2014年11月13日木曜日

そうだ! ドッペルを弾こう。


 いよいよこの週末に新しい先生のレッスンが始まる。
 いろいろとモヤモヤしていたのだが、久しぶりにバッハのドッペルを取り出してきて、そのモヤモヤがパッと晴れる思いがした。
ああ、この曲だったんだ
という気分だった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/より
バッハのドッペルにはいろんな思い入れがあるのだが、なかなか最後まで弾くことが出来ない。もはや、サグラダ・ファミリアのように、完成しないことにこそ意義があるのではないかとさえ思える永遠の課題曲だ。ヴァイオリンの教本にはよく使われるお馴染みの曲なのだが、真面目に教本をやっていない私にとっては、本来は縁のない曲だ。

 私には、4年前の発表会の講師演奏のときに、当時のバヨ先生がこの曲を弾かれたときの印象が強烈に焼き付いている。
 その発表会で弾いたのはVivaldiのAllaRustica。自分の演奏はほとんど玉砕状態で意気消沈していたところにこの曲の演奏があって、それでものすごく励まされた思いがした。
おとがくさんも、いつか
この曲を弾けるようになるわよ
ステージの上からバヨ先生のそういうメッセージが伝わってきたように思えた。

 バヨ会でも定番になっている曲だったが、私には弾けないので、この曲が始まったらいつもお休みをしていた。その頃は、パッヘルベルのカノンが弾けるかどうか、というレベルだった。それで、発表会がお終わったら、まずはカノンが弾けるようになりたいと思って、半年ぐらい、レッスンをつけていただいた。それでなんとかカノンが弾けるようになった、というところで発表会の曲にシフトし、その発表会が終わった後で、今度こそとドッペルのレッスンをつけていただくことになった。

 そのレッスンは1年ほど続いた。先生に合わせてもらったこともある。
 少しずつではあるけれど、憧れの曲が弾けるようになっていく。そのプロセスはなかなか楽しいものだった。

 その後いろいろ事情があって半年ほどレッスンを休んだ。ヴァイオリンを辞める覚悟もあったのだが、休んでいるとどうしても弾きたくなって再びレッスンを始めた。
 その時は、次の発表会まで半年というところだったので、発表会用の曲でレッスンを再開した。
 その間に先生が交代され、ドッペルはお蔵入りになっていたのだ。

 この数週間、これから自分にどんなバヨライフがあるだろうかと考えながら、新しい先生に見ていただく曲を、あれでもない、これでもないと思い悩んでいたのだが、いまこのときに、このドッペルなしに自分のバヨライフは描けないということに気付いて、本当にすっきりした思いなのだ。
 きっと、ドッペルがカッコいいとか、そういうことではなくて、これを誰かと弾きたい、という思いの方が強いのだと思う。これが弾ければ、言葉の壁さえ越えて 金髪美女 どんな人とでも合奏が出来るような気がする。

 久しぶりに弾いてみると、弾けていたはずのところも弾けなくなっているし、最後まで通して弾けるようになるのに最低でも何ヶ月かかるだろうかという感じだ。本当に永遠に完成しないかもしれない。
 だけど、部分的であっても自分の手でこの曲を紡ぎ出していると思うと、何とも言えない満足感が込み上げてくる。日本にドッペルがあってよかった。

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