2023年12月31日日曜日

満身創痍の1年

 満身創痍とはやや大袈裟かもしれないが、どちらかというとネガティブなことの多かった1年だった。ヴィオラを弾いていてよかった、と思うことよりも、思い通りにいかなかったり、つまらないことに煩わされることも多かった1年だった。

 それでも、いちおうヴィオラは続けているし、このブログも続けているので、年始に建てた1年の目標は達成できたとは言えるのだが。

 この1年、ヴィオラに関して起きた出来事をこのブログを読み返して振り返ってみると、6月ぐらいまでは、まずまず楽しくやっていたように思う。秋に予定されていた楽団の定期演奏会に向けて、モーツアルトやらヴィヴァルディやら、けっこう気に入っている曲で、少し難しいけれど、ちょっとがんばれば弾けるかも、という頃合いのよい目標に向けて練習を重ねていたし、4月にはスタジオで教えていただいている先生のところの発表会にも出させていただいて、いろいろ技術的には課題はあったものの、いちおうそれなりには弾けたし、8月にはスタジオの発表会があるので、それを目指してクラリネットやマリンバを弾く方との共演で「出し物」を出す準備もしていた。

 つまずきの始まりはこの出し物。弦カルの「宇宙戦艦ヤマト」を変則三重奏用にアレンジして、それぞれが練習をしていたのだが、そのうちの一人が戦線から離脱。ヤマトが撃沈してしまう。それで、あわててソロの発表をすることになり、テレマンのヴィオラコンチェルトを準備したのだが、これは本番で撃沈。さらに秋に予定されていた楽団の定期演奏会が、指揮者の体調不良で中止になり、その後はいろいろ煩わしいことがあって、楽団自体は続いているのだが、自分はしばらくは休団。もちろん、ヴィオラを弾いていてよかったと思えるようなこともあったけれど、手放しで「いい1年だったなぁ」と振り返ることができるような1年ではなかった。

 それでも年末までこうしてヴィオラを続けることができた。8月の発表会も、ソロは撃沈だったが、アンサンブルの方は練習以上の演奏が出来た。そのアンサンブルのレッスンは発表会のあとも続いているし、来年の発表会に向けて練習も続いている。楽団を休むことにしたので、少し時間にも余裕ができて、カイザーだとかセヴシックなんかを始めたりもした。

 こんなふうにいろいろあったのだが、振り返ってみれば、ヴィオラは続けていてよかった、と言えるだろう。来年も、自分の身の丈に合わせて、ヴィオラを、細く長く続けていこうと思う。

2023年11月25日土曜日

Kayser始動

 いろいろあって始めたKayser。始めて見ると、これが結構、楽しい。もちろん、なかなか一筋縄ではいかないのだが、それはそれで楽しめる。

  前回のレッスンでは、1番、3番、4番が課題になった。2番は息抜きぐらいに、ということだった。1番を見ていただいたときに、音程があまりにもひどかったので、まずはそれ。例えば 開放弦→2指→4指→2指 運指(というのかどうかわからないが)するとき、正攻法ではいったん2指を押さえたら、その2指を離さないで、2指と4指の間隔をしっかり身体で覚えるように練習するのだが、大人になってからだと、そんなふうに柔軟に身体(指)が動かない。それで先生曰く、2指は離してもいいから、とにかく音程をしっかり取る。4指を正確に取ったあとの2指も、しっかり低めに取る、とのこと。その教えを守って、音はあまり出せないけれど、とにかく左手の練習だけは、毎日(とは行かないまでも2日に1回ぐらい)はするようにしてきた。

 その甲斐があって、今日は、音程は「だいぶ練習されましたね」と褒めていただいた。

 次はボウイング。今日のレッスンでは、全弓と短いボウイングを交互にするようなボウイングが課題になった。音を出さないと練習できないので、練習環境の制約が大きくなってしまうが、平日は今まで通りフィンガリングの練習をしつつ、休日に集中してボウイングを練習するとか、ちょっと工夫していくしかない。練習するべき曲は絞られたので、いまがそういう練習のチャンスだといえる。

 Kayserの練習の成果は、アンサンブルの曲にも出てくる。

 アンサンブルレッスンは、メンバーが揃わないのでしばらく出来ないのだが、今日のレッスンでは、前の順番の方がアンサンブルの課題になっているモーツァルトのメヌエットをされていたので、お帰りになるのを引き留めて、15分ほど合わせていただく。いままで音程が不安定だった4指だとか3指がシャープになるところが、先生に言われれば反応できる程度まで改善できるようになった。最初に弾いたときは低かったのだけれど、「低いですね」と指摘されれば、ちゃんと取れる。以前は、いくら高くとろうと思っても取れなかった。

 15分間、合わせる練習をした後で、Kayserを15分ほど。そこでボウイングが課題になり、そこを練習してきましょう、ということになって、残り15分は再びモーツァルト。アイネ・クライネ・ナハトムジークの第1楽章。ここでもボウイングが課題になる。それも、もしかするとKayserでしっかり練習しておけば、いままでよりもしっかりと曲想の付いたモーツァルトになるのかもしれない。

2023年11月18日土曜日

身の回りの整理

  会社に勤めていれば、いろんなストレスからは逃れようがない。新人であろうと、四十路であろうと、定年前であろうと、ストレスの種類は変わるかもしれないが、重さというか負担というか、そういうものは軽くはならない。楽団で楽器を弾いている間は、本来、そういったストレスから解放される時間なのだが、定期演奏会の突然の延期以来、そこもストレスを感じる空間に変わってしまった。案外、このストレスは会社で感じるストレスと共通点があるような、そうだとすると、ストレスの原因は自分の中にあるのかもしれないが、ともあれ、ヴィオラを弾いている時間だとか、所属する楽団のために何かを考えている時間とかがストレスになるようでは、ストレスがどんどん悪循環を始めて、ストレスの沼に陥ってしまう。

 それで、楽団の方はしばらく休むことにした。身辺整理といってもいい。

 しばらく休むと決めたので、ずいぶん時間にも気持ちにも余裕が出来た。まず、練習するべき曲が半分以下になった。定期演奏会のドタキャンという極限の状態で、どうやってサポーターの気持ちを引き留め、延期された定期演奏会にどうやって集客するかだとか、定期演奏会の延期で弛緩しがちな緊張感をどうのように維持するかだとか、楽団員の一体感をどのように醸し出すかだとか、いろいろ考えるところはあったけれど、そういうことも考えなくてよくなった。無理に続ければ、今後は、体調のすぐれない先生とどのように接して、その先生から何をどのように引き出していくかだとか、どうやってもともと予定していた定期演奏会のレベルを超える演奏をするか、というようなことも考えないといけなかったかもしれない。突き詰めれば、別にお客さんからおカネを取っているわけではないので、そんなに考え込むことはないだろう、と考える楽団員も多いだろうし、その考え方の違いがまたストレスになったかもしれないが、もうそれも考えないことにした。

 ひとつストレスが解消すると、不思議なことに、会社で感じるストレスもだいぶ軽くなったように思う。これまでよりも忙しくなるのは間違いないし、いつか楽団に復帰したときに、毎週、楽団の練習に行ける余裕があるかどうかも保証の限りではないのだが、それとストレスは必ずしも比例しない。

 ストレスから解放されたおかげで、練習時間がやや増えた。毎週の楽団の練習が亡くなった分は時間が短くなったのだが、休みの日にいろいろ思い悩む時間が減って、練習に充てる時間が長くなった。思い悩むことが多いと、練習していても途中で気になって中断することも多かったが、比較的集中して練習できるようにもなった。

 楽団は休んでも、スタジオでのレッスンは続けるので、来年春の発表会のための練習が中心になる。先生の方針で、来年は、アンサンブルの発表が中心になる。ヴィオラを習っているのは僕だけなので、出番にはこと欠かないとはいえ、やはり余裕が出来てきたので、教則本のようなものを紹介してもらえないかと先生にお願いしたところ、次の2冊を紹介していただいた。


シェフチーク(セヴシック): ビオラ技法教本 Op.1 パート 1

ボスワース社


カイザー: 初歩的で発展的な練習曲 Op.20

インターナショナル・ミュージック社/ビオラ教本





 どちらもヴィオラ用

 そんなことで新しい局面を開いていけるような気がしてきた。

2023年10月21日土曜日

アンサンブルの濃い練習

 所属しているアマオケの定期演奏会が、ふだんご指導を仰いでいる先生のご病気で延期になったのは、前の記事に書いた通り。ご病気の様子なども少しずつ伝わってきて、ご指導を再開いただく目途もだんだんついてきたところなのだが、それまで練習しないという訳にはいかない。先週は、先生なしで自主トレをしたのだが、今週は、普段はチェロのトレーナーをしてくださっている先生に、アンサンブル全体のご指導をいただいた。

新鮮!

 普段の練習だと、「今日は何からしましょうか」という話から始まって、2時間で、演奏会で弾く予定の曲をひととおり練習して、その間に2~3か所、ここはこんなふうにというご指導をいただくのみなのだが、先生が代わるとご指導も変わる。

 先生の中には、今日はモーツアルトのヘ長調にディベルティメントを指導しようというおつもりがあったみたいで、「それじゃ最初にヘ長調の音階、弾けますか」ということになった。曲の練習はそれから。それも、最初の4小節を何度も繰り返す。「もっと弾むように」「もっと響きを残して」「もっと揺れて」…。「パンパンパンじゃなくてラッタッターンというよう」…いや文字にすると何のことかわからないが、本当ならもう定期演奏会で弾いた後のはずの曲がどんどん良くなっていく。「フレーズの最後の音は丁寧に、そして弾きを残すように」「古典派までのスラーは必ず最初を大切に大きめに弾く」…。

 最初の1時間をかけて、第1楽章の前半だけ、次の1時間は2楽章だけ。結局、今日はモーツアルトのだけで終わる。それも半分だけだ。だけど、いままで何も気にせずに弾いていたところにどんどんご指導が入って、どんどん良くなっていく。
モーツアルトが降りてくる
のを感じる。これを3回ぐらいやったら、ずいぶんこの曲は良くなると思う。

 ただ、いちおうはほぼ完成しているところから、さらに完成度を上げるのはいいけれど、さあ今日からこの曲を練習しましょう、というときはどうなるんだろう。それに、他の曲が練習できていない。

 例えば、普段の練習はやるとして、それとは別に休みの日一日かけてこの練習をしたら、相当なレベルアップになるような気がする。しかし、そうやって真剣にレベルを上げようとして脱落していくような人がいては元も子もない。こういう時に何が正解なのか、あまり短絡的に決めることはできない。


2023年10月1日日曜日

延期! 急遽、定期演奏会が無期限延期に

 本当なら、今日は定期演奏会のレポートをアップする予定だったのだが、それが急遽、延期となり、少々湿っぽい話をアップしなければならないことになった。延期といっても「いつ」ということが決まってなくて、出来るかどうかの目途もない「無期限延期」。それ自体は、長くこのアマオケの運営に関わってこられた方が話し合って決められたことなので、それはそれで苦渋の決断だったはずだし、そうせざるを得ないという状況だったのだと思うのだけれど、このぽっかりと穴の開いたような気持ちの持っていき場がなくて途方にくれる。

 本当なら定期演奏会が開催されるはずだった日の3日前の練習日に聞く話は、何をどうやってキャンセルしたかとか、集めてお金はどうするかとか、延期についてどうやって広報するかとか、どれもこれも湿っぽい話ばかり。やっと話が終わっても、その場の沈黙を埋めるために意味のない会話が続く。みんなの心が塞がるのを少しでも和らげようとか、その場の重い雰囲気を和ませようとか、そういう気持ちで話しておられるのだろうけれど、そんなことより、
何か弾きましょうよ
と声を掛ける。やっぱりこういう時は楽器を弾くのに限る。楽器を弾いている間は、嫌なこととか、不安なこととかを忘れて、音楽と演奏のことで心を満たしていくことが出来る。そのために楽器を続けてきたのではないのか。その気持ちさえ共有できていれば、このアマオケは続けられる。もちろん、定期演奏会をドタキャンしなければならないような危機的な状況があるのだけれど、解決策は必ずある。ここで楽器を弾き続けたいという思いさえあれば、どうすればこのアマオケを続けられるのかという視点でいろいろなアイデアは出てくるはず。その気持ちが弱いと、往々にして出来ない理由探しに終始してしまう。ここで楽器を弾き続けたいという思いが、この団体を残したいという思いにすり替わってしまうと、団体としてのアマオケは残ったとしても、そこに自分が残る理由を失ってしまうメンバーも出てくるだろう。

 しばらくは正念場。一人ひとりの覚悟が試されるのかもしれない。

2023年9月17日日曜日

定期演奏会が近づく

  演奏会当日に配布するプログラムに掲載する曲紹介が出来上がって、すっかり準備万端モードになっていたのだが、演奏会が近づくに従って先生の指導もより細かくなっていく。いままでそんな細かいこと言ってなかったやん、とか、去年もこんな細かいこと言ってましてっけ、などと言いたくなるところなのだが、周りの人に聞いてみると、去年もこんな細かいことを言われていたとのこと。そうか、去年はこの時期になっても弾けないフレーズがあったりして、トリアージに必死だったから、あまり細かいことはスルーしていたのかもしてない。どうせそこ弾けないし、みたいな感じで…。ま、去年と比べて自分の演奏技術が向上しているのかもしれない。言われた通り弾けないとしても、どうせ弾けないと思っているうちはステージにも載っていない。いちおう言われた通りにしようとして出来ないというのは、少なくともステージには載っている。

 と、つらつら出来ないことの言い訳をしたが、それでも本番が近づいてかなり良くなってきているように思う。ちゃんと弾けてるやん、というレベルではなくて、なんかこの曲、スタイリッシュやん、とか、ちょっとコミカルやん、とか、弾きながらそんなことを感じられるようになってきた。どう弾きたいかが見えてきた、ということなのかもしれない。

 今日は、客演の先生方や賛助出演の学生さんもいっしょに、本番と同じホールでの練習。フルートの独奏は学生さんなのだが、ここはもっと小さくとか、ここはクレシェンドとか、細かいところのリクエストが出てくる。いっしょにいい演奏をしたいという気持ちが伝わってきて嬉しい。賛助出演の人がこうして気にしてくれているのだから、楽団員が面倒がるわけにはいかない。現に、その通りに弾いてみると、ちょっとグレードアップした感じにもなってくる。

 J.ラターの「古風な組曲」は、フルートとハープシコードの掛け合いがきれいな曲なのだが、どちらも賛助出演なので、実際に合わせてみるのはこの日が初めて。主役の楽器がいないところであーだこーだ言っているのとは、仕上がり具合が全然違う。

 いつものホールが改装工事中で、いつもとは違うホールを使うのだが、音響もなかなかよい。大きな声では言えないが、いつものホールよりも断然良い。いつも以上に定期演奏会が楽しみになってきた。

2023年8月25日金曜日

ラター 「古風な組曲」

 定期演奏会の曲紹介シリーズ。いよいよ最後の曲です。今回の定期演奏会で演奏する曲の作曲者の中で、唯一、現在もご活躍中の方の作品です。ご自身のWebサイトもお持ちですので、インターネットから比較的信頼性の高い情報を収集できるのですが、いろいろ苦労もしました。たぶん、今回の曲紹介の中でいちばん苦労したと思います。

ラター 「古風な組曲」
John RUTTER. “Suite Antique”

 ジョン・ラター(John Milford Rutter. 1945.9.24 - )は、イギリスで活躍する作曲家。作曲だけでなく、編曲や指揮など、いまなお精力的に活動している現役の音楽家です。「古風な組曲」は、ロンドンの西、ウィンザー・メイデンヘッド王室特別区で2年に一度開催される「クッカム音楽祭」のために、彼が1979年に作曲したものです。この年の音楽祭では、バッハのブランデンブルク協奏曲第5番が演奏されました。彼は、バッハへのオマージュとして、それぞれの曲がブランデンブルク協奏曲第5番と同じ楽団編成で演奏され、ブランデンブルク協奏曲第5番と同じようにフルートとハープシコードの絶妙な掛け合いが魅力的な、6曲で構成されたこの組曲を、この音楽祭で初演しました。

 そんな中でも、2曲目のOstinatoは、バッハの曲とはずいぶん異なる様相のリズミカルな曲です。4曲目のWaltzは、彼のWebサイトによると、ジャズの巨匠、リチャード・ロジャース(Richard Charles Rodgers. 1902.6.28 – 1979.12.30)のスタイルを取り入れているとか。しかし、全体的にはバッハの時代へのインスピレーションをはっきりと聴き取ることが出来る構成となっていると言われています。バッハがブランデンブルク協奏曲を進呈したのは1721年。300年の時空を超えて、バッハを現代に蘇えさせる壮大なタイム・トラベルをお楽しみください。

John Rutterのサイトより
John Rutter biography https://johnrutter.com/useful-info/press-resources
Suite Antique https://johnrutter.com/music/printed-music/catalogue/suite-antique
いずれも2023.8.15アクセス

Oxford University Press. 『John Rutter Suite Antique Full Score』

edy musicサイトより
【プーランクから】現代の作曲家も古楽器がお好き?チェンバロ編【フランセまで】
https://edyclassic.com/2688/
【冬に聴きたい】「ほっこり」クラシック【愛らしいディーリアスの佳作】
https://edyclassic.com/2480/
いずれも2023.8.15アクセス

Wellcome to Cookham.comより

Cookham Festival 2019 http://www.cookham.com/cookhamfestival2019/index.html
What is the Cookham Festival?
http://www.cookham.com/cookhamfestival2019/PDFs/WhatIsTheCookhamFestival.pdf
いずれも2023.8.15アクセス

モリタブさんのブログ「遊び心満載 初心者向けジャズ/大人の趣味/サラリーマンブログ」より
リチャード・ロジャースの代表曲・ヒット曲をジャズ初心者にも分かりやすく説明します!
https://moritablog.com/jazz-richard-charles-rodgers
2023.8.15アクセス

Wikipedia(日本語版)より
ジョン・ラター https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ラター

(→)John Rutter氏のサイト
https://johnrutter.com/useful-info/press-resourcesより


 インターネット上に、ご本人がアップされている情報も含めて、さまざまな情報があるのですが、ほとんどが英語。Google翻訳さんのお世話にずいぶんなりました。

 何に苦労したかというと、作曲者ご本人は「ブランデンブルク協奏曲第5番へのオマージュ」と仰っているのですが、私のような素人が弾いていても、ブランデンブルク協奏曲のイメージがなかなか聴き取れないこと。リチャード・ロジャースの方がなんだかしっくりきます。ことさらにブランデンブルク協奏曲のことばかりを書くと、なんだか、自分が思っていないことを、他人の言葉を借りてきてそれらしく書いているような、空々しい曲紹介になってしまう。それじゃたぶん、いっしょに演奏しているオケのみなさんもそんなふうに感じると思うし、その空々しい感じが客席にも伝わってしまう。でもご本人はブランデンブルク協奏曲のオマージュだと仰っているし、他のレビューサイトなどを見てもブランデンブルク協奏曲に言及している。そんなわけで、空々しくならないギリギリのところで書いています。

 さてさて、オケのみなさんの評価は如何に?
 評判がわるければ、当日のプログラムでは全面的に書き換わっているかもしれません。

2023年8月24日木曜日

H. PARRY. 弦楽三重奏のためのふたつの間奏曲

 定期演奏会の曲紹介シリーズ。いよいよ終盤です。今日のこの曲と、残りの1曲は、結構な苦労をしました。図書館に行っても、適当な情報がないんです。いちおう、作曲者のプロフィールぐらいは「音楽事典」とかなんとかという本で調べられるのですが、モーツアルトのように、作曲した作品のひとつひとつについて解説しているような本はありませんし、女性関係も分かりません。いきおいネットの情報に頼るしかなかったのですが、3人の娘の絵が見つかったところで「よし!」という感じになりました。


パリー 弦楽三重奏のためのふたつの間奏曲
C. Hubert H. PARRY. Tow Intermezzi for String Trio

 ヒューバート・パリー(Sir Charles Hubert Hastings Parry, 1848.2.27 – 1918.10.7)は、イギリスの作曲家で、音楽史に関する著書を多く著し、オックスフォード大学教授、王立音楽大学の学長も務めた音楽史の研究者でもありました。この「弦楽三重奏のためのふたつの間奏曲」は1886年、彼が38歳の頃に作られた曲と言われています。オケの指導をしていただいている先生から私たちに配られたこの曲の楽譜には「For Kitty, Margaret and Sue(キティ、マーガレット、スーのために)」と書き添えられています。この3人は、法律家で海軍書記官でもあったヴァーノン・ラシントン(Vernon Lushington. 1832.3.8 –1912.1.24)の娘たちです。この娘たちは、彼の妻で音楽家のジェーン・ラシントン(Jane Lushington)とともに、パリーに音楽の指導を受けていました。ジェーンと3人の娘の姿は、おそらくヴァーノン・ラシントンと親交のあった画家のアーサー・ヒューズ(Arthur Hughes. 1832.1.27 – 1915.12.22)の「Home Quartet. Mrs. Vernon Lushington with Daughters」と題された絵に描かれています。この絵が描かれたとき、キティは16歳、マーガレットは14歳、スーは13歳ぐらい。「弦楽三重奏のためのふたつの間奏曲」が作られる3年前です。開演前に右のQRコードからこの絵をご覧いただき、彼女たちが弾いているところを想像しながらお聴きください。

音楽之友社. 2008. 『新訂 標準音楽辞典 第二版』
Wikipedia(英語版)より
Hubert Parry(https://en.wikipedia.org/wiki/Hubert_Parry
Vernon Lushington(https://en.wikipedia.org/wiki/Vernon_Lushington
Susan Lushington(https://en.wikipedia.org/wiki/Susan_Lushington
Arthur Hughes (artist) (https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Hughes_(artist)
いずれも2023.8.15アクセス
IMSLP(International Music Score Library Project, 国際楽譜図書館プロジェクト)より
2 Intermezzi (Parry, Charles Hubert Hastings)
https://imslp.org/wiki/2_Intermezzi_(Parry%2C_Charles_Hubert_Hastings)
2023.8.15アクセス
Artworksサイト 「Home quartet. Mrs. Vernon Lushington with daughters」のページ
https://arthive.com/arthurhughes/works/558036~Home_quartet_Mrs_Vernon_Lushington_with_daughters
2023.8.15アクセス

 この3人の娘を紹介したいがために、ずいぶんいろんな人のことを書いて、ちょっと冗長な文章になっていますが、要は、この3人のために書かれた曲だということが言いたかった文章です。右の方は3人のお母さん。パリーは、この4人の音楽の先生でした。お父さんの知り合いの画家にこんな絵を描かせていますので、けっして怪しい関係ではなかったと思います。文春砲の出番はないようです。

 ちなみに「間奏曲」というのはあまりたいした意味がなくて、19世紀以降の自由な形式の小品に「即興曲」「奇想曲」「無言歌」などと同様に「間奏曲」というタイトルが付けられるようになったそうです(音楽之友社『音楽中辞典』)。

2023年8月23日水曜日

映画「オズの魔法使」より「虹の彼方に」

  定期演奏会の曲紹介シリーズ。昨日に引き続き、映画音楽からの小品です。マイ・フェア・レディは、正確にはブロードウェイ・ミュージカルに由来しますので、映画音楽と言えるかどうか…。

 細かいことはされおき、この時代の映画となると、相当な年配の方でも、実際にリアルタイムで映画をご覧になった方はほとんどおられません。けれど、世代に関係なくみなさんよくご存じの曲です。むしろ、映画音楽だということをご存じ出なかった方も多いのでは。私もそんな多数派のひとりでした。

映画「オズの魔法使」より
H.アーレン作曲 「虹の彼方に」
“Over the Rainbow”
from the Movie ”The Wizard of Oz” Composed by Harold ARLEN.

 1939年のアメリカ映画「オズの魔法使」の挿入歌。作曲したのはハロルド・アーレン(Harold Arlen. 1905.2.15 – 1986. 4.23)。14歳の少女ドロシーを演じるジュディ・ガーランド(Judy Garland. 1922.6.10 – 1969.6.22)が歌う曲です。

 カンザス州の田舎の農園の娘、ドロシーの周りで起こることは嫌なことばかり。もうこんなところではなくて、汽船でも列車でも行けないような、どこか遠くの、嫌なことのない世界に行きたい。虹の彼方にそんな世界があると歌うのがこの曲。竜巻に巻き込まれ、虹の彼方に飛ばされたドロシーが着いたのは、オズの魔法使がいる夢の世界。この世界が、今日、演奏する曲の中では、いちばん遠い場所かもしれません。

Wikipedia(日本語版)より
 「虹の彼方に」 https://ja.wikipedia.org/wiki/虹の彼方に
 「オズの魔法使」 https://ja.wikipedia.org/wiki/オズの魔法使
 「ハロルド・アーレン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ハロルド・アーレン
 「ジュディ・ガーランド」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジュディ・ガーランド
 いずれも2023.8.19アクセス

 これもWikipediaばかりですが、きちんと映画は観ています。映画の著作権は発表後70年とされますので、この映画は既にパブリックドメイン。モーツアルトの曲と同様に、二次創作者の同意さえあれば、ネットに公開できますので、アマゾンプライムでも無料で視聴できました。

 ところで、木星と虹の彼方はどちらが遠くか。

 この映画の「虹の彼方」は夢の中の世界ですから、きっと二度と行くことはできません。木星は、今世紀のうちに再び惑星探査機が近づくかもしれませんから、きっと虹の彼方の方が遠くでしょう。

2023年8月22日火曜日

ミュージカル「マイ フェア レディ」より「一晩中踊れたら」

 定期演奏会の曲紹介シリーズ。今回もいわゆる「小品」です。

 年配の方にはお馴染みの曲。私たちの世代だと、実際に映画や舞台を観た方は少ないと思いますが、曲を聴けば「あぁどっかで聴いたことがあるな」という曲です。

ミュージカル「マイ フェア レディ」より 
F.ロウ作曲 「一晩中踊れたら」
“I Could Have Danced All Night”
from the Musical “My Fair Lady” Composed by Frederick LOEWE.

 1956年のブロードウェイ・ミュージカル「マイ フェア レディ」の劇中で歌われた曲です。作曲したのはフレデリック・ロウ(Frederick Loewe. 1901.6.10 – 1988.2.14)。歌ったのは主演のジュリー・アンドリュース(Dame Julie Elizabeth Andrews. 1935.10.1 - )。1964年に、オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn. 1929.5.4 – 1993.1.20)主演で映画化され、マーニ・ニクソン(Marni Nixon, 1930.2.22 – 2016.7.24)がヘップバーンの吹き替えで歌っています。

The rain in Spain stays mainly in the plain
(スペインの雨は主に平野に降る)

下町娘のイライザは、「スペイン」を「スパイン」としか発音できませんでしたが、彼女を社交界にデビューさせようとする言語学者のヘンリーの特訓を受けて、正しい発音を身につけていきます。やっと正しい発音が出来た日、ヘンリーの期待に応えられたことと、紳士・貴婦人の集う華やかな世界を想像して興奮したイライザが、今夜は眠れない、一晩中だって踊り明かせると歌うのがこの曲。

 聞き覚えのある曲がいくつも歌われる映画の中でも、この曲は、オープニングやエンディングでもながれるテーマ曲。背中の翼を拡げ、宮殿でも舞踏会でも、どこへでも飛んでいけそうな名曲です。

Wikipedia(日本語版)より
 「一晩中踊れたら」 https://ja.wikipedia.org/wiki/一晩中踊れたら
 「ジュリー・アンドリュース」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジュリー・アンドリュース
 「フレデリック・ロウ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ロウ
 「オードリー・ヘップバーン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/オードリー・ヘップバーン
Wikipedia(英語版)より
 「Frederick Loewe」 https://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_Loewe
いずれも、2023.8.19アクセス

 このシリーズ最初の記事で「Wikipediaですぐ分かるようなことは書かない」と言っておきながら、参考文献がWikipediaばかりになってしまいました。しかし、けっして手を抜いているわけではありません。この文章を書くために、オードリー・ヘップバーン主演の映画「マイ・フェア・レディ」は観ました。

 曲名の邦訳ですが、「踊り明かそう」と訳されているものもあり、オケのみなさんもそのように言っておられるのですが、Wikipediaの訳を採用しました。本番の日に配布されるプログラムでは別のタイトルになっているかもしれません。

2023年8月21日月曜日

ホルスト 組曲「惑星」より 「ジュピター」の主題

 定期演奏会の曲紹介シリーズ。今日からはいわゆる「小品」です。ホルストの「ジュピター」ですが、平原綾香が歌って有名になった主題の部分だけを弾きます。小品だからと言って、曲紹介の手を抜くことはありません。

ホルスト 組曲「惑星」より 「ジュピター」の主題
The Theme of “Jupiter, the Bringer of Jollity”
from the Suite “The Planets” Composed by Gustav HOLST.

 1979年、アメリカの惑星探査機「ボイジャー」1号、2号が相次いで木星に接近し、それまで私たちが想像すらすることのなかった写真を地球に送ってきました。写真は世界中に配信され、日本の新聞も、当時は珍しかったカラー写真を1面に掲載しました。アメリカ大統領も、石油利権で巨万の富を築く大富豪も、東洋のあまり裕福とは言えない家庭の少年も、同じ写真を見て、同じように興奮しました。

 グスターヴ・ホルスト(Gustav Holst. 1874.9.21 – 1934.5. 25)がこの曲を書いたのは1914年ごろ、正式に初演されたのは1920年。木星に関する科学的知見は限られたもので、もちろん写真もありません。彼がモチーフとしたのは神話や占星術、そして彼自身の想像力。21世紀になっても、私たちが木星についてイメージするのは、ボイジャーが撮影した写真と、ホルストのこの旋律でしょう。彼の想像力の翼は、夜空に輝く星にまで届いていたともいえます。

Wikipedia(日本語版)より
  • 「惑星 (組曲)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/
  • 「グスターヴ・ホルスト」 https://ja.wikipedia.org/wiki/グスターヴ・ホルスト
  • 「ボイジャー計画」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ボイジャー計画

 インターネットで木星の画像を検索すると、ほんとうに鮮明な画像がいくつも見つかります。これ、ぜんぶボイジャーが地球に送ってきた画像なんです。いまから半世紀前ですよ。グランドキャニオンの画像とは訳が違うんです。でも音は聞こえません。グランドキャニオンなら、その場の空気を五感で感じることもできますが、それもできません。

 そういう意味で音楽は素晴らしい。こうして木星の「音」を感じることが出来るのですから。

2023年8月20日日曜日

MOZART. ディヴェルティメント ヘ長調

 きのうに引き続き、定期演奏会で弾く曲の紹介。今日はモーツァルトです。

 きのうのヴィヴァルディもそうですが、音楽好きのハイレベル・オーディエンスなら、私の書くような拙い曲紹介なんて読まなくても、モーツァルトのことなんてなんでもご存じのはず。むしろ、ちょっと興味はあるんだけど、というぐらいの方に如何に興味や関心を持っていただくかを考えて書いています。

モーツァルト ディヴェルティメント ヘ長調
Wolfgang Amadeus MOZART. Divertimento in fa maggiore K.138.

 この曲は1772年の初め、モーツァルトが16歳の誕生日を迎える前後に作曲されたと考えられています。当時、モーツァルトは、ザルツブルク宮廷楽団の副楽長だった父、レオポルトとともに、たびたびイタリア旅行をしています。1771年9月13日、ミラノのモーツァルトがザルツブルクにいる姉のナンネルに書いた手紙には、姉の友人であったW.フォン・メルク嬢という女性の名前が現れます。

妃殿下さま。W.フォン・メルク嬢に、ぼくがザルツブルクでの再会をとても楽しみにしているとお伝えください。ぼくはただ、彼女の演奏会でもらったのと同じようなプレゼントを、メヌエットのお礼にもう一度もらいたくて。そういえば彼女はわかってくれます。

「妃殿下さま」は、姉のナンネルを茶化しているのでしょう。「プレゼント」はおそらくキスのプレゼントと思われます。W.フォン・メルク嬢(アンナ・マリーア・バルバラ・フォン・メルク。通称 ヴァーベルル)は、モーツァルトの4歳年上。宮廷事務局長の令嬢。直接、手紙を書くのではなく、姉に恋の仲立ちをお願いしているのは、メアドの交換ができない当時の習慣でしょうか。

 この曲の軽快な第1楽章は、まるでモーツァルトがW.フォン・メルク嬢を助手席に乗せてドライブに出かけているようです。当時クルマはありませんから、馬車に乗って野や森を駆けていたのかもしれません。第2楽章は、急にロマンティックな会話に展開。「ちょっ、ちょっとマジにならないで…」とはぐらかすW.フォン・メルク嬢に、「じゃ芝居でも観に行こう」と街に誘うモーツァルト。第3楽章は、軽快でありながらどこかコミカル。モーツァルトのチャラ男ぶりが垣間見えるようです。

 さてさて、イタリアから帰ってきたモーツァルトとW.フォン・メルク嬢の関係に進展はあったのでしょうか。

  • 高橋英郎. 『モーツァルトの手紙』. 小学館; 2007.
  • 武石みどり, 大野由美子, 西川尚生, et al. 『モーツァルト全作品事典』. 音楽之友社; 2006.
 モーツァルトの曲紹介を書くときは、まず、モーツァルトの女性関係を調べる。音楽的な特徴がどうのこうのというより、そっちの方が関心を持ってもらえそうです。文春砲と同じです。音楽好きの方には叱られそうですが。


2023年8月19日土曜日

Antonio VIVALDI. フルート協奏曲「海の嵐」

 気分を切り替えて、10月の定期演奏会モードにしていく。しばらく、このブログをお借りして(自分のブログなので、誰から借りる訳でもないが、お読みいただいているみなさんの目をお借りして)、曲の紹介をしていこうと思う。

 まだ演奏順は決まっていないけれど、予想ではこれが最初のはず。

ヴィヴァルディ フルート協奏曲「海の嵐」
Antonio VIVALDI. Concerti per Flauto “La Tempesta di Mare” op.10-1. RV433.

 ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678.3.4 – 1741.7.28)が活躍したヴェネツィアは、地中海交易で栄えた商業都市。イタリアの東側、アドリア海の最奥部にある内海のラグーン(潟)の中にある島に作られた街です。交易に用いられたのは船。北欧に起源をもつ、丸みを帯びた船体の帆船、「ラウンドシップ」が多く用いられる中で、ヴェネツィアでは、ローマに起源をもつ「ガレー商船」と呼ばれる、オールで漕ぐ船が多く用いられていました。ガレー商船は、操船がしやすく、強い風の中でも思い通りに運航することが出来たと言われます。一方で、帆船は14世紀ごろから大型化が進み、排水量500トン級(ガレー商船は300トン級。初代うみのこ号の排水量は592トン)のものが造られるようになります。操船技術も発達し、横風や多少の逆風でも船を進めることが出来るようになり、大量の商品を効率的に運ぶことが出来るようになりました。

 1728年に出版されたヴィヴァルディのフルート協奏曲の第1曲には『海の嵐』という標題が付けられています。こんな破局的で恐ろしい標題とは対照的に、とても軽快で明るい印象の曲です。海の嵐をものともしないガレー商船が、そして、満帆に風を受けるラウンドシップが、晴れ渡る地中海の大波をかきわけてを進む。ガレー商船の漕ぎ手が、富を求める商人が、巡礼の旅の聖職者が、まだ見ぬ異世界に心を躍らせて旅に出る。そんな印象の曲です。

 サザナミのラグーンから大海原へ。今年の定期演奏会はこの曲で出帆します。

  • 中平希 著. 2018. 『ヴェネツィアの歴史:海と陸の共和国』 創元社.
  • ルカ・コルフィライ 著, 中山悦子 訳. 1996. 『図説 ヴェネツィア:「水の都」歴史散歩』 河出書房新社.
  • 音楽之友社. 1986. 『ヴィヴァルディ フルート協奏曲「海の嵐」「夜」「ごしきひわ」』
  • Wikipedia(日本語版)より 「アントニオ・ヴィヴァルディ」https://ja.wikipedia.org/wiki/アントニオ・ヴィヴァルディ 2023.8.18アクセス

 Wikipediaも使うのですが、Wikipediaですぐ分かるようなことは書かない。クラシック音楽の好きな方にとっては、「急‐緩‐急の3楽章形式とリトルネロ形式は、ヴィヴァルディの協奏曲の典型的な形式で云々」などといった解説が受けるのかもしれないけれど、そういう「いかにも」という印象を受ける文章は書かない。そして何よりも自分がわかっていないことは書かない。そんなことを考えながら書いていると、ある意味では曲とは全然関係のないこんな文章になったのですが、自分としては、むしろこの紹介文を書きたいがためにこの曲を弾いているような、そんな感じです。


2023年8月15日火曜日

弦カルの発表は最高レベル

 前の記事で、発表会のソロの演奏がボロボロだった話を書いたが、この発表会では、ほかに弦カルの発表もした。普段から弦カルでレッスンを受けているメンバーで、4月から、発表会を目指して練習をしてきた。身内の不幸があって葬儀の日程が発表会と重なるかもしれないという時は、ソロの発表以上に、こっちの発表の方が気になった。ソロは、自分の都合で自分が発表できないだけなのだが、合奏となると他の方にも迷惑をかける。1パート一人しかいないので、誰も欠けるわけにはいかない。もちろん、葬儀といえば誰も文句は言えないが、それだけに申し訳がない。

 結果としては、葬儀は前日に終わって、無事に発表会に出られたし、弦カルの演奏もできた。他のメンバーに葬儀の話はいっさいしなかったが、いっしょに演奏していると、どこか精神的にも支えてもらっているようで、演奏以外のことは何も気にしないで演奏することが出来た。

 こちらの発表に関しては、7月になってから、自主トレと称して、4人で練習したりもしていたし、直前のレッスンでは、かなりのレベルに仕上げることが出来た。本番に向けて、だいぶ「温まってきた」状態だった。

 それにしても、本番の演奏は、それまでのどの演奏よりもレベルが高かったと思う。

 やはり、それまでにしっかりと練習をして、自信をもって舞台に載れる、ということだとか、メンバー同士の信頼だとか、そういったものが人格を作るのだと思う。

 野球の試合で、味方のエラーから調子が崩れ、フォアボールだとかホームランだとかでどんどん失点するようなことがある。反対に、絶体絶命のピンチをファインプレーで切り抜けたことから、チームの雰囲気が盛り上がり、大量得点に結びつくこともある。演奏も同じで、何かが上手い方向に回り始めるとどんどんいい方向にことが進む一方で、何か躓くとどんどん泥沼にはまっていく。今回の発表会はそんな発表会だったように思う。

2023年8月14日月曜日

そろそろ発表会について語ろう

 

 先週の日曜日に発表会があった。それはそれは酷い出来で、もう記憶から消し去りたいぐらいなのだが、語らずにいると、いつまでも心の中で引き摺ってしまうので、吐き出してしまおうと思う。

 今回は、発表会に至るまでにも紆余曲折があり、最終的にソロの発表をすると決めたのは、本番の1か月前。まぁそのことは既に記事にしているので、もう言うまい。練習期間が短かったとか、そんな言い訳をしたところで仕方がない。発表をすると決めたのだから、どんな短い期間であっても、ちゃんと練習して仕上げておかないといけない。それは、プロも素人も関係ない。

 しかし、とにかくその日は、リハーサルのときからまったく調子が出てこない。楽屋で練習すればするほど酷くなっていく。まるで、藻に脚を取られてどんどん溺れていくようだ。

 実を言うと、直前に身内の不幸があり、前日に葬儀があった。身内といっても、寝食を共にした間ではなく、10年以上音信のなかった身内なので、それ自体はお気遣いいただくほどのものでもない(からこそ、こうしてブログに書いている)のだが、少なからず心を乱されていたのは事実。葬儀の日程が決まらず、もし日曜日だったらどうしよう、などと不埒なことを考えていたのも事実。普段、顔を合わすことのない親族が久しぶりに集まり、場違いな歓談をしているのに居た堪れない思いをしたのも事実。しかし、それは前日にすべて片が付いているはずのこと。もし何か気になることがあったとしても、気持ちを切り替えて演奏に集中するべきなのだ。

 もちろん、当日、自分が前の日の葬儀について何かを引き摺っているという意識はまったくなかった。すっかり切り替えているつもりだった。さあ今日は頑張ろう、と思っていた。仮に何かを引き摺っていたとしても、自分に十分な演奏技術があれば、演奏に集中することによってそういう雑念を振り払って行けたはず。しかし、そうはならなかった。何かいつもと違う。最初に弾いたときにそんな違和感を覚え、最後までその違和感を拭えず、どんどん、いつもの演奏から遠ざかって行く。

 とにかくボロボロな演奏だった。

 いままで、演奏技術と人格は別のものとして、練習でできたことが本番でできなくなるのは、技術の問題ではなく、人格の問題だと思っていた。何か、上手に見せようとか、すごいと思わせようとか、そういう邪念が身体を緊張させ、それで失敗したりする。それは、いくら練習をして技術を磨いても克服できない。人格の問題だから、と。しかし、今回は違うことを考えた。きっと技術は人格を作るのだ、と。しっかりした演奏技術があれば、少々のことではブレず、演奏に集中していける。本番であっても練習であっても、演奏に集中することによって雑念が消え去り、それが集中力をより高めて、その曲を演奏するのに相応しい人格を導き出してくる。きっとそういうことなんだろう。

 いつかこの曲もリベンジを。そう思う曲がまた増えてしまった。

2023年7月30日日曜日

腰痛とハイポジション

 15年ほど前に酷い腰痛に悩まされた時期があったのだが、このところしばらく腰痛で悩むことはなかった。それが、中腰で草刈りに勤しんだことを切っ掛けに、また腰痛に悩むことに。もともと、しゃがんだ時に踵を地面につけられないとか、膝を抱えて地面に座れないとか、胡坐が掛けないとか、地味な障害を抱えているのだが、これが、よりによって発表会の本番を目前にしたこの時期に腰痛となって顕れるとは…。

いや、ヴィオラ弾くのと腰と関係ないだろう

と思うかもしれないが、これは大いに関係がある。特にハイポジションのフィンガリングとか、左手の掌(てのひら)から遠いC線やG線のフィンガリングで、3ポジがあったりとか、C線3指のファに#が付いているときとか、そういう時に、左手首を捻って掌を外側に向けながら、左肘を鳩尾(みぞおち)の前ぐらいまで寄せないといけない時がある。そういうときに、上半身だけではなく、左の腰を左肘に向かって捻る姿勢を取らないと、肘が思うように鳩尾に寄せられず、それが原因でフィンガリングが難しくなってしまう。これをやると腰に「ピキッ」と痛みが走る。

 とにかく思うようにならない。

 弦楽四重奏のアンサンブルの方は、さいわい、そんなハイポジションもないので、C線のFisさえ何とかすればいいようなものだが、テレマンの方は、5ポジとか6ポジとかが出てくる。本番が近づいていて練習もしなければいけないのだが、そのたびに腰にピキッと痛みが走るので、これが本当にストレスになる。

 果たして治るのかしら。

2023年7月9日日曜日

音楽な週末

 土曜日は発表会へ、日曜日はワークショップのような取り組みの演奏会へ出掛ける。音楽な週末だった。

 土曜日の発表会は、いつもスタジオで一緒に弦カルをやっている方の、チェロの発表会。この方は、弦カルではヴァイオリンを弾いておられるのだが、志あって、チェロも弾いてみようと思い立ち、私たちのスタジオとは違う県内の個人でされている音楽教室に通ってチェロのレッスンを受けておられる。おそらくそのレッスンをされている先生同士のつながりなのだろう。県内と、隣の府(もともと都なので、いまさら都にしようなどということを言わない方の府)でレッスンをされている4人の先生の合同発表会というのがあった。楽器はヴァイオリンとチェロ、一部ヴォーカル。出演者は20人余り。子供が数人で、半分ぐらいは大人から始めたと思しき人たち、そして子供の頃から続けていると思しき青年男女。

 もう、そういう人の演奏は異次元。最初の音を聴いたときに
ぅを
となる。音色というか、音の勢いというか、響きというか、伸びというか、もうとにかく、何もかもが違う。もちろん、ボウイングだってフィンガリングだって、超絶難しそうなんだけど、そんなことじゃなくて、とにかく凄い。

 日曜日の今日は、妻が少し遠くに出掛けて、吹奏楽のワークショップみたいなのに参加。少し前まで都になるなると言っていた府の府庁のある街の市直営の吹奏楽団だったのが、府を都にすると言って市長になったやつから解散を示唆されたところを、全国の音楽家や音楽を愛する人からの支援で財団法人になって継続している楽団。そういうこともあってか、ファンサービスというか、市民交流というか、そういうことを積極的にされている。そういう取り組みのひとつで、月に1回、一般の人から希望者を募集して、朝10時半集合、そこで楽譜を渡して、楽団のプロが指導、そして午後3時から演奏会、という、これまたすごい企画をされている。

 弦楽器もそうだけど、楽器というのは、ひとりで弾いているよりも合奏が楽しい。それは吹奏楽も同じようで、久しぶりにいろんな楽器と合わせられたので、妻も満足そう。私の方は、演奏会の少し前に会場に着いて、20分余りの演奏を聴いてきたのだが、その日の朝に楽譜を渡されたばかりとは思えないハイクオリティ。ステージにいるのは50人ぐらいで、女性の方が多め。子育てが一段落したぐらいの人が多いように見受けたが、みなさん、学校で吹奏楽部だったのかしら。

 どちらのイベントからも、音楽の「層の厚み」みたいなものを感じる。

 少し話は逸れるが、侍Japanの優勝したワールド・ベースボール・クラシックも、もちろん大谷翔平の活躍とか、栗山監督の采配とかは称賛されるべきなんだろうけれど、そういうものが何もないところからいきなり出てくるわけではない。少年野球からプロ野球まで、小さい頃から選手を育てていくシステムとそれを支える指導者や運営者や家族。野球を愛する人たちの草野球。球場に足を運ぶファン。野球というスポーツへの国民的な理解。そういうものがあってこその偉業なんだと思う。

 音楽もおんなじじゃないのかな。

 さしずめ私がやっているのは、草野球ならぬ、草演奏だとしても、音楽に対する理解とか、音楽をやっている人に対する理解とか、音楽をすること自体に対する理解とか、そういうものの一翼は確実に担っていると思う。

2023年7月8日土曜日

再び崖っぷちのソロ

いそげヤマトよ イスカンダルへ
発表会の日まで あと28日
あと28日しかないのだ~

チャチャチャーーン パパパパパーン チャチャチャチャーン パパパパパーン

という訳で、発表会に向けて、弦カルの3曲と変則三重奏の宇宙戦艦ヤマトの練習に勤しんでいたのだが、ここで変則三重奏のひとりが戦線から離脱して、ヤマトが撃沈するという大事件が起こる。出番が多すぎるので、といったんは引っ込めたテレマンのヴィオラコンチェルトが再びプログラムに浮上。

 ここで問題なのが、社会人ビギナー「あるある」の練習時間問題。平日はなかなか練習時間が確保できず、週末にまとめて練習するという「あれ」。「発表会の日まであと何日」などという数え方ではなくて、「あと何週間」。そのうち予定が入っているのが何日、と計算していくと、真剣に練習できる時間は本当に限られる。

 毎日少しでも練習する時間があれば、少しずつでも、昨日できなかったところが出来るようになっていくのを実感できるのだけれど、1週間、あいだが空くと、先週できていたところが出来なくなっていて、毎週、クオリティの劣化を実感して練習時間が終わってしまう。

 レッスンでも、本番まで少し時間があるときは、先生の本気スイッチが入って、いろいろ細かいところを見ていただいたのだが、本番までの日数に合わせて、例えば、速度はゆっくりでもallegroっぽく弾くとか、そのうえでフレーズの変わり目の最初の音をはっきり聴かせるとか、バロックだからあまり難しい表現を考えなくても音の強弱だけはメリハリをつけてとか、臨時記号が付いているところの音程は大袈裟にするとか、最後のハイポジションはぶら下がらないように気を付けるとか、本当に基本的な… いやいや、基本的なのだけれどこんなに気を付けなければいけないポイントがあるのか…。

愕然

練習時間の確保がいよいよ問題だな。

2023年6月15日木曜日

続・コンテクストの濃い曲

 前の記事の続きと言えば続き。別の話題と言えば別の話題なのだが、秋の定期演奏会では、オードリー・ヘップバーン主演のミュージカル映画「My Fair Lady」の主題歌を弾くことになっている。アマオケのメンバーや、このアマオケの演奏会を聴きに来てくださる主力層の世代にとっては、リアルタイムで観た映画。やはりコンテクストの濃い曲だ。比較的簡単な曲だ、と侮ってかかる訳にはいかない。映画のストーリーだとか、時代背景だとか、主演のオードリー・ヘップバーンのことだとか、この曲を聴いた人がどんなイメージを思い浮かべるのか、何をこの曲に重ねるのか、よく知って弾かないと、聴く人をがっかりさせてしまう。私の世代にはなかなか難しい選曲だといえる。

 この映画は、ラヴ・コメディとして紹介されることが多いのだが、私の印象として、ヘンリーを演じたレックス・ハリソンが56歳とあっては、ちょっと設定に無理があるような感じがする。オードリー・ヘップバーンが演じる下町娘のイライザが、女性差別者で独身主義者で、階級社会を肯定する保守主義者でもあるヘンリーの心を開いていくというストーリーなのだが、イライザが上品な言葉遣いを覚えることで階級の階段を昇っていくというストーリーが前面にあるので、女性のサクセスストーリーのような印象を受ける。白雪姫やシンデレラの世界観でいえば、イライザが、上流社会の御曹司であるフレディと結ばれてハッピーエンドなのだが、そうはならない。フレディは最後まで袖にされ、結局、イライザはヘンリーと結ばれる。確かに、白雪姫やシンデレラとは異なる世界観が示されてはいるのだが、結局、女性は誰かと結ばれることでしか幸福になれない、というところが1960年代、日本でいうと昭和の限界かもしれない。いまなら、イライザはヘンリーを見捨てて、花屋を営み、自分目当てに店にやってくるフレディを袖にしながら、平凡だけれど自立した人生を歩んでいく、というサクセスストーリーになったのかもしれない。

 こう考えると、コンテクストの濃い曲を弾くのはなかなか難しい。いっしょに演奏する方、聴きに来てくださる方とコンテクストを共有しながら弾いたときに、はじめて世界観を共有できるのだが、世代が違うとこうまで世界観は違うのか。

 ひるがえって、エヴァンゲリオン世代から見て宇宙戦艦ヤマトの世界観はどう見えるのか。あるいは、私たちの世代は「鬼滅の刃」や「ワンピース」の世界観を共有できるのか。

 なかなか音楽は深い。

2023年6月10日土曜日

コンテクストの濃い曲

 スタジオの発表会が8月にあることが決まったので、まったくジャンルの違う楽器を弾いている中年男性3人が、なにか「出し物」をしようということで、曲を物色。結局「宇宙戦艦ヤマト」を弾くことになった。主旋律は誰かに偏らないように振り分けたのだが、ちょうど

必ずここへ 帰ってくると

のところがヴィオラになった。

 私たちの世代にはすっかりお馴染みの曲で、インストゥルメンタルで聴いていても、頭の中では歌詞が重なってくる。弾くときにイメージが付きやすい反面、イメージ通りに弾けない時にダメージも大きい。

 「宇宙戦艦ヤマト」というのは、私が小学生の時に、夕方の5時ぐらいから、うちの近所では10チャンネルで放送されていたアニメーション番組で、たいていの男の子は、放送のある日はさっさと家に帰ってテレビの前に釘付けだった。ガミラス星人という悪い宇宙人が地球に爆弾をいっぱい落して、おかげで地表はすっかり放射能で汚染され、もうあと1年で人類は滅亡だ、という時に、はるか宇宙のかなた、イスカンダルという星から、うちの星に地球を救う装置がありますから取りに来てください、というメッセージが届いて、それを信じて、宇宙戦艦ヤマトで戦いながらイスカンダルまで行って帰ってくる、というお話し。

 だから、「必ずここへ帰ってくる」という歌詞は、めっさ大事なところ。

 力強く、自信をもって、迷いなく弾きたいところなのだが、これがなかなかうまくいかない。「ララレーファミドレー」なので、ララは開放弦に任せてセカンドポジションに上がり、002ー4312ー としたいところなのだが、セカンドポジションというのは、どうも一筋縄でいかない。何となく音程が不安定で、

本当に帰ってくるの?

といいたくなる。「走れメロス」でも、もっと自信をもって「必ず帰ってくる」と言っているはずだが、それ以上に頼りない。

自分たちだけ、イスカンダルに逃げて、そこで生き残るつもりなんじゃないの?

という雰囲気。もはや「宇宙戦艦ヤマト」の世界観がボロボロになってしまう。これだから、コンテクストの濃い曲はやりにくい。泣き言を言っていても仕方がないので、ちゃんと信じてもらえるように弾くしかないのだが。

2023年5月27日土曜日

踊り明かそう

1964年公開 オードリーヘップバーン主演のミュージカル映画「My Fair Lady」

海外へ行くなら、この映画で、ヘップバーンといっしょに英語の発音練習をするのはいかが?

The rain in Spain stays mainly in the plain

ヘップバーンが演じる下町娘のイライザは、「スペイン」を「スパイン」としか発音できなかったが、彼女を社交界にデビューさせようとする言語学者のヘンリーの特訓を受けて、正しい発音を身につけていく。やっと発音が出来た日、ヘンリーの期待に応えられたことと、紳士・貴婦人の集う華やかな世界を想像して興奮したイライザが、今夜は眠れない、一晩中だって踊り明かせると歌うのがこの曲。

聞き覚えのある曲がいくつも歌われる映画の中でも、この曲は、オープニングやエンディングでもながれるテーマ曲。背中の翼を拡げ、宮殿でも舞踏会でも、どこへでも飛んでいけそうな名曲です。

秋の定期演奏会で演奏予定。

2023年5月21日日曜日

レッスンの本気化

 8月の発表会で、弦カルの発表ができないという事態に備えて、ソロの発表のための曲を用意しておくということで、テレマンのヴィオラコンチェルト第2楽章にレッスンを付けていただくことになった。先週に引き続きのレッスン。あまり練習時間は確保できていないが、テンポの方は順調に上がってきて、ほぼオンスピードになっている。

 しかし…

 もう発表会まであと1ヶ月というところなら、先生も細かいことを仰らないのだが、こうして出来上がってくると、細かな、しかし大切なところに指導が入り始める。レッスンが「本気」になってきたような気がする。

 先週のところでは、ファにシャープが付くところとか、ドにシャープが付くところを、きちんと、ナチュラルのファやドと区別して弾きましょう、というご指導だったので、その点は注意をしていったのだが、それがチャープに聞こえない、と仰る。その音に来た時に演奏を止めてチューナーを確認すると、確かにシャープが付いているのだが、そうは聞こえない。その原因は「ミ」だという。例えば出だしのこのフレーズ。

ソシレソー #ファミレミ#ファソ ラソ#ファミレドー シラシ

なのだが、最初の「#ファ」を高めにとったときに、つられて次の「ミ」も高くなっているので、ファにシャープが付いているように聞こえないというのだ。いままでの自分の経験でいうと、かなり意識的に「ミ」を低めにとっていい加減。先生が

そうです。その音です。

と仰ったときは、確かに明るい音階になっているように聞こえる。これを聞き分けないといけないのか。

 ほかにも、このフレーズの後半。

ドラ シソ ラ#ファ ソミ ラ#ファ シ#レ

 G線とD線を交互に弾かないとダメなのだが、そのとき、G線で押さえた指を完全に離すのではなく、D線を弾いている間にG線からD線にスライドさせて、予め押さえておく。

 どっちもファーストポジションで弾いているフレーズだ。

 ファーストポジションを侮ることなかれ。曲だと思わず、エチュードだったり、練習用の旋律だと思って何度も繰り返し、自然と体が動くようにしてしまわないと、とてもじゃないが、いちいち考えながら弾いている暇はない。

 それにしても、いまさら、なのだが、それもこれも、いつも発表会直前まで曲を通して最後まで弾くことが出来ず、こういう指導をしたくてもできなかったのだろうと思う。こういうご指導をいただいたというだけでも、心を入れ替えた甲斐があったというものだ。


2023年5月14日日曜日

こころを入れ替えて

 前回までのあらまし。

 8月の発表会に向けて準備をしていかないといけない。レッスンは、ソロのレッスンと、アンサンブル(弦カル)のレッスンがあるから、それぞれ何を発表するかを決めて練習。それと、レッスンとは直接関係ないのだが、他の楽器との変則三重奏を出し物的に。

 そうなると、ひとりで3つもステージを踏むことになるので、まずはソロを後回しにして、弦カルと変則三重奏を優先的に練習していたのだが、弦カルの他のメンバーが発表会に後ろ向きなので、これは直前になって「出ない」ということになるかも。変則三重奏はあくまでも「出し物」なので、これだけという訳にはいかない。

 ところが、ソロは後回しにしていたので、前回のレッスンではまったく箸にも棒にも掛からなくて、さてどうしたものか。

 それで、そのあと心を入れ替えて、弦カルを後回しにしてソロの曲の練習に励む。ヴィオラ弾きにはお馴染みのこの曲だ。

 前回のレッスンでは、とにかく、最後まで通して弾ける速さでしっかり通す、というご指導だったので、八分音符ひとつ88ぐらいの速さから練習。弾けないところは繰り返し練習する。そういえば、前の先生が、間違えたところは10回続けて間違いなく弾けるようになるまで繰り返すんだということを仰っていたなぁ、と思い出して、そういうつもりで練習する。ただ単に繰り返すだけだったら間違える練習をするだけなので、なんで間違えたのかを考えながら、とにかく3回続けて弾けるようになるまでは次のフレーズに行かない。そんなことをしてきた。回数は1/3以下になっているけど、趣旨は引き継いでいるつもり。

 なんとかそれが出来るようになってきて、速さを少しずつ上げていく。88から96へ。レッスンの前には112ぐらいまで。

 そんなこんなで臨んだレッスン。最初に通してみて、「だいぶ練習されてきましたね」とお褒めいただく。「発表会出られるかもしれませんね」。

やったー

 音程の甘いところを何箇所か指摘される。ト長調なので、基本的にファにはシャープが付くのだが、ところどころ移調してナチュラルになるところがある。そこがナチュラルに聞こえない。特にD線で弾くところ。A線で弾くドにシャープが付いているように聞こえるところがある。3ポジに上がってD線で弾くシにフラットが付いているように聞こえるところがある。いちおう通せているからこその指摘だと思う。いままでは、そんな音程以前の問題だった。

 動画では、最後はソロの方は所在なさげに立っておられるだけなのだが、手元の楽譜では、この部分でヴァイオリンと同じメロディを弾くようになっている。超絶ハイポジション炸裂なのだが、ここの音程が取れない。5ポジは指だけで音をとるのではなく、肘から取りに行く。練習の仕方もみっちりご指導いただいた。

 弦カルの発表が無事にできれば、次回の発表会では取り下げるかもしれないけれど、いずれ弾くかもしれない。もちろん、弦カルがキャンセルになればこの曲で8月の発表会に出ることになる。引き続き、こころを入れ替えて練習に励まなければ。


2023年5月9日火曜日

崖っぷちのソロ

 そんな、こんなで、後回しの後回しになっているソロの練習。まだ曲も決まっていない。先月22日のレッスンの前に、何か「これは」と思える曲で、なんとか3か月余りで仕上げられるものがないかと考えて、テレマンのヴィオラコンチェルト2楽章を付け焼刃で練習していく。付け焼刃と言っても、過去に一度レッスンを付けてもらっているので、まったく初めから、という訳ではない。何とかなるだろう、と思っていたのだが、それが何ともならない。レッスンで見ていただいて、今回はソロの発表をやめるか、もっと簡単な曲で、などと言われてしまう始末。

 いや、先生に言われるまでに、ソロの発表を見送った方がいいかもとは思っていた。今度の発表会では、まず変則三重奏の「出し物」があって、弦カルの発表もある。そこにさらにソロもとなると、かなり出ずっぱりになってまう。自分だけの発表会ではないので、あまりそういうのも良くない。

 ただ、変則三重奏は、あくまでも「出し物」で、ほかにちゃんとした発表があってこその「出し物」。これに全力を掛けるわけにはいかない。だれが決めたわけでもないが、そういうのが3人の間では不文律になっている。

 弦カルをしっかり発表して、そのうえで変則三重奏というパターンはありだと思うのだけれど、その弦カルが、ドタキャンになるかもしれない。4人のうち誰かが「やめよう」と言えば無理強いすることもできない。

 こうなると選択肢はふたつ。

 簡単な曲でソロの発表に臨むか、心を入れ替えてテレマンのレッスンを受けるか。簡単な曲と言えば、たとえば、弦カルで没になったジブリの曲を弾くとかいう選択肢もあるのだが、どうしても、簡単な曲でまとめてきたよね、という印象になってしまう。テレマンもぜんぜん弾けない訳ではないから、まずはこっちか。

2023年5月8日月曜日

弦カルの発表会に向けて

  スタジオでアンサンブル・レッスンをしていただいている弦楽カルテットの方も、8月の発表会に向けて始動しはじめた(この言い方からして、ほんのちょっとしか進んでいないのはわかっていただけると思うが)。

 こちらの方は3月に先生主催の発表会を終えているので、次は何の曲をしましょうか、というところから始まる。日が迫っているので、そんなに難しい曲は無理なのだが、そこは怖いもの知らずでいろんな候補が上がってくる。候補を上げるからには楽譜があることが前提だ。だから、候補が上がった段階で楽譜が配られる。

 先月の22日に、発表会後初めてのレッスンがあったのだが、そのときまでに、配られた楽譜をひととおりさらっておく。こちらも昨日の記事の変則三重奏同様、ひとり1パートなので、落ちる訳にはいかない。最低限、落ちても戻れるようにしておいて、自分の所為で演奏が終わってしまうことのないようにしておかないといけない。22日までの段階では、おそらくこれが第一優先順位だったと思う。アマオケの定期演奏会よりも先に本番がくるし、ひとり1パートだし、変則三重奏のような「出し物」(と言っても真剣にやるからこそいいのだが)ではない。

 結局、レッスンで難しい曲はどんどん候補から外れて、クラシックの曲(クラシックの曲をもとにアレンジしているものも含む)3曲になった。

 まず、有名な「G線上のアリア」の元になった、バッハの管弦楽組曲3番の第2曲。もちろん組曲を全部やったら大変なのだけれど、アリアだけならなんとかなるような気がしないでもないように思ったりしている。

 次に、ホルストのジュピター、というより平原綾香のジュピター。確かアマオケでも同じようなアレンジで弾いたことがある。まったく同じではないと思うけど。

 そして、シベリウスのアンダンテ・フェスティーボ。これは先生からいただいた曲なのだが、偶然にも、アマオケに入って初めて乗ったステージの最初の曲だ。

 ただ、どれも最初からみんながバッチリ弾けるわけではない。そんなバッチリだったらもうレッスンはいらないのだが、バッチリ弾けなかったというので、すっかり落ち込んでいる人もいて、「4ヶ月で発表会なんて無理だ」などと決めつけておられたりする。とりあえず、レッスンで見てもらう曲としてはこの3曲で決まったのだけれど、8月の発表会はドタキャンになる可能性も出てきた。

2023年5月7日日曜日

宇宙戦艦ヤマト 変則三重奏

 記譜ソフトというのはなかなか便利なもので、結構、重宝している。ふだん使っているのはMuseScoreというフリーのソフトなのだが、フリーなのに結構、高機能だ。よく使う場面としては、アマオケの先生が書いてきて手書きの楽譜の浄書なのだが、練習用の音源を作るときなんかにも使っているという話は前の記事に書いた通り。

 今回もこのソフトを使った話。

 スタジオの発表会が8月にあることが決まったので、まったくジャンルの違う楽器を弾いている中年男性3人が、なにか「出し物」をしようということで、曲を物色。その3人が弾いている楽器がヴィオラ、クラリネット、マリンバという組み合わせなので、ヤマハのぷりんと楽譜を物色したところで見つかるはずもない。それで、いつもまず候補曲を決めたら、その曲の合奏譜を手に入れ、それをもとにこの変則三重奏用にアレンジするという作業。そこでもMuseScoreが活躍する。

 今回は2曲の候補があった。ひとつは1990年ごろのJ-POPで、ピアノ伴奏でクラリネットを吹く楽譜があって、そこからアレンジしたのだが、ピアノの左手がずっとアルペジオを刻んでいて、その軽快なリズムはマリンバ以外になさそうで、そうするとヴィオラはピアノの右手と、役割がはっきり決まってしまって、アレンジは楽だけれどあまり面白いアレンジにはならなかった。

 宇宙戦艦ヤマトは、弦楽四重奏の楽譜を入手して、まずMuseScoreで写譜。フラット3つのハ短調だったので、2度上げて、フラットひとつのニ短調にして、主旋律を各楽器に振り分け、残りの楽器は、主旋律以外のパートから、音の重ならないフレーズをとってくる。なかにはふたつのパートの美味しい処取りというハードなところもあるが、まあまあそれらしくアレンジは出来た。

 音を出してみて、なんとなくおかしいところはあるのだが、どう治せばいいかよくわからず、とりあえず残りの二人にみてもらって、あそこはこう、ここはこれ、と修正を入れる。練習を始めればまた修正が入りそうだけれど、まずはこれで練習を。

 これも、アレンジするのに精いっぱいで、昨日やっと自分が作ったパート譜をプリントアウトして練習し始めたところ。なにせ3人だから無駄なパートはひとつもない。簡単な曲だと思って侮ってはいけない。練習しなきゃ、本番で嫌ほど後悔するんだよねぇ。

 ちなみに宇宙戦艦ヤマトの好きなアレンジはこれ。

 いままで2回、生で聴いている。ヴィオラ弾きには堪らない。楽譜を探しているんだけど、これは見つからない。

2023年5月6日土曜日

変拍子

 発表会の準備を最優先するためにいろいろ滞っていた案件をなんとかしなければということで、まず取り組んだのは、アマオケの定期演奏会で弾く予定の曲のうち、なかなか練習が進んでいない曲の練習。特に進んでいなかったのは、John Rutterという、現在も現役で活躍しているイギリスの作曲家の曲。その中でも、変拍子になる曲が特に難しくて、みんな苦労している。

 まずは、6/8拍子と3/4拍子が交互に出てくるこの曲。



 聴いていて特に違和感はないのだが、弾いてみるとこれが超絶に難しい。 6/8拍子と3/4拍子って、約分したら一緒じゃん、なんて思うことなかれ。6/8拍子というのは
ズパパズパパ
というリズム。「ズパパ」を1拍としたら、3連符が続く2拍子ということになる。3/4拍子はお馴染みの「ズンタッター」のリズムなのだが、この曲では各拍で裏拍をとってくるので
ズパズパズパ
というリズムになる。この裏拍というのが難しい。ドリフのコントで、いかりや長介が「ダメだこりゃ」といったあとに流れる
ズパパ ズパパ ズパ ズパ ズパ パー
のリズムなのだが、この「パ」のところだけ音を出すというのは意外と難しい。

 次に難しいのが5拍子。



  5拍子というのは、12312と拍をとるものらしい。それで、苗字が3文字、名前が2文字の有名人の名前を唱えながら拍をとるのだが、「浅香唯」とか「倉木麻衣」とか、最近あまり見ない人の名前ばかりが出てくる。最終的には
ヒロセスズ
に落ち着く。

 それはどうでもいいのだが、毎週の練習だけでは「今日も合わなかったなぁ」で終わってしまうので、何としてもちゃんと自分で練習していかないとダメなんだが、こういうのは主旋律を聴きながらとか、なにか音を聴きながら合わせる練習をしないと、練習にならない。

 そこで、パソコンで写譜することを買って出た。記譜ソフトで写譜すれば、MP3とかMIDIとかに落とせる。特にMIDIは、パートごとに音量を調整したり、速さを調整したりできるので、練習に便利だ。

 写譜というのは、その曲を理解するのにすごく役立つ。何がわかったという訳ではないが、あぁそうなっているのか、という小さな納得の積み上げで、ずいぶん、作曲者の意図というか、曲の構造というか、そういうものがわかってきた。実際に音を出してみると、弾いている分より自然な感じに聞こえる。まさかこんな変拍子だなんて思いもよらない。

 写譜している間に練習をした方が上達するのかもしれないが、いや、これはこれで勉強になった。ちょっと遠回りだけれど、やってよかったと思う。それに、練習用のMIDI音源をみなさんにお配りすることもできた。自分が練習していなかったとしても、みなさんのパフォーマンス向上には貢献している(はずだ)。

 じゃ、その音源を使った練習は?

 いや、これから、これから。

2023年4月30日日曜日

これからの記事のネタ(4月の活動概観)

 発表会までは、とにかく発表会第一優先で、いろいろなことを後回しにしていたのだが、発表会が終わると、その後回しにしていた課題がいろいろ出てきた。

 自分の発表会があるので、アマオケの方は後回しだったのだが、いよいよそれも本格的に練習しないといけないなぁ、と思い出したのだが、なにせ曲も多いので、課題は多方面にわたる。

 ひとつ大きなこととしては、5拍子だとか、3/4拍子と6/8拍子が交互に出てくる曲とか、いわゆる変拍子の曲があって、みんなが苦労しているので、とにかく音を出してみた。スコアを借りてパソコンで写譜して、MIDIファイルを作る。自分のパートだけ聴いたり、主旋律だけを聴いたりできるので、練習はしやすくなると思う。自分は練習していないけど、他の人が練習しやすくなるということは、全体としてパフォーマンスを上げることには貢献できるはず。そんなこと言っていないで練習しないといけないのだが。

 写譜をしてみていろいろわかったこともあるので、これはまた記事を書くかもしれない。

 ヴィヴァルディのフルート協奏曲は、まるで音階練習みたいなフレーズなのだが、これがなかなか思うに任せない。会社から帰ったあとでも、音を出さずに指だけ練習すればいいのだが、こういう時に限って仕事も方も立て込んできて、帰りの時間も遅くなりがち。

 Parryという人の曲は、先生も、ヴィオラが難しいと仰っておられたのだが、何度も練習しているうちに、だんだんこの曲の言いたいことがわかってきた感じ。弾けないなりに楽譜を追えるようになってきた。この感覚って言語化しにくいけど、けっこうおもしろい体験だと思う。

 こんなふうに、いよいよアマオケの練習に傾注できるかと思っていたのだが、もう次の発表会がスケジュールに上がってきた。それも8月6日というから、あと4ヶ月(と言っている間に1ヶ月が過ぎてあと3か月)しかない。

 これは事情があって、3月の発表会は先生が主催で、先生が他の教室で教えておられる生徒さんもくる。楽器はヴァイオリンばっかり。そして8月の発表会はスタジオの発表会で、スタジオの生徒さんばかりだけれど、楽器はいろいろ。

 いままでは2年に1回の割合で8月の後半にしていたのだが、コロナで思い通りにいかなかったのと、同じスタジオで習っている子供たちの発表会が毎年あったのだけれども、これも子供の数が減ったので、大人の発表会と合わせて開催することになったとか、いろんな事情があって、急遽きまった感じ。

 2年に1回とは言え、何度か発表会をやっていると、「いつもの方」が顔馴染みになってくる。それで、中年、男性という共通点がある3人でアンサンブルを、という話になって、このところ毎回「出し物」をやっているのだが、肝心の楽器は、クラリネット、ヴィオラ、マリンバと、まったく共通点がない。必ずなにかの曲をアレンジするしかないのだが、これも結構たいへん。もちろん、それはそれで面白いのだが、曲を決めるところから結構時間は取られる。

 それと、スタジオでも弦カルのレッスンを始めたので、弦カルの発表もある。アマオケと違って、1パート各一人。落ちるわけにいかないから、アマオケ以上にしっかり練習していかないといけない。3月の発表会が終わって一段落したところで、次は何の曲? というので候補がいっぱい出てきた。ひととおり練習してレッスンに臨む。

 そういうことをやっていると、自分のソロのレッスンで見てもらって、発表会でソロで弾く曲のことはどんどん後回しになってしまう。

 そんなことで、今月は記事のネタには事欠かなかったのだけれど、ブログの更新まで手が回らなかった。来月は、少しずつネタを放出できると思う。

2023年4月2日日曜日

発表会が終わって

 長い間、準備してきた発表会が終わった。もういつも同じことしか言わないが(言えないが)楽しかった。上手に弾けたかと言えば、毎度これも同じで、練習で弾けたり弾けなかったりするところは本番では弾けない。練習で何度やっても弾けないところが本番で突然弾けるようになることもない。ただ、練習では弾けていたのに本番でやらかした、というような失敗は最近なくなった。それだけ人徳が見についたということか。あとは技術だな。
 今回は、いつものスタジオの発表会ではなくて、スタジオの先生の発表会。先生が別の教室で教えてられる子供たちや大人も参加する。ヴァイオリンの先生なので、楽器は弦楽器ばかり。会場は、いつもは公民館だったり、わりと小規模なところが多かったのだが、今回は500人ぐらいの立派なホール。県立の立派なオペラハウスが隣にあるのだが、ここもなかなか立派な施設だ。ホワイエからは日本一の広さのある湖を一望できる。
 発表会は11時から4時ごろまで、休憩を4回はさんでなんと5部構成。
 第一部が大人中心。私の出番はここ。ソロの発表とアンサンブルの発表をした。子供たちの出番がまだなので、聴衆は少な目。まぁ、そこは多くても少なくても関係なく緊張はするし、関係なく高揚もする。
 第二部からは子供たちが加わる。聴衆が一気に増える。第二部は高校生以上と思しき子供たち、というより大人と言っても差し支えない年齢なのだが、子供の時から習っている人たち、という括りで「子供たち」の方に入っている。第三部は客演に来てくださっているプロ奏者の演奏。第四部は比較的幼い子供から順番に中学生ぐらいまで。そして第五部が子供たちによるアンサンブル。生徒が弾いているのは、私以外は全員ヴァイオリンなので、アンサンブルでヴィオラやチェロが必要なところはプロの方が弾く。
 5部構成とあって、最後まで聴くとなかなか聴き応えがあった。
 まだ幼い子供は別にして、大人と子供のどちらがうまいかと言えば、言うまでもなく子供の方が上手い。でも、その上手さには二種類あって、
ああ、こんな曲が弾けたらいいな
と思うタイプの上手さと
ああ、こんなふうに弾けたらいいな
と思う上手さがある。どちらがよりレベルが高いかという問題ではない。教則本に載っているようなお馴染みの曲でも、「わぁ」と思わせる弾き方もある。その曲を弾きたいという訳ではないが、とにかく演奏には引き込まれる。難しい曲をヒラヒラと弾いているのも、もちろんすごいと思うし、羨ましいのだが、なかには「長いなあ」と感じさせてしまう演奏もないわけではない。自分はこっちのタイプで、しかも上手くもないので、偉そうに言える立場ではないが。
 最後に弾いた小学校四年生の女の子は、その両方を兼ね備えていて、10分近い、それもかなり難易度の高い曲を弾いていたのだが、まったく飽きさせない。グイグイと演奏に引き込まれていく感じがする。こんなふうに弾くために必要なのは、はたして技術なのか、人徳なのか。自分にはまだまだどっちも足りないな、と思った一日だった。

2023年3月25日土曜日

煽り運転はやめましょう

 いよいよ発表会本番が来週に迫ってきて、今日はピアノ合わせがあった。ヴァイオリンの先生が代わってから以降、ずっと発表会のたびにお世話になっている先生だ。

 曲の仕上がり具合がいまひとつの状態で迎えたピアノ合わせなのだが、いつものメトロノームと違って、相手も人間というところはやはり面白い。曲の仕上がり具合と言ったが、実はまだそんな偉そうなことをいえる状態でもなくて、とにかくメトロノームと合わせて最後まで弾けるかどうか、という状態だ。メトロノームを動かしっぱなしにして、とにかく出来ないところを何度も弾く。本当ならそういうことはちゃんと出来たうえで曲作りなのだが、とてもそんなところまでは行けていない。

 メトロノームと合わせていても、音符が込み合ってくるとどうしても弾くことに必死になってしまって、あまりメトロノームの音が聞けていない。そして往々にしてそういうところでペースが速まって、その後に自滅してしまう。そんな繰り返しだったのを、なんとか走らないようにする、というのが目下の課題だった。

 メトロノームの場合、ちょっと走り出したところで気分を落ち着けてメトロノームの音を聞くようにすれば元に戻せる。しかし、ピアノだと、こちらが速度を上げて煽り始めると、ピアノの方からも煽られるようになる。その部分だけを弾いていれば、それはそれで面白い。実際、ただ焦って速くなってしまうというだけでなく、上昇音階の部分で音楽が盛り上がっていくにしたがって自然と速くなっていくというところもある。そういうところをピアノと一緒に盛り上げていけるのは、確かに面白い。音楽が生き物だということがよくわかる。

 しかし、それで元の速度に戻れなくなると、あとあとで困ってしまう。実際、後ろの方は弾けないところが続出。それでも頭の中では歌えているので、途中から戻ることはできるのだが、それが二度三度と重なるのは、いくら発表会とはいえ、あまり格好は良くない。

 それで、今日のレッスンでは、2か所ほどの「落着きポイント」を指定。どんなに走ってもそこで落ち着く。それから、ここはいったんフレーズを切って、ヴィオラの準備ができてから引き出すまでピアノが待つ、というようなポイントもできた。もはやメトロノームでは練習ができない。

 まだちゃんとは弾けていないのだが、ここまでくれば、もう引っ込むわけにはいかない。コロナも去年の秋に罹ったばかりだから、当日、急にコロナに罹ってしまうこともないだろう。ステージに載るしかない。あとは顔だな。顔。楽しそうに弾いていればそれなりの説得力もある。あと一週間は顔の練習。

2023年3月4日土曜日

4月の発表会に向けて その後

 4月に発表会があって、目下この曲を練習しているという記事をアップしたのは昨年12月。

 そのときの記事を改めて読んでみると、この曲について「いっかい6年前のスタジオの発表会で弾いているが、いろいろ不本意な演奏だったのでリベンジをしたい」なんてことを言いつつ、「それなりに練習が進むようになってきた」「いつもつまずくところがだいたい決まってきて、そこはそこでそこだけ練習する、というようなスタイルが定着しつつある」なんてことを書いている。

 さて、その後どうなのか。

 結論を言えば、あと1ヶ月となっているのに、ぜんぜん仕上がらない。リベンジのつもりが、返り討ちにあってしまうのは必定のペース。

 第1楽章はいちおう12月の段階でそこそこに楽譜を追えていたので、第2楽章の、いつも弾けないところを中心に練習していたのだが、そこは相変わらず弾けない。しかし、第2楽章ばかり練習していたのと、第2楽章は急楽章で、音の雑なところは速さである程度誤魔化せてしまう。むしろ第1楽章の方が課題が多い。とにかく、楽譜が追えているところから前に進んでいないので、音程も音色も雑でひどい。緩楽章だから速さで誤魔化すこともできず、もう穴があったら入りたい気分。どっちか片方の楽章に絞るにしても、どっちもあまり仕上がっていない。

 やっぱり曲が難しかったか。

 それにしても、音色ってどうすれば良くなるんだ。音程だとか、フィンガリングが追いつかないとか、ゴールがわかっていて、何がよくないのかがわかる場合は、練習のしようもある。出来るかどうかは別だけど。オケの方なら、弾けないところは放っておいて、誰か弾ける人に任しておくということもできる。ところが、音色がよくないのは、何をどうすればいいのか見当がつかない。オケでも本当はこれは結構まわりに迷惑をかけてしまう。いちおう弾けるから弾こうとするんだけど、それで全体が濁ってしまう。そこまで誰も気にしていないのかも知れないけど。いや、ソロの発表会となると気にしないわけにはいかない。こりゃ、緩楽章を弾くときの永遠の課題だな。

 

2023年2月26日日曜日

Vivaldiの「海の嵐」

 毎週通っているアマオケは弦楽だけのアンサンブルなのだが、ご指導くださる先生の誼(よしみ)で、大学の管弦楽団の現役の学生や卒業生がエキストラにやってくる。いちど一緒に弾いた人が、また行きたいと、卒業したあとも都合をつけてやってくるようなこともあって、それはそれで嬉しい。

 昨年来、フルートを吹く人が、ぜひ、うちのオケで吹きたいと言っているらしく、それならばと先生にリクエストしたのが、アントニオ・ヴィヴァルディのフルート協奏曲 作品10の1番「海の嵐」。オケのみなさんにも受け入れていただいて練習に励んでいる。

 ヴィヴァルディが活躍した頃のヴェネツィアは、地中海交易で栄えた港湾都市。商品を満載した、当時としては大型の船を、アドリア海に漕ぎ出し、大波をものともせず、富と出会いを遠い異国の街に求めていたはず。

 第1楽章の、まるで音階練習のような旋律は、まさに、その大波の中を大型船が進んでいく様子を描写しているように聞こえる。空は晴れ渡り、風が帆を膨らます。細波の浜辺から大海原へ、旅の始まりを予感させる。

  第2楽章は緩楽章。情景は一変して静かな入り江。月明かりが照らす海面をわずかに揺らす細波に、錨を降ろした船体もわずかに軋む。船員たちは、長旅の疲れを癒すために酒を飲み、少し酩酊しているのだろうか。

  第3楽章は再び急楽章。ただ、もう一度、大海原に漕ぎ出すのではなく、朝の陽ざしを受けて、艀(はしけ)に商品を積み替えて陸揚げし、さらに内陸の街へと運ぼうとしている情景ではないだろうか。当時の港には岸壁はなく、大型船は沖合に停泊して、そこから荷物を陸揚げしたり、そこに荷物を積み込んだりするには、小型の船を使って陸地との間を往復したはず。

 陸揚げが済み、新しい旅の準備が整った。さあ出発だ。

  ヴィヴァルディのフルート協奏曲集 作品10は、6曲の協奏曲で構成される。この「海の嵐」はその第1曲。物語の始まり、旅の始まりをイメージさせる曲を第1曲に据えた理由は、なんとなく分かるような気がする。

 フルートを吹いてくださる方とは一度もお会いしたことはないが、うちのメンバーの何人かは、別のステージでいっしょに弾いたことがあるらしい。私たちとの出会いに何かを期待して、ヴェネツィアの商人よろしく、大海原を渡るイメージで来ていただけると、なんだか嬉しいと思う。

2023年2月5日日曜日

楽器のメンテナンス

  プロではないし、そんな高価な楽器でもないので、メンテナンスと言っても、弦を替えるか、弓毛を替えるかぐらいしかしないのだが、昨年のクリスマスに弦の交換、そして今日は弓毛の交換と、立て続けにメンテナンスをした。周期としてはだいたい1年に1回ぐらいなのだが、普通は発表会とか演奏会の1ヶ月か2ヶ月前にしていることが多い。

 しかし、どうも昨年の末頃から、楽器の調子か演奏する者の調子かはわからないが、あまり調子が良くなく、練習していても変な癖がついてしまいそうな感じになってきた。それで、まずは手元に予備のあった弦から交換。同じ種類の弦なのだが、張り替えると音が全然違う。

 それでしばらくは納得していたのだが、やはり本調子ではないので、こんどは毛替えをしてもらった。

 前回の弦の交換は、去年の2月12日なので、約10ヶ月目、弓毛の交換は2月26日だったので、こちらは1年足らず。

 それで、こんなメンテナンスをして調子が良くなったのかというと…

 ま、しかし、ちゃんとメンテナンスできていない楽器で練習すると変な癖がつくのはどうも、自分の実感とも一致する言説なので、これで心機一転、練習に励もう。

2023年1月26日木曜日

リバーサルオーケストラ

  数年に一回の割合で制作されるバヨネタドラマが、また始まりましたね。自分で楽器を弾いていると(もちろんプロでもないし天才でもないけど)、世間の人は見ないようなところに目が行ってしまう。台詞の言い方とか、表情の作り方とか、そんなのは放っておいて、まずは、楽器を弾く演技を見る。今回はプロの演奏家という設定だから、音は吹き替えだとわかっているのだけれど、どれぐらいそれらしく見えるか。まずここで「お、おっ」となる。結構、ちゃんと弾けているように見えるじゃん。俳優さんてすごいな、とつくずく感心する。

 そうそう、俳優さんって、ただ弾いている演技だけじゃなくて、表情も作らないとダメなのね。楽しそうに弾くとか、不安げに弾くとか。これは大いに参考にしなければ。発表会でも演奏会でも、オーディエンスは目を瞑って聴いているわけじゃないから、楽しそうに弾けば楽しい気持ちになるし、不安げだと「大丈夫か、この人?」って思ったり、何がそんなに不安なのだろうと演奏の上手くできていないところを見つけようとしたり、べつに悪気はなくても無意識にそうなってしまう。それは天才ヴァイオリニストでも、私のような素人でも同じだと思う。

 このブログでも何度か書いているけれど、アンサンブルをやっていると、いっしょに弾いて弾きやすい人って、実際にいる。門脇麦が演じる天才ヴァイオリニストがコンミスとしてやってくることによって、オケ全体の力量が急に上がるというのも、あながち無理な設定ではない。それに、そういう人と弾くのって楽しいから、演技じゃなくても楽しそうな表情になっているはず。すると、実際のレベル以上にレベルが高くなったように聴こえるはず。

 天才ヴァイオリニストが、いままで座って演奏したことないからと、座って弾く練習をしているのとか、あ~あるある、って感じ。「弓付けて」ていわれてコンミスがキョトンとするシーンを見て、そっか、弓順ってコンミスがきめるんだぁ、なんて思っているのは、うちがポンコツオーケストラだって吐露するようなものか。うちの場合は、本番その日に決まったりとか、いっそ何も決めないままステージに載ってたりとか。

 初回は舞台設定のようなもの。第二回は遅刻魔のフルート奏者、第三回は世捨て人のようなティンパニー奏者にスポットが当たった。次回はいよいよヴィオラ奏者にスポットが当たる。この世間ではあまり知られていない楽器がどのように描かれるのか。セカバヨのYouTubeとどっちが注目を集めるのか…

 と、こんなふうに、世間一般にウケるかどうかはまったく関係なく、こういうのはやっぱり見てしまう。

2023年1月21日土曜日

コロナ後の年間スケジュール

  昨年に再入団したアンサンブルは、秋に定期演奏会がある。昨年は10月だった。11月には保育園に招かれて演奏する。以前は6月に姉妹アンサンブルの演奏会があって賛助出演していたのだが、コロナのためか他の事情か、そのアンサンブルの活動が出来ていなくて演奏会もなくなった。その穴を埋めるように、昨年は6月に野外演奏会を開催して、歌謡曲だとか唱歌だとかの比較的軽い曲や、クラシックでもパッヘルベルのカノンとかアイネクライネナハトムジークとかのお馴染みの曲ばかりを弾いた。そのかわり定期演奏会は本格的なクラシックの曲ばかりという選曲になった。

 保育園の演奏が終わってから、来年(つまり今年のことね)の野外演奏会はどうしようというような話題になっていたのだが、結局やらないことになって、定期演奏会まで、このアンサンブルで人前で弾くことはなくなった。

 6月にやるかやらないかという話をしていた時は、やるという前提で、どんな曲がいいかとそれぞれが軽めの曲を出し合っていたのだけれど、やらないと決まると、秋の定期演奏会にフォーカスが当たる。まだだいぶ期間もあるから、モーツアルトに挑戦してみよう、というので、いまこの曲を練習している。

 ディベルティメント ヘ長調 K.138。

 まだまだ練習を始めたばかりだし、それに本当にこの曲をやるのかどうかも決まっていないのだけれど、やっぱりモーツアルトは楽しい。いや、まだ弾けないところがたくさんあるし、3楽章なんてウダウダなんだけど、それでも
ちゃんと弾いたら楽しい曲だ
ということがわかる程度には弾けている。

 ご指導いただく先生にとっても、大学生だったころにみっちり絞られて何度も練習した思い出深い曲だったらしく、また、数年前のこのアンサンブルだったら到底弾けないレベルの曲が、なんとか形になっていて、練習を続けていけば定期演奏会で弾けるかもという手応えを感じられたようで、いろいろ感慨深げな様子だった。

 そういえば、この記事が今年最初の記事。
 ことしの目標は?
 えっと、

 もう、毎年お馴染みなのだが、年末までヴィオラを続けていること。
 そして、このブログも続けること。

 それから、定期演奏会でモーツアルトのこの曲を弾くことかな。