前回は、楽器は弾いているうちに音の響きが良くなるのは、実は自分が弾いている音に慣れてくるだけなのでは、という仮説を立てたのだが、今回はもっと本質を
ズバッ
と突くかもしれない。
同じ曲ばっかり弾いているうちに、その曲が弾けるようになるのは、技芸が上達しているからではなく、たんにその曲に慣れてきたからではないのか。
このところ、新世界だとか白鳥湖だとかGアリだとか、目の前にある面白そうなものばかりを弾いていて、レッスンもそれらの曲になってしまっていたので、発表会で弾く予定のヘンデルのヴィオラソナタ(じつは贋作)はすっかり放置状態になっていた。そうすると、弾けていたはずのフレーズがまったく弾けなくなっている。
まずい
心を入れ替えて精進しなければ。
↑ これはかなり真剣にそう思った。
それで、レッスンのはじめにそれを言ってみる。
私 : 先生、これから心を入れ替えて真剣に練習します。
先生: いままで真剣じゃなかったのですか。
私 : 真剣は真剣でも、その真剣さがこの曲に向かっていなくて。
この曲ばっかり練習したら弾けるんですけど、
しばらく弾かないと弾けなくなるんです。
先生: それは奥の深い悩みですね。
基礎から積み上げていけば、初見は無理でも、
ある程度は弾けるんですけど。
私 : (セヴシックを差し出す)
ただ、基礎練習にはなかなか身が入らないのもお見通しで、「それじゃセヴシックからもう一度しましょうか」とも仰らない。これまでも何度か仰っておられるのだが、曲の中のフレーズを基礎練習だと思ってやる。例えば、ポジション移動のところで音が取らないのなら、そのフレーズをポジション移動の練習だと思って何度もやるとか、音階やアルペジオになっているフレーズも、音階練習やアルペジオの練習のつもりでやるとか、そういうことだ。
そこに今回はもうひとつスパイスが。
そのフレーズを戻る
つまり、上昇音階のフレーズで、例えばその途中にポジション移動なんかがあってうまく音程が取れないとしたら、そのフレーズを練習した後で、次は下降音階を練習する。すると、だんぜん基礎練習ぽくなる。それでいて、今度の発表会で弾くこの曲のこのフレーズだ、という意識はあるので、基礎練習だからといってモチベーションも削がれない。実際にやってみると、これが思いのほか上手くいかない。こういうところで基礎を疎かにしていることが露呈してしまう。
やっぱり、同じ曲ばっかり練習してそれが弾けるようになるのは、ヴィオラが弾けるようになるのとは別物なんだな。
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