2023年8月14日月曜日

そろそろ発表会について語ろう

 

 先週の日曜日に発表会があった。それはそれは酷い出来で、もう記憶から消し去りたいぐらいなのだが、語らずにいると、いつまでも心の中で引き摺ってしまうので、吐き出してしまおうと思う。

 今回は、発表会に至るまでにも紆余曲折があり、最終的にソロの発表をすると決めたのは、本番の1か月前。まぁそのことは既に記事にしているので、もう言うまい。練習期間が短かったとか、そんな言い訳をしたところで仕方がない。発表をすると決めたのだから、どんな短い期間であっても、ちゃんと練習して仕上げておかないといけない。それは、プロも素人も関係ない。

 しかし、とにかくその日は、リハーサルのときからまったく調子が出てこない。楽屋で練習すればするほど酷くなっていく。まるで、藻に脚を取られてどんどん溺れていくようだ。

 実を言うと、直前に身内の不幸があり、前日に葬儀があった。身内といっても、寝食を共にした間ではなく、10年以上音信のなかった身内なので、それ自体はお気遣いいただくほどのものでもない(からこそ、こうしてブログに書いている)のだが、少なからず心を乱されていたのは事実。葬儀の日程が決まらず、もし日曜日だったらどうしよう、などと不埒なことを考えていたのも事実。普段、顔を合わすことのない親族が久しぶりに集まり、場違いな歓談をしているのに居た堪れない思いをしたのも事実。しかし、それは前日にすべて片が付いているはずのこと。もし何か気になることがあったとしても、気持ちを切り替えて演奏に集中するべきなのだ。

 もちろん、当日、自分が前の日の葬儀について何かを引き摺っているという意識はまったくなかった。すっかり切り替えているつもりだった。さあ今日は頑張ろう、と思っていた。仮に何かを引き摺っていたとしても、自分に十分な演奏技術があれば、演奏に集中することによってそういう雑念を振り払って行けたはず。しかし、そうはならなかった。何かいつもと違う。最初に弾いたときにそんな違和感を覚え、最後までその違和感を拭えず、どんどん、いつもの演奏から遠ざかって行く。

 とにかくボロボロな演奏だった。

 いままで、演奏技術と人格は別のものとして、練習でできたことが本番でできなくなるのは、技術の問題ではなく、人格の問題だと思っていた。何か、上手に見せようとか、すごいと思わせようとか、そういう邪念が身体を緊張させ、それで失敗したりする。それは、いくら練習をして技術を磨いても克服できない。人格の問題だから、と。しかし、今回は違うことを考えた。きっと技術は人格を作るのだ、と。しっかりした演奏技術があれば、少々のことではブレず、演奏に集中していける。本番であっても練習であっても、演奏に集中することによって雑念が消え去り、それが集中力をより高めて、その曲を演奏するのに相応しい人格を導き出してくる。きっとそういうことなんだろう。

 いつかこの曲もリベンジを。そう思う曲がまた増えてしまった。

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