2016年8月11日木曜日

男子団体はメダルのその先を目指す


 発表会のプログラムができた。私は後ろから3番目。ラストは予定通りマリンバの男子生徒で、その間にクラリネットの男子生徒が入る。後ろの方がおっさんばっかりだ。そしてマリンバの演奏が終わったところで、事情を知った人たちがアンコールを掛け、そこにおっさん3人が現れて「情熱大陸」という段取りになっている。オリンピックの体操とは反対に、先に個人があって後に団体戦。卓球とか水泳と同じか。
アンコールとはいえ、人前で弾くのでレッスンもしていただいている。3人の先生に見てもらうわけにはいかないので、スタジオで一番長く講師をされているマリンバの先生に見ていだたくことになった。
 このブログの読者の中には、ヴァイオリンやその他の楽器を弾く方も多いと思うが、マリンバを弾く方はたぶんおられないだろう。私がいつも通うスタジオにはマリンバの先生もおられて、生徒さんも何人かおられる。いつもスタジオにはマリンバが置かれているのだが、マレットがないので、普段はこっそり音を出してみたりはできない。こうやって間近で音を出してもらって聴く機会はあまりないのだが、これはなかなかいい楽器だ。打楽器なのでリズムがはっきりしているし、音量も大きい。ピアノほどではないにしても、ヴィオラやクラリネットと一緒に並ぶと存在感が一段と大きく思える。

 今回のアレンジは、主旋律の多くをクラリネットに任せて、ピアノ伴奏を参考に、右手と左手をヴィオラとマリンバで分担するようなものになっているのだが、ヴィオラは「ズータラ ズータラ」というベースを弾いて、「ズンタッタ ズンタラッタ ズンタッタ ズンタラッタ」とかいう複雑なリズムはマリンバに任せた。このアレンジは結構成功している。そして、最後にはマリンバのカデンツァがあって、そこからCODAの激しいリズムに流れ込む。伴奏でありながら主旋律以上に存在感のあるパートなのだが、これには先生から

待った

が掛かったらしい。「弾けるものなら私も弾いてみたい」とのことだが、ストレートに言えば「無理です」ということのようだ。それでこの前のアンサンブルレッスンの時に、マリンバがいきなり第二主題の「チャーラーラーラァァァァァチャララ」という旋律を弾きだして、あらどうしよう、となってしまった。仕方なく、マリンバの旋律をヴィオラ用にアレンジしたのが上の写真。だいぶ簡単にした。ポイントは開放弦を多く使うこと。ニ短調だから「レ」とか「ラ」とかだけ弾いているだけでも結構、様になる。問題はリズムだ。まずはMIDI音源に合わせて歌ってみたりするのだが、それで譜読みできたつもりになっていても、いざ弾いてみると弾けない。手拍子をしながら歌ってみると、もう歌えない。やはり聞き覚えと譜読みは違う。
 そんなわけで、とにかく歌えないと始まらないと、手拍子やら足踏みやらをしながら歌う練習(これなら家でもできる)。次はメトロノームに合わせて歌う練習と、いろいろ試して、なんとか誤魔化せるようにはなった。
 この曲のリズムは主旋律のところでも結構難しい。しかし、自分が主旋律のところより、他人が主旋律のところの方が燃えるのはヴィオラ魂か、主旋律よりこっちの方が先に仕上がってきた。

 そして2度目のアンサンブルレッスン。マリンバは主旋律とあって、オクターヴでトレモロをしてくる。すごい迫力だ。それに負けないようにリズムを取っていく。先述の通り、伴奏でありながら主旋律以上に存在感を出さないといけないパートだ。このリズムがないと素扱けたCODAになってしまう。
 と、まあ、ここばっかり練習したので、そこはそこそこに弾けたのだが、他の場所では

 そこ、音程しっかりあわせましょうか

などというご指導も入る。
むむ。
マリンバとクラリネットは音程を外すことはできないはず。ということは、これは自動的にヴィオラへの指導ということになる。 若干遠回しだけれど、ほとんどストレートに近いご指導。先生が変わっても演奏がうまくなるわけではないので、言われることは同じだ。

 レッスンが終わった後、1時間ほど自主練習。そして1時間ほど反省会。
 テレビではリオオリンピック男子柔道73㎏級の競技が放送されている。日本人選手が金メダルを取ってインタビューを受けていた。

日本の美しい柔道を見てほしい

いいことを言うと思った。水泳やカヌーは銅メダルでもガッツポーズをしたり、嬉し泣きに号泣したりしているのだが、柔道の選手はどうも金メダルでないといけないみたいで、そこらへんが「意識の高さ」というより、見方によっては傲慢に感じたりしていたのだが、このインタビューで、そういうことなのかと納得した。激しい試合になれば着衣も乱れる。乱れっぱなしの選手も多い中で、日本人選手は、試合中でもその乱れを直し、常に(文字通り)襟を正して試合に臨んでいる。そうすることが正しい柔道なのだということを世界に認めさせるには金メダルしかないのだろう。

 体操の内村航平選手にも同じようなことを感じた。こちらは相手と対戦する競技ではないから、敵は外国人選手というよりも、油断だとか慢心だとか緊張だとか、自分の中にあるもの。そこにいる外国人選手は、自分と一緒にそうした己が内にあるものと戦っている味方ともいえる。演技が終わるごとにフロアの脇で外国人選手やコーチともタッチを交わして、金メダルが確定したときは、最後まで競り合ったウクライナの選手と肩を組み、互いの健闘を称えあっていた。

 少し前になるが、シドニーオリンピック女子マラソンで金メダルを取った高橋尚子選手は、前日のインタビューで、「見終わった後で自分も走ってみたいな、と思ってもらえるような走りをします」といったことを言っていた。

 共通して言えるのは、金メダルを取る人は、金メダルのその先を見ているということだ。ゴールのその先といってもいい。金メダルは、それを目的にスポーツをしている人にではなく、そのゴールの先を目指すアスリートだけに与えらるものなのだろう。

 これをみながら、わが男子団体アンサンブルは、上手な演奏を目指すのではなく、その先のゴール、つまり楽しい演奏、大人になってから楽器を始め、それを続けていくことの面白さ、音楽とともにある生活の豊かさ、その素晴らしさを与えてくれるスタジオへの感謝の気持ちを感じ取れるような演奏をしよう、と誓いを新たにしたのであった。







それにしても、まずは完走だな。

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