2025年6月16日月曜日

バッハのアリオーソ

 きのうはちょっと茶化して投稿しましたが、けっして余命宣告を受けた訳ではありません。ご心配なく。まぁこんな場末のブログで深刻な話をしたところで、あまり真に受けてくれる人はいないでしょうけど、いちおうご報告しておきます。

 この曲からイメージされるのは暖炉とロギングチェア。日本でいえば米寿のお祝いとかで親族が集まってパーティの準備をしている最中、当の本人は暖炉の前でロギングチェアに揺られながら、パイプを片手に自分の来し方に思いを馳せている。楽しかりし日々、苦しかりし日々、いろんな日があったけれど、もう人生に思い残すことはない。いまはただ穏やかな気持ちで人生のゴールに向かっていく。キッチンからは娘たちの声が、リビングからは孫たちの声が聞こえてくるなか、ひとり満ち足りた時間を過ごす老人。

 こういうゆっくりした曲を感情豊かに弾くことはとても難しい。テンポのある曲は、ある程度はテンポで誤魔化しがきくのだけれど、ゆっくりでは誤魔化しようがない。それぞれの音符を正しい音程で弾くというだけではなく、フレーズ感が問われる。ロギングチェアが揺れるようなフレーズ感。音が途切れることなく次のフレーズに繋がっていく感じ。長く伸ばす音の抑揚や次の音へのつなぎ方が大事だとのこと。メトロノームに合わせてテンポ通りに弾くというよりも、すこしもったいぶる感じでつないでいく。

 そして最後は、どれだけ心穏やかに弾くことができるか。もう一回言う。もう人生に思い残すことはない。いまはただ穏やかな気持ちで人生のゴールに向かっていく。発表会ぐらいで気持ちが揺らぐようでは、余命宣告を受けたときに弾くことはできない。

2025年6月15日日曜日

最期の1曲

あなたは進行性の末期ガンで手の施しようがありません。
余命はあと3ヶ月です。

そう言われたときに弾こうと思っているのがこの曲。

『ヴィオラ名曲31選』より「アリオーソ」


動画はスズキスクールのものなのでちょっと違いますが、こんな感じです。

余命3ヶ月と言われたときに弾くのですから、それから練習していたのでは間に合いません。間に合わないからといって余命を延ばしてもらう訳にも行かず、最期に弾くと決めているので別の曲に差し替える訳にもいきません。それでいまから練習することにしました。

 この夏、8月にスタジオの発表会があります。そこでこれを弾こう、という算段。発表会で弾ける程度に弾けていれば、いつ余命宣告を受けても大丈夫です。

2025年4月19日土曜日

励まされた発表会

  先月末に発表会があった。

 いつもなら、終わったその日にこのブログを更新するのだが、前回2月の記事でも少し書いている通り、仕事が詰まっていて私生活が全くない状態が続いている。災害級の繁忙と言っていい。自分が学校の先生で、授業中に突然地震が起こって、生徒の対応に追われているところに、避難所になった学校に近隣の人たちが集まってきて、昼となく夜となくその対応に追われ、校長は好き勝手なことを言っているし、役所からもいろんなことを言ってくるし、善意なんだろうけれどボランティアの対応にも手が掛かる。そんな状態を想像してほしい。深夜までの闇残業と休日の闇出勤が常態化していて、過労死という言葉を肩にずっしりと背負ってこの2か月以上を過ごしてきた。レッスンのある日は辛うじて練習はするのだが、レッスンが終わると夕方から出勤して日が変わるまで働く。発表会の日も、自分の発表が終わるとそそくさと立ち去って闇出勤。本当はゲストの演奏も、その後にある子供たちの発表も聞きたいのだけれど、仕事のことが気になってそれどころじゃない。そんな発表会だった。

 けれど、発表会に出て本当に良かった。

 休みもなく毎日深夜まで残業しているから、練習もけっして十分にはできていなかったけれど、もしこの発表会がなかったら、そんな不毛な毎日に完全に埋もれてしまっていたはず。ハイジを励ますセバスチャンのつもりで弾いたのだけれど、励まされたのは自分だった。やることなすことドジばっかりで、ロッテンマイヤーさんに叱られてばかりいる毎日。こんな仕事辞めてはやくアルムの山に帰りたい。けど自分がいなくなったら困る人がいるからそれもできない。そこに優しいクララのおばあさまがやってきて、普段はさえない召使のセバスチャンに「あの曲を聞かせておくれ」といってピアノを弾き始める。ヴィオラを取り出すセバスチャン。そのセバスチャンになったつもりで弾いたはずだった。

 ピアノの先生にもそのイメージはお伝えしていたのだが、この面倒くさいリクエストを好意的に受け止めていただいて、お付き合いをいただいた。弾き終わった後、振り返ると、満面の笑顔で讃えてくださる。舞台袖で「また伴奏に呼んでくださいね」と言ってもくださる。いや、こちらが「また伴奏してください」とお願いしないといけないのに。

 合奏のアイネ・クライネ・ナハトムジークも楽しく弾けたし、他の生徒さんからも「楽しそうでしたよ」と言っていただいた。

 生徒さんの中でも、子供のときから長く続けている人のレベルは圧巻で、ベートーヴェンのスプリング・ソナタやバッハの無伴奏パルティータなどの難曲が次々に披露される。でも、そういう人ばかりではなくて、大人になってからヴァイオリンを手にして数年目というような人もいて、そういう人も堂々と演奏されていて、それぞれがヴァイオリンを楽しんでおられることがよくわかる。自分の演奏が上手か下手かと言われると、けっして上手な方ではないけれど、「ほらっ、こんなに楽しいですよ」ということを発表するという趣旨でいけば、けっこういいポイントが付くかもしれない。

 金賞はダメでも、審査員特別賞なら狙えるかも…

 ああ、まあ、そういう欲を出すとそれがすぐに演奏に表れてしまうのだけれど、でも、掛け値なしでほんとうにいい発表会だった。ハイジを励ますつもりで弾いたのに、誰よりも励まされたのは自分だった。本当にヴィオラを弾いていてよかった。


2025年2月9日日曜日

アルプスの少女 ハイジ

 年末・年始もブログの更新ができず、また空白月を作ってしまったが、練習は続けている。いちおうね。平日はあまり時間が取れず、睡眠不足がちで、休日はその睡眠を補いつつ、ヴィオラ以外にもなんだかんだと用事があって、なかなか練習時間が取れないのは事実。もう、こんな会社、早く定年退職したいよ~。

 とはいうものの、レッスンは月2回のペースで受けている。いつも直前に慌てて練習をして何とか前回のレッスンで指摘されたことを改善しようと踏ん張っているのだけれど、それ以外にも、やはり先生の話を聞いたり、演奏してもらったりすることは、本当にためになる。

 次の発表会で弾くテレマンのヴィオラ・コンチェルト。

 何か感情を移入するというようなところのない曲だけれど、先生のお手本演奏を聴くと、なんというか、単純に「楽しく」というのではなくて、なんとなく励まされているような、何かそんなイメージが湧いてくる。いままでこの曲から感じたこともないイメージ。そうだ。ハイジが連れていかれたフランクフルトのクララのおうちで、ハイジがその小さな心で思い悩みながらも一生懸命に自分の役割を果たそうとしているのをみたおばあさまが、セバスチャンを呼んで、

おや、このピアノも埃だらけね。でも音は出そうだわ。なんだか久しぶりに弾くのはワクワクしてくる。セバスチャン、あの曲をハイジに聞かせてやっておくれ。

といって徐に鍵盤をたたき、それに合わせてセバスチャンがヴィオラを弾きだす。最初のフレーズは、ヴィオラなんて見たこともないハイジに、こんな音がするんだよ、と弾いて聴かせるように弾く。次はちょっと楽しげに。だんだんとフレーズに変化が出てきて、それに引き込まれるように聴き入っているハイジ。

私も弾いてみたい。クララに聴かせてあげたい。

そんなことをいってロッテンマイヤーさんに叱られるハイジ。「また聴きたくなったらいつでも弾きますよ」とセバスチャン。「そうだ、お嬢様に聴いてもらうのだったら、もっと練習しとかないといけませんね」。セバスチャンだったら、どんなふうにこの曲を弾くだろう。どんなふうにハイジに聴かせるだろう。そんなことを考えながら弾くのは楽しい。

 きっと自分自身が毎日仕事に追われ、フランクフルトのハイジみたいにけっこう追い詰められていて、誰かにそんなふうに励ましてほしいと思っていたのかも知れない。それで今度は自分がセバスチャンになって、どうやってハイジを励まそうかと考えている。こんな気持ちで演奏できるのはきっといまだけだと思う。

ヴィオラをやっていてよかった。

きっとこれで仕事もなんとかやっていけるようなきがする。