2018年12月22日土曜日

ライブハウスでジャズを聴く

 ライブハウスでジャズを聴いてきた。
 ヴィオラのレッスンを受けているスタジオで、ヴォーカルの指導をされている先生と、発表会のときにヴォーカルの方のバックピアノを弾かれた方のデュオ。杉山悟史さんというピアニストは、前回の発表会でも演奏されていたので、てっきりヴォーカルの先生といつもデュオをされているのかと思っていたのだが、今回のライブが初めてのデュオだそうだ。スタジオの発表会が縁になったようだ。デュオの動画はないが、こんな演奏をされる。


 ライブハウスというところにほぼ行ったことがないので、まずはどんなカッコで行くかから問題。めっさオシャレなイメージを持っていたので、梅田のホストみたいなカッコでないと浮くのか、なんて思って、会社の女の子に聞いてみると、反対に「梅田のホストってどんなカッコしてるイメージなんですか」と聞かれる。そりゃ、細身の黒のスーツに単色の細いネクタイで、頭髪ワックス、靴も無駄につま先の長いやつ、いやシャツは黒か、いやジャケットじゃなくてベストだったりするのか、などなどと、思いつくままにイメージを伝えると、「それじゃ店員さんに間違えられますよ」とのこと。しかし、ホストには間違えられることはなさそうだ。

 隣町の瀟洒なライブハウス、といっても、ほかのライブハウスと比較しているわけではないが、このライブハウスの主もミュージシャンらしく、そういういみでは演奏する人の気持ちもわかって、お客さんにこんなふうに楽しんでほしいという思いも、演奏者と共有できるのだろう。陣取った席は、ピアニストの指先が良く見える左端の席。お客さんは10人ほどで、残念ながら「多い」とはいえない。しかし、その分、演奏者と濃密に絡み合うようなライブだった。

 クラシックの曲の場合、最初の音が流れると、あとは予定調和のように、曲が最後まで流れていく感じがする。音の組み合わせなんて無数にあるはずなのに、それはそれで不思議に思うこともあるのだが、ジャズの場合は、先がまったくわからない。演奏家同士も、何か最初から決まった演奏をするのではなく、お互いが、まるで会話をするように、例えば、ピアニストが間奏の終わるタイミングをじらしてきたり、ヴォーカルが原曲にないようなフレーズを歌いだしたり、お互いが何かを仕掛け合うような、そんなステージだ。それが聴いているこっちにも何となくわかる。
 ちょうどこんな感じだ。
 子供の頃、親戚のお兄ちゃんが家に来て、ふだんは誰も弾かないピアノを鳴らし始める。それを聞いた叔母さんが、いつのまにかピアノの部屋にやってきて、子供の自分が今まで聞いたこともない歌を歌いだす。歌詞も英語だから意味も分からない。なのに、その空間に吸い込まれるような感覚。いつもみたいに「遊んで」といわなくても、ただ聴いているだけなのに遊んでもらっているような感覚になっていき、いつの間にか「他のもやって」なんてことを言っている。
 そういう感じだった。

 ええわぁ~
 大人の遊び、って感じ。

2018年12月16日日曜日

公民館の音楽会

 これまで何人かの先生にヴァイオリンやヴィオラのご指導をいただいてきたが、いちばんお世話になった先生と言えば、間違いなくこの先生だ。子供がピアノを習い始めたのを追いかけるように、いまのスタジオでヴァイオリンのレッスンを受けるようになった時は男性の先生だったのだが、その先生がイタリアに留学されることになって、そのあとを引き継いで、このひと癖もふた癖もある生徒の面倒を9年間もみてくださった先生だ。習い始めた時はまだ音大の学生さんだった。結婚されてもレッスンを続けてくださっていたのだが、出産のときにスタジオを退職された。きっとしばらくは子育てに専念されていたのだと思う。
 その先生が近くの公民館の音楽会にお越しになられる。

 スタジオの先生は、どの方もプロなので、リサイタルをされたり、楽団に入っておられる先生は楽団のコンサートがあったりすると、必ずフライヤーをスタジオに持ってこられるのだが、この先生はそういうことをされたことがない。生徒の前で演奏するのは緊張するのだそうだ。いや分からなくもないのだが。だからスタジオの発表会のあとの講師演奏以外のステージを見たのは2回だけ。スタジオの奥様から情報を仕入れて、こっそり見にいく。トラなんかで弾かれているので、後ろの方におられるのだが、そういうときは、どんなに大勢がステージに載っていようと、先生だけガン見。見ているものの気分としては、そこは先生のリサイタルで残りの人は伴奏なのだが、黙って見にいっているので、次のレッスンで感想をいうとかそういうこともないまま今日に至っている。

 今回の音楽会の情報もスタジオの奥様から仕入れた情報。
 会場は3階建ての小さなビルの最上階。周りに高い建物がないので窓から琵琶湖が見渡せる。ホールとはいっても、パイプ椅子が70脚ほど並べられた広間で、お客さんは地域の少し年配の方が多かった。

 ママさんコーラスの合唱やピアノのコーナーのあと、いよいよ先生が登場。緑のドレスに包まれた美しい肢体は、まるで人形かお姫様のようだ。容姿の話が過ぎるのは先生に失礼かもしれないが、照明も舞台もない会場なのに、まるでそこにスポットライトが当たっているようだ。会場中の視線が先生に釘付けになっている。
 明るい会場なので、こちらの顔も先生から見える。演奏のときに、いちど、ほんの少しだけれど、あからさまにこちらをご覧になった。
ちゃんと見ておきなさいよ
と言われているようだ。もちろん、その瞬間も、結構真剣な目で見ていた。ボウイングだとかフィンガリングだとかを見ながら、まるでレッスンを受けているような気分になる。演奏曲は、タリスの瞑想曲など、ヴァイオリンのリサイタルで「小品」として弾かれる曲が4曲。ほんとうにあっという間だった。

 演奏が終わったあと、少しお話をすることもできた。先生が退職された後、ヴァイオリンの生徒の中でも大人の生徒がずいぶん減って、残っているのは私だけになったことも、すでにお聞き及びのようだ。その私はと言えば、先生が退職された後、アマオケに入ったり、スタジオの発表会ではバンドをやったりと、ヴァイオリンでずいぶん楽しませてもらっている。これも本当に先生のおかげだ。先生も、私がこうして続けていることを喜んでくださっているように思えた。最後に
頑張ってくださいね、
と励まされた。頑張って上手になってくださいね、ということではなくて、きっと頑張って続けてくださいね、ということだと思う。そりゃもちろん、上手に弾けるようになれば、「先生のご指導の賜物です」といって感謝の気持ちを伝えられるのだが、私にできるのは続けることと楽しむことぐらいしかない。これからもずっと続けていこうという気持ちを確かめることができた音楽会だった。

2018年12月9日日曜日

基礎練習の連鎖

 いつも発表会の後に思い立って始めるものの長続きしない基礎練習が、今回はしばらく飽きもせずに続いている。基礎練習ばかりではなくて、練習前の指慣らしに少しやって、そのあとは曲をやるというスタイルがいいのかもしれない。お馴染みのsevsikなのだが、ヴィオラ用に少しアレンジをしている。それと「No.1」と書かれている下にある小さい楽譜のところも練習メニューに入れたので、もともと24小節しかないもの(左)がA4で2ページの大曲(右)になってしまった。

sevsic sevsik

これと、音階(右写真の3頁目)が目下の課題。

 いろいろと出来ないところがあるのだが、レッスンではあれもこれもと課題を出されるのではなく、いくつかの課題に絞ってレクチャーがある。ある時は、リズムを一定に保つという課題が出され、別のときには元弓を使いましょうという課題が出される。音程もかなり怪しいのだが、そこは目を瞑って、リズムと言われればリズム、元弓と言われれば元弓と、課題を絞って練習する。すると練習したところは一応はよくなる。ただ、別の課題が出るともうその課題はお預けになってしまうのだが。

 改めてやってみると出来ないことだらけだ。
 前回のレッスンでは、「だいぶ良くなりましたね」とお褒めいただいたのだが、自分では左手親指の付け根が痛くて練習が思うように続けられなかったので、そのことを訴えて、それが課題になった。今回のレッスンでは、その問題が解決しないまま、再びリズムが問題になった。前回は16分音符になると走る、というのが問題だったのだが、今回のリズム問題は、移弦や弓を返すところでリズムが乱れるという問題。これはアンサンブルの合わせでも感じていた問題なので、深刻さの程度は軽くない。それでsevsikの中でも移弦の練習を課題に加えることになった。すると、いままでは主に左手の問題にフォーカスしていたレッスンが、右手の課題が前面に出るものに変わる。弓の持ち方からやり直し。

 こうして基礎練習の課題から別の課題が見えてきて、基礎練習が連鎖していく。
 今年が6月方9月まで毎月「本番」があったのだが、しばらく発表会も演奏会もないので、この間に少しでも基礎を改善していかなければ。