2018年1月20日土曜日

Mozartを堪能

 となり町に、アマチュアアンサンブルの演奏会を聴きに行ってきた。

 うちの町もいちおうは県庁所在地なのだが、こっちは政令指定都市で府庁もある。府といってももともと都なので、政令指定都市を返上して都になることなんて考えてもいない。お寺や神社ばかりの印象もあるが、実は、佐渡裕や葉加瀬太郎など錚々たる音楽家たちが卒業した奇跡の市立高校もある。佐渡裕は高校卒業後この町の市立芸大に進学してそこを卒業するが、その芸大は私が師事してきたスタジオの歴代諸先生方の出身校だ。いまは市の外郭団体による運営になったが、かつては市直営だった楽団もある。金勘定だけで市営楽団を解散させるようなことを考える町とは違って、音楽に対する理解の厚い町だ。
 演奏会があったのは、その町の音楽活動の拠点ともいうべきホール。大小ふたつのホールを備えたそこは、クラシック専用ホールなので、演歌歌手やバンドのライブはない。演劇や講演会もない。なのに週末はふたつともホールが使われていることも珍しくなく、1ヶ月に20以上の公演が催される。公演がない日は市内の公立学校の合唱大会などが開かれることもあり年中フル回転。箱モノだけではなく中身を伴った立派なホールだ。うちの町にもオペラが上演できる立派なホールがあるが、何も公演がない週末もあって有効活用されているとは言い難い。ちょっと見倣ってほしいものだ。

 このアンサンブルの演奏会は何度か聴きに行っているのだが、とにかくレベルが高い。セミプロ級だ。たぶん、大学のオーケストラとかで経験のある人が母体になっているのだと思っていたが、あるいはそれも普通の大学ではないかもしれない(個人の想像です)。

 演奏会の曲目はオール・モーツアルト。ぜったい外れない曲目で、ぜったい外れない演奏。こんな演奏会が外れるわけがない。いちばん良かったのは、アンコールで弾かれたディベルティメント。別のアンサンブルの演奏だが、動画があったので貼り付けておく。


 アンコールなので第1楽章だけだったが、女性のメンバーはこの動画のようなドレスで演奏するステージもあった。普通の大学のオーケストラの演奏会でも、そんなドレスでステージに載るところがあるのだろうか。

2018年1月13日土曜日

コンサートは音だけじゃない

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、座ってる(複数の人)、室内
 昨年は何度かアンサンブルのステージに載ったが、そのたびに大学オーケストラのメンバーの応援があった。その大学オケのひとつが定期演奏会をするというので出掛けた。うちの家から快速列車で約2時間、新幹線の駅でいうと5つ目(新幹線を使うと1時間と少しで行けるけどお値段は倍以上)の駅を降りると、目の前に世界遺産の立派なお城が見える。目的の大学は、そのお城の裏手の、名門旧制高校の校地にある。名門だけあって、校地にはいくつかの立派な建物が残っていて、そのうちのひとつである講堂が演奏会の会場になっている。 

 その講堂に近づくと、会場誘導をしている男子学生に声を掛けられた。みると、昨年、保育園の発表会で隣で弾いていた学生ではないか。覚えていてくれるのは嬉しいことだ。これだけでも楽しみにしていた甲斐があった。

 名門校だけあって講堂も立派な造りだが、いわゆる「ホール」ではない。みなさんが通っておられた学校の講堂や体育館をイメージしてもらえればいい。入口の外側で上履きに履き替えて、ドアを1枚開ければすぐ客席。小学生なら体育座りで先生のお話を聞くところだが、今日はパイプ椅子が並べてあった。
 ホールとの違いは窓があること。唱歌や童謡のメドレーがあったのだが、そのとき、冬の柔らかい日差しが2階の窓から射し込み、あるときはまるで里山の雑木林で木漏れ日を浴びているような、またあるときはヤシの実が流れ着く浜辺で波の音を聞いているような、そんな錯覚さえ覚える。

 昨年、私がステージに載った定期演奏会では、ここから来てくれた学生さんのおかげで本当に演奏がしやすかった。ボウイングのモーションがきれいなのだ。だから、見ていると「次はこうくるな」というのがよくわかって、こっちの身体も自然と真似をして動く。その学生さんとは違う学生さんなのだが、ホントに芸術的なボウイングをしている学生がいた。腕だけではない。腰でボウイングをしているようだ。まるで魔法の杖のように、弓が意思を持って動いているのではないかとさえ思える。唱歌のメドレーの最後は「八木節」だったのだが、このときなどは、本当にお祭りのような弓の動きだった。

 最初のステージは、ラターの弦楽組曲。


 見ていただいた通り、弓の捌きが揃えば結構きれいだ。慣れた弓の捌きをすればかなりポイントが高くなる。

 そして唱歌メドレー。

 最後のステージはヴィヴァルディの「四季」。
 この曲も、こうして外の気配を感じるところで聴くと新鮮だ。木々の緑は見えるし、実際には聞こえないが小鳥の声さえ聞こえそうな会場なのだ。朗読されたソネットのように「春がやってきた、小鳥は喜び囀りながら祝っている」という情景の中で聴いているようにさえ思える。

 コンサートを聴くというのは、音だけ聞いているんじゃなくて、ステージの上の人とも他のお客さんとも、いろんなものを共有しているんだと思った。目に見えるものだけでなく、五感だけでもなく、本当にいろんなものを「体験」として感じ取ることなんだなと思う。

 本当にいいコンサートだった。

2018年1月7日日曜日

今年の初レッスン

 正月休みは終わっているけれど、まだなんとなくお正月の空気が漂う3連休の初日に、さっそく今年最初のレッスンがあった。新年のあいさつが終わって、先生から、忘年会はどうだったというご質問。年が明けても覚えていてくださったんだ。

だいぶ上手になりましたね、っていわれました。
いや、そうじゃないんですけどねぇ。

これには先生も苦笑。「でも、そういうストレートな感想、大事ですよ。」と先生の仰ることも比較的ストレートなんですけど…。ま、しかし、いちおうは褒められているので、それはそれで素直に受け取って、練習すれば、かなりヘタッピだったものでも多少は進歩するんだと思って、今年も練習に励むしかない。少なくとも、「去年の方が良かったですね」と言われないように。

 さてさて、去年の最後のレッスンで「発表会はもう少しテンポのある曲の方がいいですね」と仰っておられたので、そういうのを選んで練習してきた。

テレマンです。

というと、「また、そんな難しいのを持ってきて~」と言葉にはされないけれど、そういう反応。いや先生、そういうのがいいと仰ったじゃないですか。ともあれ、いちおうレッスンで診てもらうことを念頭に、多少の(いやだいぶ)練習はしてきた。その成果や如何に?

 まず緩楽章の第1楽章。
 なんか「のーん」って感じですね
曲の盛り上がりとか、ストーリーとか、そういうのがなくて、ただ「だらー」と弾いた感じ。お、先生、音楽性について仰っておられるじゃないですか、と思ったのだけど、そういうこともでもなさそう。緩楽章でのご指摘は

弓の配分を考えましょう

ということだった。音程だとか他にもいろいろあるのだけれど、弓の配分は最初に考えておかないと、あとでそれを直すことが出来ない。アヴェ・マリアのときは、弓にチョークで印をつけて、その印を見ながら弾いたりしていたものだが、そのうちそんな印を見ることはなくなった。見なくてもちゃんと配分できるようになったのかどうかは定かではないが、それと同じことをせよ、ということのようだ。

 第2楽章は有名なのだが、ある理由でやめた。発表会は持ち時間が5分ほどなので、テレマンだったら楽章2つぐらいが限界。第1楽章は緩楽章で第2楽章は急楽章だから、この組み合わせでもよかったのだが、第2楽章は、ヴィオラのソロが弾き終わってからしばらく伴奏が続くので、そのあいだ、どんな顔してステージに立っていたらいいかよくわからない。聴いていても「あれ、いまので終わり?」って感じになりそうだ。それで、同じ急楽章で第4楽章を弾こうと思っている。これは最後の楽章だから「はい、ここで終わりね」って感じでちゃんと終わる。
 ともあれ、弾いてみた。だいぶゆっくりだ。メトロノームと格闘してきただけに、明らかにリズムがおかしいというところはなかった。だけど、聴いている先生の顔は冴えない。前半を弾いたら「もう言うことはいつもいっしょなんだから~」という雰囲気が伝わってくる。

おとがくさん、いつもそうなんですけど
弓をちゃんと置いてから
弾かないから、それで8割ぐらい損していますよ。

 それで8割も失っていたのか。じゃ、いつも言われていたリズムだとか音程だとか、全部完璧にしても20点しか取れないじゃん。
 弓をちゃんと置いてから弾き始めないから、いつから弾き始めたのかが分からない。いつから弾き始めたのかが分からないので、リズムがあっているのかどうかわからない。つまり間違っているように聞こえる。特に移弦のときに、弓が流れているみたいで、そこでリズムが崩れてしまう。それに、どこから弾き始めたのか分からないので、弓の配分もいい加減になる。
 打開策としては、開放弦で練習すること。
 練習の最初の5分は開放弦、なんてことも考えたのだが、時間で区切るのではなくて、ここまでできたらフィンガリングをつける、みたいにやらないとダメとのお達し。

 今年もまた言われることはいっしょなんだが、いつもより気になったので、カラオケボックスで練習。音の出る瞬間を意識しながら弓を動かしてみると、いままでのだらだらした感じがなくなって、なんかきびきびした感じに聞こえてくる。

もしかするとこういうことかもしれない
でも違うかもしれない

とりあえず、次のレッスンまではこれで練習してみるか…

2018年1月4日木曜日

弾き初め

 最近はお正月といってもどこの店も開いていて、なんだか「お正月」という気がしない。子供の頃は、百貨店も4日から(そういえば毎週木曜日は休みだったっけ)で、3日まではどこの店もシャッターが閉まっていて、門松を描いたポスターに「新年は 日から営業します」と書かれているその空欄に、それぞれのお店が「4」だとか「5」だとか数字を書き込んでいたっけ。おせち料理はスーパーで買うのが当たり前、お店も元旦から開いていて、みんな気忙しく働いているところに、優雅な琴の音色だけが偽善的にお正月気分を醸し出す風景が、すっかりお正月のスタンダードになってしまった。果たして、この国はこれで豊かになったのか。ともあれ、私自身は今日までお正月休み。別にどこに行くというわけではないが、ゆっくりさせていただいている。きのう、お正月も関係なく24時間営業のカラオケボックスで弾き初め。いつもよりお客さん多くて忙しそう。心なしか店員さんの元気がないように思えたので、アリバイ的にひとこと。

お正月も働いていた人は、
どっかでゆっくり休んでね。

 去年の定期演奏会が終わったあと、ゆっくりな曲でも「とりあえず弾ける」ではなくて「ちゃんと弾ける」レベルまで仕上げたいと思って、しばらくグノーのアヴェ・マリアを見てもらっていたのだが、結局、ちゃんと弾けるレベルにまでは達することなく、忘年会の本番を迎える。

だんだん上手くなってきましたね~

とお褒めの言葉をいただくのだが、いや、目指していたのはそれではない。もともとこの曲、「発表会映え」のする曲ではないのだが、このレベルから今年の8月の発表会までにどれだけレベルを上げても、

うぉ~

というレベルまで上げていくことは出来なさそうだし、そうなると「なんだ、簡単そうな曲だぁ」という印象で終わってしまう可能性が高い。それに、アンサンブルの練習が始まればそっちの曲に練習時間の多くが割かれることも容易に想像できる。去年の最後のレッスンで先生も「発表会はもう少しテンポのある曲の方がいいですね」と仰っておられた。裏を返せば「アヴェ・マリアでは駄目ですよ」ということのようだ。

 そんなわけで、ヴィオラの名曲の中から、「ヴィオラと言えばこれでしょう」という定番を引っ張り出してきて、ネットで楽譜をダウンロード。知っている曲なので、譜読みは楽なのだが、いつもそれでNGが出るので、知らない曲だと思って譜読みをする。
 いくつかのフレーズに分けて練習をする。いちおう、それぞれのフレーズを通すことはできるのだが、弾いてみて一発で通せた試しがない。15~20小節ぐらいのフレーズを5回ぐらい繰り返したら、5回目ぐらいにやっと通せるという感じ。次はひとつの楽章を最初から最後まで練習して、5回目ぐらいにはやっと通せるというレベル。その次は3回目で。それから1回目で通せるようにする。そのあとテンポアップをしていって、発表会で弾く速さで通せるように…

 なんとも遠大な計画だ。

 今年の初レッスンは今週土曜日。
 はたして、心地よく発表会の年のスタートが出来るかどうか。



2018年1月1日月曜日

今年の目標

 あけましておめでとうございます。
 昨年は、こんな独り言みたいなブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。今年も、ほぼ「文字数制限のないツイッター」として、呟き続けると思います。昨年は、月によっては「1回だけ」というような更新頻度でしたが、それでも毎月更新できました。今年は、たまに読みに来てくださる方が飽きないように、せめて半月に1回ぐらいは更新したい(←希望的目標)です。

 さてさて、ブログのことではなくて、リアルの方の目標だが、ここ数年は
年末まで続けること
という不動の目標に毎年取り組んできた。そして、ここ数年、その目標は毎年、達成している。「続ける」ということがどれだけ大切で、しかしどれだけ難しいかは、改めていうまでもないのだが、昨年は、アンサンブルにも参加して、続けている内容もさらに深まったと思う。
 今年もまた5月ぐらいからアンサンブルに参加して、9月か10月の定期演奏会に載りたい。昨年、載ったロビーコンサートだとか、保育園の発表会も楽しみだ。他に、今年は、いつもレッスンを受けているスタジオの発表会と、3カ月に1度ぐらいアンサンブルレッスンを受けているスタジオの発表会もある。練習しなければいけない曲数も、数年前に比べるとものすごく増えている。アンサンブルに縁のない頃は、1年かけて1曲を弾くという感じだったのだが、昨年はついに初見でステージに載る(←ほとんど弾けなかったけど)というところにまで行き着いてしまった。
 こうなってくると、技量的にはこれまでとはまったく違うものが求められる。弾く曲を人よりもたくさん練習して、なんとか他の人の足を引っ張らないようにするというのではなく、どんな曲でもそこそこに弾ける基本的な技量が必要だ。たとえば楽譜を読む力だとか、ロングトーンできれいな音を出す力だとか、重音になったときにどっちを弾くかを瞬時に見分ける力だとか、超絶フィンガリングをいかにもやっているように見せる力だとか、自分の弾けないところを弾いていると見せかける力だとか、間違って音を出しても顔に出さない力だとか…。 ま、とにかく、「この曲だけは弾ける」という、その曲にしか通じない技量ではなくて、どんな曲にもも通用する汎用的な技量ということなのだが、これまで10年以上、教本で地道に練習するという道を外れてきたことのツケがここにきて出てきたといえる。
 そんなことも踏まえて、今年の目標は
愉しむこと。
発表会のステージもあるのだが、「上手」と思われるより「愉しそう」と思われたい。そりゃ上手に越したことはないのだが、それは上手に弾ける方が愉しいからで、上手に弾くために愉しくするのではない。
 子供のレッスンだと、これまでよりも難しい曲が弾けるようになるとか、これまでよりも上手に弾けるとか、技芸の上達という目標があって、そのためには愉しくしないと続かないし、家でも練習をしないから、上手になるために愉しくすることがあるかもしれない。愉しむことは、上達のための手段だとかストラテジーであって、目的、目標はやはり上手に弾くことだろう。
 でも大人は違う。昨年、いろんな方のお話を聞いて、やっぱり上手に弾けたら、上手に弾けないよりももっと愉しいだろうな、ということが分かってきた。テレビに出てくるような五嶋みどりさんだとか、諏訪内晶子さんのような、「上手」を極めた人は、さらにその「上手」を極めようと、苦しい練習に励んでおられるイメージがある。でも、それが私たちのような素人をを含めて、ヴァイオリンやヴィオラを弾く人、全員に課せられた使命ではない。昨年、出会った人はみんな私よりも上手な人ばかりだが、さらに上手になろうという努力に増して、少しでも多くの人と一緒に愉しもうという努力をされているように思えた。上手に弾ければ、いろんな人と弾く機会もできる。難しい曲が初見で弾ければ、急に呼ばれてステージに載っても大丈夫。だから上手に弾きたいと思う。上手に弾くことが目的なのではなく、愉しむことが目的で、上手に弾くことはそのための手段だとかストラテジーになっている。

 だから、今年の目標は愉しむこと。愉しめるように上手に弾くこと。

 もし、機会があれば、リアルでも一緒に愉しんでください。