2015年6月29日月曜日

演奏は芝居だ

 アマチュアアンサンブルのコンサートを聴きに行った。このアンサンブルを聴くのは3回目だ。
 ずいぶん前に、会社の取引先の方が所属されておられるアマオケのコンサートに行って、プログラムにチラシが挟まっていたので聴きに行ったのが1回目。その時もそうだったが、選曲が自分好みなのだ。場所は今回も隣町のクラシック専用ホール。チェロはプロの先生が客演で演奏された。

 アマチュアといってもここのアンサンブルのレベルはかなり高い。セミプロ級だ。初めて聴いたときから「すごい」とは思っていたが、実際に自分もアンサンブルで弾いてみて、このレベルで弾くのはかなり難しいということがわかった。ほとんどの方は大学のオケの経験があるのではないだろうか。あるいは音大の方もおられるかも、というぐらいのレベルだ。

 選曲もなかなか魅力的。

 客演の方が登場されるのは3曲目。ヴィヴァルディの「二つのチェロのためのコンチェルト」だ。先生は真赤なドレスで登場。きれいな方だ。そして、二つのチェロだからもう一人のソリストがおられる。それはアンサンブルの方なのだが、客演の先生がレッスンをされておられる生徒さんだということだ。

 なんか、めちゃくちゃ 羨ましいぞ
 こんなきれいな先生と、セミプロ級のアンサンブルをバックにして、ステージに二人並んでチェロ弾くなんて・・・

 いや失礼。
 ちょっと違う方向に筆が進んでしまったが閑話休題。

 この日はこの曲が一番印象に残った。何が印象に残ったかというと、プロの人って顔で演奏するんだ、ってこと。この曲はト短調の重い旋律なのだが、演奏が始まるぞ、と言うときには「来るぞ」という顔が出来ている。気持ちが出来ているのだと思う。歌詞も何もない曲なのだが、ただ音が並んでいるだけではなくて、そこにストーリーがイメージされていて、そのストーリーを演じる役者として演奏しているのだと思う。

 この曲の場合だと主役が2人いるのだが、もう一人の方も先生と同じ顔になっている。まさかレッスンで顔のつくり方を教えてもらう訳ではないだろうから、顔が同じということは気持ちが通っているということだろう。何処のフレーズをどう弾くか、だけではなくて、どう聴かせるのか、というようなことも、きっと何度も話されたことだろう。

 こうして演奏されているとき、先生は、となりの生徒は、いったい何を考えながら弾いているのか、いちど詳しく聞いてみたいものだ。

 私なんかだと、台詞を覚えるだけでレッスンが終わってしまうところだ。本番も台詞を言うのに必死で、演技なんて構っていられない。それに私なら、長いセリフとかのあとにドヤ顔が入ったりしてしまう。それでは芝居にならない。演奏しているふりをするという意味では芝居になるかもしれないが・・・

 

2015年6月14日日曜日

そして弓を買う

 平日の会社帰りに楽器店に寄り、出された弓を工房で借りている弓と弾き比べる。楽器店のものの方がよいと思ったのだが、ひとまず結論は出さずに検討することにした。

 こうして迎えた週末。
 工房に申し訳ないと思いつつ、もう一度、楽器店のものを弾いてみようと店を訪ねる。たまたまオールドヴァイオリンの展示会をしていて、試奏をする人も何人かおられるという状況。前回は店のフロアで試奏したのだが、この日は試奏室を宛がわれた。試奏室で弾くとまた感じが変わる。前回よりも発音がはっきりしてくる感じがする。しかし、それは工房の弓も同じ。その条件でもう一度弾き比べてみて、また悩む。前回と同じ、フロアでも弾いてみた。やはり楽器店のものがいい。

 まだ悩む。
 もともとヴィオラ弓なんてそんなにストックされているものではない。予算を言えば、その店の中ではもう他に選択肢はないのだ。

他の店も見てみるか…

 もう、工房の弓は候補ではなくなった。しかし、まだここで迷いが出て、いったん保留のうえ店を後にする。
 商店街でたい焼きを買って小腹を満たす(こんな時になぜたい焼きなのか)。
 近くにある小さなお寺の境内で心を鎮める(たまたま腰掛けるところがあったからなんだが)。
 CDや楽譜を物色する(このときは弓のことばっかり考えていた)。

 きっと他の店に行っても、こんなふうに悩むばかりで結論なんて出ないだろう。今日は工房さんの厚意で弓を借りているが、大手の楽器店ではそうもいかない。モノがない状態で比較するというのは、弾く環境の違いだとか自分の記憶という不確定要素が加わるから、ますます選択が難しくなる。

 そろそろ決め時か

 店に引き返す。
 もう試奏は必要でない。
 購入の旨を伝えてクレジットカードを差し出す。

 こうして新しい弓がヴィオラケースの中に納まった。
 
 そして工房から借りていた弓を返さないといけないのだが、なんだかデートの約束をしていたのに他のカノジョとのデートを理由にそれを断るみたいな感じで申し訳がない。実生活ではそんな経験がないので、そういうときの気持ちをどう表現すればいいのか想像もつかないのだが…。

2015年6月13日土曜日

悩んでいる理由

 弓を折ってしまったのはいい機会だ。こういうことでもなければ弓を買い替えることもないだろう。しかし、妻からお小遣いをもらう「家庭内プロレタリアート」としては、使える予算は自ずと限られている。
 とはいえ、こういう時にあまりおカネの話もしたくないものだ。もともと世俗的な利益のために購入するものではない。現世でこの出費の見返りを期待することは出来ないのだ。お店で値切るなどというのはもってのほか。値段は言い値で、あとは気に入るかどうか、納得するかどうかだけの話だ。

 自分の耳を頼りに選ぶという意味では、前回、喩えに引いたクルマよりも、オーディオの方が近いかもしれない。今回、自分が物色している価格帯もそれぐらいの感覚だ。オーディオの場合は、自分の気に入っているCDだとか、その他の音源をお店に持ち込んで、実際にそのオーディオで聴いて、どれが気に入るかという基準で選ぶ。
 ただし、弓の場合は、同じものがどの店にもあるという訳ではないので、機種を選んでからそれをどこの店で買うか、というところは悩む必要はない。その代わり、他の店にはまた別の商品があるので、物色する店を増やせば増やすほど、選択肢も増え、それに比例して悩みも増す。そして、たいていは価格が少しずつ上がっていく。

 オーディオとのもう一つの違いは、音を聴き分けるのに自分で弾かないといけないことだ。そこには自分の技量というノイズが入る。なんとなく…と思うのは、弓の性質によるものなのか、自分の技量によるものなのか、そこの見極めも難しい。それに、この先何年も使っていくうちに、弓の性質も自分の技量も変わっていく。そこを予想するのはもっと難しいことだ。




 と、
 薀蓄が長くなったが、結局、何が悩ましいかというと、工房で無理を言って借りている弓よりも、楽器屋で試奏した弓の方が、自分にとってはグレードが高かったのだ。値段はそれほど変わらない。

 それで、昨日の記事にも書いたのだが、とりあえず、その日は買わずにいったん検討することにした。もう一度よく考えよう。いや、それよりもう一度弾いてみよう。こっちの方がいいなというのは、そのときのコンディションの所為かもしれないし、自分の感覚も日によって違うかもしれない。

 もともとは、工房で弾いた弓でほぼ決めていたのだが、思っていたより予算が嵩んだので、決断がつかず、楽器店をまわって「やっぱりこの弓しかない」と納得して買うつもりで楽器店に行ったのに、意外な展開になってしまった。当初の予定では、何軒か楽器店をまわって、納得感を高める計画だったのだが、この調子では弾けば弾くほど悩みが増すではないか。

2015年6月12日金曜日

弓の悩み

 弓を折ってしまい、工房で何本かの弓を見繕っていただいて、そのうちの1本に候補を絞った。ところが、予算的には最初に考えていたよりもオーバーしていたので、それよりも安いもので、それよりも良いものがないかと、楽器店も物色することにした。

 たかが弓と思われがちなのだが、これが結構重要だ。同じ楽器でも弓が違えば音は明らかに違う。構造が単純だけに、どこが違うのかよく分からないので、自分で弾いてみて、その感覚で選んでいくしかない。そこそこの値段もするし、一生のうちにそんなに何本も買う訳でもないので、なかなか悩みどころだ。

 これがクルマだったら選び方がはっきりしている。もちろん好みもあるが、いくつか候補を絞り込んで、子供たちといっしょにキャンプに行くから荷物がたくさん積めるものにした、とか、毎日乗るので燃費のいいものにした、とか、遠出するときに疲れないのがいいとか、大勢乗れるのがいいとか、馬力の強いのがいいとか、小回りが利くのがいいとか、などなど、ひとそれぞれに基準があって、その基準で比較をしていけば、だいたい「これだ」というところに落ち着いてくる。

 ところが、弓だとか、もちろん楽器本体だとか、弦だとか、すべてそうなのだが、基準は自分が気に入るかどうかだけ。どういうのがお気に入りかなどということを言語化したり数値化したりすることには限界がある世界だ。

 楽器店でも、ヴィオラ弓をそんなに何本も取り揃えているところはない。もう、気持ち的にはこれに決めているんだということを告げて、これより安くてこれよりいいものはないかとストレートに聞いてみる。相手はプロなので、値段を言わなくてもだいたいこれぐらいのものだということは分かるみたいで、同じぐらいのグレードのものを出してこられる。

 そして、それがまたいいのだ。

 迷う。

 とりあえずその日は保留。
 もう一度、その弓を弾いてみるか、他の店に行っているか…

 あ、悩みが増えている。

2015年6月7日日曜日

大惨事その後

 自分の不注意で弓を折って1ヶ月ほどになる。先日入れていただいたばかりのアンサンブルのメンバーの方の厚意に甘えて、ずっと弓をお借りしたままだ。
 昨日、いつもお世話になっている工房から連絡があり、何本か候補になるような弓をご用意しましたよ、とのことだった。早速見に行って試奏させていただいた。

 まず、外観から。

 弓の材料になる木材は希少なものらしく、廉価版となると、節があったり、年輪が真っ直ぐになっていないような粗悪な材料を使っているものもあるそうだ。ニスが塗られるとわかりにくいが、今回のものはそういったものはない。
 もともと真っ直ぐな木を熱加工で反らしていくのだが、その時に強度を高めるために、断面が丸ではなく、鉛筆のように6角形だとか8角形になっているものがある。以前使っていたのはそうだった。それを買ったときは、比較的程度の良くない材料でそれなりのものを作るための工夫だと聞かされて、納得ずくで買ったものだ。今回は、どれも丸い断面のものだ。
 サムグリップやラッピング、ねじの素材なども、いろいろとあるようだが、今回はラッピングがそこそこのランクのようだ。鍍金されているようなものだと、使っているうちに鍍金が剥げ、錆びてくるものもある。鍍金のものは売られているときに上からビニールか何かで覆って売っているらしいが、今回のものはどれも覆われてはいなかった。音には直接関係ないが、高価なものは毛箱の下の部分にべっ甲が嵌められていたりして、高級感があるのだが、こんかいはそういうのはなかった。

 さて持ってみる。

 ヴィオラ弓はヴァイオリン弓よりも重い。重いなりにどれも同じぐらいの重さなのだが、重心の違いで多く感じたり軽く感じたりする。持った感じで、「あ、重い」とか、「あ、軽い」とか、感覚的に思うのだが、実際に弓のどこかを軽く支えてシーソーのように重心を取って見ると一目瞭然。重心が遠いものは重く感じる。

 いよいよ弾いてみる。

 これが不思議なのだが、同じ楽器を同じように弾いているのに、音も違うし、弾く感覚も違う。深みというか幅というか、そういう音を出してくれる弓もあれば、華やかな音を出してくれる弓もある。弾く感覚は何とも表現できないのだが、いままで使っていた弓と同じようなものもあれば、明らかに違うものもある。明らかに違うもので、明らかに使いやすければ、それを採用してもいいのだが、どっちかというとそういうのは違和感として身体に伝わる。やはりこういう道具は使い慣れたものがいちばんなのだ。

 そんな吟味の上、用意していただいた中から1本に候補を絞った。値段を聞かずに選んだのだが、いちばん高いものだった。ここであまりおカネの話もしたくはないのだが、今回用意していただいたものは全部、思っていた予算より高いものばかり。月賦で・・・などといった話もあったのだが、いま出せないものなら月賦でも払えない。いや、出せない訳ではないのだが、あとは自分をどう納得させるかの問題なので、その日は買わずに弓をお借りすることにした。
 これよりも安くてこれよりもいいものがない、ということを自分で確かめたうえで買おうと思う。

 けっしてこれよりも高い弓は見ない。絶対に見ない。見てはいけないと心に誓いつつ、無理を言ってお借りした。