2017年3月12日日曜日

考えすぎない

 このところ、比較的ゆっくりした曲を丁寧に弾くことが課題になっている。曲のレベルから言えば、たぶんスズキの2巻とか3巻ぐらいのレベルなのかもしれない。ちゃんと音程がそれらしくとれて、「あ、バッハのアリオーソだね」とか「モーツアルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスだね」ってわかってもらえるレベルなら、もうこの曲も卒業なんだろうけれど、なかなかこれが卒業できない。自分でもあまり満足のいくものになっていないのだから仕方ないのだが。

 前回のレッスンでは、フィンガリングを自分で変えてみたヴァージョンを診てもらって、そのうえで、ここもあそこもと修正が入った。移弦をするとどうしても音色が変わる。ゆっくり目の曲だとそれが目立つので、できるだけ同じ弦で弾くのがよいということだ。これは納得。確かにすぐに隣の弦に移弦するよりもポジション移動して同じ弦を使う方が、フレーズのつながりが出てくる。自分でフィンガリングを変えたのも、そこまで意識していなかったけれど、結局、そういう動機だった。
 ところが、こうなるとポジション移動がちゃんとできるかが新たな問題になってくる。それを解決しないままレッスンを受けたのだが、それが、ただサードポジションの音程が悪いだけでなく、それを誤魔化すためにボーイングまで小さく(というかいい加減に)なっていたり、速く済ませてしまおうとしてリズムが変だったり、いろんなところに出てしまっているようだ。

 今回のレッスンで問題になったのは、主にはボウイング。
 音を続けようとして弓を返すところを意識するから、返す直前のところで無意味に弓速が速くなってしまっていたり、テヌートで「丁寧に」弾こうとして中膨らみになる傾向があったり。どうもいろいろ考えすぎているようだ。

 何も考えてないと、子供の発表会みたいな無味乾燥な演奏になるし、考えすぎると変だし。何も考えないでちゃんとした演奏ができるようになるには、いったい何を考えて演奏すればいいのだ。とまた考えてしまって変な演奏になりそうだ。

2017年2月25日土曜日

レッスンにも風が…

 去年の秋から紆余曲折があって、いま、『ヴィオラ名曲31選』(宮脇 薩乎 編,ドレミ楽譜出版社)の曲を見ていただいている。最初はスタジオの事務室の本棚にあったものを持ち込んで、その後しばらくはそれを使っていたのだが、先般、本屋さんに注文して取り寄せてもらった。奥付に「第2刷」と書かれている。つまり増刷されたものということだ。ヴィオラの楽譜にも一定の需要があるのだと思うと、ちょっと嬉しい。

 先生は、「じゃ、最初から全部いきますか」と仰ったのだが、最初のAve Verum Corpus(W.A.Mozart)を弾かしてあまりに酷かったので方針が軽く変換されて、途中にあるArioso(J.S.Bach)からすることになった。
 しかし、この1曲だけでは45分のレッスン時間が持たなくなってきて、3回目ぐらいに「何かほかの曲もやりましょうか」ということになり、たまたま目に入った「埴生の宿」も見てもらうことに。そしてそのあとは先生が最初に仰ったとおり、最初の曲から順番に見てもらうことにした。

 前回のレッスンで「埴生の宿」を卒業。先生の前で、自分で楽譜に丸を付ける。ま、なんとなく嬉しい。考えてみれば、いまの先生に丸をもらったのは初めてだ。昨年からずっとやっていた発表会の曲は、結局最後まで丸をもらえなかった。その前はアマチュアアンサンブルのステージで弾く曲を見てもらっていたのだけど、これも丸をもらえないまま本番を迎えた。教本でレッスンを進めているわけではないので、「ここまで出来たら次行きましょうか」というタイミングがないのだ(それ以上に、丸をもらえるレベルに達していないのが大きな原因なのだが)。その点、『ヴィオラ名曲31選』をやり始めてからは、これが教本の代わりになっていて、これが終わったら次はこれ、という感じになっている。それで初めてもらえた丸だ。

 最初にやり始めたAriosoはいまだに終わらない。けれど、その終わらないことが苦にならない。毎回、少しずつ違う課題が出てきて、それを解決すれば前よりも良くなることが実感できてきた。前は、いつも言われることは音程のことばかりだったのだが、最近は音程がよくなったのか、よくならないことが分かったのか、音程のことはさておいて、別の課題が出される。その中には、「弓をもっとたくさん使って」とか「強弱をもっと意識して」のように比較的わかりやすいものもあれば、「もっと音楽的に」とか「もっと朗々と」とか「もっと音のつながりを意識して」みたいな、消化するのに少し時間のかかるものもある。聞いたときは分からないが、練習しながら分かることもある。分からないまま次のレッスンを迎える時もある。そういうときは、一応努力した過程は口で説明して弾いてみると、何か別の言葉が返ってくる。なるほどそういうことかと頭では納得するのだけれど、実際にやろうとすると上手くできない。そしてまた練習。そんな感じだ。
 先週、ある人から
 ヴィオラらしい音が
 出るようになりましたね
 と褒められた。あ、ここにも風が吹いている。心地よい風。

2017年2月20日月曜日

ヴィオラに風が吹いている

 
 このクールはこのドラマを観るのを楽しみにしていた。家ではすっかりチャンネル権を奪われているので、ドラマのように毎週観ないといけない番組を観ることはほぼなく、まして、同じ時間に嵐のメンバーがメインパーソナリティをしている番組があるのだから、もう観られないものと諦めていたのだが、奇跡的に観ることができた。

 このドラマでヴィオラを弾いている高橋一生という俳優が結構ブレイクしているようなのだ。ヴィオラに吹く追い風を感じる。いつも心無いヴィオラジョークの逆風に晒されている身にとって、こんな心地よい風を感じることはない。

 このドラマの設定が、ある日、カラオケボックスで「偶然」出会った4人の弦楽器奏者がカルテットを組むというもの。まずここで、カラオケボックスで弦楽器の練習をするということが当然のこととして描かれている。ヴァイオリンケースを担いでカラオケボックスに行き、ひとりでフリータイムを申し出て、店員に嫌な顔をされた経験のある方は少なからずおられることだろう。時には断られることもある(大手Jカラオケ店は駄目らしい)。それがこんな風にごく自然にドラマの中に描かれているのだ。もうこれで何もビクビクせずに堂々と練習ができるというものだ。

 ちょっと補足だが、プロ奏者がカラオケボックスで楽器を弾くのは別に珍しいことではないようだ。筆者は8年前に、すでに宮本笑里がカラオケボックスでヴァイオリンを弾くのを知っていた。
http://6109.jp/emirimiyamoto/?blog=58777
 けっして、筆者の隣の部屋で弾いていたとか、筆者が宮本笑里にストーカー行為をしていたわけではないので誤解なく。

 そして、この高橋一生が演じる家森という男は、カルテットのメンバーの中でいちばん理屈っぽい。これはヴィオラ奏者に対するステレオタイプなのか。いやそうでもあるまいが、この理屈っぽいところがコミカルというか、結構ポジティブなイメージで描かれている。第一話の有名な「唐揚げにレモン」、第二あ話の「言葉と気持ちは違う」、第三話の「ボーダー被ってますよ」。いずれも、ドラマ全体のストーリーにちょっとしたスパイスをかける伏線になっていて、さらっと聞き逃すことができない。そして第三話の「学級崩壊」と「パチンコ屋」の話のうち、学級崩壊は第五話に見事に繫がっていく。
…あ、つい興奮してしまった。これ、ドラマを観ていない人には何のことかわからない話だが、こういうマニアックな話をさも一般的に誰もが知っているべきことのように話すことが、このドラマの中では前向きに(少なくともありがちなこととして)描かれている。

 そして第四話はヴィオラ奏者の家森を中心にストーリーが展開する。音楽で生きる夢を追いかけるために定職を持たないことが理由で妻に離縁された家森が、ヴィオラを叩き壊そうとするのを元妻に止められ「あんたはそれでええんとちゃう」と言われる。二度と会うことがない子供との別れ。そのまえに子供にヴァイオリンを教え、ステージで二重奏をする。なぜヴィオラではなくてヴァイオリンを教えるのか。そこにヴィオラ奏者の悲哀が隠されていることに気づいた視聴者はそんなに多くはあるまい。

 主演はファーストヴァイオリンの巻真紀を演じる松たか子なのだが、高橋一生が演じるヴィオラ奏者、家森の存在感は大きい。バラエティー番組への出演なども結構多く、かなりブレイクしているような印象だ。ここは大きな声で言っておきたい。

ドラマ カルテットで高橋一生が弾いているのは
ヴァイオリンではなくてヴィオラです。

見た目で区別がつかない人は番組ホームページでとか、こちらのページで確かめてください。

2017年1月7日土曜日

レッスン初め

 まだ正月気分も冷めやらぬ3連休の初日に、今年初めてのレッスンがあった。

 年末年始は、隣近所では帰省して留守のところもあって、比較的、気兼ねなく音が出せる。ただし学校が休みの子供たちには結構、気兼ねするのだが、それでも割と練習した方だ。

 最近、練習しているのは、『ヴィオラ名曲31選』の中にある曲。
 去年の10月に、スタジオの事務室でお借りして、その中から、気に入ったバッハの「アリオーソ」をレッスンで見ていただいていたのだが、それほど長い曲ではないので時間が余る。それで、あまり難しくなさそうな「埴生の宿」も見てもらうことにした。しかし、これも短い曲なので、練習しているうちに物足りなくなってきて、そのうちに『ヴィオラ名曲31選』の最初から全部弾いてみようなどという新たな野望が出てきて、最初の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」とその次のモーツアルトの曲も練習するようになった。以前、練習していた葉加瀬太郎とか、ヘンデルのちょっと難しいのはあまり弾いていない。

 レッスンでは、最初は「埴生の宿」を見てもらった。
 これは、移弦がほとんどなくて、フィンガリングの練習にちょうどいいので、セヴシックの代わりに練習のウォーミングアップで使うようになっている。特に3指をポイントするときに4指を巻いてしまう癖を矯正するのが目下の目標だ。先生の前で弾いてみて、この目標はクリア。
 この曲に関する先生のご指導は強弱
 pianoもforteもcrescendoも、何もわからない。聴いていいて、楽譜を見なくても、「あ、いまここはpianoなんだな」とかいうことが分かるように弾くこと。確かに、この曲はフィンガリングのウォーミングアップと割り切っていたので、強弱のことは考えていなかった。
 それと、今更だが弦は指の腹で押さえること。
 これは、いままで指を立てることを意識的にしてきたので、ちょっと意外だった。弦を押さえる力がはいり易いようにと指を立て、爪に近いところでポイントしていて、そこに弦ダコができるのを誇らしく思っていたのだが、そこで押さえるのではないらしい。
 これはまたセヴシックからやり直しだな。

 次はバッハのアリオーソ
 「埴生の宿」もだが、ボウイングをもっと意識的に練習しましょう、ということだった。
 これは練習していても気になっていたところだ。個人的に勝手に「暖炉の前で」というタイトルを付けているので、暖炉の火のように消えることなくずっとゆらゆら揺れながら音が続くように弾きたいのだが、どうも弓を返す時や移弦の時、ポジション移動の時に音が途切れてしまう。
 弦を返す時に、返し始めが速くなったり、返す直前が速くなったりすると、返したことが分かる。葉加瀬太郎の「情熱大陸」のロングトーンは途中で弓を返しているのに、弓を返したところが分からない。そもそも彼の演奏は聴いていて上げ弓と下げ弓の違いが全くなく、弓を返したところも音だけでは分からない。素人が弾けば上げ弓なのか下げ弓なのか、どこで弓を返したのか、全部分かる、というのだ。これは先生にも難しいことのようだが、意識して練習しないといつまで経ってもボウイングは良くならない。
 そういいつつも、可もなく不可もなくというレベルまでは来たと褒めていただいた。お正月のご祝儀相場でもなさそうだし、それだけでも大きな進歩だ。

 最後はアヴェ・ヴェルム・コルプス。
 モーツアルトのもう一曲は見てもらっていない。
 これは2小節目で先生が突然、吹き出すように笑われた。大胆に音を外したので、その所為かと思ったのだが、そんなことで今更笑いません、とのこと。
 原因はグリッサンド。D線でミ→#レとスラーで弾くときに、そこがグリッサンドになっているのが唐突すぎたとのこと。そういえば、前回のアリオーソでも、ポジション移動の時にグリッサンドが掛からないようにと注意されていた。これは迂闊だった。そして、この曲はこういう半音移動が結構多い。

 そんなわけで、フィンガリングについてもいろいろご指導はあったが、今日は主に右手に関するご指導が中心だった。
 音は右手で出しています、とのこと。確かにその通り。フィンガリングが付くとどうしてもそっちに注意が向いてしまうので、開放弦で練習して、音の強弱だとか、弓を返すとことだとか、余計なところで音を復覚ませていないかとか、そういうところを意識的に練習する。

 そういえば去年は音程に始まって音程に終わるような1年だったけど、今年はボウイングに始まってボウイングに終わる一年になるのか。何はともあれ、こんな調子で今年も1年間続けていこう。

2017年1月1日日曜日

今年も懲りずに

 新年が明けた。

 毎年、「今年の目標」などということを掲げて取り組むのだが、このところ、毎年、「年末まで続けること」が目標になっている。そしてその目標は昨年も達成できた。ヴィオラを弾いているおかげで、あるいはこのブログを書いているおかげでたくさんの人に励ましてもらった。ヴィオラのおかげで生きてこられたといっても過言ではない。そして時々更新するこのブログが生きている証にもなっている。ただ、ときどき更新が滞ることがあるが、それはネタに困っているからだけで、けっしてその期間、仮死状態にある訳ではない。

 ヴァイオリンを習い始めて満13年。ヴィオラも満5年を過ぎて、いまさらとも思うが、続ければ続けるほど、続けることのたいへんさと大切さがわかる。
 続けるというのは、何も難しい曲に挑戦し続けることではない。
 いままでは、いつかあの曲を弾きたいという思いが先行していて、常に、自分がいま弾ける曲より難しい曲に挑戦し続けていた。パッヘルベルのカノンが弾けなかった頃は、いつかこの曲を弾きたいと思っていた。それが弾けるようになったらバッハのドッペルが弾きたいと思った。まわりの人がみんな自分より上手に感じられて、それに遅れまいとか、合奏で足を引くまいとか、そういう思いがあって、それがヴァイオリンを少し肩肘張った道楽にしてしまっていた。

 今年の目標は、そういうことをわかった上で「続ける」ことかな。
 この趣味がなくなると寂しいこともよくわかっている。だから、それを失うまいと必死に続けるのでもなく、もっと自然体で、一生懸命に頑張らないで続ける。

 どうすればいいのか自分でもよくわからないのだけれど。