年明け早々、むずかしいタイトルにしてしまったが、このところいろいろ考えることがあって迷走中。いやむしろ瞑想かな。
きっかけは、島根県隠岐郡海士町というところに行ったこと。本州からフェリーで3時間もかかる離島で、人口およそ2,400人のちいさな島なのだけど、島留学の高校生や子供たち、Iターン移住してくる人たちが、全国から吸い寄せられるように集まってくる、不思議な魅力のある島。コンビニもスタバもマクドも百均も、もちろんホームセンターもヤマダ電機もイオンモールもないのだけれど、島中に図書館がある。中央図書館のほかに分館が24館。煩わしい日常を離れてひねもす本でも読んで過ごすにはなかなかいい場所だ、と思って訪れたのだけれど、それがなかなか衝撃的だった。
図書館と言っても個人の家の一室を開放されているようなところもあるみたいなので、いつ開館しているのかもわからない。それで中央図書館に行って分館の開館時間を尋ねると、司書の方が分館のお宅に電話をしてくださって都合の良い時間を訊いてくださる。その時間に合わせて訪問すると、玄関先で迎えていただき、いろいろお話を聞かせていただく、という塩梅だ。本を読むというよりも、お話を聞くという感じ。分館を営まれておられる「人」が「本」といってもいい。
置かれている本の大部分は個人の持ち物。その方が読まれてきた本のタイトルを見るだけで、持ち主の人柄や考え方、生き方を垣間見ることができる。そこに中央図書館の本も置かれていて、それは貸出もできる。図書館の司書の方は、おそらく分館を営まれる方のお話をよく聞かれて、その館の雰囲気に合った本を選んで置かれておられるのだろう。個人蔵書にしっくり馴染むように中央図書館の本が並べられている。
図書館と銘打っているので、どこか遠くから突然やってくる人もいるらしい。そうやってやってくる人にも、私にしていただいたのとおなじように、いろいろなお話をされているのだと思う。繰り返しお話をされているうちに、内容が推敲され、同時に自分の考えもまとまっていく。そこから「これでいいのだ」という確信が生まれてくる。
それで思った。
これって自己表現だよね。
分館を営まれる方にとっては、図書館が自己表現の場になっている。そこにどんな本をどのように並べるのか、どんな空間を作るのか、訪れてきた人にどんな話をするのか、すべてが自己表現で、中央図書館の司書の方がそれをサポートしている。
これ、ヴィオラも同じ。どんな曲をどのように弾くのか、どんな場所で誰と弾くのか、このブログもそうなんだけど、それについて何を語るのか。発表会で他の方の演奏を聴いていると、上手か下手かということではなくて、その方の人柄が見えてくる。それもやはりその方が自己表現をしている証だと思う。そして先生やスタジオの奥さんがそれをサポートしてくださる。
こういう自己表現の場があることって大事だなぁ、と思う。年齢に関係なく。
自分もいつか海士町にわたって図書館の分館をひとつ作ろうかと真剣に考えないわけでもないが、島でレッスンが受けられるのかだとか、いっしょにアンサンブルをやってくれる仲間はいるのかとか、いろいろ考えると躊躇してしまう。短い人生の中で二兎を追うことはむずかしい。
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