昨年の今頃はヴァイオリンでドッペルをやっていた。
もう少し詳しく言うと、その前の年の秋に先生が交代になって、その交代の前に発表会が終わっていたので、とりあえず練習曲がなくなっていて、それで「情熱大陸」とかいろいろ考えていたんだけど、新しい先生に何を見てもらおうかと考えた時に「情熱大陸」じゃぁなぁ、と客観的な根拠の乏しい思い込みからドッペルを見てもらうことにしたのだけれど、あまりの弾けない加減に呆れられて、クロイツェルをやるようにご指導があり、もっぱらそればっかりやっていて、いつかドッペルをやりたいなぁと思っていた(言うのが遅くなりましたが、ここまでは読み飛ばしていいところです)。
ドッペルをやっていいよと、解禁になったのは2月ぐらいで、その後、ドッペルの第2ヴァイオリンを見ていただいていたのだけれど、5月か6月ぐらいにアンサンブルに飛び込んで、そこでブランデンブルクだのテレマンだの、結構、大きい曲を無理して弾くことになったので、いったんドッペルは終わってしまった。
そして再びドッペル。
今度はヴィオラパートだ。
すっかりおなじみの曲(けっして弾けるわけではないが)なのだが、ヴィオラパートだけを繁々と聴くことはない。とりあえず第1楽章の最後まで、ハ音譜にフリガナを振る。それで、リズムとかテンポとかを無視して最後まで弾いてみる。
いちおうこれを譜読みと呼んでおこう。
なんか聞き慣れないメロディラインだし、どこでどんな展開になるのか、先が読みにくい。すごく唐突に新しいパターンのメロディがでてくる。それに#とか♭とか♮とかがやたらに多い。先月までニ長調だったのがニ短調になって、ただでさえ押さえる場所を間違えやすいのに…。
だけど、これはきっと他のパートと交わるとものすごくいいに違いない。
他のパートとあわせるには、ちゃっとテンポ通りに弾けないといけない。だれもヴィオラのテンポにあわせては弾いてくれないので、他のパートに合わせられなくても、せめてメトロノームにあわせて弾くぐらいのことはできないといけない。
んで、合わせて見る。
まずはゆっくり。
導入部の20小節ほどだけでも。
「まずは」とは言え、何とも低い目標設定だ。
せめてそれぐらいは
さらっと出来てしまえよ。
といいたいところだが、これがなかなかできないものだ。それでも、これ、きっと一緒に弾けば「ををを…」となるに違いない。上手く弾けば。
当面、メトロノームに合わせることと、ヴァイオリンのパートを聴きながらヴィオラパートを歌うことを練習中。どっちも怪しい。
はたして、本番には間に合うのか・・・・。
こいつ、ちょっと速いな…
2016年1月11日月曜日
2016年1月1日金曜日
今年の目標
あけましておめでとうございます
今年もあまり面白い記事はないとおもいますが、お暇つぶしに読んでやってください
毎年この時期には同じことを「今年の目標」などといって掲げているのだが、今年もやっぱり同じことを掲げる。
年末までヴァイオリンを続けていること
書いてしまえば何でもないことだが、これがどれだけ難しいことか、そしてどれだけ有難いことか、読者諸兄にはご賢察いただけると思う。この歳になってヴァイオリンを弾いていても、誰に褒められるわけでもない。猛烈な逆風にも豪雨にも負けない強靭な精神力がなければ、続けていくことは難しい。数年前には現に一度は中断している。再開できたのは、スタジオの奥さんの協力や先生の励ましのおかげだ。今年はそのスタジオの発表会もある。いつも娘さんにピアノ伴奏をさせてクラリネットを吹かれる方がおられるのだが、そういう「楽器を吹くお父さん」が普通に家族の中にいる風景が羨ましい。別に応援してくれとか伴奏してくれとかは言わないから、せめて放っておいてほしいものだ。
昨年1年間の中で、アンサンブルのステージに載れたことはとにかく良かった。最初はまったく弾けなかったのが、とにかく大勢の方に励ましてもらって、本番を迎えることができた。こんな場があることは凄いことだと思う。諸般の事情でいったん退団しているが、いつかまたという気持ちはどこかにある。
今月は久しぶりのバヨ会もある。ヴァイオリンをやっていなければ出会うこともなかったひととこうして会えるのは、本当に嬉しい。特に今回は私の都合に合わせて開催してくださることになったので、練習にも精が出る(はず)。
仕事も忙しいし、通信で通う大学の授業も結構ハードだ。娘たちは受験生だし、妻は何かと気難しい。そんな中でもヴァイオリンだけは手放さずに続けていたい。そして、今年も一生懸命に生きていこう。
そんなわけで、今年もとにかく面白くない記事ばかりですが、たまに読んで励ましてやってください。よろしくお願いいたします。
今年もあまり面白い記事はないとおもいますが、お暇つぶしに読んでやってください
毎年この時期には同じことを「今年の目標」などといって掲げているのだが、今年もやっぱり同じことを掲げる。
年末までヴァイオリンを続けていること
書いてしまえば何でもないことだが、これがどれだけ難しいことか、そしてどれだけ有難いことか、読者諸兄にはご賢察いただけると思う。この歳になってヴァイオリンを弾いていても、誰に褒められるわけでもない。猛烈な逆風にも豪雨にも負けない強靭な精神力がなければ、続けていくことは難しい。数年前には現に一度は中断している。再開できたのは、スタジオの奥さんの協力や先生の励ましのおかげだ。今年はそのスタジオの発表会もある。いつも娘さんにピアノ伴奏をさせてクラリネットを吹かれる方がおられるのだが、そういう「楽器を吹くお父さん」が普通に家族の中にいる風景が羨ましい。別に応援してくれとか伴奏してくれとかは言わないから、せめて放っておいてほしいものだ。
昨年1年間の中で、アンサンブルのステージに載れたことはとにかく良かった。最初はまったく弾けなかったのが、とにかく大勢の方に励ましてもらって、本番を迎えることができた。こんな場があることは凄いことだと思う。諸般の事情でいったん退団しているが、いつかまたという気持ちはどこかにある。
今月は久しぶりのバヨ会もある。ヴァイオリンをやっていなければ出会うこともなかったひととこうして会えるのは、本当に嬉しい。特に今回は私の都合に合わせて開催してくださることになったので、練習にも精が出る(はず)。
仕事も忙しいし、通信で通う大学の授業も結構ハードだ。娘たちは受験生だし、妻は何かと気難しい。そんな中でもヴァイオリンだけは手放さずに続けていたい。そして、今年も一生懸命に生きていこう。
そんなわけで、今年もとにかく面白くない記事ばかりですが、たまに読んで励ましてやってください。よろしくお願いいたします。
2015年12月23日水曜日
楽譜への固執
そんな訳で、自分の中では来年の発表会の曲が決まった。第一楽章の前半ぐらいは、
たぶん、この人はこんな曲を弾きたいんだろうな
ということがわかる程度には弾けるようになった。聴く人の豊かな想像力と音楽への造詣、前向きな考え方と、共に音楽を愛する人に対する慈しみがあれば、きっと素晴らしい演奏だと思っていただけるに違いない。
レッスンでもまあまあ弾けた。
今回は、呆れられたりはしなかった。
だけど、リズムに関しては相変わらず厳しい。まず、付点音符が三連符になっているという指摘。これは難しい。電子メトロノームには付点音符と三連符のビートを取ってくれるモードがあって、三連符はピッポピッポピッポ、付点音符はピッッポピッッポピッッポと鳴るのだけれど、これ、全然区別つかない。
これまで付点音符といえば、タッカタッカ、とリズムを取っていたのだが、それではダメで、いちばん小さい音符を基準に細かく区切って、タァァカ タァァカ、というように弾きなさい、とのこと。
んじゃ先生、ここはどうするんですか?
それは
タァァァアァァァ タァァカタァタァ タァァァアァァァアァァァアァァァ アァァァアァカァ タァァカタァァァ タァァァアァァァアァァァタァタァ (以下省略)
ですよ。
あ、だめだこれは。
聴き覚えではダメだし、でも譜も読めないし。先生が仰るには
聴いている人がこの通り譜が書けるように弾かないとダメです。
とのこと。ここがプロとアマの決定的な違いのひとつかもしれない。アマは(というか自分を基準にすれば)、演奏を聞いて譜を取ることなんてない。いい曲だなぁ、と思ったら、まず誰かが書いた楽譜を探すし、自分で譜を起こそうなどとは滅多に考えない。
でも、これ、葉加瀬太郎もこうして楽譜を起こして弾いているのだろうか。ジャズなんかはどうなんだろう。ちょっと旧いけど宇多田ひかるとかは、自分で作曲するときに楽譜を書いていたのだろうか。誰かの歌を聴いて譜を起こしたりするのだろうか。
まぁするんだろうな。
それ以外に、思いついたアイデアを固定して、誰かと共有する手段てないもんな。いやもちろん弾いてみるとか、録音するとか、いろいろあるだろけど、いちおうこれが共通言語だもんね
たぶん、この人はこんな曲を弾きたいんだろうな
ということがわかる程度には弾けるようになった。聴く人の豊かな想像力と音楽への造詣、前向きな考え方と、共に音楽を愛する人に対する慈しみがあれば、きっと素晴らしい演奏だと思っていただけるに違いない。
レッスンでもまあまあ弾けた。
今回は、呆れられたりはしなかった。
だけど、リズムに関しては相変わらず厳しい。まず、付点音符が三連符になっているという指摘。これは難しい。電子メトロノームには付点音符と三連符のビートを取ってくれるモードがあって、三連符はピッポピッポピッポ、付点音符はピッッポピッッポピッッポと鳴るのだけれど、これ、全然区別つかない。
これまで付点音符といえば、タッカタッカ、とリズムを取っていたのだが、それではダメで、いちばん小さい音符を基準に細かく区切って、タァァカ タァァカ、というように弾きなさい、とのこと。
んじゃ先生、ここはどうするんですか?
それは
タァァァアァァァ タァァカタァタァ タァァァアァァァアァァァアァァァ アァァァアァカァ タァァカタァァァ タァァァアァァァアァァァタァタァ (以下省略)
ですよ。
あ、だめだこれは。
聴き覚えではダメだし、でも譜も読めないし。先生が仰るには
聴いている人がこの通り譜が書けるように弾かないとダメです。
とのこと。ここがプロとアマの決定的な違いのひとつかもしれない。アマは(というか自分を基準にすれば)、演奏を聞いて譜を取ることなんてない。いい曲だなぁ、と思ったら、まず誰かが書いた楽譜を探すし、自分で譜を起こそうなどとは滅多に考えない。
でも、これ、葉加瀬太郎もこうして楽譜を起こして弾いているのだろうか。ジャズなんかはどうなんだろう。ちょっと旧いけど宇多田ひかるとかは、自分で作曲するときに楽譜を書いていたのだろうか。誰かの歌を聴いて譜を起こしたりするのだろうか。
まぁするんだろうな。
それ以外に、思いついたアイデアを固定して、誰かと共有する手段てないもんな。いやもちろん弾いてみるとか、録音するとか、いろいろあるだろけど、いちおうこれが共通言語だもんね
2015年12月3日木曜日
Handel Violin Sonata no.4
何気にYoutubeを見ていて素敵な動画を見つけた。
第1楽章ならゆっくりだし、発表会晴れしそうな気がする。ネットで無料楽譜を探したら、あるある。便利な世の中になったものだ。まずはその楽譜にイタリア語のフリガナ(ドレミのことね)を振って、1オクターブ下をビオラで弾いてみる。
なんじゃこりゃ。
意外と弾きにくいものだ。ゆっくりだけど32分音符がところどころに置かれていたり、この前のテレマン以来の鬼門になっている付点音符がてんこ盛りだったり。自分で弾いていて何弾いているか訳が分かんなくなってくる。音源を何度も繰り返し聞いて、なんとかリズムを覚えようとするのだが、なかなか覚えられない。
そうこうしているうちにレッスンの日が近づいてくる。
しょうがねぇ。第1楽章の前半だけでも聴いてもらうか、と思って弾いてみるのだが、先生、ちょっと呆れ顔。もうちょっと練習してからレッスン来いよ、と顔に書いてあるのだが、
まだ、大丈夫ですよ。
時間ありますから。
と慰めの常套句。
先生が仰るには、聴き覚えじゃなくて、ちゃんと楽譜見て、楽譜通りに弾けるようにしましょう、とのこと。こういう曲は楽譜が全て。その辺はシャンソンだとかアナ雪とは違う。楽譜に書かれたものを音に出して、その音だけで聴衆に訴求する。リズムも感覚とかじゃなくて、手を叩きながらまず歌ってみて、取りにくいところは細かく区切りながら正確にとる。付点音符も「タッカタッカ」じゃなくて「タアアカタアアカ」と刻んでリズムを取る。
うむ。
仰ることは分かるのだが、これだけリズムが複雑だとそれも面倒な感じ。
ま、しかし、メトロノームで八分音符を刻みながら練習してみると、上手くリズムが取れないところは何箇所かに絞られてくる。
それと並行して、ヴィオラ譜の採譜。ト音記号を見ながらそのオクターブ下を弾くとなると、音符が線の上にある時と線の間にある時の指の動きが反対になってしまう。線の間にある時は開放弦か、2指、ときどき4指という法則性があるのだが、線の上にある時が開放弦になったりする。やはり、ちゃんとオクターブ下げてハ音譜で採譜しなければ。
採譜したらいっかい再生してみる。これも便利な世の中だ。
そんなことで、まだ前半だけだけれど(それも第1楽章の前半ね)、
何となくやけど
どんな曲を弾きたいかはわかるわぁ
と、言ってもらえるレベルを目指して練習する。あとは心の耳で聴いてください。聴く人の人格と教養によって如何様にも素晴らしい演奏になることでしょう。
2015年11月29日日曜日
シャンソン
10月のアンサンブルの本番までは、レッスンでもアンサンブルの曲を見ていただいていた。本番が終わったのでネタを変えなければいけないのだが、ヴィオラというだけでピンとくる曲が限られてくる。チェロの曲をオクターブ上げるか、ヴァイオリンの曲をオクターブ下げるか・・・・
うちのスタジオの発表会は2年に1回で、前回は昨年8月。その時はバッハの無伴奏チェロ組曲1番のプレリュードをオクターブ上げて弾いた。もちろん無伴奏。ステージの上は私だけ。いままでは先生にデュオをお願いしたり、ピアノで伴奏をお願いしたり、もっとも豪華だったのは弦楽四重奏にしていただいたり。とにかく先生方にお世話になりっぱなしの発表会で、それはそれでいい思いをしてきたのだが、こうして無伴奏で、たった一人弾くというのもなかなか捨てがたい魅力だった。
それで今回も無伴奏で何か弾けないかと思案した。
頭の中に思い浮かんだのは、まだ高校生だった頃にラジオで放送されたピエール・ポルトの演奏だった。当時はリチャード・クレイダーマンだの、フランク・ミルズだの、モール・モーリアだの、イージーリスニング全盛期。そんな中で来日したピエール・ポルトのライブが、1時間ほどに編集されてエフエムで放送された。わずかなお小遣いから奮発して「クロームテープ」というちょっと上等のカセットテープ(たしかTDKのSAというやつだった。ここに写真が。)でエアチェック(ラジオ放送を録音すること)した。そのセットリストに「枯れ葉/愛の讃歌」があった。
ラジオなので映像はないが、おそらくステージの中央にピエール・ポルトの弾くスタインウェイのピアノがあって、そこにピンスポットが当たり、拍手が鳴りやんだ一瞬の静寂の後に、木枯らしの吹くような旋律があって、シャンソンの名曲「枯れ葉」がピアノソロで奏でられる。まるでステージに美しいアルトを聴かせてくれる歌手が立っているかのようなピアノの旋律。「枯れ葉」のメロディで感情が窮まったところから「愛の讃歌」のサビの部分が始まる。そして再び「枯れ葉」。さっきよりも感情の起伏の大きさを思わせるアレンジ。再び感情が窮まったところで、ストリングスが華々しく「愛の讃歌」を奏でフィナーレを迎える。
これをヴィオラで弾きたい。
その時のカセットテープは場所を取って邪魔だという理由で捨てられてしまったが、記憶には鮮明に残っている。楽譜を買ってくれば、ちょっとした挑戦にはなるがなんとか音は取れるだろう。
そんなことを考えて楽譜を買ってきて、楽譜ソフトでヴィオラ譜を起こして見た。一部ではあるが、ソロで弾いてそれらしく聴こえる楽譜もできた。
だけど何か物足りない
思うに、こういう曲というのは楽譜では表し切れないメタメッセージが多いのだと思う。
例えば、1年ほど前なら、小さい子供たちの前でアナ雪を弾いてやれば、みんな興奮して歌いだしたり、手をくるくる回して出ても来ない氷の結晶が出ているのを想像して喜んだりしたものだろう。子どもたちを興奮させるそういったものは楽譜には書かれていない。音として聴こえるものではなく、聞えた音から記憶や経験が呼び出され、心の目や心の耳で視たり聴いたりして興奮しているのだ。
「枯れ葉/愛の讃歌」も、私にとってはいろいろなメタメッセージの詰まった曲だ。もし、いまそのカセットテープが残っていれば、音を再生して聴くまでもなく、レタリングに似せて書いたタイトルの文字を見ただけで、その頃の淡い思い出が蘇り、そこから自分がピエールポルトのようにピンスポットを浴びてステージでただ一人この曲を弾くところを想像したりして興奮する。しかし、聴いている人とは誰一人そのメタメッセージを共有していない。若い先生は「イージーリスニング」という言葉も御存じではなかった。
それに自分の思い入れは少々偏っている。たいていの人にとってはこの曲のイメージは越路吹雪だと思う。エディット・ピアフという人もいるかもしれない。それをテレビで見たとか生で見たとか、そういう思い入れがあってこその曲だと思う。ディナーショーを聴きに行って、最後の最後にこの曲を聴いたなどという人のこの曲に対する思い入れなどには、私は思いも至らない。
そんな訳で、この路線はボツ。
さて、何を弾こうかしら。
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