そんなこんながあって迎えた本番。
直前に舞台袖で待機していると、バヨ先生が調弦に来てくださった。
ご出産で退職されるというときは、まだ、この曲が通して弾けるかどうか分からないような状態だったが、先生が発表会に来てくださるならぜひこの曲を弾きたい、などということをお願いして、そのときはもしかすると少し困られたかもしれないが、今日はこうして聴きに来てくださって、しかも調弦までしてくださる。もちろん調弦してもらうことよりも、舞台袖にまで来てくださることの方が嬉しい。年甲斐もなく、
弾きますよ、先生。
聴いていてくださいね。
なんて気持ちになってくる。
そうはいっても、やはりステージでスポットライトを浴びるとそれなりに緊張もする。本当なら、ここは麦穂だ、ここは波だ、などといったことをイメージしながら、「先生、聴いていただいていますか、これからもヴァイオリン続けますよ」、というメッセージを送り続けるべきところを、「ここはもっと弓を大きく使わなきゃ」とか「ここは胸を張って堂々と弾かなきゃ」とかいう技術的なのか何なのかよく分からないことばっかり考えていたので、考えていることとは裏腹に弓は小さくなるし背中も丸くなってくる。どこかやっぱり「上手に弾かなきゃ」という思いが先走ってしまっている。つくづく、まだまだ人徳が足りないなぁ、と思う。
妻に言わせると、緊張しているのが伝わってきた演奏だったらしい。
リハーサルのときに、ちょっと音程を外して「どうしよう」と思っていたところがしっかり録音されていたように、わずかな緊張もやはりそのまま音に出てしまって、それがホール全体で増幅されるのだろう。だからこそ、そこはもっと、「こう聴いてほしい」ということを意識しておけばよかったのだが、なかなかそういうところにまで行けないのが小市民の限界ともいえる。
とはいうものの、これまでの発表会に比べれば上出来。最後の最後を除けば大過なく演奏が出来た。それが最後のところになって左手小指がかなり疲弊してきて、サードポジションンの薬指と小指で弾く最後のフレーズがかなり怪しくなってくる。ここはさっきまでの練習でも怪しくて、本番前の駆け込みで何度も練習していたのだが、その練習が却って仇になってしまい、本番で小指でのフィンガリングが出来なくなってしまった。
最後の
ジャラーーーーーン
と弾かなければいけない3重音が
フンニャー
と情けない感じで終わってしまう。いちおう弓を高く掲げて「いま演奏が終わりました」というアピールをするのだが、会場は「えっ、ここ拍手していいの?」っという雰囲気。お辞儀して初めて拍手がもらえた。
ま、しかし、練習で出来たり出来なかったりというところは本番では必ず出来ない、ということは分かっていたし、あそこのところは「出来ればラッキー」ぐらいのできあがりだったので、もう悔いなし。
聴いている人に、「これからもヴァイオリンを続けます」という思いが伝わったかどうかは分からないが、自分では、演奏が終わって、「これからもヴァイオリンを続けよう」という思いが強くなった。少なくとも、「最後失敗した。もう発表会は嫌だ」という思いになる演奏ではなかった。
(つづく)
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