2017年9月30日土曜日

前日練習

 いよいよ明日が本番。今日は、明日ステージに載る全員が初めて集まって、明日と同じステージで練習した。

 ヴィオラパートにもエキストラの方が来られた。先生が面倒を見ておられる大学のアンサンブルから来られた女子学生だ。団員の方は奥ゆかしいのかなんだか、エキストラを最前列に並べ、その陰に隠れてこっそり弾こうとする人ばかり(私を含む)。いやしかし、やはりわざわざ来てもらっている人だけあって、演奏はそつがない。それにアンサンブルで弾くことにも慣れていて、アクションが大きく、ちょっとした動きで次の音が予測できる。前にいてもらうととても弾きやすい。
 ちなみにこれは、いつもレッスンを受けている先生も同じで、前のレッスンの時に、fzp(強いアクセントを付けたあとで、すぐ弱く)の弾き方について、弓をいきなり速く動かしてすぐにゆっくりにするという弾き方をしていたところを、そうではなくて、弓を深く重みを載せて弾いた後、弓速は変えないまま弓に載せる重みを軽くして弾くように、というご指導をいただいたときのお手本を見て、音が出る前に次はどういう弾き方で来るのかがイメージできるのを強く感じた。何がどう違うのかよくわからないが、そういうものなのだろう。
 とにかく、そうやって動きを目で追いながら弾いていると、がぜんテンションが上がってくる。

 こうしてエキストラにも助けられて練習が始まる。いつもの練習では「パラパラパッパッパー」と口で歌っていたオーボエやホルンもいる。口で歌わなくても楽器の音が出てくる。これもがぜんテンションが上がってくる。

 そしてソプラノの美しい歌手の登場。プロのソプラノの声をこんな間近で聴けるなんて。いままでこんな機会はなかったのでイメージができなかったのだが、とにかくすごい。大声を出すとかそういうことではなくて、とにかく声量がすごいし、小さな声でうたうところも、細く針のような声でけっして弱々しい、か細い声ではない。とにかく綺麗な声だ。そして容姿も美しい。モーツアルトはこんな美しい人のためにこの曲を書いたのかと暫し妄想。途中、レスタティーヴォのところをチェンバロ(キーボードで演奏)と合わせる時間が結構長かったのだが、チェンバロは私の席のうしろ。チェンバロの方を見て歌ってくださるということは、私の方を見て歌ってくださるのとほぼ同じ。少なくとも視界には私が入っていたはずだ。これもがぜんテンションが上がってくる。これはエキストラがはいったり、オーボエが入って上がった分の100倍ぐらい。

 もう、遠足の前の日みたいに、興奮して眠れないかも。

2017年9月17日日曜日

Edward W. Elgar

 演奏会のプログラムに掲載する曲の紹介を書くことになったので、図書館に行って、作曲家の女性関係を調べたりしたのだが、その所為があって、ひとつ書き上げることができた。自分で言うのも何だがそこそこの出来だ。読んで演奏を聴く楽しみが増えればと思う。遠くで演奏会にお越しいただけない方のためにフライングでご紹介したい。お近くの方で興味を持たれた方は是非お越しいただければと思う。

 ちなみにこの曲の紹介だ。




Serenade for Strings Op.20, Edward W. Elgar, 1893, Malvern.

弦楽セレナーデ作品20は、エルガーが、1893年に、10歳ほど年上の妻、キャロライン・アリスとの結婚3周年を記念して作曲したと言われている。特に第2楽章の甘美なメロディからは、彼の深い愛情が感じられる。
エルガーは愛妻家として知られているが、浮いた噂がないわけではない。もっとも有名なのは、1902年から生涯続いたアネモネとの交流であろう。二人の交流は妻も公認のものであったが、1989年に、アネモネが残していたエルガーの書簡が「アネモネの手紙」として公表され、誰もが考えていた以上に二人が親密な関係であったことがわかった。それでも一線を越える関係であったかどうかは明らかではない。
弦楽セレナーデ作品20が作曲されたのは、エルガーがアネモネと出会うよりも前である。このころエルガーは、女子学校の音楽教師の職にあり、その学校の校長、ローザ・バーリーがエルガーに対する深い愛情を抱いていた。しかし、エルガーの方ではまったくその素振りはなかったという。彼女の回想によると、エルガーは考えられないほど抑圧された人間で、無数の非難を浴びるという恐怖に憑りつかれ、いわば内面に閉じ込められた状態だったのだという。この内面の自由、つまり、行動を伴わなければ心の中で何を考えていても許されるという自由は、近代以降の個人に与えられた自由の核心といってもよい。妻への愛情と愛妻家というイメージで自分を抑圧していた彼は、この内面の自由によって何を想像し、どんなロマンスをこの曲に込めたのだろうか。
この曲の第1楽章は、何かに追われているような旋律で始まる。彼を追うのは、妻のアリスではなく、醜聞に飢えた世間の目であったり、愛妻家という虚構から得られる彼のプライドだったかもしれない。この旋律はたびたび登場して第1楽章全体に逃げ場のない雰囲気を醸し出す。途中、ヴァイオリンが甘美な会話をするように美しい旋律を奏でる間も、低弦はどこか不穏な旋律を送り続ける。そして、その甘美な会話が衝撃的な旋律で遮られ、再び何かに追われるような旋律が始まる。最後は都会の雑踏の中に逃げ込むように曲が盛り上がり、静かにドアが閉じられる音で、第2楽章に続いていく。妻とのロマンスを思い描きながら作った曲ならば、なぜ第1楽章にはこんなにも緊迫感があるのだろう。彼はこの作品でいったいどんな情景を思い描いたのか。
想像するのは自由だ。貴女もエルガーがこの曲に込めた情景を想像してほしい。貴女はいまシルクのドレスで身を包み、恋のアヴァンチュールを楽しんでいるところ。演奏会のあとは、ふたりで都会の雑踏に消えてゆき・・・(18歳以上限定)。

参考文献
フリッツ・スピーグル 著 ; 山田久美子 訳.  恋する大作曲家たち.  音楽之友社, 2001.3. 446p ; ISBN 4-276-21061-5 :
水越健一 著.  エドワード・エルガー希望と栄光の国.  武田書店, 2001.6. 220p ; ISBN 4-88689-016-4 :




お越しになってプログラムを見た時に、これと違う原稿に挿し変わっていたら、他のメンバーからNGが出たということなんだが、解釈は聴く人に任されているので、気に入っていただければ是非アヴァンチュールを楽しみに来てください。

2017年9月16日土曜日

アンサンブルの楽しみ方

 アンサンブルのメンバーになるといろいろな楽しみがあるものだ。すぐに思いつくのは仲間との飲み会だが、うちのアンサンブルに限るとあまりそういう機会はない。練習が木曜日の夜で、クルマで来る人も多く、終わったらさっさと帰るというのがスタンダード。いやしかし、楽しみ方はいろいろあるというのを実感している。

 まず楽譜の管理。これはいちおう、ライブラリアンというひとがいて管理されている。一年の半分しか活動に参加できない自分としては、そこはあまり関われないのだが、原版が古くて不鮮明なものや、手書き譜で読みにくいものをメンテナンスするというようなことなら、期間限定団員にもできる。幸い少し長めの夏休みがあり、時間もあったので、書き込みのある古いスコア譜をもとに演奏していた曲のパート譜を作成したり、指導してくださる先生の手書きの編曲譜をフリーソフトを使って写譜したりといったことをやった。
 これはずいぶん歓迎された。
弾きやすい。
これで弾いたら上手になった気がする。
などとお褒めをいただいた。これでみなさんが1割り増しぐらいで弾けるのなら、その時間、私が練習時間を削ったことによって1割後退しても、全体としてはレベルが上がるはず。

 もうひとつは、プログラムの曲紹介を書くこと。
 といっても、和声がどうだとか、対位法がナンチャラだとか、そういう難しいことは書けない。曲紹介を書くにあたってやったのは、図書館に行って、モーツアルトとエルガーの
女性関係を徹底的に調べる
こと。今回、演奏する曲は、それぞれ作曲家が何歳の時に書いたものか。そして、そのとき彼は誰に思慕の情を抱き、誰を口説き落とす目的でこの曲を作ったのか。
 図書館の「音楽」の書架に行けば、モーツアルトに関する本は何冊もある。モーツアルトの曲を1曲ずつ解説した「モーツァルト全作品事典」(音楽之友社, 2006)、モーツアルトと交流のあった人についての解説まで掲載されている「モーツァルト大事典」(平凡社, 1996)、全6巻からなる書簡集などのほか、事典類も充実している。いちばん参考になったのは、高橋英郎「モーツァルトの手紙」(小学館, 2007)。参考になる資料も多いが、調べてみると、出るわ出るわ、女性関係が。噂に違わぬ相当なチャラ男だったようだ。
 一方でエルガーの方は愛妻家で通っているのだが、これも調べていくとちょっと怪しい。そもそもセレナーデというのが異性を口説き落とすための曲と言えなくもないのだから、結婚後に書くには、大人の都合で簡単には一線を越えられない誰か意中の人がいるか、あるいはそういうことを妄想しながらでなければ、ロマンティックなセレナーデにはならない。そして、そのセレナーデをロマンティックに弾くには、演奏者も同じように妄想しながら弾く必要がある(キッパリ。

 そんなわけで、ずいぶん時間をかけて、超大作を書き上げたのだが、こっちの方は、あるいはその時間、練習しておく方がよかったかも。いや、演奏のレベルは上がらないかもしれないが、聴きに来ていただいたお客さんの満足度は、この曲紹介で1割ほどアップするかもしれないから、やっぱり貴重な貢献だ。