2013年5月26日日曜日

ドビュッシーとブラームス

 先週のことだが、久しぶりにコンサートを聴いてきた。本格的なものは何年振りだろうか。子供がいるとなかなか聴きに行けないものなのだが、そろそろこういうのも再開したいところだ。これまでは、バロックが中心だったのだが、今回は、モーツアルト、ドビュッシー、ブラームスというプログラム。半世紀近く続けて活動されてきた弦楽四重奏団の引退公演ということで、いつもバヨ会に来てくださる方からお誘いいただいた。
 日本の弦楽四重奏団としては「老舗」ともいえる伝統ある楽団で、お誘いいただいた方も含めて、「追っかけ」みたいなファンも多いようなのだが、恥ずかしながら、私はこれまで存じ上げなかった。お誘いをいただいてから、YouTubeで予習をしたりしていたのだが、普段バロックばかり聴いている私としては聴き慣れない曲目ばかりで、不慣れから肩肘に力が入りそうな感じがしていたのだが。

 実際に聴いてみるととても楽しかった。音楽を聴くといつも思うのだけれど、生で聴くと弾いている人の気持ちが伝わってくるように思う。例えば、弾いている人が「どうだ、こんなに難しいんだぞ」という気持ちで弾けば肩肘が力むし、緊張していれば聴く人も緊張する。この日の演奏は、きっと、これまでの演奏活動に悔いなし、という晴れ晴れとした気持ちで、ひとつひとつの音を噛みしめるように、愛おしむように、何かを懐かしむように弾いておられたのではないかと思う。

ヴィオラがとてもいいよ
と訊いていたのだけれど、これもその言葉に違わぬ演奏だった。ヴァイオリンにもチェロにも出せない深い音が、こじんまりとした、けれど響きのいいホールに、染み込んでいくように鳴る。まるで、ホールが鳴っているようだった。

 曲目は、最初に申しあげたとおり、普段あまり聴かないジャンルで、まるで現代音楽のような感じさえしたのだけれど、いままでとは違う世界のようで、そういう意味で新鮮だった。いっしょに聴きにいった方の中には、こういうのをよく聴かれる方もおられ、
いかにもドビュッシーって感じですね
と仰っておられたので、たぶん、ドビュッシーはドビュッシーらしく、ブラームスはブラームスらしい曲だったのだろう。
 表現されているものが、バロック音楽よりも複雑で、情景を思い浮かべながら聴く、というものではないのだが、聴きなれない私でも、展開の面白さとか、格好良さとか、そういうのは分かったし、最後まで楽しかった。

 演奏が終わってロビーに出ると、大勢の人がCDやプログラムへのサインを求めて列を作っていた。ご多分に漏れず、私もCDを購入してその列に加わり、最後はヴィオラを弾いておられた方に握手をしていただいた。
 これで、ちょっとヴィオラが上手になった気がするのは気の所為だろうか。

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