2017年7月14日金曜日

綾瀬はるかをイメージして

 セレナードの定義のひとつは「慕情を捧げる女性の窓辺で男性が歌う愛の歌」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 https://kotobank.jp/word/セレナード-87906 2017.7.8アクセス) 今回の演奏は弦楽合奏だけれど、おそらく、そういう状況をイメージできるような演奏をするべきなのだろう。「発表会」なら「上手に弾けたね」って褒めてもらえたらいいのだが、今回は「演奏会」で弾くのだから、聴いている人にそういうイメージを持ってもらって、ロマンティックな気持ちになってもらうことが目標だ。

 いまのところ、とにかく必死で楽譜を追いかけているので、先生から「もっと力を抜いて」というようなことを、1日に1回は必ず言われる。確かに、そんな肩肘張った演奏ではロマンティックな気持ちにはならない。慕情を捧げる女性の窓辺に行って、「今日はチューしな」みたいな余計な力が入ってしまうと、たいがいは上手くいかない。

 ここはやはりイメージが大事だ。

 演奏会当日は大学生もエキストラで入るのだが、この曲だけは「大人」がしっかりイメージを作って若いのをリードするぐらいの気持ちでないといけない。窓辺に立つ女性も、AKBとかエビ中のメンバーではなくて、もう少し年長で、ドレスアップした女性をイメージして、その人に想いを伝えるつもりで弾く。
 そう、例えば綾瀬はるかのような、それも、爽健美茶やジャイアントコーンのCMにでてくるような綾瀬はるかではなくて、sk-Ⅱだとか、SEIKO LukiaのCMみたいに、スリットのあるドレスに身を包み、ホールのテラス席から物憂げな表情でこちらを見ている綾瀬はるかのイメージだ。



その綾瀬はるかをロマンティックな気持ちにさせて、
今夜は特別な日にしたい
と思わせる。
ぐへへ…
そりゃ、力が入るわ。

2017年7月8日土曜日

セレナーデ

 アンサンブルは、先月のロビーコンサートが終わって、こんどは10月の定期演奏会に向けてギアチェンジ。
とりあえず弾ける
ではなくて、ちゃんと聴いてもらえるレベルにする。「上手に弾けたね」ではなくて、「聴いていて楽しかった」とか「心地よかった」とか「感動した」とか、褒めてもらうのではなくて満足してもらえるような音楽を創る。
発表会ではなくて演奏会
なのだ。

-と、ひとりで勝手にハードルを上げてしまっているようだが、練習していて先生がおっしゃることも、「そこは強く」「そこは弱く」「そこは音程に気を付けて」というようなものから、「そこはこういう気持ちを込めて」「そこはこういうことを想像して」というようなものにシフトしてきた。いや、いままでも仰っておられたかもしれないが、耳に入ってこなかっただけかもしれない。

 今回の定期演奏会の曲目の中でいちばん難しそうなのが、エルガーのセレナーデ。まだ弾けないところが残っているが、そこを除けば「とりあえず弾ける」ところまで、やっときた。弾けるようになると、なかなかいい曲じゃないか。弾けるようになると、練習していても楽しくなってくる。弾けるようになると、つい欲が出て、「もっと感情を込めて」なんてことを考えたりする。

 セレナードというのは、どうも、想いを寄せる女性に捧げる曲のようだ。ブリタニカ国際大百科事典とWikipediaでは説明が大きく異なるのだが、エルガーのこれは、いったいどんな想いを込めれればよいのか。もし歌詞をつけるならばどんな歌詞なのか。窓辺で聴いてくれている女性にはどんな想いを伝えればよいのか。



セレナード
serenade
「夕べの音楽」の意。 (1) カッサシオン,ディベルティメントなどと類似の楽曲で,室内オーケストラあるいは管楽器のための多楽章形式をとる。 18世紀,夕べのもてなしや憩いとして人々に聞かせるために作られた。 W.モーツァルトの7曲のセレナードと『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』はその典型。 (2) 慕情を捧げる女性の窓辺で男性が歌う愛の歌。モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』のなかの"Deh vieni alla finestra",F.シューベルトの"Ständchen"などがある。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

セレナーデ
セレナーデ(ドイツ語: Serenade(南ドイツ・オーストリアではセレナーデ、北ドイツではゼレナーデ))は音楽のジャンルの1つであるが、一般的な言葉としては、恋人や女性を称えるために演奏される楽曲、あるいはそのような情景のことを指して使う。
各国では、イタリア語: serenata(セレナータ)、英語: serenade(セレネイド)フランス語: sérénade(セレナード)。
日本ではセレナーデもしくはセレナードと呼ぶことが多い。また夜曲((やきょく))あるいは小夜曲((さよきょく))と言う。
親しい相手や、その他の称賛すべき人物のために、夕方しばしば屋外で演奏される音楽を指す。
18世紀のセレナーデに典型的な楽器編成は、木管楽器とヴィオラ、複数のコントラバスであった。これらは「立って」演奏できる楽器であり、セレナーデが屋外ないしは野外で演奏されるという伝統に深く関係するものだった。古典派のセレナーデは、開始楽章と終楽章において行進曲が使われている。これは、演奏家が入退場の際に、しばしば行進しなければならなかったからだろう。
Wikipedia

2017年7月2日日曜日

ヴィオラの教本

 いつもレッスンを受けているスタジオでは、今月、子供の発表会があって、子供たちはもはや臨戦モード。曲も仕上がり前という感じで、いかにステージ映えよく弾くかとか、ピアノとどう合わせるかとか、レッスンには関係ないがどんな衣装で出るかとか、それぞれの家庭で「ことしの10大ニュース」にランクインされるべく、着々と準備が進んでいる。こうなると大人は二の次。いつもレッスンしていただいている先生は平日のレッスンになってしまった。それで「今月はレッスンなし」というのもどうかと気を遣っていただいて、もう一人の先生にレッスンを見ていただくことになった。いつもの先生より年配で、多分、私よりも年上。初めての生徒相手にどっしり落ち着いてレッスンをしてくださる。

 別の先生のレッスンだということは前もって聞いていた。たぶん、最初に、「普段はどんなレッスンなのですか」ということを聞かれると予想していたのだが、これにはどう答えようかと決めあぐんでいた。このブログをご覧いただいている方には既に既知のことだが、とにかくアンサンブルが始まって以来、アンサンブルの曲に追われて余裕がない。レッスンンはレッスンでレッスンの曲をしてもらおうと思っていたのだが、もはやそういうつもりがどっかに行ってしまってはや2ヶ月になる。先々週はロビーコンサートもあって、少々無茶なことになってもいたので猶更だ。そんなことを言えるはずもない。
 ところでアンサンブルの方は、ロビーコンサートが終わってちょっと一息というところ。しばらく定期演奏会の曲の練習ができていないので、はやく気持ちを切り替えてというところなのだが、そうすぐに切り替わるものでもない。
 それで、レッスンの2時間ほど前に急に思い立って、『ヴィオラ名曲31選』から、シューベルトの「アヴェ・マリア」を練習し始めた。付け焼刃なので、せめて最後まで弾けるようにと、イタリア語のふりがな(ドレミのことね)だとか、アラビア語のふりがな(指番号ね)を色付きで書き込んでいく。

 レッスンの最初は、「どうしてヴィオラを」という質問から始まった。これは語り始めると長いのだが、短縮ヴァージョンで説明。それからレッスンの話になったのだが、ヴィオラの教則本をもっているかということを仰る。ヴィオラの教則本と聞けば『篠崎ヴィオラ教則本』だとか『あたらしいヴィオラ教則本』だとかを思い浮かべるのだが、いずれもこの世に実在しない。『スズキヴィオラスクール』はあるようだ。ネットで探すといくつかはあるようだが、はたしてどれがいいのか。
 この話ばかりしていても時間がたつばかりなので、付け焼刃でもなんでも、さっきの「アヴェ・マリア」を聞いてもらうことにした。「まあ、なんて下手くそ」と思われたに違いないが、下手なので変に上手と思われない方がいい。突拍子もなく高度な宿題が出たりすると大変だ。

 結局、今日のレッスンでは、あらかじめ考えていったフィンガリングをいろいろと訂正していただいた。この訂正したフィンガリングで次回までにもう少し練習。「小指は苦手そうですね」と図星を突かれ、少しずつでいいから小指を使ったフィンガリングの練習をしないさいということになった。
 そういえばセヴシックも最近、サボり気味だ。

 全体的に、アンサンブルに傾倒しすぎなところを反省させられるレッスンだった。