2024年10月27日日曜日

舞曲のように

 テレマンのヴィオラコンチェルト(TWV51)第2楽章。

  ヴィオラを習っている人にとっては、数少ない発表会用の曲だと思う。そもそもヴィオラを習っているという人口が、他の楽器と比べて極めて少ないので、どれだけ有名な曲かと言えば、たかが知れているのかも知れないが、琴といえば六段、尺八と言えば春の海、ぐらい有名でもおかしくない曲のはず。

 来年の発表会に向けて地道な練習が続く。

 さて、まだちゃんと弾けないフレーズもあるのだが、レッスンは次第に「曲想」みたいなところに進んでいく。弾けないところは、弾けるまで練習するしかないので、レッスンで弾けないところを弾けるまで見ていただくのは、あるいは時間の無駄かも知れない。

 それで、この出だしのわずか2小節なのだが、このフレーズは、この楽章の主題なので、このあとも何度も出てくる。なので、これを歌い上げるように

ラッ タン タン タァアア タラタラタラ タラタラタッタァアア タラタン

と弾いていたのだが、昨日のレッスンでは、拍またぎになっているスラーのところを「タァアア」と伸ばすのはやめて、「タァー」と軽く弾くようにとのご指導があった。バロック時代の曲なので、バロック楽器で弾くように。バロック楽器のヴィオラの弓は、モダン楽器のように反っていなくて、矢を射る弓のように弓形になっている。先弓や元弓では巧く音が出せないのか、「抜く」感じの演奏が多い。そういう感じなのだと思う。

 そして最後も、「タラタン」と強く終始させるのではなく、伴奏に主役を「どうぞ」と譲るような感じで。

ラッ タン タン タァーン タラタラタラ タラタラタッタァー タラタ

 を、これはなかなか深い。

 でもこうして弾いてみると、いままでカンタータのような感じだったものが、どこか舞曲のような感じになるから不思議。練習で弾いていてもちょっと楽しくなってくる。

 調子に乗って、you tubeの動画に合わせて、再生速度を0.75倍ぐらいにして弾いてみるのだが、やっぱり指が回らないところがあって、最後まではちゃんと弾けない。

 やっぱり、全部通してちゃんと弾けるようになるのが先だな。

2024年10月13日日曜日

自己顕示欲

 人前で演奏するときに、弾いている自分が何を考えているかは、結構ストレートに聴いている人に伝わる、というようなことは、前から思っていた。それで、「上手な」演奏よりも「楽しい」演奏を心掛ける。ステージの上で自分が楽しんでいれば、聴いている人もきっと楽しくなるはずだ、というようなことを思っているのだけれど、それとよく似たことをプロの演奏家が仰っている動画を見つけた。

 音楽が素晴らしいのは、演奏家の演奏が素晴らしいからではなくて、第一に残された作品が素晴らしいから。バッハの作品を聴いて素晴らしいと感じるのは、バッハが素晴らしいからなのであって、演奏家はその素晴らしさを聴衆に伝えようとしなければいけない。ところが、演奏家という人は少なからず自己顕示欲を持っていて、それがステージでの緊張をポジティブな力に変えていくことにもつながるのだけれど、それが余りに強すぎて、音楽の素晴らしさを伝えたいという気持ちを上回ってしまうと、それが演奏に載って聴いている人に届いてしまう。作品の素晴らしさを伝えたいという気持ちよりも、自分の素晴らしさを認めさせたいという気持ちが演奏に出てしまって、聴いている人の心に響かない演奏になってしまう。

 音楽を続けていくモチベーションは、本来は音楽の素晴らしさの中にあるべきだ。素晴らしい作品を聴衆に伝えたいという気持ちがまずあるべきなのだが、いつしか、自分が他人から承認されたいという欲求が音楽を続けるモチベーションになってしまうことがある。小さい子供が、熱心に練習をしていたら親から褒められる。そういう経験を積み重ねると、人から褒められたいがために練習をするとか、人から認められたいがために演奏するというようになってしまう。インターネット上に動画をアップする人の動機が、その音楽の素晴らしさを伝えるというよりも、それを演奏している人あるいはそれをアップしている人に注目してほしいというところに重点が置かれがちなことに対しても、警鐘が鳴らされている。

 もちろん、上手に演奏しないことには、その作品の良さも伝わらないし、上手に弾けてこその楽しさなんだけれど、プロの演奏家が言うことだけに説得力があると思う。

 この方、他にもいろんな動画をアップされていて、いちいちなるほどと思う。また機会があれば紹介するかもしれません。

2024年9月15日日曜日

とにかくゆっくり

 これは前から言われていることだが
速弾きをしない
ことが速弾きの近道。最後まで弾ききれる速さで練習して、最後まで弾ききれたら少しずつ速くしていく。そういうことで、メトロノームを使ってまずはゆっくりの練習。

 弾けないところがあったら、そこばかりを続けて練習。5回続けて間違えずに弾けるようになるまで繰り返す。前の先生は「10回」と仰っていた。「プロが演奏会で弾く曲を練習するときは、絶対に間違えられないので、20回とか30回とか繰り返して、絶対に間違えずに弾けるという自信がつくまでやるけど、発表会で弾く曲にそこまでは求めません」ということで「10回」だったのだけれど、そこを勝手に値切って「5回」ということで勘弁してもらう。これでも結構ハードルは高い。「あと1回」というときに限って力んでしまって失敗する。20回、30回と弾いているのだけれど、なかなか5回続けて間違えずに弾くことが出来ない。

 ともあれ、そうやって弾けないところを克服して、もういっかい、最初から最後まで弾けたかな、と思ったら、それを3回ぐらい繰り返す。それから徐(おもむろ)にメトロノームのピッチを上げる。楽譜に「何月何日、♩=xx」と書いて、自分の成長を確かめる。

 そうやって迎えたレッスン。

 自分では弾けているように思えたのだが、先生にかかると、速さで誤魔化しているところが次々に明らかに。音階を上っていくところのわずかな音程の狂いも「なんとなく」では許してもらえない。

 それと、もうひとつの大事な指摘は、次の音を意識的に準備しておくこと。これも初めて聞くことではないのだが、速弾きすると疎かになりがち。特に4指が弦から完全に離れていて、出番が来たときに「えいっ」とばかりに伸ばしているから、タイミングが合わないし、音程もわるい。でも、4指を常に弦の上で待機させておくのを意識的にやろうとすると、けっこう力が入って、小指が吊りそうになる。それ以上やると指を痛めてしまいそう。

 ゆっくりの練習は、速弾きよりも難しい。

2024年8月17日土曜日

セミプロ級のアマオケ

 このブログで何度か紹介しているセミプロ級のアマオケのコンサートを聴いてきた。

 すっかり感化されて、家に帰ってからヴィオラケースを開けてみる。今日の演目のうち、ヴィヴァルディのアラ・ルスティカは何度か弾いたことのある思い出深い曲だし、バッハのヴァイオリン協奏曲第1番の第2楽章なんかは、上手な人さえ一人いればなんとか弾けたりするかもしれない。いちおうね。ただ、演奏のレベルはとてもいっしょに弾いてもらえるようなレベルではない。ぼくが何度もそればっかり練習して、レッスンでも先生に見てもらって、いろいろお直しをしてもらって、やっとこの人たちの初見のレベル。なんだか羨ましい。

 開演前にロビーコンサートがあるのだけれど、これがまたいい。1パート1人で4人だけの小編成で弾くハイドン「皇帝」第2楽章。こんな曲。

 中盤からヴィオラが美味しいところを弾く。去年ぐらいから加入されたと思しきヴィオラのトップの方の音が良い。「音が立つ」というか、美味しいところを本当に美味しく聴かせてくれました。

 今日の演目のメインは芥川也寸志のトリプティーク。

 いやもう、この迫力は圧巻。

 最初にこの曲を聴いたときは、ずいぶん難しい曲だなぁ(演奏が難しいのはもちろんなのですが、どう楽しんだらいいのかがよく分からない、難解な曲という意味で)と思ったのですが、何回か聴いているうちに面白さみたいなものも分かってきて、弾いている人が楽しんでいる様子も伝わってくる。弾くのが難しいのは変わらないと思うのですが、今日はとても楽しめました。



2024年8月12日月曜日

メトロノーム

  これまでの人生で、繁忙期というものが何度かあった。毎日終バスで寝るのは1時前なのに、あくる日は7時に家を出て普通に出勤とか、バスもなくなってタクシーで帰るのだけれど、すっかり運転手さんと顔馴染みになって「家まで」といったら家まで送ってくれるとか、もう帰る気力もなくなって会社に泊まるとか。平成生まれの人には信じてもらえないようなことが当たり前だったこともある。いまそれに近い状態で、休みの日も本当にヘトヘトで、3週間ほどまともにヴィオラを弾いていない、なんて状態で迎えたレッスン。

 いや、レッスンがあることすら忘れていて、スタジオから電話があって慌てて駆けつけるといった始末。もうどうにかしている。さいわい、夏休みは世間よりも少し長め。仕事のことは気になるけれど、そこは割り切ろう。休みの日に仕事のことを考える必要はない。

 いままでのレッスンで何度か言われていることなのだけれど、弾けるところだけを速く弾くのではなく、いちばん難しいところがちゃんと弾ける速さでまず練習して、それかれ、難しいところを少しでも早く弾けるようにしていくことが、アップテンポで弾いていくための近道。カイザーもテレマンも、心を入れ替えて、メトロノームとしっかりお付き合いすることにした。

 まず、日付とテンポを楽譜に書く。まだ通して練習するというよりも、フレーズごとに切って、その速さで弾けるようにする練習だ。出だしのところは比較的何度も弾いているので、ある程度の速度でもそれなりに惹けているような気分になるのだが、中盤の「Bメロ」に入ると、最初に設定したテンポでは拍が合わなくなってしまう。その拍が合わないところだけを繰り返し練習末うのだけれど、やっぱり無理。さっき楽譜に書いたテンポを修正。2段階ぐらい遅くする。そうなると、比較的簡単に弾けるところでついつい走ってします。そこをまた練習。どうしてもテンポが取れないところはメトロノームに合わせて手を叩きながら歌ってみる。

 こういうことをやっていると、2時間ぐらいがあっという間に過ぎてしまう。

 そんなわけで、今日は久しぶりに2時間ほど練習できたといっても、まだまだめどはつかない。


2024年7月14日日曜日

アンサンブルの行方

 5年前から、スタジオでアンサンブルのレッスンを見ていただいている。私が言い出してみなさんを巻き込んで、それで5年間続いているものなのだが、新しい方が入って来られそうだ。

アンサンブルを始めたころの話はこちら
アンサンブルの発表に向けて~これまでの経過~
アンサンブルの発表に向けて~誘ってみた~
アンサンブルの発表に向けて~選曲~
アンサンブルの発表に向けて~選曲の続き~
アンサンブルの発表に向けて~曲決定~
アンサンブルの発表に向けて~初レッスン~

 最初の頃は、ヴァイオリン2人とヴィオラ1人で、子供の発表会で演奏されそうな曲を弾いていたにすぎないのだが、そのうち、スタジオの奥様を巻き込んで弦楽四重奏の形になり、パッヘルベルのカノンを弾いて、いまはアイネ・クライネ・ナハトムジーク(1,2楽章)に取り組んでいるというところ。

 そのアンサンブルのレッスンに、最近、見学者の方がお一人来られた。チェロの方だ。そして来週はヴァイオリンの方が参加されるという。この方は、以前の発表会でアンサンブルの発表をしたときにコンマス席に座っておられた方で、アマオケにも入っておられて、おそらくアイネクぐらいは完璧に弾かれるんじゃないか、などと想像しているのだけれど、果たしてどうだろう。

 ひとりそういう方が入って来られると、ヴァイオリンのソロのあるようなヴァイオリン協奏曲なんかも候補に入れられるので、選曲の幅が広がる。下手さ加減に愛想をつかされないように頑張らなければ。

2024年6月9日日曜日

テレマン再び

 先月はブログの更新が出来なかった。すぐに調べられるので、このブログを始めて以来、更新のない月はいつだったか調べたところ、2013年の9月、11月、12月だけ。実に10年以上、毎月最低1回は更新していたことになる。われながらたいしたものだ。その記録も途絶えたのだが。

 4月に発表会が終わってから、どっちの方向にいくか、なかなか展開が見通せない。ひとつは、スタジオの発表会がどうやら今年はないということになりそうなことがある。アンサンブルレッスンでやっているアイネ・クライネ・ナハトムジークも、クラリネットとのデュオで弾くパイレーツ・オブ・カリビアンも、たぶん8月にはスタジオの発表会があるだろうという見通しの下に練習していたのだが、発表会がないとなると、終着点の見つからない練習になってしまう。

 それで、新たな目標として、来年の4月にあるであろう、先生主催の発表会を設定することになるのだが、そうなるとパイレーツ・オブ・カリビアンが浮いてしまう。

 しかし、クラリネットとのデュオは、スタジオの発表会があってこその出し物。ここのスタジオのいいところは、いろんな楽器のレッスンが受けられるところで、しかも、大人からでもやっている人が多いということ。クラリネットのMさんと私の共通点は「おっさん」「大人から道楽としてやっている」「それなりに真剣」ということと、スタジオへの帰属意識なので、このデュオは、スタジオの申し子みたいなものだ。今年の発表会がないとなると、次の発表会までお披露目はお預けするしかない。

 そんな訳で、これまで、ソロのレッスンの時間に見ていただいていたパイレーツ・オブ・カリビアンはしばしお預け。その代わりにテレマンを見ていただくことにした。昨年の発表会でグタグタだったやつだ。あの時はいろんな事情があって準備不足だった。今回は9か月ほどあるので、なんとかそこそこのレベルに持っていきたい。

 それと、しばらく中断していたカイザーも見ていただくことにした。発表会が近づくと、どうしても発表会の曲ばかりに注意が向けられがちなのだが、いまなら少し時間を取ってみていただく余裕もある。

 アンサンブルレッスンの方は、アイネ・クライネ・ナハトムジークの1楽章に加えて2楽章も。これも目標を8月から来年の4月に切り替えて、少々長丁場でやっていく。

 そんな感じで、やっと今後数か月の展開が見えてきた。先月のうちにこういうことを考えておけばブログも更新できたのに、…いや、1ヶ月たくさん練習できたのに。

2024年4月21日日曜日

走る

 レッスンでよく「走らない」と言われるのだが、その意味するところが初めて分かった。

 練習でも、メトロノームと合わなくなって、焦って合わそうとすると、1拍早まったりすることがある。フィンガリングのややこしいところとか、小指を使うところとか、ポジションを移動するところとか、特に最近先生から指摘されるのは移弦するところとかで、拍が合わなくなってしまう。たいていは先に進んでしまう。これを「走る」というのだと思っていた。それは半分は正しい。けれど、半分は理解できていなかった。

 ただ速くなるというだけではなく、そこでテンポを失ってしまうのだという。「走る」というより「転ぶ」という感じになるようだ。

 アイネクの最初のフレーズ。四分音符を弾いたら、八部休符の間に一回弓を上げて戻して、それから八分音符を弾くのだけれど、そこの八分音符を弾くところをビビってしまって、テンポ感を失ってしまう。四分音符であまり弓を使わず、元弓だけで弾くようにすることで解決するかも。

 6小節目、八分音符での刻みにアクセントが付くところ。ソソソソ ララララ ラドファラ の「ラドファラ」の最後の「ラ」だけA線に移弦して開放弦で済まそうとして移弦にもたついているから、4指使って移弦をなくすとか。

 八分音符で刻むところは、全部の八分音符が同じような音色になるように気を付けないと、移弦の直後だったり小指だったりでテンポ感がなくなってしまうとか。

 まだまだ課題満載だなぁ。

 ところで、こんなページを見つけた。
 https://violin-sonata.com/7986/
 なんか、自分と同じ性格の人が書いているような気がしてならない。




2024年4月7日日曜日

発表会が終わってホッと


 お世話になっている先生の教室の発表会が終わった。今回は、ソロの発表をされる方ももちろんおられたのだけれど、大人も子供も、アンサンブルの発表がメインになっていた。いろんなレベルの方がおられるので、先生も苦労されたのではないかと思う。選曲は、アイネク3楽章のメヌエット、アルカデルト(16世紀にローマで活躍した作曲家らしい)のアヴェ・マリア、ベートーヴェンの第九交響曲の第4楽章の主題の部分を弦楽四重奏にアレンジしたもの。ヴァイオリンの先生の教室なので、ファーストとセカンドはそれぞれ10人以上なのだが、ヴィオラとチェロは各1人。そこに客演の先生がひとりづつ付いて、さらにコントラバスが付くという、人数的にはアンバランスで、ヴィオラとチェロは責任が重い編成。なかには子供の頃からやっていて大学生ぐらいになったというメンバーもいるけれど、半分以上は私と同年代。これだけの人が、わりと取っつきにくそうな(実際は他の楽器と比べて殊更にヴァイオリンが難しい訳ではありませんが)楽器に取り組んでいるというのが、なんだか嬉しい。ふだん通っているスタジオとは違う場所でレッスンを受けておられる方もいて、年に1度しか会わないけれど、顔は知っている、という程度の「知り合い」も何人かはおられる。
 そんな、あまり親しい訳ではない方でも、控室でそれぞれが音を出しているところで「合わせてみましょう」というと、自然と合奏が始まる。こういうときに、本当に楽器をしていてよかったと思う。とくにモーツアルトなんて、世界中で知られている曲なんだから、いつだってこうして合奏ができるじゃないか。しかも自分は希少価値のあるヴィオラだし、多少、下手っぴでも、数には入れてもらえる。
 本番はプログラムの先頭で3曲。本当にあっという間に終わってしまって、あとは他の方や子供たちの演奏を聴くのだけれど、自分の番は最初に終わっているのでどの演奏も落ち着いて聴いていられる。いつも思うけれど、子供の頃からやっていてある程度の年齢になっている人は、とにかく凄い。音色なんだ。音色が違う。楽譜通りに弾くのは当たり前で、そこにきちんと曲を付けてくる。これがなかなか出来ないんだ。毎度のことながら「敵わなねぇ」という思いで帰ってくる。しかし、自分の本番は卒なくできたから、まずがホッとした、というのが正直なところだ。

2024年3月23日土曜日

妄想リサイタル

 地元に「音楽振興会」という団体があって、県にゆかりのある若手音楽家を表彰したり、そのリサイタルを企画されたりしているのだが、そのリサイタルを聴きに行った。市内の、民間で運営している100席ほどの小さなホール。昨年、その団体が主催する「新人演奏会」で表彰された、ピアノ、チェロ、ヴァイオリンの奏者が、それぞれソロかピアノの伴奏で演奏するリサイタルだ。

 ヴァイオリンの方が演奏されたのは、プロコフィエフの無伴奏ヴァイオリンソナタ ニ長調 op115と、ヴァイオリンソナタ第2番ニ長調op.94。演奏されている方は違うが、こんな曲だ。

 学がないのを白状すると、プロコフィエフという名前は最近まで知らなかった。恩田陸の小説『蜜蜂と遠雷』で、主人公のひとりである亜夜がピアノコンクールで弾く曲が、プロコフィエフのピアノ協奏曲だったので初めて知ったウクライナ生まれのロシアの音楽家(この辺りはどう説明したらいいのか分かりませんが)。ロシア革命のときに、日本を通ってアメリカに亡命した、といったことが、手元の『音楽中辞典』(音楽之友社. 1979)に紹介されている。普段、演奏しているバッハやモーツァルトに比べたらずいぶん最近の人で、「現代音楽」といっても差し支えないぐらいではないだろうか。

 その奏者の演奏を聴いていても、無性に楽器が弾きたくなる。普段は合奏ばかり聞いているし、ソロで弾いていても何となく物足りなく思うことが大野だけれど、こうして聴いてみると、こういうのもいい。発表会でソロの演奏もしようかな、という気持ちもわいてくる。ピアノもチェロも、
こんどこの楽器のレッスンを受けてみようかな
なんて、実際にヴィオラのレッスンを受けていることも忘れて、素直に思ってしまう。最初にピアノで弾かれたバッハのパルティータ3番イ短調なんて、ピアノで弾くならこの曲かな、なんて思いながら聴いていた。

 実際に弾けるわけはないが、考えるのは自由なので、しばし妄想に浸ってリサイタルを目一杯楽しんだ。


2024年2月25日日曜日

珈琲と楽器の意外な関係

 隣町でコーヒーに関するイベントをしていた。その街にある12のカフェのオーナーが、町の美術館の一室に集合して、同じコーヒー豆を、それぞれの店のやり方で焙煎し、それぞれの店のやり方で淹れて、利き酒のように味を比べるというもの。これがなかなか面白かった。

 同じ豆でも、深く煎れば苦味がより増し、浅く煎れば酸味が際立つ。粗挽きならばマイルドに、細挽きならばより味わい深く淹れることが出来る。いやそれだけではない、ドリップかサイフォンか、ペーパーかネルか、ゆっくり注ぐのか比較的早く注ぐのか、熱湯なのかそうではないのか。いろんな要素でコーヒーの味は変わる。同じ豆を使っているのに、12店がそれぞれ、まったく違う味なのだ。もしかすると、同じ店でももう一度行けば味は違ったかもしれない。

 焙煎こそは店でやって持ってきているが、その場で挽いて、その場でお湯を沸かして、その場で淹れてもらえる。ドリップのときの泡立ち。そこに静かに注がれていくお湯。沸き立つ湯気。それを間近で見ながら、きっとコーヒーの味は、そのときのオーナーの気持ちで変わるのだろうと思った。レシピが公開され、淹れているところをビデオに撮って、その通りに淹れても、おそらく同じようにはならない。

 これ、どこか楽器の演奏に似ている。

 小さなカップではあったが、さすがに12杯もコーヒーを飲むと、お腹がチャポチャポ言うようだ。そんな体調で地下鉄に乗り込み合奏のレッスンへ。ちなみに、コーヒーのイベントの間、ずっとヴィオラを担いでいたので、相当目立ったかもしれない。

 それはさておき、その合奏なのだが、ヴァイオリンの先生がいろんなところで教えておられる生徒さんが集まってする発表会での合奏なので、ほとんどがヴァイオリン。小さな子供は合奏には加わらないが、高校生ぐらいから大人まで、ヴァイオリンだけは20人以上いる。幼少のときから習っている人もいると見えて、そうとうハイレベルな人から、大人になってから始めたという人まで、レベルもいろいろ。それと比べてヴィオラの生徒は私だけ。本番は先生からプロの方に声を掛けていただいて客演で来てくださるそうなのだが、練習のときは20対1という比率になる。そういうなかで弾くpとかppとかは果たしてどう弾くべきなのか。

 3曲の課題曲のうちひとつが、とにかくpとかppできれいにハモらせたい曲なのだが、小さく弾こうと思うとどうしても頼りない音になって、きれいにはハモらない。一般的には、弓にあまり重みを掛けないとか、駒から遠いところを弾くとか、弓を運ぶスピードを落とすとか、音を弱く、というか小さくする方法はいろいろあるのだけれど、ここは「弱く」でも「小さく」でもなく「細く」弾きたい。ある意味では、客席のいちばん後ろまで細い針のような音が届くような弾き方をしたい。前回の個人レッスンのときに先生にそう言うと、重みは普通に掛ける。駒からの距離も普通。弓はたっぷり使ってスピードは落とさない。ただし、弓を倒して弦と接する面積を小さくすることで、音を細くしなさい、というご指導をいただいた。今日、合奏で試してみると、20人以上のヴァイオリンの中に私一人のヴィオラが見事に溶け込んで、なかなかグッドなハーモニーを作っている。他の曲に関してはいろいろと課題の残ったレッスンだったけれど、この曲に関してだけは
つかめた
という実感が得られた。

 これ、なんだかコーヒーの味と同じなんだよなぁ。深入りすれば苦味が出るとか、細挽きにすれば味わいが深くなるとか、いやそうなんだけれど、そんなことよりも、丁寧に淹れればそれだけ繊細な味になるし、相手のことを思いながら淹れれば、飲む人に好かれるような味になる。

 コーヒーも楽器も奥は深い。

2024年2月17日土曜日

6つの調の音階練習

 テレビのチャンネル権を妻にすっかり支配されているので、ドラマを毎週視るということはなかなかできないのだが、このクールでは珍しく、民放のこのドラマをみている。

https://www.tbs.co.jp/sayonaramaestro_tbs/

 地方のしがないオーケストラを市長が潰しにかかるという、昔からよくあるパターンといえばそうも言えるストーリーなのだが、最近はまったくの創作ともいえないネタかもしれない。大河ドラマで、散楽で藤原氏の理不尽な支配を笑い飛ばす場面がたびたび出てくるが、放送にかかわる人たちも、現代の藤原氏の理不尽な支配に直面していて、それをネタに面白くドラマを作ろうという気持ちがあるのかもしれない。

 そういう難しい話はさておいて、先週のところでは、當真あみが演じる女子高生がヴァイオリンの練習をしているシーンがあって、「6つの調で音階が弾けるようになったよ」という台詞があった。たぶん、イ長調、ニ長調、ト長調、ハ長調、ヘ長調、変ロ長調ではないかなと思う。シャープ3つ、シャープ2つ、シャープ1つ、シャープなし、フラット1つ、フラット2つという6つ。

あぁ そういう練習をしていなかったなぁ

 このところ、休みの日にいろいろな用事が入って、練習時間の確保がますます難しくなっていた。前回のレッスンから10日間もケースを空けないままにしておくと、本当に指が回らない。それで、何度か会社帰りにカラバヨ(カラオケボックスで練習することね)をやるのだが、そういう「まとめ練習」よりも、短時間でいいから毎日何か練習することが効果的なのはいうまでもない。

 と思っているところに當真あみちゃんの台詞があったので、練習の最初にやってみることにした。ヴァイオリンだと、開放弦を活かしてファーストポジションだけで練習できるのだけれど、ヴィオラの場合は5ポジまで上がらないといけない。これもまあいい練習だ。

 今日は音出しができるので、これとSEVCIK、KAYSERである程度、身体全体を温めてから、発表会に向けた練習ということになるが、音階練習なら、普段、指で弦をはじいて小さな音を出しながら夜でも練習できるので、

まずはこういうことを毎日やらなければなぁ

と、いまさらながら初心にかえる。


2024年1月7日日曜日

Kayserは続くよどこまでも

 

 年が明けて、早速、初レッスン。12月はメンバーの都合が合わずにアンサンブルレッスンが出来なかったが、久しぶりに合わすことが出来た。まあしかし、合わないものだ。ひとりで練習している分には十分弾けているように思っていたのだが…
 カイザーの方は、相変わらず1と3。そこから先に進めない。ちなみにヴィオラのカイザーはこんな感じ。ヴァイオリンのカイザーを知らないのだけれど、たぶん、フィンガリングは全く同じで、5度低いように編曲されているんだと思う。最初の曲はヘ長調だけれど、たぶんヴァイオリン版はハ長調なんでしょう。
 この1番についていうと、いまは、楽譜通り、全部テヌートで弾くという基本的な練習と、ボールペンで指している、拍ごとに最初の2音をスラーにして、後の2音をスタッカートにするというのが課題になっている。これを
ターァヤンパッパッ
と弾かないとダメなんだけれど、どうしても最後のスタッカートが伸びて「ターァヤンパッパー」となってしまう。ボウイングも、
全弓下げ→先上げ→先下げ→全弓上げ→元下げ→元上げ
というようにしないといけないところ、楽譜が追えなくなってくるとフィンガリングにばかり気を取られて、ボウイングが疎かになってしまう。もう暗譜するぐらい弾きこんで、楽譜を追わなくても無意識にフィンガリングできるようになれば、ボウイングにもっと気を付けられるのだけれど…、と思ったが、そうではなくて、ボウイングが無意識に出来るようになったら所見でももっといろんな曲が弾けるようになる、という練習なのだろう。