2021年12月25日土曜日

レッスン納め

  今年も年末までヴィオラを続けられそうだ。

 結構いい歳で、いくら練習しても上達しないのに、よくぞ続けられているものだ。それだけでも絶賛に値する。上手に弾ける人や上達の著しい人が続けられるのは当たり前だ。そりゃ練習した成果が目に見えて音に聞こえりゃ楽しいだろうし、人から褒められれば嬉しいだろうし、練習しようかという気にも、弾いてみようかという気にもなるだろう。いくら練習しても上達しない人の場合は、他人から、何が楽しくてギコギコやってんだ、うるさいんだ、ええかげんにしてくれ、と冷たい目で見られながら続けるのだから、相当な忍耐力が必要だ。

 ともあれ、毎年、年末まで続けられることを目標にしているので、今年も達成できてよかった。このブログも、いちおう毎月更新できた。1回だけという月も多かったけど。

 今日はスタジオの最後のレッスンだった。あしたは公民館を借りてアンサンブルのレッスンがある。それで今年のレッスンは終わり。

 ソロのレッスンもアンサンブルも、来年の発表会に向けて練習しているのだが、先生曰く
だいぶカタチはできてきましたね
ようやく何をしたいのかわかるようになってきました

という段階。「あ~この人、モーツアルト弾きたいんだ~」ということがわかるようになってきた、ということだった。あとは聞く人の想像力さえ秀でていれば素晴らしい演奏に聞こえるはずだ。

 パッヘルベルのカノンもようやく大過なく最後まで弾けるようになってきた。スタジオのレッスンでは人数が揃わないので、ちゃんとしたハーモニーにはならないけれど、いちおうパッヘルベルのカノンには聞こえる。

 明日ははじめてパートが揃ってカノンの練習。

 なんか、この曲をやっているとバヨ会をしていたころを思い出す。バヨ会のたんびにこれを弾くんだけど上手く弾けなくて、次のバヨ会まで弾けるようになろうとレッスンでも見ていただいたりして、なんとかかんとか弾けるようになって、そうなるとバヨ会が待ち遠しくて、なんて感じだった。

 いまもこうやっていちおう弾けるようになると、明日のレッスンが楽しみだったり、発表会が待ち遠しかったりする。

 あとは音色だな。

 って、これはかなり本質的で、これまでずっと何とかしたいと思ってきて何ともできなかったことなんだけど。


2021年11月14日日曜日

発表会の選曲

  レッスンの方は、目下、『ヴィオラ名曲31選』にあるモーツアルトの二重奏のアンダンテを見ていただいている。31曲のうちの3曲目。前から順番に見ていただいて、最初に躓いた曲だ。今年の1月に一度見ていただいたのだが、いちど見ていただいただけで「これはちょっと後回しにしましょう」と却下されてしまった曲だ。詳しくはずいぶん前の記事に書いている。私もそれを見ながら、いま「そうだったなぁ」と遠い目で昔を思い出していたところだ。

 もういちど動画を張り付けておくと、こんな曲。

 前回の記事にも書いているが、コロナでしばらくできなかった発表会を来年4月にすることになり、曲を選ぶことになった。これまでの発表会は、わりとテンポのある曲で、音色とか表現とかはそっちのけで、とりあえずこんな難しい曲を弾けるようになりました、という選曲が多かったのだが、最近のレッスンはわりとゆっくり目の曲をきれいに弾くことに主眼を置いている。ちょっと冒険かもしれないが、こういう曲をゆっくりと艶っぽく弾くというのもわるくはないと、この曲で挑戦することにした。

いちおう弾けている

というつもりだったのだ。

 しかし、実は弾けている状態までは程遠かった。レッスンのたびに毎回、リズムがおかしいと指摘される。アンダンテでゆっくりなのだけど、ところどころに装飾音符やら、横線が数えきれないぐらいついている音符が密集しているところやらがある。そういうところに来ると気が焦るばかりで、先生曰く、「6/8拍子に聞こえない」「伴奏する人に、どこを弾いているのかが伝わらない」などなど、とにかく致命的な状態になっている。レッスンの時は「タラタラタン、ターーーーン」とか先生に歌ってもらって何とかリズムをとるのだが、ひとりで弾いていてもそれがうまく再現できない。それで何とかしようと変なリズムを付けて、それで何度も繰り返し練習するから、次のレッスンでまた同じことを指摘される。

 選曲した時は、少しずつ完成に近づけていけば、発表会までにはそれなりに艶っぽくなるだろうと思っていたのだが、遅々として進まない。「ここのフレーズだけは弾けてるぞ~」みたいな実感もなく、どこから練習したものやら、という状態。やはり、1月の段階で後回しにしたのは正しい判断だったのか。きのうのレッスンでも

この選曲はちょっとしっぱいかもしれませんね

と、内角に鋭く剛速球が入ってきた。

 最近、仕事の帰りも遅く、練習量は圧倒的に不足気味。自宅の近くは田舎で、遅い時間になると人通りもないので、アンダンテのリズムでトボトボと歩きながら「タラタラタン、ターーーーン」と歌いながら帰る。これも練習のうち、のつもりなのだけど、あまりにリズムが取れなくて躓きそうになってしまう。まともに歌うこともできない。歌えない曲が弾けるわけはないので、やはり冒険が過ぎたというべきか。

2021年10月28日木曜日

20周年

  時が経つのは早いもので、いま通っているスタジオが、来年、創立20周年になるそうだ。そういえば、長女が3歳になったら何か楽器を習わせようと思っていたところに、新しいスタジオができるというポストインがあって、それで見学に行ったのがご縁の始まり。その娘がもうすぐ23歳になるのだから、なるほど20周年だ。

 ちなみに私がレッスンを始めたのは、その2年ほど後なのだが、いま残っておられる生徒さんの中ではすっかり古株になってしまった。年齢は相変わらず四十路なのだが。

 それで、話はスタジオの話に戻るが、しばらく中断していた発表会を、20周年の来年こそは開催したいと、4月の開催が決まったらしい。いやホントに目出度い。コロナでいろいろ苦労されていることを知るだけに、ホントに嬉しいし、20周年に花を添えるつもりでしっかり練習して臨みたいところだ。

2021年9月23日木曜日

家庭内引っ越し

 

 いろいろ事情があって、家の中で部屋を替わることにした。人生の中で何度か引っ越し(家の中での引っ越しじゃなくて、トラックで荷物を運ばないといけないような本当の引っ越し)を経験しているのだが、年齢とともに荷物も増えて、だんだんと引っ越しが面倒くさくなってくる。私の場合、読み終わった本だとか、町内会の役をやったときの資料だとか、そういうものを捨てない性分で、とにかく荷物がたまる。いやだって、町内会の役は輪番でまた回ってくるし、そのとき前やったときの資料があったら楽じゃん、なんて思ってしまう。大学生のころ、友人とちょっとカッコつけて夜遅くまで飲んだあと、そいつの家に泊めてもらったのだが、そいつの部屋には文庫本が2~3百冊もあった。そのとき太宰治を勧められて初めて読んだ。なんかこいつカッケーぞ、と思った。それ以来、実用書の類だとかマニュアル本だとか雑誌とかは別にして、とにかく買って読んだ本は残している。本も随分たまって本棚からも溢れていた。

 今回の家庭内引っ越しに備えてかなりの整理はした。まず、ノートの類をすべて捨てた。大学の講義ノートだとか、ちょっと難しい本を読んだ時の読書ノートだとか、そういうものって、将来、私がノーベル賞でも取ったら大都学記念館の貴重書庫に収蔵されたかもしれないのだが、もうこの先そんな賞を取ることもなさそうなので捨てることにした。本棚に入りきらなかった本は、廊下の壁をくりぬいて本棚を作り、図書館みたいに分野別に並べて収めた。文庫本も廊下の壁に、作者の五十音順に並べている。1年間、着ることのなかった服を捨て、何かの役に立つかもしれないと思っていたもの(町内会の資料を含む)を捨て、とりあえず荷物3割減ぐらいのダイエットをした。

 さてさて、捨てられないものの中に楽譜がある。以前に「バヨ会」と称して素人(だいぶハイレベルな方もおられたが)ばっかりが集まり合奏した曲だとか、発表会や演奏会で弾いた曲の楽譜だ。最近のものは蛇腹式のホルダーに入れて整理している。演奏会で弾くものは、予め、プログラム順に製本しているので「確かあの時に弾いたな~」という曖昧な記憶から「ほら、これやろ!」と、何度練習しても弾けなかったところに赤ペンで丸印をしていたり、音名やら指番号やらをやたら書きまくっている状態で出てくる。

 そういえば、3年ぐらい前にパッヘルベルのカノンを弾いたことがあったなぁ、という記憶から楽譜を手繰り寄せる。普通の弦楽アンサンブル(1st,2nd,vla,vc)の構成で弾けるように、ヴィオラを3バヨにアレンジしているやつだ。なんでこれを探したかというと、いつものアンサンブルレッスンの3人(ヴァイオリン×2+ヴィオラ)のうち、ヴァイオリンの1人がチェロに転向されて、いつか弦楽四重奏曲を弾こうという遠大な計画があって、とりあえずその第1歩としてパッヘルベルのカノンが課題曲になっているからだ。私がもらった楽譜は初心者用で、16分音符が一切ない。そうすると、1stヴァイオリンと3度でハモる山場のところがなくて輪奏にもならない。初心者用とはいってもヴァイオリンの初心者用なので、ヴァイオリンならファーストポジションだけで弾けるのだが、ヴィオラは5ポジまで出てくる。そんなところで苦労するぐらいなら、ポジションの上がるところはオクターブ下げてでも、16分音符の山場のところを弾きたい。

 そんなわけで、4年前に演奏会で弾いた楽譜を引っ張り出してきて練習することにした。

 ほら、こうやって役に立つことがあるからなかなか荷物が捨てられないのよ。

2021年8月22日日曜日

ワクチン1回目接種

  この病気が騒がれだしたときから、これは相当気を付けていても感染を防ぐことはできなのだから、みんな順番に罹るもので、自分もそのうちに順番が回ってくるものと観念していた。とはいっても、こんな大騒ぎしているときに大勢の人が病院に行けばお医者さんも大変だろうし、そのうちお医者さんの体制も整って、罹っても大丈夫なようになるだろうから、それまでの我慢と、いろいろなものを我慢してきた。ところが医療体制は一向に整わず、もちろん努力はされているのだろうけれど、それが全然追い付かず、本来ならかかっても大丈夫なようにいろんな施策を講じるべきお偉方は、相変わらず「罹らないようにしましょう」というばかりで、病気の蔓延にかこつけて一部の人が儲けていたり、自分の立場だとか利権だとか、そんなものを守るために我慢を強いるような様子が見え隠れして、だんだんと我慢が馬鹿らしくなってきた。

 そうなってくると、この病気に関しては誰の言うことも信用できなくなってきて、ワクチンを2回打てば大丈夫といわれていたことも、最近はどうも怪しくて、3回目の接種をしないといけないなどといったことが言われているし、副作用は軽微というのもどうも怪しい。金持ちも権力者も大衆も同じようにリスクがあるのだから同じように気を付けないといけないというのは、かなり初期の段階から破綻していたように思う。

 ワクチンが効果があるとして、果たして自分は積極的に摂取するべきなのだろうか。何か大きな災害があって、その災害現場から、たとえ助かったとしても余命いくばくもない年寄りと、家族を養う働き盛りの中年と、成績も優秀で将来を嘱望されている青年の3人が重篤な状態で助け出されて、放っておいたら命はないのだけれど、そのうちの一人だけ治療して救うことができるとすれば、誰を助けるだろうか。もともとワクチンをあまり信用していないうえに、数も十分には確保できていないなどといったことを聞くと、自分のようなどうでもいい人間よりも、若人たちにさきにワクチンを打ってあげて、学校の授業も、運動会も、修学旅行も、受験も、クラブ活動もきちんとできるようにしてあげたい、などという思いに至る。いま、ワクチンや治療薬を開発している人も、治療の最前線にいる人も、かつて生徒や学生だった時があって、学校で友達とうまくいったりいかなかったり、先生に褒められたり叱られたりといった経験がその人の人格を作っていって、そうして作られてきた人格があるからこそ、この苦しい状況の中で自分の使命を全うしようとしているのだと思う。リモート授業とやらでそういう人格形成ができるのだろうか。これからこの世の中がどんな問題に直面するのか想像もできないけれど、それを解決するのはいまの子供たちで、その子供たちがいま経験していることが、未来の社会を作っていくのだと思うと、昨年から今年にかけて学校や子供たちに課せられている、一部理不尽と思えるような措置も含む過酷な状況は、将来の社会を劣化させているように思えて、まことに心苦しい。できることならそういう若い人から接種して、青春を謳歌してもらえば経済も回る。

 そんなことを考えながらワクチンの接種を躊躇していたのだが、夏の長期の休みのうちに予定していた旅行をキャンセルし、各地で起きている水害の復旧作業にボランティアで参加することもコロナのせいで躊躇したりしている自分を顧みて、もし打ってもらえるのなら打ってもらおうかという気分になって、昨日、1回目の接種をしてきた。

 すでに接種を終えた人の話を聞くと、総じて高齢者は何事もなく接種が終わっていて、若者たちは、ひどい腫れがでたり、腕が上がらなくなったり、発熱したりといった副作用に苦しんでいるように思える。4人のうち3人が発熱したなどといった報道もあった。いまどき原因は何であっても発熱なんてしたら、スーパーにも映画館にも入れない。こういう状況もまた接種を躊躇させたのだが、いまのところ、左腕に少しの腫れがあるぐらいで、あまりおおきな副反応は出ていない。私も高齢者の方に分類されるのだろう。ヴィオラを弾いていて、左手の音程がうまく取れないとか、ポジション移動が雑になるとか、フラジオレットの場所にうまくポイントできないといった症状は出ているのだが、ワクチン接種との関連性は明らかではない。

2021年8月9日月曜日

天下三不如意

 意の如くならざるもの、鴨川の水、双六の目、山法師、なんてことを言ったのは誰だったっけ。

 私の場合、4指、ハイポジション、フラジオレットかな。ま、ほかにもいろいろ意のままにならないものがはあるけど。

 特にG線とかC線とかのハイポジションで4指をつかうとかいうシチュエーションがうまくいかなくて、左手がうまくいかなければ右手もなんだか変になる。4指のロングトーンはできれば避けて、例えば1ポジで4指になるところは3ポジに移動したりして誤魔化すのだけれど、もともとが3ポジとなると4指は避けがたい。なんとか4指でもちゃんと弾けるようにしなければ…

 と思っていたのだけれど、レッスンで先生が仰るには、4指が思い通りにならないのはプロでも同じらしくて(同じと言っても程度は違うんだろうけど)、できることなら4指にいくまえにポジションを移動させて4指にならないようにするものだそうだ。シューベルトのアヴェ・マリアの冒頭、

レーーー#ドレ#ファーーーミレーーー

のところを、G線3ポジで、2---124---32--- と弾こうとしてどうしてもうまく音色が出ないのを相談すると、そこは、#ドレの半音のところで4ポジに上がって、2---113---21--- と弾けばよい、とのこと。

いや先生、それ、もっと早く言ってよ。
だってこれ3月から練習していて、ずっとこんなヘナッとした音出していたじゃん。

ま、ともあれ、フィンガリングを全体的に見直していく。ポジションを頻繁に移動させるとやっぱり音程が思うようにならない。それでも、4指のロングトーンが思うようにならないと、結果の出ない練習を重ねるより、ポジション移動で音程を安定させる練習をする方が、まだ結果につながりそうだ。

 ところで、アンサンブルレッスンをいっしょに受けているオジサンのうちのひとりが、急にチェロを始められた。なんでも、いま、ヴァイオリン×2+ヴィオラだけれど、自分がチェロをやれば、先生に入っていただいて弦楽四重奏ができると思われたそうだ。とはいうものの、いきなりハイドンだとかができるわけではないので、パッヘルベルのカノンをやることになった。チェロは同じ旋律を繰り返すだけだから、これならなんとかなるかも、ということだ。ただそうなると私に回ってくるのはヴァイオリンの楽譜。久しくヴァイオリンケースを開けていないので、久しぶりにそれを開いてもいいのだが、意地になってヴィオラで弾いてみようと試みる。たぶん初心者用にアレンジされた楽譜で、ヴァイオリンなら1ポジだけで弾けるようになっているのだが、ヴィオラで弾くと当然ながら5ポジぐらいまででてくる。要所要所にラがでてくるので、これをフラジオレットで弾こうと試みる。これもまた天下三不如意だな。いやしかし、私より年長の方がまったく新しい楽器に挑戦されているのだから、ここは私も5ポジぐらい挑戦していかなくては。

2021年8月2日月曜日

アヴェ・マリア半分終わり

  長いこと練習してきた三大アヴェ・マリアのうち、カッチーニとグノーは合格ということになった。ほんとうにいい音色が出ているという訳ではないのだが、もうこれ以上練習しても上手にはならないし、同じ曲ばかりやっているのでは、それはそれで練習にもならないという判断だろうか。まあなんと半年近くもやっているではないか。

[1] アヴェ・ヴェルム・コルプス 作曲:W. A. Mozart 1/11開始 2/13合格
[2] テーマ 作曲:W. A. Mozart 1/11開始 2/13合格
[3] アンダンテ 作曲:W. A. Mozart 1/11開始 1/23却下 7/31再開
[4] セレナーデ 作曲:F. Schubert 2/13開始 4/24合格
[5] アンダンテ 作曲:F. Schubert 2/13開始 4/24合格
[6] アヴェ・マリア 作曲:F. Schubert 3/6開始 練習中
[7] アヴェ・マリア 作曲:C. F. Gounod 2/13開始 7/31合格
[8] G線上のアリア 作曲:J. S. Bach 3/6開始 練習中
[9] アリオーソ 作曲:J. S. Bach 前の先生に見てもらったことあり
[10] トロイメライ 作曲:R. Schumann 未着手
[11] ラルゴ 作曲:G. F. Handel 未着手
[12] メヌエット ト長調 作曲:L. v. Beethoven 未着手
[13] 白鳥 作曲:C. Saint-Saens 未着手
[14] 感傷的なワルツ 作曲:P. I. Tchaikovsky 未着手
[15] 無言歌 作曲:P. I. Tchaikovsky 未着手
[16] ワルツ 作曲:J. Brahms 未着手
[17] 間奏曲 作曲:P. Mascagni 未着手
[18] 夢のあとに 作曲:G. U. Faure 未着手
[19] ユモレスク 作曲:A. Dvorak 未着手
[20] シシリアーノ 作曲:G. U. Faure 未着手
[21] 愛の挨拶 作曲:E. Elgar 未着手
[22] カヴァティーナ 作曲:J. J. Raff 未着手
[23] アンダンテ・カンタービレ 作曲:P. I. Tchaikovsky 未着手
[24] 赤いサラファン 作曲:A. E. Varlamov 未着手
[25] 早春賦 作曲:中田 章 未着手
[26] 夏の思い出 作曲:中田喜直 未着手
[27] 浜辺の歌 作曲:成田為三 未着手
[28] ロンドンデリーの歌 作曲:Irish Air 未着手
[29] 作曲:滝 廉太郎 未着手
[30] 小組曲 作曲:C. A. Debussy 未着手
[31] 埴生の宿 作曲:S. H. R. Bishop 未着手

 そして代わりに、以前に匙を投げられたモーツアルトのアンダンテを再開。わりと弾けているつもりだったのだが、6/8拍子がぜんぜん取れていないということで、途中で中断。いっぺんにやらないで、とりあえず前半だけやりましょう、ということなのだが、相変わらずリズムのいい加減さを指摘される。聞き覚えではダメなんだ。いままでいちどもメトロノームと一緒に弾いたことがなかったが、家に帰って、メトロノームと一緒に歌う練習。

これ、リズム取りにくい

ま、歌えないのに弾けるはずもないか。

2021年7月10日土曜日

玩具衝動買い

 

 電気屋さんでマイクを衝動買い。ン万円もするのかと思ったが意外と安かった。さいきんすっかり定着したリモート会議で使うマイクと同じように、パソコンのUSBに挿せばすぐ使える。アームに台座を取り付け、クッションになっているところにマイクを挟み、網みたいなの(ポップフィルターというのだそうだ)を取り付けると、気分はすっかりアナウンサーか声優さん。そうかヴォーカリスト。ヴィオラの前に歌でも歌って録音したくなるが、録音された自分の歌を聴くのは精神衛生上よくないので、すんでのところで引き留まった。

 ヴィオラを弾いて録音してみる。スマホで録音するより心なしか柔らかく聞こえる。何回かスマホで録音したものを聴いているから、爆音にも耳が慣れてきただけなのかもしれないが。

 レッスンは相変わらずアヴェ・マリア。

 カッチーニはフラット4つだから、♭ラとか♭レとかに悩む。#ソだとか#ドではない。3指を伸ばすのではなく4指でネックに近いところを押さえる。これが上ずらないように、とのご指導だった。

 グノーは16分音符のアンクタクトがいまひとつ。フィンガリングはいいから開放弦で右手だけでやってみましょう、ということになって、何度もお手本を見せていただき、なんとなく自分が何ができていないかはわかった。ぶつけるような音ではなくて、手首を柔らかくして、短い音でもしっかり弾いて弓を返す。むむ、これもボウイングの練習だ。

 シューベルトは3連符や装飾音符のリズムがうまくいかない。これは伴奏を聴きながら練習だな、

 そんなわけで、いままで余りできていなかったところをネチネチと練習。あまり目に見えては進まないが、自分なりには、前にできなかったことが少しずつできているような気がしないわけでもないような気がするかもしれない。

2021年7月4日日曜日

気を取り直して再び伴奏

 いくら練習しても、伴奏を付けると崩れてしまう。

 それもそのはず。調性が違うじゃん。はんたいに合っていたらおかしい。気を取り直して、調性の合う伴奏を探してきた。

 まず、カッチーニ。前の記事に引用していたものは、たぶん半音低い。バロックの調性なのかななんて勝手に思ったけど、そんな調律をしているピアノはこの世の中にそんなに多くはない。半音だから無理やり合わせて合わないわけでもないけど…。 

  次はグノー。これは前のやつと同じ。ハ長調でした。

  最後にシューベルト。これは全然違った。前のは変ロ長調とかかな。これはニ長調。

  ということで、気を取り直して練習。練習。

2021年6月26日土曜日

伴奏を付けて弾く

  世間には有り余る才能を惜しげもなく披露してくださる方がおられるようだ。いま練習している三大アヴェ・マリアの伴奏動画がないかと調べてみたら、いくつかの動画が見つかった。練習だからどれでもよいようなものなのだが、やはり伴奏だけ聴いても聴かせる伴奏だったら、こっちも感情が昂って、偶然に上手な演奏ができるかもしれないと思って物色してみると、3つとも同じ方のアップされた動画に行き着いた。

 まず、カッチーニ

  それからグノー

  最後にシューベルト

  しかし、実際に弾いてみると、伴奏が良いだけにヴィオラの不甲斐なさがいっそう際立ってしまうという始末。客席から空き瓶が飛んできそうな勢いに、さすがに自分でも萎えてしまう。

結構、弾けているかも

とか思っていたんだが。

2021年6月12日土曜日

アヴェ・マリアを歌う

 相変わらず『アヴェ・マリア』をやっている。

 たぶん、「もう次に行きたいです」といったら「どうぞ、どうぞ、」と通してもらえそうなんだけど、そこを「次回も見てください」と粘っているところ。いや何となくなんだけど、ほんの気のせいかもしれないのだけれど、ちょっと音色がよくなってきているように思う。こういう練習はなかなかできない。こういう比較的簡単な曲をしっかりと弾くというのはとても難しいのだけれど、なかなかこうみっちりとみてもらう機会もない。

 目下いちばんの課題は、三大アヴェ・マリアの中でいちばん有名じゃないカッチーニの『アヴェ・マリア』。YouTubeで「Caccini Ave Maria」と探せば、ほとんどはソプラノで歌っている動画なのだけれど、以前にこれをバリトン歌手が歌っている動画を見たことがある。バリトン歌手の歌っている動画はいくつか見つかるのだけれど、以前に見た動画はもう見つからない。ぼくが思うカッチーニの『アヴェ・マリア』は以前に見た動画のバリトン歌手が歌うもので、ソプラノ歌手でも、ほかのバリトン歌手のものでもない。それをヴァイオリンで再現したい。文章でうまく言えないんだけれど

A---Ve--MaRi---A---

と弾きたいのだ。しかし、どうしても

A---Ve--まり---A---

となってしまう。いきなりそこ日本語かい、という感じなのだが、せっかくイタリア人バリトン歌手が「A---Ve--」と歌っているのに、次の音がなんだか平べったい音になってしまう、というか、いや何というか、この悩みを先生にどう説明していいかわからない。

えい、歌ってしまえ。

という訳で歌ってきた。こう弾きたいんです。でもこうなるんです。

指でいうと、3ポジで「2---2--44---(↓2ポジ)2---」なのだが、この小指のところの音がどうしても膨らまない、響かない、ぺしゃんこになる。

 先生曰く、それを小指だけで何とかしようとするのではなくて、その前の音を少し我慢して、弓をたくさん残しておいて、「MaRi」の少し前のところから弓の量を増やしながらそのフレーズに入っていく。うむ、先生の説明も文章にするのは難しい。

A---Ve-<MaRi>--A---

というように、弓を少なめに動かしながら我慢して、「MaRi」に向かって膨らましていくって感じかな。あぁすごい。確かに、いっきにバリトン感がでてくる。やっぱり歌ってみるもんだ。

 この調子で、どこまで、以前に聞いたYouTubeのバリトン歌手を再現できるのか。

2021年5月8日土曜日

三大アヴェ・マリアのコンプリートを目指して

  相変わらず『ヴィオラ名曲31選』に取り組む。ゴールデンウイークも出掛けられず、ひたすら巣ごもりを強いられていたので、さぞや練習できたであろうと思いきや…、たしかに練習時間は取れるのだが、当面、発表会だとか演奏会だとかがあるわけではないので、なかなかモチベーションがわいてこない。課題の「音色」は、自分で弾いている分には結構、改善されたように思うのだが、録音してみると「がっかり」という状態。今日のレッスンで先生にそのことを言うと「それはよくあることです ハハハ…」と仰られ「録音しない方がいいですね」とのことだった。

練習したってそこは絶対よくならない

ってことなのかもしれない。

 前回のレッスンで、アヴェマリアまでの小品はマルになったので、今日のレッスンはシューベルトのアヴェマリアから。
レー#ドレ#ファーミレー
ってやつね。

 前半はハ音記号で五線紙からはみ出すような音もないのだけれど、後半はオクターブ上で、ト音記号の上の方ばかりになる。ヴィオラでいうといちばん細いA線ばかりで、しょっちゅうポジション移動しながら弾く感じだ。A線上のアリアみたいな感じ。三連符のところでポジション移動しながらタララタラララーって弾いていたら、無意識のうちに左手の指に力が入り、指先に弦の型がついて痛い。久しぶりの「弦ダコ」だ。

 これも先生に相談してみると、ポジションを上げるときは肘を内側に入れていくのと、親指を竿の下に持っていくこと、手のひらを竿の上に出して、筐体の上からフィンガリングするようにすること、といった注意があった。肘の位置と親指の高さをそのままにしてポジション移動しているから、親指にもすごい力が入っているし、弦を押さえる指にも同じように力が入っているように見える。だから音色もわるい。

こんなふうになっていますよ

と言って先生が弾かれるのを聞いたら、まさにその通り。その音色だ。

 次はグノーのアヴェ・マリア。ミーーーファーーーソーーレミーーってやつ。シューベルトに比べると、ポジション移動もないし、複雑なリズムもない。見るからに簡単そうな曲なのだが、こういう曲こそ力量がテキメンに顕われる。

 最初の音が恐々なのがまるわかり。スッと音が出ずに、何か躊躇うようにギロギロっと音が鳴り始める。弦の上にソーッと弓を置こうとして息を止めているからだ。息を吐きながら、右手で輪を描くようにして、その前のフレーズからの続きであるかのように弾き始める。これも練習だな。

 最後はmolto maestoso(めっちゃ堂々と)なのだが、弓を押し付けて ギョッギョッギョッギョッと弾くのではなく、深みのある音を出したい。これも先生のお手本通りにやろうとはしているのだが…。

 次回はこの2曲に加えてカッチーニの贋アヴェ・マリアも見てもらうことになった。

2021年4月24日土曜日

カッチーニのアヴェ・マリア

  発表会の関係で先生がご多忙だったのと、自分の都合でレッスン1回を休まなければならなかったので、IBLが7週間になってしまった。

※IBL: Interval Between Lessons

 この間、あまりまとまった練習はできず、ヴィオラを構える時間は週に2~3回、1回につき1時間程度。自分でも少ないと思うが、これでもかなり優先度を上げた結果だ。取り組んでいるのは『ヴィオラ名曲31選』に載っている小品たち。どれもこれも、どっかで聴いたことのある曲で、ヴァイオリンを始めて2~3年以内の子供たちの発表会で弾かれるような曲ばかりだ。その中にシューベルトの「アヴェ・マリア」とグノーの「アヴェ・マリア」があるのだが、こうなると三大アヴェ・マリアをコンプリートしたいというささやかな欲が出てきて、『ヴィオラ名曲31選』に載っていないカッチーニの「アヴェ・マリア」も練習に加えた。

こんな曲だ。

 動画のテロップにも書かれているが(というか、この動画のテロップを見て初めて知ったのだが)、これはどうやら贋作らしい。個人的には三大アヴェ・マリアの中でいちばん好きなのだが、この動画で贋作だと知って驚いた。

 ジュリオ・カッチーニは17世紀の作曲家なので、彼が作曲した曲だとすると、もうこの曲はパブリック・ドメインになっている。しかし、言われているようにウラディーミル・ヴァヴィロフの作曲したものだとすると、彼の死後まだ50年弱しか経っていないので、この曲の著作権は彼にあり、リアルでもネットでも公衆の面前で演奏すると、あの悪名高き団体が著作権料の代理徴収にやってくる。しかし、ウラディーミル・ヴァヴィロフ自身は「自分の曲ではない」と言っているのだから、彼が自分の著作権を主張することはない。徴収された著作権料は誰の懐に入るのか?

 それはさておき、フラットが4つもあって開放弦が封印されてしまうことを除けば、それほど難易度の高い曲ではないのだが、それをこの動画のように「歌わせる」というか、音に重みをつけて弾くというか、人に聞かせられるように弾くというのは目下の課題だ。難易度の高そうな曲だと、それらしく弾けるだけで上手そうに見えるし、弾いている本人もそれで満足するのだが、ただロングトーンを弾いているだけでもこのお姉さんみたいにはなかなか弾けない。
簡単な曲ほど難しい
とつくづく思う。週に2~3時間しか練習しないのだから仕方ないのだか。

2021年3月28日日曜日

ハイレベルの発表会

 自分は出なかったが、発表会があった。
 いろいろ経緯を話し出すと面倒なのだが、いつものスタジオの発表会ではなく、スタジオでレッスンをされている先生が、スタジオ以外のところでレッスンをされている生徒さんの発表会だ。大人は少な目。第1部は小学生ぐらいまで。第二部は中学生以上ということなのだろう。立派な衣装でステージに立つと年齢がわからないのだが、高校生ぐらいにも見えるし、二十歳を超えているようにも見えるぐらいの人が二人。年齢がよくわからない姉妹と思しき組が1組といったところ。アンサンブルだけの人を合わせて全部で20人弱の出演者がいた。
 場所は県立の立派なホールのリハーサル室。ほとんどのオーディエンスは出演者の家族だと思われるが、スタジオの奥さんとご主人、私といっしょにアンサンブルレッスンを受けている生徒さんなどもおられる。コロナ対策でゆったりと椅子を並べている所為もあるが、客席は満員だ。

 最初はきらきら星の合奏から始まる。まだ小学校に行っていない子供もいるようだ。そのあと「マジャールの踊り」「狩人の合唱」「バッハのガボット ニ長調」と、
あ~、これ、やったなぁ。
とか思う曲が続く。それをやっていたころの自分と比べると、やはり子供には敵わない。圧巻だったのはアッコーライの1番イ短調。小学生とは思えない堂々の舞台裁き。分数楽器なのに音量、音色ともに申し分なく、ちゃんと音楽として表現されていて、聴きごたえもある。そこそこ長い曲なのだが、最後まで聴衆を離さない。すごい演奏だ。さっきも書いたが、ステージに立つと年齢が大きく見える。小学校5年生か6年生ぐらいだろうかと思っていたのだが、あとでスタジオの奥さんが聞かれたところによると、なんと2年生だった。もしかすると、ここで私といっしょに合奏を披露していたかもしれないスタジオの生徒さん曰く、
今日は弾かなくてよかった。
こんなのが先に出てくるとたまったもんじゃない。
ん~。わからなくもない感想だ。

 後半は少し年齢が上の人だが、ルクレールのドッペルソナタ1番、バッハのパルティータ3番など、難易度も高く、時間も長い曲がいくつも披露される。みんな音大でも目指しているのか、というぐらいのレベルだ(いや、正直言うと、もう自分にはレベルを判断できるような域を超えている)。

感想
いや~、なんかちょっと元気が出た。
練習しようという気が湧いてきた。
このところ、何回弾いてもちゃんと弾けないとか、簡単そうなのが簡単に弾けないとか、ちょっと練習に行き詰まりがあったのだが、帰ってからの1時間ほどの練習があっという間に終わった感覚だった。

2021年3月6日土曜日

春休みの宿題

  先週に続いて2週連続のレッスン。インターバルが短いと宿題が消化できない。昨年の年末に弾き合い会が終わって、お正月から『ヴィオラ名曲31選』を見ていただいているのだが、なかなか思うようには進まない。人前で弾けるぐらいのレベルを目指しているのでハードルが上がっている所為でもあるが、いやいやそれよりかなり低いレベルのところで低空飛行が続く。31曲を前から順番に見ていただいているのだが、

[1] アヴェ・ヴェルム・コルプス 作曲:W. A. Mozart 1/11開始 2/13合格
[2] テーマ 作曲:W. A. Mozart 1/11開始 2/13合格
[3] アンダンテ 作曲:W. A. Mozart 1/11開始 1/23却下(後回し)
[4] セレナーデ 作曲:F. Schubert 2/13開始 練習中
[5] アンダンテ 作曲:F. Schubert 2/13開始 練習中
[6] アヴェ・マリア 作曲:F. Schubert 3/6開始 いまから練習
[7] アヴェ・マリア 作曲:C. F. Gounod 2/13開始 練習中
[8] G線上のアリア 作曲:J. S. Bach 3/6開始 いまから練習
[9] アリオーソ 作曲:J. S. Bach 前の先生に見てもらったことあり
[10] トロイメライ 作曲:R. Schumann 未着手
[11] ラルゴ 作曲:G. F. Handel 未着手
[12] メヌエット ト長調 作曲:L. v. Beethoven 未着手
[13] 白鳥 作曲:C. Saint-Saens 未着手
[14] 感傷的なワルツ 作曲:P. I. Tchaikovsky 未着手
[15] 無言歌 作曲:P. I. Tchaikovsky 未着手
[16] ワルツ 作曲:J. Brahms 未着手
[17] 間奏曲 作曲:P. Mascagni 未着手
[18] 夢のあとに 作曲:G. U. Faure 未着手
[19] ユモレスク 作曲:A. Dvorak 未着手
[20] シシリアーノ 作曲:G. U. Faure 未着手
[21] 愛の挨拶 作曲:E. Elgar 未着手
[22] カヴァティーナ 作曲:J. J. Raff 未着手
[23] アンダンテ・カンタービレ 作曲:P. I. Tchaikovsky 未着手
[24] 赤いサラファン 作曲:A. E. Varlamov 未着手
[25] 早春賦 作曲:中田 章 未着手
[26] 夏の思い出 作曲:中田喜直 未着手
[27] 浜辺の歌 作曲:成田為三 未着手
[28] ロンドンデリーの歌 作曲:Irish Air 未着手
[29] 作曲:滝 廉太郎 未着手
[30] 小組曲 作曲:C. A. Debussy 未着手
[31] 埴生の宿 作曲:S. H. R. Bishop 未着手

という状態。まだまだ先は長い。
 次のレッスンまで1か月半ほど間が空くことになったので、今日は新しい曲を2曲もらった。ボウイングだとかポジションなんかを確認。次回までに、これまでの分と合わせて練習するようにとのこと。春休みの宿題だな。小学校でも、クラス替え直前の春休みには宿題はなかったと思うのだが、レッスンの方はクラス替えもないので。
 アンサンブルの方は、とりあえずお互いの刻んでいるリズムが合ってきた感じ。時々、怪しいところもあるが、レッスンの中で何度か練習しているうちに修正できるようになってきたところ。まだまだ先は長いのだが、今月の終わりに子供の発表会があって、そこで子供がこの曲を弾くらしい。おっとこれはたいへんだ。いきなりハードルが上がってしまった。子供の方が上手なのは目に見えている。。。。 曲を変えてもらうか。。。

2021年2月28日日曜日

階段は昇りより降りが危ない

  いまさらだが、真剣に音階練習をしなければいけない、切羽詰まった必要を感じている。

 『ヴィオラ名曲31選』を順番にレッスンで見ていただいている中で、ヘ長調で3ポジがたくさん出てくる曲を見てもらっているのだが、C線だとかD線だとかの3ポジの音程がとにかくよくない。というかC線まで指が届かない。それで、3ポジでヘ長調の音階練習をしっかりするように、とのことだった。3ポジだと、C線1指がファになるので、そこから始まってA線3指のファまでの2オクターヴを行ったり来たり、ただそれだけなのだが…。

 下から、ファーソラ♭シドレミファーソラ♭シドレミ というのは、何度かやっているうちにだんだんと音程が安定してきた。最初のファさえ取れれば大丈夫。まぁ確かにC線で3ポジを取るのはちょっと怪しい。それも何度かやっていれば、だいたいのポイントがわかってくるのだが、別の日に改めてやってみるとやっぱり怪しい。

 それ以上の怪しいのが下降音階。ファーミレド♭シラソファーミレド♭シラソファー って弾いているつもりなのだが、途中で移弦して4指を押さえるところがどうしてもそういうように聞こえない。しかも最後のファが半音以上ずれてしまう。4指のすぐ下に3指を潜らせるのもなんだが難しい。

 そんなことで、満足に音階も弾けずに迎えた今日のレッスン。「先生、まず音階を見てください」と自己申告。先生の前で

ほら、こんなに弾けません。

というところを見てもらった。ところが先生からは「大丈夫ですよ。どこかおかしいですか。」という意外な反応。これは「こんなレイトスターターにそんな細かいこと言っても仕方ない」ということなのか。まぁでも「どこかおかしいですか」と仰っているので、「上がる方はいけるんですけど、降りてくるときがうまくいかないんです。」というと、「そりゃそうですよ。なんでも降りてくる方が難しいです。階段だってそうでしょ。上る時はいいけれど降りるときは怖いじゃないですか。」とのこと。その時は「あっ、そうか」と納得して音階のレッスンはそれで終わってしまったけれど、帰ってからいくら考えても、なんだか腑に落ちない。確かに1指から順番に押さえていく上昇音階に比べて、いきなり4指を出さないといけない下降音階は難しいのだが、階段を降りるときの話とどんな関係があるのだろう❓

 謎が深まる。

2021年2月7日日曜日

ヴィオラ五重奏

 


 豊中に、ヴィオラ五重奏を聴きに行ってきた。
 豊中というのは大阪府の北部で、阪急宝塚線の沿線。駅とホールとその周辺しか知らないが、中規模でわりと小洒落た街のように思えた。その市民ホール(市立文化芸術センター)の小ホールで、日本センチュリー交響楽団のヴィオラ奏者による五重奏のコンサートがあった。
 楽しかった。
 ポスターの中央におられる須田祥子さんは、テレビでもお見掛けすることがある有名な方なのだが、この須田祥子さんのトーク炸裂(MCがあるんですよ)。ステージそのものは、普通のクラッシュコンサートと同じで、葉加瀬太郎みたいに照明ギラギラのものではないし、マイクを使わずに生の音を聴くものなのだが、J-POPの歌手が腰を折り両手を拡げて熱唱するように、ものすごい
熱奏
見ていて思わず席から身を乗り出してしまう。よく見れば指板のないところをフィンガリングして超高音をだしたり、あ、これ、2 Cellosのヴィオラ版じゃないの、なんてことを思わせる。

 ステージは、ブランディング協奏曲の割とまじめで控えめな演奏で始まったのだが、この段階で、観客の心鷲掴み。次はウィリアムテルのお馴染みの曲なのだが、もうここでクラシックコンサートのかしこまった雰囲気などどこにもない。思わず立ち上がりたくなるような演奏なのだ。モーツァルトの魔笛やチャイコフスキーのくるみ割り人形から、これもお馴染みの曲が演奏され、間に軽妙なトークが入る。
 後半はポップスの曲をアレンジしたもので、自分は良く知らないが、クイーンというロックバンドの曲だったりしたらしい。激しいボウイングから爆音ともいえる、もはやヴィオラの音とは思えないようなサウンドが、それもマイクを通さない生の音がホールに鳴り響く。まるでロックコンサートを聴きに来たような興奮がホールを包んでいく(本物のロックコンサートには免疫がないが)。

 アンコールは「津軽海峡冬景色」と「宇宙戦艦ヤマト」。これも、もしかすると葉加瀬太郎の「情熱大陸」と同じように、お決まりのパターンなのかもしれないが、とにかく楽しかったので、また機会があれば聴きに行きたい。

 演奏者は違うが、ネットで「ヴィオラ五重奏」と検索すれば、この動画が出てくる。たぶん同じアレンジだったと思う。

2021年1月23日土曜日

ヴィオラ名曲31選

 


 弾き合い会が終わったので、いちおうこれまでやってきた曲は「完成」したことにして(実は完成していないのだが、これ以上のレベルで完成させようというモチベーションが出てこないので)、新年からは何か別の曲を見てもらおうということになった。4年ほど前に、ほとんど同じような状況で『ヴィオラ名曲31選』(宮脇 薩乎 編,ドレミ楽譜出版社)を見ていただいていたことがある。先生が代わられる前の話だ。そのときの先生は、「じゃ、最初から全部いきますか」と仰ったのだが、最初のAve Verum Corpus(W.A.Mozart)を弾かしてあまりに酷かったので方針が軽く変換されて、途中にあるArioso(J.S.Bach)からすることになった、という経緯がある(出典:「レッスンにも風が」, 『四十路テナライストのヴァイオリン練習部屋』2017.2.25, おとがく.)。そのときからどれぐらい上達しているだろうか。家でちょっと弾いてみて

わりと弾けるかも…

なんてことを思って、性懲りもなくまたこの本を持ち出して見てもらうことにした。

 Ave Verum Corpus(W.A.Mozart)は、4年前にも見ていただいているということもあって、いちおうは弾ける。簡単な曲なので、音色だとか表現力だとか、そういうところがモロ見えで、拙さが目立つのだが、例えば、歌詞に合わせて(といっても書いていないのだが)ブレスの位置を考えてみるとか、そういうところから、いつもよく言われる「フレーズ観」みたいなものが定まってきたりする。いい調子だ。これは〇をもらえた。

 次もMozart。ピアノソナタ11番(K.331)の主題をアレンジしたものだが、これも聞き覚えのある曲なのでなんとか弾ける。ただ、聞き覚えで弾こうとすると必ずしも楽譜通りにならない。細かなリズムに「お直し」が入る。いやしかし、4年前に比べると進歩しているかもしれないような気がしないわけでもないように思ったりする

 問題はその次のAndante。ゆっくりだからと侮ることなかれ。これもMozartなのだが、超絶難しい。こんな曲だ。

 原曲ではヴァイオリンが主旋律でヴィオラは引き立て役なのだが、わざわざこれを移調してヴィオラを主役に仕立て上げている。先生の前でちょっと弾いてみたのだが、あまりに酷かったので順番を飛ばして次の曲… という4年前のデジャヴに。ま、しかし、4年前ならこんな難しい曲はかすりもしなかったので、ちょっとは良くなっているのか。

2021年1月4日月曜日

いまさらですが

 

 明けましておめでとうございます。
 今年も、社会のお役にはまったく立たない記事を書き続けていきますので、お暇な方だけ見てください。

 元旦は晴天に恵まれ、きれいな初日の出が見られました。寒かったので、窓を開けずに撮影。だいぶ結露しているので、自宅が何処か特定されなくて、それはそれで好都合な写真が撮れました。

 さてさて、毎年、年末までヴィオラとブログを続けること、という控えめな目標を立てて取り組んでいるのですが、昨年は一応その目標を達成しました。ブログの方は34記事。内容はどれも薄いですが、いちおう毎月2記事以上の投稿ができました。

しかし

ヴィオラの方は明らかにレベルが下がっている。練習時間はたぶん、そこそこ確保できていると思う。コロナ騒ぎのおかげで通勤に要する時間がいらなくなり、定時になったらすぐに練習ができるようになった。これは大きい。ときには出来ない日もあったが、非常事態宣言が出ている間は、平日、ほぼ毎日1時間ほどの練習ができた。一方で、夜な夜なカラオケボックスに通って練習というのはしばらくできなかった。カラオケボックスが営業を自粛していたからだ。

その結果

1時間以上、練習に集中することができなくなってしまった。これは何もコロナの所為だけではない。一般的に加齢によって集中力はなくなっていく。そこに偶々コロナ禍が重なっただけだ。
 発表会ほど重いイベントではなかったが、昨年の唯一の「本番」といえる弾き合い会でのうだうだした演奏がそれを物語る。軽いイベントではあったが、2年以上練習してきた曲を人前で弾くのだから、本番前にはもう少し仕上がっていないといけない。これまでならば、本番では緊張のあまり失敗することがあったとしても、それまでのところではもう少し高いレベルで仕上がっていたような気がしないわけでもないように思ったりするかもしれない

あ、そうか

今回もやはり、「前回はもっと弾けていたよなぁ」という幻をみているだけか。

 正月はすっかり練習をサボってしまった。12月27日に本番があって、それ以降、大晦日まで楽器ケースを開けることはなく、1月2日に楽器ケースを開けで、本番の後で松脂を拭き取っていないことに気付いたという次第。その練習も、本当なら巣籠中なので、お昼前からでも出来たのだが、夕方から初めて30分ほど。そして1月3日と4日は何も弾かず、時間だけが徒過していく。そういえば、去年も1週間、練習をサボり、「嗚呼、思うように弾けない」などと嘆いていた。加齢による退化はあるのかどうかわからないが、少なくとも成長はしていない。