2014年4月29日火曜日

初めてのバロックヴァイオリン

 いつもレッスンを受けているスタジオで、私と同じようにレッスンを受けておられる方がバロックヴァイオリンを物色されているらしく、いつもお世話になっている工房のマイスターに「お取り寄せ」をお願いされたらしい。それを聞きつけて、さっそく工房に行ってみた。

 ちなみに、バロックヴァイオリンとモダンの違いはヤマハのページに書かれている。バロック時代は、貴族なり豪商なり教会なりのお抱え音楽家の時代。あまり広い場所で弾く必要もなかったので、それほど大きな音を出す必要はなかった。それが、時代とともに音楽も大衆化し、音楽を弾く場所も次第に広くて大きな建物が建てられるようになると、楽団が大編成になるだけではなくて、楽器そのものも大きな音が出せるようにする必要がでてくる。弦楽器は弦を強く張ればそれだけ大きな音が出るのだが、ヴァイオリンの場合、弦を強く張るとはコマを高くしていくこと。それに伴って、筐体から竿が出る角度が下向きになったり、その継ぎ目のところが弦の張力に耐えられるように強化されたりというのが、バロックとモダンの大きな違い。

 さて、工房についてさっそく手に取って見る。
 軽い!
 最近、ヴィオラばかり弾いている所為もあるのだが、とにかく軽い。

 そして顎当てがない。それで、つい、テールピースを顎に挟もうとするのだが、それはNG。テールピースの付き方がモダンよりももっと浮いている感じで、顎で挟めば音程が変わってしまう。胸の上あたりに付けて、左手の親指と人差し指の根元で挟んで支える。ポジション移動は基本的にはないという前提で作られている。こんな上から楽器を見下ろして弾くのは、なんだか新鮮だ。

 弦はG線以外は裸弦。エンドポールなどというものはなく、テールピースに穴をあけてそこに結わえられている。もちろん、アジャスターなんてない。
 指ではじくと、なんだか沖縄の三線のような「ペンペン」という響き。バロックの弓はないので、モダンの弓で弾いてみるのだが、なんだか頼りない音しか出ない。あるいは松脂が足りないのかもしれないが。

 調弦は、モダンよりも半音ほど低く調弦されている。不思議なもので、これはあまり苦にならずに弾ける。以前、自分の楽器(もちろんモダン)を半音低く調弦して弾いてみた時は、頭の中にある音と実際に出てくる音が違っていて、まったく弾けなかったのだが、ちゃんとバロックの音律で弾けているから不思議だ。

 見せていただいた楽器は中国製で、もちろん、最近作られたものなので、バロックヴァイオリンというよりも、バロック風ヴァイオリンという感じだ。コマの高さはある程度あって、竿も下向きに出ている。指板は短く、しかも、指板の下にモダンには見られない楓の部材が使われている。竿の取り付け方はオリジナルのバロック楽器と同じになっているが、表板や裏版の形に、ヤマハのホープページに書かれているような特徴はない。

 さて、もしこれを買ったら、とあれこれ考えてみる。
 まず調弦がモダンと違う。強く張ると弦が切れそうだ。と、言うことは、合奏する相手がいないということになってしまう。ピアノと合わせることもできない。ヴァイオリンの無伴奏の曲はないではないが、モダンでも難しいものを、この顎当てもない楽器で弾けるのだろうか。
 しかし、教えてくれる先生はいないわけではないだろう。スタジオでチェロの講師をされている先生は、普段はバロック楽器の演奏をされている。その先生に頼ってヴァイオリンの先生を紹介していただければ、レッスンは受けられるだろう。もしかすると、他にもレッスンを受けておられる生徒さんがいるかもしれない。そうなると、そこにはお互い「合奏するならこの人しかいない」という強いきずなが出来るかもしれない。バロック楽器を弾くような人だから、お互い曲の趣味は似通っているはず。しかも、バロックなら合奏するのにそんなに大勢はいらない。
 あるいは、これはこれで楽しいかもしれない、などということを工房のマイスターも仰っておられる。

 さて、お取り寄せをお願いされた生徒さんは、いったいどうされるのだろうか?

2014年4月27日日曜日

小さなホールでのコンサート

 ピアノコンサートに出掛けてきた。
 娘たちにピアノを教えてくださっている先生お二人によるコンサートだ。

 お一人は、娘たちが3歳のときから教えてくださっていた先生で、3月にご退職されたバヨ先生とも親しく、私の初めての発表会でヴィヴァルディのA-MOLを弾いたときに伴奏もしてくださった。もうお一人はそのピアノ先生の先輩で、数年前にクラス替えのようなものがあってから娘たちのピアノを見てくださっている。2年前の発表会ではコレルリのシャコンヌの伴奏をしてくださった先生だ。娘たちだけでなく私も大変お世話になっている。

 会場は、住宅街の中にある「豪邸」といった趣きの建物で、100席ぐらいの小規模なものだが、なかなか素敵なホールだった。席はかなり埋まっていたが、ステージが本当に近くて、先生の呼吸まで聴こえてきそうな近さだった。先生の息が聞えるということは、客席の様子もそれだけダイレクトにステージに伝わる。しかもステージで弾いておられるのは、自分の伴奏をしてくださったこともある先生。勝手な妄想を許してもらえるなら、まるで自分がステージでピアノを弾いているような気分にさえなれる。本当に贅沢な疑似体験だ。

 客席には、スタジオの奥さんとご主人、それにバヨ先生もお越しになっておられた。バヨ先生もいつかこのホールでコンサートをされたりとかしてくださらないかしら。

http://www.figaro-hall.com/index.html

2014年4月20日日曜日

バッハさんの言いたいことは

 新バヨ先生のレッスンで何度か先生が仰った言葉。

 バッハさんが言いたいことは

 レッスンで見ていただいているのは、バッハ無伴奏チェロ組曲第1番からプレリュード。もともとチェロのために書かれているこの曲をヴィオラ譜に書き換えたものがネットにあって、今年2月にレッスンを再開してからずっとこれを見ていただいている。今回から先生が交代されたが、曲は引き続きこの曲だ。

 全曲に渡って16分音符が並んでいて、リズム的には変化の少ない、まるでエクササイズのような音符の並びなのだが、これがクラシックに興味のない人でも一度は聴いたことがあるというぐらいの名曲なのだ。そこには作曲者が込めた思いが織り込まれている。エクササイズのように弾いてはいけない。

 最初の4小節は、Gをベースにした分散和音のバリエーション。同じ旋律を2回ずつ繰り返していくのだが、4小節目の最後の1音だけちょっと他とは違う展開になる。この1音がバッハさんが言いたいところらしい。
 この最後の1音が次の5小節目への導入部となっているのだが、この5小節目が大事な部分で、導入部の1音は「いまから大事なこと言いますよ」という1音なのだそうだ。
 そして、大事なところは決して大声では言わない。「よく聞いてね」と言って小さな声で言う。

 5小節目、7小節目、9小節目、10小節目は、そのほかの小節と違って、前半と後半が違うフレーズになっている。この場合は4拍目の4音が、次の小節の導入部になっているので、小節の区切りで切れる感じではなく、次の小節の最初の1音に音を乗せて行く感じでフレーズをつないでいく。
 小節の最初はベース音になっているので、これをしっかり響かせる。
 この二つが出来ると、曲の前半がグッとグレードアップした感じになってきた。

 後半は打って変わって、まだ自分でも「フレーズを読む」というところまで出来ていなくて、書かれている音符を順番に読んで音を出している状態。それならば、まず、メトロノームに合わせるがごとくに、まったく緩急をつけずに弾いてみる。これがもう、子供がレッスンでエクササイズを弾いているみたいで、面白くもクソもない。ま、だけど一回こうやって弾いてみてよかった。これでしっかり音が置けるようになってから緩急をつければいい。

 31小節目からあとは、聞かせたい音の間に、前半はDが、後半はAが挟まっているので、まずはこのDやAを除いて、聞かせたい音だけをしっかり音程を取れるように練習する。これもハイポジションのエクササイズのようだ。2ポジや4ポジは音が取りにくいので、ポジション移動も少し考えるようにアドバイスがあった。
 音を取るのは、チューナーで緑のランプをつけるということではなく、純正律の音の響きをしっかり意識して、出来ることなら重音で音を重ねながら確かめていくといい。
 これもなんだか子供のレッスンみたいだが、この曲を弾くための練習だと思えば苦にはならない。

 そしてこの曲でバッハさんが最も言いたいのは41小節目からの最後の2小節。他のところは全てここを言うための伏線だと思ってもいい。中でも最後の3重音を4拍伸ばすところがいちばんの結論なので、その前のところで「溜め」を作ってしっかり元弓まで戻して、G線とD線にちゃんと弓が乗っているのを確認したら、G線をしっかり鳴らしてから移弦して、弓を無駄遣いしないように重音を作って余韻を残す。
 前半もそうなんだが、この「いちばん言いたいところ」のひとつ前の音が大事みたいだ。そういえば、普段話しているときでも、大事なことを話すその前のところっていうのは、無意識のうちに「溜め」を作っていたり、クレッシェンドしていたり、アッチェルランドを掛けていたり、なんか工夫をしているものだ。

 こうして久しぶりにレッスン記録を書き留めておくと、結構、最初のレッスンから濃い内容だったんだなぁと思う。

2014年4月19日土曜日

新バヨ先生のレッスン始動

今日から先生が代わる。どんな先生だろう。
…と、なんだか新学期を迎える小学生のような気持ちでレッスンを受けてきた。

不思議とあまり緊張はしていなかった。たぶん、先生もあまり緊張されていなかったからではないかと思う。こういうときは、お互いの緊張が伝わるものだから、先生が緊張されているとそれが生徒に伝わるし、それでますます雰囲気が固くなると、次の生徒のレッスンも妙にギスギスしたものになってしまうものだ。それを上手くコントロールされていたから、あまり緊張しないでレッスンを受けられたのだと思う。

新学期を迎えた小学生に喩えると「あ、なんかいいな、このクラスっ」って感じがした。

2014年4月1日火曜日

大人が本気で趣味に打ち込むとは

打算抜きで、ただ「やりたい」という気持ちだけで、本気で取り組めるものがあれば、本当に幸せだと思う。去年、一度ヴァイオリンを辞めてみて思ったのは、とにかくヴァイオリンが弾きたいということ。「No ○○ No Life」っていうけど、本当にその通りに思った。
なぜ、という理由は全くない。とにかくヴァイオリンが弾きたかった。

たいして上手でもないし、自慢できるものでもない。
これからそんなに上手になるわけでもない。
もちろん何か得をするわけでもない。

だけどヴァイオリンが弾きたい。

辞める理由はいくらでもある。

仕事があって忙しい。
家族との時間が大事だ。
おカネがかかる。
いくらやっても上手にならない。

辞めない理由はただひとつ。

やりたいから。

今月から社会人になって、いままで続けていたことを辞めてしまった人も多いと思う。そういう人がこの記事を読むと、そうだよなぁ、と思うかもしれないが、誤解はしてほしくない。20歳そこそこの青年が、例えば、社会人になってもバンドを続けていきたい、と思うのは、

いままで続けていたことだからここで辞めるのがもったいない、とか、
バンド仲間と縁が切れてしまうのが惜しい、とか、

何か別の要素があることが多いと思う。それは、プライドだったり友達だったりするが、それはそれで、そこに打算がある。そういうことで何かを続けていくのには何処か無理が生じてしまう。

ヴァイオリンブログを始めて、一時は、ブログの読者を増やしたいために、ブログのネタのために練習をしていた時期もあったが、それは卒業だ。
いま、誰もいない早朝のスタジオで、ただひとり、人知れずヴァイオリン(いや、実はヴィオラだが)を弾いている時間が、自分の心の中に静かに積み重なっていくのを感じる。

ちょっと真面目に書き過ぎたので、エイプリルフールの記事にしておいたが、なんかそれが新年度の誓いのような感じになってしまったかな。