2020年4月17日金曜日

とうとうコロナ禍に

 こういう「緊急事態」になると、大切なものとそのほかのどうでもいいものの峻別が始まる。ふだんは偉そうに「職業に貴賎はない」なっていっている口から、「こういう仕事は頑張ってください」「こういう仕事は自粛してください」などといった区別が出てくる。歌舞音曲なんてのは真っ先に「どうでもいい」方に区別されてしまう。それでも、うちの先生もスタジオも随分頑張っていたとおもうのだが、ついに力尽きたようだ。
レッスンの無期限中止
いろいろと言いたいことはある。
だけど、いまは言っても唇が寒い。

 私の仕事も「どうでもいい」方に区別されて、先週から「自宅勤務」。
 経費の支払いとか、そういうのは、もし止めてしまうと困る人も出てくるから「必要な仕事」に区別されたのだけれど、それもなかなかすんなりとは理解してもらえなかった。感染症拡大防止という「社会的要請」に応えることがいま何よりも大切なんだそうだ。おカネ払うことだって「社会的要請」なんだけど、そんなことを言うと、この病気がいかに恐ろしいかとか、どれだけ深刻な状況になっているかとか、もしうちの会社で患者が出たらどうなるかとか、延々と説教された末に、支払いのための出勤は「許可する」ときた。普段は、個性だとか多様性だとかダイバーシティなんて言っているのに、まるで、国家総動員令でも出されたようだ。
 この異論を認めない雰囲気。
 むしろこんな雰囲気の中でよくぞいままでレッスンを続けてくださったと、そちらに感謝するべきところだろう。

 わるいことばかりではない。
 出勤の必要はないが、いちおう定時の間は勤務していなければならない。パソコンの前に座って、「どうでもよい」とレッテルを貼られた仕事を黙々と続ける。しかし、定時になれば「終わりました」とメールを打って、あとは電車に乗ることもなく、すぐに自分の時間になる。通勤に費やしてきた往復3時間以上の時間が自分のために解放されたわけだ。あまり遅い時間になると近所迷惑でもあるのだが、夕方、毎日1時間だけでも練習ができる。いまはそういう時間に当てよう。もっと若かったら、この間に勉強をして…なんて思うのかもしれないが、歳も歳だ。それにいままでそうやって勉強して報われたこともない。子どもたちの学校を閉鎖して、勉強の機会を奪っておきながら、そのことにはあまり関心がなく、家にずっと子供どもいるから困る、なんて心配ばっかりしている世の中だ。勉強なんて、この際「どうでもいい」方に分類されているんだよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿