2016年8月29日月曜日

2年後にまた会いましょう

 今回の発表会は、ソロの演奏と、おっさんばっかりのアンサンブル演奏の二本立て。種目別個人と男子団体総合みたいな感じだ。この種目別個人の最後の演奏が結構上手い。いつも上手い人なんだが、今年はさらにレベルアップしている。

 演奏が終わったあと、事情を知りたる人たちがアンコールを掛ける。それを無視して立ち去ろうとするのを引き留めたり、楽譜を「弾け」と言わんばかりに突き付けられて顔をしかめたりといった小芝居があって、いよいよ男子団体総合「情熱大陸」。

 まぁしかし、もうすでに種目別個人の重荷は降ろしているので、気分的にはエキシビションみたいな感じだ。なんの緊張もなく、手拍子に合わせて本当に楽しく弾けた。

 あまり何度も聴かないけど、録音を聞き返してみて、けっして上手とは言えないが意外と音色が出ている。いつものチャルメラのような音色ではない。それだけでも直前の1ヶ月ほどの駆け込み練習があったというものだ。

 発表会のあとの懇親会は、どの人も満足げだった。自分がそうだったからかもしれないが、そう思えた。そして誰よりもスタジオの奥様が嬉しそうだった。いつもお世話になっているスタジオに少しは恩返しができたかなと思う。

 また2年後。

 その間に、そんなに上達しているとは思えないのだが、また2年後もこうして発表会に出て、みんなの演奏を聴いて、そして、また続けていこうという思いを新たにしたい。

 こうして、ヴィオラを弾いていてよかったという思いを新たにした一日が終わった。

2016年8月27日土曜日

気分は猫ひろし

 2年に一度の「大人の発表会」。楽器が違えども、それぞれ音楽を愛する人同士なので、他の人の演奏も全部聴こうと決めて、20人ぐらいの演奏を聴いた。いよいよ自分の出番だ。

 リハーサルでやった通り、アンクタクトで弓を振ってピアノの先生に合図するところまでは良かった。そのあと2拍目の上げ弓から始まるから、振った弓の先弓を弦に付けて待たないといけないところ、間違って元弓を付けてしまう。
あっ
と思ったけれど、当然やり直しは利かない。いままでだと、これで頭が真っ白になって一気に崩れていってしまうところなのだが、今年はそれでも落ち着いていた。その落ち着いている自分を見ている自分がいて、

お、お前、意外と落ち着いているじゃん。

なんてことを思っている。第一楽章はいままでの発表会ではなかった緩楽章。ゆっくりしたテンポでしっくりと聴かせる。レッスンではそこまでご指導いただく余裕はなかったのだが、自分なりに、ここは細い音色から入ってだんだん膨らますとか、ここは力強くとか、ここは伸ばしている間に膨らまして次の音を弾きだすとか、ここは目を閉じて顎を振りながら弾くとか、いろんなことを随所で考えていた。そのいくつかは実際にできた。最初に大失敗をしてそれだけできたのだから上出来だ。

 第2楽章は安全運転。ついスピードが出がちなところをしっかり抑えて、そのあとの急カーブで飛び出してしまわないように。これもある程度はできた。ただ、スピードは出ていないのに縁石に乗り上げたり、車庫入れで擦ったりと、ボロボロではあったのだが。

 でもそういうところで立ち止まることはできない。なにせ本番なのだ。ピアノ伴奏はヴィオラにはお構いなしにどんどん先へ進む。ここは無茶をして伴奏音源に合わせる練習をした甲斐があった。1小節か2小節を休符の振りをして、その次から何事もなかったようにピアノに合わせて弾き始める。おかげで最後まで止まることなく(?)弾き終えることができた。娘がまだ小さい頃に発表会前に言い聞かせたお約束のひとつ

間違えても最後まで弾くこと

が実践できた。
 オリンピック女子マラソンで完走した福士加代子選手が、第一声で「金メダル取れなかった~」といいつつ、世界最高の選手たちと一緒に走った42.195キロを「特別な時間」と振り返ったように、「ちゃんと弾けなかった~」けど、本当に特別な時間だった。伴奏していただいたピアノの先生に感謝。辛抱強くご指導いただいたバヨ先生に感謝。発表会を開いてくださったスタジオの奥様にも感謝。とにかく完走できてよかった。

(まだ、つづく)

2016年8月24日水曜日

発表会の基本に立ち返る

 こうして発表会本番の日を迎える。リハーサルの持ち時間は7分。第2楽章を普通のCDのようなテンポで弾けばなんとか最後まで弾けるのだが、もうそれはないものとした。重点はピアノの先生への合図。これだけできればいい。そして間違えてもオロオロしない。しれっと休符の振りをして途中から入る。といっても何か間違えたことはすぐにわかるのだが、どれぐらい間違えたかはわからない。 予定通り、第2楽章の半分を少し過ぎたところで「チン」とベルが鳴ってリハーサルが終わった。

 会場では、本番の会場のほかに練習用の部屋が用意されていて、代わる代わる練習をする。不安なところを何度も繰り返し練習する人もいるのだが、私の場合はそういうことをすると間違える練習にしかならない。不安なところは少し前から弾いて、駄目だった時の誤魔化し方を練習しておく。これは、そうしておけば本番で間違わないなどといった「おまじない」ではない。もっと現実的で真剣な練習なのだ。

 そうこうしているうちに集合写真の撮影があって、いよいよ本番が始まる。
 今回はここでいつもと違う行動をした。
 本番を最初から最後まで聴くことにしたのだ。

 娘がまだ小さいときのこと。初めての発表会はスタジオに椅子を並べて、生徒とその親20人ほどが所狭しと聞き入る中での発表会だった。そのとき、娘とした約束は
・ ちゃんと練習して一生懸命弾くこと
・ 間違えても最後まで弾くこと
・ 他の人の演奏もちゃんと聴くこと
中には、自分の演奏が終わると隣の子供とこつき合ったりする子がいるなかで、うちの娘は最後まできちんと演奏を聴いていた。ところが、自分自身はというとこの3番目の約束が、いままでは守れていなかった。自分の出番までの間、少しでも練習をしておこうと、練習室で必死になっていたのだ。そういうのは私だけではない。たいていの人がそうしていたように思う。

 今回は、出演者も少なく、会場も狭い。自分は最後の方だが、どうせ弾くなら、下手だけどみんなに聴いてほしい。そう思うなら、まず自分がちゃんと他の人の演奏も聴こう。そんなふうに思った。
 それに今回はスタジオの奥さんも開催するかどうかでずいぶん悩んでおられた。こうして開催されるのだから、やっぱり生徒一同、それに感謝して、何としても成功裏に終わらせないといけない。それじゃ、「成功」ってなんだろう。もしろん、一人一人の生徒の演奏のレベルが高くなることを望んでおられないわけではないが、その努力は当日の練習で稔るものでもない。楽器は違えど、またレベルは違えど、お互いに練習の成果を聴きあって励ましあい、またこれからも続けていこうという思いを共有してこその「成功」だ。
 そう考えると、まずは発表会の間、ちゃんと他の人の演奏も聴くというのが、いつもお世話になっているスタジオへの恩返しだ。
 なんて、そこまでは深く考えなかったけれど、とにかく全部聴くことにした。

 聴いていると、やはりそれぞれのお人柄がよく出てくる。一人一人が楽しんでおられることが伝わってくる。やっぱりこれだ。これがこのスタジオの発表会のいいところだ。

(つづく)

2016年8月23日火曜日

オリンピックとともに熱い夏は終わる

 長かったオリンピックも閉会になったが、2年に1度の発表会がある私の夏も終わった。相変わらず、曲がちゃんと弾けないのだけれど、何か清々しい気持ちで発表会を終えることができた。

 1週間前の最後のレッスンで、初めてピアノ合わせがあった。ピアノの先生には4年前に伴奏をしていただいている。娘もかつてお世話になっている先生なので、こっちの実力のほどはよくよくご存知。ピアノ合わせに向けて、お盆で特別料金になっているカラオケボックスを使ってかなりの練習をした。
 発表会の曲は、あまり有名ではないが、教本にも載っている定番曲なので、伴奏の音源もある。これをヘッドフォンで聴きながら弾く練習を繰り返す。テンポはかなり速い。ところどころ間違えたりするのだが、なんとか最後まで弾けるようになった。これは前回のレッスンからすれば相当な上達だ。それは先生も認めてくれた。

が、しかし、

練習でたまに間違えることは、本番では必ず間違えるものだ。ピアノ合わせはとにかくズタズタだった。先生曰く「速い」。そんなスピード出したら事故りますよ。もっとちゃんと弾ける速さでゆっくり、速く弾いて誤魔化そうとかしないで、最後まで同じ速さで、ってこれずっと言ってるじゃないですか。

…と、容赦なく機関銃のようなすごい速さでご指導が入る。

いつものことなのだが、さすがに発表会の1週間前にこの状態はかなり落ち込んだ。
走り高跳びだとか砲丸投げみたいに、何回かの試技の中でいちばんよかったやつを採用してもらえるのだったらいいのだが、発表会の演奏は1回限り。そこに最高の演技ができるように、心・技・体を整えていかないといけない。といっても、整えられるのは体ぐらいで、心も技もこりゃ無理だ、という雰囲気が濃厚に漂う。

 そこから1週間は、伴奏の音源に合わせるのをやめて、メトロノームをゆっくり目にして、とにかく通す練習を続けた。失敗しても途中で止めない。教本に載っているとはいえ、知っている人は少ない。間違えたところは休符の振りをして、どこからでも復活できるようにしておく。金メダルを取ったバドミントン女子ダブルスでも、最初から最後までノーミスではない。ミスをしてもすぐに気持ちを切り替えて、つねにアグレッシブな状態を維持できているかどうかが勝負のカギだ。

 それとピアノの先生に合図を出す練習。
 アンクタクトでサッと弓を振って最初の音を出してもらい、2拍目から音を出し始める。上げ弓から始まるので、弓を振った後は先弓を載せないといけないので、楽譜の最初に「先弓」と朱書きする。これで間違えることもないだろう。

 もう1曲の「情熱大陸」の方は、自分のソロのところ以外はまずまずの出来。こっちは前日にレッスンがあったのだが、もう先生は「いいですね」としか仰らない。本当は良くないところもいっぱいあるのだけれど、そんなところより「いまのはこういうところが良かった」みたいなことを言って、そこを本番でもそういうように弾きましょう的なアドバイスをいただく。

 プログラムでは、この「情熱大陸」の3人が最後に固められている。種目別個人の後に男子団体総合という並びだ。果たして結果は如何に?

(つづく)

祝・13000アクセス

 どうでもいいことですが、このブログが13,000ページビューを達成しました。
 いちばん最近アクセスされた方、13,000目のページビューですよ。

 昨年11月19日に10,000ページビューを達成していますので、それから278日で3,000ページビュー。ほぼ毎日10ページビューということになります。いつもご覧いただいているみなさま。まことに有難うございます。

 これからも、役に立たない記事を社会の片隅で書き続けます。

2016年8月11日木曜日

男子団体はメダルのその先を目指す


 発表会のプログラムができた。私は後ろから3番目。ラストは予定通りマリンバの男子生徒で、その間にクラリネットの男子生徒が入る。後ろの方がおっさんばっかりだ。そしてマリンバの演奏が終わったところで、事情を知った人たちがアンコールを掛け、そこにおっさん3人が現れて「情熱大陸」という段取りになっている。オリンピックの体操とは反対に、先に個人があって後に団体戦。卓球とか水泳と同じか。
アンコールとはいえ、人前で弾くのでレッスンもしていただいている。3人の先生に見てもらうわけにはいかないので、スタジオで一番長く講師をされているマリンバの先生に見ていだたくことになった。
 このブログの読者の中には、ヴァイオリンやその他の楽器を弾く方も多いと思うが、マリンバを弾く方はたぶんおられないだろう。私がいつも通うスタジオにはマリンバの先生もおられて、生徒さんも何人かおられる。いつもスタジオにはマリンバが置かれているのだが、マレットがないので、普段はこっそり音を出してみたりはできない。こうやって間近で音を出してもらって聴く機会はあまりないのだが、これはなかなかいい楽器だ。打楽器なのでリズムがはっきりしているし、音量も大きい。ピアノほどではないにしても、ヴィオラやクラリネットと一緒に並ぶと存在感が一段と大きく思える。

 今回のアレンジは、主旋律の多くをクラリネットに任せて、ピアノ伴奏を参考に、右手と左手をヴィオラとマリンバで分担するようなものになっているのだが、ヴィオラは「ズータラ ズータラ」というベースを弾いて、「ズンタッタ ズンタラッタ ズンタッタ ズンタラッタ」とかいう複雑なリズムはマリンバに任せた。このアレンジは結構成功している。そして、最後にはマリンバのカデンツァがあって、そこからCODAの激しいリズムに流れ込む。伴奏でありながら主旋律以上に存在感のあるパートなのだが、これには先生から

待った

が掛かったらしい。「弾けるものなら私も弾いてみたい」とのことだが、ストレートに言えば「無理です」ということのようだ。それでこの前のアンサンブルレッスンの時に、マリンバがいきなり第二主題の「チャーラーラーラァァァァァチャララ」という旋律を弾きだして、あらどうしよう、となってしまった。仕方なく、マリンバの旋律をヴィオラ用にアレンジしたのが上の写真。だいぶ簡単にした。ポイントは開放弦を多く使うこと。ニ短調だから「レ」とか「ラ」とかだけ弾いているだけでも結構、様になる。問題はリズムだ。まずはMIDI音源に合わせて歌ってみたりするのだが、それで譜読みできたつもりになっていても、いざ弾いてみると弾けない。手拍子をしながら歌ってみると、もう歌えない。やはり聞き覚えと譜読みは違う。
 そんなわけで、とにかく歌えないと始まらないと、手拍子やら足踏みやらをしながら歌う練習(これなら家でもできる)。次はメトロノームに合わせて歌う練習と、いろいろ試して、なんとか誤魔化せるようにはなった。
 この曲のリズムは主旋律のところでも結構難しい。しかし、自分が主旋律のところより、他人が主旋律のところの方が燃えるのはヴィオラ魂か、主旋律よりこっちの方が先に仕上がってきた。

 そして2度目のアンサンブルレッスン。マリンバは主旋律とあって、オクターヴでトレモロをしてくる。すごい迫力だ。それに負けないようにリズムを取っていく。先述の通り、伴奏でありながら主旋律以上に存在感を出さないといけないパートだ。このリズムがないと素扱けたCODAになってしまう。
 と、まあ、ここばっかり練習したので、そこはそこそこに弾けたのだが、他の場所では

 そこ、音程しっかりあわせましょうか

などというご指導も入る。
むむ。
マリンバとクラリネットは音程を外すことはできないはず。ということは、これは自動的にヴィオラへの指導ということになる。 若干遠回しだけれど、ほとんどストレートに近いご指導。先生が変わっても演奏がうまくなるわけではないので、言われることは同じだ。

 レッスンが終わった後、1時間ほど自主練習。そして1時間ほど反省会。
 テレビではリオオリンピック男子柔道73㎏級の競技が放送されている。日本人選手が金メダルを取ってインタビューを受けていた。

日本の美しい柔道を見てほしい

いいことを言うと思った。水泳やカヌーは銅メダルでもガッツポーズをしたり、嬉し泣きに号泣したりしているのだが、柔道の選手はどうも金メダルでないといけないみたいで、そこらへんが「意識の高さ」というより、見方によっては傲慢に感じたりしていたのだが、このインタビューで、そういうことなのかと納得した。激しい試合になれば着衣も乱れる。乱れっぱなしの選手も多い中で、日本人選手は、試合中でもその乱れを直し、常に(文字通り)襟を正して試合に臨んでいる。そうすることが正しい柔道なのだということを世界に認めさせるには金メダルしかないのだろう。

 体操の内村航平選手にも同じようなことを感じた。こちらは相手と対戦する競技ではないから、敵は外国人選手というよりも、油断だとか慢心だとか緊張だとか、自分の中にあるもの。そこにいる外国人選手は、自分と一緒にそうした己が内にあるものと戦っている味方ともいえる。演技が終わるごとにフロアの脇で外国人選手やコーチともタッチを交わして、金メダルが確定したときは、最後まで競り合ったウクライナの選手と肩を組み、互いの健闘を称えあっていた。

 少し前になるが、シドニーオリンピック女子マラソンで金メダルを取った高橋尚子選手は、前日のインタビューで、「見終わった後で自分も走ってみたいな、と思ってもらえるような走りをします」といったことを言っていた。

 共通して言えるのは、金メダルを取る人は、金メダルのその先を見ているということだ。ゴールのその先といってもいい。金メダルは、それを目的にスポーツをしている人にではなく、そのゴールの先を目指すアスリートだけに与えらるものなのだろう。

 これをみながら、わが男子団体アンサンブルは、上手な演奏を目指すのではなく、その先のゴール、つまり楽しい演奏、大人になってから楽器を始め、それを続けていくことの面白さ、音楽とともにある生活の豊かさ、その素晴らしさを与えてくれるスタジオへの感謝の気持ちを感じ取れるような演奏をしよう、と誓いを新たにしたのであった。







それにしても、まずは完走だな。