きのうはちょっと茶化して投稿しましたが、けっして余命宣告を受けた訳ではありません。ご心配なく。まぁこんな場末のブログで深刻な話をしたところで、あまり真に受けてくれる人はいないでしょうけど、いちおうご報告しておきます。
この曲からイメージされるのは暖炉とロギングチェア。日本でいえば米寿のお祝いとかで親族が集まってパーティの準備をしている最中、当の本人は暖炉の前でロギングチェアに揺られながら、パイプを片手に自分の来し方に思いを馳せている。楽しかりし日々、苦しかりし日々、いろんな日があったけれど、もう人生に思い残すことはない。いまはただ穏やかな気持ちで人生のゴールに向かっていく。キッチンからは娘たちの声が、リビングからは孫たちの声が聞こえてくるなか、ひとり満ち足りた時間を過ごす老人。
こういうゆっくりした曲を感情豊かに弾くことはとても難しい。テンポのある曲は、ある程度はテンポで誤魔化しがきくのだけれど、ゆっくりでは誤魔化しようがない。それぞれの音符を正しい音程で弾くというだけではなく、フレーズ感が問われる。ロギングチェアが揺れるようなフレーズ感。音が途切れることなく次のフレーズに繋がっていく感じ。長く伸ばす音の抑揚や次の音へのつなぎ方が大事だとのこと。メトロノームに合わせてテンポ通りに弾くというよりも、すこしもったいぶる感じでつないでいく。
そして最後は、どれだけ心穏やかに弾くことができるか。もう一回言う。もう人生に思い残すことはない。いまはただ穏やかな気持ちで人生のゴールに向かっていく。発表会ぐらいで気持ちが揺らぐようでは、余命宣告を受けたときに弾くことはできない。