2020年6月6日土曜日

コロナと音大生

 緊急事態宣言が解除になって、学校も少しづつ始まった。教科書の2割は「授業外」で、なんてことも言われているが、子供が学校に通えるようになったことは明るいニュースだ。いま、この病気の特効薬やら検査薬やらワクチンやら、あるいは治療法やらを研究している人が世界中にいる。そういう人たちも以前は小学生だったわけで、運動会や遠足も経験していることだろうし、そこでうまくいったりいかなかったりしたことがその人の人格を作っていって、それがその人の「矜持」というか、いま自分はこれをしなければいけないといった使命感のようなものとか、それに対する誇りとか、そういうものを作り出していっているのだと思う。学校閉鎖によって教育を受ける機会が奪われることは、普段なら経験できることを経験できずに、普段なら得られる知見や能力を得られずに、子供たちが大人になるということなので、その分、将来の社会が劣化してしまう。将来、私たちの社会がどんな問題に直面するのか分からないが、いまの子供たちにはそれを乗り越える力を身に着けてもらわないといけない。それはただ単に知識や能力だけの問題ではなく、大人になっても勉強していこうという意欲であったり、自分がどうしなければいけないのかを自分で判断できる素養であったり、他人への思いやりや社会性であったりするのだが、そのうちの少なくない部分が学校という集団の中で友達を作ったり人と交わることによって育まれる。それが制約されることは大きな社会的損失だ。

 小学校や中学校とは対照的に、大学の授業は早々とオンライン化が進み、多くの大学で9月まではオンラインで授業するという方針になっているようだ。今年、大学に入学した若者の多くが、入学式もなく、サークルの勧誘もなく、新入生歓迎企画もなく、本当なら一生の友人になるかもしれない人と出会うこともなく、このまま数ヶ月を過ごすことになる。大学に入ったらオケに入ろうなんて思っていた人はどうしているのだろうか。

 自分には縁はないが、音大生なんかはどうしているのだろう。有名音大に入るには、それはもう幼少の頃からの努力が幾重にも積み重なっていることだろうと思うのだが、そういう人にとって音大に入学した最初の数ヶ月が奪われることはどういうことだろう。来年、音大に入ろうと思ってレッスンに励んでいる人にとっては、オンラインレッスンっていったいどんなものなんだろう。海外に留学する人も多いが、海外の著名な指導者もオンラインレッスンなんてしているのだろうか。海を越えて居ながらにレッスンを受けられるのは良いことなのだろうか。いやそんなことで音楽家としての素養は身に付くのだろうか。間近で感じる相手の存在感だとか、そのレッスンを受ける場所だとか、留学先の街の空気だとか、そういうもの全体がその人の音楽性を育むのではないのだろうか。私たちが音楽を聴いて感動するときに、もしかすると、その演奏者が経験したことを間接的に経験しているのではないか。そう思うと、いま演奏会が聞けない以上に、将来、本当なら聴けたはずのもっと深く感動できる音楽が聴けなくなってしまっているのではないか。なんてことを思ったりする。

 どうもいまの社会では、教育とか芸術とかが軽く扱われているように思う。コロナだから仕方がないのかもしれないけれど、コロナでもご飯は食べるしテレビは見るでしょ。電気や水道、医療や介護、物流と同じように、教育や芸術も社会インフラなんだと思うのだけれど。

0 件のコメント:

コメントを投稿