたのだけれど、それがなかなか衝撃的だった。

 図書館と言っても個人の家の一室を開放されているようなところもあるみたいなので、いつ開館しているのかもわからない。それで中央図書館に行って分館の開館時間を尋ねると、司書の方が分館のお宅に電話をしてくださって都合の良い時間を訊いてくださる。その時間に合わせて訪問すると、玄関先で迎えていただき、いろいろお話を聞かせていただく、という塩梅だ。本を読むというよりも、お話を聞くという感じ。分館を営まれておられる「人」が「本」といってもいい。

 置かれている本の大部分は個人の持ち物。その方が読まれてきた本のタイトルを見るだけで、持ち主の人柄や考え方、生き方を垣間見ることができる。そこに中央図書館の本も置かれていて、それは貸出もできる。図書館の司書の方は、おそらく分館を営まれる方のお話をよく聞かれて、その館の雰囲気に合った本を選んで置かれておられるのだろう。個人蔵書にしっくり馴染むように中央図書館の本が並べられている。

 図書館と銘打っているので、どこか遠くから突然やってくる人もいるらしい。そうやってやってくる人にも、私にしていただいたのとおなじように、いろいろなお話をされているのだと思う。繰り返しお話をされているうちに、内容が推敲され、同時に自分の考えもまとまっていく。そこから「これでいいのだ」という確信が生まれてくる。

 それで思った。

 これって自己表現だよね。

 分館を営まれる方にとっては、図書館が自己表現の場になっている。そこにどんな本をどのように並べるのか、どんな空間を作るのか、訪れてきた人にどんな話をするのか、すべてが自己表現で、中央図書館の司書の方がそれをサポートしている。

 これ、ヴィオラも同じ。どんな曲をどのように弾くのか、どんな場所で誰と弾くのか、このブログもそうなんだけど、それについて何を語るのか。発表会で他の方の演奏を聴いていると、上手か下手かということではなくて、その方の人柄が見えてくる。それもやはりその方が自己表現をしている証だと思う。そして先生やスタジオの奥さんがそれをサポートしてくださる。

 こういう自己表現の場があることって大事だなぁ、と思う。年齢に関係なく。

 自分もいつか海士町にわたって図書館の分館をひとつ作ろうかと真剣に考えないわけでもないが、島でレッスンが受けられるのかだとか、いっしょにアンサンブルをやってくれる仲間はいるのかとか、いろいろ考えると躊躇してしまう。短い人生の中で二兎を追うことはむずかしい。