2023年8月25日金曜日

ラター 「古風な組曲」

 定期演奏会の曲紹介シリーズ。いよいよ最後の曲です。今回の定期演奏会で演奏する曲の作曲者の中で、唯一、現在もご活躍中の方の作品です。ご自身のWebサイトもお持ちですので、インターネットから比較的信頼性の高い情報を収集できるのですが、いろいろ苦労もしました。たぶん、今回の曲紹介の中でいちばん苦労したと思います。

ラター 「古風な組曲」
John RUTTER. “Suite Antique”

 ジョン・ラター(John Milford Rutter. 1945.9.24 - )は、イギリスで活躍する作曲家。作曲だけでなく、編曲や指揮など、いまなお精力的に活動している現役の音楽家です。「古風な組曲」は、ロンドンの西、ウィンザー・メイデンヘッド王室特別区で2年に一度開催される「クッカム音楽祭」のために、彼が1979年に作曲したものです。この年の音楽祭では、バッハのブランデンブルク協奏曲第5番が演奏されました。彼は、バッハへのオマージュとして、それぞれの曲がブランデンブルク協奏曲第5番と同じ楽団編成で演奏され、ブランデンブルク協奏曲第5番と同じようにフルートとハープシコードの絶妙な掛け合いが魅力的な、6曲で構成されたこの組曲を、この音楽祭で初演しました。

 そんな中でも、2曲目のOstinatoは、バッハの曲とはずいぶん異なる様相のリズミカルな曲です。4曲目のWaltzは、彼のWebサイトによると、ジャズの巨匠、リチャード・ロジャース(Richard Charles Rodgers. 1902.6.28 – 1979.12.30)のスタイルを取り入れているとか。しかし、全体的にはバッハの時代へのインスピレーションをはっきりと聴き取ることが出来る構成となっていると言われています。バッハがブランデンブルク協奏曲を進呈したのは1721年。300年の時空を超えて、バッハを現代に蘇えさせる壮大なタイム・トラベルをお楽しみください。

John Rutterのサイトより
John Rutter biography https://johnrutter.com/useful-info/press-resources
Suite Antique https://johnrutter.com/music/printed-music/catalogue/suite-antique
いずれも2023.8.15アクセス

Oxford University Press. 『John Rutter Suite Antique Full Score』

edy musicサイトより
【プーランクから】現代の作曲家も古楽器がお好き?チェンバロ編【フランセまで】
https://edyclassic.com/2688/
【冬に聴きたい】「ほっこり」クラシック【愛らしいディーリアスの佳作】
https://edyclassic.com/2480/
いずれも2023.8.15アクセス

Wellcome to Cookham.comより

Cookham Festival 2019 http://www.cookham.com/cookhamfestival2019/index.html
What is the Cookham Festival?
http://www.cookham.com/cookhamfestival2019/PDFs/WhatIsTheCookhamFestival.pdf
いずれも2023.8.15アクセス

モリタブさんのブログ「遊び心満載 初心者向けジャズ/大人の趣味/サラリーマンブログ」より
リチャード・ロジャースの代表曲・ヒット曲をジャズ初心者にも分かりやすく説明します!
https://moritablog.com/jazz-richard-charles-rodgers
2023.8.15アクセス

Wikipedia(日本語版)より
ジョン・ラター https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ラター

(→)John Rutter氏のサイト
https://johnrutter.com/useful-info/press-resourcesより


 インターネット上に、ご本人がアップされている情報も含めて、さまざまな情報があるのですが、ほとんどが英語。Google翻訳さんのお世話にずいぶんなりました。

 何に苦労したかというと、作曲者ご本人は「ブランデンブルク協奏曲第5番へのオマージュ」と仰っているのですが、私のような素人が弾いていても、ブランデンブルク協奏曲のイメージがなかなか聴き取れないこと。リチャード・ロジャースの方がなんだかしっくりきます。ことさらにブランデンブルク協奏曲のことばかりを書くと、なんだか、自分が思っていないことを、他人の言葉を借りてきてそれらしく書いているような、空々しい曲紹介になってしまう。それじゃたぶん、いっしょに演奏しているオケのみなさんもそんなふうに感じると思うし、その空々しい感じが客席にも伝わってしまう。でもご本人はブランデンブルク協奏曲のオマージュだと仰っているし、他のレビューサイトなどを見てもブランデンブルク協奏曲に言及している。そんなわけで、空々しくならないギリギリのところで書いています。

 さてさて、オケのみなさんの評価は如何に?
 評判がわるければ、当日のプログラムでは全面的に書き換わっているかもしれません。

2023年8月24日木曜日

H. PARRY. 弦楽三重奏のためのふたつの間奏曲

 定期演奏会の曲紹介シリーズ。いよいよ終盤です。今日のこの曲と、残りの1曲は、結構な苦労をしました。図書館に行っても、適当な情報がないんです。いちおう、作曲者のプロフィールぐらいは「音楽事典」とかなんとかという本で調べられるのですが、モーツアルトのように、作曲した作品のひとつひとつについて解説しているような本はありませんし、女性関係も分かりません。いきおいネットの情報に頼るしかなかったのですが、3人の娘の絵が見つかったところで「よし!」という感じになりました。


パリー 弦楽三重奏のためのふたつの間奏曲
C. Hubert H. PARRY. Tow Intermezzi for String Trio

 ヒューバート・パリー(Sir Charles Hubert Hastings Parry, 1848.2.27 – 1918.10.7)は、イギリスの作曲家で、音楽史に関する著書を多く著し、オックスフォード大学教授、王立音楽大学の学長も務めた音楽史の研究者でもありました。この「弦楽三重奏のためのふたつの間奏曲」は1886年、彼が38歳の頃に作られた曲と言われています。オケの指導をしていただいている先生から私たちに配られたこの曲の楽譜には「For Kitty, Margaret and Sue(キティ、マーガレット、スーのために)」と書き添えられています。この3人は、法律家で海軍書記官でもあったヴァーノン・ラシントン(Vernon Lushington. 1832.3.8 –1912.1.24)の娘たちです。この娘たちは、彼の妻で音楽家のジェーン・ラシントン(Jane Lushington)とともに、パリーに音楽の指導を受けていました。ジェーンと3人の娘の姿は、おそらくヴァーノン・ラシントンと親交のあった画家のアーサー・ヒューズ(Arthur Hughes. 1832.1.27 – 1915.12.22)の「Home Quartet. Mrs. Vernon Lushington with Daughters」と題された絵に描かれています。この絵が描かれたとき、キティは16歳、マーガレットは14歳、スーは13歳ぐらい。「弦楽三重奏のためのふたつの間奏曲」が作られる3年前です。開演前に右のQRコードからこの絵をご覧いただき、彼女たちが弾いているところを想像しながらお聴きください。

音楽之友社. 2008. 『新訂 標準音楽辞典 第二版』
Wikipedia(英語版)より
Hubert Parry(https://en.wikipedia.org/wiki/Hubert_Parry
Vernon Lushington(https://en.wikipedia.org/wiki/Vernon_Lushington
Susan Lushington(https://en.wikipedia.org/wiki/Susan_Lushington
Arthur Hughes (artist) (https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Hughes_(artist)
いずれも2023.8.15アクセス
IMSLP(International Music Score Library Project, 国際楽譜図書館プロジェクト)より
2 Intermezzi (Parry, Charles Hubert Hastings)
https://imslp.org/wiki/2_Intermezzi_(Parry%2C_Charles_Hubert_Hastings)
2023.8.15アクセス
Artworksサイト 「Home quartet. Mrs. Vernon Lushington with daughters」のページ
https://arthive.com/arthurhughes/works/558036~Home_quartet_Mrs_Vernon_Lushington_with_daughters
2023.8.15アクセス

 この3人の娘を紹介したいがために、ずいぶんいろんな人のことを書いて、ちょっと冗長な文章になっていますが、要は、この3人のために書かれた曲だということが言いたかった文章です。右の方は3人のお母さん。パリーは、この4人の音楽の先生でした。お父さんの知り合いの画家にこんな絵を描かせていますので、けっして怪しい関係ではなかったと思います。文春砲の出番はないようです。

 ちなみに「間奏曲」というのはあまりたいした意味がなくて、19世紀以降の自由な形式の小品に「即興曲」「奇想曲」「無言歌」などと同様に「間奏曲」というタイトルが付けられるようになったそうです(音楽之友社『音楽中辞典』)。

2023年8月23日水曜日

映画「オズの魔法使」より「虹の彼方に」

  定期演奏会の曲紹介シリーズ。昨日に引き続き、映画音楽からの小品です。マイ・フェア・レディは、正確にはブロードウェイ・ミュージカルに由来しますので、映画音楽と言えるかどうか…。

 細かいことはされおき、この時代の映画となると、相当な年配の方でも、実際にリアルタイムで映画をご覧になった方はほとんどおられません。けれど、世代に関係なくみなさんよくご存じの曲です。むしろ、映画音楽だということをご存じ出なかった方も多いのでは。私もそんな多数派のひとりでした。

映画「オズの魔法使」より
H.アーレン作曲 「虹の彼方に」
“Over the Rainbow”
from the Movie ”The Wizard of Oz” Composed by Harold ARLEN.

 1939年のアメリカ映画「オズの魔法使」の挿入歌。作曲したのはハロルド・アーレン(Harold Arlen. 1905.2.15 – 1986. 4.23)。14歳の少女ドロシーを演じるジュディ・ガーランド(Judy Garland. 1922.6.10 – 1969.6.22)が歌う曲です。

 カンザス州の田舎の農園の娘、ドロシーの周りで起こることは嫌なことばかり。もうこんなところではなくて、汽船でも列車でも行けないような、どこか遠くの、嫌なことのない世界に行きたい。虹の彼方にそんな世界があると歌うのがこの曲。竜巻に巻き込まれ、虹の彼方に飛ばされたドロシーが着いたのは、オズの魔法使がいる夢の世界。この世界が、今日、演奏する曲の中では、いちばん遠い場所かもしれません。

Wikipedia(日本語版)より
 「虹の彼方に」 https://ja.wikipedia.org/wiki/虹の彼方に
 「オズの魔法使」 https://ja.wikipedia.org/wiki/オズの魔法使
 「ハロルド・アーレン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ハロルド・アーレン
 「ジュディ・ガーランド」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジュディ・ガーランド
 いずれも2023.8.19アクセス

 これもWikipediaばかりですが、きちんと映画は観ています。映画の著作権は発表後70年とされますので、この映画は既にパブリックドメイン。モーツアルトの曲と同様に、二次創作者の同意さえあれば、ネットに公開できますので、アマゾンプライムでも無料で視聴できました。

 ところで、木星と虹の彼方はどちらが遠くか。

 この映画の「虹の彼方」は夢の中の世界ですから、きっと二度と行くことはできません。木星は、今世紀のうちに再び惑星探査機が近づくかもしれませんから、きっと虹の彼方の方が遠くでしょう。

2023年8月22日火曜日

ミュージカル「マイ フェア レディ」より「一晩中踊れたら」

 定期演奏会の曲紹介シリーズ。今回もいわゆる「小品」です。

 年配の方にはお馴染みの曲。私たちの世代だと、実際に映画や舞台を観た方は少ないと思いますが、曲を聴けば「あぁどっかで聴いたことがあるな」という曲です。

ミュージカル「マイ フェア レディ」より 
F.ロウ作曲 「一晩中踊れたら」
“I Could Have Danced All Night”
from the Musical “My Fair Lady” Composed by Frederick LOEWE.

 1956年のブロードウェイ・ミュージカル「マイ フェア レディ」の劇中で歌われた曲です。作曲したのはフレデリック・ロウ(Frederick Loewe. 1901.6.10 – 1988.2.14)。歌ったのは主演のジュリー・アンドリュース(Dame Julie Elizabeth Andrews. 1935.10.1 - )。1964年に、オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn. 1929.5.4 – 1993.1.20)主演で映画化され、マーニ・ニクソン(Marni Nixon, 1930.2.22 – 2016.7.24)がヘップバーンの吹き替えで歌っています。

The rain in Spain stays mainly in the plain
(スペインの雨は主に平野に降る)

下町娘のイライザは、「スペイン」を「スパイン」としか発音できませんでしたが、彼女を社交界にデビューさせようとする言語学者のヘンリーの特訓を受けて、正しい発音を身につけていきます。やっと正しい発音が出来た日、ヘンリーの期待に応えられたことと、紳士・貴婦人の集う華やかな世界を想像して興奮したイライザが、今夜は眠れない、一晩中だって踊り明かせると歌うのがこの曲。

 聞き覚えのある曲がいくつも歌われる映画の中でも、この曲は、オープニングやエンディングでもながれるテーマ曲。背中の翼を拡げ、宮殿でも舞踏会でも、どこへでも飛んでいけそうな名曲です。

Wikipedia(日本語版)より
 「一晩中踊れたら」 https://ja.wikipedia.org/wiki/一晩中踊れたら
 「ジュリー・アンドリュース」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジュリー・アンドリュース
 「フレデリック・ロウ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ロウ
 「オードリー・ヘップバーン」 https://ja.wikipedia.org/wiki/オードリー・ヘップバーン
Wikipedia(英語版)より
 「Frederick Loewe」 https://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_Loewe
いずれも、2023.8.19アクセス

 このシリーズ最初の記事で「Wikipediaですぐ分かるようなことは書かない」と言っておきながら、参考文献がWikipediaばかりになってしまいました。しかし、けっして手を抜いているわけではありません。この文章を書くために、オードリー・ヘップバーン主演の映画「マイ・フェア・レディ」は観ました。

 曲名の邦訳ですが、「踊り明かそう」と訳されているものもあり、オケのみなさんもそのように言っておられるのですが、Wikipediaの訳を採用しました。本番の日に配布されるプログラムでは別のタイトルになっているかもしれません。

2023年8月21日月曜日

ホルスト 組曲「惑星」より 「ジュピター」の主題

 定期演奏会の曲紹介シリーズ。今日からはいわゆる「小品」です。ホルストの「ジュピター」ですが、平原綾香が歌って有名になった主題の部分だけを弾きます。小品だからと言って、曲紹介の手を抜くことはありません。

ホルスト 組曲「惑星」より 「ジュピター」の主題
The Theme of “Jupiter, the Bringer of Jollity”
from the Suite “The Planets” Composed by Gustav HOLST.

 1979年、アメリカの惑星探査機「ボイジャー」1号、2号が相次いで木星に接近し、それまで私たちが想像すらすることのなかった写真を地球に送ってきました。写真は世界中に配信され、日本の新聞も、当時は珍しかったカラー写真を1面に掲載しました。アメリカ大統領も、石油利権で巨万の富を築く大富豪も、東洋のあまり裕福とは言えない家庭の少年も、同じ写真を見て、同じように興奮しました。

 グスターヴ・ホルスト(Gustav Holst. 1874.9.21 – 1934.5. 25)がこの曲を書いたのは1914年ごろ、正式に初演されたのは1920年。木星に関する科学的知見は限られたもので、もちろん写真もありません。彼がモチーフとしたのは神話や占星術、そして彼自身の想像力。21世紀になっても、私たちが木星についてイメージするのは、ボイジャーが撮影した写真と、ホルストのこの旋律でしょう。彼の想像力の翼は、夜空に輝く星にまで届いていたともいえます。

Wikipedia(日本語版)より
  • 「惑星 (組曲)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/
  • 「グスターヴ・ホルスト」 https://ja.wikipedia.org/wiki/グスターヴ・ホルスト
  • 「ボイジャー計画」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ボイジャー計画

 インターネットで木星の画像を検索すると、ほんとうに鮮明な画像がいくつも見つかります。これ、ぜんぶボイジャーが地球に送ってきた画像なんです。いまから半世紀前ですよ。グランドキャニオンの画像とは訳が違うんです。でも音は聞こえません。グランドキャニオンなら、その場の空気を五感で感じることもできますが、それもできません。

 そういう意味で音楽は素晴らしい。こうして木星の「音」を感じることが出来るのですから。

2023年8月20日日曜日

MOZART. ディヴェルティメント ヘ長調

 きのうに引き続き、定期演奏会で弾く曲の紹介。今日はモーツァルトです。

 きのうのヴィヴァルディもそうですが、音楽好きのハイレベル・オーディエンスなら、私の書くような拙い曲紹介なんて読まなくても、モーツァルトのことなんてなんでもご存じのはず。むしろ、ちょっと興味はあるんだけど、というぐらいの方に如何に興味や関心を持っていただくかを考えて書いています。

モーツァルト ディヴェルティメント ヘ長調
Wolfgang Amadeus MOZART. Divertimento in fa maggiore K.138.

 この曲は1772年の初め、モーツァルトが16歳の誕生日を迎える前後に作曲されたと考えられています。当時、モーツァルトは、ザルツブルク宮廷楽団の副楽長だった父、レオポルトとともに、たびたびイタリア旅行をしています。1771年9月13日、ミラノのモーツァルトがザルツブルクにいる姉のナンネルに書いた手紙には、姉の友人であったW.フォン・メルク嬢という女性の名前が現れます。

妃殿下さま。W.フォン・メルク嬢に、ぼくがザルツブルクでの再会をとても楽しみにしているとお伝えください。ぼくはただ、彼女の演奏会でもらったのと同じようなプレゼントを、メヌエットのお礼にもう一度もらいたくて。そういえば彼女はわかってくれます。

「妃殿下さま」は、姉のナンネルを茶化しているのでしょう。「プレゼント」はおそらくキスのプレゼントと思われます。W.フォン・メルク嬢(アンナ・マリーア・バルバラ・フォン・メルク。通称 ヴァーベルル)は、モーツァルトの4歳年上。宮廷事務局長の令嬢。直接、手紙を書くのではなく、姉に恋の仲立ちをお願いしているのは、メアドの交換ができない当時の習慣でしょうか。

 この曲の軽快な第1楽章は、まるでモーツァルトがW.フォン・メルク嬢を助手席に乗せてドライブに出かけているようです。当時クルマはありませんから、馬車に乗って野や森を駆けていたのかもしれません。第2楽章は、急にロマンティックな会話に展開。「ちょっ、ちょっとマジにならないで…」とはぐらかすW.フォン・メルク嬢に、「じゃ芝居でも観に行こう」と街に誘うモーツァルト。第3楽章は、軽快でありながらどこかコミカル。モーツァルトのチャラ男ぶりが垣間見えるようです。

 さてさて、イタリアから帰ってきたモーツァルトとW.フォン・メルク嬢の関係に進展はあったのでしょうか。

  • 高橋英郎. 『モーツァルトの手紙』. 小学館; 2007.
  • 武石みどり, 大野由美子, 西川尚生, et al. 『モーツァルト全作品事典』. 音楽之友社; 2006.
 モーツァルトの曲紹介を書くときは、まず、モーツァルトの女性関係を調べる。音楽的な特徴がどうのこうのというより、そっちの方が関心を持ってもらえそうです。文春砲と同じです。音楽好きの方には叱られそうですが。


2023年8月19日土曜日

Antonio VIVALDI. フルート協奏曲「海の嵐」

 気分を切り替えて、10月の定期演奏会モードにしていく。しばらく、このブログをお借りして(自分のブログなので、誰から借りる訳でもないが、お読みいただいているみなさんの目をお借りして)、曲の紹介をしていこうと思う。

 まだ演奏順は決まっていないけれど、予想ではこれが最初のはず。

ヴィヴァルディ フルート協奏曲「海の嵐」
Antonio VIVALDI. Concerti per Flauto “La Tempesta di Mare” op.10-1. RV433.

 ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678.3.4 – 1741.7.28)が活躍したヴェネツィアは、地中海交易で栄えた商業都市。イタリアの東側、アドリア海の最奥部にある内海のラグーン(潟)の中にある島に作られた街です。交易に用いられたのは船。北欧に起源をもつ、丸みを帯びた船体の帆船、「ラウンドシップ」が多く用いられる中で、ヴェネツィアでは、ローマに起源をもつ「ガレー商船」と呼ばれる、オールで漕ぐ船が多く用いられていました。ガレー商船は、操船がしやすく、強い風の中でも思い通りに運航することが出来たと言われます。一方で、帆船は14世紀ごろから大型化が進み、排水量500トン級(ガレー商船は300トン級。初代うみのこ号の排水量は592トン)のものが造られるようになります。操船技術も発達し、横風や多少の逆風でも船を進めることが出来るようになり、大量の商品を効率的に運ぶことが出来るようになりました。

 1728年に出版されたヴィヴァルディのフルート協奏曲の第1曲には『海の嵐』という標題が付けられています。こんな破局的で恐ろしい標題とは対照的に、とても軽快で明るい印象の曲です。海の嵐をものともしないガレー商船が、そして、満帆に風を受けるラウンドシップが、晴れ渡る地中海の大波をかきわけてを進む。ガレー商船の漕ぎ手が、富を求める商人が、巡礼の旅の聖職者が、まだ見ぬ異世界に心を躍らせて旅に出る。そんな印象の曲です。

 サザナミのラグーンから大海原へ。今年の定期演奏会はこの曲で出帆します。

  • 中平希 著. 2018. 『ヴェネツィアの歴史:海と陸の共和国』 創元社.
  • ルカ・コルフィライ 著, 中山悦子 訳. 1996. 『図説 ヴェネツィア:「水の都」歴史散歩』 河出書房新社.
  • 音楽之友社. 1986. 『ヴィヴァルディ フルート協奏曲「海の嵐」「夜」「ごしきひわ」』
  • Wikipedia(日本語版)より 「アントニオ・ヴィヴァルディ」https://ja.wikipedia.org/wiki/アントニオ・ヴィヴァルディ 2023.8.18アクセス

 Wikipediaも使うのですが、Wikipediaですぐ分かるようなことは書かない。クラシック音楽の好きな方にとっては、「急‐緩‐急の3楽章形式とリトルネロ形式は、ヴィヴァルディの協奏曲の典型的な形式で云々」などといった解説が受けるのかもしれないけれど、そういう「いかにも」という印象を受ける文章は書かない。そして何よりも自分がわかっていないことは書かない。そんなことを考えながら書いていると、ある意味では曲とは全然関係のないこんな文章になったのですが、自分としては、むしろこの紹介文を書きたいがためにこの曲を弾いているような、そんな感じです。


2023年8月15日火曜日

弦カルの発表は最高レベル

 前の記事で、発表会のソロの演奏がボロボロだった話を書いたが、この発表会では、ほかに弦カルの発表もした。普段から弦カルでレッスンを受けているメンバーで、4月から、発表会を目指して練習をしてきた。身内の不幸があって葬儀の日程が発表会と重なるかもしれないという時は、ソロの発表以上に、こっちの発表の方が気になった。ソロは、自分の都合で自分が発表できないだけなのだが、合奏となると他の方にも迷惑をかける。1パート一人しかいないので、誰も欠けるわけにはいかない。もちろん、葬儀といえば誰も文句は言えないが、それだけに申し訳がない。

 結果としては、葬儀は前日に終わって、無事に発表会に出られたし、弦カルの演奏もできた。他のメンバーに葬儀の話はいっさいしなかったが、いっしょに演奏していると、どこか精神的にも支えてもらっているようで、演奏以外のことは何も気にしないで演奏することが出来た。

 こちらの発表に関しては、7月になってから、自主トレと称して、4人で練習したりもしていたし、直前のレッスンでは、かなりのレベルに仕上げることが出来た。本番に向けて、だいぶ「温まってきた」状態だった。

 それにしても、本番の演奏は、それまでのどの演奏よりもレベルが高かったと思う。

 やはり、それまでにしっかりと練習をして、自信をもって舞台に載れる、ということだとか、メンバー同士の信頼だとか、そういったものが人格を作るのだと思う。

 野球の試合で、味方のエラーから調子が崩れ、フォアボールだとかホームランだとかでどんどん失点するようなことがある。反対に、絶体絶命のピンチをファインプレーで切り抜けたことから、チームの雰囲気が盛り上がり、大量得点に結びつくこともある。演奏も同じで、何かが上手い方向に回り始めるとどんどんいい方向にことが進む一方で、何か躓くとどんどん泥沼にはまっていく。今回の発表会はそんな発表会だったように思う。

2023年8月14日月曜日

そろそろ発表会について語ろう

 

 先週の日曜日に発表会があった。それはそれは酷い出来で、もう記憶から消し去りたいぐらいなのだが、語らずにいると、いつまでも心の中で引き摺ってしまうので、吐き出してしまおうと思う。

 今回は、発表会に至るまでにも紆余曲折があり、最終的にソロの発表をすると決めたのは、本番の1か月前。まぁそのことは既に記事にしているので、もう言うまい。練習期間が短かったとか、そんな言い訳をしたところで仕方がない。発表をすると決めたのだから、どんな短い期間であっても、ちゃんと練習して仕上げておかないといけない。それは、プロも素人も関係ない。

 しかし、とにかくその日は、リハーサルのときからまったく調子が出てこない。楽屋で練習すればするほど酷くなっていく。まるで、藻に脚を取られてどんどん溺れていくようだ。

 実を言うと、直前に身内の不幸があり、前日に葬儀があった。身内といっても、寝食を共にした間ではなく、10年以上音信のなかった身内なので、それ自体はお気遣いいただくほどのものでもない(からこそ、こうしてブログに書いている)のだが、少なからず心を乱されていたのは事実。葬儀の日程が決まらず、もし日曜日だったらどうしよう、などと不埒なことを考えていたのも事実。普段、顔を合わすことのない親族が久しぶりに集まり、場違いな歓談をしているのに居た堪れない思いをしたのも事実。しかし、それは前日にすべて片が付いているはずのこと。もし何か気になることがあったとしても、気持ちを切り替えて演奏に集中するべきなのだ。

 もちろん、当日、自分が前の日の葬儀について何かを引き摺っているという意識はまったくなかった。すっかり切り替えているつもりだった。さあ今日は頑張ろう、と思っていた。仮に何かを引き摺っていたとしても、自分に十分な演奏技術があれば、演奏に集中することによってそういう雑念を振り払って行けたはず。しかし、そうはならなかった。何かいつもと違う。最初に弾いたときにそんな違和感を覚え、最後までその違和感を拭えず、どんどん、いつもの演奏から遠ざかって行く。

 とにかくボロボロな演奏だった。

 いままで、演奏技術と人格は別のものとして、練習でできたことが本番でできなくなるのは、技術の問題ではなく、人格の問題だと思っていた。何か、上手に見せようとか、すごいと思わせようとか、そういう邪念が身体を緊張させ、それで失敗したりする。それは、いくら練習をして技術を磨いても克服できない。人格の問題だから、と。しかし、今回は違うことを考えた。きっと技術は人格を作るのだ、と。しっかりした演奏技術があれば、少々のことではブレず、演奏に集中していける。本番であっても練習であっても、演奏に集中することによって雑念が消え去り、それが集中力をより高めて、その曲を演奏するのに相応しい人格を導き出してくる。きっとそういうことなんだろう。

 いつかこの曲もリベンジを。そう思う曲がまた増えてしまった。