このところ、ブログの更新頻度がやや落ちてしまいましたが、けっして練習をしていない訳ではない。この間に、忘年会で腹を壊してしまって、早起きどころか会社に行くのが精一杯という日が数日あったり、今年のうちにこの仕事は終わらせようと思っていたら、他の人も同じようなことを思っていて、あとはよろしくとばかりに仕事がわんさかやってきて、残業続きで早起きできなかったり、いろいろ逆境はあったが、3日に1回ぐらいの割合では朝練をしている。3日に2日はサボっているのだが…
レッスンでクロイツェルを見ていただいているので、練習でもクロイツェルは欠かさない。といっても、練習時間が1回30分ほどなので、そのうちの10分とか15分なのだが、こういうのは日々の積み上げが大事。宿題の出し方も、1曲全部ではなく、4小節ずつ宿題になるので、そこばっかり練習して少しできるようになると面白い。難しい曲を通そうとして全然通らないのを何度もやっているより、ある意味、達成感もあるし、こういうのもわるくない。
そうはいっても、こういう基礎練習のレッスンは結構厳しい。
今日は、左手親指の力を如何に抜くかで、結局どうやったら力が抜けるのか有効な方法が見つからないまま、レッスンが終わってしまった。親指に限らず、力を抜こうとするとそこに力が入ってしまう。今日のところでいうと、左手親弓の力を抜こうとしているのに、右手の力が抜けて「ふにゃっ」とした音になったり、人差し指や中指などの方の力が抜けてポイントが甘くなったり、それで親指の力が抜けるかというとそうでもなくて、依然として力が入っているという、そういうことの繰り返しでずいぶん時間を取ってしまった。親指を反らしたれダメとか、左肘を内側に入れてとか、親指の付け根のあたりに卵ぐらいの空間を作ってとか、前から言われていることなのだが…
これも身体的制約なのだろうか
ま、何でもかんでも年齢の所為にしてしまっていては上達もするまい。ここは親指に気を付けながら練習を積み重ねていくしかない。
さて、大晦日を前にして改めてブログを読み返してみると、いろんなことのあった1年だった。ヴァイオリンのレッスン復活、先生のご退職とその後の交代、発表会、アマオケコンサート、久しぶりのバヨ会。ブログのネタにこと欠かない1年だった。
毎年、お正月になると、
今年も年末までヴァイオリンを続けよう
と思うのだが、今年は目標を達成できた。昨年、それが出来なかっただけに感慨深い。いろいろ逆境もあって、薄氷を踏む思いでの目標達成だけれど、また来年もこんなささやかな目標に向かって精進していこうと思う。
2014年12月16日火曜日
身体的制約
みなさん。
左手の人差し指から小指までの4本の指の先をどこかに置いてください。右の図のようにです。別にキーボードでなくてもいいですよ。
さ、そこから人差し指、中指、小指はそのままで、薬指だけを浮かせることは出来ますか。
おそらく「出来る」という方も多いと思う。我が家では、私以外の家族全員が出来る。ところが私だけはできないのだ。十歳にならない子供なら、もしかすると何かの訓練で将来できるようになるかもしれないが、四十路のおじさんとしては身体的な制約に他ならない。四十の手習いとは、つまりこういう制約の中で如何にそれらしく弾くか。言い換えると、本当は届かない指をどうやって届かせるかとか、届かないなら届かないなりにどんな曲を弾くかとか、そういうことの集合体だ。
さてさて、前回からクロイツェルが始まったのだが、先生の指示はとにかく細かい。ひとことでいえば
次の音を用意する
ということなのだが、これがたいへん。例えば・・・・
同じ弦で3→4→2と弾くとき、3を押さえるときに2も押さえる。
これは、2と3の間が狭くて指が入らないとか、そういう問題はありつつも、ま、なんとかクリアできる。けれど、そのあと・・・
4を押さえたら3を離す。
つまり、これが出来ないわけだ。
1→2→0と弾くときに、2を押さえたら1を離す、とか
2→3→1と弾くときに、3を押さえたら2を離す、とかならできる。ところが、
3→4→2と弾くときに、4を押さえたら3を離す、ということが出来ない。
出来ないのは仕方がないので、とりあえずは出来ることから意識的に取組むしかない。
他に出来そうでできないのは、移弦の前に次の音を用意するということ。
例えば、A線3指でソを弾いている間に、E線1指のファを用意するということだ。
指の形からいうと難しくないのだが、左手でE線を押さえようとすると、右手が自然とE線を弾きだす。長年のうちに着いた習慣というのは恐ろしい。
さらに、E線1指のファを弾いている間に、A線3指でソを押さえる、となるとアーチが加わる。
これも出来なくはないのだが、やはり右手が言うことを聞いてくれない。
それと、小指を使わないときに、どうしても小指がクルッと曲がって弦から遠ざかっているとか、小指で押さえるときに第2関節が伸びているとか、改善するべきところは一杯あるのだが、
当面は、身体的制約で出来ないものはあとまわし
できるところからやっていく
ということで、毎日コツコツ練習に励んでいる。
でも、ときどきこの練習ばかりでは堪えられずに、無性にドッペルが弾きたくなったりとか、以前に弾いた曲を思い出したりとか、そういうのがあって、一向に練習は捗らないのだが・・・
左手の人差し指から小指までの4本の指の先をどこかに置いてください。右の図のようにです。別にキーボードでなくてもいいですよ。
さ、そこから人差し指、中指、小指はそのままで、薬指だけを浮かせることは出来ますか。
おそらく「出来る」という方も多いと思う。我が家では、私以外の家族全員が出来る。ところが私だけはできないのだ。十歳にならない子供なら、もしかすると何かの訓練で将来できるようになるかもしれないが、四十路のおじさんとしては身体的な制約に他ならない。四十の手習いとは、つまりこういう制約の中で如何にそれらしく弾くか。言い換えると、本当は届かない指をどうやって届かせるかとか、届かないなら届かないなりにどんな曲を弾くかとか、そういうことの集合体だ。
さてさて、前回からクロイツェルが始まったのだが、先生の指示はとにかく細かい。ひとことでいえば
次の音を用意する
ということなのだが、これがたいへん。例えば・・・・
同じ弦で3→4→2と弾くとき、3を押さえるときに2も押さえる。
これは、2と3の間が狭くて指が入らないとか、そういう問題はありつつも、ま、なんとかクリアできる。けれど、そのあと・・・
4を押さえたら3を離す。
つまり、これが出来ないわけだ。
1→2→0と弾くときに、2を押さえたら1を離す、とか
2→3→1と弾くときに、3を押さえたら2を離す、とかならできる。ところが、
3→4→2と弾くときに、4を押さえたら3を離す、ということが出来ない。
出来ないのは仕方がないので、とりあえずは出来ることから意識的に取組むしかない。
他に出来そうでできないのは、移弦の前に次の音を用意するということ。
例えば、A線3指でソを弾いている間に、E線1指のファを用意するということだ。
指の形からいうと難しくないのだが、左手でE線を押さえようとすると、右手が自然とE線を弾きだす。長年のうちに着いた習慣というのは恐ろしい。
さらに、E線1指のファを弾いている間に、A線3指でソを押さえる、となるとアーチが加わる。
これも出来なくはないのだが、やはり右手が言うことを聞いてくれない。
それと、小指を使わないときに、どうしても小指がクルッと曲がって弦から遠ざかっているとか、小指で押さえるときに第2関節が伸びているとか、改善するべきところは一杯あるのだが、
当面は、身体的制約で出来ないものはあとまわし
できるところからやっていく
ということで、毎日コツコツ練習に励んでいる。
でも、ときどきこの練習ばかりでは堪えられずに、無性にドッペルが弾きたくなったりとか、以前に弾いた曲を思い出したりとか、そういうのがあって、一向に練習は捗らないのだが・・・
2014年11月30日日曜日
クロイツェル始動
新しいバヨ先生によるレッスンが本格的に始まった。
本格的というのがどういうものなのかはいろいろと考え方があると思うが、前回はほとんど挨拶程度だったのが、そうではなくなったというもので、たぶん、今回のレッスンの形式がしばらく続くのだと思う。
前回のレッスンでは、クロイツェル2番をやりましょうということだったので、教本を買ってきた。コソ練禁止令が出ていたのだが、音符を見たらどんなものかは気になるので、ちょっと弾いてみる。簡単ではないがまったく弾けない訳ではない。途中、ポジション移動があるところには指番号が書かれているのだが、そこにポジションを書き加えないと咄嗟にポジションが定まらないのだが、コソ練禁止令が出ているので、それはやめておいた。
さて、レッスン開始。
ほとんど初見なのは、コソ練禁止なのだから気にすることもなかろう。出だしはまずまずなのだが、10小節目ぐらいで止められる。教本には2ポジへのポジション移動の指示があるのだが、そこを1ポジのまま弾くこと、ポジション移動しないまま高4でファを取ることなどが教本に書き加えられる。
止まったついでのように最初に戻って、下降音階のときに次の音まで指を押さえておくことやら、反対に、3指→4指→2指と弾くとことは、4指を押さえたところで3指を離すといったことが、具体的にここではこの指も抑えるとか、ここではこの指は離すといったようなこととかが、詳細に書き込まれていく。次の音までいっしょに押さえるというのも難しいのだが、3指から4指を出す時に、その次が2指という理由で3指を離すというのが意外とできない。
4指を使わないときに、小指がクルッと小さく巻かれているのもダメだと言われた。ダメなのは分かっているのだが、これまでは治せなかったものだ。
4指で押さえるときに第2関節が伸びてしまうのもダメ。
もっと自然な感じ
にしておかないといけない、というのだが・・・
言われたとおりにやろうとするのだが、どうしても出来ない。弓を置いて右手でアシストすれば出来るのだが、かなり力が入っていて、ガッと掴んで丸くしたり弦から離したりしないといけない。どう見ても自然ではないのだが。
弓の持ち方にもNGが出た。
ここをこうして、そこをそうして、といろいろ注意されるのだが、どう考えてもその通りには出来ない。
普通に持てばいい
と仰るのだが、普通ってなんだ。どうも私の持ち方は普通でないのは分かったのだが、普通とどう違うのか、どうすれば普通になるのかは定かでない。
姿勢にもNGがでる。足をハの字に、左足の方向はヴァイオリンのネックの方向、ネックが下がらないように。ま、こっちの方は分かり易いのだが、いったい何からどの順番に気を付けていけばいいのやら。ひとつのことをやろうとすると、他のことが疎かになってしまう。
結局、クロイツェル2番の最初の4小節だけを練習するのが宿題になった。その続きは練習しないように、というコソ練禁止令。
当たり前のことなのだが、先生が説明をしている間は音を出さない。
「ここはこうして」、という指示があると、続きを聞く前にまずそこだけやってみて「こうですか」となってしまうのだが、プロのレッスンはそうではないみたいだ。
今日の先生はほとんど笑われなかったので、たぶん、このオッチャン相手にかなり本気モードになっているような気がする。ならばこっちもモードを切り替えて、大リーグボール養成ギブスでもつけたつもりでやっていくしかないか。
本格的というのがどういうものなのかはいろいろと考え方があると思うが、前回はほとんど挨拶程度だったのが、そうではなくなったというもので、たぶん、今回のレッスンの形式がしばらく続くのだと思う。
前回のレッスンでは、クロイツェル2番をやりましょうということだったので、教本を買ってきた。コソ練禁止令が出ていたのだが、音符を見たらどんなものかは気になるので、ちょっと弾いてみる。簡単ではないがまったく弾けない訳ではない。途中、ポジション移動があるところには指番号が書かれているのだが、そこにポジションを書き加えないと咄嗟にポジションが定まらないのだが、コソ練禁止令が出ているので、それはやめておいた。
さて、レッスン開始。
ほとんど初見なのは、コソ練禁止なのだから気にすることもなかろう。出だしはまずまずなのだが、10小節目ぐらいで止められる。教本には2ポジへのポジション移動の指示があるのだが、そこを1ポジのまま弾くこと、ポジション移動しないまま高4でファを取ることなどが教本に書き加えられる。
止まったついでのように最初に戻って、下降音階のときに次の音まで指を押さえておくことやら、反対に、3指→4指→2指と弾くとことは、4指を押さえたところで3指を離すといったことが、具体的にここではこの指も抑えるとか、ここではこの指は離すといったようなこととかが、詳細に書き込まれていく。次の音までいっしょに押さえるというのも難しいのだが、3指から4指を出す時に、その次が2指という理由で3指を離すというのが意外とできない。
4指を使わないときに、小指がクルッと小さく巻かれているのもダメだと言われた。ダメなのは分かっているのだが、これまでは治せなかったものだ。
4指で押さえるときに第2関節が伸びてしまうのもダメ。
もっと自然な感じ
にしておかないといけない、というのだが・・・
言われたとおりにやろうとするのだが、どうしても出来ない。弓を置いて右手でアシストすれば出来るのだが、かなり力が入っていて、ガッと掴んで丸くしたり弦から離したりしないといけない。どう見ても自然ではないのだが。
弓の持ち方にもNGが出た。
ここをこうして、そこをそうして、といろいろ注意されるのだが、どう考えてもその通りには出来ない。
普通に持てばいい
と仰るのだが、普通ってなんだ。どうも私の持ち方は普通でないのは分かったのだが、普通とどう違うのか、どうすれば普通になるのかは定かでない。
姿勢にもNGがでる。足をハの字に、左足の方向はヴァイオリンのネックの方向、ネックが下がらないように。ま、こっちの方は分かり易いのだが、いったい何からどの順番に気を付けていけばいいのやら。ひとつのことをやろうとすると、他のことが疎かになってしまう。
結局、クロイツェル2番の最初の4小節だけを練習するのが宿題になった。その続きは練習しないように、というコソ練禁止令。
当たり前のことなのだが、先生が説明をしている間は音を出さない。
「ここはこうして」、という指示があると、続きを聞く前にまずそこだけやってみて「こうですか」となってしまうのだが、プロのレッスンはそうではないみたいだ。
今日の先生はほとんど笑われなかったので、たぶん、このオッチャン相手にかなり本気モードになっているような気がする。ならばこっちもモードを切り替えて、大リーグボール養成ギブスでもつけたつもりでやっていくしかないか。
2014年11月24日月曜日
ヴァヨタミン補給
久しぶりにバヨ会をやった。
やっぱ、合奏はえぇわ。
だいたい、弦楽器というのは合奏のためにある楽器なんだよな、と思う。ヴァイオリンの名曲って言われる曲の多くは合奏曲。そりゃもちろん、バッハの無伴奏パルティータみたいに、ステージにソリストひとり立たせて超絶技巧の限りを思う存分堪能する曲もあるけど、そういうのはむしろ稀。プロの演奏家の真似をして
あぁ、これこれ、この感覚
いちおう同じ曲だね
という境地にはひとりでは行きつけない。
今日は、将来を期待される若手ソリストを客演にお迎えしてのバヨ会。まずは、数ケ月前に発表会で弾いたというヴィヴァルディのAモールを弦楽アンサンブルのバックで弾いていただく。これ、伴奏も結構おもしろい。ヴィヴァルディの曲って、いろんなところにいろんな仕掛けが仕組まれていて、合わせて見ることで、ここでヴィオラとチェロがこんなふうに掛け合うのね、とか、ここでセカンドとヴィオラがこうハモるのね、なんてことがわかる。結構、ヴィオラ大事なのよね。目立たないけど。
いや、それにしても、
やっぱり付け焼刃ではあかんわ
ということがよく分かった。
他の人って、結構、レッスンでちゃんと基礎からやってはるから、普段やっていない曲が来てもすぐ何とかなる。私の場合は、次はこの曲、って決まったらそればっかり練習して何とかしようとするから、全然、他の人を聞けていない。いや、もう楽譜を見て追いかけるのに精一杯。ちょっと他の人の顔を見たらうまく合わせられるのになぁ、と思うのだけれど・・・
午前中に、いちおう録音。
でも、今回は門外不出の録音ね。
お昼ごはん食べた後はパッヘルベルのカノン。これは玉砕だったのでなかったことにして、もう1曲は、またヴィヴァルディのAllaRustica。これは結構楽しい曲で、ヴィオラは比較的簡単。とか言いながら、録音聞いてみたら、なんじゃこのヴィオラは、って感じなんだが、弾いているうちは、
あぁ、これこれ、この感覚、
というところもあった、ような気がする、と思う。
普段はアンサンブルの練習もしていないし、アンサンブルのレッスンもない。
発表会ではアンサンブルもあるので、発表会前にはちょっとだけアンサンブルのレッスンもあるのだが、本当にちょっとだけ。どっちかというと、ソロの発表が中心でアンサンブルは余興みたいな扱いになっている。
ちょっとそういうレッスンもちゃんと受けなきゃなぁ、と思っていたら、今日のメンバーのお一人がアンサンブルレッスンを受講されているそうだ。飛び入りでも大丈夫、とか、初心者に近い人もいますよ、とか、ヴィオラの人が来たら歓迎されますよ、とかいう甘言にすっかり乗ってしまっているのだが、果たして大丈夫か?
ま、一回目だけは ♪ありの~、ままの~、って周りを凍らせてしまっても許してもらえるかも。
やっぱ、合奏はえぇわ。
だいたい、弦楽器というのは合奏のためにある楽器なんだよな、と思う。ヴァイオリンの名曲って言われる曲の多くは合奏曲。そりゃもちろん、バッハの無伴奏パルティータみたいに、ステージにソリストひとり立たせて超絶技巧の限りを思う存分堪能する曲もあるけど、そういうのはむしろ稀。プロの演奏家の真似をして
あぁ、これこれ、この感覚
いちおう同じ曲だね
という境地にはひとりでは行きつけない。
今日は、将来を期待される若手ソリストを客演にお迎えしてのバヨ会。まずは、数ケ月前に発表会で弾いたというヴィヴァルディのAモールを弦楽アンサンブルのバックで弾いていただく。これ、伴奏も結構おもしろい。ヴィヴァルディの曲って、いろんなところにいろんな仕掛けが仕組まれていて、合わせて見ることで、ここでヴィオラとチェロがこんなふうに掛け合うのね、とか、ここでセカンドとヴィオラがこうハモるのね、なんてことがわかる。結構、ヴィオラ大事なのよね。目立たないけど。
いや、それにしても、
やっぱり付け焼刃ではあかんわ
ということがよく分かった。
他の人って、結構、レッスンでちゃんと基礎からやってはるから、普段やっていない曲が来てもすぐ何とかなる。私の場合は、次はこの曲、って決まったらそればっかり練習して何とかしようとするから、全然、他の人を聞けていない。いや、もう楽譜を見て追いかけるのに精一杯。ちょっと他の人の顔を見たらうまく合わせられるのになぁ、と思うのだけれど・・・
午前中に、いちおう録音。
でも、今回は門外不出の録音ね。
お昼ごはん食べた後はパッヘルベルのカノン。これは玉砕だったのでなかったことにして、もう1曲は、またヴィヴァルディのAllaRustica。これは結構楽しい曲で、ヴィオラは比較的簡単。とか言いながら、録音聞いてみたら、なんじゃこのヴィオラは、って感じなんだが、弾いているうちは、
あぁ、これこれ、この感覚、
というところもあった、ような気がする、と思う。
普段はアンサンブルの練習もしていないし、アンサンブルのレッスンもない。
発表会ではアンサンブルもあるので、発表会前にはちょっとだけアンサンブルのレッスンもあるのだが、本当にちょっとだけ。どっちかというと、ソロの発表が中心でアンサンブルは余興みたいな扱いになっている。
ちょっとそういうレッスンもちゃんと受けなきゃなぁ、と思っていたら、今日のメンバーのお一人がアンサンブルレッスンを受講されているそうだ。飛び入りでも大丈夫、とか、初心者に近い人もいますよ、とか、ヴィオラの人が来たら歓迎されますよ、とかいう甘言にすっかり乗ってしまっているのだが、果たして大丈夫か?
ま、一回目だけは ♪ありの~、ままの~、って周りを凍らせてしまっても許してもらえるかも。
2014年11月18日火曜日
新バヨ先生のレッスン始まる
小学校の頃に、先生が産休に入られるときに新しい先生が来られるのをドキドキして待っていた経験はないだろうか。新しい先生のレッスンが始まるまでというのは、その時とおんなじような気分で、なんとなく心が落ち着かないものだ。
その待ちに待ったレッスンがやっと始まった。
芸大に通う学生さんということだが、見た目、やっぱり若い。
私のように、これぐらいの娘がいても不思議ではない年齢になってしまったおっちゃんばっかりの相手をさせるのが申し訳ないぐらい若い。産休教員というよりも、教育実習生のような感じだ。
先生がんばってね
って言いたくなるぐらい若い。だから良かったとか、だからどうだという訳ではないが、とにかく若い。
っと、ちょっと若い、若いと言い過ぎたが、とにかくレッスンが始まった。
5日ほど前に決めていたように、ドッペルを弾いて聴いてもらう。5日前に思い出したものだから、そんな初対面の人に聞かせるようなものではないのだが、ここで上手に弾いてドヤ顔しても意味がないので、とにかく弾く。途中、セカンドがソロで休符になるところがあって、そこでひと区切りつくのだが、
最後まで弾いていいですか
といったら、
どうぞ
ということだったので、遠慮恥じらいなく最後まで弾いた。
どっから、どう指導していいかわからず、戸惑っておられる様子。
ま、そりゃそうでしょう。
おとがくさん、この曲、ムリですよ
とは思っていても言えず、「どのツラさげてこの曲弾くねん」とも言えず、
ガハハハハハ…
と笑うこともできず・・・
まず、姿勢からですね。
速く弾けないときはゆっくり無理ぜず、誤魔化さず。
下降音階のときは次の指も指板に載せて。
なんてご指導をいただいて、次回からはクロイツェルをやることになった。
あぁドッペルはいずこへ
ま、しかし、基礎がちゃんとなっていないことも前から気になっていたことだし、何か「この曲」と決めてそればっかり練習してやっと弾けるというのではなくて、例え簡単な曲であったとしても
これぐらいのレベルなら弾ける
という「自分のレベル」が欲しいとも思っていたところだ。
クロイツェルに関しては、買ったら譜読みするだけ。弾くのは次回からという
コソ練禁止令
も出た。なんか、レッスンって感じだ。クロイツェル以外は弾いてもいいとことだったので。しばらくは好きな曲を弾き散らかすか・・・。
その待ちに待ったレッスンがやっと始まった。
芸大に通う学生さんということだが、見た目、やっぱり若い。
私のように、これぐらいの娘がいても不思議ではない年齢になってしまったおっちゃんばっかりの相手をさせるのが申し訳ないぐらい若い。産休教員というよりも、教育実習生のような感じだ。
先生がんばってね
って言いたくなるぐらい若い。だから良かったとか、だからどうだという訳ではないが、とにかく若い。
っと、ちょっと若い、若いと言い過ぎたが、とにかくレッスンが始まった。
5日ほど前に決めていたように、ドッペルを弾いて聴いてもらう。5日前に思い出したものだから、そんな初対面の人に聞かせるようなものではないのだが、ここで上手に弾いてドヤ顔しても意味がないので、とにかく弾く。途中、セカンドがソロで休符になるところがあって、そこでひと区切りつくのだが、
最後まで弾いていいですか
といったら、
どうぞ
ということだったので、遠慮恥じらいなく最後まで弾いた。
どっから、どう指導していいかわからず、戸惑っておられる様子。
ま、そりゃそうでしょう。
おとがくさん、この曲、ムリですよ
とは思っていても言えず、「どのツラさげてこの曲弾くねん」とも言えず、
ガハハハハハ…
と笑うこともできず・・・
まず、姿勢からですね。
速く弾けないときはゆっくり無理ぜず、誤魔化さず。
下降音階のときは次の指も指板に載せて。
なんてご指導をいただいて、次回からはクロイツェルをやることになった。
あぁドッペルはいずこへ
ま、しかし、基礎がちゃんとなっていないことも前から気になっていたことだし、何か「この曲」と決めてそればっかり練習してやっと弾けるというのではなくて、例え簡単な曲であったとしても
これぐらいのレベルなら弾ける
という「自分のレベル」が欲しいとも思っていたところだ。
クロイツェルに関しては、買ったら譜読みするだけ。弾くのは次回からという
コソ練禁止令
も出た。なんか、レッスンって感じだ。クロイツェル以外は弾いてもいいとことだったので。しばらくは好きな曲を弾き散らかすか・・・。
2014年11月13日木曜日
そうだ! ドッペルを弾こう。
いよいよこの週末に新しい先生のレッスンが始まる。
いろいろとモヤモヤしていたのだが、久しぶりにバッハのドッペルを取り出してきて、そのモヤモヤがパッと晴れる思いがした。
ああ、この曲だったんだ
という気分だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/より |
私には、4年前の発表会の講師演奏のときに、当時のバヨ先生がこの曲を弾かれたときの印象が強烈に焼き付いている。
その発表会で弾いたのはVivaldiのAllaRustica。自分の演奏はほとんど玉砕状態で意気消沈していたところにこの曲の演奏があって、それでものすごく励まされた思いがした。
おとがくさんも、いつか
この曲を弾けるようになるわよ
ステージの上からバヨ先生のそういうメッセージが伝わってきたように思えた。
バヨ会でも定番になっている曲だったが、私には弾けないので、この曲が始まったらいつもお休みをしていた。その頃は、パッヘルベルのカノンが弾けるかどうか、というレベルだった。それで、発表会がお終わったら、まずはカノンが弾けるようになりたいと思って、半年ぐらい、レッスンをつけていただいた。それでなんとかカノンが弾けるようになった、というところで発表会の曲にシフトし、その発表会が終わった後で、今度こそとドッペルのレッスンをつけていただくことになった。
そのレッスンは1年ほど続いた。先生に合わせてもらったこともある。
少しずつではあるけれど、憧れの曲が弾けるようになっていく。そのプロセスはなかなか楽しいものだった。
その後いろいろ事情があって半年ほどレッスンを休んだ。ヴァイオリンを辞める覚悟もあったのだが、休んでいるとどうしても弾きたくなって再びレッスンを始めた。
その時は、次の発表会まで半年というところだったので、発表会用の曲でレッスンを再開した。
その間に先生が交代され、ドッペルはお蔵入りになっていたのだ。
この数週間、これから自分にどんなバヨライフがあるだろうかと考えながら、新しい先生に見ていただく曲を、あれでもない、これでもないと思い悩んでいたのだが、いまこのときに、このドッペルなしに自分のバヨライフは描けないということに気付いて、本当にすっきりした思いなのだ。
きっと、ドッペルがカッコいいとか、そういうことではなくて、これを誰かと弾きたい、という思いの方が強いのだと思う。これが弾ければ、言葉の壁さえ越えて
久しぶりに弾いてみると、弾けていたはずのところも弾けなくなっているし、最後まで通して弾けるようになるのに最低でも何ヶ月かかるだろうかという感じだ。本当に永遠に完成しないかもしれない。
だけど、部分的であっても自分の手でこの曲を紡ぎ出していると思うと、何とも言えない満足感が込み上げてくる。日本にドッペルがあってよかった。
2014年11月10日月曜日
不惑にして惑う
今週は久しぶりのレッスン。前の先生の最後のレッスンが台風でなくなって、ご挨拶も出来ないまま先生が交代することになって、やっと1回目のレッスンだ。
今のスタジオでヴァイオリンを習うようになって10年ちょっと。その間に先生が3回代わられて、今度の先生が4人目。これまで先生が代わられるときは、必ず1度、新旧の先生がいっしょにレッスンを見てくださる日があったのだが、今回はそれがない。たぶん、新しく来られる先生にとっても、これは結構たいへんなことだと思う。このスタジオではこの教本、って決まっていて、この人は何巻っていうのである程度どんなレッスンをすればいいのかが分かれば楽だが、私が知る限り、うちのスタジオでは教本を使ってレッスンを受けている大人受講生はほとんどおられない。しかも、ついこの前に発表会が終わって、いちおうどの方も前にレッスンをしていただいていた曲には1段落が付いたところ。私もその御多分に漏れない。
2年後の発表会では、「情熱大陸」とヴィヴァルディの「冬のラルゴ」っていったんは決めたのだが、練習していて
何か違う
という引っ掛かりがずっとある。情熱大陸を弾いているのにちっとも情熱大陸っぽくないとか、ラルゴはゆっくりなので却って粗が見えてしまうとか、とにかく自分のイメージと違う。だけど、どう違うのかもわからないし、どうすればいいのかはもっとわからない。
こんな調子で
この曲 見てください
なんて言っていいのだろうか?
そこへもってきて、久しぶりのバヨ会の曲が気になったり、アマオケに入ろうかどうしようかというような迷いがあったり、これから自分はどんなところで、どんな人と、どんな曲を弾いていくのだろうか、なんてことがちょっと気になって、だけどそこがブレブレで、大袈裟に言えば、いろんな意味でバヨライフが転換点にきているような気もしたり、しなかったり。
こういう時に
大丈夫! 大丈夫!
と言ってくださる先生がおられると、きっと心強いんだろうな、と思う。新しく来てくださる先生と、どうやってそういう関係性を作っていくのか。どの曲を見ていただいたら、あるいはどんなレッスンをしていただいたら、自分のこのモヤモヤが解消するのだろうか。
スタジオには生徒一人一人のカルテみたいなものがある訳ではないので、新しい先生は、たぶん「この生徒さんはどんな生徒さんなんだろう」ということをご存じでないままお越しになると思う。そういう時は、生徒の方から、自分はこんな経歴で、これぐらい弾けて、こんな曲が好きで、こういうレッスンをしてほしいです、なんてことを自信を持って言えれば、お互いに楽なのだが・・・。
今のスタジオでヴァイオリンを習うようになって10年ちょっと。その間に先生が3回代わられて、今度の先生が4人目。これまで先生が代わられるときは、必ず1度、新旧の先生がいっしょにレッスンを見てくださる日があったのだが、今回はそれがない。たぶん、新しく来られる先生にとっても、これは結構たいへんなことだと思う。このスタジオではこの教本、って決まっていて、この人は何巻っていうのである程度どんなレッスンをすればいいのかが分かれば楽だが、私が知る限り、うちのスタジオでは教本を使ってレッスンを受けている大人受講生はほとんどおられない。しかも、ついこの前に発表会が終わって、いちおうどの方も前にレッスンをしていただいていた曲には1段落が付いたところ。私もその御多分に漏れない。
2年後の発表会では、「情熱大陸」とヴィヴァルディの「冬のラルゴ」っていったんは決めたのだが、練習していて
何か違う
という引っ掛かりがずっとある。情熱大陸を弾いているのにちっとも情熱大陸っぽくないとか、ラルゴはゆっくりなので却って粗が見えてしまうとか、とにかく自分のイメージと違う。だけど、どう違うのかもわからないし、どうすればいいのかはもっとわからない。
こんな調子で
この曲 見てください
なんて言っていいのだろうか?
そこへもってきて、久しぶりのバヨ会の曲が気になったり、アマオケに入ろうかどうしようかというような迷いがあったり、これから自分はどんなところで、どんな人と、どんな曲を弾いていくのだろうか、なんてことがちょっと気になって、だけどそこがブレブレで、大袈裟に言えば、いろんな意味でバヨライフが転換点にきているような気もしたり、しなかったり。
こういう時に
大丈夫! 大丈夫!
と言ってくださる先生がおられると、きっと心強いんだろうな、と思う。新しく来てくださる先生と、どうやってそういう関係性を作っていくのか。どの曲を見ていただいたら、あるいはどんなレッスンをしていただいたら、自分のこのモヤモヤが解消するのだろうか。
スタジオには生徒一人一人のカルテみたいなものがある訳ではないので、新しい先生は、たぶん「この生徒さんはどんな生徒さんなんだろう」ということをご存じでないままお越しになると思う。そういう時は、生徒の方から、自分はこんな経歴で、これぐらい弾けて、こんな曲が好きで、こういうレッスンをしてほしいです、なんてことを自信を持って言えれば、お互いに楽なのだが・・・。
2014年10月31日金曜日
吹奏楽部のAfrican symphony
私が高校生のときにはなかったのだが、いまは県レベルだとか全国レベルの総合文化祭というのがあるらしい。体育会の方には「総体」というのが昔からあったが、それの文化部向けということのようだ。吹奏楽部の演奏は、おそらく花形のひとつだと思う。
上の娘は高校の吹奏楽部に所属していて、今日はその「総文」に出掛けて行った。ちょうど祝日に出張があって、今日が振替で休みだったので聴きに行った。
会場は客席1200~1300人ぐらいの市民ホール。平日なので、私のように聴きに来ている家族もそれほど多くはないのだが、とにかく会場は制服の高校生だらけ。圧倒的に女子学生が多い。私の吹奏楽のイメージは、警察音楽隊とか消防音楽隊とか、かっけー制服を着て、バトンを持った指揮者を先頭に行進してくるというものなので、男性が中心というものなのだが・・・。
お昼ぐらいに会場に着いて、うちの娘の高校だけでなく、いろんな高校の演奏を聴いた。大人数で「どうだ」と言わんばかりに大音量を響かせるところ、少人数なのにひとり一人がソリストのレベルでめっさ上手いところ、フラッグパフォーマンスだとかいろいろな演出で盛り上げるところ、歌謡曲や映画音楽などのポップスで勝負してくるところ、吹奏楽の王道とも言える曲(だと思う)で正面勝負してくるところ…。それぞれに特徴があって面白い。
圧巻は、いろんな高校の選抜メンバー(か希望者かはわからないが)による合同演奏。出場校の中には部員十数名の小さな吹奏楽部もあるが、そんなところのメンバーにはたまらないステージだと思う。うちの娘のところはそこそこ人数もいるのだが、合同となると人数は200名弱。これを圧巻と言わずして何を圧巻と言えよう(ちょっと大袈裟か)。そこで、タイトルにあるAfrican symphonyが演奏された。
この曲は以前からお気に入りの曲だった。
アフリカの土は未だ踏んだことがないし、踏む予定もないのだが、この曲には明らかにアフリカが描かれている。以前は佐渡裕さんの指揮で演奏されるものをテレビで見たのだが、その時も目頭が熱くなった。アフリカの大地、大自然、そこに暮らす人々が紡ぐ文化。そういったものへの憧憬やリスペクトなしには弾けない曲だと思う。
今日の演奏でっも、どっかの高校の吹奏楽部の顧問をされておられるであろう、アフリカンな印象の髭を生やされた先生が、佐渡裕顔負けに全身を使って指揮をされておられた。高校生たちもそれによく応えて素晴らしい演奏だった。涙が出てきた。
いや、それにしても、全体を通じてホントに楽しそうだった。自分がこの娘ぐらいの歳のときは音楽にも楽器にも無縁だったから、ホントに羨ましい。
上の娘は高校の吹奏楽部に所属していて、今日はその「総文」に出掛けて行った。ちょうど祝日に出張があって、今日が振替で休みだったので聴きに行った。
会場は客席1200~1300人ぐらいの市民ホール。平日なので、私のように聴きに来ている家族もそれほど多くはないのだが、とにかく会場は制服の高校生だらけ。圧倒的に女子学生が多い。私の吹奏楽のイメージは、警察音楽隊とか消防音楽隊とか、かっけー制服を着て、バトンを持った指揮者を先頭に行進してくるというものなので、男性が中心というものなのだが・・・。
お昼ぐらいに会場に着いて、うちの娘の高校だけでなく、いろんな高校の演奏を聴いた。大人数で「どうだ」と言わんばかりに大音量を響かせるところ、少人数なのにひとり一人がソリストのレベルでめっさ上手いところ、フラッグパフォーマンスだとかいろいろな演出で盛り上げるところ、歌謡曲や映画音楽などのポップスで勝負してくるところ、吹奏楽の王道とも言える曲(だと思う)で正面勝負してくるところ…。それぞれに特徴があって面白い。
圧巻は、いろんな高校の選抜メンバー(か希望者かはわからないが)による合同演奏。出場校の中には部員十数名の小さな吹奏楽部もあるが、そんなところのメンバーにはたまらないステージだと思う。うちの娘のところはそこそこ人数もいるのだが、合同となると人数は200名弱。これを圧巻と言わずして何を圧巻と言えよう(ちょっと大袈裟か)。そこで、タイトルにあるAfrican symphonyが演奏された。
この曲は以前からお気に入りの曲だった。
アフリカの土は未だ踏んだことがないし、踏む予定もないのだが、この曲には明らかにアフリカが描かれている。以前は佐渡裕さんの指揮で演奏されるものをテレビで見たのだが、その時も目頭が熱くなった。アフリカの大地、大自然、そこに暮らす人々が紡ぐ文化。そういったものへの憧憬やリスペクトなしには弾けない曲だと思う。
今日の演奏でっも、どっかの高校の吹奏楽部の顧問をされておられるであろう、アフリカンな印象の髭を生やされた先生が、佐渡裕顔負けに全身を使って指揮をされておられた。高校生たちもそれによく応えて素晴らしい演奏だった。涙が出てきた。
いや、それにしても、全体を通じてホントに楽しそうだった。自分がこの娘ぐらいの歳のときは音楽にも楽器にも無縁だったから、ホントに羨ましい。
2014年10月28日火曜日
新バヨ先生きまる
前回の記事で設置した「いいね」「どうでもいいね」「もういいね」ボタンですが、試してみたのですがうまくカウントアップされません。GOOGLEブログでもこの機能を使っている人はあまりいないのか、トラブルの原因もネットには上がっていなくて、ちょっと困りました。
ま、チェックボックスにチェックすることは出来ますので、それで当面は「チェックできた」と満足してください。 ←何が面白いねん!!
さてさて、いつもお世話になっているスタジオから、新しい先生が決まったという連絡があった。まだ学生さんらしい。そういえば前の先生も最初は学生さんで7年ほどお世話になった。今度の先生にも長くお世話になれればいいと思う。まだ学生さんということは、レッスンをされた経験もあまりないかもしれないし、きっと緊張されているに違いない。私を含めて、なぜかヴァイオリンの生徒はおっさんが多いので、ちょっとびっくりされるかも… などと、どっちが先生だかよくわからない心配をしたりしつつ、次のレッスンを楽しみにしている。
ま、チェックボックスにチェックすることは出来ますので、それで当面は「チェックできた」と満足してください。 ←何が面白いねん!!
さてさて、いつもお世話になっているスタジオから、新しい先生が決まったという連絡があった。まだ学生さんらしい。そういえば前の先生も最初は学生さんで7年ほどお世話になった。今度の先生にも長くお世話になれればいいと思う。まだ学生さんということは、レッスンをされた経験もあまりないかもしれないし、きっと緊張されているに違いない。私を含めて、なぜかヴァイオリンの生徒はおっさんが多いので、ちょっとびっくりされるかも… などと、どっちが先生だかよくわからない心配をしたりしつつ、次のレッスンを楽しみにしている。
2014年10月24日金曜日
いいね! どうでもいいね! もういいね!
最近、ブログというものがあまり流行らなくて、FACEBOOKだとかTWITTERだとか、LINEだとか、気軽に、一日に何回もデータをアップするような、そういうメディアの方にシフトされている方が多いように思う。私などは話が長くてくどい性格なので、そういうのがあまり似合いそうにないのだが、FACEBOOKの「いいね!」ボタンを真似して、このブログにも「いいね!」「どうでもいいね!」「もういいね!」のチェックボックスを設けてみた。
実は前から、某ブログサイトの「○持ち玉」を真似て、「そっか」「へぇ~」「わかる~」などのリアクションを設定していたのだが、ほとんどチェックを入れていただいた試しがない。どうやらスマホで見たときは表示されないようなので、ぜひパソコンで見て、チェックを入れてやってほしい。
「いいね!」はFACEBOOKと同じ。
ただ、世間のお役にたとうとか、誰かに気に入ってもらおうとか、そういう意図で書いている記事はほとんどないので、本当に役に立たないなぁと思われた時は「どうでもいいね!」をチェックしていただきたい。
最近、歳をとってますます言うことがウザくなっているので、そう思われた時は「もういいね!」をチェックすることもできる。
ちなみにどれをチェックしても、投稿者への賛美としてカウントすることにしている。
さてさて、もうすでにだいぶくどくなっている様相を呈しているが、ヴァイオリンの方は、もっか久しぶりのバヨ会に向けて、ちょっと前に弾いていたAllaRusticaを復習中。4年前の発表会で見事に玉砕した曲だが、その後、バヨ会で何度も弾いてもらって、ちょっと嬉しく思っている曲だ。
大人からヴァイオリンを始めた人の中にも、「あたらしいバイオリン教本」だとか、ザイツだとかを真面目にされておられる方もいるが、私の場合、そういう地道な練習はできないと先生に見抜かれていて、発表会が終わるとすぐに「次の発表会はどうしますか」という調子になる。そこで「これを弾きたいです」と差し出した曲が採用されると、2年間、そればっかり練習することになるので、曲に対する思い入れは深い。AllaRusticaも、そういう思い入れの強い曲だ。
三連符が延々と続くちょっと特異なリズムだが、ファーストポジションで全て弾ける。11月24日なので、興味のある方はご連絡を。
実は前から、某ブログサイトの「○持ち玉」を真似て、「そっか」「へぇ~」「わかる~」などのリアクションを設定していたのだが、ほとんどチェックを入れていただいた試しがない。どうやらスマホで見たときは表示されないようなので、ぜひパソコンで見て、チェックを入れてやってほしい。
「いいね!」はFACEBOOKと同じ。
ただ、世間のお役にたとうとか、誰かに気に入ってもらおうとか、そういう意図で書いている記事はほとんどないので、本当に役に立たないなぁと思われた時は「どうでもいいね!」をチェックしていただきたい。
最近、歳をとってますます言うことがウザくなっているので、そう思われた時は「もういいね!」をチェックすることもできる。
ちなみにどれをチェックしても、投稿者への賛美としてカウントすることにしている。
Antonio VIVALDI Concerto Op.51 No.4 "Alla Rustica" |
さてさて、もうすでにだいぶくどくなっている様相を呈しているが、ヴァイオリンの方は、もっか久しぶりのバヨ会に向けて、ちょっと前に弾いていたAllaRusticaを復習中。4年前の発表会で見事に玉砕した曲だが、その後、バヨ会で何度も弾いてもらって、ちょっと嬉しく思っている曲だ。
大人からヴァイオリンを始めた人の中にも、「あたらしいバイオリン教本」だとか、ザイツだとかを真面目にされておられる方もいるが、私の場合、そういう地道な練習はできないと先生に見抜かれていて、発表会が終わるとすぐに「次の発表会はどうしますか」という調子になる。そこで「これを弾きたいです」と差し出した曲が採用されると、2年間、そればっかり練習することになるので、曲に対する思い入れは深い。AllaRusticaも、そういう思い入れの強い曲だ。
三連符が延々と続くちょっと特異なリズムだが、ファーストポジションで全て弾ける。11月24日なので、興味のある方はご連絡を。
2014年10月19日日曜日
JAZZ FESTIVAL
私の住んでいる街は、全国47都道府県庁所在地の中で、私が知る限りにおいて2番目に寂れた街だが、春には、県立の大きなオペラホールを中心としたクラシック音楽のお祭りがあり、秋には小さなホールや湖岸の緑地、湖上観光船などを舞台にしたジャズフェスティバルがあって、ちょっとした音楽の街だ。今日はそのジャズフェスティバルに行ってきた。
会場は、湖岸緑地に設けられた特設ステージ、公園の片隅にあるような普段は子供たちが走り回っているようなステージ、パイプ椅子を50脚ほど並べるとたちまちいっぱいになるようなホール、駅前広場、教会など、立派かどうかといえば立派ではないが、そこに全国からいろいろなジャズバンドがやってくる。運営はすべてボランティア。プログラムはほとんどが賛助広告というもの。この手作り感がいい。
最初に聴いたのは湖岸緑地の特設ステージ。十数名の金管バンドだった。社会人バンドと仰っていたから、他に仕事を持っておられるアマチュアだと思う。年齢は私と同じぐらいだろうか。そこそこの年齢の方ばかりだった。このジャズフェスティバルにも毎年参加されているが、3月にはライブハウスで定期演奏会(ジャズの世界ではなっていうのか忘れた)をされているようだ。歳をとってもこうして一緒に何かを出来る仲間がいるのは、なんだか羨ましい。
公演時間はどれも40分と決まっていて、次の公演までに20分の休みがある。その間にお目当てのところに移動するということになっていたので、小さなホールに移動。そこはゲストの方で、ジャズを好きな方には名前の通った方のようだ。ホールの中は、最初からこれをお目当てに来たという人や、私のようにプログラムを見てからこれにしようと思ってきた人、通りすがりの人などで満席。立ち見の人垣が2重3重になっているぐらいだった。演奏も、さすがはプロ、というレベルだったが、ピアノの人は普通にサラリーマンをしていて、定年退職後にこの道に入られた人という紹介があった。なんだかこれも羨ましい。
その次に見に行ったのはまたアマチュア。東京から来たという、サックス、ピアノ、ウッドベース、ドラムの4人組だったが、これは圧巻だった。さっきのはプロなので、もちろん演奏レベルは高いのだけれど、ある意味それはプロなんだから高いはず。低いものは出せないというプライドもあるだろう。それよりもアマチュアでこれだけのレベルの演奏が出来るということの方がすごい。楽しいという気持ちも伝わってくる。聴かせどころのソロなんかは「どや」というストレートな気持ちも伝わってくる。
ほかにもいくつかの演奏を聴いてきたが、演奏されている方ひとりひとりに、音楽や楽器との出会いがあって、ジャズとの出会いや音楽への思いがあって、仲間との出会いがあって、いろんな苦労があって楽しみがあって、なんだかそういうことが少し垣間見れて楽しいイベントだった。毎年続いていって、来年もこの人たちの演奏を聴く機会があればいいなと思う。
この船ではライブはありません もう1隻の方です |
会場は、湖岸緑地に設けられた特設ステージ、公園の片隅にあるような普段は子供たちが走り回っているようなステージ、パイプ椅子を50脚ほど並べるとたちまちいっぱいになるようなホール、駅前広場、教会など、立派かどうかといえば立派ではないが、そこに全国からいろいろなジャズバンドがやってくる。運営はすべてボランティア。プログラムはほとんどが賛助広告というもの。この手作り感がいい。
最初に聴いたのは湖岸緑地の特設ステージ。十数名の金管バンドだった。社会人バンドと仰っていたから、他に仕事を持っておられるアマチュアだと思う。年齢は私と同じぐらいだろうか。そこそこの年齢の方ばかりだった。このジャズフェスティバルにも毎年参加されているが、3月にはライブハウスで定期演奏会(ジャズの世界ではなっていうのか忘れた)をされているようだ。歳をとってもこうして一緒に何かを出来る仲間がいるのは、なんだか羨ましい。
公演時間はどれも40分と決まっていて、次の公演までに20分の休みがある。その間にお目当てのところに移動するということになっていたので、小さなホールに移動。そこはゲストの方で、ジャズを好きな方には名前の通った方のようだ。ホールの中は、最初からこれをお目当てに来たという人や、私のようにプログラムを見てからこれにしようと思ってきた人、通りすがりの人などで満席。立ち見の人垣が2重3重になっているぐらいだった。演奏も、さすがはプロ、というレベルだったが、ピアノの人は普通にサラリーマンをしていて、定年退職後にこの道に入られた人という紹介があった。なんだかこれも羨ましい。
その次に見に行ったのはまたアマチュア。東京から来たという、サックス、ピアノ、ウッドベース、ドラムの4人組だったが、これは圧巻だった。さっきのはプロなので、もちろん演奏レベルは高いのだけれど、ある意味それはプロなんだから高いはず。低いものは出せないというプライドもあるだろう。それよりもアマチュアでこれだけのレベルの演奏が出来るということの方がすごい。楽しいという気持ちも伝わってくる。聴かせどころのソロなんかは「どや」というストレートな気持ちも伝わってくる。
ほかにもいくつかの演奏を聴いてきたが、演奏されている方ひとりひとりに、音楽や楽器との出会いがあって、ジャズとの出会いや音楽への思いがあって、仲間との出会いがあって、いろんな苦労があって楽しみがあって、なんだかそういうことが少し垣間見れて楽しいイベントだった。毎年続いていって、来年もこの人たちの演奏を聴く機会があればいいなと思う。
2014年10月13日月曜日
旧式電子機器が久々活躍
月曜日。
祝日で会社はお休みなのだが、目覚ましは曜日で設定しているので、いつもの時間に無粋な音で(音は選べるのだが、心地よい音では起きられないので、あえて無粋にしている)目を覚ます。
台風接近で子供たちのクラブ活動は中止。妻はお出掛けの予定だったが、それも中止になったので、家の中でごそごそしているのは私だけ。こういうのは「○○亭主」っていうのか・・・
雨は降っているが、そんなに強くはない。みんなが寝ているうちにクルマを暗闇に出し、ひとりヴァイオリンを弾いて至福の時間を過ごす。
世に「早起きは三文の得」というが、この時間はおカネには代えがたい。
今日はヴォイスレコーダーを取り出してきた。
自分の演奏を録音しようというものではない。以前、葉加瀬太郎のくだんのCDを買った時に、確か練習用にこのヴォイスレコーダーに音源を取り込んでいたのを思い出したのだ。
いや、そんなことしなくても新しいスマホに取り込んだらいいじゃん、 と思うところだが、とにかく情報機器には疎くて(会社に就職したときは、まだパソコンが50万円ぐらいする時代だった)、まだ、自分のCDをスマホに取り込むことが出来ない。何とかというアプリをパソコンにインストールするんだということが書いてあったのだが、そのインストールが上手く出来ず、しかも、インストールに失敗して以降、パソコンの具合がすこぶるわるいのだ。
ヴォイスレコーダーのいいところは、音源の再生速度を変えられるところ。
会議の議事録を取るときに、早口でまくし立てるやつ方の発言をゆっくり聞いたり、あ~う~とかいうのが多くて的を得ないやつ(これは「やつ」でいいか)を早送りで聴いたりするためなんだろうけれど、これが楽器の練習にはなかなか都合がいい。上手い具合に、音程が変わらないような工夫がしてある。
現状、最大の課題はリズム。「たーらっ」とか、そんなもんじゃなくて、とにかく文字に書けないような複雑なリズムが、またおじさんには大変なのよ。先生は、手を叩きながら歌うとか、足で拍をとりながらとか、そんなことを仰るのだが、
ムリ!
こうなったら、聴き覚えしかない。
まず、ピアノ伴奏だけエディションを2倍ぐらいの速さ(というか遅さ)で聴きながら、それを伴奏にしてヴァイオリンを弾いてみる。これが意外と難しい。全音符とか出てきたら、たちまち弓の長さが足りなくなってしまう。仮に弓が長くても手が届かないからいっしょなのだが・・・。それに、あまりにも遅いのでリズムが取れない。
次に同じのを標準の速さで再生しながら弾こうとするのだが、これは最初から結果は分かっている。予想通りの結果になった。
そこで、ヴァイオリンを置いて、この速さで歌ってみることにした。これも結構難しいが、意外に楽しい。家ではなかなか出来ない練習だ。ちょっと楽しかったので、次はエアヴァイオリンを付けてみた。なんだか気持ちいい。次は歌詞をつけて、と思ったのだが、その前に音程がかなり酷いので(歌の音程ね)やめにした。
最後は1.5倍ぐらいの遅さで、まず歌って、それからヴァイオリン。当面は、これぐらいの速さで弾けるのが目標かな?
祝日で会社はお休みなのだが、目覚ましは曜日で設定しているので、いつもの時間に無粋な音で(音は選べるのだが、心地よい音では起きられないので、あえて無粋にしている)目を覚ます。
台風接近で子供たちのクラブ活動は中止。妻はお出掛けの予定だったが、それも中止になったので、家の中でごそごそしているのは私だけ。こういうのは「○○亭主」っていうのか・・・
雨は降っているが、そんなに強くはない。みんなが寝ているうちにクルマを暗闇に出し、ひとりヴァイオリンを弾いて至福の時間を過ごす。
世に「早起きは三文の得」というが、この時間はおカネには代えがたい。
今日はヴォイスレコーダーを取り出してきた。
自分の演奏を録音しようというものではない。以前、葉加瀬太郎のくだんのCDを買った時に、確か練習用にこのヴォイスレコーダーに音源を取り込んでいたのを思い出したのだ。
いや、そんなことしなくても新しいスマホに取り込んだらいいじゃん、 と思うところだが、とにかく情報機器には疎くて(会社に就職したときは、まだパソコンが50万円ぐらいする時代だった)、まだ、自分のCDをスマホに取り込むことが出来ない。何とかというアプリをパソコンにインストールするんだということが書いてあったのだが、そのインストールが上手く出来ず、しかも、インストールに失敗して以降、パソコンの具合がすこぶるわるいのだ。
ヴォイスレコーダーのいいところは、音源の再生速度を変えられるところ。
会議の議事録を取るときに、早口でまくし立てる
現状、最大の課題はリズム。「たーらっ」とか、そんなもんじゃなくて、とにかく文字に書けないような複雑なリズムが、またおじさんには大変なのよ。先生は、手を叩きながら歌うとか、足で拍をとりながらとか、そんなことを仰るのだが、
ムリ!
こうなったら、聴き覚えしかない。
まず、ピアノ伴奏だけエディションを2倍ぐらいの速さ(というか遅さ)で聴きながら、それを伴奏にしてヴァイオリンを弾いてみる。これが意外と難しい。全音符とか出てきたら、たちまち弓の長さが足りなくなってしまう。仮に弓が長くても手が届かないからいっしょなのだが・・・。それに、あまりにも遅いのでリズムが取れない。
次に同じのを標準の速さで再生しながら弾こうとするのだが、これは最初から結果は分かっている。予想通りの結果になった。
そこで、ヴァイオリンを置いて、この速さで歌ってみることにした。これも結構難しいが、意外に楽しい。家ではなかなか出来ない練習だ。ちょっと楽しかったので、次はエアヴァイオリンを付けてみた。なんだか気持ちいい。次は歌詞をつけて、と思ったのだが、その前に音程がかなり酷いので(歌の音程ね)やめにした。
最後は1.5倍ぐらいの遅さで、まず歌って、それからヴァイオリン。当面は、これぐらいの速さで弾けるのが目標かな?
2014年10月12日日曜日
大型台風接近!
もともとは火曜日の朝ぐらいだという予報だった大型台風の接近が、月曜日の夜に早まった。その影響でJRは月曜日の午後2時から間引き運転、午後4時以降はすべて運休、ということが前の日から決まっているらしい。
そんな訳で、明日のレッスンは延期。いまの先生の最後のレッスンの予定だったのだが、次の先生が決まらないまま、1か月間、レッスンがないということになりそうだ。たぶん、ご退職の予定で既にほかの仕事を入れておられるのだろう。
そんなことで、しばらくは葉加瀬太郎ばかり練習することになりそうだ。
今日は、家族が全員お出掛けだったので、家で雨戸を閉めて、晩ご飯の準備をしながら「情熱大陸」の練習。キャンプ道具のダッチオーブンを出してきて、お肉を弱火でグリルしている間にバヨ練習。間違ったところを直しながら最後まで弾いたらオーブンの様子を見に行く、という繰り返し。
ときどきCDに合わせたり(これはまだ無理だということが判明した/いえ判明ではなく確認できた)、まだいまやっている曲が弾けないのに次やる曲を物色したり。のんびりした休日を過ごした。
前回の記事で紹介したCD収録曲のうち、この曲が結構、カッコいい。ヴァイオリンだけでなく、ピアノが結構難しくて、聞かせどころが満載。この映像ではちょっとそこがないけれど。
いつ弾けることやら。
そんな訳で、明日のレッスンは延期。いまの先生の最後のレッスンの予定だったのだが、次の先生が決まらないまま、1か月間、レッスンがないということになりそうだ。たぶん、ご退職の予定で既にほかの仕事を入れておられるのだろう。
そんなことで、しばらくは葉加瀬太郎ばかり練習することになりそうだ。
今日は、家族が全員お出掛けだったので、家で雨戸を閉めて、晩ご飯の準備をしながら「情熱大陸」の練習。キャンプ道具のダッチオーブンを出してきて、お肉を弱火でグリルしている間にバヨ練習。間違ったところを直しながら最後まで弾いたらオーブンの様子を見に行く、という繰り返し。
ときどきCDに合わせたり(これはまだ無理だということが判明した/いえ判明ではなく確認できた)、まだいまやっている曲が弾けないのに次やる曲を物色したり。のんびりした休日を過ごした。
前回の記事で紹介したCD収録曲のうち、この曲が結構、カッコいい。ヴァイオリンだけでなく、ピアノが結構難しくて、聞かせどころが満載。この映像ではちょっとそこがないけれど。
いつ弾けることやら。
2014年10月7日火曜日
練習しろよby葉加瀬太郎
今年の始めにバヨ先生が交代になったところなのだが、新しいバヨ先生もご退職されることになった。なんでも、ずいぶん遠くからお越しいただいているらしいので、結構、ご負担だったのかもしれない。次の先生はまだ決まっていなくて、どうなることやら、というところなのだが、いまのバヨ先生のレッスンは予定ではあと1回。後任の方が決まらなければあと数回ロスタイムがあるかも、というところだ。
そういうことならば、と前回のレッスンからは「情熱大陸」に絞って見ていただくことにした。最初にこの曲を見ていただくときに、「これ、得意ですよ」と仰っておられたので、もしかすると他の先生に見ていただくより、いまの先生に見ていただくのがいいかもしれない、と思ったからだ。ヴィヴァルディなら他の先生でも見ていただける・・・ 「情熱大陸」でも見ていただけるのだろうけれど、もしかして「クラシック以外はダメ」なんて仰る先生だったら、「情熱大陸」はお蔵入りになってしまう。
ところで、いつも使っている楽譜は、葉加瀬太郎の有名どころがいくつか収録されているもので、ヴァイオリンのソロ譜とピアノ伴奏譜がセットになっているもの。これのいいところは、別売で2枚組のCDがあって、1枚は葉加瀬太郎がピアノに伴奏をさせてヴァイオリンを弾いているもの、もう1枚はピアノ伴奏だけというもので、それをカラオケにしてヴァイオリンを練習しなさい、という体裁のものだ。
買った当初に何曲かを冗談半分で弾いてみたのだが、どれもこれも、出だしのところだけとか、サビのところだけとかなら何となくそれらしくは聴こえるけれど、必ず途中に難しいところがあって弾けないとか、何となくそれらしいけど、何となく違う、という何となく微妙な感じにしか弾けなかった。
いま弾いている「情熱大陸」もそんな感じなんだけれど、先生に何度かレッスンを付けてもらうと、何となく違うという部分がだんだん少なくなっていって、何となくそれらしいという割合が増えていく感じがする。
「情熱大陸」が何となくそれらしく弾けるようになったら、他の曲もなんとなくそれらしく弾いてみたい。
そういうことならば、と前回のレッスンからは「情熱大陸」に絞って見ていただくことにした。最初にこの曲を見ていただくときに、「これ、得意ですよ」と仰っておられたので、もしかすると他の先生に見ていただくより、いまの先生に見ていただくのがいいかもしれない、と思ったからだ。ヴィヴァルディなら他の先生でも見ていただける・・・ 「情熱大陸」でも見ていただけるのだろうけれど、もしかして「クラシック以外はダメ」なんて仰る先生だったら、「情熱大陸」はお蔵入りになってしまう。
Taro Hakase Sweet Melodies for Violin and Piano |
ところで、いつも使っている楽譜は、葉加瀬太郎の有名どころがいくつか収録されているもので、ヴァイオリンのソロ譜とピアノ伴奏譜がセットになっているもの。これのいいところは、別売で2枚組のCDがあって、1枚は葉加瀬太郎がピアノに伴奏をさせてヴァイオリンを弾いているもの、もう1枚はピアノ伴奏だけというもので、それをカラオケにしてヴァイオリンを練習しなさい、という体裁のものだ。
買った当初に何曲かを冗談半分で弾いてみたのだが、どれもこれも、出だしのところだけとか、サビのところだけとかなら何となくそれらしくは聴こえるけれど、必ず途中に難しいところがあって弾けないとか、何となくそれらしいけど、何となく違う、という何となく微妙な感じにしか弾けなかった。
いま弾いている「情熱大陸」もそんな感じなんだけれど、先生に何度かレッスンを付けてもらうと、何となく違うという部分がだんだん少なくなっていって、何となくそれらしいという割合が増えていく感じがする。
「情熱大陸」が何となくそれらしく弾けるようになったら、他の曲もなんとなくそれらしく弾いてみたい。
2014年9月28日日曜日
田舎町のアンサンブルがすごかった
アマチュアアンサンブルの演奏を聴きに行くのがマイブームになっている。
上手か下手かという問題ではなく、そのアンサンブル独特の雰囲気が見られるのがいい。ツイッターのフォロアさんの言葉を借りると、そのアンサンブルが音楽をどう作り上げてきたか、ってのを聴くのが楽しい。選曲、弾く順番、プログラムの作り方、衣装、それに聴きに来ているお客さんの層までが、そのアンサンブルを形作っていると言ってもいい。そういう意味で、今日のアンサンブルはとても良かった。
密度の濃い演奏だった。
2週間前に行ったのは、隣町の立派なコンサートホールだった。150万市民を抱える政令指定都市だ。
今日行ったのは、10年前に合併して市制が布かれたが、それまでは人口4万人弱の田舎町。快速列車の走る本線から単線のローカル線に乗り換えて約30分、そこから1時間に1本しかない私鉄に乗り換えて1駅。駅前のホールは小学校の講堂ぐらいの大きさで、可動式の座席が電動で出てくるタイプ。席数は500席もないように見える。アンサンブルの紹介によると、いつもここで練習をしているようだ。平日の午後7時からというから、この近くに住んでいるか勤めている人でないと参加できない。ステージには50人弱の人が載っているのだが、こんなところ(ってあんまりいうと失礼だが)でこれだけの人が、しかも弦楽器だけで集まるというのがすごい。
お客さんも結構入っている。100人ぐらいだろうか。小さな子供もOKのようなので、多少のことは仕方がないというところだが、まずまず行儀よく聴いている子ばかりだったので、結構、文化的に高い水準にある地域のようだ。
コンサートは年に1回行っているようだが、それがコンサートだけではない。前日と当日に弦楽器のワークショップがあって、まったくいままで弦楽器を触ったことのない人に2日間で4~5時間のレッスンをしてステージに上げてしまう、というびっくり企画もある。これに参加されるのも、多分、ほとんどが地元の方だろう。そういう方が十数人から二十人ぐらいおられた。ヴィオラの人もいる。ヴィオリスト(似非ヴィオリストではあるが)としてはちょっと嬉しいが、会場では、弦楽器初めてなのになんでヴィオラなんだろう、なんて話しておられる方もおられる。いや、いいの、いいの。ヴィオラなんてマイナーな楽器に関心を持っておられる方がおられるというのは文化の高さの証し。
曲目は、「大きな古時計」「Let It Go」などの小作品や、ワークショップ参加者による「キラキラ星」「アマリリス」などのほか、バッハの管弦楽組曲2番やテレマンの今日初めて聞く曲、それにヴィヴァルディの四季全曲の演奏もあった。
プログラムによると、アンサンブルの設立は2000年で、当時は全員が初心者ということだ。今日は、ソロの部分は客演の方だったが、バックのアンサンブルもなかなかの迫力と繊細さ。設立当初は、おそらくワークショップ参加者と同じぐらいのレベルだったに違いない。それがこうして、バッハやヴィヴァルディを演奏するまでになっているという、その歴史というか、取り組みの継続性がすごいと思う。
聴いていた人の中にも弦楽器に興味を持った人も多いだろう。来年はワークショップに出てみようとか、いつかこうしてクラシックの名曲を舞台で弾いてみたいとか、そんなことを思った人もいるに違いない。なんてことを思いながら、会社終わってから電車に乗ったら何時に付くのだろうか、とスマホで調べてみたりしているのは私だけだろうか。
上手か下手かという問題ではなく、そのアンサンブル独特の雰囲気が見られるのがいい。ツイッターのフォロアさんの言葉を借りると、そのアンサンブルが音楽をどう作り上げてきたか、ってのを聴くのが楽しい。選曲、弾く順番、プログラムの作り方、衣装、それに聴きに来ているお客さんの層までが、そのアンサンブルを形作っていると言ってもいい。そういう意味で、今日のアンサンブルはとても良かった。
密度の濃い演奏だった。
2週間前に行ったのは、隣町の立派なコンサートホールだった。150万市民を抱える政令指定都市だ。
乗換駅の切符売場 自動販売機じゃなくて駅員さんから買う もちろん自動改札もない ICカードも使えない |
お客さんも結構入っている。100人ぐらいだろうか。小さな子供もOKのようなので、多少のことは仕方がないというところだが、まずまず行儀よく聴いている子ばかりだったので、結構、文化的に高い水準にある地域のようだ。
コンサートは年に1回行っているようだが、それがコンサートだけではない。前日と当日に弦楽器のワークショップがあって、まったくいままで弦楽器を触ったことのない人に2日間で4~5時間のレッスンをしてステージに上げてしまう、というびっくり企画もある。これに参加されるのも、多分、ほとんどが地元の方だろう。そういう方が十数人から二十人ぐらいおられた。ヴィオラの人もいる。ヴィオリスト(似非ヴィオリストではあるが)としてはちょっと嬉しいが、会場では、弦楽器初めてなのになんでヴィオラなんだろう、なんて話しておられる方もおられる。いや、いいの、いいの。ヴィオラなんてマイナーな楽器に関心を持っておられる方がおられるというのは文化の高さの証し。
曲目は、「大きな古時計」「Let It Go」などの小作品や、ワークショップ参加者による「キラキラ星」「アマリリス」などのほか、バッハの管弦楽組曲2番やテレマンの今日初めて聞く曲、それにヴィヴァルディの四季全曲の演奏もあった。
プログラムによると、アンサンブルの設立は2000年で、当時は全員が初心者ということだ。今日は、ソロの部分は客演の方だったが、バックのアンサンブルもなかなかの迫力と繊細さ。設立当初は、おそらくワークショップ参加者と同じぐらいのレベルだったに違いない。それがこうして、バッハやヴィヴァルディを演奏するまでになっているという、その歴史というか、取り組みの継続性がすごいと思う。
聴いていた人の中にも弦楽器に興味を持った人も多いだろう。来年はワークショップに出てみようとか、いつかこうしてクラシックの名曲を舞台で弾いてみたいとか、そんなことを思った人もいるに違いない。なんてことを思いながら、会社終わってから電車に乗ったら何時に付くのだろうか、とスマホで調べてみたりしているのは私だけだろうか。
2014年9月27日土曜日
情熱大陸が情熱大陸っぽくない
ヴァイオリンをやっている人でもやっていない人でも、何の曲か説明の必要のない名曲、「情熱大陸」。こんな名曲なのに、いままでこれを発表会で聴いたことがない。レッスンでも、これまでは
正統派 ザ・クラシック
という曲ばっかりで、この手の曲はやったことがなかい。
2年後の発表会で、こいつをちょっと余興的に弾いてみたい。
余興と言っても人前で弾くのだから手抜きはない。真剣勝負で、しかしその真剣さが正面に余りでなくて、見てる人には余興に見える、という感じ。必死に弾いている感じじゃなっくて、軽~く弾いている、ってところを見せたいわけよ。
それでこのところこの曲ばかり練習しているのだが、これが何というか、意外と簡単なんだけど、意外と難しい。
葉加瀬太郎が弾いているところを見ると、めっさ難しい曲をこともなげに弾いて、最後は弓を高く掲げて、うしろからライトでバッと照らしてドヤ顔する、というイメージなんだが、音を取って見るとそんな難しい曲でもない。
ところが、なんといってもリズムが尋常ではないし、音の並び方がクラシックとは違っていて、いや、どう違うって言われると上手く説明できないんだけど、なんか違う。
それでも、ほぼ毎日、といっても1日30分ほどだけど、ほぼ毎日こればっかり弾いていると、
あ、この人、情熱大陸を弾いているんだ
ということが分かる程度には弾けるようになってきたのだが、やっぱりどっか情熱大陸ではない。
そんな感じで迎えた今日のレッスン。
まず、もっと濃い音を出しましょう、などと濃いことを仰る。
リズムに乗ろうとして弓を跳ばしているのはNG。出だしの チャチャチャッチャッチャー のところの最初の2音は、それこそ唾を飛ばすように弾くのだが、飛ばすのとは違う。短い音だけど音の最初を深く濃く。そしてその次の音は絶対に飛ばさないで、ビブラートをかけて長く。
こんな調子で音ひとつずつにチェックが入る。
全体的に元弓の方が手元でコントロールがしやすいので、元弓を使うように。
これ、苦手なところだ。
リズムをきちんととるために、まずはゆっくりから。
先生が弾くと、ゆっくり弾いていても情熱大陸に聞える。
音色が全く違うんだ。
今日のレッスンで、ポジション移動と弓の使い方を全部楽譜に書き込んでいただいた。いままでは、
これでいいのかなぁ
という感じで練習していたのだが、これで確信を持って練習ができる。レッスンが終わって、最後の、弓を高く掲げてドヤ顔するところも練習しておかなきゃ、などと早くも余計なことを考えたりした。
正統派 ザ・クラシック
という曲ばっかりで、この手の曲はやったことがなかい。
2年後の発表会で、こいつをちょっと余興的に弾いてみたい。
余興と言っても人前で弾くのだから手抜きはない。真剣勝負で、しかしその真剣さが正面に余りでなくて、見てる人には余興に見える、という感じ。必死に弾いている感じじゃなっくて、軽~く弾いている、ってところを見せたいわけよ。
それでこのところこの曲ばかり練習しているのだが、これが何というか、意外と簡単なんだけど、意外と難しい。
葉加瀬太郎が弾いているところを見ると、めっさ難しい曲をこともなげに弾いて、最後は弓を高く掲げて、うしろからライトでバッと照らしてドヤ顔する、というイメージなんだが、音を取って見るとそんな難しい曲でもない。
ところが、なんといってもリズムが尋常ではないし、音の並び方がクラシックとは違っていて、いや、どう違うって言われると上手く説明できないんだけど、なんか違う。
それでも、ほぼ毎日、といっても1日30分ほどだけど、ほぼ毎日こればっかり弾いていると、
あ、この人、情熱大陸を弾いているんだ
ということが分かる程度には弾けるようになってきたのだが、やっぱりどっか情熱大陸ではない。
そんな感じで迎えた今日のレッスン。
まず、もっと濃い音を出しましょう、などと濃いことを仰る。
リズムに乗ろうとして弓を跳ばしているのはNG。出だしの チャチャチャッチャッチャー のところの最初の2音は、それこそ唾を飛ばすように弾くのだが、飛ばすのとは違う。短い音だけど音の最初を深く濃く。そしてその次の音は絶対に飛ばさないで、ビブラートをかけて長く。
こんな調子で音ひとつずつにチェックが入る。
全体的に元弓の方が手元でコントロールがしやすいので、元弓を使うように。
これ、苦手なところだ。
リズムをきちんととるために、まずはゆっくりから。
先生が弾くと、ゆっくり弾いていても情熱大陸に聞える。
音色が全く違うんだ。
今日のレッスンで、ポジション移動と弓の使い方を全部楽譜に書き込んでいただいた。いままでは、
これでいいのかなぁ
という感じで練習していたのだが、これで確信を持って練習ができる。レッスンが終わって、最後の、弓を高く掲げてドヤ顔するところも練習しておかなきゃ、などと早くも余計なことを考えたりした。
2014年9月14日日曜日
夏目漱石と発表会レポート
夏目漱石の「こゝろ」が新聞に連載されて今年が100年目だそうだ。夏目漱石と言えば、随分昔に「坊ちゃん」を読んだきりで、他は何も読んだことがない。中学生の娘の夏休みの宿題に出された読書感想文のために選書をして遣る親がこれでは不可ないと、此の夏に漱石を何冊か買い込んで読むことにした。娘と違って読書感想文を書く必要もないし、書いた処で誰が読んで呉れる訳でもないのだが、若し書くとすれば何を書けば好いのか大層困ったのに違いない。
その昔、日本文学を研究されておられる方から、こんな話を聞いた。其の方は森鴎外をご専門にされておられるのだが、其の森鴎外を読む時、必ず「自分」というフィルターを通して読むことになるので、文学を研究する目的は、その研究を通じて人間の普遍的な在り方を解き明かすことであるが、その時に研究対象となる作家やその作品に描かれている人物を研究している様で在りながら、実は自分が最も造詣が深く、然し自分にとって最も摩訶不思議なる人物、即ち自分自身を研究することに外ならぬ、と言うのである。
私は其の森鴎外を研究されたる方の如き知識人にはあらねども、紛いなりに夏目漱石の作品を読んで読書感想文を書くならば、夏目漱石やその作品に描かれた人物を、自分自身の中にどのように投影したかを主題とせねばなるまい。然るに、漱石が其の作品の中に書き顕わしたる思想の深きは、大凡、吾が如き凡人の心の器には余りあるものであり、読了しても猶、其の全容を己が心に消化しきるを得ずして、何事かを語るに堪えない。若し感想を聞かれることあらば、其のことを申し述べて、彼の人にも読書を奨める外あるまい。
さて、子供の発表会なるものは、其の技芸の上達を発表する場であり、如何に上手に演奏し得るかを競うが如きものと成り勝ちであるが、大人の発表会ともなると其れとは目的を異にするものと思わねばならぬ。其れは理としては承知したるものの、いざ舞台に立てば上手に弾かねばとの思いを抑えること適わず、遂には緊張の余り不本意なる演奏に終わること珍しきことにあらず。如何に適切なる緊張の下に舞台に立ちたるか、或いは技芸の上達以外に己が何を其の場で発表したるかと言う命題は、吾等大人に成りて楽器を習いたる者の永遠の課題とも言えよう。
其の様に考えたる或る時、何時も拝読する或る方のブログに、此の命題に光を充てんとする記事を見つけたる故、何か此れに対する感想文を書かんと試みるだが、夏目漱石の名著の如く、その記事に含まれたる含蓄の深きを吾が文才に留めることが不可いので、此処は其の記事を直接読んでみることを奨める外ない。
「『魔法使い』の弟子 シロートの、シロートによる、シロートの為のオンガク日記」より
「発表会、と、デート。」(2014.9.9 ふーたさん)
http://ameblo.jp/foo-ryu-ta/entry-11893220395.html
此の方のブログ全体に描かれているのは、師匠と表記されたる彼の師に対する信頼と憧憬ではなかろうかと思う。冗談めかして面白可笑しく書かれているが、師への思いを経糸に、彼の人の人格の成長と確立を緯糸に織り込んだ、素晴らしい記事だった。毎年、発表会をされているようなので、是非来年は、こっそり場所を教えていただいて拝聴に参りたいと思う。
夏休みの読書課題 |
その昔、日本文学を研究されておられる方から、こんな話を聞いた。其の方は森鴎外をご専門にされておられるのだが、其の森鴎外を読む時、必ず「自分」というフィルターを通して読むことになるので、文学を研究する目的は、その研究を通じて人間の普遍的な在り方を解き明かすことであるが、その時に研究対象となる作家やその作品に描かれている人物を研究している様で在りながら、実は自分が最も造詣が深く、然し自分にとって最も摩訶不思議なる人物、即ち自分自身を研究することに外ならぬ、と言うのである。
私は其の森鴎外を研究されたる方の如き知識人にはあらねども、紛いなりに夏目漱石の作品を読んで読書感想文を書くならば、夏目漱石やその作品に描かれた人物を、自分自身の中にどのように投影したかを主題とせねばなるまい。然るに、漱石が其の作品の中に書き顕わしたる思想の深きは、大凡、吾が如き凡人の心の器には余りあるものであり、読了しても猶、其の全容を己が心に消化しきるを得ずして、何事かを語るに堪えない。若し感想を聞かれることあらば、其のことを申し述べて、彼の人にも読書を奨める外あるまい。
さて、子供の発表会なるものは、其の技芸の上達を発表する場であり、如何に上手に演奏し得るかを競うが如きものと成り勝ちであるが、大人の発表会ともなると其れとは目的を異にするものと思わねばならぬ。其れは理としては承知したるものの、いざ舞台に立てば上手に弾かねばとの思いを抑えること適わず、遂には緊張の余り不本意なる演奏に終わること珍しきことにあらず。如何に適切なる緊張の下に舞台に立ちたるか、或いは技芸の上達以外に己が何を其の場で発表したるかと言う命題は、吾等大人に成りて楽器を習いたる者の永遠の課題とも言えよう。
其の様に考えたる或る時、何時も拝読する或る方のブログに、此の命題に光を充てんとする記事を見つけたる故、何か此れに対する感想文を書かんと試みるだが、夏目漱石の名著の如く、その記事に含まれたる含蓄の深きを吾が文才に留めることが不可いので、此処は其の記事を直接読んでみることを奨める外ない。
「『魔法使い』の弟子 シロートの、シロートによる、シロートの為のオンガク日記」より
「発表会、と、デート。」(2014.9.9 ふーたさん)
http://ameblo.jp/foo-ryu-ta/entry-11893220395.html
此の方のブログ全体に描かれているのは、師匠と表記されたる彼の師に対する信頼と憧憬ではなかろうかと思う。冗談めかして面白可笑しく書かれているが、師への思いを経糸に、彼の人の人格の成長と確立を緯糸に織り込んだ、素晴らしい記事だった。毎年、発表会をされているようなので、是非来年は、こっそり場所を教えていただいて拝聴に参りたいと思う。
2014年9月13日土曜日
アマチュアアンサンブルの演奏会
隣町の立派なコンサートホールで、お気に入りのアマチュアアンサンブルの演奏会があるので、聴きに行ってきた。
そこのホールはクラシック専用ホールなので、アイドル歌手のライブも後援会やら演説会やらの類もすべてお断り、という高飛車なホールなのに、回転率は結構高い。場所を押さえるだけでも大変だと思う。コンサートホールならうちの町にも立派なものがあるが、そこは週末でさえ公演がない時があるという状況。ホールの立派さはともかく、そこで聴くことが出来るコンテンツでは大きく水を空けられているように思える。隣町というのは、政令指定都市で、空港はないけれど新幹線は全部停まるという大都市。県庁所在地でありながら新幹線が素通りするうちの町とは、もとから格が違う。
町の格の話で回り道をしてしまったが、このアンサンブルの格もかなり高い。詳しくは聞いていないが、若手の方が比較的多いところをみると、どこかの大学のオケのOB/OGなんかが母体になっているのかもしれない。人数は弦楽器ばかり20人ほどなのだが、今回は客演の方も取られている。無料で聴かせてもらえるのが申し訳ないような立派な演奏会だった。
演目は、ロッシーニ、バッハ、ポッテジーニ、グリーク。バッハ以外は知らない曲ばかりだった。
バッハは、お馴染みの管弦楽組曲第2番。フルートとチェンバロは客演の方が弾かれていた。
ボッテジーニという人は、プログラムの紹介によると、「非常に卓越した気候の持ち主」で「コントラバスのパガニーニ」との異名をもった「とにかくすごい人」だそうです。そのボッテジーニが作曲したコントラバス協奏曲第2番は、
そんなすごい人が書いたコントラバス協奏曲なので、それはまたすごい曲なのです。
ということだ。実際に聴いてみて、やはりすごい曲だった。これは客演の方ではなく、メンバーのおひとりがソロをされていた。
グリークはとてもさわやかなプレリュードで始まる曲だった。ヴィオラのソロをされていた方が超絶技巧だったので、おもわず見入ってしまった。
定員500人ほどの小さなホールだが、席はかなりの程度埋まっている。きっと私のように、いちど聴いたら忘れられず、何度も聴きに来ておられる方も多いのだろう。こういうステージで、これだけお客さんのいるところで弾けたら本当に楽しいだろうなと思う。その楽しいという気持ちが伝わってきて、本当にいい演奏だった。
そこのホールはクラシック専用ホールなので、アイドル歌手のライブも後援会やら演説会やらの類もすべてお断り、という高飛車なホールなのに、回転率は結構高い。場所を押さえるだけでも大変だと思う。コンサートホールならうちの町にも立派なものがあるが、そこは週末でさえ公演がない時があるという状況。ホールの立派さはともかく、そこで聴くことが出来るコンテンツでは大きく水を空けられているように思える。隣町というのは、政令指定都市で、空港はないけれど新幹線は全部停まるという大都市。県庁所在地でありながら新幹線が素通りするうちの町とは、もとから格が違う。
町の格の話で回り道をしてしまったが、このアンサンブルの格もかなり高い。詳しくは聞いていないが、若手の方が比較的多いところをみると、どこかの大学のオケのOB/OGなんかが母体になっているのかもしれない。人数は弦楽器ばかり20人ほどなのだが、今回は客演の方も取られている。無料で聴かせてもらえるのが申し訳ないような立派な演奏会だった。
演目は、ロッシーニ、バッハ、ポッテジーニ、グリーク。バッハ以外は知らない曲ばかりだった。
バッハは、お馴染みの管弦楽組曲第2番。フルートとチェンバロは客演の方が弾かれていた。
ボッテジーニという人は、プログラムの紹介によると、「非常に卓越した気候の持ち主」で「コントラバスのパガニーニ」との異名をもった「とにかくすごい人」だそうです。そのボッテジーニが作曲したコントラバス協奏曲第2番は、
そんなすごい人が書いたコントラバス協奏曲なので、それはまたすごい曲なのです。
ということだ。実際に聴いてみて、やはりすごい曲だった。これは客演の方ではなく、メンバーのおひとりがソロをされていた。
グリークはとてもさわやかなプレリュードで始まる曲だった。ヴィオラのソロをされていた方が超絶技巧だったので、おもわず見入ってしまった。
定員500人ほどの小さなホールだが、席はかなりの程度埋まっている。きっと私のように、いちど聴いたら忘れられず、何度も聴きに来ておられる方も多いのだろう。こういうステージで、これだけお客さんのいるところで弾けたら本当に楽しいだろうなと思う。その楽しいという気持ちが伝わってきて、本当にいい演奏だった。
2014年9月7日日曜日
導音は高め、下属音は低め
「冬のラルゴ」は18小節だけの短い曲。有名な「ヴィヴァルディの四季」のうちの「冬」の第2楽章だ。発表会後の初めてのレッスンで、先生が、「もう、次の発表会を目指して練習しますか」と仰るので、これを見てもらうようにお願いした。
短い曲なので、一応は弾ける。練習しなくても弾けるということではなくて、最初のレッスンで見てもらえるように練習してきたので、一応は弾けるようになった。通して聴いていただいたところで、先生から第1問。
《問題》
この曲はAntonioVivaldiの曲ですが、Vivaldiはバロック音楽の作曲家ですか、古典派ですか、あるいはロマン派ですか?
AntonioVivaldiは、17~18世紀にヴェネツィアを中心に活躍した作曲家で、多くの協奏曲を残している。そのころから楽譜を印刷して出版するというのがビジネスとして成り立つようになったようで、彼の書いた曲も多くが「協奏曲集」として出版されている。
1725年に発表された「和声とインベンションの試み」(私は小学校でこう教えられたのだが、最近は「和声と創意の試み」と訳されているようだ)は、12曲からなるヴァイオリン協奏曲で、1番から4番までにそれぞれ「春」「夏」「秋」「冬」の表題がついているので、これらを合わせて「ヴィヴァルディの四季」と呼んでいる。他にも「海の嵐」だとか「喜び」だとか「狩り」だとかいう表題が付いている曲あるのだが、あまり有名ではない。聴いてみたいとは思うのだが、いままでその機会はなかった。
コンサートなどでは、1番から4番を「四季」として弾いたり、4番だけを「ヴィヴァルディの四季より『冬』」などとして弾いたりする場合が多い。だけど、例えばトークを交えて小品ばかりを演奏するようなステージなら、この第2楽章だけを引っ張り出してもなかなか様になるような気がする。
これぐらいの薀蓄(うんちく)なら言えるので、こんな問題は「いただき問題」だ。
《解答》バロック音楽
はい正「解!
バロックや古典派の場合は、トリルは上から取りましょう。
そういえば前に聞いたことがある ← だっただそうしろよ!
楽譜には
シーシラソファミレドシドtrーーーーーーーシシー ン
となっているところを、つい、
シーシラソファミレドシドレドレドレドレドーシシー ン
短い曲なので、一応は弾ける。練習しなくても弾けるということではなくて、最初のレッスンで見てもらえるように練習してきたので、一応は弾けるようになった。通して聴いていただいたところで、先生から第1問。
《問題》
この曲はAntonioVivaldiの曲ですが、Vivaldiはバロック音楽の作曲家ですか、古典派ですか、あるいはロマン派ですか?
AntonioVivaldiは、17~18世紀にヴェネツィアを中心に活躍した作曲家で、多くの協奏曲を残している。そのころから楽譜を印刷して出版するというのがビジネスとして成り立つようになったようで、彼の書いた曲も多くが「協奏曲集」として出版されている。
1725年に発表された「和声とインベンションの試み」(私は小学校でこう教えられたのだが、最近は「和声と創意の試み」と訳されているようだ)は、12曲からなるヴァイオリン協奏曲で、1番から4番までにそれぞれ「春」「夏」「秋」「冬」の表題がついているので、これらを合わせて「ヴィヴァルディの四季」と呼んでいる。他にも「海の嵐」だとか「喜び」だとか「狩り」だとかいう表題が付いている曲あるのだが、あまり有名ではない。聴いてみたいとは思うのだが、いままでその機会はなかった。
コンサートなどでは、1番から4番を「四季」として弾いたり、4番だけを「ヴィヴァルディの四季より『冬』」などとして弾いたりする場合が多い。だけど、例えばトークを交えて小品ばかりを演奏するようなステージなら、この第2楽章だけを引っ張り出してもなかなか様になるような気がする。
これぐらいの薀蓄(うんちく)なら言えるので、こんな問題は「いただき問題」だ。
《解答》バロック音楽
はい正「解!
バロックや古典派の場合は、トリルは上から取りましょう。
そういえば前に聞いたことがある ← だっただそうしろよ!
楽譜には
シーシラソファミレドシドtrーーーーーーーシシー ン
となっているところを、つい、
シーシラソファミレドシドレドレドレドレドーシシー ン
と弾いてしまいがちなのだが、そこを
シーシラソファミレドシレードレドレドレドーシシー ン
と弾かないといけない。
うむ。薀蓄では追いつかなかった。
《問題》
フラット3つのこの曲は何調ですか?
これも大丈夫。合唱などで移動音階読みするときに、最後のフラットのところを「ファ」にして読む。ちなみにフラットは移動音階読みするときの「シ」の音に順番に付けていくので、絶対音階でいうと、シ→ミ→ラ→レ→ソ→ド→ファ の順番に付く。フラット3つなので、最後にフラットがついているのは「ラ」。ラをファと読み替えると、ドはミに移動する。ミは音名でいうと「ホ」なので「ホ長調」と言いたいところだけれど、そこは既にフラットがついているので・・・
《解答》変ホ長調
はい、これも正解!
じゃ、次の問題です。
《問題》
変ホ長調でレの音は「導音」ですが、これは高めに弾くのですか。それとも低めですか?
こうなると、もはや薀蓄は何もない。
《解答》ん~と、え~と・・・ ひ・く・め
惜しい!
いや先生、高いか低いかしか答えないんだから、惜しいも何もないですよ。
導音というのは主音を導いてくる音。主音の半音下の音だ。この音が鳴ると、「もうすぐ主音が来るんだなぁ」という予感がする音なので、「導音」というそうだ。だから、主音に近い音程、つまり高めに弾くほうが座りがいい。安心して聴いていられる、ということらしい。
サードポジションでは、A線の1指と2指が導音、主音になるのだが、久しぶりにヴィオラをヴァイオリンい持ち替えると、サードポジションの指の間隔は結構狭い。これをさらにに狭くか~。
そして、4番目の音は下属音というそうだ。
属音というのは聞いたことがある。主音と周波数でいうとちょうど1.5倍の音程。ハ長調ならソ、変ホ長調なら♭シだ。これは主音との関係でいうといちばんハモらさなければいけない音なのだが、ヴァイオリンの場合は主音を引いた指をそのまま真横に移してフィンガリングすればよさそうだ。
下属音というのはその下の音で、ハ長調ならファ、変ロ長調なら♭ラの音なんだが、これを低めに取るようにとのこと。
こいつはファーストポジションのE線の3指に現れるのだが、これが、今更ながらのなかなか曲者。1指が♭、1指と2指間が全音、2指と3指間が半音という指の形は、変ロ長調で初めて出てきた形だ。どうもうまく3指がフラットになってくれない。低めどころか、普通のラ♭よりもラ♮に近い音になっている。
最初のレッスンからずいぶん濃い内容だった。ヴァイオリンを弾こうなんて方は普通、こういう理屈は苦手とされる方が多いようだが、私の場合はこういうのが結構好きなので楽しいレッスンだった。ただ、理屈が好きなのと上手く弾けるのはまったく別で、どうも理屈っぽいのが上達しない原因のようにも思えているのだが・・・。
2014年9月6日土曜日
2年後の発表会に向けて始動
発表会後、初のレッスンがあった。
スタジオに着くと、先生と奥さん、御主人がおられる。先日の発表会のお礼を言うと、私のステージが「一皮剥けた」感じで楽しげだった、との講評をいただいた。素直にこれはうれしい。このスタジオの発表会ならではの雰囲気をいつも楽しみにしているのだが、何回か出ているうちに、自分もその雰囲気を作る側に回ってきたのかもしれない。
ステージで演奏している人を見ていると、まるで自分を鏡に映しているようにさえ思える。演奏にはそれぞれの人柄が出てくるのだが、みていて「あ、いいな」と思っているときは「自分もこうありたい」と思っているとき。「わ、すごいな」と思っているときは「自分にはとてもできない」と思っているとき。楽器こそ違うけれど、そこで弾いている人を見ながら自分がその時にステージに上がっている間接体験をしているようにさえ思える。
スタジオの講師のお一人が仰るには、これだけいろんな楽器のレッスンを受けられる音楽教室はとても貴重だ、とのこと。大手のところならあるが、ほぼ個人経営の小さなスタジオで、これだけ本格的にいろんな楽器のレッスンが受けられて、発表会まであるというところは珍しいかもしれない。
そんなことを考えながら、次はぜひ、他の楽器とのセッションをやってみたい、などと思っている。こういうのは、このスタジオの発表会ならではなのかもしれない。複数の先生のお世話になるので、スタジオにはお手数をおかけしてしまうのだが…
そんな訳でまずはこれ。ヴィヴァルディ四季の冬のラルゴで使われる変ホ長調の音階練習。
えっ、そこから?
えぇ、そこからです。この曲の伴奏をマリンバの先生にお願いできないかなぁ、と考えているところ。ちゃんと弾けないとバヨ先生に申し訳ないので、まずは音階練習から。
なんとも気の長い話なんだけど。
そして、もうひとつはこれ。
情熱大陸
とかいう共通点があると勝手に私が思っている人、何人かに声かけて、セッションをやろうという目論見。
発表会のあとの打ち上げで、けっこうこの話題で盛り上がっていたのだが、必ずしも「やろう」という賛意が示された訳ではない。やるとしても他の曲かもしれないのだが、果たしてどうなるか。
スタジオに着くと、先生と奥さん、御主人がおられる。先日の発表会のお礼を言うと、私のステージが「一皮剥けた」感じで楽しげだった、との講評をいただいた。素直にこれはうれしい。このスタジオの発表会ならではの雰囲気をいつも楽しみにしているのだが、何回か出ているうちに、自分もその雰囲気を作る側に回ってきたのかもしれない。
ステージで演奏している人を見ていると、まるで自分を鏡に映しているようにさえ思える。演奏にはそれぞれの人柄が出てくるのだが、みていて「あ、いいな」と思っているときは「自分もこうありたい」と思っているとき。「わ、すごいな」と思っているときは「自分にはとてもできない」と思っているとき。楽器こそ違うけれど、そこで弾いている人を見ながら自分がその時にステージに上がっている間接体験をしているようにさえ思える。
これで音階練習するのさ ヴィヴァルディ四季 冬のラルゴ |
そんなことを考えながら、次はぜひ、他の楽器とのセッションをやってみたい、などと思っている。こういうのは、このスタジオの発表会ならではなのかもしれない。複数の先生のお世話になるので、スタジオにはお手数をおかけしてしまうのだが…
そんな訳でまずはこれ。ヴィヴァルディ四季の冬のラルゴで使われる変ホ長調の音階練習。
えっ、そこから?
えぇ、そこからです。この曲の伴奏をマリンバの先生にお願いできないかなぁ、と考えているところ。ちゃんと弾けないとバヨ先生に申し訳ないので、まずは音階練習から。
なんとも気の長い話なんだけど。
そして、もうひとつはこれ。
メトロノームには合わせられません お馴染みの情熱大陸 |
- 私みたいな、おっちゃん
- 大人になってから始めた
- 割と意地になる
- 必死さがステージに出てしまう
- 上手じゃないけど楽しそう
とかいう共通点があると勝手に私が思っている人、何人かに声かけて、セッションをやろうという目論見。
発表会のあとの打ち上げで、けっこうこの話題で盛り上がっていたのだが、必ずしも「やろう」という賛意が示された訳ではない。やるとしても他の曲かもしれないのだが、果たしてどうなるか。
2014年9月2日火曜日
発表会レポート~終結部~
ソロの発表が終わって問題のアンサンブルが近づいてくる。とはいっても、もうジタバタしても始まらないのと、アンサンブルメンバーのそれぞれのソロの発表があったりするので、出来るだけ他の方の演奏を聴くようにしていた。特に自分のソロの発表が終わって以降はずっと客席にいた。
今回の発表会では、アンサンブルはふたつだけ。ひとつはヴォーカル、つまり合唱のアンサンブルと、もうひとつが私たちの弦楽アンサンブルだ。
ソロの発表がすべて終わって楽屋に行くと、しばらくしてバヨ先生がお越しになり、そこで全員での駆け込み練習が始まる。そこでもバヨ先生は終始笑顔で、大丈夫、大丈夫、もっと出して、ほら、という調子。ステージではすでにヴォーカルアンサンブルの合唱が始まっていて、間もなく終わりかけ。
あ、もう行かなきゃ
と先生に促されて舞台袖に入る。
私はここで、
と先生は客席へ行ってしまわれた。うむ、多少不安なのだが、客席には先生もおられる、と自分に言い聞かせてステージに乗る。
演奏が始まってみると結構緊張している。さっきのソロ以上だ。
ラピュタはヴィオラのソロから始まるのだが、そこはまずまず。練習で出せるレベルの中でも「上の中」ぐらいの出来だ。ま、ここが出来ればヴィオラの大事な役割は半分消化したようなもの。しかし、この後の中盤の再びヴィオラが主旋律になるところの直前で不覚にも音を失ってしまい、それを切っ掛けに右手が震えだす。弓ビブラートが掛かってしまった。
パッヘルベルのカノンでは、自分がほぼソロになってしまう箇所で、走っているのが分かっていながら止められず、大過には至らなかったもののかなりまずい状況になってしまった。
そんな訳で、アンサンブルについては反省することしきり。
ただ、他の楽器をされておられる方からも、聴きに来てくれた家族からも、ラピュタはずいぶん褒められた。ファーストヴァイオリンが安定していて、崩れてもそこそこ立ち直れることと、選曲でかなりポイントを上げていたのかもしれないが、ヴィオラも含めて全部のパートにそれぞれ聞かせどころがある曲だけに、褒められるのは結構嬉しい。
打ち上げにはいろんな楽器の生徒さんがおられて、ほとんどの方は2年に一度の発表会以外にお会いする機会がない方ばかり。それでも中には何度か発表会でお会いして、前回はこんな曲を弾かれていたなぁ、なんてことを覚えている方もおられる。
大人になってから楽器を習うという機会はあまりあるものではないので、こうしてお話しが出来るというのも、本当にいろんな偶然が重なっての出会いではないかと思う。お互いこれからもそれぞれの楽器を続けて、また2年後もこうしてお話しが出来ればと思う。
(完)
今回の発表会では、アンサンブルはふたつだけ。ひとつはヴォーカル、つまり合唱のアンサンブルと、もうひとつが私たちの弦楽アンサンブルだ。
ソロの発表がすべて終わって楽屋に行くと、しばらくしてバヨ先生がお越しになり、そこで全員での駆け込み練習が始まる。そこでもバヨ先生は終始笑顔で、大丈夫、大丈夫、もっと出して、ほら、という調子。ステージではすでにヴォーカルアンサンブルの合唱が始まっていて、間もなく終わりかけ。
あ、もう行かなきゃ
と先生に促されて舞台袖に入る。
私はここで、
と先生は客席へ行ってしまわれた。うむ、多少不安なのだが、客席には先生もおられる、と自分に言い聞かせてステージに乗る。
演奏が始まってみると結構緊張している。さっきのソロ以上だ。
ラピュタはヴィオラのソロから始まるのだが、そこはまずまず。練習で出せるレベルの中でも「上の中」ぐらいの出来だ。ま、ここが出来ればヴィオラの大事な役割は半分消化したようなもの。しかし、この後の中盤の再びヴィオラが主旋律になるところの直前で不覚にも音を失ってしまい、それを切っ掛けに右手が震えだす。弓ビブラートが掛かってしまった。
パッヘルベルのカノンでは、自分がほぼソロになってしまう箇所で、走っているのが分かっていながら止められず、大過には至らなかったもののかなりまずい状況になってしまった。
そんな訳で、アンサンブルについては反省することしきり。
ただ、他の楽器をされておられる方からも、聴きに来てくれた家族からも、ラピュタはずいぶん褒められた。ファーストヴァイオリンが安定していて、崩れてもそこそこ立ち直れることと、選曲でかなりポイントを上げていたのかもしれないが、ヴィオラも含めて全部のパートにそれぞれ聞かせどころがある曲だけに、褒められるのは結構嬉しい。
打ち上げにはいろんな楽器の生徒さんがおられて、ほとんどの方は2年に一度の発表会以外にお会いする機会がない方ばかり。それでも中には何度か発表会でお会いして、前回はこんな曲を弾かれていたなぁ、なんてことを覚えている方もおられる。
大人になってから楽器を習うという機会はあまりあるものではないので、こうしてお話しが出来るというのも、本当にいろんな偶然が重なっての出会いではないかと思う。お互いこれからもそれぞれの楽器を続けて、また2年後もこうしてお話しが出来ればと思う。
(完)
2014年9月1日月曜日
発表会レポート~再現部~
そんなこんながあって迎えた本番。
直前に舞台袖で待機していると、バヨ先生が調弦に来てくださった。
ご出産で退職されるというときは、まだ、この曲が通して弾けるかどうか分からないような状態だったが、先生が発表会に来てくださるならぜひこの曲を弾きたい、などということをお願いして、そのときはもしかすると少し困られたかもしれないが、今日はこうして聴きに来てくださって、しかも調弦までしてくださる。もちろん調弦してもらうことよりも、舞台袖にまで来てくださることの方が嬉しい。年甲斐もなく、
弾きますよ、先生。
聴いていてくださいね。
なんて気持ちになってくる。
そうはいっても、やはりステージでスポットライトを浴びるとそれなりに緊張もする。本当なら、ここは麦穂だ、ここは波だ、などといったことをイメージしながら、「先生、聴いていただいていますか、これからもヴァイオリン続けますよ」、というメッセージを送り続けるべきところを、「ここはもっと弓を大きく使わなきゃ」とか「ここは胸を張って堂々と弾かなきゃ」とかいう技術的なのか何なのかよく分からないことばっかり考えていたので、考えていることとは裏腹に弓は小さくなるし背中も丸くなってくる。どこかやっぱり「上手に弾かなきゃ」という思いが先走ってしまっている。つくづく、まだまだ人徳が足りないなぁ、と思う。
妻に言わせると、緊張しているのが伝わってきた演奏だったらしい。
リハーサルのときに、ちょっと音程を外して「どうしよう」と思っていたところがしっかり録音されていたように、わずかな緊張もやはりそのまま音に出てしまって、それがホール全体で増幅されるのだろう。だからこそ、そこはもっと、「こう聴いてほしい」ということを意識しておけばよかったのだが、なかなかそういうところにまで行けないのが小市民の限界ともいえる。
とはいうものの、これまでの発表会に比べれば上出来。最後の最後を除けば大過なく演奏が出来た。それが最後のところになって左手小指がかなり疲弊してきて、サードポジションンの薬指と小指で弾く最後のフレーズがかなり怪しくなってくる。ここはさっきまでの練習でも怪しくて、本番前の駆け込みで何度も練習していたのだが、その練習が却って仇になってしまい、本番で小指でのフィンガリングが出来なくなってしまった。
最後の
ジャラーーーーーン
と弾かなければいけない3重音が
フンニャー
と情けない感じで終わってしまう。いちおう弓を高く掲げて「いま演奏が終わりました」というアピールをするのだが、会場は「えっ、ここ拍手していいの?」っという雰囲気。お辞儀して初めて拍手がもらえた。
ま、しかし、練習で出来たり出来なかったりというところは本番では必ず出来ない、ということは分かっていたし、あそこのところは「出来ればラッキー」ぐらいのできあがりだったので、もう悔いなし。
聴いている人に、「これからもヴァイオリンを続けます」という思いが伝わったかどうかは分からないが、自分では、演奏が終わって、「これからもヴァイオリンを続けよう」という思いが強くなった。少なくとも、「最後失敗した。もう発表会は嫌だ」という思いになる演奏ではなかった。
(つづく)
直前に舞台袖で待機していると、バヨ先生が調弦に来てくださった。
ご出産で退職されるというときは、まだ、この曲が通して弾けるかどうか分からないような状態だったが、先生が発表会に来てくださるならぜひこの曲を弾きたい、などということをお願いして、そのときはもしかすると少し困られたかもしれないが、今日はこうして聴きに来てくださって、しかも調弦までしてくださる。もちろん調弦してもらうことよりも、舞台袖にまで来てくださることの方が嬉しい。年甲斐もなく、
弾きますよ、先生。
聴いていてくださいね。
なんて気持ちになってくる。
そうはいっても、やはりステージでスポットライトを浴びるとそれなりに緊張もする。本当なら、ここは麦穂だ、ここは波だ、などといったことをイメージしながら、「先生、聴いていただいていますか、これからもヴァイオリン続けますよ」、というメッセージを送り続けるべきところを、「ここはもっと弓を大きく使わなきゃ」とか「ここは胸を張って堂々と弾かなきゃ」とかいう技術的なのか何なのかよく分からないことばっかり考えていたので、考えていることとは裏腹に弓は小さくなるし背中も丸くなってくる。どこかやっぱり「上手に弾かなきゃ」という思いが先走ってしまっている。つくづく、まだまだ人徳が足りないなぁ、と思う。
妻に言わせると、緊張しているのが伝わってきた演奏だったらしい。
リハーサルのときに、ちょっと音程を外して「どうしよう」と思っていたところがしっかり録音されていたように、わずかな緊張もやはりそのまま音に出てしまって、それがホール全体で増幅されるのだろう。だからこそ、そこはもっと、「こう聴いてほしい」ということを意識しておけばよかったのだが、なかなかそういうところにまで行けないのが小市民の限界ともいえる。
とはいうものの、これまでの発表会に比べれば上出来。最後の最後を除けば大過なく演奏が出来た。それが最後のところになって左手小指がかなり疲弊してきて、サードポジションンの薬指と小指で弾く最後のフレーズがかなり怪しくなってくる。ここはさっきまでの練習でも怪しくて、本番前の駆け込みで何度も練習していたのだが、その練習が却って仇になってしまい、本番で小指でのフィンガリングが出来なくなってしまった。
最後の
ジャラーーーーーン
と弾かなければいけない3重音が
フンニャー
と情けない感じで終わってしまう。いちおう弓を高く掲げて「いま演奏が終わりました」というアピールをするのだが、会場は「えっ、ここ拍手していいの?」っという雰囲気。お辞儀して初めて拍手がもらえた。
ま、しかし、練習で出来たり出来なかったりというところは本番では必ず出来ない、ということは分かっていたし、あそこのところは「出来ればラッキー」ぐらいのできあがりだったので、もう悔いなし。
聴いている人に、「これからもヴァイオリンを続けます」という思いが伝わったかどうかは分からないが、自分では、演奏が終わって、「これからもヴァイオリンを続けよう」という思いが強くなった。少なくとも、「最後失敗した。もう発表会は嫌だ」という思いになる演奏ではなかった。
(つづく)
2014年8月31日日曜日
発表会レポート~展開部~
ソロの曲が片付いたら、今度はアンサンブルの練習とリハーサル。
ここで大きな問題がふたつ。
まずひとつ目は、メンバー5人が集まって弾くのはこの日が初めてだということ。5人のうち何人かが集まったことは何度かあったのだが、全員が集まることは終ぞなかった。そこに加えて、アンサンブルをご指導いただくはずのバヨ先生が体調不良でお越しになれず、指導者もいないところで素人集団が闇雲に練習して本番、というかなり大胆な状況になってしまった。
ここで、これまでの練習でも問題になっていたペースの問題が一気に露呈。
このアンサンブルに限ったことではないが、合奏すると、いちばん音符の多いパートが何故かいちばん走ってしまうという現象。音符が多いから速く弾かなきゃ、という思いが先行し、しかもそれに必死になるので他のパートが聴けずに自分一人走ってしまうというやつだ。バヨ会でも何度か経験しているのだが、誰か指導する立場の人がいてくれるとわりと解消できるのだけれど、今日はそうもいかない。こういうところで先生の偉大さを感じる。
楽屋での練習がこんな状態で迎えたステージリハーサル。前回の発表会で伴奏をお願いしたピアノの先生にご指導をお願いして弾いてみるのだが、ご指導いただくまでもなく崩壊。会場にはいろんな楽器の先生がおられるのだが、みなさん異口同音に「速い」というご指導。メンバーのひとりも
ちょっと笑っちゃいましたね
なんて言うぐらいの崩壊ぶりだった。ま、あそこまで崩壊すると笑うしかない。
そうはいうものの、なんとか本番は大過なく最後まで弾きたい。メンバー5人が集まったのは今日が初めてなのだから、まだ5人で練習した時間は1時間もない。これから本番までにこれの倍ぐらいは練習できる。
楽屋はピアノを使った練習をされる方に譲って、今度はロビーで練習。
果たしてこれは、お客さんの呼び込みになるのか。
と、そこに乳飲み子を連れた美しいご婦人がこちらの方をご覧になっている。あ、3月までお世話になっていたバヨ先生ではないか。生まれたばかりのお子さんを連れて聴きに来てくださったんだ。うゎ~可愛い。こんな小さいのにしっかり二重瞼。先生に似て美人。知らない人がいっぱいなのに全然嫌な顔しない。まるで発表会に出るようなシルク様のドレスを着せてもらっている・・・
いやいや、それはそれとして、ここはこの先生にご指導をお願いするしかない。
笑っちゃいましたね、などとはいいつつ、メンバーとしてはかなり焦っているところなのだが、先生は終始笑顔。
大丈夫ですよ。大丈夫ですよ。
と仰るのは、論理的には何が大丈夫なのかわからないが、とにかく大丈夫なんだろうという暗示に掛けられる。ご指導とはいっても、先生の前で1回通せるかどうか、ぐらいの時間しかない中で、何も理屈は仰らずに、
もっと出して、ほら、
みたいなことばかり。ところが、これの効果がすごい。本当にそれで大丈夫になってしまう。なんとなくこれで本番も行けるような気がしてきた。
(つづく)
ここで大きな問題がふたつ。
まずひとつ目は、メンバー5人が集まって弾くのはこの日が初めてだということ。5人のうち何人かが集まったことは何度かあったのだが、全員が集まることは終ぞなかった。そこに加えて、アンサンブルをご指導いただくはずのバヨ先生が体調不良でお越しになれず、指導者もいないところで素人集団が闇雲に練習して本番、というかなり大胆な状況になってしまった。
ここで、これまでの練習でも問題になっていたペースの問題が一気に露呈。
このアンサンブルに限ったことではないが、合奏すると、いちばん音符の多いパートが何故かいちばん走ってしまうという現象。音符が多いから速く弾かなきゃ、という思いが先行し、しかもそれに必死になるので他のパートが聴けずに自分一人走ってしまうというやつだ。バヨ会でも何度か経験しているのだが、誰か指導する立場の人がいてくれるとわりと解消できるのだけれど、今日はそうもいかない。こういうところで先生の偉大さを感じる。
楽屋での練習がこんな状態で迎えたステージリハーサル。前回の発表会で伴奏をお願いしたピアノの先生にご指導をお願いして弾いてみるのだが、ご指導いただくまでもなく崩壊。会場にはいろんな楽器の先生がおられるのだが、みなさん異口同音に「速い」というご指導。メンバーのひとりも
ちょっと笑っちゃいましたね
なんて言うぐらいの崩壊ぶりだった。ま、あそこまで崩壊すると笑うしかない。
そうはいうものの、なんとか本番は大過なく最後まで弾きたい。メンバー5人が集まったのは今日が初めてなのだから、まだ5人で練習した時間は1時間もない。これから本番までにこれの倍ぐらいは練習できる。
楽屋はピアノを使った練習をされる方に譲って、今度はロビーで練習。
果たしてこれは、お客さんの呼び込みになるのか。
と、そこに乳飲み子を連れた美しいご婦人がこちらの方をご覧になっている。あ、3月までお世話になっていたバヨ先生ではないか。生まれたばかりのお子さんを連れて聴きに来てくださったんだ。うゎ~可愛い。こんな小さいのにしっかり二重瞼。先生に似て美人。知らない人がいっぱいなのに全然嫌な顔しない。まるで発表会に出るようなシルク様のドレスを着せてもらっている・・・
いやいや、それはそれとして、ここはこの先生にご指導をお願いするしかない。
笑っちゃいましたね、などとはいいつつ、メンバーとしてはかなり焦っているところなのだが、先生は終始笑顔。
大丈夫ですよ。大丈夫ですよ。
と仰るのは、論理的には何が大丈夫なのかわからないが、とにかく大丈夫なんだろうという暗示に掛けられる。ご指導とはいっても、先生の前で1回通せるかどうか、ぐらいの時間しかない中で、何も理屈は仰らずに、
もっと出して、ほら、
みたいなことばかり。ところが、これの効果がすごい。本当にそれで大丈夫になってしまう。なんとなくこれで本番も行けるような気がしてきた。
(つづく)
発表会レポート~提示部~
もうすでにこの発表会も4度目。
最初のうちは、他の人が上手に弾くと、それよりも上手く弾かなければ、という思いに縛られていたのだが、今回はすっかりそこから解脱している、と思う。誰かと競って勝たなければという思いに縛られる必要がないのは、オリンピックに出場するアスリートとは明らかに違う。いや、オリンピック選手ももしかすとと、そこから解脱したところに結果があるのかもしれないが。
今回の発表会で発表するべきものは、これからもヴァイオリンを続けますよ、という意思だったかもしれない。昨年の今頃、諸般の事情でヴァイオリンを続けられず、いったん中断したあと、いろいろな思いを巡らせて復活。長い間お世話になった先生がご退職されたり、このブログに書いていること、書いていないこと、いろんなことがあって、けっして順風満帆でも、お気軽お気楽でもなかった。そういう中で弾くバッハ無伴奏は、「これからも続けるぞ」という静かだけれど固い意志が込められているように思える。
そりゃもちろん、聴いている人にそんなふうに聴いてもらえるような演奏もできないし、弾いていてもそんなふうには聞えないのだが、そこは心の耳で聞けばそんなふうにも聞えてくる。
午前10時前に会場に付くと、すでにステージではリハーサルが始まっている。リハーサル室にもピアノがあるのだが、そこも本番前の駆け込み練習でテンションをあげようという人が入れ代わり立ち代わり練習をされている。その横でもしばらく練習していたのだが、ピアノやマリンバなど移動させるが難しい楽器だとか、ピアノの伴奏があるような方にリハーサル室を譲って、外で練習。裏口から出たところは国道脇で、車道は盛り土の上なのでクルマからは見られず、木陰もあり、向かいはガソリンスタンドという立地。幸いそれほど暑くもないので、そこで練習をする。外で弾くというのは久しぶりだ。バッハの旋律が蝉しぐれの中に溶け込んでいく。
とりあえず、自分のソロのリハーサルまでは、アンサンブルは置いておいてソロの練習だ。そうこうしているうちにリハーサルの順番が回ってきた。
内輪の発表会とはいえ、立派なステージをあてがわれ、緊張してくださいと言わんばかりにスポットライトが当てられる。しかし、このときは不思議と冷静だった。いつものことだが、このリハーサルのときがいちばんいい演奏が出来る。音色は普段とは明らかに違う。強弱だとか緩急だとかはとにかく大袈裟にやってみるのだが、それがまったくわざとらしくは聴こえない。小さな音で弾いていてもしっかり客席に響いていて、その響きがわずかな時間のずれを伴って聴こえてくる。
この曲は、同じような旋律が続いているけれど、最初のところは、麦穂を風が揺らすように、強弱は付けるのだけれどアクセントは付けないように弾くとか、途中のところは波が岩を砕くようにアクセントをつけて弾くとか、最初は麦穂が揺れているので、強く揺れて弱く揺れて、の繰り返し、途中のところは波が寄せてきてドッカーン、スーッと波が引いていく、とか、自分なりに結構いろんなことを考えて表現しようと思っていたのだが、そういう表現の幅が普段よりも格段に広がるような気がする。
会場全体が楽器になっていて、いままでは、スタジオだとかカラオケボックスの部屋だとかをキャンバスにして試作品を描いていたのを、さあ本番はこのキャンバスに思いっきり描いてください、と言われている感じだ。小さなキャンバスには描けなかった細かいところも描けるし、全体的にはもっと大胆に表現してもちっとも不自然じゃない感じ。
あとで録音を聴いてみると、音程を外していたりとか間違えたりとかして「どうしよう」とステージで思っているところがそのまま録音されている。
表現したいと思っていたところは、なんぼ何でもここまでやったらやりすぎだろう、とちょっと控えたところが、いやいやもっと大胆にやってもいいんじゃない、って感じだ。
全体的にはなかなかいい感じにテンションが上がってきた。
今日はなかなか調子がいいかもしれない
(つづく)
最初のうちは、他の人が上手に弾くと、それよりも上手く弾かなければ、という思いに縛られていたのだが、今回はすっかりそこから解脱している、と思う。誰かと競って勝たなければという思いに縛られる必要がないのは、オリンピックに出場するアスリートとは明らかに違う。いや、オリンピック選手ももしかすとと、そこから解脱したところに結果があるのかもしれないが。
今回の発表会で発表するべきものは、これからもヴァイオリンを続けますよ、という意思だったかもしれない。昨年の今頃、諸般の事情でヴァイオリンを続けられず、いったん中断したあと、いろいろな思いを巡らせて復活。長い間お世話になった先生がご退職されたり、このブログに書いていること、書いていないこと、いろんなことがあって、けっして順風満帆でも、お気軽お気楽でもなかった。そういう中で弾くバッハ無伴奏は、「これからも続けるぞ」という静かだけれど固い意志が込められているように思える。
そりゃもちろん、聴いている人にそんなふうに聴いてもらえるような演奏もできないし、弾いていてもそんなふうには聞えないのだが、そこは心の耳で聞けばそんなふうにも聞えてくる。
午前10時前に会場に付くと、すでにステージではリハーサルが始まっている。リハーサル室にもピアノがあるのだが、そこも本番前の駆け込み練習でテンションをあげようという人が入れ代わり立ち代わり練習をされている。その横でもしばらく練習していたのだが、ピアノやマリンバなど移動させるが難しい楽器だとか、ピアノの伴奏があるような方にリハーサル室を譲って、外で練習。裏口から出たところは国道脇で、車道は盛り土の上なのでクルマからは見られず、木陰もあり、向かいはガソリンスタンドという立地。幸いそれほど暑くもないので、そこで練習をする。外で弾くというのは久しぶりだ。バッハの旋律が蝉しぐれの中に溶け込んでいく。
とりあえず、自分のソロのリハーサルまでは、アンサンブルは置いておいてソロの練習だ。そうこうしているうちにリハーサルの順番が回ってきた。
内輪の発表会とはいえ、立派なステージをあてがわれ、緊張してくださいと言わんばかりにスポットライトが当てられる。しかし、このときは不思議と冷静だった。いつものことだが、このリハーサルのときがいちばんいい演奏が出来る。音色は普段とは明らかに違う。強弱だとか緩急だとかはとにかく大袈裟にやってみるのだが、それがまったくわざとらしくは聴こえない。小さな音で弾いていてもしっかり客席に響いていて、その響きがわずかな時間のずれを伴って聴こえてくる。
この曲は、同じような旋律が続いているけれど、最初のところは、麦穂を風が揺らすように、強弱は付けるのだけれどアクセントは付けないように弾くとか、途中のところは波が岩を砕くようにアクセントをつけて弾くとか、最初は麦穂が揺れているので、強く揺れて弱く揺れて、の繰り返し、途中のところは波が寄せてきてドッカーン、スーッと波が引いていく、とか、自分なりに結構いろんなことを考えて表現しようと思っていたのだが、そういう表現の幅が普段よりも格段に広がるような気がする。
会場全体が楽器になっていて、いままでは、スタジオだとかカラオケボックスの部屋だとかをキャンバスにして試作品を描いていたのを、さあ本番はこのキャンバスに思いっきり描いてください、と言われている感じだ。小さなキャンバスには描けなかった細かいところも描けるし、全体的にはもっと大胆に表現してもちっとも不自然じゃない感じ。
あとで録音を聴いてみると、音程を外していたりとか間違えたりとかして「どうしよう」とステージで思っているところがそのまま録音されている。
表現したいと思っていたところは、なんぼ何でもここまでやったらやりすぎだろう、とちょっと控えたところが、いやいやもっと大胆にやってもいいんじゃない、って感じだ。
全体的にはなかなかいい感じにテンションが上がってきた。
今日はなかなか調子がいいかもしれない
(つづく)
2014年8月30日土曜日
発表会レポート~導入部~
発表会レポートを書かなければ、と思いつつ1週間がたってしまった。ま、誰が読むという訳でもないので「書かなければ」と思うこと自体がおこがましいことではあるが、私にとっては2年に1度の大イベント。4年に一度のオリンピックを目指して取り組むアスリートたちと同じ気持ちでこれまで取り組んできた、のかどうかは、アスリートの気持ちが分からないので定かではないが、やや大げさに言えば人生の節目のようなもの。書き留めておかないと自分の気が済まない。
こういう動機で書くレポートなので、読んでも何の役にも立たない。最近、読んで役に立たないことをネットに書くと、読んだ時間が無駄になったと言わんばかりに批判的なコメントというか、何を批判しているのかもよく分からないヘイトコメントを書くことを業としておられる方も大勢おられるが、そういう方は、右上の×マークをクリックすれば不愉快な思いをせずに済みます。
さてさて、いつもレッスンを受けているスタジオは、ヴァイオリンだけでなく、ピアノ、クラリネット、フルート、サックス。マリンバ、声楽など、いろんな楽器のレッスンが受けられる。ピアノは子供たちが多いが、他の楽器は大人が中心。毎年開催される子供の発表会とは別に、2年に一度、大人の発表会がある。私が住んでいる県は、人口でいうと全国28位の田舎だが、これだけ多種多様な楽器のレッスンを受けられる教室は都会でも珍しい、というのは講師のお一人の言説。確かにそうかもしれない。当然、発表会でも多種多様な楽器の生徒さんが、入れ替わり立ち代わりステージに立つ。どの人も、すごく上手だったり、すごく楽しそうだったり、子供の発表会とは違う独特の雰囲気の中で、演奏される方おひとりお一人のキャラクターが演奏に滲み出てくる。聴いてる分には楽しいが、聴かせる分には結構、プレッシャーの強い発表会だったりする。
会場はコンサートピアノもある立派なホール。出演者22人のために講師の先生9人が1日、予定を開けてくださるという、素人の演奏にはもったいないような、申し訳ないような発表会だ。
今回の発表会での私の出し物は2ステージ3曲。
ひとつは、ヴィオラで弾くバッハ無伴奏チェロ組曲1番のプレリュード。もちろん伴奏は付かない。ステージの上は私一人だ。
残りの2曲は弦楽アンサンブル。チェロだけは2人の4パート5人による弦楽四重奏で、おなじみ「天空の城ラピュタ」から「きみを乗せて」と、パッヘルベルのカノン。ラピュタはもちろんヴィオラパート。カノンも、原曲はヴァイオリンで弾くところをヴィオラ用にアレンジしていただいた3バヨを弾く。
発表会は1時からなのだが、ホールは朝から借りられていて、午前中はリハーサルがある。一般の人も来聴歓迎なのだが、午前中のリハーサルも入口のカギを締めている訳ではないので、誰でも聴ける。本番は午後だけだが、自分としては1日中が発表会。アスリートにとって開会式から閉会式、いやその前の出場選考をするシーズンの競技をすべて含めてオリンピックなのと同じかどうかは分からないが、とにかく特別な1日だ。
(つづく)
発表会の会場 |
こういう動機で書くレポートなので、読んでも何の役にも立たない。最近、読んで役に立たないことをネットに書くと、読んだ時間が無駄になったと言わんばかりに批判的なコメントというか、何を批判しているのかもよく分からないヘイトコメントを書くことを業としておられる方も大勢おられるが、そういう方は、右上の×マークをクリックすれば不愉快な思いをせずに済みます。
さてさて、いつもレッスンを受けているスタジオは、ヴァイオリンだけでなく、ピアノ、クラリネット、フルート、サックス。マリンバ、声楽など、いろんな楽器のレッスンが受けられる。ピアノは子供たちが多いが、他の楽器は大人が中心。毎年開催される子供の発表会とは別に、2年に一度、大人の発表会がある。私が住んでいる県は、人口でいうと全国28位の田舎だが、これだけ多種多様な楽器のレッスンを受けられる教室は都会でも珍しい、というのは講師のお一人の言説。確かにそうかもしれない。当然、発表会でも多種多様な楽器の生徒さんが、入れ替わり立ち代わりステージに立つ。どの人も、すごく上手だったり、すごく楽しそうだったり、子供の発表会とは違う独特の雰囲気の中で、演奏される方おひとりお一人のキャラクターが演奏に滲み出てくる。聴いてる分には楽しいが、聴かせる分には結構、プレッシャーの強い発表会だったりする。
会場はコンサートピアノもある立派なホール。出演者22人のために講師の先生9人が1日、予定を開けてくださるという、素人の演奏にはもったいないような、申し訳ないような発表会だ。
今回の発表会での私の出し物は2ステージ3曲。
ひとつは、ヴィオラで弾くバッハ無伴奏チェロ組曲1番のプレリュード。もちろん伴奏は付かない。ステージの上は私一人だ。
残りの2曲は弦楽アンサンブル。チェロだけは2人の4パート5人による弦楽四重奏で、おなじみ「天空の城ラピュタ」から「きみを乗せて」と、パッヘルベルのカノン。ラピュタはもちろんヴィオラパート。カノンも、原曲はヴァイオリンで弾くところをヴィオラ用にアレンジしていただいた3バヨを弾く。
発表会は1時からなのだが、ホールは朝から借りられていて、午前中はリハーサルがある。一般の人も来聴歓迎なのだが、午前中のリハーサルも入口のカギを締めている訳ではないので、誰でも聴ける。本番は午後だけだが、自分としては1日中が発表会。アスリートにとって開会式から閉会式、いやその前の出場選考をするシーズンの競技をすべて含めてオリンピックなのと同じかどうかは分からないが、とにかく特別な1日だ。
(つづく)
2014年8月23日土曜日
本番直前にまさかの弦替え
いよいよこの週末が発表会
ということになっているので、このところ練習に余念がない。きのうもカラオケボックスで練習。いつもは2時間フリープランのところ、3時間プランでだらだらと 念入りに調整。先日は弓毛も交換したので、楽器の方はこれでバッチリ、と思ったのだが、今度は弦の方が気になってくる。弓毛もそうだったが、弦の方もヴィオラを買ってから交換をしていない。つまり2年間つけっぱなしなのだ。いかにドミナントが長持ちすると言っても、さすがに限界にきている。弓毛を交換した直後からちょっと気にはなっていたのだが、練習量が多くなるにつれて摩耗が進んだのか、練習のおかげで弦の摩耗が気になる程度までレベルが上がってきたのか、あるいはいつものように、弾けないのをただ楽器の所為にしているだけなのか。とにかく日に日に弦の摩耗が気になりだした。理由はいずれにしても、いちど気になりだすと交換しないではおかれない。
かといって、いまから通販に頼んでいては発表会に間に合わない。多少割高かもしれないが、楽器屋さんで相談して替えよう。どんな弦がいいのかも相談したかったところだ。通販との差額は相談料みたいなものだ。
楽器屋さんは隣町。会社帰りにも立ち寄れるところ。実はこの店で買ったヴィオラではないのだが、そのまえにヴァイオリンはこの店で買っているので、そこは堂々とケースを開けて楽器を見てもらう。弓毛にしても弦にしても、見た目には何処を見れば摩耗の度合いが分かるのか、いまひとつ判然としないが、そこはやはり普段から弦楽器ばかりを扱っておられる店員さんだ。ひとめ見て、
かなり擦り減っていますね
とのこと。発表会直前に替えるのがいいのかどうが多少の迷いはあったが、この一言で弦替えを決定。弾く曲がチェロのための無伴奏曲なので、チェロのような深い音がいいとリクエストしたら、Obligatoを奨められた。ヴァイオリンではすっかりお馴染み。値段の方も、ちょうどフェア実施中だったので4割引きで買えて、通販より少し高いぐらいで購入できたし、取り換えもしてもらえた。
お店の中はフェア実施中とのことで、ヨーロッパ製のOLDの楽器が並べられていた。30万円ぐらいから150万円ぐらいまで。いちばん高いのは600万円だった。
OLDというのは、作成されて50年ぐらいのものをいうらしい。日本に来てからすでに誰かに購入された履歴のあるものについては「USED」の表示があるが、ヨーロッパで使われていたかどうかは分からないとのこと。気を乾かすために50年間売らずに置いておいたもの、というのが今回のフェアの触込みのようだ。
イタリア製の300万円のものが目に付いたので弾かせていただいた。弓も120万円ぐらいのものを使ってみる。軽い。もうひとつ別の弓でも弾いてみたのだが、やはり弓によって全然音がちがう。
もっと上手に難しい曲を弾ければ、いろんな楽器を弾かせてもらうのだが、ちょうど親子連れで、きっと僕よりも上手に弾くであろう小さい女の子もいたので、恥ずかしくてあまり弾けなかった。けれど話だけはいろいろ聞かせてもらえた。
やはり気になるのは、どれぐらいの値段のものを買えばいいのかというはなし。店員さんに拠ると、弓は15万円ぐらいのものが最もコストパフォーマンスがいい、とのこと。3万円の弓と5万円の弓があれば、確実に5万円の方がいい。5万円と7万円然り。12万円と15万円も然りだが、15万円と20万円となると、その差が小さくなってきて、むしろ好みの問題になってくる。多少重みがあってしっかり弦を掴んでくれるのが好きな人と、軽い弓で速いパッセージを弾くのが好きな人では、弓の評価が変わってくる。ある人にとっては50万円の重い弓より30万円の軽い弓の方がいい、などということもでてくる、というのだ。
楽器の方は、もっといろいろ好みが分かれてくるが、その日のフェアで並べられているOLDの楽器の中からなら、50万円ほどの予算を出してもらえると、いろんなものから好みのものを選択してもらえるとのこと。
いつも私は、ヴァイオリンの値段についてはクルマの値段からゼロをひとつとったぐらい、と説明しているのだが、その説に当てはめると、メルセデスベンツのミドルクラスぐらいが買える値段。たしかにいろんな選択肢の中から好みのものが買えるだろう。そして、それ以上の値段になると、個人の好みの問題なので、必ずしも高いお金を買えばよりいいものが買えるとは限らない。
なんて話しを聞いたあとでいうと負け惜しみのようだが、クルマの価値のうちの半分以上は愛着。値段にはけっして還元されることはない。うちのカローラも良く走ってくれるし、もうとっくに買い替えてもいいぐらい乗っているが、それでも愛着があって、このクルマ以上に愛着を持てるクルマがこの世の中にあるのか、なんてことを思う。
楽器もいっしょだと思う。
弦を張り替えられた楽器は、まるでこれまでの楽器とは違う楽器のような反応をする。すこし慣れるのに時間がかかりそうだが、そうも言っていられない。夜中の間、半音ほど高めにチューニングして、弦が伸びきるようにしておくことにした。
あした、本番直前の駆け込み練習で本格的に音を出す予定。
ということになっているので、このところ練習に余念がない。きのうもカラオケボックスで練習。いつもは2時間フリープランのところ、3時間プランで
かといって、いまから通販に頼んでいては発表会に間に合わない。多少割高かもしれないが、楽器屋さんで相談して替えよう。どんな弦がいいのかも相談したかったところだ。通販との差額は相談料みたいなものだ。
楽器屋さんは隣町。会社帰りにも立ち寄れるところ。実はこの店で買ったヴィオラではないのだが、そのまえにヴァイオリンはこの店で買っているので、そこは堂々とケースを開けて楽器を見てもらう。弓毛にしても弦にしても、見た目には何処を見れば摩耗の度合いが分かるのか、いまひとつ判然としないが、そこはやはり普段から弦楽器ばかりを扱っておられる店員さんだ。ひとめ見て、
かなり擦り減っていますね
とのこと。発表会直前に替えるのがいいのかどうが多少の迷いはあったが、この一言で弦替えを決定。弾く曲がチェロのための無伴奏曲なので、チェロのような深い音がいいとリクエストしたら、Obligatoを奨められた。ヴァイオリンではすっかりお馴染み。値段の方も、ちょうどフェア実施中だったので4割引きで買えて、通販より少し高いぐらいで購入できたし、取り換えもしてもらえた。
お店の中はフェア実施中とのことで、ヨーロッパ製のOLDの楽器が並べられていた。30万円ぐらいから150万円ぐらいまで。いちばん高いのは600万円だった。
OLDというのは、作成されて50年ぐらいのものをいうらしい。日本に来てからすでに誰かに購入された履歴のあるものについては「USED」の表示があるが、ヨーロッパで使われていたかどうかは分からないとのこと。気を乾かすために50年間売らずに置いておいたもの、というのが今回のフェアの触込みのようだ。
イタリア製の300万円のものが目に付いたので弾かせていただいた。弓も120万円ぐらいのものを使ってみる。軽い。もうひとつ別の弓でも弾いてみたのだが、やはり弓によって全然音がちがう。
もっと上手に難しい曲を弾ければ、いろんな楽器を弾かせてもらうのだが、ちょうど親子連れで、きっと僕よりも上手に弾くであろう小さい女の子もいたので、恥ずかしくてあまり弾けなかった。けれど話だけはいろいろ聞かせてもらえた。
やはり気になるのは、どれぐらいの値段のものを買えばいいのかというはなし。店員さんに拠ると、弓は15万円ぐらいのものが最もコストパフォーマンスがいい、とのこと。3万円の弓と5万円の弓があれば、確実に5万円の方がいい。5万円と7万円然り。12万円と15万円も然りだが、15万円と20万円となると、その差が小さくなってきて、むしろ好みの問題になってくる。多少重みがあってしっかり弦を掴んでくれるのが好きな人と、軽い弓で速いパッセージを弾くのが好きな人では、弓の評価が変わってくる。ある人にとっては50万円の重い弓より30万円の軽い弓の方がいい、などということもでてくる、というのだ。
楽器の方は、もっといろいろ好みが分かれてくるが、その日のフェアで並べられているOLDの楽器の中からなら、50万円ほどの予算を出してもらえると、いろんなものから好みのものを選択してもらえるとのこと。
いつも私は、ヴァイオリンの値段についてはクルマの値段からゼロをひとつとったぐらい、と説明しているのだが、その説に当てはめると、メルセデスベンツのミドルクラスぐらいが買える値段。たしかにいろんな選択肢の中から好みのものが買えるだろう。そして、それ以上の値段になると、個人の好みの問題なので、必ずしも高いお金を買えばよりいいものが買えるとは限らない。
なんて話しを聞いたあとでいうと負け惜しみのようだが、クルマの価値のうちの半分以上は愛着。値段にはけっして還元されることはない。うちのカローラも良く走ってくれるし、もうとっくに買い替えてもいいぐらい乗っているが、それでも愛着があって、このクルマ以上に愛着を持てるクルマがこの世の中にあるのか、なんてことを思う。
楽器もいっしょだと思う。
弦を張り替えられた楽器は、まるでこれまでの楽器とは違う楽器のような反応をする。すこし慣れるのに時間がかかりそうだが、そうも言っていられない。夜中の間、半音ほど高めにチューニングして、弦が伸びきるようにしておくことにした。
あした、本番直前の駆け込み練習で本格的に音を出す予定。
2014年8月15日金曜日
ヴィオラ弓の毛替え
発表会に向けて仕上げの練習、といっても全然仕上がってこないのだが、ここへきて弓が思うように弦を掴んでくれなくなってきた。それに気づき始めた頃は松脂が足りないせいだと思って、弾く前に十分松脂を付けるようにした。その時はそれで解消もしていたのだが、だんだんとそれでは解消できなくなってきた。これはもしや弓毛の交換時期では、と思って工房でみてもらう。
たしか前に交換してもらったと思っていたのだが、これは一度も交換していないですね、とのこと。職人さんは、見ただけで自分が交換したものかどうかは区別できるようで、少なくとも自分が交換したものではないと仰る。弓毛はその工房でしか交換したことがないので、買ってから一度も交換したことがないということだ。買ったのは前の発表会の1ヶ月ほど前。ということは2年間、そのまま使っていたのか。
次は弦だな。いまは買った時のままのドミナントが張られている。ヴィオラの弦って何がいいのかしら?
たしか前に交換してもらったと思っていたのだが、これは一度も交換していないですね、とのこと。職人さんは、見ただけで自分が交換したものかどうかは区別できるようで、少なくとも自分が交換したものではないと仰る。弓毛はその工房でしか交換したことがないので、買ってから一度も交換したことがないということだ。買ったのは前の発表会の1ヶ月ほど前。ということは2年間、そのまま使っていたのか。
次は弦だな。いまは買った時のままのドミナントが張られている。ヴィオラの弦って何がいいのかしら?
2014年8月11日月曜日
左手首の痛み続く
前回の記事を書いた段階で既に1週間ほど痛み(最初のうちは違和感という程度であったが)が続いていたのだが、いよいよその痛みも強くなって直る気配がないので、整骨院で診てもらうことにした。いままで腱鞘炎というものに罹ったことがないのだが、どうも腱鞘炎っぽい、ということをいうと、まだ腱鞘炎にはなっていませんね、とのこと。
手首には8つの軟骨があって、ひねるとその間が開くようになっているらしい。ひねった手首を元に戻すとそれらの骨の位置も元に戻るのだが、それが戻りきらずに開いたままになっていて、神経を刺激しているとのこと。電極を当ててもらったり、バンドをしたり、膏薬を貼ってもらったり、思いっきりグイッと引っ張ってもらったりと、いろいろとやってもらったが、そんな急に治るものでもない。ま、しかし治らないものではないとのことだった。
治療法としては、基本的には日付薬なのだが、ヴァイオリンを弾くときに手首の軟骨の間が開かないように、手首の、骨が出っ張っているところよりも先のところにサポータをせよとのこと。しかし、これでは思うように手首を捻ることが出来ない。これは困った。
患部は温めた方がいいと言われたのだが、処方された湿布薬は冷湿布。ずっと湿布していると肌がかぶれるので、練習した後に貼るようにとのことだ。
面白いのが手首のストレッチ。手のひらをテーブルの上かどこかにペタッと付けて、肩を前に突き出して手首の裏側を伸ばす。アキレス腱を伸ばす時と同じ要領だ。
ヴァイオリンを弾くときにサポーターをするという言い付けは守れず、当面は湿布とストレッチで何とかしようとしているところ。クルマを運転するときとか、どうしても手首に力が入りがちなときはサポーターをするようにしている。
手首には8つの軟骨があって、ひねるとその間が開くようになっているらしい。ひねった手首を元に戻すとそれらの骨の位置も元に戻るのだが、それが戻りきらずに開いたままになっていて、神経を刺激しているとのこと。電極を当ててもらったり、バンドをしたり、膏薬を貼ってもらったり、思いっきりグイッと引っ張ってもらったりと、いろいろとやってもらったが、そんな急に治るものでもない。ま、しかし治らないものではないとのことだった。
治療法としては、基本的には日付薬なのだが、ヴァイオリンを弾くときに手首の軟骨の間が開かないように、手首の、骨が出っ張っているところよりも先のところにサポータをせよとのこと。しかし、これでは思うように手首を捻ることが出来ない。これは困った。
患部は温めた方がいいと言われたのだが、処方された湿布薬は冷湿布。ずっと湿布していると肌がかぶれるので、練習した後に貼るようにとのことだ。
面白いのが手首のストレッチ。手のひらをテーブルの上かどこかにペタッと付けて、肩を前に突き出して手首の裏側を伸ばす。アキレス腱を伸ばす時と同じ要領だ。
ヴァイオリンを弾くときにサポーターをするという言い付けは守れず、当面は湿布とストレッチで何とかしようとしているところ。クルマを運転するときとか、どうしても手首に力が入りがちなときはサポーターをするようにしている。
2014年8月6日水曜日
タオルの絞り方とヴァイオリン(改)
どこかで打ったとか、何かのはずみに手首を突いたとか、そういう心当たりは一切ないのだが、どうも左手首に痛みがある。普段はあまり気にならないのだが、日常生活のちょっとしたときに痛みがあって力が入らない。例えばタオルを絞るときとか、ヴィオラのC線でFISを出す時とか。タオルを絞るときは、普段は右手を手前に左手を奥にひねるのだが、それを逆にして解決。しかし、FISの方は代替策がない。
ヴィオラをやったことのない人に、C線でFISの音を出すことがどれだけ日常的かを説明するのは、なかなか骨が折れる。ト長調だとかニ長調だとか、そういう調整の曲ならば必ずFISは出てくる。特にト長調の場合は終止形のところで、最後の音の一つ手前に出てくることが多い。タオルを絞るのは風呂に入った時ぐらいなので1日に3度もないが、ひとたびト長調やニ長調の曲を弾けば、短い曲でも1曲のうちに何度かはC線のFISが出てくる。頻度だけを基準にするなら、タオルよりも日常的な行為なのだ。
C線はヴァイオリンにはない弦だし、もちろんこのFISもヴァイオリンでは出せない音だ。ヴィオラの聞かせどころともいえる。しかし、ヴァイオリンよりも筐体が大きい分、左手の指は大きく開かないといけないし、わずかではあるが竿もヴァイオリンより太いので、ヴァイオリン以上に左手首をひねる必要がある。その時に、耐えられないほどではないが左手首に痛みがある。
たぶん原因もC線のFISではないかと思うのだが。
しばらくは、サロンパスを貼って様子を見ることにした。
練習の方は相変わらず牛の歩み。
発表会の曲も、間違わずに弾けたり間違ったり・・・・
こういう場合は必ず本番で間違う、というのがこれまでの経験で明らかなのだが。
《追記》
これを書いてから、タオルの絞り方が話題になった。
私の場合、自転車のハンドルを持つときのように、両手の、親指のある方を内側にしてタオルを握り、右手を手前に、左手を奥にひねる。すると、左手は最後にちょうどヴァイオリンを構える時の形になる。写真を取ればいいのだが、両手がふさがるのでシャッターが押せない。
ところが、家族やそのほかの知った人に聞くと、多くの場合は左右が逆で、右手を奥にひねっている。
さらに、最初の持ち方の段階で、自転車のハンドルではなく、野球のバットのように、両手の親指を同じ方向に向けて、つまり片手の親指ともう片方の小指が隣り合わせになるようにタオルを握って絞る、という方もおられた。妻に言わせると、これが正しい絞り方だという。この場合は、左右どちらの手を上にするかで2通り、さらにそこからどちら向けにひねるかで2通りのバリエーションが生じる。
つまり、タオルの絞り方には通常6通りのパターンがあるということが分かった。
ヴィオラをやったことのない人に、C線でFISの音を出すことがどれだけ日常的かを説明するのは、なかなか骨が折れる。ト長調だとかニ長調だとか、そういう調整の曲ならば必ずFISは出てくる。特にト長調の場合は終止形のところで、最後の音の一つ手前に出てくることが多い。タオルを絞るのは風呂に入った時ぐらいなので1日に3度もないが、ひとたびト長調やニ長調の曲を弾けば、短い曲でも1曲のうちに何度かはC線のFISが出てくる。頻度だけを基準にするなら、タオルよりも日常的な行為なのだ。
C線はヴァイオリンにはない弦だし、もちろんこのFISもヴァイオリンでは出せない音だ。ヴィオラの聞かせどころともいえる。しかし、ヴァイオリンよりも筐体が大きい分、左手の指は大きく開かないといけないし、わずかではあるが竿もヴァイオリンより太いので、ヴァイオリン以上に左手首をひねる必要がある。その時に、耐えられないほどではないが左手首に痛みがある。
たぶん原因もC線のFISではないかと思うのだが。
しばらくは、サロンパスを貼って様子を見ることにした。
練習の方は相変わらず牛の歩み。
発表会の曲も、間違わずに弾けたり間違ったり・・・・
こういう場合は必ず本番で間違う、というのがこれまでの経験で明らかなのだが。
《追記》
これを書いてから、タオルの絞り方が話題になった。
私の場合、自転車のハンドルを持つときのように、両手の、親指のある方を内側にしてタオルを握り、右手を手前に、左手を奥にひねる。すると、左手は最後にちょうどヴァイオリンを構える時の形になる。写真を取ればいいのだが、両手がふさがるのでシャッターが押せない。
ところが、家族やそのほかの知った人に聞くと、多くの場合は左右が逆で、右手を奥にひねっている。
さらに、最初の持ち方の段階で、自転車のハンドルではなく、野球のバットのように、両手の親指を同じ方向に向けて、つまり片手の親指ともう片方の小指が隣り合わせになるようにタオルを握って絞る、という方もおられた。妻に言わせると、これが正しい絞り方だという。この場合は、左右どちらの手を上にするかで2通り、さらにそこからどちら向けにひねるかで2通りのバリエーションが生じる。
つまり、タオルの絞り方には通常6通りのパターンがあるということが分かった。
2014年8月3日日曜日
発表会直前に音階練習からやり直し
あっという間に7月も終わり、いよいよ今月は発表会、というところまで来てしまった。
1月にヴァイオリンを再開して以来、朝に練習時間を確保している。発表会が近づいてきたこの頃では、平日はほぼ毎日。時間にすると1回1時間ぐらいまで。30分だけという日もある。練習する曲が1曲だけならこれでもいいのだが、3曲となると十分な練習時間を確保しているとは言えない。短い曲ではあるが、レッスンの毎に
ここは繰り返し練習
という宿題が課されるわけだし、それも1箇所だけではない。1曲を通して弾いて、間違ったところを間違えずに弾けるようになるまで繰り返す、というだけでも30分ほどを使ってしまう。言い換えると、まだそれぐらいの完成度しかないということなのだが・・・。
確かに、短時間であっても毎日繰り返し練習するというのは効果的だ。ただ、それは毎日同じ練習をするということが前提だ。毎日、音階練習を繰り返すとか、セヴシック経を唱えるとか、いや、そんな退屈な練習でなくても、毎日同じ曲ばかり練習するとか、そういうことをすれば上達は早い。いまある3曲を紛いなりにも弾けるようになったのは、少なくとも1週間、その曲ばかりを練習したりしていた成果なのだが、この先、もうちょっとレベルを上げて、せめて発表会で恥ずかしくないところまで、と思うと、その繰り返し練習を、曲ごとにしておかないといけない。しかし、1日に30分から1時間ぐらいとなると、3日に1回しか弾かない曲も出てくるわけで、そうすると
この前はこのレベルまで弾けたのに・・・
なんてことになる。
そんな訳で、遅まきながら、曲の練習をする前に音階練習をするよう心掛けるようにした。3曲のうち、バッハのプレリュードはト長調だから、この曲を練習する前にまず、ト長調の音階練習をする。ラビュタならニ短調、カノンはニ長調だ。調はちがっても音階練習は毎日することになるので、これを繰り返していけば、ちょっとは音程が安定するかもしれない。
1月にヴァイオリンを再開して以来、朝に練習時間を確保している。発表会が近づいてきたこの頃では、平日はほぼ毎日。時間にすると1回1時間ぐらいまで。30分だけという日もある。練習する曲が1曲だけならこれでもいいのだが、3曲となると十分な練習時間を確保しているとは言えない。短い曲ではあるが、レッスンの毎に
ここは繰り返し練習
という宿題が課されるわけだし、それも1箇所だけではない。1曲を通して弾いて、間違ったところを間違えずに弾けるようになるまで繰り返す、というだけでも30分ほどを使ってしまう。言い換えると、まだそれぐらいの完成度しかないということなのだが・・・。
確かに、短時間であっても毎日繰り返し練習するというのは効果的だ。ただ、それは毎日同じ練習をするということが前提だ。毎日、音階練習を繰り返すとか、セヴシック経を唱えるとか、いや、そんな退屈な練習でなくても、毎日同じ曲ばかり練習するとか、そういうことをすれば上達は早い。いまある3曲を紛いなりにも弾けるようになったのは、少なくとも1週間、その曲ばかりを練習したりしていた成果なのだが、この先、もうちょっとレベルを上げて、せめて発表会で恥ずかしくないところまで、と思うと、その繰り返し練習を、曲ごとにしておかないといけない。しかし、1日に30分から1時間ぐらいとなると、3日に1回しか弾かない曲も出てくるわけで、そうすると
この前はこのレベルまで弾けたのに・・・
なんてことになる。
そんな訳で、遅まきながら、曲の練習をする前に音階練習をするよう心掛けるようにした。3曲のうち、バッハのプレリュードはト長調だから、この曲を練習する前にまず、ト長調の音階練習をする。ラビュタならニ短調、カノンはニ長調だ。調はちがっても音階練習は毎日することになるので、これを繰り返していけば、ちょっとは音程が安定するかもしれない。
2014年7月20日日曜日
アンサンブル練習とレッスン
発表会まで約1ヶ月。この1ヶ月でアンサンブル2曲とソロ1曲を仕上げないといけない。全部足しても10分ぐらい。どの曲も有名どころばかりなので、譜読みにはそんなに苦労はしないのだが、間違った時にはすぐバレる。
アンサンブルのうち、パッヘルベルのカノンは、個人練習を積み重ねていくしかない。掛け合いが難しいとか、そういうところはあまりないので、ひとり一人がちゃんとテンポ通りに弾けば、合わせればハモるはずだ。ところが、この「テンポ通り」というのは難しい。最初は4分音符なので余裕をかましていられるのだけれど、途中には32分音符が炸裂するフレーズもある。しかも、みんなが同時に32分音符なら、阿吽の呼吸でリタルランドが掛かっていい按配にもなろうものなんだが、自分が32分音符で指をくるくる回している間は、他の人は4分音符とか8分音符で伴奏していたりする。いまは練習なので、ネットの動画を聴きながら、間違えたら途中で止めて、復活できそうなところから復活すればそれなりに満足感も得られるのだが、本番でやらかすとこれが結構恥ずかしいかもしれない。
あ、いまヴィオラ止まっている
というのが誰の目にも見えてしまう。
いや、ヴィオラってことは見ていてわからないかもしれない。
あ、あの、チェロの隣の人、いま弾いていない
なんてことになる。
もうひとつのアンサンブル曲はジブリ映画の曲。こっちは弦楽四重奏にアレンジされていて、パート間の掛け合いとか、そういうのがカッコいい。アンサンブルの妙味を聴かせる曲なのだが、それだけに、合わせる練習をしておかないと大事故になってしまう。
先週、2パートだけで練習したのに続いて、今週は3パート3人の合わせ練習と、レッスンを受けた。ひとつパートは足りないとはいっても、3パート揃えばそこそこ「曲」らしくなる。ただ、私はというと、まだ
他のパートを聴いて
という余裕がなくて、とにかく必死で自分のパートを弾いている感じ。レッスンではそこを直球で指摘された。
そこのヴィオラは静かに
弾いているのかいないのか分からないぐらいの大きさで弾く。
なんてことを仰いますが、弾いていなかったらバレますよ。
いや、そういう時は無理に弾かずに、次の小節の頭から何食わぬ顔で続けるそうです。
しばらく、アンサンブルにばかり気を取られていたので、ソロの曲を練習していない。こちらの方は無伴奏の本当にソロなので、自分が弾かない限り先に進めない。他の人に合わせる必要はなくて、そのかわり、ただひたすら自分だけで曲を続けていかないといけない。
アンサンブルのレッスンのあとで、臨時にこのソロの曲のレッスンもしていただいた。やはり、この時期は「弾き込み」の時期。ちょっとしたブランクが結構な後退になってしまう。もうちょっと練習時間を確保しなければ・・・。
アンサンブルのうち、パッヘルベルのカノンは、個人練習を積み重ねていくしかない。掛け合いが難しいとか、そういうところはあまりないので、ひとり一人がちゃんとテンポ通りに弾けば、合わせればハモるはずだ。ところが、この「テンポ通り」というのは難しい。最初は4分音符なので余裕をかましていられるのだけれど、途中には32分音符が炸裂するフレーズもある。しかも、みんなが同時に32分音符なら、阿吽の呼吸でリタルランドが掛かっていい按配にもなろうものなんだが、自分が32分音符で指をくるくる回している間は、他の人は4分音符とか8分音符で伴奏していたりする。いまは練習なので、ネットの動画を聴きながら、間違えたら途中で止めて、復活できそうなところから復活すればそれなりに満足感も得られるのだが、本番でやらかすとこれが結構恥ずかしいかもしれない。
あ、いまヴィオラ止まっている
というのが誰の目にも見えてしまう。
いや、ヴィオラってことは見ていてわからないかもしれない。
あ、あの、チェロの隣の人、いま弾いていない
なんてことになる。
もうひとつのアンサンブル曲はジブリ映画の曲。こっちは弦楽四重奏にアレンジされていて、パート間の掛け合いとか、そういうのがカッコいい。アンサンブルの妙味を聴かせる曲なのだが、それだけに、合わせる練習をしておかないと大事故になってしまう。
先週、2パートだけで練習したのに続いて、今週は3パート3人の合わせ練習と、レッスンを受けた。ひとつパートは足りないとはいっても、3パート揃えばそこそこ「曲」らしくなる。ただ、私はというと、まだ
他のパートを聴いて
という余裕がなくて、とにかく必死で自分のパートを弾いている感じ。レッスンではそこを直球で指摘された。
そこのヴィオラは静かに
弾いているのかいないのか分からないぐらいの大きさで弾く。
なんてことを仰いますが、弾いていなかったらバレますよ。
いや、そういう時は無理に弾かずに、次の小節の頭から何食わぬ顔で続けるそうです。
しばらく、アンサンブルにばかり気を取られていたので、ソロの曲を練習していない。こちらの方は無伴奏の本当にソロなので、自分が弾かない限り先に進めない。他の人に合わせる必要はなくて、そのかわり、ただひたすら自分だけで曲を続けていかないといけない。
アンサンブルのレッスンのあとで、臨時にこのソロの曲のレッスンもしていただいた。やはり、この時期は「弾き込み」の時期。ちょっとしたブランクが結構な後退になってしまう。もうちょっと練習時間を確保しなければ・・・。
2014年7月13日日曜日
進撃のパッヘルベル
8月の発表会に向けて、アンサンブル曲を「なんとか合わせられるレベル」までもっていくというのが現下の目標。本番は4パート5人のアンサンブルなのだが、先日、2パート2人だけで合わせ練習をした。
あわねぇ
と思う一方で、
きれいじゃん
と思う箇所も何箇所かあって、少なくとも、
練習しなきゃあ
という思いは強くなった。
そんな訳で、今週はパッヘルベルのカノンを集中的に練習している。
いちばん問題なのは、ひとりで弾いているときは自分のペースで弾けるし、失敗したら好きなところからやり直せばいいのだけれど、別のパートと合わせるとなるとそうはいかない。そこで
という練習をすることにした。
いっけん、それほどなんでもないように思えるのだが、これがやってみると結構たいへんなのだ。
まずメトロノームの速さだが、八分音符を60にしてやってみる。たぶん、本番もこれぐらいだろう。最初の四分音符が並んでいるところは問題なくメトロノームに合わせられる。次の八分音符もあまり問題はない(少ししか問題はない)。その次の16分音符のあたりからちょっと怪しくなってくる。そして、サビともいえる「ピーヒャラピーヒャラピッヒャララララララ・・」のところになると、何度やってもメトロノームが急に速く動き出すように聞える。そうなると当然、メトロノームの「カチッ」っていう音と拍の頭が合わなくなる。そこを合わせようと焦って指がまわらなくなってジ・エンド。
そこで今度は2番目の課題。間違ったところを5回続けて間違えずに弾くまで繰り返し練習する、というルーティンに入る。くだんの、「ピーヒャラピーヒャラ」から弾きだして、なんとかその4小節をクリアしようと思うのだが、やってみると、さっき間違ったところに行き着くまでのところで間違ったりする。こっちが間違って溜息ついているのに、メトロノームは相変わらず、カチッ、カチッ、と音を刻んでいる。なんだか、「早く弾けよ、ウヒヒヒヒ どうせまた間違えるんだろう」と言われているみたいだ。
これでは「ピーヒャラピーヒャラ」から先に進めない。
そこで、最初に間違えたところ以外で間違えた場合は、(1)その回をノーカウントにして、最初に間違えたところを5回続けて間違わずに弾ければいいことにする (2)間違えた場合でも、メトロノームを聴きながら元のリズムに戻れた場合はOKにする という細則を決めて、それで何とか最後まで弾けるようになった。
いや、これで弾けることになっているんです。
実際にやってみるとこうなる(完成予想図につき実際とは異なる場合があります)はずだ。
あわねぇ
と思う一方で、
きれいじゃん
と思う箇所も何箇所かあって、少なくとも、
練習しなきゃあ
という思いは強くなった。
そんな訳で、今週はパッヘルベルのカノンを集中的に練習している。
いちばん問題なのは、ひとりで弾いているときは自分のペースで弾けるし、失敗したら好きなところからやり直せばいいのだけれど、別のパートと合わせるとなるとそうはいかない。そこで
- メトロノームに合わせる
- 間違ったところは、5回続けて間違わずに弾けるまで繰り返す
という練習をすることにした。
いっけん、それほどなんでもないように思えるのだが、これがやってみると結構たいへんなのだ。
まずメトロノームの速さだが、八分音符を60にしてやってみる。たぶん、本番もこれぐらいだろう。最初の四分音符が並んでいるところは問題なくメトロノームに合わせられる。次の八分音符もあまり問題はない(少ししか問題はない)。その次の16分音符のあたりからちょっと怪しくなってくる。そして、サビともいえる「ピーヒャラピーヒャラピッヒャララララララ・・」のところになると、何度やってもメトロノームが急に速く動き出すように聞える。そうなると当然、メトロノームの「カチッ」っていう音と拍の頭が合わなくなる。そこを合わせようと焦って指がまわらなくなってジ・エンド。
そこで今度は2番目の課題。間違ったところを5回続けて間違えずに弾くまで繰り返し練習する、というルーティンに入る。くだんの、「ピーヒャラピーヒャラ」から弾きだして、なんとかその4小節をクリアしようと思うのだが、やってみると、さっき間違ったところに行き着くまでのところで間違ったりする。こっちが間違って溜息ついているのに、メトロノームは相変わらず、カチッ、カチッ、と音を刻んでいる。なんだか、「早く弾けよ、ウヒヒヒヒ どうせまた間違えるんだろう」と言われているみたいだ。
これでは「ピーヒャラピーヒャラ」から先に進めない。
そこで、最初に間違えたところ以外で間違えた場合は、(1)その回をノーカウントにして、最初に間違えたところを5回続けて間違わずに弾ければいいことにする (2)間違えた場合でも、メトロノームを聴きながら元のリズムに戻れた場合はOKにする という細則を決めて、それで何とか最後まで弾けるようになった。
いや、これで弾けることになっているんです。
実際にやってみるとこうなる(完成予想図につき実際とは異なる場合があります)はずだ。
2014年6月22日日曜日
ラピュタ2回目レッスン~通りましたねェ~
きのう、2週間ぶりのレッスンだった。個人的には2週間というのはちょうどいいレッスン間隔だ。毎週だと、ちょっと練習に余裕がない。3週間になると、真ん中の1週間はほとんど練習しないことになってしまう。そうはいっても、1回の見ていただけるのは1曲かせいぜい2曲。発表会に向けて3曲同時進行で仕上げていかないといけない状況なので時間は足りない。
ともあれ、この2週間、1日30分から1時間ほどではあるがほぼ毎日、ラピュタ中心に練習してきたので、それなりに成果は出てきた。課題だった刻みも、百発百中ではないが、3回に1回ぐらいはちゃんとできるようになった。3回に1回できるということは、絶対できないわけではない、ということなので、あとはこれをちゃんとできるようにすればいいだけだ(キリッ
レッスンの最初に通して弾く。つまずいたところは何箇所かあったが、いちおう最後まで弾けた。
通りましたねェ
と先生談。いやいや、他のパートの人もこれぐらいなら通っているでしょうに・・・。
これ、パート練習で例えば1人が3か所でつまづくとすると、アンサンブル練習では12か所つまずくことになる。そのたびに曲が止まるとなかなか練習が進まない。そこを、ひとりつまずいても他の人の音を聴いて途中から入っていければ、曲が途中で止まる確率はかなり低くなる。アクシデントが付き物の(「憑き物」って変換されたけど・・)の本番を考えると、こういう技は必須だ。それに、ヴィオラパートの中でも、他のパートを聴いて裏拍でリズムを取るところだとか、メトロノームではどうしてもタイミングが取れないところが何箇所かある。
そんな訳で、きのうは先生に主旋律を弾いていただいて、それに合わせる練習を見ていただいた。これは気持ちがいい。この練習をしていて、シンコペーションのリズムがおかしかったことや、裏拍から始まる刻みのタイミングなどを「お直し」していただいた。
自分でもずっと課題にしている刻みは、移弦のところで遅れるというご指摘。たぶん、セカンドヴァイオリンと和音を作って刻んでいくところが多いと思うのだが、セカンドヴァイオリンとは移弦のタイミングが違うので、そのままにしておくとグダグダになってしまいそうだ。これは引き続きメトロノーム練習。
その際、左手を無意味に動かさないように、親指の付け根に消しゴムでも載せて、それが落ちないように練習せよとのこと。まるでろうそくの炎の前で練習する民謡歌手のようだが・・・
3指でシャープになるところがしっかりシャープになっていない。ヴィオラなのでそこは無理をせず4指を出しているのだが、それでも低い。どんだけ指固いねん。
ヴィオラが主旋律になるところは唄うように。そう言われると、ついつい身体全体で歌ってしまうのだが、それは・・・
弓を返すところで「いま弓を返しましたよ」というのが分かるような弾き方はしないように、ということなのだが、これは先の長い課題になりそうだ。指弓の練習再び・・
先生に他のパートを弾いていただいて、それと合わせる練習が楽しかったので、ちょっとそういう練習もしていこうと思って、動画を探してみたのだが、うぅ。。 速い!!
ヴィオラ、意外とかっちょええ・・。
ともあれ、この2週間、1日30分から1時間ほどではあるがほぼ毎日、ラピュタ中心に練習してきたので、それなりに成果は出てきた。課題だった刻みも、百発百中ではないが、3回に1回ぐらいはちゃんとできるようになった。3回に1回できるということは、絶対できないわけではない、ということなので、あとはこれをちゃんとできるようにすればいいだけだ(キリッ
レッスンの最初に通して弾く。つまずいたところは何箇所かあったが、いちおう最後まで弾けた。
通りましたねェ
と先生談。いやいや、他のパートの人もこれぐらいなら通っているでしょうに・・・。
これ、パート練習で例えば1人が3か所でつまづくとすると、アンサンブル練習では12か所つまずくことになる。そのたびに曲が止まるとなかなか練習が進まない。そこを、ひとりつまずいても他の人の音を聴いて途中から入っていければ、曲が途中で止まる確率はかなり低くなる。アクシデントが付き物の(「憑き物」って変換されたけど・・)の本番を考えると、こういう技は必須だ。それに、ヴィオラパートの中でも、他のパートを聴いて裏拍でリズムを取るところだとか、メトロノームではどうしてもタイミングが取れないところが何箇所かある。
そんな訳で、きのうは先生に主旋律を弾いていただいて、それに合わせる練習を見ていただいた。これは気持ちがいい。この練習をしていて、シンコペーションのリズムがおかしかったことや、裏拍から始まる刻みのタイミングなどを「お直し」していただいた。
自分でもずっと課題にしている刻みは、移弦のところで遅れるというご指摘。たぶん、セカンドヴァイオリンと和音を作って刻んでいくところが多いと思うのだが、セカンドヴァイオリンとは移弦のタイミングが違うので、そのままにしておくとグダグダになってしまいそうだ。これは引き続きメトロノーム練習。
その際、左手を無意味に動かさないように、親指の付け根に消しゴムでも載せて、それが落ちないように練習せよとのこと。まるでろうそくの炎の前で練習する民謡歌手のようだが・・・
3指でシャープになるところがしっかりシャープになっていない。ヴィオラなのでそこは無理をせず4指を出しているのだが、それでも低い。どんだけ指固いねん。
ヴィオラが主旋律になるところは唄うように。そう言われると、ついつい身体全体で歌ってしまうのだが、それは・・・
弓を返すところで「いま弓を返しましたよ」というのが分かるような弾き方はしないように、ということなのだが、これは先の長い課題になりそうだ。指弓の練習再び・・
先生に他のパートを弾いていただいて、それと合わせる練習が楽しかったので、ちょっとそういう練習もしていこうと思って、動画を探してみたのだが、うぅ。。 速い!!
ヴィオラ、意外とかっちょええ・・。
2014年6月20日金曜日
ハ音譜のパッヘルベル
2月にレッスンを再開して以来、8月の発表会に向けて、バッハ無伴奏チェロ組曲1番プレリュードを見ていただいていたのだが、いよいよ発表会が近づいてきて、個人の発表のほかにアンサンブルの曲までいただくと、すっかりそちらの練習ばかりになってしまう。目下、前回の記事に書いたジブリ映画の主題曲に取り組んでいるところなのだが、もうひとつのアンサンブル曲、パッヘルベルのカノンも、いちおうは弾いてみて、どれぐらいの難易度なのかだけでも確かめておきたい。
ヴィオラ用にハ音譜を起こしていただいているのだが、その際に、A線の根元の方でしか出せないようなフレーズについてはオクターブ低いところに音符が移されている。その変わり目のところは、よく言うと新鮮な感じ、わるく言えば変な感じだ。オクターブ下になれば、弦を変えるだけでなく、指遣いも変えないといけない。ついいままで慣れ親しんだ指を出してしまうのだが、それで変な音が出てから「しまった」と思うことしばしば。まずは音符にイタリア語のフリガナ(ドレミのことね)を振って、次は「#ファ」なんてことを意識しながら弾くということをして、ぼちぼちと慣れていくしかなかろう。
ちなみに、右の写真ではまだフリガナのないところがあるが、このあと全面的にフリガナを振った。
反対に、オクターブ下げることなくもとの音階で弾くところは、基本的には慣れ親しんだヴァイオリンの指遣いと同じで、弦が1本隣になるだけなのだが、ヴァイオリンと違ってE線はないので、そこは全部A線のハイポジションになる。これも楽譜にポジション番号をローマ数字で書き込んで対応。
なんか、こういうのが初見で読めたらいいのに、とつくづく思う。
ともあれ、そんなことでこの曲もぼちぼち練習していかないといけない。
ヴィオラ用にハ音譜を起こしていただいているのだが、その際に、A線の根元の方でしか出せないようなフレーズについてはオクターブ低いところに音符が移されている。その変わり目のところは、よく言うと新鮮な感じ、わるく言えば変な感じだ。オクターブ下になれば、弦を変えるだけでなく、指遣いも変えないといけない。ついいままで慣れ親しんだ指を出してしまうのだが、それで変な音が出てから「しまった」と思うことしばしば。まずは音符にイタリア語のフリガナ(ドレミのことね)を振って、次は「#ファ」なんてことを意識しながら弾くということをして、ぼちぼちと慣れていくしかなかろう。
ちなみに、右の写真ではまだフリガナのないところがあるが、このあと全面的にフリガナを振った。
反対に、オクターブ下げることなくもとの音階で弾くところは、基本的には慣れ親しんだヴァイオリンの指遣いと同じで、弦が1本隣になるだけなのだが、ヴァイオリンと違ってE線はないので、そこは全部A線のハイポジションになる。これも楽譜にポジション番号をローマ数字で書き込んで対応。
なんか、こういうのが初見で読めたらいいのに、とつくづく思う。
ともあれ、そんなことでこの曲もぼちぼち練習していかないといけない。
2014年6月15日日曜日
刻めなくてヴィオラが務まるか!
先月、発表会の合奏用にとジブリの曲をいただいて、しばらくこればかり練習をしている。後半、重音が炸裂するところは、
無理をせずにリズムを取ることを重視して、
というご指導があったので、バッサリ重音をやめて、上の音だけを弾くことにした。といっても、ポジション移動せずに重音が出せるところは、練習しながらボチボチ重音にするようにしているので、本番はもう少しそれらしく弾けるかもしれない。
問題は前半の刻み
それほど深刻に考えていなかったのだが、これが意外に難しい。
ヴィオラ係が何をいまさら
と思われるかもしれないが、バロック中心にやってきたので、いままではあまりこういう刻みはなかった。あまり、というか、この八分音符の真ん中に斬捨て御免の如く刀で刻んだような音符を見たのは、前回の発表会のときの、そのときも確かジブリだったが、そのときだけだ。しかもその時は4小節だけだったので、あっという間に終わってしまった。今回は延々と続く。
練習していて思ったのは、
無理をせずにリズムを取ることを重視して、
というご指導があったので、バッサリ重音をやめて、上の音だけを弾くことにした。といっても、ポジション移動せずに重音が出せるところは、練習しながらボチボチ重音にするようにしているので、本番はもう少しそれらしく弾けるかもしれない。
問題は前半の刻み
それほど深刻に考えていなかったのだが、これが意外に難しい。
ヴィオラ係が何をいまさら
と思われるかもしれないが、バロック中心にやってきたので、いままではあまりこういう刻みはなかった。あまり、というか、この八分音符の真ん中に斬捨て御免の如く刀で刻んだような音符を見たのは、前回の発表会のときの、そのときも確かジブリだったが、そのときだけだ。しかもその時は4小節だけだったので、あっという間に終わってしまった。今回は延々と続く。
練習していて思ったのは、
- きっと刻みをやるときは、頭の中では
「ファファララソソララシシララソソララ ファファララソソララシシララソソララ」
と唱えるのではなく
「ファッラッソッラッシッラッソッラッ ファッラッソッラッシッラッソッラッ」
と唱えながら、弓のダウンとアップを一連の作業として行うということと、 - メトロノームに合わせると、4拍目にどうしてもrit(リタルダント/次第に遅く)が掛かってしまい、次の小節の頭の拍が出遅れてしまうということ
の2点だ。とくに2番はかなり致命的。メトロノームを遅めにしても上手くいかないというのは、根本的にリズム感覚がないということか・・・。
しばらく、個人発表のバッハはお休みで、ジブリばっかり練習している。ちなみにアンサンブルはもう一曲あって、お馴染みパッヘルベルのカノンのサードヴァイオリンをハ音譜にアレンジしたものをいただいた。いきなり3ポジから始まっていたり、オクターブ低いところはこれまで馴染んだ指遣いと異なる指になるので、それなりに練習しておかないとヤバいのだが、これも手つかず。本当に間に合うのか・・・・ 東京オリンピックより発表会の方が早いぞ。
しばらく、個人発表のバッハはお休みで、ジブリばっかり練習している。ちなみにアンサンブルはもう一曲あって、お馴染みパッヘルベルのカノンのサードヴァイオリンをハ音譜にアレンジしたものをいただいた。いきなり3ポジから始まっていたり、オクターブ低いところはこれまで馴染んだ指遣いと異なる指になるので、それなりに練習しておかないとヤバいのだが、これも手つかず。本当に間に合うのか・・・・ 東京オリンピックより発表会の方が早いぞ。
2014年6月2日月曜日
元気の出るアマオケ演奏会
今週は、アマチュアアンサンブルの演奏会を聴くために、少し遠くの街まで行った。私の住んでいる町からこの街までは電車で2時間ほどの距離。ちょっとした旅行気分だ。簡単に行ける距離ではないのだが、このアンサンブルの演奏を聴くと元気が出る。
アマチュアなので、それぞれ仕事や家庭の事情を持っておられて、その中で、貴重な時間を割いて練習をされているのに違いない。練習だけではなく、コンサートの準備もなかなかたいへんなことだと思う。そういういろいろなことを、どれひとつ中途半端にしないで、しっかり取り組んでおられるのが、演奏を聴いているとよく分かる。
ステージにいる人数だけで出しているとは思えない、すごい音量がでているし、音質もクリアだし、それに雰囲気がいい。
最初のステージは、ヴィヴァルディの「調和の霊感」から10番、4つのヴァイオリンのための協奏曲。お目当ての方が(いや変な意味じゃないですよ)、このステージでファーストヴァイオリンのソロを張られる。このステージのために用意されたという濃緑のシックなドレスで登場。他のソリストも、偶々かもしれないが全員女性だ。
それを見て、ついこの前に読了した小説(「ピエタ」大島真寿美)に描かれている情景を思い浮かべながら、この曲がベネツィアのピエタ修道院で、「合奏・合唱の少女たち」によって初めて演奏された時に思いを馳せる。17世紀イタリアの貴族にでもなったようなぜいたくな時間だ。
ご本人は「最後、音、外しちゃって・・」と謙遜されていたが、そんなのは全然平気で、むしろ、「さ、弾くわよ」っていう漢気のようなものがステージから伝わってくる。聴き終わってみて、この曲を初めて聴いた人はさぞ腰を抜かしただろう、とか、いやきっと今の自分のように軽い興奮状態になっていたに違いないとか、そんな想像が出来ることこそライブの醍醐味じゃないかと思う。
自分もいつか、こんなアンサンブルで演奏する日が来ないものだろうか。
2014年5月31日土曜日
発表会の合奏はジブリ
今日はレッスンがあった。
スタジオに着いてまず事務室に行くと、「発表会の曲です」といって楽譜をもらった。ヴィオラ譜だ。このところずっとヴィオラばかり見ていただいているので、発表会のアンサンブルでも当然、ヴィオラ係。それもどうも私一人だけのようなので責任は重大だ。
そんなことを思いつつ楽譜を見ると、お、なんと、いつも脇役のヴィオラが、いきなりイントロから主旋律じゃないか。同じ レミファーミファーラーミー でも、ヴァイオリンにはないヴィオラの渋みで、しっぽりと始まる・・・。これはなかなかヴィオラ冥利に尽きるアレンジだ。
そのしっぽりが終わると、ヴィオラの定めともいえる刻み。刻み。刻み。ま、これはしゃあないわね。ヴィオラなんだし。
そして後半。
これはびっくりだった。
怒涛の重音攻撃。5度以下の、つまりアーチを作らないといけない重音も炸裂。しかも小指をアーチにして薬指でポイントするなんて無理だし。ヴィオラ一人だから同じパートの人と分担することもできないし。
むむむ・・・
これ、本当に弾けるのだろうか。
スタジオに着いてまず事務室に行くと、「発表会の曲です」といって楽譜をもらった。ヴィオラ譜だ。このところずっとヴィオラばかり見ていただいているので、発表会のアンサンブルでも当然、ヴィオラ係。それもどうも私一人だけのようなので責任は重大だ。
そんなことを思いつつ楽譜を見ると、お、なんと、いつも脇役のヴィオラが、いきなりイントロから主旋律じゃないか。同じ レミファーミファーラーミー でも、ヴァイオリンにはないヴィオラの渋みで、しっぽりと始まる・・・。これはなかなかヴィオラ冥利に尽きるアレンジだ。
そのしっぽりが終わると、ヴィオラの定めともいえる刻み。刻み。刻み。ま、これはしゃあないわね。ヴィオラなんだし。
そして後半。
これはびっくりだった。
怒涛の重音攻撃。5度以下の、つまりアーチを作らないといけない重音も炸裂。しかも小指をアーチにして薬指でポイントするなんて無理だし。ヴィオラ一人だから同じパートの人と分担することもできないし。
むむむ・・・
これ、本当に弾けるのだろうか。
2014年5月20日火曜日
フレーズはストーリーで覚える
レッスンではバッハ無伴奏チェロ組曲1番プレリュードをヴィオラで弾くところを見ていただいている。前にもこのブログの記事に張り付けたが、ヴィオラで弾くとこんな感じになる。
この動画でいうと、1分23秒ぐらいのところでフェルマーがかかって、いったん曲が終わった雰囲気になってから、それまでとは異なる展開になっていく。そこのところが、なんとなく音をひとつひとつ拾っていっているようで、フレーズとしてのつながりがない。
それは自分でもわかっていたのだが、今回のレッスンではヒントをもらえた。
そこから1分56秒ぐらいまでは、上昇音階と下降音階が交互に繰り返されるのだが、上昇音階は男性によるバリトン、下降音階は女性によるソプラノで、お互いが対話するように弾きなさい、ということだ。 この動画ではちょっとわかりにくい。たぶん、そういうイメージではないのだろう。
だけど、先生のこのアドバイスはなかなか斬新だった。
男性と女性が言い争いをしているような感じで、男性の方はあくまでも理を唱え、女性の方は感情に訴えて時には涙も流す。そういうシーンが目に浮かんでくるようではないか。
前半のところはどこか牧歌的な曲想だが、後半のこの部分はかなり様相が違う。そして、2分目ぐらいからはさらに様相が異なってくる。
これはたぶん、この曲のあとに始まる本編のプレリュードとして、映画の予告編か、火曜サスペンス劇場の冒頭の、テーマ曲が流れる前の、ドラマのハイライトをちょっとずつ映して「今日は見ようかな、どうしようかな」と思っている視聴者をテレビの前に座らせるあれみたいな効果を狙ているのだと思う。
前半は、ドラマの主人公二人が出会った田園風景だと思う。あるいは海かもしれない。クレッシェンド、デクレッシェンドを繰り返しながら弾いていると、なんとなく渚に波が寄せては引いていくような感じがする。1分12秒ぐらいから、その牧歌的な風景にやや変調が現れる。それまでの単調で貧しい生活から何か変化を求めるようなフレーズになっている。
1分23秒からは、さきほども言ったように、男性と女性が言い争うような感じ。「あの貧しい生活は嫌だといったじゃないか」「いま自分たちの生活はこんなに豊かになっている」と男性が主張するのに、「だけど、何か大事なものを失ったようにおもう」と女性がいう。そしてハラハラと涙を流す。
1分55秒から2分15秒までのフレーズは、ずいぶん都会的だ。なにか工場で次々に製品が作られているような、あるいは石畳の上を忙しなく人々が行きかっているような感じだ。きっと男はそんな都会の生活に夢を描いていたに違いない。
さあこのドラマ、果たしてどんな展開になるのか。
2分15秒からの最後のフレーズは、そのあとに続く本編への導入部分。「さあ、これから始まりますよ」という感じだ。
お、なかなかいい感じのストーリーが出来た。ちょっとそんなふうに聞えるように頑張ってみよ。
この動画でいうと、1分23秒ぐらいのところでフェルマーがかかって、いったん曲が終わった雰囲気になってから、それまでとは異なる展開になっていく。そこのところが、なんとなく音をひとつひとつ拾っていっているようで、フレーズとしてのつながりがない。
それは自分でもわかっていたのだが、今回のレッスンではヒントをもらえた。
そこから1分56秒ぐらいまでは、上昇音階と下降音階が交互に繰り返されるのだが、上昇音階は男性によるバリトン、下降音階は女性によるソプラノで、お互いが対話するように弾きなさい、ということだ。 この動画ではちょっとわかりにくい。たぶん、そういうイメージではないのだろう。
だけど、先生のこのアドバイスはなかなか斬新だった。
男性と女性が言い争いをしているような感じで、男性の方はあくまでも理を唱え、女性の方は感情に訴えて時には涙も流す。そういうシーンが目に浮かんでくるようではないか。
前半のところはどこか牧歌的な曲想だが、後半のこの部分はかなり様相が違う。そして、2分目ぐらいからはさらに様相が異なってくる。
これはたぶん、この曲のあとに始まる本編のプレリュードとして、映画の予告編か、火曜サスペンス劇場の冒頭の、テーマ曲が流れる前の、ドラマのハイライトをちょっとずつ映して「今日は見ようかな、どうしようかな」と思っている視聴者をテレビの前に座らせるあれみたいな効果を狙ているのだと思う。
前半は、ドラマの主人公二人が出会った田園風景だと思う。あるいは海かもしれない。クレッシェンド、デクレッシェンドを繰り返しながら弾いていると、なんとなく渚に波が寄せては引いていくような感じがする。1分12秒ぐらいから、その牧歌的な風景にやや変調が現れる。それまでの単調で貧しい生活から何か変化を求めるようなフレーズになっている。
1分23秒からは、さきほども言ったように、男性と女性が言い争うような感じ。「あの貧しい生活は嫌だといったじゃないか」「いま自分たちの生活はこんなに豊かになっている」と男性が主張するのに、「だけど、何か大事なものを失ったようにおもう」と女性がいう。そしてハラハラと涙を流す。
1分55秒から2分15秒までのフレーズは、ずいぶん都会的だ。なにか工場で次々に製品が作られているような、あるいは石畳の上を忙しなく人々が行きかっているような感じだ。きっと男はそんな都会の生活に夢を描いていたに違いない。
さあこのドラマ、果たしてどんな展開になるのか。
2分15秒からの最後のフレーズは、そのあとに続く本編への導入部分。「さあ、これから始まりますよ」という感じだ。
お、なかなかいい感じのストーリーが出来た。ちょっとそんなふうに聞えるように頑張ってみよ。
2014年5月6日火曜日
ヴィヴァルディの生涯を推理小説風に
アントニオ・ヴィヴァルディの生涯に、やや斜め方向から光を当てた「ピエタ」という小説を読んだ。著者の大島真寿美さんという方の本は初めて読む。タイトルにも書いた通り、まるで推理小説のような仕立てで、本当に面白かった。1日も掛けずに読み終えてしまった。
タイトルの「ピエタ」は、ヴィヴァルディが司祭を務めていた修道院の名前で、ピエタ修道院には大勢の孤児たちがいて、ヴィヴァルディはその孤児たちのためにいろんな曲を書いた。この辺りまでは、私も、自分の好きなバロック音楽やヴァイオリンの周辺知識として持っていたのだが、その史実をもとに、孤児やヴィヴァルディにヴァイオリンを習った富豪の娘など、彼を取り巻く様々な人の言葉から、ヴィヴァルディの生涯が語られていく。どこまでが史実でどこからが創作なのかはよく分からないが、本のページからまるでヴィヴァルディの曲が聴こえてくるような臨場感のある文章だった。
物語は、アントニオ・ヴィヴァルディがウィーンで亡くなったところから始まる。孤児といっても、45年間、ピエタ修道院に仕えるアンナとエミーリアは、富豪の娘(といっても、昔は娘だったという年齢だが)でヴィヴァルディにヴァイオリンを習ったヴェロニカに、1枚の楽譜を探してほしいと頼まれる。その楽譜を見つけるために、生前のヴィヴァルディと親交のあったさまざまな人を訪ね歩く。その人たちの言葉で語られるヴィヴァルディの生涯。司祭という職業が大方似合わない、奔放で、優しく、そして気骨のある人間像が描かれている。そしてそれがヴィヴァルディの音楽と結び付けられている。
ヴィヴァルディという、すでにこの世にいない人物を通じて結びついていくさまざまな身分、さまざまな立場、さまざまな考えの人たち。果たして、探していた楽譜は見つかるのか。
終盤に、ヴィヴァルディの妹、ザネータと、ヴィヴァルディが彼女のためにいくつもの歌曲を作った歌姫、パオリーナとの間に、こんな会話がある。
もちろん、この会話は史実ではなく創作なのだが、まるでこの二人が250年後の未来を知っていたかのような会話ではないか。
物語の最初と最後に、L'Estro Armonicoを合奏するシーンがある。「調和の霊感」と邦訳されているヴィヴァルディの初期の作品集だ。私が初めての発表会で弾いた6番。バヨ会で何度も弾いた1番、7番、11番。11番は私がヴィオラを始める切っ掛けにもなった曲だ。ピエタの孤児たちと同じように、私の周りにもいつもこの曲があった、思い出深い曲だ。
小説を読んで、またこの曲を弾きたくなった。
タイトルの「ピエタ」は、ヴィヴァルディが司祭を務めていた修道院の名前で、ピエタ修道院には大勢の孤児たちがいて、ヴィヴァルディはその孤児たちのためにいろんな曲を書いた。この辺りまでは、私も、自分の好きなバロック音楽やヴァイオリンの周辺知識として持っていたのだが、その史実をもとに、孤児やヴィヴァルディにヴァイオリンを習った富豪の娘など、彼を取り巻く様々な人の言葉から、ヴィヴァルディの生涯が語られていく。どこまでが史実でどこからが創作なのかはよく分からないが、本のページからまるでヴィヴァルディの曲が聴こえてくるような臨場感のある文章だった。
物語は、アントニオ・ヴィヴァルディがウィーンで亡くなったところから始まる。孤児といっても、45年間、ピエタ修道院に仕えるアンナとエミーリアは、富豪の娘(といっても、昔は娘だったという年齢だが)でヴィヴァルディにヴァイオリンを習ったヴェロニカに、1枚の楽譜を探してほしいと頼まれる。その楽譜を見つけるために、生前のヴィヴァルディと親交のあったさまざまな人を訪ね歩く。その人たちの言葉で語られるヴィヴァルディの生涯。司祭という職業が大方似合わない、奔放で、優しく、そして気骨のある人間像が描かれている。そしてそれがヴィヴァルディの音楽と結び付けられている。
ヴィヴァルディという、すでにこの世にいない人物を通じて結びついていくさまざまな身分、さまざまな立場、さまざまな考えの人たち。果たして、探していた楽譜は見つかるのか。
終盤に、ヴィヴァルディの妹、ザネータと、ヴィヴァルディが彼女のためにいくつもの歌曲を作った歌姫、パオリーナとの間に、こんな会話がある。
ザネータ : | 兄の音楽はもう、人々には求められてはいないんですね。兄の音楽を愉しんだ人が昔はあんなに大勢いたのに。栄光の時代は終わったということですか。 |
パオリーナ : | 何を仰るんですか、ザネータさん。大丈夫ですよ、先生の音楽は、たとえいっとき、そのような扱いを受けたとしても、必ず、蘇ってきますから。いつかまたヴェネツィア中に先生の音楽が響きわたりますよ!・・・また必ず、人々が聴きたくてたまらなくなります。 |
もちろん、この会話は史実ではなく創作なのだが、まるでこの二人が250年後の未来を知っていたかのような会話ではないか。
物語の最初と最後に、L'Estro Armonicoを合奏するシーンがある。「調和の霊感」と邦訳されているヴィヴァルディの初期の作品集だ。私が初めての発表会で弾いた6番。バヨ会で何度も弾いた1番、7番、11番。11番は私がヴィオラを始める切っ掛けにもなった曲だ。ピエタの孤児たちと同じように、私の周りにもいつもこの曲があった、思い出深い曲だ。
小説を読んで、またこの曲を弾きたくなった。
2014年4月29日火曜日
初めてのバロックヴァイオリン
いつもレッスンを受けているスタジオで、私と同じようにレッスンを受けておられる方がバロックヴァイオリンを物色されているらしく、いつもお世話になっている工房のマイスターに「お取り寄せ」をお願いされたらしい。それを聞きつけて、さっそく工房に行ってみた。
ちなみに、バロックヴァイオリンとモダンの違いはヤマハのページに書かれている。バロック時代は、貴族なり豪商なり教会なりのお抱え音楽家の時代。あまり広い場所で弾く必要もなかったので、それほど大きな音を出す必要はなかった。それが、時代とともに音楽も大衆化し、音楽を弾く場所も次第に広くて大きな建物が建てられるようになると、楽団が大編成になるだけではなくて、楽器そのものも大きな音が出せるようにする必要がでてくる。弦楽器は弦を強く張ればそれだけ大きな音が出るのだが、ヴァイオリンの場合、弦を強く張るとはコマを高くしていくこと。それに伴って、筐体から竿が出る角度が下向きになったり、その継ぎ目のところが弦の張力に耐えられるように強化されたりというのが、バロックとモダンの大きな違い。
さて、工房についてさっそく手に取って見る。
軽い!
最近、ヴィオラばかり弾いている所為もあるのだが、とにかく軽い。
そして顎当てがない。それで、つい、テールピースを顎に挟もうとするのだが、それはNG。テールピースの付き方がモダンよりももっと浮いている感じで、顎で挟めば音程が変わってしまう。胸の上あたりに付けて、左手の親指と人差し指の根元で挟んで支える。ポジション移動は基本的にはないという前提で作られている。こんな上から楽器を見下ろして弾くのは、なんだか新鮮だ。
弦はG線以外は裸弦。エンドポールなどというものはなく、テールピースに穴をあけてそこに結わえられている。もちろん、アジャスターなんてない。
指ではじくと、なんだか沖縄の三線のような「ペンペン」という響き。バロックの弓はないので、モダンの弓で弾いてみるのだが、なんだか頼りない音しか出ない。あるいは松脂が足りないのかもしれないが。
調弦は、モダンよりも半音ほど低く調弦されている。不思議なもので、これはあまり苦にならずに弾ける。以前、自分の楽器(もちろんモダン)を半音低く調弦して弾いてみた時は、頭の中にある音と実際に出てくる音が違っていて、まったく弾けなかったのだが、ちゃんとバロックの音律で弾けているから不思議だ。
見せていただいた楽器は中国製で、もちろん、最近作られたものなので、バロックヴァイオリンというよりも、バロック風ヴァイオリンという感じだ。コマの高さはある程度あって、竿も下向きに出ている。指板は短く、しかも、指板の下にモダンには見られない楓の部材が使われている。竿の取り付け方はオリジナルのバロック楽器と同じになっているが、表板や裏版の形に、ヤマハのホープページに書かれているような特徴はない。
さて、もしこれを買ったら、とあれこれ考えてみる。
まず調弦がモダンと違う。強く張ると弦が切れそうだ。と、言うことは、合奏する相手がいないということになってしまう。ピアノと合わせることもできない。ヴァイオリンの無伴奏の曲はないではないが、モダンでも難しいものを、この顎当てもない楽器で弾けるのだろうか。
しかし、教えてくれる先生はいないわけではないだろう。スタジオでチェロの講師をされている先生は、普段はバロック楽器の演奏をされている。その先生に頼ってヴァイオリンの先生を紹介していただければ、レッスンは受けられるだろう。もしかすると、他にもレッスンを受けておられる生徒さんがいるかもしれない。そうなると、そこにはお互い「合奏するならこの人しかいない」という強いきずなが出来るかもしれない。バロック楽器を弾くような人だから、お互い曲の趣味は似通っているはず。しかも、バロックなら合奏するのにそんなに大勢はいらない。
あるいは、これはこれで楽しいかもしれない、などということを工房のマイスターも仰っておられる。
さて、お取り寄せをお願いされた生徒さんは、いったいどうされるのだろうか?
ちなみに、バロックヴァイオリンとモダンの違いはヤマハのページに書かれている。バロック時代は、貴族なり豪商なり教会なりのお抱え音楽家の時代。あまり広い場所で弾く必要もなかったので、それほど大きな音を出す必要はなかった。それが、時代とともに音楽も大衆化し、音楽を弾く場所も次第に広くて大きな建物が建てられるようになると、楽団が大編成になるだけではなくて、楽器そのものも大きな音が出せるようにする必要がでてくる。弦楽器は弦を強く張ればそれだけ大きな音が出るのだが、ヴァイオリンの場合、弦を強く張るとはコマを高くしていくこと。それに伴って、筐体から竿が出る角度が下向きになったり、その継ぎ目のところが弦の張力に耐えられるように強化されたりというのが、バロックとモダンの大きな違い。
さて、工房についてさっそく手に取って見る。
軽い!
最近、ヴィオラばかり弾いている所為もあるのだが、とにかく軽い。
そして顎当てがない。それで、つい、テールピースを顎に挟もうとするのだが、それはNG。テールピースの付き方がモダンよりももっと浮いている感じで、顎で挟めば音程が変わってしまう。胸の上あたりに付けて、左手の親指と人差し指の根元で挟んで支える。ポジション移動は基本的にはないという前提で作られている。こんな上から楽器を見下ろして弾くのは、なんだか新鮮だ。
弦はG線以外は裸弦。エンドポールなどというものはなく、テールピースに穴をあけてそこに結わえられている。もちろん、アジャスターなんてない。
指ではじくと、なんだか沖縄の三線のような「ペンペン」という響き。バロックの弓はないので、モダンの弓で弾いてみるのだが、なんだか頼りない音しか出ない。あるいは松脂が足りないのかもしれないが。
調弦は、モダンよりも半音ほど低く調弦されている。不思議なもので、これはあまり苦にならずに弾ける。以前、自分の楽器(もちろんモダン)を半音低く調弦して弾いてみた時は、頭の中にある音と実際に出てくる音が違っていて、まったく弾けなかったのだが、ちゃんとバロックの音律で弾けているから不思議だ。
見せていただいた楽器は中国製で、もちろん、最近作られたものなので、バロックヴァイオリンというよりも、バロック風ヴァイオリンという感じだ。コマの高さはある程度あって、竿も下向きに出ている。指板は短く、しかも、指板の下にモダンには見られない楓の部材が使われている。竿の取り付け方はオリジナルのバロック楽器と同じになっているが、表板や裏版の形に、ヤマハのホープページに書かれているような特徴はない。
さて、もしこれを買ったら、とあれこれ考えてみる。
まず調弦がモダンと違う。強く張ると弦が切れそうだ。と、言うことは、合奏する相手がいないということになってしまう。ピアノと合わせることもできない。ヴァイオリンの無伴奏の曲はないではないが、モダンでも難しいものを、この顎当てもない楽器で弾けるのだろうか。
しかし、教えてくれる先生はいないわけではないだろう。スタジオでチェロの講師をされている先生は、普段はバロック楽器の演奏をされている。その先生に頼ってヴァイオリンの先生を紹介していただければ、レッスンは受けられるだろう。もしかすると、他にもレッスンを受けておられる生徒さんがいるかもしれない。そうなると、そこにはお互い「合奏するならこの人しかいない」という強いきずなが出来るかもしれない。バロック楽器を弾くような人だから、お互い曲の趣味は似通っているはず。しかも、バロックなら合奏するのにそんなに大勢はいらない。
あるいは、これはこれで楽しいかもしれない、などということを工房のマイスターも仰っておられる。
さて、お取り寄せをお願いされた生徒さんは、いったいどうされるのだろうか?
2014年4月27日日曜日
小さなホールでのコンサート
ピアノコンサートに出掛けてきた。
娘たちにピアノを教えてくださっている先生お二人によるコンサートだ。
お一人は、娘たちが3歳のときから教えてくださっていた先生で、3月にご退職されたバヨ先生とも親しく、私の初めての発表会でヴィヴァルディのA-MOLを弾いたときに伴奏もしてくださった。もうお一人はそのピアノ先生の先輩で、数年前にクラス替えのようなものがあってから娘たちのピアノを見てくださっている。2年前の発表会ではコレルリのシャコンヌの伴奏をしてくださった先生だ。娘たちだけでなく私も大変お世話になっている。
会場は、住宅街の中にある「豪邸」といった趣きの建物で、100席ぐらいの小規模なものだが、なかなか素敵なホールだった。席はかなり埋まっていたが、ステージが本当に近くて、先生の呼吸まで聴こえてきそうな近さだった。先生の息が聞えるということは、客席の様子もそれだけダイレクトにステージに伝わる。しかもステージで弾いておられるのは、自分の伴奏をしてくださったこともある先生。勝手な妄想を許してもらえるなら、まるで自分がステージでピアノを弾いているような気分にさえなれる。本当に贅沢な疑似体験だ。
客席には、スタジオの奥さんとご主人、それにバヨ先生もお越しになっておられた。バヨ先生もいつかこのホールでコンサートをされたりとかしてくださらないかしら。
http://www.figaro-hall.com/index.html
娘たちにピアノを教えてくださっている先生お二人によるコンサートだ。
お一人は、娘たちが3歳のときから教えてくださっていた先生で、3月にご退職されたバヨ先生とも親しく、私の初めての発表会でヴィヴァルディのA-MOLを弾いたときに伴奏もしてくださった。もうお一人はそのピアノ先生の先輩で、数年前にクラス替えのようなものがあってから娘たちのピアノを見てくださっている。2年前の発表会ではコレルリのシャコンヌの伴奏をしてくださった先生だ。娘たちだけでなく私も大変お世話になっている。
会場は、住宅街の中にある「豪邸」といった趣きの建物で、100席ぐらいの小規模なものだが、なかなか素敵なホールだった。席はかなり埋まっていたが、ステージが本当に近くて、先生の呼吸まで聴こえてきそうな近さだった。先生の息が聞えるということは、客席の様子もそれだけダイレクトにステージに伝わる。しかもステージで弾いておられるのは、自分の伴奏をしてくださったこともある先生。勝手な妄想を許してもらえるなら、まるで自分がステージでピアノを弾いているような気分にさえなれる。本当に贅沢な疑似体験だ。
客席には、スタジオの奥さんとご主人、それにバヨ先生もお越しになっておられた。バヨ先生もいつかこのホールでコンサートをされたりとかしてくださらないかしら。
http://www.figaro-hall.com/index.html
2014年4月20日日曜日
バッハさんの言いたいことは
新バヨ先生のレッスンで何度か先生が仰った言葉。
バッハさんが言いたいことは
レッスンで見ていただいているのは、バッハ無伴奏チェロ組曲第1番からプレリュード。もともとチェロのために書かれているこの曲をヴィオラ譜に書き換えたものがネットにあって、今年2月にレッスンを再開してからずっとこれを見ていただいている。今回から先生が交代されたが、曲は引き続きこの曲だ。
全曲に渡って16分音符が並んでいて、リズム的には変化の少ない、まるでエクササイズのような音符の並びなのだが、これがクラシックに興味のない人でも一度は聴いたことがあるというぐらいの名曲なのだ。そこには作曲者が込めた思いが織り込まれている。エクササイズのように弾いてはいけない。
最初の4小節は、Gをベースにした分散和音のバリエーション。同じ旋律を2回ずつ繰り返していくのだが、4小節目の最後の1音だけちょっと他とは違う展開になる。この1音がバッハさんが言いたいところらしい。
この最後の1音が次の5小節目への導入部となっているのだが、この5小節目が大事な部分で、導入部の1音は「いまから大事なこと言いますよ」という1音なのだそうだ。
そして、大事なところは決して大声では言わない。「よく聞いてね」と言って小さな声で言う。
5小節目、7小節目、9小節目、10小節目は、そのほかの小節と違って、前半と後半が違うフレーズになっている。この場合は4拍目の4音が、次の小節の導入部になっているので、小節の区切りで切れる感じではなく、次の小節の最初の1音に音を乗せて行く感じでフレーズをつないでいく。
小節の最初はベース音になっているので、これをしっかり響かせる。
この二つが出来ると、曲の前半がグッとグレードアップした感じになってきた。
後半は打って変わって、まだ自分でも「フレーズを読む」というところまで出来ていなくて、書かれている音符を順番に読んで音を出している状態。それならば、まず、メトロノームに合わせるがごとくに、まったく緩急をつけずに弾いてみる。これがもう、子供がレッスンでエクササイズを弾いているみたいで、面白くもクソもない。ま、だけど一回こうやって弾いてみてよかった。これでしっかり音が置けるようになってから緩急をつければいい。
31小節目からあとは、聞かせたい音の間に、前半はDが、後半はAが挟まっているので、まずはこのDやAを除いて、聞かせたい音だけをしっかり音程を取れるように練習する。これもハイポジションのエクササイズのようだ。2ポジや4ポジは音が取りにくいので、ポジション移動も少し考えるようにアドバイスがあった。
音を取るのは、チューナーで緑のランプをつけるということではなく、純正律の音の響きをしっかり意識して、出来ることなら重音で音を重ねながら確かめていくといい。
これもなんだか子供のレッスンみたいだが、この曲を弾くための練習だと思えば苦にはならない。
そしてこの曲でバッハさんが最も言いたいのは41小節目からの最後の2小節。他のところは全てここを言うための伏線だと思ってもいい。中でも最後の3重音を4拍伸ばすところがいちばんの結論なので、その前のところで「溜め」を作ってしっかり元弓まで戻して、G線とD線にちゃんと弓が乗っているのを確認したら、G線をしっかり鳴らしてから移弦して、弓を無駄遣いしないように重音を作って余韻を残す。
前半もそうなんだが、この「いちばん言いたいところ」のひとつ前の音が大事みたいだ。そういえば、普段話しているときでも、大事なことを話すその前のところっていうのは、無意識のうちに「溜め」を作っていたり、クレッシェンドしていたり、アッチェルランドを掛けていたり、なんか工夫をしているものだ。
こうして久しぶりにレッスン記録を書き留めておくと、結構、最初のレッスンから濃い内容だったんだなぁと思う。
バッハさんが言いたいことは
レッスンで見ていただいているのは、バッハ無伴奏チェロ組曲第1番からプレリュード。もともとチェロのために書かれているこの曲をヴィオラ譜に書き換えたものがネットにあって、今年2月にレッスンを再開してからずっとこれを見ていただいている。今回から先生が交代されたが、曲は引き続きこの曲だ。
全曲に渡って16分音符が並んでいて、リズム的には変化の少ない、まるでエクササイズのような音符の並びなのだが、これがクラシックに興味のない人でも一度は聴いたことがあるというぐらいの名曲なのだ。そこには作曲者が込めた思いが織り込まれている。エクササイズのように弾いてはいけない。
最初の4小節は、Gをベースにした分散和音のバリエーション。同じ旋律を2回ずつ繰り返していくのだが、4小節目の最後の1音だけちょっと他とは違う展開になる。この1音がバッハさんが言いたいところらしい。
この最後の1音が次の5小節目への導入部となっているのだが、この5小節目が大事な部分で、導入部の1音は「いまから大事なこと言いますよ」という1音なのだそうだ。
そして、大事なところは決して大声では言わない。「よく聞いてね」と言って小さな声で言う。
5小節目、7小節目、9小節目、10小節目は、そのほかの小節と違って、前半と後半が違うフレーズになっている。この場合は4拍目の4音が、次の小節の導入部になっているので、小節の区切りで切れる感じではなく、次の小節の最初の1音に音を乗せて行く感じでフレーズをつないでいく。
小節の最初はベース音になっているので、これをしっかり響かせる。
この二つが出来ると、曲の前半がグッとグレードアップした感じになってきた。
後半は打って変わって、まだ自分でも「フレーズを読む」というところまで出来ていなくて、書かれている音符を順番に読んで音を出している状態。それならば、まず、メトロノームに合わせるがごとくに、まったく緩急をつけずに弾いてみる。これがもう、子供がレッスンでエクササイズを弾いているみたいで、面白くもクソもない。ま、だけど一回こうやって弾いてみてよかった。これでしっかり音が置けるようになってから緩急をつければいい。
31小節目からあとは、聞かせたい音の間に、前半はDが、後半はAが挟まっているので、まずはこのDやAを除いて、聞かせたい音だけをしっかり音程を取れるように練習する。これもハイポジションのエクササイズのようだ。2ポジや4ポジは音が取りにくいので、ポジション移動も少し考えるようにアドバイスがあった。
音を取るのは、チューナーで緑のランプをつけるということではなく、純正律の音の響きをしっかり意識して、出来ることなら重音で音を重ねながら確かめていくといい。
これもなんだか子供のレッスンみたいだが、この曲を弾くための練習だと思えば苦にはならない。
そしてこの曲でバッハさんが最も言いたいのは41小節目からの最後の2小節。他のところは全てここを言うための伏線だと思ってもいい。中でも最後の3重音を4拍伸ばすところがいちばんの結論なので、その前のところで「溜め」を作ってしっかり元弓まで戻して、G線とD線にちゃんと弓が乗っているのを確認したら、G線をしっかり鳴らしてから移弦して、弓を無駄遣いしないように重音を作って余韻を残す。
前半もそうなんだが、この「いちばん言いたいところ」のひとつ前の音が大事みたいだ。そういえば、普段話しているときでも、大事なことを話すその前のところっていうのは、無意識のうちに「溜め」を作っていたり、クレッシェンドしていたり、アッチェルランドを掛けていたり、なんか工夫をしているものだ。
こうして久しぶりにレッスン記録を書き留めておくと、結構、最初のレッスンから濃い内容だったんだなぁと思う。
2014年4月19日土曜日
新バヨ先生のレッスン始動
今日から先生が代わる。どんな先生だろう。
…と、なんだか新学期を迎える小学生のような気持ちでレッスンを受けてきた。
不思議とあまり緊張はしていなかった。たぶん、先生もあまり緊張されていなかったからではないかと思う。こういうときは、お互いの緊張が伝わるものだから、先生が緊張されているとそれが生徒に伝わるし、それでますます雰囲気が固くなると、次の生徒のレッスンも妙にギスギスしたものになってしまうものだ。それを上手くコントロールされていたから、あまり緊張しないでレッスンを受けられたのだと思う。
新学期を迎えた小学生に喩えると「あ、なんかいいな、このクラスっ」って感じがした。
…と、なんだか新学期を迎える小学生のような気持ちでレッスンを受けてきた。
不思議とあまり緊張はしていなかった。たぶん、先生もあまり緊張されていなかったからではないかと思う。こういうときは、お互いの緊張が伝わるものだから、先生が緊張されているとそれが生徒に伝わるし、それでますます雰囲気が固くなると、次の生徒のレッスンも妙にギスギスしたものになってしまうものだ。それを上手くコントロールされていたから、あまり緊張しないでレッスンを受けられたのだと思う。
新学期を迎えた小学生に喩えると「あ、なんかいいな、このクラスっ」って感じがした。
2014年4月1日火曜日
大人が本気で趣味に打ち込むとは
打算抜きで、ただ「やりたい」という気持ちだけで、本気で取り組めるものがあれば、本当に幸せだと思う。去年、一度ヴァイオリンを辞めてみて思ったのは、とにかくヴァイオリンが弾きたいということ。「No ○○ No Life」っていうけど、本当にその通りに思った。
なぜ、という理由は全くない。とにかくヴァイオリンが弾きたかった。
たいして上手でもないし、自慢できるものでもない。
これからそんなに上手になるわけでもない。
もちろん何か得をするわけでもない。
だけどヴァイオリンが弾きたい。
辞める理由はいくらでもある。
仕事があって忙しい。
家族との時間が大事だ。
おカネがかかる。
いくらやっても上手にならない。
辞めない理由はただひとつ。
やりたいから。
今月から社会人になって、いままで続けていたことを辞めてしまった人も多いと思う。そういう人がこの記事を読むと、そうだよなぁ、と思うかもしれないが、誤解はしてほしくない。20歳そこそこの青年が、例えば、社会人になってもバンドを続けていきたい、と思うのは、
いままで続けていたことだからここで辞めるのがもったいない、とか、
バンド仲間と縁が切れてしまうのが惜しい、とか、
何か別の要素があることが多いと思う。それは、プライドだったり友達だったりするが、それはそれで、そこに打算がある。そういうことで何かを続けていくのには何処か無理が生じてしまう。
ヴァイオリンブログを始めて、一時は、ブログの読者を増やしたいために、ブログのネタのために練習をしていた時期もあったが、それは卒業だ。
いま、誰もいない早朝のスタジオで、ただひとり、人知れずヴァイオリン(いや、実はヴィオラだが)を弾いている時間が、自分の心の中に静かに積み重なっていくのを感じる。
ちょっと真面目に書き過ぎたので、エイプリルフールの記事にしておいたが、なんかそれが新年度の誓いのような感じになってしまったかな。
なぜ、という理由は全くない。とにかくヴァイオリンが弾きたかった。
たいして上手でもないし、自慢できるものでもない。
これからそんなに上手になるわけでもない。
もちろん何か得をするわけでもない。
だけどヴァイオリンが弾きたい。
辞める理由はいくらでもある。
仕事があって忙しい。
家族との時間が大事だ。
おカネがかかる。
いくらやっても上手にならない。
辞めない理由はただひとつ。
やりたいから。
今月から社会人になって、いままで続けていたことを辞めてしまった人も多いと思う。そういう人がこの記事を読むと、そうだよなぁ、と思うかもしれないが、誤解はしてほしくない。20歳そこそこの青年が、例えば、社会人になってもバンドを続けていきたい、と思うのは、
いままで続けていたことだからここで辞めるのがもったいない、とか、
バンド仲間と縁が切れてしまうのが惜しい、とか、
何か別の要素があることが多いと思う。それは、プライドだったり友達だったりするが、それはそれで、そこに打算がある。そういうことで何かを続けていくのには何処か無理が生じてしまう。
ヴァイオリンブログを始めて、一時は、ブログの読者を増やしたいために、ブログのネタのために練習をしていた時期もあったが、それは卒業だ。
いま、誰もいない早朝のスタジオで、ただひとり、人知れずヴァイオリン(いや、実はヴィオラだが)を弾いている時間が、自分の心の中に静かに積み重なっていくのを感じる。
ちょっと真面目に書き過ぎたので、エイプリルフールの記事にしておいたが、なんかそれが新年度の誓いのような感じになってしまったかな。
2014年3月23日日曜日
お別れレッスン ~卒業します~
8年間お世話になったバヨ先生の最期のレッスンが終わった。
なんだか卒業式のような気分だ。
レッスンの内容はいつもの通りで、例えば、下げ弓のときはもっと前に手を出して、とか、前屈みになると楽器の角度が変わるからダメだとか、移弦のときは脇を意識してとか、そういうことなんだけれど、そこへの持って行き方がいつもと違っていて、最初に褒められて、せっかく出来ているのだから自信を持ってもっと弓を大きく使ったらもっといいですよ、と言われて、弓を大きく使うという文脈の中でそういう注意が出てくる。
いつもは、注意をされると、注意されたところばかり注意して、全体としては萎縮した感じになってしまうんだけれど、こう言われると、なんか、
もう貴方は大丈夫。ひとりでも生きていけるわ。
と言われているようで、自信を持って巣立って行ける気がする。
私が知る限りバヨ先生は、演奏活動はあまりされていなかったけれど、レッスンは何箇所かでされていたようだったから、ご自身の演奏会準備の片手間というのではなく、どう教えるかということをいつもよく考えてくださっていたと思う。
成績が良かったかどうかは別にして、無事こうして卒業式を迎えられた。感慨無量だ。
最後に、かねてから、先生が辞められるときには楽譜にサインをもらおうと心に決めていたのだが、今回はそれを実行に移した。
先生にサインをもらう用に買った、バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ、ベーレンライター版の表紙に、と考えていたのだが、たぶん、これにサインしてもらったら本棚の飾りになって、一生それを開くことはないだろうと思い留まって、思い出深いコレルリのトリオソナタの楽譜の表紙にサインしてもらった。
サインなんてしたことないから、持ってないですよ。
と仰っておられたので、これがバヨ先生が書かれた最初のサインというプレミアムも付いた。
残念ながらネットの公開はNGで、大事なものだからバヨ会に持っていてて見せびらかすこともしないと思うので、どんなサインだったかは、先生の美貌とあわせてみなさんの想像にお任せします。
なんだか卒業式のような気分だ。
レッスンの内容はいつもの通りで、例えば、下げ弓のときはもっと前に手を出して、とか、前屈みになると楽器の角度が変わるからダメだとか、移弦のときは脇を意識してとか、そういうことなんだけれど、そこへの持って行き方がいつもと違っていて、最初に褒められて、せっかく出来ているのだから自信を持ってもっと弓を大きく使ったらもっといいですよ、と言われて、弓を大きく使うという文脈の中でそういう注意が出てくる。
いつもは、注意をされると、注意されたところばかり注意して、全体としては萎縮した感じになってしまうんだけれど、こう言われると、なんか、
もう貴方は大丈夫。ひとりでも生きていけるわ。
と言われているようで、自信を持って巣立って行ける気がする。
私が知る限りバヨ先生は、演奏活動はあまりされていなかったけれど、レッスンは何箇所かでされていたようだったから、ご自身の演奏会準備の片手間というのではなく、どう教えるかということをいつもよく考えてくださっていたと思う。
成績が良かったかどうかは別にして、無事こうして卒業式を迎えられた。感慨無量だ。
最後に、かねてから、先生が辞められるときには楽譜にサインをもらおうと心に決めていたのだが、今回はそれを実行に移した。
先生にサインをもらう用に買った、バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ、ベーレンライター版の表紙に、と考えていたのだが、たぶん、これにサインしてもらったら本棚の飾りになって、一生それを開くことはないだろうと思い留まって、思い出深いコレルリのトリオソナタの楽譜の表紙にサインしてもらった。
サインなんてしたことないから、持ってないですよ。
と仰っておられたので、これがバヨ先生が書かれた最初のサインというプレミアムも付いた。
残念ながらネットの公開はNGで、大事なものだからバヨ会に持っていてて見せびらかすこともしないと思うので、どんなサインだったかは、先生の美貌とあわせてみなさんの想像にお任せします。
2014年3月18日火曜日
最後のレッスン前の憂鬱
バヨ先生の最期のレッスンが近づいてきて、今週辺りから何かそわそわした気分になっている。最後だからといって何ができる訳でもない。気持ちのうえでは
先生、これ最後のレッスンのために
一生懸命練習してきたんですよ
なんていいながら、これまでの集大成のような難曲を弾いて、
ここはもっとこうした方がいいですよ
先生、こうですか
なんてことを言ってもらって、最後に「合格」をもらいたいところなんだが、レッスンの時間も、それまでの練習の時間も限られている。しかも、いまやっている曲はソロだし、お別れデュオもできない。
なんか最後のレッスンの翌日に、「こうしておけばよかった」なんてすごい後悔しそうな気がする。いっつも、こういうところがダメなんだよなぁ。
そんなことを考えつつも、今年1月の復活以降、順調に練習を続けている。1日に出来る時間は限られていて、だいたい30分ぐらい。時々1時間ほど出来ることもあるが、15分だけという日もある。それを週に3日~5日。1時間ぐらい練習出来るときはいろんな曲を混ぜているが、30分以下のときはほとんど1曲で終わる。
まあ、そうやって1曲だけをコツコツと練習していくのは、取り敢えず1曲弾きたいというおじさんにはいい練習かもしれない。それも週に3日~5日というのは、休日を除けばほぼ毎日というペース。おかげでそこそこには弾けるようになってきた。
最後に先生の前でバッチリ弾いてみたいものなのだが。
先生、これ最後のレッスンのために
一生懸命練習してきたんですよ
なんていいながら、これまでの集大成のような難曲を弾いて、
ここはもっとこうした方がいいですよ
先生、こうですか
なんてことを言ってもらって、最後に「合格」をもらいたいところなんだが、レッスンの時間も、それまでの練習の時間も限られている。しかも、いまやっている曲はソロだし、お別れデュオもできない。
なんか最後のレッスンの翌日に、「こうしておけばよかった」なんてすごい後悔しそうな気がする。いっつも、こういうところがダメなんだよなぁ。
そんなことを考えつつも、今年1月の復活以降、順調に練習を続けている。1日に出来る時間は限られていて、だいたい30分ぐらい。時々1時間ほど出来ることもあるが、15分だけという日もある。それを週に3日~5日。1時間ぐらい練習出来るときはいろんな曲を混ぜているが、30分以下のときはほとんど1曲で終わる。
まあ、そうやって1曲だけをコツコツと練習していくのは、取り敢えず1曲弾きたいというおじさんにはいい練習かもしれない。それも週に3日~5日というのは、休日を除けばほぼ毎日というペース。おかげでそこそこには弾けるようになってきた。
最後に先生の前でバッチリ弾いてみたいものなのだが。
2014年3月9日日曜日
レクチャコンサート拝聴
先月に引き続き、隣県の県庁所在地までアマチュアのカルテットを聴きに行ってきた。今度はロビーコンサートではなく、7~8百人は入ろうかという立派なホール。前回も書いたが、プロではなくてアマチュアでこんなホールを借りて、いろんな段取りをして、練習もして、それも4人だけでコンサートをするなどというのは凄いことだと思う。ただ演奏をするだけでも凄いと思うのだが、今日のコンサートはもっと凄かった。ただ弦楽四重奏を演奏して聴かせるというだけではなくて、それに解説が入るのだ。アマオケの演奏会に行っても、プログラムの曲目紹介で簡単な薀蓄が並べられていることはあるが、今日のをそんなふうにプログラムに載せたら、きっと2~30ページの立派な冊子になるだろう。それもただ話をするだけではなくて、途中で実際に演奏して例示をしたり、手拍子を打たせたりと、とにかくステージの上にいる人の「楽しませよう」という思いが伝わってくる。
弦楽四重奏がどういうものなのか、ソナタ形式がどういうものなのか、そういうことを実際に演奏する曲を例にして説明された後でその曲を聴く。そうすることで、とりわけ普段はあまり意識しないセカンドヴァイオリンやヴィオラの音を良く聴くことが出来た。「主旋律以外のところは実はこんなふうにしているんですよ」という話しがあって、いくつかのフレーズを例示されていたので、「うん、なるほどなるほど」と思って、それを聴き取ってやろうと思って聴いていると、セカンドヴァイオリンもヴィオラもいい味を出している。4つのパートそれぞれを楽しめたので、何も話を聞かないで曲を聴くよりも4倍聴けたように思う。
解説を聞いて音楽を聴くというのは学校の音楽の時間のレコード鑑賞みたいなのだが、学校の音楽の時間はこんなには興味を持てなかった。今日のが授業だったらもうちょっと成績良かったかもしれない。
弦楽四重奏がどういうものなのか、ソナタ形式がどういうものなのか、そういうことを実際に演奏する曲を例にして説明された後でその曲を聴く。そうすることで、とりわけ普段はあまり意識しないセカンドヴァイオリンやヴィオラの音を良く聴くことが出来た。「主旋律以外のところは実はこんなふうにしているんですよ」という話しがあって、いくつかのフレーズを例示されていたので、「うん、なるほどなるほど」と思って、それを聴き取ってやろうと思って聴いていると、セカンドヴァイオリンもヴィオラもいい味を出している。4つのパートそれぞれを楽しめたので、何も話を聞かないで曲を聴くよりも4倍聴けたように思う。
解説を聞いて音楽を聴くというのは学校の音楽の時間のレコード鑑賞みたいなのだが、学校の音楽の時間はこんなには興味を持てなかった。今日のが授業だったらもうちょっと成績良かったかもしれない。
2014年3月8日土曜日
新バヨ先生初対面の引継レッスン
いつものようにレッスンがあった。いつもと違ったのは、4月からこのスタジオのヴァイオリンのレッスンを引き継がれる新しい先生がおられたこと。新しい先生は、今日は何もおっしゃらずにただレッスンを見ておられた。いまの先生の後輩の方らしいのだが、直接のつながりはあまりないのかもしれない。
多少の緊張をしつつ、いつもの曲を通して聞いていただく。苦手なところには漏れなくチェックが入ってくる。もう8年も続けていると、あ、ここはチェックが入るな~、というのも何となくわかる。「しまった」と思うところに全部チェックが入るわけではなく、取り敢えずここだけは何とかしたいと思うところを、まるで言い当てるかのように、「ここ、もう一度しましょうか」と言われる。何を言われるのかをこっちが先回りしているというのもあるのだろう。
この曲の中で初めてC線を弾くところ、ヴィオラにしかない弦なので「ドヤッ」と弾きたいところなのだが、それがそうならない。弓をたくさん使うのではなく、深く掘るように、と言われると身体全体でスイングしてしまうのだが、そうではなくて、腕の重みをグッと乗せるそのときに、左手の方もしっかり指で弦を押さえる。だいぶ感じが違う。
この曲をやっていて、今日は初めて音程を注意された。チェロのための曲なので、2度の間に指が3本入ったり、短3度に4本を集めるようなところがある。半音刻みのプチポジ移動もあるのだが、そういうところの音程がわるい。うむむ、それはそう思っていたところなのだが、やはり誤魔化せぬか。元の音の半音上を取るときは、元の指をそのままにして、その上に指を重ねるように、半音下を取るときは元の指の下に付けるように、5度を取るときは手首をしっかり入れて指が弦と直角になるような感じで。
忘れませんよ、今日、聞いたこと。ちゃんと練習します。移弦のときに手首で移弦してしまう癖も直します。何かのご縁でまたいつかレッスンをしていただくときが来た時に「相変わらずね」と思われないように。
さて、次回が本当に最後のレッスン。そういうときって、どうしたらいいんでしょうね。
多少の緊張をしつつ、いつもの曲を通して聞いていただく。苦手なところには漏れなくチェックが入ってくる。もう8年も続けていると、あ、ここはチェックが入るな~、というのも何となくわかる。「しまった」と思うところに全部チェックが入るわけではなく、取り敢えずここだけは何とかしたいと思うところを、まるで言い当てるかのように、「ここ、もう一度しましょうか」と言われる。何を言われるのかをこっちが先回りしているというのもあるのだろう。
この曲の中で初めてC線を弾くところ、ヴィオラにしかない弦なので「ドヤッ」と弾きたいところなのだが、それがそうならない。弓をたくさん使うのではなく、深く掘るように、と言われると身体全体でスイングしてしまうのだが、そうではなくて、腕の重みをグッと乗せるそのときに、左手の方もしっかり指で弦を押さえる。だいぶ感じが違う。
この曲をやっていて、今日は初めて音程を注意された。チェロのための曲なので、2度の間に指が3本入ったり、短3度に4本を集めるようなところがある。半音刻みのプチポジ移動もあるのだが、そういうところの音程がわるい。うむむ、それはそう思っていたところなのだが、やはり誤魔化せぬか。元の音の半音上を取るときは、元の指をそのままにして、その上に指を重ねるように、半音下を取るときは元の指の下に付けるように、5度を取るときは手首をしっかり入れて指が弦と直角になるような感じで。
忘れませんよ、今日、聞いたこと。ちゃんと練習します。移弦のときに手首で移弦してしまう癖も直します。何かのご縁でまたいつかレッスンをしていただくときが来た時に「相変わらずね」と思われないように。
さて、次回が本当に最後のレッスン。そういうときって、どうしたらいいんでしょうね。
2014年2月22日土曜日
ヴァヨタミン補給
あまり縁のない人にとってはヴァイオリンなんていうのはとても高尚な楽器のように思われているかもしれない。けれど、自分でヴァイオリンやらヴィオラやらを弾いていると、感覚的には、バンドをやっている人のギターに対する思いとそれほど変わらない感覚で楽器と接することができる。確かに特別なものではあるけれど、どこか遠くにある特別なものではなく、身近にあるからこそ特別なものだと思う。
いやしかし、それだけで済ませておくと、自分の弾いているいい加減な音に耳が侵されてしまって、ヴァイオリンを弾きたいと思う原動力をうしなってしまう。たまには高尚で優雅な音を聴いたり、クラシック音楽の歴史を勉強したりして、この楽器をちゃんと弾いたらこんな音楽になるんだ、ということも再認識していくことも必要だ。
名付けて「ヴァヨタミン補給」
アマチュアでされておられる弦楽四重奏団が、来月、演奏を聴きながら音楽の勉強もしようという「レクチャーコンサート」というのをされる。今日はその情宣のためのロビーコンサートがあったので、隣県まで「下見」をしにいった。おかげでレクチャーコンサートがますます楽しみになってきた。
これはいろんな意味でヴァヨタミン補給になると思う。
ひとつは音楽を生で聴くということ。それから、レクチャーコンサートの趣旨の通り、音楽の勉強ができるということ。それから、それをされているのがヴァイオリンで生計を立てるプロではなくて、他に仕事を持っておられるアマチュアだということだ。楽器に限ったことではないが、大人になって何かをやろうとしたときに「やっぱり止めておこう」と、入口の扉を閉ざしてしまう理由はいくらでもある。そのいちばん大きな理由が時間的な制約だと思う。毎日仕事やっているからそんなことをしている時間がない、という理由だ。だけど、今日見てきた人たちは、みんなそれぞれ仕事を持っているのに、楽器の練習ももちろん、他にもいろいろな準備をして、こうしてコンサートをされようとしているではないか。
もちろん、人生の折り返し点が近づいたところでヴァイオリンを始めた私には、人前でコンサートを開くなどといったことは出来そうもないが、それでも何か楽器や音楽と向かい合う方法はあると思う。今日はロビーコンサートなので時間は短かったが、弾いている人を間近に見ることが出来た。来月はちゃんとしたホールでしっかり聴かしてもらえる。今日に引き続いて再びヴァヨタミン補給が出来るのが楽しみだ。
いやしかし、それだけで済ませておくと、自分の弾いているいい加減な音に耳が侵されてしまって、ヴァイオリンを弾きたいと思う原動力をうしなってしまう。たまには高尚で優雅な音を聴いたり、クラシック音楽の歴史を勉強したりして、この楽器をちゃんと弾いたらこんな音楽になるんだ、ということも再認識していくことも必要だ。
名付けて「ヴァヨタミン補給」
アマチュアでされておられる弦楽四重奏団が、来月、演奏を聴きながら音楽の勉強もしようという「レクチャーコンサート」というのをされる。今日はその情宣のためのロビーコンサートがあったので、隣県まで「下見」をしにいった。おかげでレクチャーコンサートがますます楽しみになってきた。
これはいろんな意味でヴァヨタミン補給になると思う。
ひとつは音楽を生で聴くということ。それから、レクチャーコンサートの趣旨の通り、音楽の勉強ができるということ。それから、それをされているのがヴァイオリンで生計を立てるプロではなくて、他に仕事を持っておられるアマチュアだということだ。楽器に限ったことではないが、大人になって何かをやろうとしたときに「やっぱり止めておこう」と、入口の扉を閉ざしてしまう理由はいくらでもある。そのいちばん大きな理由が時間的な制約だと思う。毎日仕事やっているからそんなことをしている時間がない、という理由だ。だけど、今日見てきた人たちは、みんなそれぞれ仕事を持っているのに、楽器の練習ももちろん、他にもいろいろな準備をして、こうしてコンサートをされようとしているではないか。
もちろん、人生の折り返し点が近づいたところでヴァイオリンを始めた私には、人前でコンサートを開くなどといったことは出来そうもないが、それでも何か楽器や音楽と向かい合う方法はあると思う。今日はロビーコンサートなので時間は短かったが、弾いている人を間近に見ることが出来た。来月はちゃんとしたホールでしっかり聴かしてもらえる。今日に引き続いて再びヴァヨタミン補給が出来るのが楽しみだ。
2014年2月20日木曜日
先生のご退職
8年間お世話になったバヨ先生が、出産のために退職されることになった。落ち着かれたら復職されるのかなと期待していたのだが、いろいろとお考えがあってのことだろう。
スタジオでヴァイオリンを習い出したころは、いまの先生とは別の男性の先生だった。その先生が留学されるということでいまの先生に交代された。そのころはまだ音大の学生さんだったはずだ。
お世話になった8年間の間に3回の発表会があった。発表会で弾いた曲はどれも思い出深い曲だ。2回目の発表会からは他の楽器との合奏も加わった。先生の隣で先生と同じパートを弾いたときの安心感はいまも忘れられない。この歳でもステージに立てば緊張する。周りの人はみんな上手で、自分一人がアウェイの場所に来たような気分だったのが、先生が隣で同じパートを弾いてくださるというだけで、急にそこがいつもレッスンを受けているスタジオのような、ホームの気分になったものだ。
レッスンの間隔が1ヶ月ほど開くこともあるのだが、いつも先生は、前回のレッスンで何が課題だったかをきちんと覚えてくださっていた。うちのスタジオのヴァイオリンの受講生はなぜか中年男性が多いのだが、どの受講生も毎回のレッスンを楽しみにしていた。スタジオの奥さんによると、ヴァイオリンの受講生はレッスンが終わるとみんな溜息をつきながら事務室に入ってくるそうだ。今日も出来なかった、進まなかった、ということなのだが、それでもヴァイオリンを続けているのはそれが楽しい証拠。本当は将来ある子供たちのレッスンの方が遣り甲斐があったかもしれないのだが、わたしたち中年男性相手でも決して手を抜かれない先生のレッスンのおかげで、みんなヴァイオリンを続けてこられたのだと思う。
先生は代わられるが、これからもヴァイオリンを続けていこうと思う。いままでお世話になった先生にどこかでお会いしたときに、まだヴァイオリン続けていますよ、と言えることがお世話になったことへの恩返しだと思う。
スタジオでヴァイオリンを習い出したころは、いまの先生とは別の男性の先生だった。その先生が留学されるということでいまの先生に交代された。そのころはまだ音大の学生さんだったはずだ。
お世話になった8年間の間に3回の発表会があった。発表会で弾いた曲はどれも思い出深い曲だ。2回目の発表会からは他の楽器との合奏も加わった。先生の隣で先生と同じパートを弾いたときの安心感はいまも忘れられない。この歳でもステージに立てば緊張する。周りの人はみんな上手で、自分一人がアウェイの場所に来たような気分だったのが、先生が隣で同じパートを弾いてくださるというだけで、急にそこがいつもレッスンを受けているスタジオのような、ホームの気分になったものだ。
レッスンの間隔が1ヶ月ほど開くこともあるのだが、いつも先生は、前回のレッスンで何が課題だったかをきちんと覚えてくださっていた。うちのスタジオのヴァイオリンの受講生はなぜか中年男性が多いのだが、どの受講生も毎回のレッスンを楽しみにしていた。スタジオの奥さんによると、ヴァイオリンの受講生はレッスンが終わるとみんな溜息をつきながら事務室に入ってくるそうだ。今日も出来なかった、進まなかった、ということなのだが、それでもヴァイオリンを続けているのはそれが楽しい証拠。本当は将来ある子供たちのレッスンの方が遣り甲斐があったかもしれないのだが、わたしたち中年男性相手でも決して手を抜かれない先生のレッスンのおかげで、みんなヴァイオリンを続けてこられたのだと思う。
先生は代わられるが、これからもヴァイオリンを続けていこうと思う。いままでお世話になった先生にどこかでお会いしたときに、まだヴァイオリン続けていますよ、と言えることがお世話になったことへの恩返しだと思う。
2014年2月17日月曜日
移弦のわるい癖は治るのか
再開後2回目のレッスンから1週間。相変わらず、毎朝、短時間の練習を繰り返している。
一度ついたわるい癖はなかなか治らないものだ。移弦のとき、特に低い方の弦から高い方の弦に移弦するときに、手首で移弦する癖がついている。それは以前からずっと言われているのだが、再開後もまたこの課題に悩む。
大丈夫。ちゃんとやれば出来るから。
と、いちおう気休めは言っていただけるのだが、それが気休めにしかならないのは、さすがにこれだけ長くレッスンを受けていれば自明の理。
変なところにアクセント入れるやつは治ったじゃない。
を~、妙に説得力のある気休め。確かに、「タッタッラッタタラタラ」となっていたところは、練習でも結構気を付けて「ダ~リラリダラダラ」と、深い森の中を空気が流れるような弾き方ができるようになった、かもしれない、と思うのだが・・・・
脇がパタパタするのを意識したり、アップボウの先で高い方に移弦して弓を返す時に、右手を低めに移動させたり、いろいろ意識して練習。さて、どれだけできているのやら。
一度ついたわるい癖はなかなか治らないものだ。移弦のとき、特に低い方の弦から高い方の弦に移弦するときに、手首で移弦する癖がついている。それは以前からずっと言われているのだが、再開後もまたこの課題に悩む。
大丈夫。ちゃんとやれば出来るから。
と、いちおう気休めは言っていただけるのだが、それが気休めにしかならないのは、さすがにこれだけ長くレッスンを受けていれば自明の理。
変なところにアクセント入れるやつは治ったじゃない。
を~、妙に説得力のある気休め。確かに、「タッタッラッタタラタラ」となっていたところは、練習でも結構気を付けて「ダ~リラリダラダラ」と、深い森の中を空気が流れるような弾き方ができるようになった、かもしれない、と思うのだが・・・・
脇がパタパタするのを意識したり、アップボウの先で高い方に移弦して弓を返す時に、右手を低めに移動させたり、いろいろ意識して練習。さて、どれだけできているのやら。
2014年2月6日木曜日
余命宣告を受けたらこの曲を
以前、どなたかのブログで、昔、俳優の中井貴一さんがドラマの中で、余命宣告を受けてチェロを演奏する場面を、「究極の目標」といって紹介されていたのがあったが、久しぶりにヴァイオリンを弾いてみて、なんとなくそういうのもイメージが出来たような気がする。
そのドラマというのは、「風のガーデン」というドラマで、亡くなった緒方拳さんの最後のドラマともなった。緒方拳さんは中井貴一さんの父親役で、ドラマの中では中井貴一さんが余命わずかな癌患者を演じていた。余命宣告を受けた時に、心の動揺を抑えるかのようにチェロを弾くその静かな旋律が、かえって心の動揺を静かに表現しているいい場面だった。曲目は覚えていない。
そんなことを思い出しながら、いまもし余命宣告を受けたら何を弾くだろう、などということを考えた。最初に出てきたのはこれだ。
なかなかいいな、とは思うのだが、う~む。余命何年ぐらいあれば弾けるのだろう。
「あなたの余命はあと6カ月です」
「いや先生、それでは練習が間に合いません」
そんなわけで、ただいまこの曲を練習中。
さっきの曲よりも明るく逝けそうな気がする。
中井貴一さんはドラマの中で、だんだんと身体が癌に侵され、最期はベッドから起き上がれなくなってこの世を去っていく。余命宣告を受けてから楽器を弾ける時間ってどれぐらいなんだろう。翻って、自分は人生の最期に、どんなふうに楽器と向かい合っているんだろう。余命宣告があろうとなかろうと、死のときは必ずやってくる。そのときの楽器との向かい合い方を考えるということは、楽器といっしょにどう生きるかを考えることに他ならないと思う。
などと、最後はちょっと真剣に考えてみました。
ま、余命宣告は受けていないが、平均的に考えて余命あと30年ぐらいしかないので、わずかな時間でも楽器を弾く時間を大切にしていこうと思う。
そのドラマというのは、「風のガーデン」というドラマで、亡くなった緒方拳さんの最後のドラマともなった。緒方拳さんは中井貴一さんの父親役で、ドラマの中では中井貴一さんが余命わずかな癌患者を演じていた。余命宣告を受けた時に、心の動揺を抑えるかのようにチェロを弾くその静かな旋律が、かえって心の動揺を静かに表現しているいい場面だった。曲目は覚えていない。
そんなことを思い出しながら、いまもし余命宣告を受けたら何を弾くだろう、などということを考えた。最初に出てきたのはこれだ。
なかなかいいな、とは思うのだが、う~む。余命何年ぐらいあれば弾けるのだろう。
「あなたの余命はあと6カ月です」
「いや先生、それでは練習が間に合いません」
そんなわけで、ただいまこの曲を練習中。
さっきの曲よりも明るく逝けそうな気がする。
中井貴一さんはドラマの中で、だんだんと身体が癌に侵され、最期はベッドから起き上がれなくなってこの世を去っていく。余命宣告を受けてから楽器を弾ける時間ってどれぐらいなんだろう。翻って、自分は人生の最期に、どんなふうに楽器と向かい合っているんだろう。余命宣告があろうとなかろうと、死のときは必ずやってくる。そのときの楽器との向かい合い方を考えるということは、楽器といっしょにどう生きるかを考えることに他ならないと思う。
などと、最後はちょっと真剣に考えてみました。
ま、余命宣告は受けていないが、平均的に考えて余命あと30年ぐらいしかないので、わずかな時間でも楽器を弾く時間を大切にしていこうと思う。
2014年2月2日日曜日
レッスン再開 ~やっぱり戻ってきました~
再開後の初レッスンを受けてきた。
妻も子供たちも出掛けていたので、面倒な説明をしなくて済んだ。ま、辞めたといっていないので、なにもまた始めましたという必要もないのだが、辞めたことを前提にお小遣いの減額提示がなされているので、おそらく辞めたと認識されているのだろう。
ともあれ、無事に家を出てスタジオに行き、半年ぶりに先生に会う。
やっぱり、戻ってきました。
なんか、ヴァイオリンをやっていないと「ただのオッチャン」になってしまうなんて話をして、ま、とにかく涙ぐましい努力で練習時間を作っている話をことも無げに訊いてもらう。
レッスンの方は、曲こそ今までとは違う曲で、しかも、ヴァイオリンではなくてヴィオラを見ていただいているのに、言われることはまるでデジャヴ。移弦のときに手首で返すのはダメ、しっかり肘を上下させて。だけど弓を返す時は手首を柔らかく。要は、横には柔らかくしても縦には動かさないということか。しかし、紛いなりにも練習していた曲は最後まで先生の前で弾けた。
この調子で、ま、月1回ぐらいのペースで続けていこうかと思う。
妻も子供たちも出掛けていたので、面倒な説明をしなくて済んだ。ま、辞めたといっていないので、なにもまた始めましたという必要もないのだが、辞めたことを前提にお小遣いの減額提示がなされているので、おそらく辞めたと認識されているのだろう。
ともあれ、無事に家を出てスタジオに行き、半年ぶりに先生に会う。
やっぱり、戻ってきました。
なんか、ヴァイオリンをやっていないと「ただのオッチャン」になってしまうなんて話をして、ま、とにかく涙ぐましい努力で練習時間を作っている話をことも無げに訊いてもらう。
レッスンの方は、曲こそ今までとは違う曲で、しかも、ヴァイオリンではなくてヴィオラを見ていただいているのに、言われることはまるでデジャヴ。移弦のときに手首で返すのはダメ、しっかり肘を上下させて。だけど弓を返す時は手首を柔らかく。要は、横には柔らかくしても縦には動かさないということか。しかし、紛いなりにも練習していた曲は最後まで先生の前で弾けた。
この調子で、ま、月1回ぐらいのペースで続けていこうかと思う。
2014年1月23日木曜日
練習再開その後
今月初めに練習を再開して、その後も比較的順調に練習を続けている。家で練習すると、「あんただけ好きなことばっかり出来てええな」というビームが妻の目から出てくるのは相変わらずで、
妻がまだ寝ている朝早い時間に起きて、こそこそと家を出てスタジオをお借りしての、究極の「コソ練」。歳をとった所為か、早起きがあまり苦にならなくなったおかげで、毎日とは言わないが2日に1回ぐらいかそれ以上の割合で練習できている。1回の練習時間は30分程度だが、集中力が持続する時間としてはなかなかいい分量かもしれない。だらだら2時間も練習するより効果的だろうと思う。
今朝は会社の都合で時差出勤なので、いつもより長く1時間以上の練習が出来た。いつもは1巻1番ばかり練習しているセヴシックの他のところを弾いてみた。相変わらずお経みたいなのだが、調が変わるとちょっと宗派が違うような感じがする。頻繁にバヨ会をしていた頃に弾いていた曲を引っ張り出して弾いてみる。そんな昔のことではないのに、その頃のことはすっかり忘れて
あのときは弾けていたのに、
ちょっと練習しないとこんなに弾けなくなるのか
などと驚く。実は「あのときは弾けていた」というのが幻想で、弾いているうちに、実はそのときから弾けていなかったということを思い出してきた。そういう意味では、つまり弾けていなかったということを思い出したという意味では、しばらくのブランクは埋められつつある。
妻がまだ寝ている朝早い時間に起きて、こそこそと家を出てスタジオをお借りしての、究極の「コソ練」。歳をとった所為か、早起きがあまり苦にならなくなったおかげで、毎日とは言わないが2日に1回ぐらいかそれ以上の割合で練習できている。1回の練習時間は30分程度だが、集中力が持続する時間としてはなかなかいい分量かもしれない。だらだら2時間も練習するより効果的だろうと思う。
今朝は会社の都合で時差出勤なので、いつもより長く1時間以上の練習が出来た。いつもは1巻1番ばかり練習しているセヴシックの他のところを弾いてみた。相変わらずお経みたいなのだが、調が変わるとちょっと宗派が違うような感じがする。頻繁にバヨ会をしていた頃に弾いていた曲を引っ張り出して弾いてみる。そんな昔のことではないのに、その頃のことはすっかり忘れて
あのときは弾けていたのに、
ちょっと練習しないとこんなに弾けなくなるのか
2014年1月9日木曜日
ヴィオラの練習を再開
練習を再開した。
昨日は1時間半ほど、久しぶりの音出しをした。思うように音が出ないし、音程も思うように取れないが、久しぶりに満たされる思いがした。
今朝は、30分だけの練習だが、その30分間、緊張が続かない。こういうところがダメなんだ。ともあれ、セヴシックのお経のようなエクササイズを15分ほど、5分休憩して、バッハの無伴奏チェロ組曲の1番を、ヴィオラで10分ほど練習した。たった30分だけど、続けることが大事だと思う。前から思っていたことだが、1週間に1回、3時間するより毎日30分の方が絶対に身に付くと思う。まずは、今日の反省を踏まえて、30分間、緊張を継続できるようにするところからだな。2014年1月7日火曜日
ヴァイオリン復活へ第一歩
昨年の正月に書いた記事には、1年間の目標として、「年末までヴァイオリンを続けること」と書いてある。昨年はその目標を達成することができなかった。今年の目標は「ヴァイオリンを再開すること」。今日、その第一歩を踏み出した。
雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも冬の雪にも妻にも負けず、ヴァイオリンを続けていこうと思う。
四十路でもただのおっさんにはならない。
闘うおっさんのヴァイオリン練習日記 第2章のはじまりです。
雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも冬の雪にも妻にも負けず、ヴァイオリンを続けていこうと思う。
四十路でもただのおっさんにはならない。
闘うおっさんのヴァイオリン練習日記 第2章のはじまりです。