この病気が騒がれだしたときから、これは相当気を付けていても感染を防ぐことはできなのだから、みんな順番に罹るもので、自分もそのうちに順番が回ってくるものと観念していた。とはいっても、こんな大騒ぎしているときに大勢の人が病院に行けばお医者さんも大変だろうし、そのうちお医者さんの体制も整って、罹っても大丈夫なようになるだろうから、それまでの我慢と、いろいろなものを我慢してきた。ところが医療体制は一向に整わず、もちろん努力はされているのだろうけれど、それが全然追い付かず、本来ならかかっても大丈夫なようにいろんな施策を講じるべきお偉方は、相変わらず「罹らないようにしましょう」というばかりで、病気の蔓延にかこつけて一部の人が儲けていたり、自分の立場だとか利権だとか、そんなものを守るために我慢を強いるような様子が見え隠れして、だんだんと我慢が馬鹿らしくなってきた。
そうなってくると、この病気に関しては誰の言うことも信用できなくなってきて、ワクチンを2回打てば大丈夫といわれていたことも、最近はどうも怪しくて、3回目の接種をしないといけないなどといったことが言われているし、副作用は軽微というのもどうも怪しい。金持ちも権力者も大衆も同じようにリスクがあるのだから同じように気を付けないといけないというのは、かなり初期の段階から破綻していたように思う。
ワクチンが効果があるとして、果たして自分は積極的に摂取するべきなのだろうか。何か大きな災害があって、その災害現場から、たとえ助かったとしても余命いくばくもない年寄りと、家族を養う働き盛りの中年と、成績も優秀で将来を嘱望されている青年の3人が重篤な状態で助け出されて、放っておいたら命はないのだけれど、そのうちの一人だけ治療して救うことができるとすれば、誰を助けるだろうか。もともとワクチンをあまり信用していないうえに、数も十分には確保できていないなどといったことを聞くと、自分のようなどうでもいい人間よりも、若人たちにさきにワクチンを打ってあげて、学校の授業も、運動会も、修学旅行も、受験も、クラブ活動もきちんとできるようにしてあげたい、などという思いに至る。いま、ワクチンや治療薬を開発している人も、治療の最前線にいる人も、かつて生徒や学生だった時があって、学校で友達とうまくいったりいかなかったり、先生に褒められたり叱られたりといった経験がその人の人格を作っていって、そうして作られてきた人格があるからこそ、この苦しい状況の中で自分の使命を全うしようとしているのだと思う。リモート授業とやらでそういう人格形成ができるのだろうか。これからこの世の中がどんな問題に直面するのか想像もできないけれど、それを解決するのはいまの子供たちで、その子供たちがいま経験していることが、未来の社会を作っていくのだと思うと、昨年から今年にかけて学校や子供たちに課せられている、一部理不尽と思えるような措置も含む過酷な状況は、将来の社会を劣化させているように思えて、まことに心苦しい。できることならそういう若い人から接種して、青春を謳歌してもらえば経済も回る。
そんなことを考えながらワクチンの接種を躊躇していたのだが、夏の長期の休みのうちに予定していた旅行をキャンセルし、各地で起きている水害の復旧作業にボランティアで参加することもコロナのせいで躊躇したりしている自分を顧みて、もし打ってもらえるのなら打ってもらおうかという気分になって、昨日、1回目の接種をしてきた。
すでに接種を終えた人の話を聞くと、総じて高齢者は何事もなく接種が終わっていて、若者たちは、ひどい腫れがでたり、腕が上がらなくなったり、発熱したりといった副作用に苦しんでいるように思える。4人のうち3人が発熱したなどといった報道もあった。いまどき原因は何であっても発熱なんてしたら、スーパーにも映画館にも入れない。こういう状況もまた接種を躊躇させたのだが、いまのところ、左腕に少しの腫れがあるぐらいで、あまりおおきな副反応は出ていない。私も高齢者の方に分類されるのだろう。ヴィオラを弾いていて、左手の音程がうまく取れないとか、ポジション移動が雑になるとか、フラジオレットの場所にうまくポイントできないといった症状は出ているのだが、ワクチン接種との関連性は明らかではない。
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