2017年12月27日水曜日

今年最後のレッスンと忘年会

 ヴィオラのことだけでもいろいろあった一年ももうすぐ終わり。今年のブログのネタを辿ってみると、ドラマ「カルテット」にはじまり、アンサンブルへの再入団、ロビーコンサート、定演、保育園での演奏ときて、最後は忘年会での演奏(←これは今日のネタ)。人前で弾く機会が多かったし、いろんな人のお話も聞かせてもらった。

 さてさて、その1年の最期のレッスンが先週の土曜日のお昼にあった。その日の夜は忘年会。本番前の駆け込みレッスンだ。
 前回のレッスンでいろいろ指摘されたことが全部克服できたわけではない。それでも、リズムがわるいと言われればメトロノームと格闘し、音程がわるいと言われればチューナーと格闘する。姿勢がわるいと言われれば動画を撮って観てみたりもしたのだが、姿勢よりも顔がよくない。ちょっと難しいところに差し掛かると、とたんに顔をしかめ始める。
ここ、上手く弾けないんです。
ということが顔でばれてしまう。それに何と言っても音色だ。弾こうとしている曲はゆっくりの曲。

ミーーーーーーーファーーーーーーソーーーーーレーミーーーーーンン

と、とにかく同じ音を長く伸ばすフレーズから始まる。先生曰く、
「ソ」まできて、やっと「あぁあの曲か」っていうのがわかる
とのこと。いやそれはそうなんだが、やりたいことはそうではない。たまたま同じようにミの全音符から始まる曲があっても、それはそれ、これはこれというように、最初の音で曲の雰囲気を作ってしまいたいのだが、アヴェ・マリアどころか、ヴィオラの音にも聞こえない。笙みたいな音だ。そんなこというと笙の演奏家に叱られそうだが、笙の音は笙の音、ヴィオラの音はヴィオラの音って、ちゃんと違う音が出ないといけないはず。

 そこで練習の方は最後の作戦、顔で音を作る作戦に転じた。弾けていようと弾けていまいと、どんな音色が出ていようと、とにかく素晴らしい音が出ていると信じて弾く。そうすると、顔だけ見ていると上手く弾いているように見える。果たして、その練習の成果は?

 本番当日のレッスンだから、もう先生も細かいことは仰らない。
いつも言いますけど、開き直りですよ。
と言われて、毎回開き直って本番を迎えているのだが、今回もその例に漏れなかった。ただ、最初はもう少し、「この曲を弾くぞ」という気持ちが欲しい。音程を合わさなきゃとか、丁寧に始めなきゃとか、そういうことばかり考えていると、何の曲なのか分からないから、なんか、待ち歩いていて挨拶もなしにいきなり話し掛けられたような感じがするという。今日は伴奏はないけれど、伴奏があるものは伴奏をイメージして、歌詞のあるものは歌詞をイメージして、それが全部、音に出る。何も考えていなかったら何も考えていない音しか出ない。

 はい。仰るとおり。

 本番の方は酔客相手で、こちらも少し酔って演奏するので、
ま、こんなもんか~
ってぐらいの演奏はできた。他に、サックスを弾く人、尺八を弾く人、歌を歌う人なんかがいて、それぞれ日頃の技芸を発表されるのだが、ひとり、朗読を発表された方がおられた。カルチャークールに通っておられるそうだ。考えてみたら、音楽を鑑賞するときに楽譜を見て鑑賞はしない。ならば文学鑑賞も文字を見ることに拘ることはなく、楽器を演奏するように朗読をしてもらって、それを鑑賞するというスタイルがあっていい。図書館では、目の見えない人のために本の「音訳」というのをやっているらしい。朗読と音訳は感情の込め方が違うらしいのだが、それにしても、老後にやりたいことがひとつ増えたような気がした。

2017年12月5日火曜日

リズム

 先月は、私の都合でレッスンをキャンセルしたので、1カ月以上、間が空いてレッスンを再開した。その1か月間の前半はほとんど練習が出来ていなかったものの、後半は練習を再開。前のレッスンで言われていたのは、リズムと弓の返しだったので、とにかくそこを重点的に練習したのだが、再開後のレッスンでも、やはり言われたのはリズムと弓の返し。

 うむむ… なんて進歩がないのだ。

 レッスンの冒頭。
 「なんの曲をやっていましたっけ」と先生。「AVE MARIAです」「誰の?」
 そこで「Gounod」が読めない私。外国人の名前はたいてい読みにくいが、フランス人の名前はいちばん読みにくい。ま、ロシア人の名前をЧайковский なんてロシア語で書かれた日には撃沈間違いなしなのだが、Gounod=グノー は読めそうで読めない。

 いや、でも、ちゃんと調べていたんですよ。
 前回のレッスンでは、長く伸ばす音を中心にリズムが取れていないという注意を受けて、伴奏をイメージしながらというアドバイスをもらったのだけれど、調べてみたら、この曲の伴奏って、バッハの平均律クラヴィーアなんだ。あ、聴いたことがある! そういえば途中でやたら臨時記号がつくところがあるけど、そうか、それはバッハが「どうだ。平均律ってこんなことできるんだぞ」と言わんばかりに作曲した曲に載せているからなんだ。なんてことをイメージして、メトロノームさんといっしょに練習してきた。
 その効果があってか、長く伸ばすところのリズムは何も言われなかった。

 問題は、2分音符の前に装飾のようにつく16分音符。「マリーーーーーーーアーーー」ってなるところの「マ」のところが16分音符でもない、8分音符でもない、変な長さになっている。先生に見本を見せてもらって、「いや、そう弾いているつもりなんですけど」と言ってみたものの、「そうなっていない」と軽く撃沈。
 移弦の前やポジション移動の前は、その先を焦っているせいか、音が短くなりすぎで、しかも次の音が早く出すぎ。なんかこれもデジャヴな感じ。

 ま、それでもわずかに進歩はしたのか。
 長い音は言われなかったしな。

 とりあえずレッスンを再開できたことが進歩なのかも。

2017年11月26日日曜日

保育園の演奏会に出演

 アンサンブルに入るといろんな経験ができるもので、今回も楽しい経験をしてきた。
 いつも指導してくださる先生は、あちらこちらで大学の学生やら、私たちのような素人アンサンブルの指導をされておられるのだが、そのひとつに保育園での指導があるそうだ。そこの保育園では、何歳かになったら全員がヴァイオリンのレッスンを受けることになっているらしい。希望者だけ、ではなくて全員だそうだ。
 それで、地域の結構立派なホールを借りて、年に1度、発表会と演奏会の間ぐらいのイベントがあって、それのお手伝いにいつも馳せ参じることになっているらしい。私はもちろん初参加だ。

 園児たちの演奏は、本当に元気がいい。もちろん、そんなに難しい曲が弾けるわけではないのだが、舞台袖で聞いていても、とても元気がいいのが分かる。おそらく、失敗したらどうしようとか、上手に弾かなければ、などといった邪念がないから、あういう音が出てくるのだと思う。

 保育園でヴァイオリンを習えば、卒園してからも続けるという子供も多い。卒園児たちの発表会のようなステージもある。発表会でお馴染みの曲が何曲か続く。低学年の子供たちの演奏は、舞台袖で思わず「がんばれ」と力が入ってしまう。中学生ぐらいになると、さすがに貫禄だ。チゴイネルワイゼンを弾いていた子もいたが、舞台袖で聴いていた大人たちはたぶん一生この曲を弾くことはないだろう。

 私たちの演奏は、子供たちの歌の伴奏が主。前に数十人の子供たちが並べば、客席で私たちを見ている人はいない。トトロの歌、ミッキーマウスの歌、集まれファンファンファンなど、これもお馴染みの曲ばかり。保育園の先生もいっしょに弾くのだが、園児の相手はしなければいけないし、自分の演奏もしなければいけないし、大量にあるちっちゃいヴァイオリンの調弦もしなければいけないのは、結構、ハードワークだと思う。それにしても、こうして、小さいときからヴァイオリンを弾く機会があれば、別に芸大に行ってプロの演奏家になるとか、そういうことじゃなくても、人生の幅が大きく広がると思う。この前の定期演奏会のときもそうだったけれど、この日も何人かの大学生が演奏に来ていた。そうそう、そういうことが出来るかもしれない。なんとも羨ましい。

2017年10月22日日曜日

忘年会を目指して

 いろいろ考えながら、定期演奏会後はじめてのレッスンを迎えた。まずは定期演奏会の報告。「とにかく楽しかった」と言うと「楽しいのがいちばんです」とのこと。いや、先生、それ、楽しかったという言葉の裏に、実はあまり上手くは弾けなかったという含意を読んだでしょう。違うんですよ。練習では考えられないレベルで弾いたんですよ。やればできるんですから…
 と、大きなことを言うのは控えめに、来年の発表会を目指していろいろ考えていることを相談。
 いままでは、テンポの速い曲をヒラヒラパラパラ弾くのが上手いと思っていたけれど、そうじゃなくて、ゆっくりした曲をしっかり聴かせたい。来年もアンサンブルに参加するつもりだから、どうせそっちはヒラヒラパラパラになって、あっという間に本番になるから、とりあえず形にするのに精一杯になるはず。それなら発表会はそうじゃないところをしっかりやりたい。
 このところ、ひとりで練習していたのはこの曲。グノーのアヴェ・マリア。例の「ヴィオラ名曲31選」の中の曲だ。宮本笑里さんが弾くとこうなる。


 しかし、発表会の曲としてはちょっと簡単すぎる印象がある。それは先生も仰っておられて、この曲で発表会に出るなら相当なレベルにもっていかないと、「なんだ簡単な曲だなぁ」という印象しか残らない、とのこと。同感です。
 しかし、忘年会の余興ならちょうどいい具合なので、それを目標に、などと、先生にとってはたぶん消える魔球のような変化球で攻めてみると、「それもいいですね。本番は本番ですから」、ということになった。

 先生の前で弾いてみると課題山積。弾く前から課題山積だったのだが、ちょっといくつかに整理してみる。音程とリズムはとりあえず横に置いといて(←いや、それがいちばん課題なんだが)

 まず、弓の返し方。
 いや、分かっているんですよ、駄目だって。でもやっぱり駄目出し。もっと大事に。アクセントを付けないように返す。とにかく弓を返すところばかりを練習する。最初は解放弦でいい。
 ロングトーンはやりにくければ元弓から始めなくてもいいけど、どこから始めるのかはいつも決めておく。
 ピアノは音を小さくするのではなく、ピアノに聞こえるように弾く。指板より弓を寝かせて、だけど弓の速さを遅くするのではなく、弓はできるだけたくさん使ってピアノにする。
 次のレッスンまではビブラート禁止。ビブラートで誤魔化さずにロングトーンをしっかり弾けるように。ま、これがこの曲のほぼすべてかもしれない。

 そんな訳で、ゆっくりと始動。

2017年10月15日日曜日

続・ヴィオラの名曲を探して

 前回の記事で、ヴィオリストが過去に作曲家の不興をかってヴィオラのための名曲が書かれないようになったのではないかという仮説を立ててみたが、いやそうでもなさそうだ。YouTubeでいろいろ漁っていると、いろんな作曲家がヴィオラのための曲を書いている。

 まずはシューベルト(左の動画)。といっても有名なフランツ・シューベルトとは血縁等はなさそうだ。ウィキペディアによるとドイツ人の作曲家でヴィオリストだそうだ。1754年 ボヘミア(現チェコ共和国)の生まれとある。モーツアルトの2歳上だ。前に見つけたヴァンハルもチェコ人。何かチェコとヴィオラにはつながりがあるのか?
 それにしても、ヴィオラコンチェルトなのに主役のヴィオラが出てくるのが遅い。この動画でも、再生を始めてから2分25秒もしてから初めてヴィオラのソロが聞こえてくる。前の記事で唱えた「ヴィオリスト控えめ説」は正しいかもしれない。

 右の動画は、カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ。この人も聞いたことのない作曲家なので、ウィキペディアで調べてみた。ハイドンやモーツァルトと同時代のウィーンに生れ、ボヘミア・ノイホーフ(チェコ)で没した作曲家でヴァイオリン演奏家。また出てきました、チェコ。
 この曲も主役が出てくるまでが長い。さきほどの曲ほどではないが、再生を始めてから1分30秒ほどしてから、やっと主役が登場する。このページのリンクはクリックするとそこから再生されるようになっているが、普通は頭から再生されるので、ヴィオラを聴く前に別の動画を見にいかれる方も多いのではないかと思う。

 

まだ続く。次はカール・シュターミッツ。この人も「ドイツのチェコ系作曲家」とウィキペディアに書かれている。1745年生まれ。モーツアルトより10年早く生まれているが、活躍したのは同じ世代かもしれない。もしかすると、この時期のチェコにものすごい美人ヴィオリストがいて、チェコの作曲家が挙って彼女のために曲を書いたのかもしれない。
 この曲もヴィオラ登場までが長い。いったいこの前奏の間、主役のヴィオリストはどんな顔して待っているのか、参考までに右側の動画をつけておいた。18世紀ボヘミアの美人ヴィオリストを想像しながら見るのも一興か。

 

美人の話が出てきたので、女性ヴィオリストの演奏している動画を探してみた。いずれもアンリ・ヴュータンという19世紀フランスの作曲家の作品。発表会用にオーケストラをピアノで弾いているのではなく、最初からピアノとヴィオラのために書かれた曲のようだ。やはり時代が下ると旋律的で技巧も難しそう。

 

 さてさて、ここから先はやや数奇な世界へ。
 いずれもYouTubeで漁って見つけたものだ。最初のはヘンデル。次は音楽の父J.S.バッハの息子、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品。新しい時代のものに比べると、どちらもバロック調のなんだか馴染みのある旋律で、いかにもヘンデル、いかにもバッハという感じなのだが、どうも事情が違うようだ。どちらの動画にも「Casadesus」という謎の人物の名前が記されている。例によってウィキペディアで調べてみると、ヴィオラ奏者と紹介されたあとで、長らく忘れられてきた作曲家の作品を蘇らせたと称して、その作曲家風の贋作をつくり、楽譜を売るという詐欺師紛いのことをしていたようだ。これらの曲もそのようにして作られた贋作らしく、「カサドシュ作曲のヘンデル風の協奏曲」「カサドシュ作曲のJ.C.バッハ風の協奏曲」と呼ばれているらしい。ヴィオラの名曲が少ないのは、さてはそういうヴィオリストがいるからか。こいつの所為だったんだ。いやしかし、これには同情の余地がある。かれもヴィオリストとしてヴィオラの名曲が少ないことを嘆き、それならば自分が過去の大作曲家に成り代わってヴィオラの名曲を書こう、などと思ったのかもしれない。いまなら、「ヘンデル トリビュート小品集」だとか「C.P.バッハに愛を込めて カサドシュ協奏曲集」みたいなタイトルを付けて出版すればいいものなのだが…
 それにしても、多くの人にヘンデルやバッハの曲と思わせるだけあって、先輩作曲家に対する尊敬の念とヴィオラに対する愛情を感じる旋律ではないか。

   

 

最後にバッハの右側の動画に出演している韓国人のヴィオリストの別の動画。「キム・サンジン」と読むのだろうか。もしかすると、韓国では葉加瀬太郎ばりの人気者なのかもしれない。こういうタレント性のある人が出てくるとヴィオラのステータスも上がるのだが。