2020年9月21日月曜日

いつもの曲に味付けを

  ヴィオラのために書かれた曲というのはとにかく少なくて、発表会のネタには困ってしまう。ヴァイオリンやチェロのための曲をアレンジしたりとか、いろいろとはやってみるのだが、純粋にヴィオラのために書かれたクラシック音楽で発表会向けの曲と言えば、前回やったテレマンか、曰く付きのこの曲ぐらいしかない。

 
 それで、次回の発表会はこの曲と決めて練習してきたのだが、果たしてこれが発表会映えするのかというと、なかなか心許ない。この動画で演奏している人は相当上手だし、ハイスピードで「聴かせる」演奏だと思うけれど、みんなを退屈させないとか、素人受けするとか、そういう観点で見た時にどうだろう。うちのスタジオの発表会で、たとえばみんなの発表が終わったあとの「お手本演奏」で先生がこれを弾いたとして、そりゃ私はただただ「わー」と憧憬の眼差しを送ることだろうけれど、他の楽器をされている方が最後まで退屈せずに聴けるものだろうか、などと思ってしまう。ただただ奏者の技巧を見せびらかすための曲になってしまっていないか。ヴィオラを弾いていて楽しいという気持ちだとか、満たされている思いのようなものが伝わっていくのか。いまさらながらそんなことを考えて、いまさらながら強弱だとかなんだとか、ちょっと悪足搔きをしてみる。
 それもただ単に強弱をつけるだけだったら、やっぱり技巧の披露にしかならない。
 それで、ちょっとお話を考えてみた。

 ヨーロッパのとある国。
 長年この地域を治めてきた領主の世継ぎが流行り病で早逝し、隣国から王子を招いて姫の婿養子とし、王家を継ぐこととなった。ここまでがイントロのピアノ演奏。
 王となった隣国の王子が臣民の前で演説をする。これが最初のソロの部分。ここは朗々とデタッシェで。35秒ぐらいからのソロは、その演説を聞いた人々のささやき。不安を感じる者は小さな声で、期待をする者は大きな声で、口々に自分の思うところを言う。

 とまあ、こんな調子で最後までお話を作って、まるでそのお話を聞かせるように弾いてみたい。うまくいけばいいのだが、話の細部にこだわりすぎでも、別に歌詞が付いているものではないので、やはり聴いている人には伝わらない。王子様が「流行り病対策の名目でお前たち全員に10万円を配ってやるから、次の選挙のときにどうしたらいいかわかっているだろうな」といっているのか、「この国を豊かにするために、旅費の半分は国が出すから、お前たちは旅に出ろ。流行り病なんて気にするな。」といっているのか、それに対して人々が何を口々に言っているのか、演奏を聴いて「そうか」と思う人はいないと思う。
 それでもいいんだ。
 自分で「この曲はこんなお話の曲」って思って弾いてみることが、聴いている人を退屈から救い出すかもしれない。ユーモレスクに歌詞を付けて演奏させる先生もいるそうだから、大きく間違ってはいないと思うのだが。

 

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