8年間お世話になったバヨ先生の最期のレッスンが終わった。
なんだか卒業式のような気分だ。
レッスンの内容はいつもの通りで、例えば、下げ弓のときはもっと前に手を出して、とか、前屈みになると楽器の角度が変わるからダメだとか、移弦のときは脇を意識してとか、そういうことなんだけれど、そこへの持って行き方がいつもと違っていて、最初に褒められて、せっかく出来ているのだから自信を持ってもっと弓を大きく使ったらもっといいですよ、と言われて、弓を大きく使うという文脈の中でそういう注意が出てくる。
いつもは、注意をされると、注意されたところばかり注意して、全体としては萎縮した感じになってしまうんだけれど、こう言われると、なんか、
もう貴方は大丈夫。ひとりでも生きていけるわ。
と言われているようで、自信を持って巣立って行ける気がする。
私が知る限りバヨ先生は、演奏活動はあまりされていなかったけれど、レッスンは何箇所かでされていたようだったから、ご自身の演奏会準備の片手間というのではなく、どう教えるかということをいつもよく考えてくださっていたと思う。
成績が良かったかどうかは別にして、無事こうして卒業式を迎えられた。感慨無量だ。
最後に、かねてから、先生が辞められるときには楽譜にサインをもらおうと心に決めていたのだが、今回はそれを実行に移した。
先生にサインをもらう用に買った、バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ、ベーレンライター版の表紙に、と考えていたのだが、たぶん、これにサインしてもらったら本棚の飾りになって、一生それを開くことはないだろうと思い留まって、思い出深いコレルリのトリオソナタの楽譜の表紙にサインしてもらった。
サインなんてしたことないから、持ってないですよ。
と仰っておられたので、これがバヨ先生が書かれた最初のサインというプレミアムも付いた。
残念ながらネットの公開はNGで、大事なものだからバヨ会に持っていてて見せびらかすこともしないと思うので、どんなサインだったかは、先生の美貌とあわせてみなさんの想像にお任せします。
2014年3月23日日曜日
2014年3月18日火曜日
最後のレッスン前の憂鬱
バヨ先生の最期のレッスンが近づいてきて、今週辺りから何かそわそわした気分になっている。最後だからといって何ができる訳でもない。気持ちのうえでは
先生、これ最後のレッスンのために
一生懸命練習してきたんですよ
なんていいながら、これまでの集大成のような難曲を弾いて、
ここはもっとこうした方がいいですよ
先生、こうですか
なんてことを言ってもらって、最後に「合格」をもらいたいところなんだが、レッスンの時間も、それまでの練習の時間も限られている。しかも、いまやっている曲はソロだし、お別れデュオもできない。
なんか最後のレッスンの翌日に、「こうしておけばよかった」なんてすごい後悔しそうな気がする。いっつも、こういうところがダメなんだよなぁ。
そんなことを考えつつも、今年1月の復活以降、順調に練習を続けている。1日に出来る時間は限られていて、だいたい30分ぐらい。時々1時間ほど出来ることもあるが、15分だけという日もある。それを週に3日~5日。1時間ぐらい練習出来るときはいろんな曲を混ぜているが、30分以下のときはほとんど1曲で終わる。
まあ、そうやって1曲だけをコツコツと練習していくのは、取り敢えず1曲弾きたいというおじさんにはいい練習かもしれない。それも週に3日~5日というのは、休日を除けばほぼ毎日というペース。おかげでそこそこには弾けるようになってきた。
最後に先生の前でバッチリ弾いてみたいものなのだが。
先生、これ最後のレッスンのために
一生懸命練習してきたんですよ
なんていいながら、これまでの集大成のような難曲を弾いて、
ここはもっとこうした方がいいですよ
先生、こうですか
なんてことを言ってもらって、最後に「合格」をもらいたいところなんだが、レッスンの時間も、それまでの練習の時間も限られている。しかも、いまやっている曲はソロだし、お別れデュオもできない。
なんか最後のレッスンの翌日に、「こうしておけばよかった」なんてすごい後悔しそうな気がする。いっつも、こういうところがダメなんだよなぁ。
そんなことを考えつつも、今年1月の復活以降、順調に練習を続けている。1日に出来る時間は限られていて、だいたい30分ぐらい。時々1時間ほど出来ることもあるが、15分だけという日もある。それを週に3日~5日。1時間ぐらい練習出来るときはいろんな曲を混ぜているが、30分以下のときはほとんど1曲で終わる。
まあ、そうやって1曲だけをコツコツと練習していくのは、取り敢えず1曲弾きたいというおじさんにはいい練習かもしれない。それも週に3日~5日というのは、休日を除けばほぼ毎日というペース。おかげでそこそこには弾けるようになってきた。
最後に先生の前でバッチリ弾いてみたいものなのだが。
2014年3月9日日曜日
レクチャコンサート拝聴
先月に引き続き、隣県の県庁所在地までアマチュアのカルテットを聴きに行ってきた。今度はロビーコンサートではなく、7~8百人は入ろうかという立派なホール。前回も書いたが、プロではなくてアマチュアでこんなホールを借りて、いろんな段取りをして、練習もして、それも4人だけでコンサートをするなどというのは凄いことだと思う。ただ演奏をするだけでも凄いと思うのだが、今日のコンサートはもっと凄かった。ただ弦楽四重奏を演奏して聴かせるというだけではなくて、それに解説が入るのだ。アマオケの演奏会に行っても、プログラムの曲目紹介で簡単な薀蓄が並べられていることはあるが、今日のをそんなふうにプログラムに載せたら、きっと2~30ページの立派な冊子になるだろう。それもただ話をするだけではなくて、途中で実際に演奏して例示をしたり、手拍子を打たせたりと、とにかくステージの上にいる人の「楽しませよう」という思いが伝わってくる。
弦楽四重奏がどういうものなのか、ソナタ形式がどういうものなのか、そういうことを実際に演奏する曲を例にして説明された後でその曲を聴く。そうすることで、とりわけ普段はあまり意識しないセカンドヴァイオリンやヴィオラの音を良く聴くことが出来た。「主旋律以外のところは実はこんなふうにしているんですよ」という話しがあって、いくつかのフレーズを例示されていたので、「うん、なるほどなるほど」と思って、それを聴き取ってやろうと思って聴いていると、セカンドヴァイオリンもヴィオラもいい味を出している。4つのパートそれぞれを楽しめたので、何も話を聞かないで曲を聴くよりも4倍聴けたように思う。
解説を聞いて音楽を聴くというのは学校の音楽の時間のレコード鑑賞みたいなのだが、学校の音楽の時間はこんなには興味を持てなかった。今日のが授業だったらもうちょっと成績良かったかもしれない。
弦楽四重奏がどういうものなのか、ソナタ形式がどういうものなのか、そういうことを実際に演奏する曲を例にして説明された後でその曲を聴く。そうすることで、とりわけ普段はあまり意識しないセカンドヴァイオリンやヴィオラの音を良く聴くことが出来た。「主旋律以外のところは実はこんなふうにしているんですよ」という話しがあって、いくつかのフレーズを例示されていたので、「うん、なるほどなるほど」と思って、それを聴き取ってやろうと思って聴いていると、セカンドヴァイオリンもヴィオラもいい味を出している。4つのパートそれぞれを楽しめたので、何も話を聞かないで曲を聴くよりも4倍聴けたように思う。
解説を聞いて音楽を聴くというのは学校の音楽の時間のレコード鑑賞みたいなのだが、学校の音楽の時間はこんなには興味を持てなかった。今日のが授業だったらもうちょっと成績良かったかもしれない。
2014年3月8日土曜日
新バヨ先生初対面の引継レッスン
いつものようにレッスンがあった。いつもと違ったのは、4月からこのスタジオのヴァイオリンのレッスンを引き継がれる新しい先生がおられたこと。新しい先生は、今日は何もおっしゃらずにただレッスンを見ておられた。いまの先生の後輩の方らしいのだが、直接のつながりはあまりないのかもしれない。
多少の緊張をしつつ、いつもの曲を通して聞いていただく。苦手なところには漏れなくチェックが入ってくる。もう8年も続けていると、あ、ここはチェックが入るな~、というのも何となくわかる。「しまった」と思うところに全部チェックが入るわけではなく、取り敢えずここだけは何とかしたいと思うところを、まるで言い当てるかのように、「ここ、もう一度しましょうか」と言われる。何を言われるのかをこっちが先回りしているというのもあるのだろう。
この曲の中で初めてC線を弾くところ、ヴィオラにしかない弦なので「ドヤッ」と弾きたいところなのだが、それがそうならない。弓をたくさん使うのではなく、深く掘るように、と言われると身体全体でスイングしてしまうのだが、そうではなくて、腕の重みをグッと乗せるそのときに、左手の方もしっかり指で弦を押さえる。だいぶ感じが違う。
この曲をやっていて、今日は初めて音程を注意された。チェロのための曲なので、2度の間に指が3本入ったり、短3度に4本を集めるようなところがある。半音刻みのプチポジ移動もあるのだが、そういうところの音程がわるい。うむむ、それはそう思っていたところなのだが、やはり誤魔化せぬか。元の音の半音上を取るときは、元の指をそのままにして、その上に指を重ねるように、半音下を取るときは元の指の下に付けるように、5度を取るときは手首をしっかり入れて指が弦と直角になるような感じで。
忘れませんよ、今日、聞いたこと。ちゃんと練習します。移弦のときに手首で移弦してしまう癖も直します。何かのご縁でまたいつかレッスンをしていただくときが来た時に「相変わらずね」と思われないように。
さて、次回が本当に最後のレッスン。そういうときって、どうしたらいいんでしょうね。
多少の緊張をしつつ、いつもの曲を通して聞いていただく。苦手なところには漏れなくチェックが入ってくる。もう8年も続けていると、あ、ここはチェックが入るな~、というのも何となくわかる。「しまった」と思うところに全部チェックが入るわけではなく、取り敢えずここだけは何とかしたいと思うところを、まるで言い当てるかのように、「ここ、もう一度しましょうか」と言われる。何を言われるのかをこっちが先回りしているというのもあるのだろう。
この曲の中で初めてC線を弾くところ、ヴィオラにしかない弦なので「ドヤッ」と弾きたいところなのだが、それがそうならない。弓をたくさん使うのではなく、深く掘るように、と言われると身体全体でスイングしてしまうのだが、そうではなくて、腕の重みをグッと乗せるそのときに、左手の方もしっかり指で弦を押さえる。だいぶ感じが違う。
この曲をやっていて、今日は初めて音程を注意された。チェロのための曲なので、2度の間に指が3本入ったり、短3度に4本を集めるようなところがある。半音刻みのプチポジ移動もあるのだが、そういうところの音程がわるい。うむむ、それはそう思っていたところなのだが、やはり誤魔化せぬか。元の音の半音上を取るときは、元の指をそのままにして、その上に指を重ねるように、半音下を取るときは元の指の下に付けるように、5度を取るときは手首をしっかり入れて指が弦と直角になるような感じで。
忘れませんよ、今日、聞いたこと。ちゃんと練習します。移弦のときに手首で移弦してしまう癖も直します。何かのご縁でまたいつかレッスンをしていただくときが来た時に「相変わらずね」と思われないように。
さて、次回が本当に最後のレッスン。そういうときって、どうしたらいいんでしょうね。