2018年4月15日日曜日

先生のコンサート

画像に含まれている可能性があるもの:雲、空、屋外
会場正面
 先生のコンサートを聴いてきた。
 隣町の郊外だったので、家に帰ってくるのに2時間近くかかる。そう、もう2時間前のことなのに、なんだか、いまでも、ものすごく興奮している。

嗚呼、よかった。
素晴らしかった。

 それ以上に言いようがないのだが、本当に良かった。
 客席200の小さなホールは満席。当日券を当てにしていった私は、ロビーでキャンセル待ちをすることになった。たまたまスタジオのご主人が来られ、奥様が急に来られなくなったとのことだったので、入場できた。これは有難いことだ。先生のコンサートが満席になるというのは、それはそれで嬉しいが、自分が入れないのは悲しい。そこに空席ができてしまうのも残念なのだが、その空席を自分が埋めることができた。
 ステージに登場した先生はとても綺麗だった。
 曲はちょっと難しい。前半はそんなことに気を取られていたりしたが、そうだ、曲を聴きに来たのではなくて、先生を見に来たんだと、気を取り直し、先生の呼吸を感じながら聴き入る。こういうのは小さな会場ならではなんだが、それも、レッスンでいつも「ちゃんと息をしましょう」といわれている私以外にこんな聴き方をする人もいないだろう。
 そんな聴き方をしていると、先生がますます綺麗に思えてくる。
 演奏はもう異次元だ。こんな先生に、なんど言っても同じことばかり注意されて、ちっとも上達しないおっさんのために45分も時間を使うのは浪費のようにも思える。きっとその45分があれば、相当ストイックな練習をされるのだろう。いや私も、その45分が浪費にならないようにストイックに練習をしなければいけないのだが、いやいやそれこそ次元が違う
 演奏だけではなく表情からも、ストイックな練習をされてきたことが伝わってくる。いまの演奏に満足していないのか、自分の演奏を冷静に批判的に振り返っているのか、演奏が終わったときもツンとした感じで、笑顔はない。それが急に変化したのは、プログラムが全部終わってアンコールがかかった時だった。舞台から挨拶をされる先生の声が震えていて、いまにも泣き出しそうなのを必死にこらえて話しておられる。いちど表情を崩すと、もう、ちょうどいい感じの笑顔なんて作れなかったのかもしれない。

 ホールの大きさに関係なく、ライブというのは、必ず聴衆の思っていることが演奏者に伝わり、演奏者の考えていることも聴衆に伝わる。それが互いに共鳴し、そこにいる全員が演奏者のように、そしてホール全体が楽器のように鳴り響く。これがライブの醍醐味だと思う。YouTubeで聴くのとは全く違うし、どんな高価なステレオセットを使ってもこれには敵わない。

 なんども言うが、良かった、素晴らしかった。そして先生は綺麗だった。写真に撮って「ほら綺麗でしょ」というものではなく、そこに見えるもの、聞こえるもの、空気の感触、そのほかすべてのものが先生の美しさのためにあるようなステージだった。

Bravo!

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