2018年8月13日月曜日

録音してみる

 発表会が近づいてきた。
 ひとつ前の記事に書いた通り、これまでお世話になってきた先生は退職され、新しい先生に交代になることになっている。その先生の最初のレッスンが発表会の前日。その前に、ピアノの先生との合わせがあるのだが、そのピアノの先生も、昨年までは娘たちがレッスンを受けていた先生だったりしたのだが、今年は違う先生に交代になっているので、ピアノ合わせで「初めまして」ということになる。そういう時にヴァイオリンの先生がいてくださると心強いのだけれど、その先生はご退職。

うむ。ちょっと気が重いぞ。

 一足早く本番を迎えるような気分だ。
 それで、自分がどれぐらい仕上がっているのか、録音して確かめることにした。う~ドキドキ。「さあ、いまから録音するぞ」というだけでてんぱってしまっている。これで本番は大丈夫なのか?
 ともあれ、録音してみたのだが、耳のすぐ近くで楽器が鳴っているのと、録音して聴いてみるのではこんなに音が違うのかと愕然。たぶん、発表会ではこの録音した音に近い音になるのだろうと思うと、聴いている人に申し訳ない。演奏時間は5分ほどになるのだが、その間、長々と練習に付き合わしているみたいだ。

 先月は、いつもお世話になっているスタジオの「こどもの発表会」と、数ヶ月に1度の割合でアンサンブルレッスンを受けてきたスタジオの発表会があった。いつも思うことなのだが、発表会というのは、それぞれその人の人柄が見えて興味深い。いつかこのブログにも書いたが、小さい子供が小さいなりに、易しい曲でもその曲なりに、「聴かせてやろう」というアグレッシブな演奏をしてくるのには驚く。その点、大人の方は「間違えないように」などといったことを考えて、演奏が小さくまとまりがちだったりする。その辺をどのように考えて舞台に立っているかは、最初の音を聴けばわかってしまう。この分だと、私の未熟な人格を晒してしまうことになる。

よく先生が
最初がダメなら全てダメ
と仰っておられたことがよくわかる。そりゃ無理もない。ステージに立ってライトを浴びれば、誰だって少なからず緊張する。「いつもどおり」「いつもどおり」と呪文のように唱えて弾き始めれば、そんなアグレッシブな演奏もできない。どうすればこの呪縛から解かれるのか。結局は発表会のたびにぶち当たって永遠に乗り越えることができない壁が目の前に立ちはだかることになる。

 いつものスタジオの子供の発表会を見ていると、ヴァイオリンの生徒たちは、どことなく先生の思いを背負ってステージに立っているような雰囲気がある。子供たち自身は、「先生に、最後はいいとこ見てもらおう」なんてことは考えていないと思うのだが、先生に「グッ」と背中を押されるような感じで、「大丈夫」という確信をもってステージに立っている。だから、あんなに自信をもってアグレッシブな演奏ができるのだろう。

 アンサンブルの発表会は、そこのスタジオの生徒のソロの発表があって、最後にアンサンブルクラスの発表なのだが、演奏の前に生徒自身が曲の紹介をしたり、なぜその曲を選んだのかだとか、どういうきっかけで、あるいはどういう思いでヴァイオリンをしているのかといったことを話してから演奏が始まる。演奏だけでなく、このMCからも人柄が見えてくる。

 とにかく、ステージに立てば、少なからず自分の人格を晒すことになるのだ。
 つまり、録音を聴いて改めるべきは技法ではなく、心掛けということか。

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