2018年9月28日金曜日

定期演奏会~祭りが終わって~

 そんなわけで、祭りのような興奮の中で定期演奏会は終わっていった。上手に弾けたかと言われると答えに困ってしまうが、楽しくは弾けたと思う。最初にこのアマオケの演奏会を聴きに来た時に自分が感じた楽しさと同じような楽しさを、この日のお客さんも感じてもらえただろうか。言い訳ぽく聞こえるかもしれないが、わざわざ聴きに来てくださる方には、「上手だったわ~」というよりも「楽しかったわ~」と言ってもらえるほうが嬉しい。上手な演奏を聴きたいのなら、いまやCDすら買わなくてもいい時代だ。しかし、パソコンの画面で聴く音楽から伝わっては来ない、目の前で弾いているからこそ伝わるものはきっとあると思う。

 そんなわけで、「上手な演奏」にはあまり貢献できなかったのだが、「楽しい演奏」にはどれだけ貢献できただろうか。今回の演奏会では、頼まれもしないうちからプログラムの曲紹介を買って出たり、自分の好きな曲を1曲入れてもらったり、新参者なのにずいぶん好き放題にさせてもらった。私個人としては楽しくなければ罰が当たるほどなのだが。できあがったプログラムを見て、メンバーの人たちはどう思っただろうか。私の推薦で入れてもらった曲はメンバーの人たちに気に入ってもらえただろうか。そういうところが本当は大事で、ステージの上全体が楽しい雰囲気になっていてこそ、お客さんにも楽しんでもらえるのだと思う。そういうのは録音を聴いても分からないのだ。

 そんなことで、今年のビッグイベントが終わった。いろいろ反省する。いつもなら、「今日はあそこが弾けなかった」とか「この曲がまだいまいちだ」などと思いながら、次の週の練習までに練習するところなのだが、もうこの曲たちの練習をすることは当分ないと思うと、ちょっと寂しい。当面、本番はないので、気分を入れ替えてセヴシックなんかをやるか…、といつも本番が終わると思うのだが…。

2018年9月27日木曜日

定期演奏会~後半~

 今年の定期演奏会ではMOZARTのピアノコンチェルトがある。ホールでピアノを借りると、前日のうちに調律をしてくださるようだ。少し早めにリハーサルに行くと、ちょうど調律の最中だった。その音は「森」の匂いがした、かどうかまでは聞き取れなかったが、調律師のお兄さんは鈴木亮平っぽい好青年。メンバーの中にも自宅のピアノを調律してもらっている人が多いようで、何人かの方に声を掛けておられた。「少し間が空いていますね」とか「最近ピアノを拝見していませんね」といった会話が多いようだったが、そんなに間が空いているのにお客さんを覚えておられるというのはなかなかすごい。私には出来ない仕事だ。

 さて本番。前半が終わって休憩時間になると、ステージの中央にピアノを出す。
おぉでかい
田舎町の小さなホールとはいえ、学校のピアノよりは一回り大きいコンサートピアノ。屋根を開けると自分の席から客席はまったく見えなくなった。
 普段の練習ではピアノはないので、ピアノと掛け合わせた練習は数回しかしていない。拍が上手く数えられない私としては、ピアノのフレーズから出るタイミングをとったりする練習が欲しいところなんだが、そうも言ってはいれらない。当日のゲネプロでも出るタイミングを間違えているようなところが何箇所かあって、あわてて楽譜に書き込みをしたりしていた。特にヴァイオリンが先に出て、ヴィオラがそれと掛け合うように出ていくところが何箇所かあって、そこはヴァイオリンのフレーズを楽譜に書き込んで、それを聴いて出るようにしておく。ゲネプロでこんなことをしているのだから、なんとも心許ないが、やはりやっておいて正解。おかげで少なくとも本番で飛び出すことはなかった。ピアノで客席から見えないという気楽さもあって、長い休符の間は客席と一緒にピアノの演奏を聴く余裕さえあった。

 MOZARTが終わると、ピアノを片付けて、再び客席から見えるようになる。そして最後のJohn RUTTER。これは正直、かなり弾けない部分があって、特に1楽章と4楽章の急楽章では半分ぐらいはトリアージの対象となった。いつも思うのだが
ちゃんと弾ければもっと楽しい
のに、と今回も思った。しかしそれも、やるだけのことはやったうえでのことなので、勘弁してもらうしかない。

2018年9月26日水曜日

定期演奏会~前半~

 定期演奏会当日は、午前中にゲネプロ、昼食は持ってきている人が多い。本番1時間前に着替え。入口で配布するプログラムなんかは前日に用意をしてあとは配るだけの状態になっている。ステージの上も前日にリハーサルをしているので、椅子も譜面台もそのまま残されている。つまり、一日の流れがすっかりできていて、朝、出掛ける時に、ステージ用のシャツだとか略礼服だとか蝶ネクタイだとか、忘れそうなものを一通りチェックして電車に乗ってしまえば、もうあとはあっという間に時間が過ぎていく。

 10分前に舞台袖に集合。まだ客席にも照明がついている。ステージの照明は本番の半分ぐらいの明るさか。タイミングを見計らってぞろぞろとステージに入る。チェロからコンミスがAの音を取り、そのAで全員がチューニングをする。お、なんだかオーケストラみたいじゃん。そこに指揮者が登場。拍手が沸く。タクトが振られると、Antonio VIVALDIのAlla Rusticaが始まる。選曲をしていて、あと1曲、何かないかというので、それじゃこれは、と私が言い出して決まった曲だ。みんなは気に入ってくれただろうか。いろんな思い出の詰まった曲だが、この日、そこに新しい思い出を重ねることができた。
ああ満足
この曲が弾けただけでも今日は満足だ。

 続いて、Henry PURCELLのAbdelazer。1695年に作られた曲なのだが、先生のMCでは後年の曲とは違う音の展開があって、演奏していて先が読みにくいのだそうだ。確かに何箇所か「なんで自分のパートはこうなるんだ」というところがあって、直感的に弾きにくいとは思っていたのだが、一方で後半に出てくるRutterのような新しい音楽はもっと弾きにくい。新しい曲も古い曲も弾きにくいと文句をいう訳にはいかないので、なんとかしなければと思っていたのだが、やはり熟練のエキストラが入ると、その弓の動きをみながら弾けるので弾きやすかった。大きな事故なく終了…と自分では思う。

 そのあと、オーボエが出てきたり、シャンソンの名曲があったりして、前半はあっと言う間に終わっていった。

2018年9月25日火曜日

定期演奏会~舞台練習編~

 いよいよ明日は定期演奏会、という段になると、頼もしいエキストラが大勢入ってくる。中には指導してくださる先生の伝手でプロの方もおられる。こうなると確かに弓の動きにも活気が出てくる。熟達した人が同じパートを隣で弾いているだけで、それまで弾けなかったところが弾けるようになったり、なんとなく自信なさげに弾いていたところを思い切って弾けるようになったりするような気がしないでもないかもしれない、と思う、知らんけど。
 たしかにリズムとかタイミングとかは取りやすくなる。普段の練習だと他のパートの音からタイミングをとらないといけないが、確実にこの人と同じように弾いていれば大丈夫という人がいれば、そのひとのモーションに合わせて弾けばいい。ただし音程はそうはいかない。タイミングはばっちりでも音が全然違うじゃん、というようなこともしばしば。

 もし、隣にそんな人がいたらどう言ってあげればいいだろう。「いまのところ、音は外れてましたよ」と直接的にいうのは、日本人の気質には合わない。高校のクラブ活動ならそんな言い方もあるかもしれないが、お互い大人なんだから、そこは相手を責めるのではなく、「いやぁ私、全然音取れてないし、隣で聴いたはって迷惑なんと違うやろか」などといった間接的な言い方で、自分は気を付けているのだから貴方も気を付けてね、とやんわり注意を促すのがスマートだと思う。

 そんなわけで、両隣の人が、代わる代わる「今日、私、変な音ばっかり出してるわ」とか「隣で聴いてて気になるんとちゃう」とか「こうやって鳴らしていたら、合っているのか外しているのかわからんようになるわ」などと、しきりに反省されておられる。休憩時間になると、遠くの席で弾いておられる方から、「ヴィオラ、よく音が出ていますね」などとお褒めいただいたり…。そのたびに答えに窮する。「いや、隣の音を聴く余裕もないですよ」とか、「私のは基準にならないんで合わさないでください」とか、「いや、そんなに出すつもりないんですけど」とか言ってなんとかやり過ごすんだけど、たぶん、みなさん言いたいのはそういうことじゃないんでしょうね。

 本番前日でこの調子。
 さてさて、どうなりますことやら。

2018年9月24日月曜日

定期演奏会~新聞取材編~

 兎にも角にも定期演奏会が終わった。6月から毎月本番が続いていたが、演奏する曲の数からいうと最大の本番、聴いているお客さんの数からいっても最大と言える、最後にして最大の本番だった。観客動員およそ100人。といっても舞台の上には30人ぐらいが載っているので、ひとりで3人ぐらいの換算だ。大きな失敗がなければ100人の目がいっせいに自分に向かってくることもあるまい。発表会だと、聴いているのは30人ぐらいでも、舞台の上は自分とピアノ伴奏の先生だけという状態だから、それに比べれば気が楽だと思われなくもないような気がするかもしれない、と思う、知らんけど。

 2週間前から、本番で使う舞台での練習になる。ちょうどそのとき、新聞の取材が入った。私が住んでいる県には虚構新聞以外に新聞社がなく、全国紙のほかは、隣の府の新聞か、クルマで2時間ほどのプロ野球チームの本拠地のある町で球団のオーナーになっている新聞社のものをとっている人が多い。取材に来られたのはそのドラゴン新聞社だった。
 このアマオケは普段から出席率は高いのだが、本番も近いのでなおいっそうみんな練習に来ている、はずなのに、なぜかこんな日に限ってヴィオラは一人。
  • そこ、ヴィオラのCisはしっかり♯をつけて
  • ヴィオラのそこは押さえつけずに弾むように
  • そこのヴィオラが入ってくるところはしっかりとタイミングを合わせて
  • ヴィオラのそこはもっとレガートで

なんか、やたらヴィオラに指導が入るじゃん。隣に弾けている人がいると、その人は弾けているけどもう一人のヴィオラが弾けていない、と個人を特定して指導することになるので指導しにくいのかもしれないが、その日はヴィオラは一人だけなので、「ヴィオラ」と一括りにして指導ができてしまう。「ヴィオラの中で音をあわせてください」などと気を遣った表現をする必要もない。

 できあがった記事を読むと
リズムやハーモニーが合わず四苦八苦することも多いが、本番が近づき熟練のエキストラが加わると、団員たちの弓の動きも活気を帯びてくるという。
と書かれていた。本番2週間前ですでに弓の動きに活気が満ちていないとおかしいのだが、取材した記者にはそのようには見えなかったようだ。

2018年9月13日木曜日

定期演奏会 曲紹介

定期演奏会まであと10日
練習の方は相変わらず牛のような歩みで、もはやこの調子では全部弾けそうな状況ではない。弾けないところは弾ける人に任せて、弾けるところだけ練習する、という方針に切り替える。だいぶ練習する箇所か少なくなった。

 そんなことで、演奏ではあまり貢献できないのは織り込み済みだったので、プログラムの曲紹介を買って出た。FACEBOOKでは1曲ずつ紹介しているが、こっちでは一挙に公開。自分でいうのもなんだが、結構うまくまとまっていると思う。



A.ヴィヴァルディ 
協奏曲 「Alla Rustica」 ト長調 作品51-4 
Concerto for Strings Orchestra “Alla Rustica” in G major
Op.51 No.4 : Antonio VIVALDI
Presto / Adagio / Allegro

ヴィヴァルディ自身が書いたこの曲の手書き譜は、イタリア・トリノの国立図書館にあります。そこには「Alla Rustica」(田舎風、農民風、田園風)という標題が付けられているのですが、それが具体的に何を意味しているのかは想像するしかありません。
ヴィヴァルディと言えば『四季』があまりにも有名ですが、彼は、このように作品に標題を付けて、さまざまな場面、風景、心情を描写する標題音楽の先駆けともいえるでしょう。この「Alla Rustica」の三連符(9/8拍子)のリズムには農民舞曲の印象が深く刻まれています。収穫を祝う秋の祭り、村の広場に集う人々、「年頃になったあの娘は誰と踊るんだい」、そんな会話まで聞こえてきそうです。
今年のサザナミ祭りはこの曲からスタートです。



H.パーセル 「Abdelazer」組曲 Z.570      
“Abdelazer or The Moor's Revenge” Suite  Z.570 : 
Henry PURCELL. 1695, London.
Overture / Rondeau / Aire / Aire / Menuett / Aire / Jigg / Hornpipe / Aire

パーセルは、長年に渡って英国王室に仕え、生涯のほとんどをロンドンで過ごしていたと考えられています。晩年、彼はいくつかの劇音楽をこの世に送り出しています。当時のイギリスには、オペラ歌手を養成する十分な環境がありませんでした。私たちが知っているオペラは、台詞のほとんどに曲がつけられていますが、パーセルの劇音楽は序曲、幕間曲、舞曲といくつかの歌曲に限られていました。「Abdelazer」は、彼が亡くなる1695年に作られた舞台劇で、彼は序曲といくつかの舞曲を残しています。
この頃の貴族たちは「たしなみ」として、何種類ものダンスのステップを習得しなければなりませんでした。舞踏会の成否が「お国」や「お家」の一大事にもつながるのですから無理もありません。音楽家の作る舞曲は、その決められたステップに合うように作られるもの。今日のように、音楽家の自由な発想で曲が作られ、それに合わせて踊りを考えるものではなかったようです。音楽家も「お国」や「お家」の一大事を背負っていたと言えるかもしれません。



W.A.モーツァルト 
ピアノ協奏曲 第12番イ長調 K.414   
Piano Concerto No.12 in A major, K.414 : 
Wolfgang Amadeus. MOZART, 1782, Wien.
Allegro / Andante / Allegretto

モーツアルトは生涯に27曲のピアノ協奏曲を書いています。そのうち本日演奏するこの曲を書いたのは彼が26歳のとき。生活の拠点をウィーンに移し、そこの住民(貴族たち)を相手に音楽家としての活動を始める時期です。その頃、彼はピアノの名手として自分をプロモーションしていくことを考えていたようです。この曲が書かれる前年には、皇帝ヨーゼフ二世の前で、当時、ピアノの名手として知られていたムツィオ・クレメンティと演奏を競い、技巧的というよりも芸術的で趣味のいい演奏だったと評価されています。
この曲はピアノ協奏曲ですので、ピアノが主役ではありますが、ピアニストの技巧を見せつけるだけの曲ではありません。他の楽器はただピアノを引き立てる伴奏役でなく、ピアノと弦楽器がまるで会話をするように曲が構成されています。特に印象深いのはピアノの登場シーン。パーティ会場の華やいだ雰囲気、着飾った人々の会話が弾むところに、いっそう美しいドレスをまとったお姫様としてピアノが登場する。そんなイメージで曲が始まります。
モーツアルトが活躍した時代、ピアノはまだ今日のような完成した楽器ではありませんでした。地域によって、また職人によって様々な様式のものがあったようです。モーツアルトのお気に入りはヨハン・アンドレアス・シュタインの製作するピアノ。シュタインだけでなく、このころのウィーンで使われていたピアノは、重厚さよりも華麗さ、荘厳な和音よりも、わずかな指の力で軽快な美しいパッセージを奏でることに向いていたものでした。まさにそんなピアノのために書かれた曲。いえ、シュタインのピアノこそがモーツアルトのために作られた楽器だったのかもしれません。



J.ラター 弦楽のための組曲            
Suite for Strings : John RUTTER. 1971
A Roving / I have a bonnet trimmed with blue 
/ O waly waly / Dashing away

ジョン・ラターは今年73歳。いまもなお現役の作曲家として、指揮者として、あるいは音楽プロデューサーとして活躍し続けています。
イギリスの作曲家の中には、過去の音楽からインスピレーションを受けて作曲する伝統があります。ジョン・ラターもそんな作曲家の一人で、グレゴリオ聖歌からジャズやビートルズまで、さまざまな分野の音楽が、彼によって新しい命を吹き込まれました。
この組曲のモチーフになっているのは、いずれもイギリスで歌い継がれている古い歌ですが、1曲目の「A-Roving」はまるで映画のエンディングを思わせる壮大な曲に生まれ変わっています。2曲目の「I have a bonnet trimmed with blue」の原曲には、青い縁取りの帽子の少女が、長い航海に出た若者の帰りを、ポルカのステップを練習しながら待つという歌詞が付いています。「O waly waly」は、広い川の岸辺で、せめて二人が乗れるボートをくださいと歌う歌ですが、まるでディズニー映画のお姫様と王子様が躍るシーンの挿入曲のように美しいメロディに仕上げられています。そして最後の「Dashing away」では、三連符(6/8拍子)の激しいリズムが、サザナミ祭りをフィナーレに導きます。



 収穫を祝う村の祭り、お国の一大事を賭けた貴族の舞踏会、モーツアルトの底抜けに明るいお姫様のパーティ、ディズニー映画のお姫様と王子様の踊り。別にそんな趣旨で選曲されたわけでもないのに、なんとなくストーリーが出来上がってしまった。曲の紹介ができると、すっかり弾けたような気になってしまうのだが…。

2018年9月8日土曜日

再び、MOZARTは楽しく

 レッスンがあった。新しい先生の2回目。前回は発表会の前日だったのだが、それが終わったので、これからさき、どういうレッスンをするのかという相談だ。とりあえず、今度の定期演奏会の楽譜と、セヴシック、小野アンナを持って行った。今回は、事前に何をするか決まっていないので、とりあえずは定期演奏会で弾くモーツアルトを見ていただくことにした。

 いろいろとご指導がはいいたのだが、ひとことでいえば、楽譜を必死で追いかけるのではなくて、モーツアルトを楽しむように弾きなさいということか。スラーは最初の音を大きく後の音は添えるように弾くとか、シンコペーションは鋭く刻むだとか、押さえつけるような弾き方は駄目だとか、スタッカートはもっと軽やかにだとか。
 アンサンブルなので、自分一人が落ちても止まることはないので、一音ずつしっかり出そうとするのではなく、弾けないとことは霞んでおけばいい、なんてことも割とはっきりおっしゃる(そういわざるを得ない状況なのかもしれないが)。完全に弾けていなくても、拍の最初が揃えば何んとなく弾けているようには聞こえる。そのうえで、多少目立つところだとか聞かせどころはしっかり押さえて、ということから、前述のようなことを仰っておられるのだと思う。

 4指を使うのが苦手なので、移弦やポジション移動でなんとかしのごうとするのだけど、速いパッセージでは移弦に時間が掛かってリズムがあっていない。比較的ゆっくりのフレーズの場合は、ポジション移動で音程が不安定になるより、さっさと移弦した方がいい、などなど、いまさらながらいろいろ課題がみつかる。たぶんどの曲にも共通する課題だと思う。こういうところを少しずつ良くしていかないといけない。

 セヴシックの宿題が出た。
 いままでも持ってはいたのだが、どう活用したらいいのかが分からず、ただお経を唱えるように弾いていただけだったのだが、大事なのはここ、これを弾くならポイントはここ、といった指針ももらえたので、だいぶ練習しやすくなったように思う。
 いつもの如く、発表会が終わると基礎の大切さを痛感するのだが、これもいつもの如く、基礎の練習は長続きしない。今回は何か変化があるのだろうか。

2018年9月1日土曜日

発表会 まとめ

 そんなわけで発表会も無事に終わり、定期演奏会に向けて、何度目かのシフトチェンジをしているところ。毎週の練習が2週続けてなかったうえに、しばらくは発表会の曲ばかり練習してきたので、弾けたはずの曲も弾けなくなっている。別に曲が突然難しくなったわけでも、要求水準が高くなったわけでもないのだが。そのうえ、弾けなかった曲は相変わらず弾けず、残りの期間だけが短くなってしまった。そろそろ、弾けない箇所のトリアージをして、黒いタグをつけるべきところは、しかるべき練習のテーマで練習するようにしないと、限られた資源を有効に配分できず、助かるところも助からない。

 それはさておき、そういえば発表会で何を弾くのか、まだこのブログに書いていなかったので、いちおう紹介。お手本演奏の動画から、どんな演奏だったのかを想像してお楽しみください。

 まずは、ソロの曲は、Georg Philipp Telemann の Concerto in G major for Viola,  TWV 51:G9。第1楽章と第4楽章をピアノ伴奏で演奏した。
 
 何度も書いているが、ヴィオラの曲というのは少なくて、もとからヴィオラのために書かれた曲で発表会栄えする曲としては、ほとんどこの曲しかないのではないだろうか。ヴィオラ弾きにはお馴染みかもしれない。同じようなことを考える人が多いと見えて、発表会用にピアノ伴奏とヴィオラのソロで弾けるような楽譜も市販されている。

 余興の方は、「ヴォーカルとピアノ、マリンバ、クラリネット、サックス、ヴィオラのために編曲された、和田アキ子の『古い日記』 馬飼野康二作曲 木下道子編曲」と「ヴォーカルとピアノ、マリンバ、クラリネット、サックス、ヴィオラのために編曲された、ささきいさおの『銀河鉄道999』 平尾昌晃作曲 木下道子編曲」の2曲。



 「古い日記」はヴォーカリストのリクエスト。ジャズをされておられる方で、私よりもかなりご年配なのだが、
あのころは…Ha
とたっぷりの声量で聴かせてくださる。
 「銀河鉄道」の方は、ゴダイゴの方をリクエストしていてのたが、何の手違いか、編曲が仕上がってくるとこの曲になっていた。しかし、これもなかなかの仕上がりで、特にマリンバの響きは車輪がカタンカタンと線路をたたく音のように、クラリネットやサックスが汽笛や蒸気を吐く音のように、そしてヴィオラがドリフト音やSLのアクションを表すかのように、なかなかいい感じに編曲されている。
 録音は聴いていないけど、たぶん、それなりに弾けていると思うので、このまま録音は聴かないようにしようと思っている。