2017年9月17日日曜日

Edward W. Elgar

 演奏会のプログラムに掲載する曲の紹介を書くことになったので、図書館に行って、作曲家の女性関係を調べたりしたのだが、その所為があって、ひとつ書き上げることができた。自分で言うのも何だがそこそこの出来だ。読んで演奏を聴く楽しみが増えればと思う。遠くで演奏会にお越しいただけない方のためにフライングでご紹介したい。お近くの方で興味を持たれた方は是非お越しいただければと思う。

 ちなみにこの曲の紹介だ。




Serenade for Strings Op.20, Edward W. Elgar, 1893, Malvern.

弦楽セレナーデ作品20は、エルガーが、1893年に、10歳ほど年上の妻、キャロライン・アリスとの結婚3周年を記念して作曲したと言われている。特に第2楽章の甘美なメロディからは、彼の深い愛情が感じられる。
エルガーは愛妻家として知られているが、浮いた噂がないわけではない。もっとも有名なのは、1902年から生涯続いたアネモネとの交流であろう。二人の交流は妻も公認のものであったが、1989年に、アネモネが残していたエルガーの書簡が「アネモネの手紙」として公表され、誰もが考えていた以上に二人が親密な関係であったことがわかった。それでも一線を越える関係であったかどうかは明らかではない。
弦楽セレナーデ作品20が作曲されたのは、エルガーがアネモネと出会うよりも前である。このころエルガーは、女子学校の音楽教師の職にあり、その学校の校長、ローザ・バーリーがエルガーに対する深い愛情を抱いていた。しかし、エルガーの方ではまったくその素振りはなかったという。彼女の回想によると、エルガーは考えられないほど抑圧された人間で、無数の非難を浴びるという恐怖に憑りつかれ、いわば内面に閉じ込められた状態だったのだという。この内面の自由、つまり、行動を伴わなければ心の中で何を考えていても許されるという自由は、近代以降の個人に与えられた自由の核心といってもよい。妻への愛情と愛妻家というイメージで自分を抑圧していた彼は、この内面の自由によって何を想像し、どんなロマンスをこの曲に込めたのだろうか。
この曲の第1楽章は、何かに追われているような旋律で始まる。彼を追うのは、妻のアリスではなく、醜聞に飢えた世間の目であったり、愛妻家という虚構から得られる彼のプライドだったかもしれない。この旋律はたびたび登場して第1楽章全体に逃げ場のない雰囲気を醸し出す。途中、ヴァイオリンが甘美な会話をするように美しい旋律を奏でる間も、低弦はどこか不穏な旋律を送り続ける。そして、その甘美な会話が衝撃的な旋律で遮られ、再び何かに追われるような旋律が始まる。最後は都会の雑踏の中に逃げ込むように曲が盛り上がり、静かにドアが閉じられる音で、第2楽章に続いていく。妻とのロマンスを思い描きながら作った曲ならば、なぜ第1楽章にはこんなにも緊迫感があるのだろう。彼はこの作品でいったいどんな情景を思い描いたのか。
想像するのは自由だ。貴女もエルガーがこの曲に込めた情景を想像してほしい。貴女はいまシルクのドレスで身を包み、恋のアヴァンチュールを楽しんでいるところ。演奏会のあとは、ふたりで都会の雑踏に消えてゆき・・・(18歳以上限定)。

参考文献
フリッツ・スピーグル 著 ; 山田久美子 訳.  恋する大作曲家たち.  音楽之友社, 2001.3. 446p ; ISBN 4-276-21061-5 :
水越健一 著.  エドワード・エルガー希望と栄光の国.  武田書店, 2001.6. 220p ; ISBN 4-88689-016-4 :




お越しになってプログラムを見た時に、これと違う原稿に挿し変わっていたら、他のメンバーからNGが出たということなんだが、解釈は聴く人に任されているので、気に入っていただければ是非アヴァンチュールを楽しみに来てください。

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