2018年2月27日火曜日

弓を吸いつける

 重音の部分を重点的に練習して臨んだレッスン。
 
 冒頭で「楽譜を買いました」といって、前回の記事に書いたいろいろを説明したのだが、やはり「ト音記号が読めない」というのは分かってもらえない。特にそれを責められるわけではないが。ともあれ、買ってきた楽譜を見せると、それを見ながらレッスンをしていただけた。いままでは、譜面台のスコア譜をチラッとみながら、ほとんど楽譜を見ないでレッスンされていたので、なんだかこれだけでも新鮮。弾いている間は先生の顔を見る余裕はないのだけれど、たぶん先生は楽譜の方を見ておられるだろうと思っているので、緊張感がやや和らぐ。ただ、だから上手く弾けたというわけにはいかなかった。

 音楽の先生だから、たぶん楽譜を見ればどんな曲かは瞬時にわかられるんだと思う。弾いている曲がそのイメージと違うとそこでストップ。
フレーズ感がない
これは前にも別の曲で言われたことがあるのだが、この曲に関しても楽譜通りに弾くというところから一歩先に進んだかも。ま、先生にしてみれば、それも「楽譜通り」のうちなんだろうけど。素人的には「楽譜通り」と言われれば、まず音程をあわせてその通りにというイメージがあって、音が鳴り始めたらすぐ次のことを考えてしまうのだが、それがすぐに音を抜いてしまう癖になっていた。別の曲ではできていたことも曲が変わればまたやり直しというのは、素人にありがちなのか。とにかく一音一音を大事に最後まで弾く。そういわれると中膨らみするのも私の癖のようだ。最初から大事に弾く。大事と言われてそうっと始めるのはまたよくない。

 短い音は、弓をあまり使わず、腕の重みをしっかり載せて音を出す。先生が良い例と悪い例をされると一目瞭然。悪い例は明らかに子供っぽい。実際は子供の方が上手いのだが。

全体的にもっと
弓を吸いつけて
弾く。久しぶりに聞くが、よく言われていたことだ。押さえつけるのとは違う。以前はそれがなかなか出来なかったのだが、果たして出来るようになったのか。次回レッスンまでの課題。

 ただ音程を取ることから曲の表現に一歩踏み込んだと思ったが、結局はボウイングという基本に立ち返った練習を繰り返すことになった。ただ基礎練習でも、それでこの曲のこの部分がこんなふうに良くなると思えば精も出る。
 練習だな。練習。

2018年2月25日日曜日

楽譜の購入

 前回のレッスンのあと、発表会用の曲の楽譜を購入した。パブリックドメインなので、楽譜そのものはネットにあるのだが、もとのものはヴィオラのソロを弦楽アンサンブルで伴奏するものなので、ピアノ伴奏譜がなかった。購入したものはヴィオラのソロをピアノで伴奏するようにアレンジされている。別の曲の楽譜を探しに行って、楽器屋さんで偶然見つけた。

 これで発表会はばっちりだと意気揚々帰ってきて問題が発覚。いままで見ていた楽譜はすべてハ音記号で書かれていたのだが、買ってきた楽譜は一部、ト音記号の部分がある。ヴィオラをやらないひとには、よくもハ音譜みたいなあんな変な楽譜が読めるなと思われる向きもあるかもしれないが、いちどこれで慣れてしまうとト音記号が読めなくなってしまう。少なくとも私の場合は。横に階名を書いたりしてみたのだが、やはり上手くいかない。
 それで、コピーを2枚とって、片方からト音記号の部分を抜き出し、下の2線を重ねるようにしてもう一枚に重ねて貼り付け、もともと書かれていたト音記号の譜面を消してしまう。

 ハサミや糊を使っているのがなんか原始的。スキャンして、せめてペイントでも使ったらもうちょっと楽なんじゃないの。はい、仰る通り。あとで気付きました。

 内容にも少しアレンジが入っていて、ひとつはカデンツァが書き加えられていること。それも「これでもか」っていうぐらいハイポジションを使わないと弾けないようなカデンツァ。そして、重音が増えていること。

 前回のレッスンでは、重音がちゃんとハモっていないのを何とかしてくるようにという宿題があって、重点練習課題にしていたのだが、それが増えてしまった。それに加えて、ポジション移動させながら華麗にカデンツァを弾き切るという練習課題が増えてしまった。
 しかし、ここはめげないで、本番までにひとつづつ課題を片付けていくしかない。弓を弦の上に置いてから弾くという課題はクリアできたじゃないか。付点音符のリズムだって、この調子でやっていけばきっとできるさ。

 そんなわけで目の前の課題に無欲で取り組む毎日。
 そして迎えたレッスンでは…  この続きは次の記事で。

オリンピックに思う

 いつもお世話になっているスタジオの発表会は2年に1度。前回はリオデジャネイロ五輪の年、その前はソチ五輪の年というように、毎回、オリンピックの年と重なる。「がんばれニッポン」なんてCMもさかんに放送されるから、つい日本選ー手がメダルを獲ったかどうかばかりに関心が向いてしまうが、どの選手もその国を代表するアスリート。たとえこけようがビリになろうが、私のような素人がああだこうだと言うこともない。それよりも、選手たちの表情だとかインタビューだとかを通じて、まるで自分もオリンピックに出場しているかのような疑似体験が出来ることは、テレビという文明の利器の賜物。最近はどの局でも、かつてオリンピックに名前を刻んだ元選手が、素人にもわかりやすく解説をしてくれるので、選手の心にまで手が届くのではないかと錯覚してしまう。もしかすると、遠い異国でも同じようなことを思っている人がいるのかもしれないと思うと、少し世界が小さくなったように思える。

 さて、もうそのオリンピックも終わろうとしているのだが、今年のオリンピックでは相反する二つのことを感じた。

 ひとつは、オリンピックに出たいと思っているだけではオリンピックには出られないんだということ。オリンピックに出てメダルを獲りたいといういう人だけがオリンピックに出場し、金メダルを獲りたいという人だけがメダルを獲得し、金メダルを獲ってどうしたいのかを知っている人だけが金メダルを獲れるということだ。かつてマラソンの高橋尚子選手が、オリンピックの前に「見ていてください。見終わった後でなんだか走りたくなるような走りをします」といった趣旨のことを言っていた。羽生結弦選手の演技を見ていると金メダルだけでは語れないドラマを感じる。キムヨナの滑りもそうだった。みんな金メダルのその先を見ているように思う。
 そう思うと、発表会でなんとか無難にそつなく弾こうなどと思っている自分が恥ずかしくなる。そんなことでは、「上手ね」とさえ言ってもらまい。「どや」と言わんばかりの演奏をするつもりで、やっと「上手ね」って言ってもらえ、何か感動のひとつでも与えられるかというような演奏を目指して、やっと「楽しそうだ」と思ってもらえるのかもしれない。

 その一方で、メダルなんてまったく考えずに、だた目の前にあることに無欲に取り組んで活躍する選手もいる。浅田真央選手やミキティばかりが注目されていた時の鈴木明子選手の演技などは、メダルとは何も関係なしに感動を覚えた。今回、銀メダルを獲った宇野昌磨選手なんかを見ていると、無欲を絵に描いたようだ。カーリングで銅メダルを獲った選手たちもそうだ。銅メダルを獲った3位決定戦もハラハラして見ていたが、個人的にはその前の準決勝で、最後、同点にまで追い上げたところなんかは感動ものだったと思う。
 発表会でも、こんなふうに、ただ無欲に演奏したいと思っていた時期もあった。しかし、いざステージに立つとつい「上手く弾いてやろう」なんて欲が出てしまうのだ。そういうところはアスリートたちとは違って心が出来ていない。

 共通して言えることは、金メダルは獲りに行くものではないということかな、と思う。金メダルを狙うのではなく、その先の目標を見据えて、目の前のことに無欲に取り組む。そういうことなんじゃないかと思う。
 発表会でいうとどういうことなんだ?

 なんだかとりとめのない話になってしまったので、韓国のソプラノ歌手、ホアン・スミさんのオリンピック賛歌を貼り付けておく。開会式でものすごく感動した。そうそう、開会式でオリンピック委員会の委員長だか誰かが言っていた。選手たちはここにいるだけですでに勝者なのだ、と。
 だから発表会も、うん~と…。

2018年2月10日土曜日

開放弦と移弦の練習

 先月のレッスンで、弓を弦の上に置いてから弾き始めることと、リズムをしっかりとることを改めて指摘され(いや、もう何度も指摘されていますが)、こうかな、ああかな、と試行錯誤を繰り返している。弓を置いてから、というほうは、「こういうことか」というのが分かって、やってみたら、前回のレッスンで「だいぶ良くなりましたね」と褒められた。次はリズム。とくに付点音符のリズムが良くない。頭の中で「タッカ、タッカ」と唱えてそれに合わせるのではなく、「タタタカ、タタタカ」と実際に区切って音を出して練習するようにとのこと(これも前から言われているのですが)。

 そこでこんな練習メニューを考案。
 この楽譜はダウンロードフリーです。

 電子メトロノームで ピポポポピポポポ と細かく音を刻みながら、それに合わせてこれを弾くのだけれど、いつの間にか ポピポポポピポポ というリズムになっていたりする。こんな簡単なことでもなかなか一筋縄ではいかない。
 どうも弓の返しと移弦を一緒にやるところでもたついているようだ。4つ目の音を丁寧に弾きすぎているのかもしれない。もたつかないように焦ると音色が崩れる。ただでさえあまりいい音色ではないのに、ギロギロとか スカッとか、なんだか良くない。

 ああだ、こうだと気にしていると、これだけで15分ぐらい経ってしまう。
 気が付くようになっただけ前進はしているのだが……