2019年2月27日水曜日

PachelbelのChiaconna

 PachelbelといえばCanonしか思い浮かばないというご仁も多かろう。私もご多分に漏れない。手元にある『音楽中辞典』(音楽之友社,1979)によると
1653-1706 ドイツのオルガン奏者・作曲家。ドイツ各都市のオルガニストを歴任。アイゼナハではJ.S.バッハの父や兄と親交をむすぶ。鍵盤音楽の分野で南ドイツ(イタリア)と中部ドイツの様式の融合に成功。重要なコラール前奏曲、コラール変奏曲などのオルガン曲などのほかに、組曲、カンタータなどがある。
ということなので、どちらかというとオルガン奏者でオルガンの曲を作っていた人、という評価が主で、有名な「パッヘルベルのカノン」なんかは、何かのついでに作ったような曲なのかもしれない。

 いま練習しているのはこの曲。


 弦楽合奏で弾くので、弦楽合奏の動画を見つけてきたが、もともとはオルガン曲のようだ。聴いてみると、17世紀の人が作ったとは思えない、感情表現や情景描写の豊かな音楽で、映画の最後に流れているような、それも悲劇的な映画で、主人公の叫ぶ声が聞こえてきそうな、そんな音楽だ。引用した解説によると、Pachelbelはドイツのいろんな街でオルガニストを歴任していたということだから、たぶん、教会に務めることも多かったのではないかと思う。明確に「宗教曲」とはなっていないが、教会の説法でキリストの最期の物語を大衆に聞かせた後でこの曲を聞かせれば、そのときの弟子や人々の心情をよく理解できるのではないかと思う。

 弦楽合奏に編曲したのはRobert Miller Hartmannという人のようなのだが、この人については詳らかにはわからなかった。まだご存命の方のようなのだが。

 目下の課題は、C線やG線の3指、4指が届かないこと。C線とG線の移弦が上手くいかないこと、C線になるとボウイングまでがなんだか変になってしまうこと。先日のレッスンでは、左肘を内側にグッと入れることだとか、左手首を少し上にすることだとか、立ち方の姿勢だとか、楽器を下げないことだとか、ごくごく初歩的なところに終始してしまった。キリストの最期を物語るまでには、まだだいぶ時間がかかりそうだ。

2019年2月13日水曜日

インフルエンザ

 先月は18日にインフルエンザ発症。22日まで出勤拒絶。病後の回復があまり良くなく、翌週になってまた会社を休むという体たらく。それがやっと普通に会社に行けるようになって調子に乗っていると、この3連休は原因不明の睡魔のために、ほとんど家で臥せってしまうという有様。
あぁ~齢だ
ホントに年齢を感じる。というより、はっきり老いを感じる。譜読みをしていても集中力が持たない。せめてこの齢になるまでに、譜読みぐらいは何の苦も無くさっさと出来るようになっておきたかった。
 などといまから嘆いたところで若返るわけでもなく、時間がかかっても、ゆっくり、しっかり譜読みしていくしかない。
 
 秋に定期演奏会のあるアンサンブルは、通うのが遠いこともあって、冬の間は冬眠。5月ぐらいから通う予定なのだが、先日、定期演奏会の曲のうちひとつがほぼ決まったという連絡があった。カノンで有名なパッヘルベルの曲で、3拍子のホ短調。最初に4小節の主題提示があって、それが2回繰り返され、さらにその8小節がどんどん変奏されていく。8小節づつ練習すればいいから楽勝じゃん、と思っていたのだが、それは、体調も良くて集中力が持続し、ちょっと難しいところがあっても挫けないだけの根性がある人の話。今の自分には、
弾けるところだけは練習しておこう
みたいな軟弱感がハンパない。

 練習して思ったのだが、この曲、結構、C線やG線がでてくる。ヴィオラパートなので当たり前なのだが、いつものセヴシックだとか移弦の練習も、C線やG線でやると、D線で出来たはずのことが出来なかったりする。
 曲の練習も、いまのところあまり面白くないので、つい、そういう基礎練習に流れてしまう。そして、その基礎練習もなかなか巧くいかず、結局、面白くなくなってしまう。

 これじゃダメだな。