2018年6月24日日曜日

アンサンブルの発表会に向けて

 いつものスタジオのレッスンとは別に、数ヶ月に1回の割合で受けているアンサンブルのレッスンがある。こちらの方も発表会というのがあって、他の受講生はそれぞれソロの発表をされて、最後にアンサンブルの発表ということになっている。初めてのところなので勝手は分からないが、たぶん、内輪の「弾き合い会」的な要素の強い発表会ではなかろうかと思う。そのあたりは、毎週、練習に行っているアンサンブルの「演奏会」とは様相が違う。演奏会というのは、基本的にはメンバー以外の聴衆を入れて弾くものだ。発表会の方は、たぶん子供の受講生ならお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんが総出で聴きに来るが、そういう人たちは自分の子供なり孫なり以外の演奏にはあまり関心がないから、アンサンブルの発表のときには果たして聴衆はいるのか???

 しかし、だから演奏会の方が発表会よりも演奏のレベルが高いわけではない。発表会で弾くのは1曲だけだし、数ヶ月に1回とはいえ、その1回のレッスンでは2時間の間、その1曲だけを練習する。毎週通っているアンサンブルの方は、指導される先生のキャラクターもあるのかもしれないが、同じ曲を何度も弾くようなことはしないし、同じフレーズの練習を、そこが出来るまでやる、というようなこともない。中には結構、上手な人もおられるので、いちおう最後まで通せるけれど、たとえば音程がぴったり合うとか、そういうことはあまりない。ところが、2時間の間、1曲だけを弾く方のレッスンは、出来ないところは繰り返し練習させて、音程もリズムもぴったり合うまで指導される。どっちも私にとっては結構ハードなタスクだ。

 その数ヶ月に1度のハードなレッスンが、先日のロビーコンサートと重なってしまって、1回お休みになった。その分を補うために、はじめてそこのスタジオで個人レッスンを受けることにした。
 初めてのことなので、アウェイ感満載。入り口で靴を脱ぐのはアンサンブルレッスンのときと同じだが、そのあと果たして部屋に入っていいのかどうか(たまたまその日の先頭だったので入っていいみたいだった)、入ったら今度はどこで待っていればいいのか(あとでわかったが、外で待っていないとダメだったみたいだ)、レッスンが始まると、立って弾くのか座って弾くのか、どこに座るのか、最初は曲を通すのか、ぜんぜん別の指示があるのか、おろおろするばかり。

レッスンを受けてわかったことは、
ハモるとキレイ
ということ。先生と二人なので、きれいにハモればノイズなくハモる。大勢でやっていると、いくら同じフレーズを繰り返し練習しても、こんなレベルでハモることはない。毎週何曲も通すだけのアンサンブルだとなおさらで、本当はキレイな和音を聴かせるところでも必ず濁った音がする。ところが二人で弾いていると、ハモっているときとハモっていないときは、はっきりわかる。それでハモっていないところは、普段は自分がハーモニーを濁しているということだ。

 個人レッスンは初めてなので、先生も気を遣っておられるのか、あまり厳しいことは仰らず、ハモっていないところを何箇所か拾って、「この部分、もういちど弾きましょうか」という感じでソフトに、「ここ、ちゃんと音程を合わさないとダメですよ」という趣旨のことを仰る。普段からソロのレッスンを受けておられる方に様子を聞いていると、ちょっとでも音程が合わなければ目からビームが飛んでくるのではないかと思われるほどハードなレッスンのようなのだが。たぶん、2度目のレッスンになると、前のレッスンのときに言ったことが直っていないので、やや厳しさが増し、3度目になると、何度言っても直らないのでさらにハードになっていくのだろう。もういちどこの先生の個人レッスンを受けることがあるかどうかは分からないが、違う先生のレッスンを受けるというのは、結構、勉強になるかもしれない。

ちゃんとした「譜読み」を目指して

 いつものスタジオの発表会まであと2ヶ月。まだ先と思っていたものがかなり近づいてきた。曲は1曲(第1楽章と第4楽章なので「2曲」という捉え方もできるが)だけだし、ほぼ暗譜もできている。ただ、この「ほぼ」というのが曲者だ。
 レッスンでは、たいてい、最初に、この曲を最初から最後まで通して弾くように指示がある。そういうときにちゃんと通せない。レッスンでちゃんと通せないものが本番で通るはずがないのだが、どれだけ練習してもちゃんと通せないのだ。これは練習しているときも一緒で、「よし、最初から最後まで通すぞ」と勢い込んで弾き始めるのだけれど、必ず途中で引っかかる。アンサンブルのときの癖で、そういうときには頭の中でリズムだけとって先に進もうとする。それができれば、甘々基準ではあるけれど、「いちおう最後まで通った」ということになる。頭の中にリズムが描けなかったり、描けていても戻れなかったりすると、しばらく前まで戻ってそこを弾き直す。先生によると
駄目ですよ。そういう練習は。
ということだ。曰く、それだと何処で躓いたのかが自分の印象に残らない。曰く、何回やっても実は同じところで躓いている。曰く、躓いたところには楽譜にマークをして二度と躓かないようにする。曰く、100回通せとは言わないけれど、そのフレーズを10回連続で躓かずに弾けるようになるまで他のフレーズに行ってはいけない。曰く、楽譜を見てもどこを練習してきたのかが分からないけど、いつも同じところで躓いている。

 そんなことで、先週から練習の方法を変えて、徹底的に楽譜を目で追って練習するように切り替えた。それまでは、ほぼ暗譜していることをいいことに、譜面台も用意せずに練習していたのだが、それでは駄目だということだった。譜面を見る時はちゃんと見て練習しましょう、ということだった。
 躓いたところには丸印を付ける。どうして躓いたのかを考えてやり直す。10回間違わずに弾けたら次のフレーズ。間違ったら回数をクリアしてそこからまた10回。これがなかなか10回続かないので、基準が甘くなってとりあえずは5回ということにしてしまったのだが…。

 そんなことで本番までになんとかワンステップ上のランクに持って行かなくては。
 そういうえば、今年の目標は「愉しむこと」だったのだが、いつの間にかこうして技芸の上達に励んでいる。

2018年6月16日土曜日

定期演奏会に向けて

 アンサンブル練習に向かう電車で先生と一緒になった。開口一番、先週のロビーコンサートは楽しめましたか? と聞かれ、楽しめたけれど、上手く弾ければもっと楽しいはず、と欲も出てきたと答える私。他のメンバーがどうとかいうのは関係なくて、自分にもっと才能があれば、奇跡の指や奇跡の耳があれば、どんなに楽しいだろうかと思う。

 練習の方は、定期演奏会に向けてシフトチェンジ。まずは譜読みなのだが、ただ楽譜とにらめっこしながら音を出すことだけでなくて、ネットで音源を探して曲の雰囲気を知っておくとか、覚えるまで聴き込むとか、素人は素人なりにやっておくことはあると思う。最近、そういうことがあまりできていなかったので、反省して、定期演奏会の曲を聴き込むことにした。



 作曲された年代の古いものから順に。まずはパーセル。この時代の音楽は、なんとなくパターンさえ覚えれば旨くいきそうに思えるのだが…



 モーツアルトにはモーツアルトの楽しさと難しさがあるように思う。パート練習で特区調的なフレーズをいくつか弾くだけで、「あぁ、モーツアルトだなぁ」と思えるところはモーツアルトの偉大さか。



 ロビーコンサートでも弾いたが、定期演奏会でも再び演奏するそうだ。リベンジだな。



 新しい曲になるほど、展開も複雑になるし、高度な技巧も求めてくる。それまでにあったものの模倣ではなくて、常に新しいものを追い求めているからなのだろう。これは4月からやっているのだけれど、いまだ最後まで通せない。

 と、まあ、いちいちネットを探し回らなくても、このページさえ見れば聴き込みが出来るようにという、いたって個人的な事情で書いた記事でした。

2018年6月10日日曜日

ロビーコンサートの反省

 県内の町のホールで開催されるロビーコンサートに載ってきた。昨年も載っているので、これが2回目。昨年の様子を見ていると、その前の年の定期演奏会の曲からいくつかチョイスして、そこにちょっと簡単なのを足して演奏しているみたいだったので、気を緩めていたのだが、その油断を突かれてしまって、まさかの全曲入れ替え。日曜日が本番というのに前の週の木曜日に楽譜を渡されるというようなこともあって、結構ハードな選曲だった。とは言っても、全体的にそんなにハードルは高くはないはず。バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」だとかパッヘルベルのカノンだとか、すっかりおなじみの曲もある。カノンは、毎年、団員の上達を測るためにベンチマーク的にプログラムに入れているらしい。そういえば、去年もここで弾いたように思う。

 会場は、この町では最大級の立派な建物なのだが、何度もいうがホールではなくロビーなので、そんなに大勢の椅子を並べることもできない。見たところ、出演者と客席の椅子の数が同じぐらいか。しかし、空席もなく、立ち見まであるというのは大した集客力だ。どういう手続きをしてどれぐらいの費用を出せばこの場所を押さえられるのか定かではないが、毎年、こうして定期的にコンサートを開くためには、練習以外にいろんな段取りもあって、結構たいへんなはず。出演者の大部分は助っ人なのだが、そういう段取りだとか、客集めのお手伝いにはならないばかりか、むしろそういう助っ人が多ければそれだけ手間はかかってしまうはずなので、よくやっておられるなぁ、と感心する。

 それで、ちゃんと助っ人になれたのかというと、いちおう、このアンサンブルにはヴィオラがいないので、その意味ではお力添えできたはず。ガードレールに当たるぐらいの小さな事故はいくつもあったが、道路から飛び出すような大きな事故もなく、いちおう無事に終わった。練習と違って、時間が来ると嫌でも終わる。

 弾けないのは、ひとえに練習が足りないからなのだが、今回は、譜読みを丁寧にしないといけないと実感。いや、そもそも「譜読み」ってどこまで出来たら「譜読みした」ことになるのかについて、いままでずいぶん甘々な基準だったように思う。音符の並び方の音楽的な意味だとか、何かそういうところまで読み取って、やっと譜読みなんではないか、などと思ったりする。英語の長文を読むときに、日本語に訳せれば「読んだ」ことになるのかと言えば、そうではなくて、日本語の文章と同じように、説明文なら作者の主張とその論拠を理解して、それに対する自分の意見を持てるようになって、小説なら、描かれている情景を思い浮かべながら、登場人物の気持ちに思いを馳せ、それに対する共感や反発を感じるようになって、はじめて「読んだ」ということになる。譜読みも同じで、たとえば複数のパートが掛け合いをするなら、自分の弾くフレーズがどのパートのどのフレーズから導き出されるのか、自分のパートがどのように他のパートにつながっていくのか、ちゃんと分かっていないとダメだし、ゆっくりしっぽり聞かせる曲なら、和声の構造だとか展開だとか、そういうことも大事なんだと思う。どうもいままでは、英単語の意味を調べるだけで「読んだつもり」になっていたようだ。

 

2018年6月3日日曜日

ヴィオラの音

 来週はロビーコンサートの本番なので、今日のレッスンはその曲から見ていただくことになった。これは、自分としてはやや妥協。先月の記事にも書いたのだが、アンサンブルといつものスタジオのレッスンでは、練習の方向性が違っていて、あまり一緒にはしたくなかったのだ。アンサンブルの方は、とにかく曲が多い。それに、来週が本番だというのに、その3日前の練習でもう1曲、楽譜を渡します、といった調子。先生も
本番は上手な人が来てくれるので大丈夫
という変な確信を持っておられて、本当に大丈夫なのかどうかはよくわからない。いつものレッスンは、とにもかくにも発表会という目標があって、そこは一人で弾くわけだから、間違えてでも何してでも最後まで弾かないといけないのだが、最近はハードルが上がっていて、子供たちの発表会に行くと、途中で間違える子はいないし、上手というより、どの子も聴かせに来ている感じのアグレッシブな演奏をする。それを聴かされると、自分もという思いになるし、となると、普段のレッスンでも
1点狙いの濃厚なレッスン
を期待するところになる。
 ところが、これがあまり思うようにいかず、いつも言われることは同じで、全然前には進まず、ひと通り弾いて、聴いてもらって、前回と同じコメントをもらうと、もうやることがない、というような状態になってしまう。もちろん、前回言われたことは少しでも克服しようと練習もするのだが、ただでさえ限られた練習時間を、発表会用の練習とアンサンブル用の練習に振り分けるのだから、2週間後のレッスンで聴いてもらって
はい解決 それじゃ次はここに気を付けて
とはならない。ましてや、本番が近づいてきて、しかも曲が大量で、そこそこの難易度もあるので、練習時間の配分も7:3ぐらいでアンサンブル中心になってくる。

 そんな状況だったので、前回のレッスンのときに、次の本番の前に1回、レッスン入れましょうか と仰っていただいたのは、助かったような、負けたような、なんかちょっと複雑な思いだった。

 ともあれ、発表会で弾くいつもの曲は後回しにして、ロビーコンサートの曲を聴いてもらう。と、いっても、本番は上手な人が来るから大丈夫、と言われているレベルだ。先生も笑うしかない、といった表情で、こちらも、
楽しんできます
としか言いようがない状態。もっと早く見せてくれたら、なんとかなるんですけど、もう来週だから、ここは弾いているふりだけしておいてくださいということになった。随分酷い言われ方のように思われるかもしれないが、そういわれても仕方のない出来だ。

とはいっても、すべての曲がこんな調子ではない。中には比較的ちゃんと弾ける曲もある。他に何か見てほしい曲ありますか、ということだったので、シャンソンの名曲「愛の讃歌」を見てもらう。これは、練習の最初の方でウォーミングアップ的にやるのだが、主旋律はヴァイオリンで、ヴィオラは、
レーファーソーーーミーーー
というような、ひたすらロングトーンが続く。そこに「あなたーーの燃ーえるー手でーーー」という旋律が載るのだが、これが結構、弾いていて気持ちがいい。気持ちがいいのだけれど、もうちょっといい音色で溶け込むように弾いてみたい。先生によれば、そういう思いがきつすぎて
響かせよう
と体中、かちんこちんになっているから、弦の自然な響きが押さえつけられてしまって、かえって響かなくなっている。そういわれて弾いてみると、
ほら、だいぶ良くなったでしょ
ということになった。実は「ほら」といわれるほど自分では分かっていなかったのだが、確かに、なんかこの音じゃないんだけどなぁ、というモヤモヤ感はなかった。たぶん良くなったのだと思う。

この調子でいつものレッスンで見てもらっている曲を弾く。C線やG線は軽く弾くだけで自然と響くけれど、高い音はやはり弓毛で弦を掴みに行くところを意識しないと「へなっ」とした音になる。私の場合、弦によって音が違いすぎるということも、初めて指摘された
自分では分かっていたのだが、理論的にも少しわかった。

 あとは、とにかく丁寧に
 リズムもやや雑なのだが、一番目立つのが移弦。移弦だとか弓の返しのタイミングが左手と会わないから、楽譜にない音が途中に混ざってしまう。あるいはそこで慌てているみたいな印象の演奏になっている。それを回避するには、覚え方はどんな覚え方でもいいので、楽譜を覚えて、次の音が何かぐらいは意識して、例えば次はこの絃に移弦するということを意識したら、自然と右肘が動くんだけど、それが、楽譜を見て慌てて移弦している感じだからダメなんだ、とのこと。

 ま、とにかく練習なんだけど、やみくもに練習するのではなく、ポイントがいくつか出てきたので、ちょっとやり易くなった。といっても1週間ではなんともならないので、忍者の里でステージから消える術を練習するか、狸の里で化ける練習をするか、そんなことで来週は乗り切ろう。