2016年12月23日金曜日

暖炉の前で

 発表会以降、何を弾くのか定まらないまま、『ヴィオラ名曲31選』にある曲を、あまり目的もなく弾いている。難易度からするとそれほど高くないのだが、前回のレッスンでは
もっと音楽的に
という注文がついた。強弱とかそういうこともさることながら、「楽譜通りに弾きました」というのでは子供の発表会みたいだから、というのだ。
見ていただいているのはバッハのアリオーソ。



アリオーソというのは「歌うように」という意味だそうだ。つまり、弾き方の指示であってタイトルではない。そこでこれに題名を付けることにした。最初は歌詞を付けるつもりだったのだが、
歌は聞きません
と先生がおっしゃるので題名だけにしておいた。付けた題名が「暖炉の前で」。ロギングチェアで寛ぐ老人。その前では暖炉が燃える。別の部屋では、老人の子供や孫が集まって、米寿のお祝いの席を用意している。長かった人生を思い返しながら暖炉の火を見つめる老人。この暖炉もそういう老人の人生を見続けてきた。苦しかったこと、楽しかったこと。何かを成し遂げた満足感。それらの思い出の中で老人は満足げに軽い眠りに誘われる。

音楽性と言われて思ったのは、最初の音を出した時に、必然的に曲全体が予想できること。この曲の場合、最初は「シーーーー」と伸ばしているだけなのだが、張り付けた動画を聴いていると、その音を聞いただけで、その次は「ドレミラーーー」という展開への期待が浮かび、そこからあるべくしてどんどん次の音が出てくる。そういう感じに弾くことだ。
そのためには暖炉を思い浮かばせるように音を伸ばさないといけない。最初にアタックを入れず、ビブラートを少しずつ大きくしていき、次の音を導き出す。
すべての音というわけではないが、一つひとつの音にそういう意味を持たせて弾いていくと、それまでとは全く違う曲になってくる。今までやってきたことがなんて幼稚なのかと思うぐらいだ。

こうして弾いてみるとクラシック音楽の奥の深さを感じる。
うむ、新境地だな。

2016年11月13日日曜日

左手の形と音程 考

 音程が良くないのを矯正するためにセヴシックをやっている。最初の3小節だけしっかりやることを考えて、次々やるのは駄目ですよ、とのことだったのだが、前回のレッスンで新しいご指導があった。

ひとつ音を出したらいっかい止める
いっかい止めて次の音を出す準備をする
その準備ができるまで音を出しちゃダメ

次の音を出す準備とは、その次の音を出す準備も含まれる。ラ~と弾いた後でいっかい止めて、人差し指をシの位置に置いて弦を押さえるとともに、中指もドの位置をすぐに押さえられるところに止めておく。そのときの手首、肘、弓の位置や角度、立ち姿などすべてOKだったら初めて音を出す。

 そうはいっても、最初のうちはどこをどう気を付ければいいのかよく分からなかった。ちょっとわかったきっかけは、右の写真の手の形だ。すぐにわかるのは、小指が薬指の下に入っていること。つまり、この状態で小指をエイッと伸ばしても薬指に近づこうとするので、間がなかなか開かないのだ。原因は、手のひらを丸くするときに、紙を円柱形に丸めるような平面的な動きだけでなく、小指を内側に巻き込んで球面を作るような動きをしているからだ。
 これを矯正するには、小指を立てた状態で外側に捻る癖をつけるしかない。風呂場で手のひらを温めながら、小指の下の部分を外に反らせたり、小指を捻ったりと、いろいろやってみるのだが、四十路のおっさんにはちょっと健気すぎる努力のように思える。

 しかし、実際に弾いてみると小指を薬指の下に入れてしまうもう一つの原因がわかってきた。
 手のひらと竿の角度が開いているのだ。これが開いているから小指は竿から遠い。遠い小指で竿を押さえようとすると、手のひらを縦に丸く丸めないといけない。だから開かないんだ。
 もうひとつわかったのは、こうして小指を伸ばそうとしているとき、人差し指の付け根のところが竿を強く押している。その力に抗おうとして親指が物凄い力で竿を押し返している。

 これは手のひらだけで解決できない。
 手首から角度をつけないとダメだ。
 これまで、手首を遠くに、と言われてただ手首を遠くにすればいいのかと思っていたが、どうやらそうではない。指の骨は手首のところから分かれているが、そのうち親指の骨が付いているところに少し硬い部分があるが、この部分だけを遠くにするようにしてみる。肘の感じがいままでにない感覚になる。日常はあまり使わない腕の筋肉を使っている感じがする。そして、自然と手のひらが竿に向かい合うようになり、親指の力も要らなくなる。

 これだな。
 これこれ。

 いままで何回も言われていたようにも思うのだが、やっとその意味が分かったような気がする。

2016年11月4日金曜日

再びセヴシック

 このところ、レッスンで言われることはいつも音程
 自分でも合っているように思えないのだが、いったいどうすれば良くなるのか。

 発表会が終わって以降、なんとなくレッスンの方向性が見えなくなっていた。先生も、このオッサン相手にどんなレッスンをすればいいのかと迷っておられたのかもしれない。それが、前々回のレッスンで、「ヴィオラ名曲31選」を取り出してきて、その中の曲をやっていくということで、少し方向性が見えてきた。前回のレッスンでは、それと平行してセヴシックをやることになった。エチュードとエクササイズの組み合わせという、なんとなくレッスンの王道が出来上がったみたいだ。


 それでこのところ、練習でも必ず音階練習をするようにしている。時間に制限のない場合は、セヴシックのOPAS.1のNO.1の最初の3小節だけ30分ぐらいやっているときもある。30分かけても納得できるところまでいかない。先生からも、とにかく完全に弾けるようになるまで前に進まない!、という「コソ練厳禁」のお達しがあったので、とにかく納得できるまで練習する。そして最後は小指が吊ってきて、結局納得できないまま終わってしまう。


 結果には納得できないのだが、なぜ音程が合わないかはだんだんわかってきた。合わない理由にはそれなりに納得できつつある。


 まず、3指を伸ばしたときに2指が上擦ってしまって、元の音に戻るときに上擦ったままになってしまう。4指と3指の間でも同じようなことが起こっていて、そのたびに少しずつ音程が上がる。セヴシックの最初は

これの最初の3小節だけ繰り返す
ラシドシ シドレド ドレミレ


だ。この場合、1指と2指は半音だが、2指と3指、3指と4指は全音。この指の形が結構難しいので、まず、2指を3指に付けて、


 ラシ#ドシ シ#ドレ#ド #ドレミレ


とやってみる。キラキラ星を弾くときの指の形だ。これだと3指や4指も楽に出せて、ほかの指が上擦ることもない。これをそれぞれの弦でやってみる。


 レミ#ファミ ミ#ファソ#ファ #ファソラソ
 ソラシラ ラシドシ シドレド
 ドレミレ レミファミ ミファソファ


A線やD線では出来ても、G線やC線となると指が届かない。
エイッ
と指を出すときに、悶えるように体を捻っていたり、その所為で楽器が外側に傾いて却って指板が遠くなってしまったり、なぜか右足を不必要に蹴り上げていたりして、自分でも笑ってしまう。左手親指が指版に当たるポジションを、第1間接のやや上から、指の腹ぐらいまで下げ、さらに3指や4指のときに意識的に楽器を内側に傾けるようにする。それ自体は見ていて変なのだが、それまでの可笑しさを矯正するためのポジティブアクションだ。


 そんなことをやった上で、次は3指も半音上げる。ト長調やニ長調で出てくる指の形だ。


 ラシ#ドシ シ#ド#レ#ド #ド#レミ#レ
 レミ#ファミ ミ#ファ#ソ#ファ #ファ#ソラ#ソ
 ソラシラ ラシ#ドシ シ#ドレ#ド
 ドレミレ レミ#ファミ ミ#ファソ#ファ


そこまでやったら、セヴシックのもとの指の形。


 ラシドシ シドレド ドレミレ
 レミファミ ミファソファ ファソラソ
 ソラ♭シラ ラ♭シド♭シ ♭シドレド
 ドレ♭ミレ レ♭ミファ♭ミ ♭ミファソファ


さらに1指を半音下げて、ニ短調で出てくる形。


 ラ♭シド♭シ ♭シドレド ドレミレ
 レ♭ミファ♭ミ ♭ミファソファ ファソラソ
 ソ♭ラ♭シ♭ラ ♭ラ♭シド♭シ ♭シドレド
 ド♭レ♭ミ♭レ ♭レ♭ミファ♭ミ ♭ミファソファ


そのとおり。無理。
ここまで出来て初めて「納得」ということになるのだが、いったいそれはいつになることか。

2016年10月16日日曜日

課題まとめ

といっても、そんな大層なことでもない。このところ、練習時間があまり持たない。すぐに飽きてしまう。これはよろしくないので、仮に2時間なら2時間の練習時間が取れたら、何を練習するかまとめておいて、これ見ながら練習しようというだけのことなので、よほど私の動静に関心のある方以外は、今回は読み飛ばしておく方が時間を無駄にしなくていいと思う。

 まずは音階練習。
 葉加瀬太郎の時はあまり自分では気づかなかったのだが、バッハをやるようになって、音階の拙さが際立つようになった。ふつうは葉加瀬太郎みたいな誰もが知っている曲の方が気付きやすいものだから、たぶん、自分が気づかないうちに相当、音を外していたのに違いない。
 そこで、セヴシック再び。
 先生からは、1行ずつとか、1セットずつとか、とにかく完全に弾けるようになるまで前に進まない!、という「コソ練厳禁」のお達しがあった。最後まで通そうなんて思わないようにということだ。それはそれとして、特に課題なのは3指のシャープになるところとか4指のところで音程が上ずってしまうところ、それもC線とかG線だ。あとはポジション移動の前後なんだけど、これは次回のレッスンのときにセヴシックを持っていって、課題をもらうことになった。

 そのうえで、ヴィオラ名曲31選をひとつづつやっていく。これをテキストみたいにして、一つの曲が出来かけたら、次の課題をもらうことになった。
 とりあえずは9番のバッハのアリオーソ。毎回、講評があって点数がつく。今回は60点。とにかく音程でかなり減点された。あとボウイングが小さい。特に後半は譜読みも怪しい。おそらくダイナミクスなんかも何もできていない。それでも60点もらえたのは、それなりに一所懸命練習していったので、あまり辛い点数でやる気を殺いでもだめだという温情的判断だと思われる。



 そして、これもバッハで「G線上のアリア」。
 こっちは、いつものスタジオではなくて、3カ月に1回ぐらいの割合であるアンサンブルレッスンの課題。まだまだ先だと思っていたのだが、もう1ヶ月もないぞ、という局面になってきたので、そろそろ練習しなければ。
 誘ってくださった方は「ゆる~いアンサンブルです」と仰っていたが、いままでの経験では決してゆるくはない。たぶん、その先生のいつものレッスンがかなり厳しくて、アンサンブルの方は私のような部外者がいるので、先生がちょっと遠慮されているから、いつもそこでレッスンを受けておられる方には「ゆるく」感じられるのだろう。



 そして積み残しているヘンデルのヴァイオリンソナタ4番。
 一応、発表会は終わったのだか、もうちょっとまともに弾きたい。放っておくとどんどん劣化するので、時間があればさらえるとか、せめて「通せます」という状態はキープしておきたい。



 あと、葉加瀬太郎の「ANOTHER SKY」と、前に発表会で弾いたバッハの無伴奏チェロ組曲1番プレリュード。

 しばらくこんな感じで練習しよう。

2016年10月9日日曜日

ハ音譜の初見



 レッスンがあった。
 前の記事に書いたが、発表会後、練習の目標を失っている。「とりあえず」という感じで、葉加瀬太郎の比較的易しい曲を弾いているのだが、どこをどう練習すればいいのかが見えてこない。こういう曲を聴いていると、楽譜では同じように書かれているのに、一つひとつの音がすべて違うのがわかる。同じような二分音符でも、その中での強弱の付け方やビブラートの掛け方、弓の運び方や音色の出し方、すべてが違う。こっちはおんなじ音を出すのがひと苦労なのに。
 ま、それでも何とか「葉加瀬太郎のANOTHER SKYですね」っていうことが分かるようにはなってきたのだが、向こうがジェット機だとしたら、こっちは鳥人間コンテストみたいなもんだ。おまけに楽譜にまちがって「ANATHER SKY」って書いちゃったよ。もうタイトルの段階で違うものになっている。
 こんな調子なんだけど、最初だけでも葉加瀬太郎みたいに弾きたい。



と思わせたい。鳥人間コンテストでも、最初は「行けるかな」って思わしといて、途中で「あ~ぁ」ってなるやつはテレビに映してもらえるけど、最初から「こりゃ駄目だ」ってやつは映してももらえないじゃないか。

 いちお、先生の前で弾いてみた。やっぱり言われるのは同じ。

音程

そりゃ直さないといけないとおころはいっぱいあるけど、まず最初に直すべきは音程。いちばん簡単にそれらしく聴いてもらえるようにするには、まず音程。とくにゆっくりしたテンポの曲だから音程が外れているのがすぐにわかる。それも、小指が届いていないとかいうのはなかなか直せないけど、ポジション移動でちゃんと移動できていなくて、あと全部音程が上ずっているとか、そういうところを、チューナー見ながらでいいからしっかり直すこと。

 それと、フォルテのところで調子に乗って大きな音を出そうとすると、音が割れてしまっているから、むしろピアノのところを小さく丁寧に弾いて、フォルテがフォルテに聞こえるようにすること。う~む。葉加瀬太郎のジェット機みたいなヴァイオリンがあれば多少無茶な弾き方しても音が割れたりはしないのだろうけど、こっちは予算も鳥人間コンテスト並みだから・・・。

 そんな感じでレッスンが終わってしまう。

 もう、お前に言うことはない。
ヴィオラ名曲31選
という感じなのだが、いや先生、もうちょっと上手く弾きたいですよ。

 そんな悩みを事務所で愚痴っていたら、こんな本が目に留まった。「ヴィオラ名曲31選」。中身をパラパラ見ていたら、「どうぞ借りていってください」ということだったので遠慮なく借りることにした。それでレッスンにも持ち込んで、葉加瀬太郎が終わりかけたところで、

 これ、さっき事務室で借りたんですけど・・・

と言って持ち出す。先生曰く

 なんか有名な曲が多いから間違いが目立つんですよね~

でも、ま、そんなこと言わずに、この中から何かレッスン付けてくださいとお願いしたら、

 じゃ、最初から全部いきますか

なんてことになった。それで最初の曲を弾いてみて、

 う~ん・・・

となって、他の曲を探してもらう。次回はバッハを見てもらうことになったのだが、あとで「最初から全部っていうのも面白いかも」って思ったりした。それ、スズキのテキストみたいなので順番に丸もらう感じのレッスンだし、なんかレッスンをしてもらっている感じがある。
 それに、初見の練習だとか、楽譜を読む練習にもなる。

 そういえば、今日、2曲も初見で弾いたじゃないか。知っている曲ではあったけど、いきなり先生の前で初見で弾くなんてことをしたのは、今回がはじめてだ。進歩は目に見えないところであるもんだ。

 

2016年10月1日土曜日

この道は何処へ続く

 発表会が終わり、近々どこか人前でヴィオラを弾く予定もない日々。なんとなく練習にもモチベーションが沸かない。こういうときこそ基礎練習だ~、と思ったのだが、そんなのすぐに飽きるとわかっているので、先生もお付き合いしてくださらない。
 曰く
ちゃんと弾けるようにしようと思えば言わないといけないことはいっぱいあるんだけど、それやりだすと終わらないし、そんなことよりも何か弾きたい曲を弾いている方が楽しいに決まっているし、そういう中で、もっとこうした方がいいですよ、っていうアドバイスならできるんですけど、いまから真剣に練習してプロみたいに上手になろうというわけでもないですから。
うむむ。お見通しでしたか。

 そんなわけで、葉加瀬太郎の「another sky」を弾いてみる。

 うちの会社もご多分に漏れず、実務の大事なところは全部、非正規雇用の社員を扱き使っているのに、5年たったら有無を言わさず雇止めして新しい社員を入れ、またいちから教育をして、やっと使えるようになったらまた雇止めという、お馬鹿な人事政策しか持っていないのだが、今年度そのお馬鹿政策の犠牲になる人が2人ほどいる。去年はベテランの正社員が歌を歌って送ったのだが、今年は「大都さん、ヴィオラを」なんて冗談がでていて、いまのところ断っているのだが、もしかしてそんなことになるかもしれない可能性が2割ほどあるかもしれない、というので、そのネタにこの曲を選んだ。だけどそれは今のところ「人前で弾く予定」のうちには入らないので、練習のモチベーションにはつながってこない。

 発表会の日が重なって出られなかった他のスタジオのレッスンでは、G線上のアリアが課題になっているのだが、これはそのスタジオでレッスンを受けるものなので、いつも行っているスタジオのレッスンネタにはならない。
 ま、それでも練習しなければならないのは事実なのだが、そこのレッスンは3カ月に1回ほどしかないし、まだ先だし、いやそんなこと言っているうちにすぐ「あ、もう次の週だ」なんてことになるのだけど、なんとなくまだエンジンがかからない。

 先週、以前お世話になったアンサンブルの定期演奏会を聴きに行った。本番前に楽屋に行くと、こんな特徴のない私のことを大勢の方が覚えていてくださって、中には「また一緒に弾きましょう」と言ってくださる方もおられて嬉しかった。演奏を聴いていると、自分も舞台にいるような気分になる。昨年は、トラの陰で弾いているふりをするのが精一杯だったが、いままで経験したことがないぐらい楽しかった。これがちゃんと弾けるようになったらどれほど楽しいかと思う。
 ただ、このアンサンブル、地理的にとても遠いのだ。移住でもすれば心おきなく参加できるのだが、小さくてもいいからリフォームして楽器が弾けるようにできる家と、50mプールほどの大きさの農地、それと家庭問題に詳しい弁護士を紹介してもらえないものだろうか。

 バヨ先生は別のオーケストラを紹介してくださった。紹介と言っても、「あそこなら、あまり技術のことを気にしなくてもやっていけますよ」という、なんか褒めているのかなんなのかよくわからない紹介なのだが、たまたま明日はそこの定期演奏会があるので、それも聴きに行こうと思う。
 そこはアンサンブルではなくて、管楽器もあるオーケストラ。「そういうところでやるのも、また、楽しいですよ」とのことだが、まずは演奏会で雰囲気を見てみたい。

 やっぱりそんな感じで、常に自分ができるレベルの少し上ぐらいの目標を持っていないと、なかなか練習に身が入らないものだなぁ、とつくづく思う。

2016年9月17日土曜日

ヴィオラジョーク

電車にヴィオラを忘れるととても面倒 編


駅にて

客:電車に忘れ物をしました。
駅員:何を忘れられましたか?
客:ヴィオラです。
駅員:ビオラ?
客:ヴァイオリンよりも一回り大きくて、これぐらいの黒いケースに入っています。
駅員:あぁ、バイオリンですね。
客:いえ、ヴィオラです。
駅員:ちょっとお待ちください。問い合わせてみます。
(電話)黒いケースに入ったバイオリンの忘れ物ありますか?
客:(だからヴィオラだって)
駅員:忘れ物センターで預かっています。この番号を仰ってください。

忘れ物センターにて

係員:黒いケースに入ったバイオリンですね。
客:ヴィオラです。
係員:確かめてください。これでしょうか。
客:間違いありません。このヴィオラです。
係員:では、受取証にサインをお願いします。
客:ここ、ヴィオラって書き換えてもらえますか。
係員:・・・
客:ウに点々で

とっても面倒なことになります。

2016年8月29日月曜日

2年後にまた会いましょう

 今回の発表会は、ソロの演奏と、おっさんばっかりのアンサンブル演奏の二本立て。種目別個人と男子団体総合みたいな感じだ。この種目別個人の最後の演奏が結構上手い。いつも上手い人なんだが、今年はさらにレベルアップしている。

 演奏が終わったあと、事情を知りたる人たちがアンコールを掛ける。それを無視して立ち去ろうとするのを引き留めたり、楽譜を「弾け」と言わんばかりに突き付けられて顔をしかめたりといった小芝居があって、いよいよ男子団体総合「情熱大陸」。

 まぁしかし、もうすでに種目別個人の重荷は降ろしているので、気分的にはエキシビションみたいな感じだ。なんの緊張もなく、手拍子に合わせて本当に楽しく弾けた。

 あまり何度も聴かないけど、録音を聞き返してみて、けっして上手とは言えないが意外と音色が出ている。いつものチャルメラのような音色ではない。それだけでも直前の1ヶ月ほどの駆け込み練習があったというものだ。

 発表会のあとの懇親会は、どの人も満足げだった。自分がそうだったからかもしれないが、そう思えた。そして誰よりもスタジオの奥様が嬉しそうだった。いつもお世話になっているスタジオに少しは恩返しができたかなと思う。

 また2年後。

 その間に、そんなに上達しているとは思えないのだが、また2年後もこうして発表会に出て、みんなの演奏を聴いて、そして、また続けていこうという思いを新たにしたい。

 こうして、ヴィオラを弾いていてよかったという思いを新たにした一日が終わった。

2016年8月27日土曜日

気分は猫ひろし

 2年に一度の「大人の発表会」。楽器が違えども、それぞれ音楽を愛する人同士なので、他の人の演奏も全部聴こうと決めて、20人ぐらいの演奏を聴いた。いよいよ自分の出番だ。

 リハーサルでやった通り、アンクタクトで弓を振ってピアノの先生に合図するところまでは良かった。そのあと2拍目の上げ弓から始まるから、振った弓の先弓を弦に付けて待たないといけないところ、間違って元弓を付けてしまう。
あっ
と思ったけれど、当然やり直しは利かない。いままでだと、これで頭が真っ白になって一気に崩れていってしまうところなのだが、今年はそれでも落ち着いていた。その落ち着いている自分を見ている自分がいて、

お、お前、意外と落ち着いているじゃん。

なんてことを思っている。第一楽章はいままでの発表会ではなかった緩楽章。ゆっくりしたテンポでしっくりと聴かせる。レッスンではそこまでご指導いただく余裕はなかったのだが、自分なりに、ここは細い音色から入ってだんだん膨らますとか、ここは力強くとか、ここは伸ばしている間に膨らまして次の音を弾きだすとか、ここは目を閉じて顎を振りながら弾くとか、いろんなことを随所で考えていた。そのいくつかは実際にできた。最初に大失敗をしてそれだけできたのだから上出来だ。

 第2楽章は安全運転。ついスピードが出がちなところをしっかり抑えて、そのあとの急カーブで飛び出してしまわないように。これもある程度はできた。ただ、スピードは出ていないのに縁石に乗り上げたり、車庫入れで擦ったりと、ボロボロではあったのだが。

 でもそういうところで立ち止まることはできない。なにせ本番なのだ。ピアノ伴奏はヴィオラにはお構いなしにどんどん先へ進む。ここは無茶をして伴奏音源に合わせる練習をした甲斐があった。1小節か2小節を休符の振りをして、その次から何事もなかったようにピアノに合わせて弾き始める。おかげで最後まで止まることなく(?)弾き終えることができた。娘がまだ小さい頃に発表会前に言い聞かせたお約束のひとつ

間違えても最後まで弾くこと

が実践できた。
 オリンピック女子マラソンで完走した福士加代子選手が、第一声で「金メダル取れなかった~」といいつつ、世界最高の選手たちと一緒に走った42.195キロを「特別な時間」と振り返ったように、「ちゃんと弾けなかった~」けど、本当に特別な時間だった。伴奏していただいたピアノの先生に感謝。辛抱強くご指導いただいたバヨ先生に感謝。発表会を開いてくださったスタジオの奥様にも感謝。とにかく完走できてよかった。

(まだ、つづく)

2016年8月24日水曜日

発表会の基本に立ち返る

 こうして発表会本番の日を迎える。リハーサルの持ち時間は7分。第2楽章を普通のCDのようなテンポで弾けばなんとか最後まで弾けるのだが、もうそれはないものとした。重点はピアノの先生への合図。これだけできればいい。そして間違えてもオロオロしない。しれっと休符の振りをして途中から入る。といっても何か間違えたことはすぐにわかるのだが、どれぐらい間違えたかはわからない。 予定通り、第2楽章の半分を少し過ぎたところで「チン」とベルが鳴ってリハーサルが終わった。

 会場では、本番の会場のほかに練習用の部屋が用意されていて、代わる代わる練習をする。不安なところを何度も繰り返し練習する人もいるのだが、私の場合はそういうことをすると間違える練習にしかならない。不安なところは少し前から弾いて、駄目だった時の誤魔化し方を練習しておく。これは、そうしておけば本番で間違わないなどといった「おまじない」ではない。もっと現実的で真剣な練習なのだ。

 そうこうしているうちに集合写真の撮影があって、いよいよ本番が始まる。
 今回はここでいつもと違う行動をした。
 本番を最初から最後まで聴くことにしたのだ。

 娘がまだ小さいときのこと。初めての発表会はスタジオに椅子を並べて、生徒とその親20人ほどが所狭しと聞き入る中での発表会だった。そのとき、娘とした約束は
・ ちゃんと練習して一生懸命弾くこと
・ 間違えても最後まで弾くこと
・ 他の人の演奏もちゃんと聴くこと
中には、自分の演奏が終わると隣の子供とこつき合ったりする子がいるなかで、うちの娘は最後まできちんと演奏を聴いていた。ところが、自分自身はというとこの3番目の約束が、いままでは守れていなかった。自分の出番までの間、少しでも練習をしておこうと、練習室で必死になっていたのだ。そういうのは私だけではない。たいていの人がそうしていたように思う。

 今回は、出演者も少なく、会場も狭い。自分は最後の方だが、どうせ弾くなら、下手だけどみんなに聴いてほしい。そう思うなら、まず自分がちゃんと他の人の演奏も聴こう。そんなふうに思った。
 それに今回はスタジオの奥さんも開催するかどうかでずいぶん悩んでおられた。こうして開催されるのだから、やっぱり生徒一同、それに感謝して、何としても成功裏に終わらせないといけない。それじゃ、「成功」ってなんだろう。もしろん、一人一人の生徒の演奏のレベルが高くなることを望んでおられないわけではないが、その努力は当日の練習で稔るものでもない。楽器は違えど、またレベルは違えど、お互いに練習の成果を聴きあって励ましあい、またこれからも続けていこうという思いを共有してこその「成功」だ。
 そう考えると、まずは発表会の間、ちゃんと他の人の演奏も聴くというのが、いつもお世話になっているスタジオへの恩返しだ。
 なんて、そこまでは深く考えなかったけれど、とにかく全部聴くことにした。

 聴いていると、やはりそれぞれのお人柄がよく出てくる。一人一人が楽しんでおられることが伝わってくる。やっぱりこれだ。これがこのスタジオの発表会のいいところだ。

(つづく)

2016年8月23日火曜日

オリンピックとともに熱い夏は終わる

 長かったオリンピックも閉会になったが、2年に1度の発表会がある私の夏も終わった。相変わらず、曲がちゃんと弾けないのだけれど、何か清々しい気持ちで発表会を終えることができた。

 1週間前の最後のレッスンで、初めてピアノ合わせがあった。ピアノの先生には4年前に伴奏をしていただいている。娘もかつてお世話になっている先生なので、こっちの実力のほどはよくよくご存知。ピアノ合わせに向けて、お盆で特別料金になっているカラオケボックスを使ってかなりの練習をした。
 発表会の曲は、あまり有名ではないが、教本にも載っている定番曲なので、伴奏の音源もある。これをヘッドフォンで聴きながら弾く練習を繰り返す。テンポはかなり速い。ところどころ間違えたりするのだが、なんとか最後まで弾けるようになった。これは前回のレッスンからすれば相当な上達だ。それは先生も認めてくれた。

が、しかし、

練習でたまに間違えることは、本番では必ず間違えるものだ。ピアノ合わせはとにかくズタズタだった。先生曰く「速い」。そんなスピード出したら事故りますよ。もっとちゃんと弾ける速さでゆっくり、速く弾いて誤魔化そうとかしないで、最後まで同じ速さで、ってこれずっと言ってるじゃないですか。

…と、容赦なく機関銃のようなすごい速さでご指導が入る。

いつものことなのだが、さすがに発表会の1週間前にこの状態はかなり落ち込んだ。
走り高跳びだとか砲丸投げみたいに、何回かの試技の中でいちばんよかったやつを採用してもらえるのだったらいいのだが、発表会の演奏は1回限り。そこに最高の演技ができるように、心・技・体を整えていかないといけない。といっても、整えられるのは体ぐらいで、心も技もこりゃ無理だ、という雰囲気が濃厚に漂う。

 そこから1週間は、伴奏の音源に合わせるのをやめて、メトロノームをゆっくり目にして、とにかく通す練習を続けた。失敗しても途中で止めない。教本に載っているとはいえ、知っている人は少ない。間違えたところは休符の振りをして、どこからでも復活できるようにしておく。金メダルを取ったバドミントン女子ダブルスでも、最初から最後までノーミスではない。ミスをしてもすぐに気持ちを切り替えて、つねにアグレッシブな状態を維持できているかどうかが勝負のカギだ。

 それとピアノの先生に合図を出す練習。
 アンクタクトでサッと弓を振って最初の音を出してもらい、2拍目から音を出し始める。上げ弓から始まるので、弓を振った後は先弓を載せないといけないので、楽譜の最初に「先弓」と朱書きする。これで間違えることもないだろう。

 もう1曲の「情熱大陸」の方は、自分のソロのところ以外はまずまずの出来。こっちは前日にレッスンがあったのだが、もう先生は「いいですね」としか仰らない。本当は良くないところもいっぱいあるのだけれど、そんなところより「いまのはこういうところが良かった」みたいなことを言って、そこを本番でもそういうように弾きましょう的なアドバイスをいただく。

 プログラムでは、この「情熱大陸」の3人が最後に固められている。種目別個人の後に男子団体総合という並びだ。果たして結果は如何に?

(つづく)

祝・13000アクセス

 どうでもいいことですが、このブログが13,000ページビューを達成しました。
 いちばん最近アクセスされた方、13,000目のページビューですよ。

 昨年11月19日に10,000ページビューを達成していますので、それから278日で3,000ページビュー。ほぼ毎日10ページビューということになります。いつもご覧いただいているみなさま。まことに有難うございます。

 これからも、役に立たない記事を社会の片隅で書き続けます。

2016年8月11日木曜日

男子団体はメダルのその先を目指す


 発表会のプログラムができた。私は後ろから3番目。ラストは予定通りマリンバの男子生徒で、その間にクラリネットの男子生徒が入る。後ろの方がおっさんばっかりだ。そしてマリンバの演奏が終わったところで、事情を知った人たちがアンコールを掛け、そこにおっさん3人が現れて「情熱大陸」という段取りになっている。オリンピックの体操とは反対に、先に個人があって後に団体戦。卓球とか水泳と同じか。
アンコールとはいえ、人前で弾くのでレッスンもしていただいている。3人の先生に見てもらうわけにはいかないので、スタジオで一番長く講師をされているマリンバの先生に見ていだたくことになった。
 このブログの読者の中には、ヴァイオリンやその他の楽器を弾く方も多いと思うが、マリンバを弾く方はたぶんおられないだろう。私がいつも通うスタジオにはマリンバの先生もおられて、生徒さんも何人かおられる。いつもスタジオにはマリンバが置かれているのだが、マレットがないので、普段はこっそり音を出してみたりはできない。こうやって間近で音を出してもらって聴く機会はあまりないのだが、これはなかなかいい楽器だ。打楽器なのでリズムがはっきりしているし、音量も大きい。ピアノほどではないにしても、ヴィオラやクラリネットと一緒に並ぶと存在感が一段と大きく思える。

 今回のアレンジは、主旋律の多くをクラリネットに任せて、ピアノ伴奏を参考に、右手と左手をヴィオラとマリンバで分担するようなものになっているのだが、ヴィオラは「ズータラ ズータラ」というベースを弾いて、「ズンタッタ ズンタラッタ ズンタッタ ズンタラッタ」とかいう複雑なリズムはマリンバに任せた。このアレンジは結構成功している。そして、最後にはマリンバのカデンツァがあって、そこからCODAの激しいリズムに流れ込む。伴奏でありながら主旋律以上に存在感のあるパートなのだが、これには先生から

待った

が掛かったらしい。「弾けるものなら私も弾いてみたい」とのことだが、ストレートに言えば「無理です」ということのようだ。それでこの前のアンサンブルレッスンの時に、マリンバがいきなり第二主題の「チャーラーラーラァァァァァチャララ」という旋律を弾きだして、あらどうしよう、となってしまった。仕方なく、マリンバの旋律をヴィオラ用にアレンジしたのが上の写真。だいぶ簡単にした。ポイントは開放弦を多く使うこと。ニ短調だから「レ」とか「ラ」とかだけ弾いているだけでも結構、様になる。問題はリズムだ。まずはMIDI音源に合わせて歌ってみたりするのだが、それで譜読みできたつもりになっていても、いざ弾いてみると弾けない。手拍子をしながら歌ってみると、もう歌えない。やはり聞き覚えと譜読みは違う。
 そんなわけで、とにかく歌えないと始まらないと、手拍子やら足踏みやらをしながら歌う練習(これなら家でもできる)。次はメトロノームに合わせて歌う練習と、いろいろ試して、なんとか誤魔化せるようにはなった。
 この曲のリズムは主旋律のところでも結構難しい。しかし、自分が主旋律のところより、他人が主旋律のところの方が燃えるのはヴィオラ魂か、主旋律よりこっちの方が先に仕上がってきた。

 そして2度目のアンサンブルレッスン。マリンバは主旋律とあって、オクターヴでトレモロをしてくる。すごい迫力だ。それに負けないようにリズムを取っていく。先述の通り、伴奏でありながら主旋律以上に存在感を出さないといけないパートだ。このリズムがないと素扱けたCODAになってしまう。
 と、まあ、ここばっかり練習したので、そこはそこそこに弾けたのだが、他の場所では

 そこ、音程しっかりあわせましょうか

などというご指導も入る。
むむ。
マリンバとクラリネットは音程を外すことはできないはず。ということは、これは自動的にヴィオラへの指導ということになる。 若干遠回しだけれど、ほとんどストレートに近いご指導。先生が変わっても演奏がうまくなるわけではないので、言われることは同じだ。

 レッスンが終わった後、1時間ほど自主練習。そして1時間ほど反省会。
 テレビではリオオリンピック男子柔道73㎏級の競技が放送されている。日本人選手が金メダルを取ってインタビューを受けていた。

日本の美しい柔道を見てほしい

いいことを言うと思った。水泳やカヌーは銅メダルでもガッツポーズをしたり、嬉し泣きに号泣したりしているのだが、柔道の選手はどうも金メダルでないといけないみたいで、そこらへんが「意識の高さ」というより、見方によっては傲慢に感じたりしていたのだが、このインタビューで、そういうことなのかと納得した。激しい試合になれば着衣も乱れる。乱れっぱなしの選手も多い中で、日本人選手は、試合中でもその乱れを直し、常に(文字通り)襟を正して試合に臨んでいる。そうすることが正しい柔道なのだということを世界に認めさせるには金メダルしかないのだろう。

 体操の内村航平選手にも同じようなことを感じた。こちらは相手と対戦する競技ではないから、敵は外国人選手というよりも、油断だとか慢心だとか緊張だとか、自分の中にあるもの。そこにいる外国人選手は、自分と一緒にそうした己が内にあるものと戦っている味方ともいえる。演技が終わるごとにフロアの脇で外国人選手やコーチともタッチを交わして、金メダルが確定したときは、最後まで競り合ったウクライナの選手と肩を組み、互いの健闘を称えあっていた。

 少し前になるが、シドニーオリンピック女子マラソンで金メダルを取った高橋尚子選手は、前日のインタビューで、「見終わった後で自分も走ってみたいな、と思ってもらえるような走りをします」といったことを言っていた。

 共通して言えるのは、金メダルを取る人は、金メダルのその先を見ているということだ。ゴールのその先といってもいい。金メダルは、それを目的にスポーツをしている人にではなく、そのゴールの先を目指すアスリートだけに与えらるものなのだろう。

 これをみながら、わが男子団体アンサンブルは、上手な演奏を目指すのではなく、その先のゴール、つまり楽しい演奏、大人になってから楽器を始め、それを続けていくことの面白さ、音楽とともにある生活の豊かさ、その素晴らしさを与えてくれるスタジオへの感謝の気持ちを感じ取れるような演奏をしよう、と誓いを新たにしたのであった。







それにしても、まずは完走だな。

2016年7月23日土曜日

発表会準備ちゃくちゃく



 発表会まであと1ヶ月を切った。準備も、もう最終段階だ。

 発表会の成功のためには、なんといっても楽器のコンディションが大事だ。昨年は発表会はなかったが、演奏会の直前になって弦の調子がいまいちで、通販で買えばかなりの割引になるものを、間に合わないという理由で楽器店で買って張り替えてもらった。今年はそんなことがないように、予め早めに購入しておく。まだ、購入したまま張り替えていないが、これでいつでも張り替えられる。

 そして今日は弓の毛替え。
 2週間ほど前に工房に電話して、すぐやってもらえそうな日を押さえていた。それが今日。この弓を買うときにさんざん我儘をお願いした工房なのだが、いつも快く引き受けてくださる。

 発表会前になると、楽器の所為にしたくなるんです…
 (↑謙遜でもなんでもない)
 と正直に言って弓を見ていただく。買ったときについている弓毛は、その弓が製作されたときのもので、その後、ある程度の年数が経っているのと、その間にいろんな方が試奏をされるので、どうしても傷みが激しい。見ていただいて、

 かなり傷んでますね。

 とのことだった。そうか、やっぱり練習の完成度が低いのは弓毛の所為だったのか。
 家に帰って、新しい弓毛にたっぷり松脂を塗って練習してみる。最初は弦をうまく掴まないのだが、そのうちに松脂が載ってきて弦を掴むようになってきた。もう少し弾き込まないと調子は出てこない。

 楽器をメンテナンスしたら急に上手く弾けるものではないようだ。
 (↑当たり前だろ)

 あとは練習だな。練習。

2016年7月16日土曜日

情熱大陸を情熱っぽく

 今日は無理をお願いしてレッスンのダブルヘッダー。この前のレッスンでは情熱大陸を見てもらったのだが、すっかりそれだけで終わってしまって、ヘンデルを見てもらえなかった。そして、このところ情熱大陸ばっかり練習していて、ヘンデルをちっとも練習していない

VS

 それで、水曜日になってスタジオに連絡し、無理をお願いして2コマ入れていただいた。葉加瀬のコマとヘンデルのコマ。こうなると必然的にヘンデルも練習せざるを得なくなる。付け焼刃的だけれど、久しぶりにカラオケボックスで2時間半ほど練習した。

 そして迎えた今日のレッスン。
 付け焼刃はすぐばれる
 ま、しかし、久しぶりにヘンデルを弾いたときは、「ここは弾けていたのに」というところが全然弾けなくなっていたのが、一応、詰まりながらも最後まで弾くことができるようになった。レッスンでは、初めて第1楽章から第2楽章まで、途中でストップを入れずに(失敗してやり直すことはストップに含みません)、最後まで弾かせてもらえた。

 だいぶ弾けるようになったのは認めるけど、弾けないところはちゃんと弾ける速さで弾くこと。
 いつも言うでしょう。弾けるところだけ速く弾くのは駄目。
 いちばん弾けないところに合わせて、そこが弾ける速さで全体を弾くこと。

 以上

 ということで、始まったのが遅れていたせいもあるが、予定よりも早く第一試合はゲームセット。コールド負けの気分だ。

 間に別の人のレッスンが入って第二試合。その方が気分が切り替えられていいので、ちょうどよかった。

 こちらの方も、最初から最後まで通して弾いてみる。前回は何を弾いているのかわからなかったが、今回は、「情熱大陸です」と言わなくても「情熱大陸」だとわかる程度には弾けた。

 実はこればっかり練習していてたんですよ
 あはは… それは聴けばわかります

 やっぱりばれていたか。
 情熱大陸が褒められたというより、ヘンデルの方が駄目だったという文脈だ。

 まず、リズム。ちゃんと楽譜通りに弾きましょう。
 楽譜通りに弾いてると、しょーもない音楽になるように思うかもしれないけど、そうではない。
 音楽というのは楽譜通りに弾けば楽しく聞こえるようにできている。
 そのためには、弾けるところだけ速く弾いて、弾けないところで速さを変えるのは駄目。
 いちばん弾けないところに合わせて、そこがちゃんと弾ける速さで弾くこと。

 あ、これ、同じことを最近どっかで聞いたなあ。メトロノームで練習しているときも、4拍に1回の「チン」には合うように最大限の注意をしているのだが、途中のリズムはかなりいい加減。特に普天音符だとか、装飾的に入ってくる音だとか、それとポジション移動だとか移弦だとか、小指を伸ばすところだとか、至る所にリズムを狂わせるトラップが仕掛けられている。ワザとリズムを崩して弾いているのではなく、崩れているのだ。そのためにマリンバと合わせられないことも昨日の練習で発覚。ヘンデルの方はプロのピアニストが伴奏してくださるので、こっちのリズムが多少変でも合わせてもらえるが、こっちはお互い素人なのでそうはいかない。

 主旋律はちゃんとした音程で弾く
 有名な曲だから、音程が違ったらすぐばれます

 リズムも駄目、音程も駄目、だったらいいとこないじゃん。なりふり構わず今回は音程を合わせようと、弦の長さの1/4,1/3,1/2のところにマジックで線まで弾いていいる。しかし、横から見るので、それに頼って押さえる場所をコントロールしようとしても、ちゃんと押さえられていない。視覚じゃなくて、耳でちゃんと音程を取らなきゃ。ま、しかしヴィオラに主旋律が回ってくるところはほとんどない。そこだけ集中的に練習すれば、それもゆっくり音を合わせながら…。
 やっぱりゆっくりだな。

 イントロの、ラ~~~シ~~~ド~~~レ~~~のところ、もっと情熱的に。
 いまから情熱大陸が始まるんだから、もっとそういう気持ちで弾いてみて。

 あ、これはできそう。ちょっとやってみます。
 まず気持ちを作って、いざっ

 どうです、先生。だいぶ情熱的でしょ。

 いやぜんぜんさっきと一緒です。
 もっと、楽器がつぶれるんじゃないかと思うまで腕の重みを載せて。
 腕は肩から繋がっているものだから、肩甲骨から先の重みを全部載せるつもりで。
 休符の間も、弓を返す時も、弓を弦から離さないで。
 そんなにたくさん弓を使わなくてもいい。
 中弓の元の方を使う。
 特に上げ弓が軽くながち。
 きちんと弓を弦に載せてから弾く。
 途中からだんだん調子が出てくるのではなく、音符の最初から音を出す。

 音の「大きさ」じゃなくて「濃さ」ですよ。

 これ、そういえば前の先生にも同じようなことを言われたように思って、このブログを調べてみたら、やっぱり言われている。

『情熱大陸が情熱大陸っぽくない』 2014年9月27日土曜日
http://otogaku.blogspot.jp/2014/09/blog-post_27.html

 きのうも3人で合わせて録音をしてみたのだが、どうもヴィオラが何をしているのかがよくわからない。クラリネットは主旋律だし、マリンバは結構おもしろいリズムを刻んでいる。

 これ、ヴィオラいらなくね

 という感じだし、幼稚な音でかえって全体を乱している感じだ。
 今日はその原因がすべてわかった。
 わかったからと言って取り除かれたわけではないのだが。



2016年7月9日土曜日

情熱大陸その後

 2年に1度の発表会でお目にかかる音楽教室男子生徒3名による即席アンサンブルで「情熱大陸」を弾く話のその後だが、どういう弾き方とか見せ方をしたいかという、大まかな方向性は共有できている。ちょっと大袈裟な言い方だけれど、
ここ大事!
アーティストと言われるような人が、いや、アイドルグループでもいいのだけれど、売れているのは、その人が現れた時だとか、そのひとのコンサートの空気感みないなものがはっきり出ているからだと思う。発表会なんかでも同じで、2年に1回とはいえ、何回か同じ人の発表を聞いていれば、その人の人柄みたいなものが出てくる。自分の場合、それが裏目に出てしまうので、いつも発表会が終わると人格の未熟さを痛感するのだが…。
 今回のおっさんアンサンブルのコンセプトは余興。
 とにかく余興なのだから、苦しい表情をみせることなく、最後まで楽しんで弾きたい。それがお世話になっているスタジオへの恩返しだという、この1点。
頑張って上手に弾けたね
ということではなく、
なんかよくわかんないけど楽しそう
という空気を作りたい。あまり練習していないように見せかけて、あまり苦労しているようには見えないように、とにかく楽し気に…

 と、ここまで書けばわかる人にはわかると思うが、それがいちばん苦労するところだし、そのためにはとにかく練習が必要なのだ。最近は、発表会の曲は放ったらかしでもっぱら情熱大陸ばかり練習している。さっき、ヘンデルを弾いたら、弾けていたはずなのに弾けないことにびっくり。

 ともあれ、少し先が見えてきて、練習していても楽しくはなってきた。
 いろいろストレスがたまっていて、練習が面白くない時期があったのだが、練習している時間だけでもそういう浮世のことを忘れられる。そういう時間があるというのは幸せなことだ。会社を一歩出れば仕事のことは忘れて、楽器を弾いているときは楽器のことだけを考える。それは当たり前のことのようで、なかなかそうはいかない。仕事のストレス(むしろ会社での人間関係に起因するストレスかな)は、容赦なく私生活を蝕む。練習していても、「くっそ~、あの野郎!」なんて思いながら練習していると、ちゃんと曲と向かい合えないし、ふと練習の手を休めた時にそっちのことばっかり考えていたりする。それじゃ練習も楽しくない。そういうのがいちばんよくないんだよな。

 最近、ちょっとその辺の気持ちの余裕が出てきたかな?
 この調子なら、おっさんアンサンブルの空気も作れるかもしれない。あとは練習だな。練習。

2016年7月3日日曜日

三浦文彰『真田丸』

 我が家のリビングには40インチの大型テレビがあって、しかも、あくまで画質に拘って、この液晶テレビが全盛の時代に、消費電力が液晶の2倍といわれるプラズマディスプレイを採用している。それまでは32インチのブラウン管テレビだったのだが、毎日CMで流される地デジ化近しの脅しに屈し、紅白歌合戦前に駆け込み購入したものだ。
 これは、ビール片手にナイター中継を見るためのテレビではなく、ハイクオリティな画質を求める放送コンテンツを視聴するためのものだ。毎週月曜日は民放のNEWS、火曜日はNHKのスポーツ番組、木曜日には芸能人やスポーツ選手がチームを作り独創的なゲームでレギュラー出演者と対戦する民放のバラエティ番組、土曜日は動物園を紹介する民放のバラエティ番組、日曜日には工場や農場などを見学する教養番組に見立てた民放のバラエティ番組などがあり、さらにそれをビデオに録画してリピ見したりするために使われている。最近は娘たちが見るドラマなどもローテーションに入ってくるので、私にはほぼチャンネル権はない。
 しかし、唯一、毎週欠かさず見ているのが大河ドラマ『真田丸』。三谷幸喜脚本、堺雅人主演というのが妻の琴線に触れ、長女が山本耕史演じる石田治部少輔三成にすっかりハマってしまったため、我が家のハードローテーションに定着した。この『真田丸』のオープニングのヴァイオリンが結構、かっこいい。そして、そのミュージッククリップが半端なくかっこいい。
 こんな感じだ。



 ドラマの方も、毎回「神回」といわれるほど(長女談)おもしろい。オープニング曲を聴くと、ドラマの内容とリンクするので、ますます魅力的だ。ただ、こういうのは賞味期限も短い。2年前にあれほど聴いた「アナ雪」が、いまじゃまったく弾く人もいないような運命を、この曲も負っているのかもしれない。いつかこんなかっこいい曲を弾いてみたいと思いつつ、今は弾けそうにないので、結局は永遠に弾くことがないように思う。

 さて、いつも時代劇では嫌われ役として扱われることが多い石田三成だが、いまや東京都知事さえ狙えるぐらいの人気だ。東京では放送されていないが、石田三成にゆかりのあるある県では、こんなCMも放送されている。

https://www.youtube.com/watch?v=TdFwLV-EBQA

 こっちのほうはヴァイオリンとは関係ないが・・・

(追記)パワーアップした石田三成CM第二弾はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=yAaNoci3_FQ




2016年6月29日水曜日

発表会申し込み

 会社の帰りにスタジオに寄って、発表会の申し込みをしてきた。
 曲目の欄に「Violin Sonata 4番ニ長調 第1楽章、第2楽章 J. F. Handel」と書いてしまって、「大丈夫か?」とちょっと不安。第2楽章はまだかなり怪しい。情熱大陸もかなり怪しい。しかもあと2ヵ月もない。紹介のアナウンスで「曲目を一部訂正します」なんて説明されると、弾けなかったから辞めにしたのがまるわかりぢゃん。

 ピアノ伴奏もお願いするので、伴奏譜も提出。長女に弾かせようかとも考えたのだが、受験でイライラしているのか、反抗期なのか、そんな話をする雰囲気もないので断念。プロの先生にお願いする方がこっちの勝手なリズムに合わせてくれたりするので安心は安心なのだが、娘も長くレッスンをしてもらっていたので、こういう機会にちょっとステージに上がってくれると、それはそれで喜んでくれる人もいるだろうに、と少し残念。

 何人ぐらい出演されるのか聞いてみると、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、フルート、サックス、クラリネット、マリンバ合わせて13人。少なくなったといいつつ、結構な人数だ。ただ、ヴァイオリンは私だけのようだ。もとい、ヴァイオリンはいなくて、ヴィオラは私だけのようだ。

 去年の今頃は、アンサンブルめざしてブランデンブルクほか難曲数曲を並行して練習していた。それと同じといえば同じなのだが、今回はトラの陰で弾いているふりをしているわけにはいかない。
 果たしてどうなることか。

2016年6月25日土曜日

おっさんアンサンブル始動

 そういえば、最近、ブログの更新をしてなかったなぁ~、と思って自分のブログを確認してみたら、2か月も更新していない。そんな親しくない人でも、週に1回ぐらいあっていた人が、2か月間、現れないと「どうしているんだろうか」などと心配する人もいる。相手が美人だったりするとなおのことだ。幸い、こっちは美人でも話の面白いおっさんでもないので、あまり他人様に心配かけるようなこともなかったと思うが。

 テレビでやってるマンガなんかでも、ドラえもんみたいな定番は別として、しばらく間を空けて再開するときは、前回までのあらすじを登場人物の回想だとか、久しぶりに会った同志の会話の中に入れて、視聴者にそれとなく説明するものなのだが、今回はそんな感じ。

 まず、発表会の日時が決まった。
 あ、これは前回までのあらすじというよりも、前回以降の抜けていたところの説明だな。

 いつもお世話になっているスタジオでは、2年に1回「大人の発表会」があるのだが、今年はその年だ。ところが、このところ大人の生徒がだいぶ減って、それも大人だから「あくまでも自分で楽しむため」と割り切って、発表会には出られない方もおられるので、発表会自体があるかどうか、ちょっと怪しい状態だった。発表といっても、上手な演奏を発表するものではないと割り切って、ひとつの節目のような感じで取り組んできた私としては、「もうこれから発表会はありません」というのも寂しい話。しかし、そういうところでわがままを通すわけにもいかない。

 2年に1回しかないとはいえ、長く続けていると、かれこれこれで4回もステージを踏んでいる。うちのスタジオにはいろんな楽器の先生がおられるので、発表会となるといろんな楽器の演奏を聴ける。そういうなかで、毎回この人は出てくるな、という人は、あまり美人でなくてもよく覚えているものだ。美人ならなおさらだが。
 それで、前回の発表会のあとで、次はおっさんどうしでアンサンブルをやろう、という話を持ちかけた。「おっさん」という条件でメンバーをそろえたので、楽器はクラリネットとマリンバとヴィオラ。もちろん、そんなアンサンブルのための楽譜なんてものは世の中にはない。ともあれ、いろんな楽器の先生がおられるこのスタジオならではの発表っていうのがあってもいいというので、奥様や先生方の賛意も得られた。それで「情熱大陸」を弾こう、と曲まで決めていたのだが、そこからあまり進展がないまま1年半ほど経過した今年1月ぐらいのことだ。メンバーのひとりから、そろそろ何か相談をしないか、というお誘いがあり、その方のレッスンのときにスタジオに集まることになった。
 そのときに、「最近、生徒さんもすっかり減ってしまって…」という話があって、このおっさんアンサンブルは永遠にお蔵入りかとも思われたのだが、「そんなふうに思ってくれる生徒さんがおられるなら」と、おっさんアンサンブルがきっかけになって発表会が復活した。

 今月になって、アレンジした楽譜のMIDI音源を作ったりして、まずは楽譜を固める。それでやっとそれぞれパート練習できるようになったので、アンサンブルも日程に入れようということになったのだが、あまり間を空けるとお互いにものすごい完成度を求めてしまうので、間を空けずに日程調整。それが今日だった。

 けっして良い出来ではなかったが、やはり合わせてみたらおもしろい。弾いてみながら、「そこはこんな感じで」なんて偉そうに意見を言い合って、「を、これ曲作りってやつじゃん」なんて気分になってくる。レベル的に言うと、スタジオの発表会には持って行けないが、会社の忘年会ならいけるぐらい(どんなレベルやねん)。課題は山積だが、じっくり練習すればなんとかなるかもしれない感じは見えてきたかもしれないというようなことを言う人もいたかも知れない。

 そんなわけで、もうこれも後には引けない。前進あるのみ、練習あるのみ。
 長年お世話になっているスタジオに恩返しするつもりで、ちょっくら頑張りますか。

2016年4月24日日曜日

歌うように~その後

 いろいろなことが少しずつ落ち着いてきて、練習時間も捻出できるようになってきた。それで、やはり練習するとそれなりに効果もでてくる。前回のレッスンで、緩楽章のフレーズの歌い方を見てもらって、ロングトーンの練習やら、音の最初からビブラートを掛けることやら、なんかよく分からないけど「歌おう」という意識を持って弾くことやら、いろいろやってレッスンに臨むと、

だいぶ歌えるようになりましたね

とお褒めをいただいた。ああ、気持ちいい。やっぱりこうして褒めてもらうのは気持ちがいい。そういえば、なんか今日は朝から調子がいいような気がしていたんだ。もうそれ聞かせてもらったので、この気持ちのいい状態で今日はレッスン終わりにして帰ってもいいぐらいだ。

 褒めていただいたところのポイントのひとつはビブラートの掛け方なんだが、そのほかのポイントは自分でもよく分からない。出来れば、いままで何がダメだったのか、どこをどうすれば良くなったのかを客観的に分析しておきたいところなのだが、先生に聞いても、

「まあ、全部が全部、そんな理屈で説明できるものばっかりじゃないですよ」

とのこと。ま、それはそうなのかもしれない。

 こうして出来てくると、先生の方もいろいろとアドバイスのし甲斐があるのか、このフレーズのボウイングはこうした方がいいとか、ここは最後までしっかりと弾いた方がいいとか、こういう練習をした方がいいという具体的なアドバイスをしていた

 例えば、リズムが上手くとれていないところのボウイングを見ると、長さの短い音符のところでスラーを切っているために、弓を返すのに時間が掛かっている、とか、次の音が長いため弓を多く使って弾こうとしているために、変にその音だけが大きくなっているとか。
 フレーズの切り替わりのところの最後の音がどうしても上手く弾けなかったのだが、そこもボウイングの問題だった。うしろのフレーズがアンクタクトになるので上げ弓になるが、その時に弓のどの辺から弾き始めたいかを考えて、予め先弓の方に弓を寄せていく。それが出来ていないと、フレーズの最後の音でいきなり先弓まで持って行くことになるので、その音がなんとなく投げやりな感じになってしまう。弓に印をつけて、どの音をどこで弾けばいいかを客観的に意識して練習するようにということだ。

 全部が全部、理屈で説明できるものではないとはいうものの、こうして理屈で説明してもらえると、改善点が明らかになってくる。「感情を込めて弾く」というのは意外と戦略的にいろんなことを考えて弾いているものなんだ。

2016年4月20日水曜日

歌うように

 今日はレッスン。
 いまの先生は、大人にはあまりガンガンと課題を出したりはされない。毎回、自分で課題を持ち込んで見ていただくというスタンスで行かないと、結局何も教えてもらえずにレッスンが終わってしまう。これは、ある意味、主体的なレッスンになるし、練習をコンスタントにやらないと課題も見つからないので、練習も言われたことをだらだら反復するということにはならない。

 前回のレッスンでは、主には急楽章のテンポのはやい所をどう弾くかが課題で、最後に緩楽章のしっぽりと弾くところを見ていただいたのだが、今回は緩楽章がメインテーマ。

 これまでは、急楽章をヒラヒラと弾くのを目標に練習してきたところがあるのだが、緩楽章は緩楽章の難しさがある。音程を合わせて楽譜通り弾くということが出来たその先がないと詰まらないという難しさだ。ま、それは楽譜通り弾けてからの課題とも言えなくはないのだが、でもまぁ、そろそろそんなことが気になるぐらいにはなってきた。

 緩楽章で気になるのが、音がフレーズにならないこと。一つひとつの音がバラバラで、「フレーズ感」がない。ひとつのフレーズをどう始めて、どう展開させて、どうやって次のフレーズにつなげるかという表現ができない。こうしたいという思いはある程度出てきたのだが、それが表現できないのだ。

 先生曰く
 弓の持ち方がわるいですね
 人差し指と小指はなくても弓を持てるはず
 スズキメソードの1巻に載ってますよ。

 えっ!
 これは衝撃だった。弓は重心で持っている訳ではないので、当然弓先の方が重くてそちらに倒れようとする。それを小指で支えているのだとばかり思っていた。ちゃんと弓が持てている良い子のみなさんには何を言っているのか分からないかもしれないが、ずっとそうやって持ってきた。

 うむ。また基礎練習の課題が…

 それと、ビブラートを掛けるなら掛けるで、最初から最後まで全部掛けましょう、とのこと。ロングトーンで最初のとことはかかっていないのに、途中から掛かりだして、最後は次の音が気になるので掛からなくなる、というのは不自然。

 うむ。これも図星。

 まだまだ歌えるようになるには修行が必要なようだ。
 

2016年4月17日日曜日

これ定番曲?

 今度の発表会で弾く予定にしているヘンデルのヴァイオリンソナタ4番が、スズキメソード6巻に掲載されていることが判明。ってことは、これ、発表会の定番曲なのね。

 そんなつもりではなかったので、ちょっとショックだ。YouTube見ていたら偶然見つけた動画で、「헨델 바이올린 소나타 4번」って書いてあったのを読んで(嘘。横に「Handel Violin Sonata no.4」って書いてあった。でも読めるよ)、フリー楽譜から使えるのを探してきて、ヴィオラのためにアレンジしたのに…。
 ま、ヴィオラにアレンジするのはどのみち必要だったんだけど。

 定番曲なので、お手本動画もあったりする。ここは前向きに考えて練習して行こう。
 この動画を見ていると、結構ポジション移動を使っている。オクターブ違うのでこのままという訳にはいかないが、4指で苦労しているところとか、もしかするとポジション移動すれば楽かも。
 それと、弓使いも結構違っていて、スラーが多い。それは楽譜に書かれているスラーを私が勝手に亡き者として省略しているからなんだが…。



 そして、練習に便利なこんな動画も。


 定番曲とは言っても、いままで発表会でこの曲を聴いたことがない。子どもたちがピアノのレッスンを卒業(いや中退か?)したので、ここ2年ほどは子どもの発表会に行っていないが、たぶんなかったと思う。それにヴィオラで弾くのは珍しいと思うので、

ヴィオラで弾いたらこの曲あかんなぁ

と思われない程度には弾けるようにしなければ。

2016年3月12日土曜日

「ドタバタドタバタ」の弾き方

 久しぶりのレッスン。
 2月は都合が合わなかったので、1月17日以来、約2か月ぶりのレッスンになった。その1月のレッスンはバヨ会に向けてドッペルを見てもらったので、ヘンデルを見てもらうのは12月26日以来。その間も地道に練習はしていた。毎日ではないものの、週3~4日ぐらいのペースで、1日30分~1時間。全部あわせてもそんな長時間にはならないのだが、やはり地道にコツコツすることは大事だ。絶対無理だと思っていたことが、出来るかもしれないという幻想を抱かせる程度にはなってきた。

 その幻想は曲だけではなくて、基礎練習にも当てはまる。曲の練習をする前に、左手の小指がお休みのときにくるっと巻かれてしまうのをなんとかするため、セヴシックに励んでいる。最初のうちは音程を二の次にして、とにかく小指を巻かない。そのために、小指で隣の弦を押さえながら他の指を動かすなんてこともやったりして、最近ようやく、意識すれば小指を巻かないということができるようなときもあるようになってきたように思うようなときもあるようになってきた。

 それで、曲の方もその成果を活かして、いままで絶対に弾ける気がしなかった第2楽章のこんなフレーズを練習してみる。
ハ音譜なので分かりにくいかもしれないが、最初の小節は
 レラファラ レラファラ ドラファラ ドラファラ
ニ長調なので、ファとドは#がつく。指番号と弦でいくと、いずれもファーストポジションで、
 d0a0d2a0 d0a0d2a0 g3d4d2d4 g3d4d2d4 
となる。前半は4つのうち3つが開放弦なのだが、後半はラを開放弦で弾こうとすると1弦跨ぎの「大移弦」になってしまう。どうしてもここは4指でラを取って、すぐその4指を離したと思ったら、すぐまた4指で押さえるという高等芸が必要になる。しかもその間、3指をアーチにしておかないといけない。
 2か月前はこれが出来るような気がしなかったのだが、繰り返し練習するというのは凄いもので、これもできるようなときもあるようになってきたように思うようなときもあるようにきた。しかし、いくら頭の中で「レラファラ レラファラ」と唱えていても、音は
ドタバタドタバタ
と聞える。それに、余計な弦を擦ってあらぬ音も出てくる。

 先生曰く。
 肘を動かし過ぎ。

 移弦のときは肘から、と習ったので、如何なる時もそのようにしなければいけないものと思っていたのだが、さに非ず。こういう時は肘を固定して、肘から先と手首だけで弓を運ぶといいようだ。その結果、弓には若干の捻りが入る。D線でダウン、A線でアップとすると、アップのときに手首を下に折るので弓がネック側に倒れる。弓と弦が接するところを見ていると、弓の前後運動だけでなく、うねうねと捻られているような動きが加わる。そういう動きをわざとしている訳ではないのだが、結果的にそうなるようだ。

 これでドタバタも解消するか。

 また長い修行が始まりそうだ。

  第1楽章は、だいぶ弾けるようになりましたね、ということだった。自分としては、もう少し音を続けたい。
 レェェファァァラァァミィィィィイイイイイ 
と歌い込むように弾きたいのだが、
 レェ、ファァ、ラァ、ミィィィィィィィ
と一音ずつ息継ぎをしているみたいになる。弓を返すところが上手くつながらない。それはある程度仕方がないとのことだったが、例えば、ゆっくり弓を動かして、元から先まで1分ぐらいかけて弾く練習だとか、弓の早さを一定にして、特に返すところで速度を変えない練習だとか、それとレファだけを取り出してゆっくりと弾き、どこが上手く行っていないのかを分析してみるとか、

これもまた修行だな。

 まだしばらく、年度末までは忙しい日が続くが、めげずに続けよう。

2016年2月18日木曜日

ドッペルとその後

 いろいろ忙しくてブログを更新できなかったのだが、ヴィオラは続けている。いろいろ忙しくて制約がある方が、なんとか練習時間を作ってやろうと必死になるものだ。

 先月の終わりに、久しぶりのバヨ会があった。私の出張にあわせてわざわざ開催していただいたみたいなバヨ会で、とにかく、そうやってお会いできるだけで嬉しい。首都圏の某政令指定都市の結構立派なホールの練習室を借りてのバヨ会だった(いや、別に場所を秘匿する必要もないのだが)。

 お題目は大曲が2曲と小品が数曲。その大曲のひとつがドッペルだった。
 初めてヴィオラに挑戦。なんかずいぶん足を引っ張ってしまったのだが、去年、アンサンブルでブランデンブルクをやったときを思えば、まだいい方。いちおう、いま何処を弾いているのか見失わないぐらいにはついていけた。去年の経験ではそのレベルに至るまでに4~5回は通ったものだ。たぶん、あと2か月ほど毎週練習をすれば、ステージに上がってトラの陰でこっそり弾くぐらいなら出来るかもしれない。
 バヨ会ではよく弾く曲だし、こうして一度、合わせられたのはとても嬉しい。次に弾く機会までにはもう少し上達しておきたいものだ。

 そのあと約1週間、ホテルの部屋にヴィオラはあるのだが、そこで弾くわけにもいかず、たまにケースを開けて左手の指の練習をしたぐらいで、まったく練習しないまま出張が終わる。そのあとは怒涛のような毎日なのだが、それでも2日に1回ぐらいは、朝、早起きして30分ほど練習時間を確保。発表会で弾く予定のヘンデルのヴァイオリンソナタの難しいところを繰り返し練習するのだが、難しいところはやっぱり難しい。

 発表会のことをスタジオで聞いたら、最近、発表会に出る大人の生徒が減って、ちょっとどうしようかと決めあぐねておられる様子。子供の発表会と合同になるかも、なんてことも仰っておられた。子供の方が上手いんだよな~。

 そんな訳で、バヨ会でお世話になったみなさん、ありがとうございました。次までにドッペル練習しておきます。

2016年1月11日月曜日

再びドッペル

 昨年の今頃はヴァイオリンでドッペルをやっていた。
 もう少し詳しく言うと、その前の年の秋に先生が交代になって、その交代の前に発表会が終わっていたので、とりあえず練習曲がなくなっていて、それで「情熱大陸」とかいろいろ考えていたんだけど、新しい先生に何を見てもらおうかと考えた時に「情熱大陸」じゃぁなぁ、と客観的な根拠の乏しい思い込みからドッペルを見てもらうことにしたのだけれど、あまりの弾けない加減に呆れられて、クロイツェルをやるようにご指導があり、もっぱらそればっかりやっていて、いつかドッペルをやりたいなぁと思っていた(言うのが遅くなりましたが、ここまでは読み飛ばしていいところです)。
 ドッペルをやっていいよと、解禁になったのは2月ぐらいで、その後、ドッペルの第2ヴァイオリンを見ていただいていたのだけれど、5月か6月ぐらいにアンサンブルに飛び込んで、そこでブランデンブルクだのテレマンだの、結構、大きい曲を無理して弾くことになったので、いったんドッペルは終わってしまった。

 そして再びドッペル。
 今度はヴィオラパートだ。

 すっかりおなじみの曲(けっして弾けるわけではないが)なのだが、ヴィオラパートだけを繁々と聴くことはない。とりあえず第1楽章の最後まで、ハ音譜にフリガナを振る。それで、リズムとかテンポとかを無視して最後まで弾いてみる。
 いちおうこれを譜読みと呼んでおこう。

 なんか聞き慣れないメロディラインだし、どこでどんな展開になるのか、先が読みにくい。すごく唐突に新しいパターンのメロディがでてくる。それに#とか♭とか♮とかがやたらに多い。先月までニ長調だったのがニ短調になって、ただでさえ押さえる場所を間違えやすいのに…。

 だけど、これはきっと他のパートと交わるとものすごくいいに違いない。
 他のパートとあわせるには、ちゃっとテンポ通りに弾けないといけない。だれもヴィオラのテンポにあわせては弾いてくれないので、他のパートに合わせられなくても、せめてメトロノームにあわせて弾くぐらいのことはできないといけない。
 んで、合わせて見る。

 まずはゆっくり。
 導入部の20小節ほどだけでも。

 「まずは」とは言え、何とも低い目標設定だ。

 せめてそれぐらいは
 さらっと出来てしまえよ。

といいたいところだが、これがなかなかできないものだ。それでも、これ、きっと一緒に弾けば「ををを…」となるに違いない。上手く弾けば。

 当面、メトロノームに合わせることと、ヴァイオリンのパートを聴きながらヴィオラパートを歌うことを練習中。どっちも怪しい。
 はたして、本番には間に合うのか・・・・。


こいつ、ちょっと速いな…

2016年1月1日金曜日

今年の目標

あけましておめでとうございます
今年もあまり面白い記事はないとおもいますが、お暇つぶしに読んでやってください

 毎年この時期には同じことを「今年の目標」などといって掲げているのだが、今年もやっぱり同じことを掲げる。

 年末までヴァイオリンを続けていること

 書いてしまえば何でもないことだが、これがどれだけ難しいことか、そしてどれだけ有難いことか、読者諸兄にはご賢察いただけると思う。この歳になってヴァイオリンを弾いていても、誰に褒められるわけでもない。猛烈な逆風にも豪雨にも負けない強靭な精神力がなければ、続けていくことは難しい。数年前には現に一度は中断している。再開できたのは、スタジオの奥さんの協力や先生の励ましのおかげだ。今年はそのスタジオの発表会もある。いつも娘さんにピアノ伴奏をさせてクラリネットを吹かれる方がおられるのだが、そういう「楽器を吹くお父さん」が普通に家族の中にいる風景が羨ましい。別に応援してくれとか伴奏してくれとかは言わないから、せめて放っておいてほしいものだ。

 昨年1年間の中で、アンサンブルのステージに載れたことはとにかく良かった。最初はまったく弾けなかったのが、とにかく大勢の方に励ましてもらって、本番を迎えることができた。こんな場があることは凄いことだと思う。諸般の事情でいったん退団しているが、いつかまたという気持ちはどこかにある。

 今月は久しぶりのバヨ会もある。ヴァイオリンをやっていなければ出会うこともなかったひととこうして会えるのは、本当に嬉しい。特に今回は私の都合に合わせて開催してくださることになったので、練習にも精が出る(はず)。

 仕事も忙しいし、通信で通う大学の授業も結構ハードだ。娘たちは受験生だし、妻は何かと気難しい。そんな中でもヴァイオリンだけは手放さずに続けていたい。そして、今年も一生懸命に生きていこう

そんなわけで、今年もとにかく面白くない記事ばかりですが、たまに読んで励ましてやってください。よろしくお願いいたします。