あまり縁のない人にとってはヴァイオリンなんていうのはとても高尚な楽器のように思われているかもしれない。けれど、自分でヴァイオリンやらヴィオラやらを弾いていると、感覚的には、バンドをやっている人のギターに対する思いとそれほど変わらない感覚で楽器と接することができる。確かに特別なものではあるけれど、どこか遠くにある特別なものではなく、身近にあるからこそ特別なものだと思う。
いやしかし、それだけで済ませておくと、自分の弾いているいい加減な音に耳が侵されてしまって、ヴァイオリンを弾きたいと思う原動力をうしなってしまう。たまには高尚で優雅な音を聴いたり、クラシック音楽の歴史を勉強したりして、この楽器をちゃんと弾いたらこんな音楽になるんだ、ということも再認識していくことも必要だ。
名付けて「ヴァヨタミン補給」
アマチュアでされておられる弦楽四重奏団が、来月、演奏を聴きながら音楽の勉強もしようという「レクチャーコンサート」というのをされる。今日はその情宣のためのロビーコンサートがあったので、隣県まで「下見」をしにいった。おかげでレクチャーコンサートがますます楽しみになってきた。
これはいろんな意味でヴァヨタミン補給になると思う。
ひとつは音楽を生で聴くということ。それから、レクチャーコンサートの趣旨の通り、音楽の勉強ができるということ。それから、それをされているのがヴァイオリンで生計を立てるプロではなくて、他に仕事を持っておられるアマチュアだということだ。楽器に限ったことではないが、大人になって何かをやろうとしたときに「やっぱり止めておこう」と、入口の扉を閉ざしてしまう理由はいくらでもある。そのいちばん大きな理由が時間的な制約だと思う。毎日仕事やっているからそんなことをしている時間がない、という理由だ。だけど、今日見てきた人たちは、みんなそれぞれ仕事を持っているのに、楽器の練習ももちろん、他にもいろいろな準備をして、こうしてコンサートをされようとしているではないか。
もちろん、人生の折り返し点が近づいたところでヴァイオリンを始めた私には、人前でコンサートを開くなどといったことは出来そうもないが、それでも何か楽器や音楽と向かい合う方法はあると思う。今日はロビーコンサートなので時間は短かったが、弾いている人を間近に見ることが出来た。来月はちゃんとしたホールでしっかり聴かしてもらえる。今日に引き続いて再びヴァヨタミン補給が出来るのが楽しみだ。
2014年2月20日木曜日
先生のご退職
8年間お世話になったバヨ先生が、出産のために退職されることになった。落ち着かれたら復職されるのかなと期待していたのだが、いろいろとお考えがあってのことだろう。
スタジオでヴァイオリンを習い出したころは、いまの先生とは別の男性の先生だった。その先生が留学されるということでいまの先生に交代された。そのころはまだ音大の学生さんだったはずだ。
お世話になった8年間の間に3回の発表会があった。発表会で弾いた曲はどれも思い出深い曲だ。2回目の発表会からは他の楽器との合奏も加わった。先生の隣で先生と同じパートを弾いたときの安心感はいまも忘れられない。この歳でもステージに立てば緊張する。周りの人はみんな上手で、自分一人がアウェイの場所に来たような気分だったのが、先生が隣で同じパートを弾いてくださるというだけで、急にそこがいつもレッスンを受けているスタジオのような、ホームの気分になったものだ。
レッスンの間隔が1ヶ月ほど開くこともあるのだが、いつも先生は、前回のレッスンで何が課題だったかをきちんと覚えてくださっていた。うちのスタジオのヴァイオリンの受講生はなぜか中年男性が多いのだが、どの受講生も毎回のレッスンを楽しみにしていた。スタジオの奥さんによると、ヴァイオリンの受講生はレッスンが終わるとみんな溜息をつきながら事務室に入ってくるそうだ。今日も出来なかった、進まなかった、ということなのだが、それでもヴァイオリンを続けているのはそれが楽しい証拠。本当は将来ある子供たちのレッスンの方が遣り甲斐があったかもしれないのだが、わたしたち中年男性相手でも決して手を抜かれない先生のレッスンのおかげで、みんなヴァイオリンを続けてこられたのだと思う。
先生は代わられるが、これからもヴァイオリンを続けていこうと思う。いままでお世話になった先生にどこかでお会いしたときに、まだヴァイオリン続けていますよ、と言えることがお世話になったことへの恩返しだと思う。
スタジオでヴァイオリンを習い出したころは、いまの先生とは別の男性の先生だった。その先生が留学されるということでいまの先生に交代された。そのころはまだ音大の学生さんだったはずだ。
お世話になった8年間の間に3回の発表会があった。発表会で弾いた曲はどれも思い出深い曲だ。2回目の発表会からは他の楽器との合奏も加わった。先生の隣で先生と同じパートを弾いたときの安心感はいまも忘れられない。この歳でもステージに立てば緊張する。周りの人はみんな上手で、自分一人がアウェイの場所に来たような気分だったのが、先生が隣で同じパートを弾いてくださるというだけで、急にそこがいつもレッスンを受けているスタジオのような、ホームの気分になったものだ。
レッスンの間隔が1ヶ月ほど開くこともあるのだが、いつも先生は、前回のレッスンで何が課題だったかをきちんと覚えてくださっていた。うちのスタジオのヴァイオリンの受講生はなぜか中年男性が多いのだが、どの受講生も毎回のレッスンを楽しみにしていた。スタジオの奥さんによると、ヴァイオリンの受講生はレッスンが終わるとみんな溜息をつきながら事務室に入ってくるそうだ。今日も出来なかった、進まなかった、ということなのだが、それでもヴァイオリンを続けているのはそれが楽しい証拠。本当は将来ある子供たちのレッスンの方が遣り甲斐があったかもしれないのだが、わたしたち中年男性相手でも決して手を抜かれない先生のレッスンのおかげで、みんなヴァイオリンを続けてこられたのだと思う。
先生は代わられるが、これからもヴァイオリンを続けていこうと思う。いままでお世話になった先生にどこかでお会いしたときに、まだヴァイオリン続けていますよ、と言えることがお世話になったことへの恩返しだと思う。
2014年2月17日月曜日
移弦のわるい癖は治るのか
再開後2回目のレッスンから1週間。相変わらず、毎朝、短時間の練習を繰り返している。
一度ついたわるい癖はなかなか治らないものだ。移弦のとき、特に低い方の弦から高い方の弦に移弦するときに、手首で移弦する癖がついている。それは以前からずっと言われているのだが、再開後もまたこの課題に悩む。
大丈夫。ちゃんとやれば出来るから。
と、いちおう気休めは言っていただけるのだが、それが気休めにしかならないのは、さすがにこれだけ長くレッスンを受けていれば自明の理。
変なところにアクセント入れるやつは治ったじゃない。
を~、妙に説得力のある気休め。確かに、「タッタッラッタタラタラ」となっていたところは、練習でも結構気を付けて「ダ~リラリダラダラ」と、深い森の中を空気が流れるような弾き方ができるようになった、かもしれない、と思うのだが・・・・
脇がパタパタするのを意識したり、アップボウの先で高い方に移弦して弓を返す時に、右手を低めに移動させたり、いろいろ意識して練習。さて、どれだけできているのやら。
一度ついたわるい癖はなかなか治らないものだ。移弦のとき、特に低い方の弦から高い方の弦に移弦するときに、手首で移弦する癖がついている。それは以前からずっと言われているのだが、再開後もまたこの課題に悩む。
大丈夫。ちゃんとやれば出来るから。
と、いちおう気休めは言っていただけるのだが、それが気休めにしかならないのは、さすがにこれだけ長くレッスンを受けていれば自明の理。
変なところにアクセント入れるやつは治ったじゃない。
を~、妙に説得力のある気休め。確かに、「タッタッラッタタラタラ」となっていたところは、練習でも結構気を付けて「ダ~リラリダラダラ」と、深い森の中を空気が流れるような弾き方ができるようになった、かもしれない、と思うのだが・・・・
脇がパタパタするのを意識したり、アップボウの先で高い方に移弦して弓を返す時に、右手を低めに移動させたり、いろいろ意識して練習。さて、どれだけできているのやら。
2014年2月6日木曜日
余命宣告を受けたらこの曲を
以前、どなたかのブログで、昔、俳優の中井貴一さんがドラマの中で、余命宣告を受けてチェロを演奏する場面を、「究極の目標」といって紹介されていたのがあったが、久しぶりにヴァイオリンを弾いてみて、なんとなくそういうのもイメージが出来たような気がする。
そのドラマというのは、「風のガーデン」というドラマで、亡くなった緒方拳さんの最後のドラマともなった。緒方拳さんは中井貴一さんの父親役で、ドラマの中では中井貴一さんが余命わずかな癌患者を演じていた。余命宣告を受けた時に、心の動揺を抑えるかのようにチェロを弾くその静かな旋律が、かえって心の動揺を静かに表現しているいい場面だった。曲目は覚えていない。
そんなことを思い出しながら、いまもし余命宣告を受けたら何を弾くだろう、などということを考えた。最初に出てきたのはこれだ。
なかなかいいな、とは思うのだが、う~む。余命何年ぐらいあれば弾けるのだろう。
「あなたの余命はあと6カ月です」
「いや先生、それでは練習が間に合いません」
そんなわけで、ただいまこの曲を練習中。
さっきの曲よりも明るく逝けそうな気がする。
中井貴一さんはドラマの中で、だんだんと身体が癌に侵され、最期はベッドから起き上がれなくなってこの世を去っていく。余命宣告を受けてから楽器を弾ける時間ってどれぐらいなんだろう。翻って、自分は人生の最期に、どんなふうに楽器と向かい合っているんだろう。余命宣告があろうとなかろうと、死のときは必ずやってくる。そのときの楽器との向かい合い方を考えるということは、楽器といっしょにどう生きるかを考えることに他ならないと思う。
などと、最後はちょっと真剣に考えてみました。
ま、余命宣告は受けていないが、平均的に考えて余命あと30年ぐらいしかないので、わずかな時間でも楽器を弾く時間を大切にしていこうと思う。
そのドラマというのは、「風のガーデン」というドラマで、亡くなった緒方拳さんの最後のドラマともなった。緒方拳さんは中井貴一さんの父親役で、ドラマの中では中井貴一さんが余命わずかな癌患者を演じていた。余命宣告を受けた時に、心の動揺を抑えるかのようにチェロを弾くその静かな旋律が、かえって心の動揺を静かに表現しているいい場面だった。曲目は覚えていない。
そんなことを思い出しながら、いまもし余命宣告を受けたら何を弾くだろう、などということを考えた。最初に出てきたのはこれだ。
なかなかいいな、とは思うのだが、う~む。余命何年ぐらいあれば弾けるのだろう。
「あなたの余命はあと6カ月です」
「いや先生、それでは練習が間に合いません」
そんなわけで、ただいまこの曲を練習中。
さっきの曲よりも明るく逝けそうな気がする。
中井貴一さんはドラマの中で、だんだんと身体が癌に侵され、最期はベッドから起き上がれなくなってこの世を去っていく。余命宣告を受けてから楽器を弾ける時間ってどれぐらいなんだろう。翻って、自分は人生の最期に、どんなふうに楽器と向かい合っているんだろう。余命宣告があろうとなかろうと、死のときは必ずやってくる。そのときの楽器との向かい合い方を考えるということは、楽器といっしょにどう生きるかを考えることに他ならないと思う。
などと、最後はちょっと真剣に考えてみました。
ま、余命宣告は受けていないが、平均的に考えて余命あと30年ぐらいしかないので、わずかな時間でも楽器を弾く時間を大切にしていこうと思う。
2014年2月2日日曜日
レッスン再開 ~やっぱり戻ってきました~
再開後の初レッスンを受けてきた。
妻も子供たちも出掛けていたので、面倒な説明をしなくて済んだ。ま、辞めたといっていないので、なにもまた始めましたという必要もないのだが、辞めたことを前提にお小遣いの減額提示がなされているので、おそらく辞めたと認識されているのだろう。
ともあれ、無事に家を出てスタジオに行き、半年ぶりに先生に会う。
やっぱり、戻ってきました。
なんか、ヴァイオリンをやっていないと「ただのオッチャン」になってしまうなんて話をして、ま、とにかく涙ぐましい努力で練習時間を作っている話をことも無げに訊いてもらう。
レッスンの方は、曲こそ今までとは違う曲で、しかも、ヴァイオリンではなくてヴィオラを見ていただいているのに、言われることはまるでデジャヴ。移弦のときに手首で返すのはダメ、しっかり肘を上下させて。だけど弓を返す時は手首を柔らかく。要は、横には柔らかくしても縦には動かさないということか。しかし、紛いなりにも練習していた曲は最後まで先生の前で弾けた。
この調子で、ま、月1回ぐらいのペースで続けていこうかと思う。
妻も子供たちも出掛けていたので、面倒な説明をしなくて済んだ。ま、辞めたといっていないので、なにもまた始めましたという必要もないのだが、辞めたことを前提にお小遣いの減額提示がなされているので、おそらく辞めたと認識されているのだろう。
ともあれ、無事に家を出てスタジオに行き、半年ぶりに先生に会う。
やっぱり、戻ってきました。
なんか、ヴァイオリンをやっていないと「ただのオッチャン」になってしまうなんて話をして、ま、とにかく涙ぐましい努力で練習時間を作っている話をことも無げに訊いてもらう。
レッスンの方は、曲こそ今までとは違う曲で、しかも、ヴァイオリンではなくてヴィオラを見ていただいているのに、言われることはまるでデジャヴ。移弦のときに手首で返すのはダメ、しっかり肘を上下させて。だけど弓を返す時は手首を柔らかく。要は、横には柔らかくしても縦には動かさないということか。しかし、紛いなりにも練習していた曲は最後まで先生の前で弾けた。
この調子で、ま、月1回ぐらいのペースで続けていこうかと思う。
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