2014年9月14日日曜日

夏目漱石と発表会レポート

 夏目漱石の「こゝろ」が新聞に連載されて今年が100年目だそうだ。夏目漱石と言えば、随分昔に「坊ちゃん」を読んだきりで、他は何も読んだことがない。中学生の娘の夏休みの宿題に出された読書感想文のために選書をして遣る親がこれでは不可ないと、此の夏に漱石を何冊か買い込んで読むことにした。娘と違って読書感想文を書く必要もないし、書いた処で誰が読んで呉れる訳でもないのだが、若し書くとすれば何を書けば好いのか大層困ったのに違いない。
夏休みの読書課題

 その昔、日本文学を研究されておられる方から、こんな話を聞いた。其の方は森鴎外をご専門にされておられるのだが、其の森鴎外を読む時、必ず「自分」というフィルターを通して読むことになるので、文学を研究する目的は、その研究を通じて人間の普遍的な在り方を解き明かすことであるが、その時に研究対象となる作家やその作品に描かれている人物を研究している様で在りながら、実は自分が最も造詣が深く、然し自分にとって最も摩訶不思議なる人物、即ち自分自身を研究することに外ならぬ、と言うのである。
 私は其の森鴎外を研究されたる方の如き知識人にはあらねども、紛いなりに夏目漱石の作品を読んで読書感想文を書くならば、夏目漱石やその作品に描かれた人物を、自分自身の中にどのように投影したかを主題とせねばなるまい。然るに、漱石が其の作品の中に書き顕わしたる思想の深きは、大凡、吾が如き凡人の心の器には余りあるものであり、読了しても猶、其の全容を己が心に消化しきるを得ずして、何事かを語るに堪えない。若し感想を聞かれることあらば、其のことを申し述べて、彼の人にも読書を奨める外あるまい。

 さて、子供の発表会なるものは、其の技芸の上達を発表する場であり、如何に上手に演奏し得るかを競うが如きものと成り勝ちであるが、大人の発表会ともなると其れとは目的を異にするものと思わねばならぬ。其れは理としては承知したるものの、いざ舞台に立てば上手に弾かねばとの思いを抑えること適わず、遂には緊張の余り不本意なる演奏に終わること珍しきことにあらず。如何に適切なる緊張の下に舞台に立ちたるか、或いは技芸の上達以外に己が何を其の場で発表したるかと言う命題は、吾等大人に成りて楽器を習いたる者の永遠の課題とも言えよう。

 其の様に考えたる或る時、何時も拝読する或る方のブログに、此の命題に光を充てんとする記事を見つけたる故、何か此れに対する感想文を書かんと試みるだが、夏目漱石の名著の如く、その記事に含まれたる含蓄の深きを吾が文才に留めることが不可いので、此処は其の記事を直接読んでみることを奨める外ない。

「『魔法使い』の弟子 シロートの、シロートによる、シロートの為のオンガク日記」より
「発表会、と、デート。」(2014.9.9 ふーたさん)
http://ameblo.jp/foo-ryu-ta/entry-11893220395.html

 此の方のブログ全体に描かれているのは、師匠と表記されたる彼の師に対する信頼と憧憬ではなかろうかと思う。冗談めかして面白可笑しく書かれているが、師への思いを経糸に、彼の人の人格の成長と確立を緯糸に織り込んだ、素晴らしい記事だった。毎年、発表会をされているようなので、是非来年は、こっそり場所を教えていただいて拝聴に参りたいと思う。

2 件のコメント:

  1. ぶふふ。
    どんなふうに書いてくれてるのかと思ったら、夏目漱石だった♪
    なんか、くすぐったいなぁもう。
    でも、直接は何も書いていなかったのに、信頼という言葉が出てきたのは、すごいですね。大正解。まさしく、ふーたの師匠に対する気持ちは、信頼、です。
    あ、発表会は二年後ですよ~。お互いバイオリン続けて、是非、聞きあいしましょう!

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    1. もっといろいろ感想を書きたかったんですけど、読んで、読んで、何度も読んで、読むたんびに

      そっか、そうよね、そうだよな、

      って思ったので、何も紹介を挟まずにそのままリンクしたんです。
      夏目漱石に劣らない文才ですよ。
      だから、ここが特によかったとか、ここは自分もそう思うとか、そんなん感想ぐだぐだ書くより、とにかくみんな読んでみて、って感じです。

      発表会は2年後ですか?
      楽しみにしています。

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