今日はレッスン。昨日の記事で紹介したとおり、娘のレッスンについては準備万全だ。のはずだった。
父親としては出来うる限りの準備をしている。普段、平日に練習に付き合ってやるわけにはいかないので、休みの日に少しでも時間があれば、いっしょに練習をしてやりたい。そこで、朝6時に起きて、24時間営業のカラオケボックスで練習。それもほとんど、ラとシとドとレしかない曲と、その曲の伴奏の練習に費やした。帰ったら、家族はまだ寝ていたのでクルマの掃除。掃除をし終わったころには既に妻も起きていて、何やら子供を叱りつけている。歯医者の予約をしたのに子供が出掛ける準備をしないというのだが、いや、あなたもついさっきまで寝ていたでしょ。昼からは友達が遊びに来る。といっても子供自身が余り乗り気ではなさそうで、歯医者が遅くなったのを理由に断る。それで練習時間が確保できたと思ったら、天気がいいから公園に連れて行けということになり、4時ぐらいまで公園で過ごす。帰ってきたらなぜか百人一首をしたいと言い出し、それが終わって、さてそろそろヴァイオリンの練習をしないと暗くなってしまうと思っているところに、妻が、録りだめている面白いビデオがあるから見ようと言い出す。さすがにそれは夜でもいいだろうといって練習に誘うのだが、子供のテンションはダダ下がり。公園で遊んだ疲れもあって、10分も弾かずに
弾けへん
と癇癪を起して不貞寝してしまう。
ピアノのことについては、練習しろ、練習しろとうるさい妻も、ヴァイオリンのことは何も言わず、むしろ、天気がいいのだから外で遊べとか、学校で百人一首やっているから付き合ってやれとか、せっかく練習していても、うるさいから時間を決めてやれだとか、上の娘が試験勉強始めたからやめろとか、とにかく気持ちを殺ぐことに心を砕いてくる。
そんなところに、
ちゃんと練習しとかな先生に叱られるえ
と言っても、ヴァイオリンを嫌いになるだけだし、現に先生もそんなことで叱ったりはされない。
娘に自分と同じ楽器を弾かせたいという父親のエゴだといえばそうなのかもしれないが、何かにつけて妻に主導権を握る妻から、子供の養育という父親の権利を回復していくには、こういう娘と同じことをするという機会は重要だと思う。女性が「働く権利」を主張するように、男性も育児や家事に関わる権利を主張するべきなのだが、女性が仕事をしていくのが難しいように、男性が育児や家事に関わっていくことは難しい。音楽をするのに、そういうドロドロしたものを持ち込むのはどうかとも思ってはいるのだが・・・・。
2013年3月30日土曜日
パサニアの唄
ブログは公共の場なので、あまり仕事の愚痴は書きたくないが、ま、とにかくこの時期は忙しい。年度末に練習時間が確保できないというのは、ヴァイオリンに限らず四十のテナライスト共通の悩みではないかと思う。愚痴っていても仕方がないので、少しでも時間があれば練習をしたいもの。自分だけではなく、娘にも練習させて、早く「楽しい」というところまで持っていきたいものだ。
こうして自分の練習もさることながら、まずは娘が喜んでヴァイオリンを続けてくれるのが何より。私が家でヴァイオリンを弾くのを快く思っていない妻も、娘が真剣に練習しているのを無碍に止めろとは言うまい。そうやって家でのヴァイオリンのステータスを上げていくことが、私が文化的な生活をする上での条件を確保することにもつながる。
とはいうものの、ヴァイオリンを始めたばかりの娘の課題は、ラとシとドとレしかない曲。いちおう「パサニアの唄」という曲名はついているものの、あまり弾いていて楽しい曲ではない。これをどうやって練習させるか・・・
そこでひとつの秘策を考えた。
このラとシとドとレしかない曲に伴奏をつけてそれらしい曲にしてしまおうという手だ。
しかし、ここに大きな壁に突き当たる。
どんなに素晴らしい伴奏をつけても、それを弾く人がいないということだ。自分で弾くしかない。つまり、自分で弾けるレベル以上の伴奏はつけられないということだ。ま、そんなことで、できるだけ単純なメロディで、だけどそれなりの仕上がりになるように編曲してみた。
今朝、早起きしてカラオケボックスで録音。まずファーストを録音して、それに合わせてセカンドを弾いて録音する。家に帰って二つの録音を重ねたら・・・という目論見だったが、ラとシとドとレしかないファーストを録音したところで早くも挫折。なんでこんなに下手なんだ。ラとシとドとレしかないからこそ下手なのが際立つ。そもそもボーイングのテクニックとか、そういう基礎を素っ飛ばしているのだ。本当なら自分もこの「パサニアの唄」でレッスンを受けなければならないぐらいのレベルなのに、それに伴奏をつけてあげるなどと、ちゃんちゃらおかしいことを考えているところに無理がある。結局、ファーストの録音までに何度もテイクを重ねる。結局2時間、こんなことばかりをしていた。
うむ、確かに練習にはなったのだが・・・
こうして自分の練習もさることながら、まずは娘が喜んでヴァイオリンを続けてくれるのが何より。私が家でヴァイオリンを弾くのを快く思っていない妻も、娘が真剣に練習しているのを無碍に止めろとは言うまい。そうやって家でのヴァイオリンのステータスを上げていくことが、私が文化的な生活をする上での条件を確保することにもつながる。
とはいうものの、ヴァイオリンを始めたばかりの娘の課題は、ラとシとドとレしかない曲。いちおう「パサニアの唄」という曲名はついているものの、あまり弾いていて楽しい曲ではない。これをどうやって練習させるか・・・
そこでひとつの秘策を考えた。
このラとシとドとレしかない曲に伴奏をつけてそれらしい曲にしてしまおうという手だ。
しかし、ここに大きな壁に突き当たる。
どんなに素晴らしい伴奏をつけても、それを弾く人がいないということだ。自分で弾くしかない。つまり、自分で弾けるレベル以上の伴奏はつけられないということだ。ま、そんなことで、できるだけ単純なメロディで、だけどそれなりの仕上がりになるように編曲してみた。
今朝、早起きしてカラオケボックスで録音。まずファーストを録音して、それに合わせてセカンドを弾いて録音する。家に帰って二つの録音を重ねたら・・・という目論見だったが、ラとシとドとレしかないファーストを録音したところで早くも挫折。なんでこんなに下手なんだ。ラとシとドとレしかないからこそ下手なのが際立つ。そもそもボーイングのテクニックとか、そういう基礎を素っ飛ばしているのだ。本当なら自分もこの「パサニアの唄」でレッスンを受けなければならないぐらいのレベルなのに、それに伴奏をつけてあげるなどと、ちゃんちゃらおかしいことを考えているところに無理がある。結局、ファーストの録音までに何度もテイクを重ねる。結局2時間、こんなことばかりをしていた。
うむ、確かに練習にはなったのだが・・・
2013年3月18日月曜日
側頭部で弓を感じる
前回の記事で「力を抜いて」といわれると力が抜けないということを書いたが、力を抜くこと以外にも意識するとなかなかできないことはたくさんある。そのうちのひとつが、弓を流さないことだとか、下げ弓の時に手首を手前に引かないことだとか、ボウイングの結構基本的なことだ。今週のレッスンでは、そういう悩みを解決する着想がいくつかあった。
弓が流れてしまう原因の一つに、先弓を使おうとして楽器を自分からみて左の方に動かしてしまうことがあげられる。これを回避するために、楽器の左側の側面をみるようにする、というのは以前にアドバイスされた。これがまずひとつ。
そしてもうひとつが、先弓の位置を側頭部で感じること。下げ弓ならば、最初は元弓なので、弓の先は視野に入らない。側頭部のだいぶ後ろというか上の方にあるはず。ここから弓を運んでいくと、弓の先が側頭部に近づいてくる感覚がある。その感覚をキープしながらボウイングすると、弓が側頭部から離れない。すると、自然と右手首が前に出て、まっすぐなボウイングが出来る。
なんか、目から鱗、って感じだ。
今回のレッスンでは、フレーズごとに練習しているのを合体させて、曲として通して弾こうという時に、新しいフレーズにうまく入れないことについて相談。フレーズごとにばかり練習をしていると、そのフレーズの最後の音を、まるで曲の終わりの音のようにしっかりと弾く癖がついていることが、先生の指摘で分かった。そこを抜くというか、捨てるような感じで、気持ちを次のフレーズに向けていくと弾ける。
うむ、なるほど。
先生によると、ドッペルもだいぶ弾けるようになったので、次の曲のことを考えましょうとのこと。いや、まだ弾けていないところが多いんですが・・・・
弓が流れてしまう原因の一つに、先弓を使おうとして楽器を自分からみて左の方に動かしてしまうことがあげられる。これを回避するために、楽器の左側の側面をみるようにする、というのは以前にアドバイスされた。これがまずひとつ。
そしてもうひとつが、先弓の位置を側頭部で感じること。下げ弓ならば、最初は元弓なので、弓の先は視野に入らない。側頭部のだいぶ後ろというか上の方にあるはず。ここから弓を運んでいくと、弓の先が側頭部に近づいてくる感覚がある。その感覚をキープしながらボウイングすると、弓が側頭部から離れない。すると、自然と右手首が前に出て、まっすぐなボウイングが出来る。
なんか、目から鱗、って感じだ。
今回のレッスンでは、フレーズごとに練習しているのを合体させて、曲として通して弾こうという時に、新しいフレーズにうまく入れないことについて相談。フレーズごとにばかり練習をしていると、そのフレーズの最後の音を、まるで曲の終わりの音のようにしっかりと弾く癖がついていることが、先生の指摘で分かった。そこを抜くというか、捨てるような感じで、気持ちを次のフレーズに向けていくと弾ける。
うむ、なるほど。
先生によると、ドッペルもだいぶ弾けるようになったので、次の曲のことを考えましょうとのこと。いや、まだ弾けていないところが多いんですが・・・・
2013年3月11日月曜日
力を抜いて・・・
ふーたさんの「力を抜くとか、感じるとか、そういうのが苦手。」に激しく同意。
だいたい、「力を抜いて」といわれると、力を抜こうとしてそこに力が入ってしまう。例えばネットの画面に
と書いてあると押したくなるのと同様で、これはどうもヴァイオリンだけではないようだ。知人に趣味でレースをやっている人がいる。ちゃんとサーキットでやっている人なので、公道では至って安全運転。見た目は真面目な好青年といったところなのだが、それはさておき、ヴァイオリンとはまったく違う世界でも、やはり「力を抜く」ということが大切なシーンはあるようで、例えばカーブに突っ込むときのブレーキワークとかハンドルの操作とか、そういう場面でも変に力が入っているときは、遠くから見ていても分かるらしく、いかに力を抜いているかが大事らしい。
クルマのことはさておき、レッスンで見ていただいているバッハのドッペルなのだが、こっちの方は変に力が入っていることが見た目にも音にもはっきり出てくる。例えばファーストヴァイオリンのソロの部分
A線を飛び越えてD線とE線で移弦を繰り返すところをかっこよく弾きたいところなのだが、そこに力が入りすぎると、ギロギロっと余計な音が鳴ってしまう。弓を軽く横に運ぶだけでいいのだが、「はずむように」と意識して最初に圧がかかってしまう。弓をしっかり止めようと思うと、止めるときにブルブルっと震えてまた余計な音がする。移弦の時に他の音を出さないようにと、またここでも力が入る。しっかり移弦をした後で次の音を弾きなさいと言われると、急いで移弦しようとしてまたよろしくないことになる。
とまあ、こんな具合なのだ。
力を抜くためには、何かほかのことを考えながら弾くのがいいのだが、先生、そういう時は何考えているんですかぁ?
だいたい、「力を抜いて」といわれると、力を抜こうとしてそこに力が入ってしまう。例えばネットの画面に
このボタンは 押してはいけません |
と書いてあると押したくなるのと同様で、これはどうもヴァイオリンだけではないようだ。知人に趣味でレースをやっている人がいる。ちゃんとサーキットでやっている人なので、公道では至って安全運転。見た目は真面目な好青年といったところなのだが、それはさておき、ヴァイオリンとはまったく違う世界でも、やはり「力を抜く」ということが大切なシーンはあるようで、例えばカーブに突っ込むときのブレーキワークとかハンドルの操作とか、そういう場面でも変に力が入っているときは、遠くから見ていても分かるらしく、いかに力を抜いているかが大事らしい。
クルマのことはさておき、レッスンで見ていただいているバッハのドッペルなのだが、こっちの方は変に力が入っていることが見た目にも音にもはっきり出てくる。例えばファーストヴァイオリンのソロの部分
A線を飛び越えてD線とE線で移弦を繰り返すところをかっこよく弾きたいところなのだが、そこに力が入りすぎると、ギロギロっと余計な音が鳴ってしまう。弓を軽く横に運ぶだけでいいのだが、「はずむように」と意識して最初に圧がかかってしまう。弓をしっかり止めようと思うと、止めるときにブルブルっと震えてまた余計な音がする。移弦の時に他の音を出さないようにと、またここでも力が入る。しっかり移弦をした後で次の音を弾きなさいと言われると、急いで移弦しようとしてまたよろしくないことになる。
とまあ、こんな具合なのだ。
力を抜くためには、何かほかのことを考えながら弾くのがいいのだが、先生、そういう時は何考えているんですかぁ?
2013年3月3日日曜日
娘の危機 その後
前回の記事では、娘がヴァイオリンを辞めたいと言い出した話をして、この続きは「気が向いたら」ということにしていた。それから1週間。書く気はあったし、書くことも決まっていたのだが、年度末の繁忙に巻き込まれて、ヴァイオリンを弾くことも、他の方のブログをチェックすることもままならなず、あとまわしになってしまった。そういうしているうちに書くことを忘れてしまいそうだったので、まだ覚えているうちに、覚えている範囲で書くことにした。
結局、わずかな時間の、しかもかなり投げやりな練習だけでレッスンに臨んだ娘だったが、先生の前では見事に「らーしーらーしー」と弾いて見せた。これは天性の才能かと見紛うほどの素晴らしい「らーしーらーしー」だった。先生に
よく練習してきたね
と褒められてめっさ嬉しそうな娘。「いえ、それは・・・」と喉まで出かかった言葉を呑み込む父。
「じゃあ、次は・・」
と新たな課題「しーどーしーどー」に進む。その間の課題にはどんどんマルがついていく。照れくさそうな笑みの絶えない娘。
そんな感じで、終始和やかな雰囲気で、あっという間に娘のレッスンが終わった。
そのあと私のレッスン。娘のレッスンよりちょっと長めなのだが、その間に予定通り宿題を終えた娘と、来月の予約を確認する。月に1回といっていたので、私だけの回と、父娘の回が出来てしまうし、娘にしてみるとレッスンとレッスンの間が長く開いてしまうので、予約表を見ながら決め倦んでいると、
来月も全部来る
とのこと。先生に対する信頼は絶大だ。
家に帰って、レッスン前の不機嫌が嘘のように「バヨ先生だ~いすき」と言う娘。「バヨ先生好きやしヴァイオリン続ける。」なんてことを聞いて、「お父さんもそうやで」と説明する妻。敢えて否定はしません。
結局、わずかな時間の、しかもかなり投げやりな練習だけでレッスンに臨んだ娘だったが、先生の前では見事に「らーしーらーしー」と弾いて見せた。これは天性の才能かと見紛うほどの素晴らしい「らーしーらーしー」だった。先生に
よく練習してきたね
と褒められてめっさ嬉しそうな娘。「いえ、それは・・・」と喉まで出かかった言葉を呑み込む父。
「じゃあ、次は・・」
と新たな課題「しーどーしーどー」に進む。その間の課題にはどんどんマルがついていく。照れくさそうな笑みの絶えない娘。
そんな感じで、終始和やかな雰囲気で、あっという間に娘のレッスンが終わった。
そのあと私のレッスン。娘のレッスンよりちょっと長めなのだが、その間に予定通り宿題を終えた娘と、来月の予約を確認する。月に1回といっていたので、私だけの回と、父娘の回が出来てしまうし、娘にしてみるとレッスンとレッスンの間が長く開いてしまうので、予約表を見ながら決め倦んでいると、
来月も全部来る
とのこと。先生に対する信頼は絶大だ。
家に帰って、レッスン前の不機嫌が嘘のように「バヨ先生だ~いすき」と言う娘。「バヨ先生好きやしヴァイオリン続ける。」なんてことを聞いて、「お父さんもそうやで」と説明する妻。敢えて否定はしません。