2014年9月28日日曜日

田舎町のアンサンブルがすごかった

 アマチュアアンサンブルの演奏を聴きに行くのがマイブームになっている。
 上手か下手かという問題ではなく、そのアンサンブル独特の雰囲気が見られるのがいい。ツイッターのフォロアさんの言葉を借りると、そのアンサンブルが音楽をどう作り上げてきたか、ってのを聴くのが楽しい。選曲、弾く順番、プログラムの作り方、衣装、それに聴きに来ているお客さんの層までが、そのアンサンブルを形作っていると言ってもいい。そういう意味で、今日のアンサンブルはとても良かった。
密度の濃い演奏だった。

 2週間前に行ったのは、隣町の立派なコンサートホールだった。150万市民を抱える政令指定都市だ。
乗換駅の切符売場
自動販売機じゃなくて駅員さんから買う
もちろん自動改札もない
ICカードも使えない
今日行ったのは、10年前に合併して市制が布かれたが、それまでは人口4万人弱の田舎町。快速列車の走る本線から単線のローカル線に乗り換えて約30分、そこから1時間に1本しかない私鉄に乗り換えて1駅。駅前のホールは小学校の講堂ぐらいの大きさで、可動式の座席が電動で出てくるタイプ。席数は500席もないように見える。アンサンブルの紹介によると、いつもここで練習をしているようだ。平日の午後7時からというから、この近くに住んでいるか勤めている人でないと参加できない。ステージには50人弱の人が載っているのだが、こんなところ(ってあんまりいうと失礼だが)でこれだけの人が、しかも弦楽器だけで集まるというのがすごい。

 お客さんも結構入っている。100人ぐらいだろうか。小さな子供もOKのようなので、多少のことは仕方がないというところだが、まずまず行儀よく聴いている子ばかりだったので、結構、文化的に高い水準にある地域のようだ。

 コンサートは年に1回行っているようだが、それがコンサートだけではない。前日と当日に弦楽器のワークショップがあって、まったくいままで弦楽器を触ったことのない人に2日間で4~5時間のレッスンをしてステージに上げてしまう、というびっくり企画もある。これに参加されるのも、多分、ほとんどが地元の方だろう。そういう方が十数人から二十人ぐらいおられた。ヴィオラの人もいる。ヴィオリスト(似非ヴィオリストではあるが)としてはちょっと嬉しいが、会場では、弦楽器初めてなのになんでヴィオラなんだろう、なんて話しておられる方もおられる。いや、いいの、いいの。ヴィオラなんてマイナーな楽器に関心を持っておられる方がおられるというのは文化の高さの証し。

 曲目は、「大きな古時計」「Let It Go」などの小作品や、ワークショップ参加者による「キラキラ星」「アマリリス」などのほか、バッハの管弦楽組曲2番やテレマンの今日初めて聞く曲、それにヴィヴァルディの四季全曲の演奏もあった。

 プログラムによると、アンサンブルの設立は2000年で、当時は全員が初心者ということだ。今日は、ソロの部分は客演の方だったが、バックのアンサンブルもなかなかの迫力と繊細さ。設立当初は、おそらくワークショップ参加者と同じぐらいのレベルだったに違いない。それがこうして、バッハやヴィヴァルディを演奏するまでになっているという、その歴史というか、取り組みの継続性がすごいと思う。

 聴いていた人の中にも弦楽器に興味を持った人も多いだろう。来年はワークショップに出てみようとか、いつかこうしてクラシックの名曲を舞台で弾いてみたいとか、そんなことを思った人もいるに違いない。なんてことを思いながら、会社終わってから電車に乗ったら何時に付くのだろうか、とスマホで調べてみたりしているのは私だけだろうか。

2014年9月27日土曜日

情熱大陸が情熱大陸っぽくない

 ヴァイオリンをやっている人でもやっていない人でも、何の曲か説明の必要のない名曲、「情熱大陸」。こんな名曲なのに、いままでこれを発表会で聴いたことがない。レッスンでも、これまでは
正統派 ザ・クラシック
という曲ばっかりで、この手の曲はやったことがなかい。

 2年後の発表会で、こいつをちょっと余興的に弾いてみたい。
 余興と言っても人前で弾くのだから手抜きはない。真剣勝負で、しかしその真剣さが正面に余りでなくて、見てる人には余興に見える、という感じ。必死に弾いている感じじゃなっくて、軽~く弾いている、ってところを見せたいわけよ。

 それでこのところこの曲ばかり練習しているのだが、これが何というか、意外と簡単なんだけど、意外と難しい。
 葉加瀬太郎が弾いているところを見ると、めっさ難しい曲をこともなげに弾いて、最後は弓を高く掲げて、うしろからライトでバッと照らしてドヤ顔する、というイメージなんだが、音を取って見るとそんな難しい曲でもない。
 ところが、なんといってもリズムが尋常ではないし、音の並び方がクラシックとは違っていて、いや、どう違うって言われると上手く説明できないんだけど、なんか違う。

 それでも、ほぼ毎日、といっても1日30分ほどだけど、ほぼ毎日こればっかり弾いていると、
あ、この人、情熱大陸を弾いているんだ
ということが分かる程度には弾けるようになってきたのだが、やっぱりどっか情熱大陸ではない。

 そんな感じで迎えた今日のレッスン。
 まず、もっと濃い音を出しましょう、などと濃いことを仰る。
 リズムに乗ろうとして弓を跳ばしているのはNG。出だしの チャチャチャッチャッチャー のところの最初の2音は、それこそ唾を飛ばすように弾くのだが、飛ばすのとは違う。短い音だけど音の最初を深く濃く。そしてその次の音は絶対に飛ばさないで、ビブラートをかけて長く。

 こんな調子で音ひとつずつにチェックが入る。
 全体的に元弓の方が手元でコントロールがしやすいので、元弓を使うように。
 これ、苦手なところだ。

 リズムをきちんととるために、まずはゆっくりから。
 先生が弾くと、ゆっくり弾いていても情熱大陸に聞える。
 音色が全く違うんだ。 

 今日のレッスンで、ポジション移動と弓の使い方を全部楽譜に書き込んでいただいた。いままでは、
これでいいのかなぁ
という感じで練習していたのだが、これで確信を持って練習ができる。レッスンが終わって、最後の、弓を高く掲げてドヤ顔するところも練習しておかなきゃ、などと早くも余計なことを考えたりした。

2014年9月14日日曜日

夏目漱石と発表会レポート

 夏目漱石の「こゝろ」が新聞に連載されて今年が100年目だそうだ。夏目漱石と言えば、随分昔に「坊ちゃん」を読んだきりで、他は何も読んだことがない。中学生の娘の夏休みの宿題に出された読書感想文のために選書をして遣る親がこれでは不可ないと、此の夏に漱石を何冊か買い込んで読むことにした。娘と違って読書感想文を書く必要もないし、書いた処で誰が読んで呉れる訳でもないのだが、若し書くとすれば何を書けば好いのか大層困ったのに違いない。
夏休みの読書課題

 その昔、日本文学を研究されておられる方から、こんな話を聞いた。其の方は森鴎外をご専門にされておられるのだが、其の森鴎外を読む時、必ず「自分」というフィルターを通して読むことになるので、文学を研究する目的は、その研究を通じて人間の普遍的な在り方を解き明かすことであるが、その時に研究対象となる作家やその作品に描かれている人物を研究している様で在りながら、実は自分が最も造詣が深く、然し自分にとって最も摩訶不思議なる人物、即ち自分自身を研究することに外ならぬ、と言うのである。
 私は其の森鴎外を研究されたる方の如き知識人にはあらねども、紛いなりに夏目漱石の作品を読んで読書感想文を書くならば、夏目漱石やその作品に描かれた人物を、自分自身の中にどのように投影したかを主題とせねばなるまい。然るに、漱石が其の作品の中に書き顕わしたる思想の深きは、大凡、吾が如き凡人の心の器には余りあるものであり、読了しても猶、其の全容を己が心に消化しきるを得ずして、何事かを語るに堪えない。若し感想を聞かれることあらば、其のことを申し述べて、彼の人にも読書を奨める外あるまい。

 さて、子供の発表会なるものは、其の技芸の上達を発表する場であり、如何に上手に演奏し得るかを競うが如きものと成り勝ちであるが、大人の発表会ともなると其れとは目的を異にするものと思わねばならぬ。其れは理としては承知したるものの、いざ舞台に立てば上手に弾かねばとの思いを抑えること適わず、遂には緊張の余り不本意なる演奏に終わること珍しきことにあらず。如何に適切なる緊張の下に舞台に立ちたるか、或いは技芸の上達以外に己が何を其の場で発表したるかと言う命題は、吾等大人に成りて楽器を習いたる者の永遠の課題とも言えよう。

 其の様に考えたる或る時、何時も拝読する或る方のブログに、此の命題に光を充てんとする記事を見つけたる故、何か此れに対する感想文を書かんと試みるだが、夏目漱石の名著の如く、その記事に含まれたる含蓄の深きを吾が文才に留めることが不可いので、此処は其の記事を直接読んでみることを奨める外ない。

「『魔法使い』の弟子 シロートの、シロートによる、シロートの為のオンガク日記」より
「発表会、と、デート。」(2014.9.9 ふーたさん)
http://ameblo.jp/foo-ryu-ta/entry-11893220395.html

 此の方のブログ全体に描かれているのは、師匠と表記されたる彼の師に対する信頼と憧憬ではなかろうかと思う。冗談めかして面白可笑しく書かれているが、師への思いを経糸に、彼の人の人格の成長と確立を緯糸に織り込んだ、素晴らしい記事だった。毎年、発表会をされているようなので、是非来年は、こっそり場所を教えていただいて拝聴に参りたいと思う。

2014年9月13日土曜日

アマチュアアンサンブルの演奏会

 隣町の立派なコンサートホールで、お気に入りのアマチュアアンサンブルの演奏会があるので、聴きに行ってきた。

 そこのホールはクラシック専用ホールなので、アイドル歌手のライブも後援会やら演説会やらの類もすべてお断り、という高飛車なホールなのに、回転率は結構高い。場所を押さえるだけでも大変だと思う。コンサートホールならうちの町にも立派なものがあるが、そこは週末でさえ公演がない時があるという状況。ホールの立派さはともかく、そこで聴くことが出来るコンテンツでは大きく水を空けられているように思える。隣町というのは、政令指定都市で、空港はないけれど新幹線は全部停まるという大都市。県庁所在地でありながら新幹線が素通りするうちの町とは、もとから格が違う。

 町の格の話で回り道をしてしまったが、このアンサンブルの格もかなり高い。詳しくは聞いていないが、若手の方が比較的多いところをみると、どこかの大学のオケのOB/OGなんかが母体になっているのかもしれない。人数は弦楽器ばかり20人ほどなのだが、今回は客演の方も取られている。無料で聴かせてもらえるのが申し訳ないような立派な演奏会だった。

 演目は、ロッシーニ、バッハ、ポッテジーニ、グリーク。バッハ以外は知らない曲ばかりだった。
 バッハは、お馴染みの管弦楽組曲第2番。フルートとチェンバロは客演の方が弾かれていた。
 ボッテジーニという人は、プログラムの紹介によると、「非常に卓越した気候の持ち主」で「コントラバスのパガニーニ」との異名をもった「とにかくすごい人」だそうです。そのボッテジーニが作曲したコントラバス協奏曲第2番は、

そんなすごい人が書いたコントラバス協奏曲なので、それはまたすごい曲なのです。

ということだ。実際に聴いてみて、やはりすごい曲だった。これは客演の方ではなく、メンバーのおひとりがソロをされていた。
 グリークはとてもさわやかなプレリュードで始まる曲だった。ヴィオラのソロをされていた方が超絶技巧だったので、おもわず見入ってしまった。

 定員500人ほどの小さなホールだが、席はかなりの程度埋まっている。きっと私のように、いちど聴いたら忘れられず、何度も聴きに来ておられる方も多いのだろう。こういうステージで、これだけお客さんのいるところで弾けたら本当に楽しいだろうなと思う。その楽しいという気持ちが伝わってきて、本当にいい演奏だった。

2014年9月7日日曜日

導音は高め、下属音は低め

 「冬のラルゴ」は18小節だけの短い曲。有名な「ヴィヴァルディの四季」のうちの「冬」の第2楽章だ。発表会後の初めてのレッスンで、先生が、「もう、次の発表会を目指して練習しますか」と仰るので、これを見てもらうようにお願いした。
 短い曲なので、一応は弾ける。練習しなくても弾けるということではなくて、最初のレッスンで見てもらえるように練習してきたので、一応は弾けるようになった。通して聴いていただいたところで、先生から第1問。

《問題》
この曲はAntonioVivaldiの曲ですが、Vivaldiはバロック音楽の作曲家ですか、古典派ですか、あるいはロマン派ですか?

 AntonioVivaldiは、17~18世紀にヴェネツィアを中心に活躍した作曲家で、多くの協奏曲を残している。そのころから楽譜を印刷して出版するというのがビジネスとして成り立つようになったようで、彼の書いた曲も多くが「協奏曲集」として出版されている。
 1725年に発表された「和声とインベンションの試み」(私は小学校でこう教えられたのだが、最近は「和声と創意の試み」と訳されているようだ)は、12曲からなるヴァイオリン協奏曲で、1番から4番までにそれぞれ「春」「夏」「秋」「冬」の表題がついているので、これらを合わせて「ヴィヴァルディの四季」と呼んでいる。他にも「海の嵐」だとか「喜び」だとか「狩り」だとかいう表題が付いている曲あるのだが、あまり有名ではない。聴いてみたいとは思うのだが、いままでその機会はなかった。
 コンサートなどでは、1番から4番を「四季」として弾いたり、4番だけを「ヴィヴァルディの四季より『冬』」などとして弾いたりする場合が多い。だけど、例えばトークを交えて小品ばかりを演奏するようなステージなら、この第2楽章だけを引っ張り出してもなかなか様になるような気がする。

 これぐらいの薀蓄(うんちく)なら言えるので、こんな問題は「いただき問題」だ。

《解答》バロック音楽

はい正「解!
バロックや古典派の場合は、トリルは上から取りましょう。

 そういえば前に聞いたことがある ← だっただそうしろよ!
 楽譜には

 シーシラソファミレドシドtrーーーーーーーシシー ン

となっているところを、つい、

 シーシラソファミレドシドレドレドレドレドーシシー ン

と弾いてしまいがちなのだが、そこを

 シーシラソファミレドシレードレドレドレドーシシー ン

と弾かないといけない。
 うむ。薀蓄では追いつかなかった。

《問題》
フラット3つのこの曲は何調ですか?

 これも大丈夫。合唱などで移動音階読みするときに、最後のフラットのところを「ファ」にして読む。ちなみにフラットは移動音階読みするときの「シ」の音に順番に付けていくので、絶対音階でいうと、シ→ミ→ラ→レ→ソ→ド→ファ の順番に付く。フラット3つなので、最後にフラットがついているのは「ラ」。ラをファと読み替えると、ドはミに移動する。ミは音名でいうと「ホ」なので「ホ長調」と言いたいところだけれど、そこは既にフラットがついているので・・・

《解答》変ホ長調

はい、これも正解!

じゃ、次の問題です。

《問題》
変ホ長調でレの音は「導音」ですが、これは高めに弾くのですか。それとも低めですか?

こうなると、もはや薀蓄は何もない。

《解答》ん~と、え~と・・・ ひ・く・め

惜しい!
いや先生、高いか低いかしか答えないんだから、惜しいも何もないですよ。

 導音というのは主音を導いてくる音。主音の半音下の音だ。この音が鳴ると、「もうすぐ主音が来るんだなぁ」という予感がする音なので、「導音」というそうだ。だから、主音に近い音程、つまり高めに弾くほうが座りがいい。安心して聴いていられる、ということらしい。

 サードポジションでは、A線の1指と2指が導音、主音になるのだが、久しぶりにヴィオラをヴァイオリンい持ち替えると、サードポジションの指の間隔は結構狭い。これをさらにに狭くか~。

 そして、4番目の音は下属音というそうだ。
 属音というのは聞いたことがある。主音と周波数でいうとちょうど1.5倍の音程。ハ長調ならソ、変ホ長調なら♭シだ。これは主音との関係でいうといちばんハモらさなければいけない音なのだが、ヴァイオリンの場合は主音を引いた指をそのまま真横に移してフィンガリングすればよさそうだ。
 下属音というのはその下の音で、ハ長調ならファ、変ロ長調なら♭ラの音なんだが、これを低めに取るようにとのこと。

 こいつはファーストポジションのE線の3指に現れるのだが、これが、今更ながらのなかなか曲者。1指が♭、1指と2指間が全音、2指と3指間が半音という指の形は、変ロ長調で初めて出てきた形だ。どうもうまく3指がフラットになってくれない。低めどころか、普通のラ♭よりもラ♮に近い音になっている。

 最初のレッスンからずいぶん濃い内容だった。ヴァイオリンを弾こうなんて方は普通、こういう理屈は苦手とされる方が多いようだが、私の場合はこういうのが結構好きなので楽しいレッスンだった。ただ、理屈が好きなのと上手く弾けるのはまったく別で、どうも理屈っぽいのが上達しない原因のようにも思えているのだが・・・。

2014年9月6日土曜日

2年後の発表会に向けて始動

 発表会後、初のレッスンがあった。

 スタジオに着くと、先生と奥さん、御主人がおられる。先日の発表会のお礼を言うと、私のステージが「一皮剥けた」感じで楽しげだった、との講評をいただいた。素直にこれはうれしい。このスタジオの発表会ならではの雰囲気をいつも楽しみにしているのだが、何回か出ているうちに、自分もその雰囲気を作る側に回ってきたのかもしれない。

 ステージで演奏している人を見ていると、まるで自分を鏡に映しているようにさえ思える。演奏にはそれぞれの人柄が出てくるのだが、みていて「あ、いいな」と思っているときは「自分もこうありたい」と思っているとき。「わ、すごいな」と思っているときは「自分にはとてもできない」と思っているとき。楽器こそ違うけれど、そこで弾いている人を見ながら自分がその時にステージに上がっている間接体験をしているようにさえ思える。

これで音階練習するのさ
ヴィヴァルディ四季 冬のラルゴ
スタジオの講師のお一人が仰るには、これだけいろんな楽器のレッスンを受けられる音楽教室はとても貴重だ、とのこと。大手のところならあるが、ほぼ個人経営の小さなスタジオで、これだけ本格的にいろんな楽器のレッスンが受けられて、発表会まであるというところは珍しいかもしれない。
 そんなことを考えながら、次はぜひ、他の楽器とのセッションをやってみたい、などと思っている。こういうのは、このスタジオの発表会ならではなのかもしれない。複数の先生のお世話になるので、スタジオにはお手数をおかけしてしまうのだが…

 そんな訳でまずはこれ。ヴィヴァルディ四季の冬のラルゴで使われる変ホ長調の音階練習。

えっ、そこから?

えぇ、そこからです。この曲の伴奏をマリンバの先生にお願いできないかなぁ、と考えているところ。ちゃんと弾けないとバヨ先生に申し訳ないので、まずは音階練習から。
 なんとも気の長い話なんだけど。




 そして、もうひとつはこれ。
メトロノームには合わせられません
お馴染みの情熱大陸
情熱大陸


  • 私みたいな、おっちゃん
  • 大人になってから始めた
  • 割と意地になる
  • 必死さがステージに出てしまう
  • 上手じゃないけど楽しそう

とかいう共通点があると勝手に私が思っている人、何人かに声かけて、セッションをやろうという目論見。

 発表会のあとの打ち上げで、けっこうこの話題で盛り上がっていたのだが、必ずしも「やろう」という賛意が示された訳ではない。やるとしても他の曲かもしれないのだが、果たしてどうなるか。

 

2014年9月2日火曜日

発表会レポート~終結部~

 ソロの発表が終わって問題のアンサンブルが近づいてくる。とはいっても、もうジタバタしても始まらないのと、アンサンブルメンバーのそれぞれのソロの発表があったりするので、出来るだけ他の方の演奏を聴くようにしていた。特に自分のソロの発表が終わって以降はずっと客席にいた。

 今回の発表会では、アンサンブルはふたつだけ。ひとつはヴォーカル、つまり合唱のアンサンブルと、もうひとつが私たちの弦楽アンサンブルだ。
 ソロの発表がすべて終わって楽屋に行くと、しばらくしてバヨ先生がお越しになり、そこで全員での駆け込み練習が始まる。そこでもバヨ先生は終始笑顔で、大丈夫、大丈夫、もっと出して、ほら、という調子。ステージではすでにヴォーカルアンサンブルの合唱が始まっていて、間もなく終わりかけ。

あ、もう行かなきゃ

と先生に促されて舞台袖に入る。

私はここで、

と先生は客席へ行ってしまわれた。うむ、多少不安なのだが、客席には先生もおられる、と自分に言い聞かせてステージに乗る。

 演奏が始まってみると結構緊張している。さっきのソロ以上だ。
 ラピュタはヴィオラのソロから始まるのだが、そこはまずまず。練習で出せるレベルの中でも「上の中」ぐらいの出来だ。ま、ここが出来ればヴィオラの大事な役割は半分消化したようなもの。しかし、この後の中盤の再びヴィオラが主旋律になるところの直前で不覚にも音を失ってしまい、それを切っ掛けに右手が震えだす。弓ビブラートが掛かってしまった。
 パッヘルベルのカノンでは、自分がほぼソロになってしまう箇所で、走っているのが分かっていながら止められず、大過には至らなかったもののかなりまずい状況になってしまった。

 そんな訳で、アンサンブルについては反省することしきり。
 ただ、他の楽器をされておられる方からも、聴きに来てくれた家族からも、ラピュタはずいぶん褒められた。ファーストヴァイオリンが安定していて、崩れてもそこそこ立ち直れることと、選曲でかなりポイントを上げていたのかもしれないが、ヴィオラも含めて全部のパートにそれぞれ聞かせどころがある曲だけに、褒められるのは結構嬉しい。

 打ち上げにはいろんな楽器の生徒さんがおられて、ほとんどの方は2年に一度の発表会以外にお会いする機会がない方ばかり。それでも中には何度か発表会でお会いして、前回はこんな曲を弾かれていたなぁ、なんてことを覚えている方もおられる。
 大人になってから楽器を習うという機会はあまりあるものではないので、こうしてお話しが出来るというのも、本当にいろんな偶然が重なっての出会いではないかと思う。お互いこれからもそれぞれの楽器を続けて、また2年後もこうしてお話しが出来ればと思う。

(完)

2014年9月1日月曜日

発表会レポート~再現部~

 そんなこんながあって迎えた本番。
 直前に舞台袖で待機していると、バヨ先生が調弦に来てくださった。
 ご出産で退職されるというときは、まだ、この曲が通して弾けるかどうか分からないような状態だったが、先生が発表会に来てくださるならぜひこの曲を弾きたい、などということをお願いして、そのときはもしかすると少し困られたかもしれないが、今日はこうして聴きに来てくださって、しかも調弦までしてくださる。もちろん調弦してもらうことよりも、舞台袖にまで来てくださることの方が嬉しい。年甲斐もなく、

弾きますよ、先生。
聴いていてくださいね。

なんて気持ちになってくる。

 そうはいっても、やはりステージでスポットライトを浴びるとそれなりに緊張もする。本当なら、ここは麦穂だ、ここは波だ、などといったことをイメージしながら、「先生、聴いていただいていますか、これからもヴァイオリン続けますよ」、というメッセージを送り続けるべきところを、「ここはもっと弓を大きく使わなきゃ」とか「ここは胸を張って堂々と弾かなきゃ」とかいう技術的なのか何なのかよく分からないことばっかり考えていたので、考えていることとは裏腹に弓は小さくなるし背中も丸くなってくる。どこかやっぱり「上手に弾かなきゃ」という思いが先走ってしまっている。つくづく、まだまだ人徳が足りないなぁ、と思う。

 妻に言わせると、緊張しているのが伝わってきた演奏だったらしい。
 リハーサルのときに、ちょっと音程を外して「どうしよう」と思っていたところがしっかり録音されていたように、わずかな緊張もやはりそのまま音に出てしまって、それがホール全体で増幅されるのだろう。だからこそ、そこはもっと、「こう聴いてほしい」ということを意識しておけばよかったのだが、なかなかそういうところにまで行けないのが小市民の限界ともいえる。

 とはいうものの、これまでの発表会に比べれば上出来。最後の最後を除けば大過なく演奏が出来た。それが最後のところになって左手小指がかなり疲弊してきて、サードポジションンの薬指と小指で弾く最後のフレーズがかなり怪しくなってくる。ここはさっきまでの練習でも怪しくて、本番前の駆け込みで何度も練習していたのだが、その練習が却って仇になってしまい、本番で小指でのフィンガリングが出来なくなってしまった。
 最後の

ジャラーーーーーン

と弾かなければいけない3重音が

フンニャー

と情けない感じで終わってしまう。いちおう弓を高く掲げて「いま演奏が終わりました」というアピールをするのだが、会場は「えっ、ここ拍手していいの?」っという雰囲気。お辞儀して初めて拍手がもらえた。

 ま、しかし、練習で出来たり出来なかったりというところは本番では必ず出来ない、ということは分かっていたし、あそこのところは「出来ればラッキー」ぐらいのできあがりだったので、もう悔いなし。
 聴いている人に、「これからもヴァイオリンを続けます」という思いが伝わったかどうかは分からないが、自分では、演奏が終わって、「これからもヴァイオリンを続けよう」という思いが強くなった。少なくとも、「最後失敗した。もう発表会は嫌だ」という思いになる演奏ではなかった。


(つづく)