2020年4月28日火曜日

弦替え-交換編-

 弦を換えたり、弓毛を換えたりしたら、いちおう記録している。その記録が抜けていなければ、1年8か月ぶりの交換。いくら何でもこれは使いすぎだ。そして交換作業も1年8か月ぶり。「手慣れたもの」とは言い難いものの、さすがに10年以上もやっていると自分でできるようになるものだ。

 今回はガット弦に換えたので、音程が落ち着くのに時間が掛かる。事前の情報では、Oliveなどに比べると安定しやすいということだが、やはり換えたその日は、20分も弾いていると「あれっ」と素人が気づくレベルで音程が変わっている。しばらくは我慢だ。弾き終わったときに半音高めに調弦して仕舞う。それでも次に弾くときには半音低かったりするのだが、3日ほどするとかなり落ち着いてきた。練習前に調弦したら、1時間ほどは途中で調弦することなく弾けるようになった。

 さて、ここまで使い込んでいると、前のナイロン弦と、今回のガット弦を比較するなどということは不可能で、たぶん、古い弦と新しい弦の違いの方が大きいのだろうが、やはり、弓が弦の上にすっと乗ってくる感じがする。いままでは、弓を返すたびに無意識に弦を押さえつけて「ごりっ」と鳴らしていたのだが、そんなことをしなくてもちゃんと鳴り始める。弓毛を換えた時と同じように、同じアクションをしていても楽器からの反応が違うので、ちょっと調子が外れる。しかし、当然なのだが慣れてくれば新しい弦の方が断然弾きやすい。いちばん違うな、と感じたのは、静かな音が出しやすいこと。「ごりっ」としなくても反応してくれるので、ピアニッシモが出しやすい。音の強弱が際立つ。それと、理由は分からないが、速いパッセージでも音程の違いも際立つような気がする。いままでは「ごりっ」とやっているうちに次の音に行っていたから、音程がしっかり出ていなかったのかもしれない。
 録音してみると音色も全然違う。同じ人が同じ楽器を弾いているとは思えない。膨らみのある音、というか、弦だけがビリビリ鳴る感じではなくて、ちゃんと楽器の響きを連れてきている感じがする。

 やっぱり楽器はちゃんとメンテナンスしないとダメだな。
 メンテナンスが不十分な楽器で弾いていると、変な癖がついてしまう。先日の弓毛替えといい、今回の弦替えといい、いままで如何に変な弾き方をしていたのかがよく分かった。

2020年4月25日土曜日

弦替え-注文編-

 弓毛を換えて松脂が安定してくると、素人でも、あるいは並べて弾いたのではなくても、明らかに音色が変わっているのが分かる。弾き合い会の録音で聴かされた「ため」と「こぶし」のうち、「こぶし」についてはかなり改善された。いままでは、
なんでこんなに弦を捏ね繰り返すんだろう
というような音がしていたが、明らかにそれは改善された。
 弾いていても、その感覚が明らかに変わっていて、いままで掴みのわるい弓で弾いた感覚で慣れていたからだが順応しなかったりもする。何度も何度も繰り返し弾いていると、身体がメロディを覚えているものだが、楽器からの反応がいままでと違うので、思うように身体が動かなかったりする。

 それぐらい酷い状態の弓で弾いていた、ということだ。

 それで気が付いたのだが、弓毛にしても弦にしても、そのほか楽器のいろいろな状態にしても、ベストとまではいわなくても、そこそこの状態にして練習しなければ、変な癖がついてしまう。
弘法は筆を選ばず
とはいうが、それは何と言っても弘法大師さまのような、それはそれは偉い、誠に立派な、それも日本の歴史上で数えるほどしか輩出されていない方のお話しで、ふつうは筆がわるければ字も汚くなるものだ。この前、毛替えをしたところだし、お財布は確かに厳しいが、しかし、このところ出掛けることもできず、普段なら自販機のコーヒーやコンビニのスイーツやスタバのバタースコッチコーヒージェリーフラペチーノ、嘘、スタバのコーヒーに消えてしまうおカネが財布に残っているはず。このおカネを使うことは、こんな状況の中で、たとえオンラインだけであっても営業を続けている人へのリスペクトだ。
え~ぃ! 弦もかっちゃぇ
ということで、ガット弦を購入。
写真の説明はありません。
Passione(ぱっしーね)という、いままで使ったことのない弦だ。

そんなわけで到着。
なぜかマスクが1枚、付いてきた。
ま、ありがたいけど。

はたしてどんな音なのか。

(つづく)

2020年4月19日日曜日

弓毛替え

 発表会前には弓毛と弦を交換しようと思っていたのだが、雲行きが怪しくなってきて、発表会がいつなのか見通しもつかなくなってきた。弓毛についていえば、たぶん2年ぐらい換えていない。このところ素人でも
こりゃだめだ
ということが分る程度に劣化している。工房に電話をしたら「やっていますよ」ということだったので、すぐに交換してもらうことにした。午前中に持って行ったら、3時ぐらいには出来ていますよ、とのこと。助かった。今日も練習できる。

 毛替えしてもらって弾いてみてびっくり。同じ楽器を弾いているとは思えない。いままでのギコギコがなんと滑らかな音色になることか。松脂がまだ十分に馴染んでいないので、気になっていた音の立ち上がりまでは検証できなかったが、明らかに昨日までの音色とは違う。やっぱり道具は大事なんだと実感。次は弦も、と思ったのだが、為替レートの所為なのか、ちと財布に厳しい。いやしかし、これも手に入るうちに買っておかないと、いつ店仕舞いされてしまうか分かったものではないのだが。

2020年4月17日金曜日

とうとうコロナ禍に

 こういう「緊急事態」になると、大切なものとそのほかのどうでもいいものの峻別が始まる。ふだんは偉そうに「職業に貴賎はない」なっていっている口から、「こういう仕事は頑張ってください」「こういう仕事は自粛してください」などといった区別が出てくる。歌舞音曲なんてのは真っ先に「どうでもいい」方に区別されてしまう。それでも、うちの先生もスタジオも随分頑張っていたとおもうのだが、ついに力尽きたようだ。
レッスンの無期限中止
いろいろと言いたいことはある。
だけど、いまは言っても唇が寒い。

 私の仕事も「どうでもいい」方に区別されて、先週から「自宅勤務」。
 経費の支払いとか、そういうのは、もし止めてしまうと困る人も出てくるから「必要な仕事」に区別されたのだけれど、それもなかなかすんなりとは理解してもらえなかった。感染症拡大防止という「社会的要請」に応えることがいま何よりも大切なんだそうだ。おカネ払うことだって「社会的要請」なんだけど、そんなことを言うと、この病気がいかに恐ろしいかとか、どれだけ深刻な状況になっているかとか、もしうちの会社で患者が出たらどうなるかとか、延々と説教された末に、支払いのための出勤は「許可する」ときた。普段は、個性だとか多様性だとかダイバーシティなんて言っているのに、まるで、国家総動員令でも出されたようだ。
 この異論を認めない雰囲気。
 むしろこんな雰囲気の中でよくぞいままでレッスンを続けてくださったと、そちらに感謝するべきところだろう。

 わるいことばかりではない。
 出勤の必要はないが、いちおう定時の間は勤務していなければならない。パソコンの前に座って、「どうでもよい」とレッテルを貼られた仕事を黙々と続ける。しかし、定時になれば「終わりました」とメールを打って、あとは電車に乗ることもなく、すぐに自分の時間になる。通勤に費やしてきた往復3時間以上の時間が自分のために解放されたわけだ。あまり遅い時間になると近所迷惑でもあるのだが、夕方、毎日1時間だけでも練習ができる。いまはそういう時間に当てよう。もっと若かったら、この間に勉強をして…なんて思うのかもしれないが、歳も歳だ。それにいままでそうやって勉強して報われたこともない。子どもたちの学校を閉鎖して、勉強の機会を奪っておきながら、そのことにはあまり関心がなく、家にずっと子供どもいるから困る、なんて心配ばっかりしている世の中だ。勉強なんて、この際「どうでもいい」方に分類されているんだよ。

2020年4月5日日曜日

「ため」と「こぶし」

 バヨ練でカラオケボックスを使うことはあっても、そこで歌うことは滅多にないのだが、どうしても練習が思うように進まないときに魔が差して、自分のうたを採点してみた。余計なお世話というか、点数だけでなく、全国で何位なんていう順位まで出てくる。10人中6位などという中途半端な順位だと、なんとかベストスリーに入ろうと何度も同じ曲を歌う羽目になってしまう。10人中6位でよかったらそこで名前とかを入れて登録できるようになっているみたいだ。結局、最後まで登録しなかったので幻の順位になってしまった。順位に満足しなければ登録しない人も多いことだろうし、ベストスリーに入れば登録しようという人もいることだろうから、10人中6位は結構いい線いっているはず。

 この採点は、音程やリズムの正確さだけではなく、「ため」「こぶし」「ビブラート」を効果的に使っているかも採点項目になっているようだ。カラオケボックスでそんなことをしたこととは関係ないが、最近、ヴィオラを弾いていても「ため」「こぶし」「ビブラート」が気になる。ビブラートは良しとして、「ため」と「こぶし」はどう考えても良くない。

 先日の「弾き合い会」の演奏が録画されていたようで、きのうのアンサンブルレッスンは、それを見るところから始まった。自分のパートを聴いていて、この「ため」と「こぶし」がやたら気になる。先生曰く、音の出だしのところで迷いがあるから中膨らみができてしまってそういうように聞こえる、とのこと。確かに他のパートをよく聞こうと思うと、それを聴いてからそれに合わせて音を出そうというバイアスがかかり、最初から音が出せていないのかもしれない。いやしかし、それだけではない。いつも練習の初めに指慣らしで弾いているG線上のアリアだって、録音して聞いてみたら「ため」「こぶし」だらけだ。なにか演奏技術に根本的な問題があるように思う。
 アンサンブルレッスンが終わって、ソロのレッスンでは、G線上のアリアを見ていただくことにした。「ため」と「こぶし」、それと伸ばす音の「息切れ」。まるでカラオケレッスンだ。ただ、「ため」と「こぶし」を効果的に使うのではなくて、如何にそれが出ないようにするか、という点が課題になっているのはカラオケとは違う。

 結論
 弓の使い方がわるい
 長い音を、最初から最後まで同じ音量、同じ音色で弾くのはなかなか難しい。その練習ができていない。それも、元弓、先弓、全弓といろいろな弓の場所で、弓を動かす速さもそれぞれの場面に適した速さで弾いて、それでなおかつ同じ音量、同じ音色で弾く。
 特に仰ったのは「速い弓」の使い方。例えば付点二分音符で弾いた分を八分音符ふたつで戻さないといけないようなフレーズだったら、当然、最初の3倍の速さで弓を動かさないと元の位置にまで戻ってこない。そういうことを意識すれば、もっと安定的な音量と音色で弾けるはず。楽譜のあちこちに、「元」とか「F」(fastの意味)だとか、いろいろ書いて練習することになった。
 はたしてその効果は?