2015年1月25日日曜日

ヴァイオリンを弾くときの立ち方

 いまさらながらこんなタイトルで今日のレッスンをまとめる。

 前回のレッスンで、左手親指の付け根に余計な力が入っていることをさんざん指摘されたので、今回はそこを少しでも改善しようと練習をしてきた。一般的に
余計な力を抜く
というのは本当に難しい。反対に「しっかり力を入れる」というのはそれほぞ難しくはない。その部分を意識して力を入れればいいのだから。ところが、意識もしていないのに力が入るものを、その部分を意識して力を抜こうとすれば、余計に力が入ってしまうのは必須。これを如何にするかが年末からの課題だった。

 そもそも、なぜ弦を押さえることとは全く関係のない親指の根元に力が入るのか。
 まず、どういうときに力が入っているのかを分析してみることから始める。

 まず気が付いたのは3指のアーチの内側で1指を使うようなときだ。クロイツェルの最初の4段では、1指がフラットのときとナチュラルのときの両方があるが、どちらの場合も3指を所定の場所に留めておいたり、1指の音程をキープしながら3指で正しい位置をポイントするのがたいへんだ。そこに加えて3指を押さえながら2指もということになると、全然関係のない親指付け根の筋肉が必死になっているのがわかる。
 もう一つのパターンは2指がフラットの位置にあるパターンで、1指と4指を同時にポイントする場合。ハ長調のA線でシドミをポイントするような場合だ。特に先に2指でポイントしているところの内側から1指を入れてポイントする動作に前後して、4指を遠くまで伸ばすというのが至難の業。

 そもそも手首を捻りながら指先をこんなに不自然に動かす動作は、ヴァイオリンを弾く時以外にはない。だれも雑巾を絞るときにこんなふうに手首を捻らないし、吊皮を持つときもこうはならない。貧しい家で幼少時代を送った身には、成長期にはまったく経験したことのない身体の形を、人生の折り返し点を過ぎて後退期に入ったところで初めて強いられることになる。

 そこで、以前、左肘を内側に入れるために行った練習を思い出して再現してみることにした。
 左肘を内側に入れることによって、手首の捻り方を緩めることが出来る。手のひらが竿に向かい合う感じになるので、手首から先はいままでよりも自然な形になる。

 ただし、左肘だけを内側に入れようとすると、身体全体が右に向いてしまう。これでは楽器もいっしょに右の方に移動するので、当初の目的のように、手にひらを竿に向かい合わせるということが出来ない。
 そこでを使う。左側の骨盤の出ているところを左斜め上で前の方に入れる感じ。これはなかなか会得できなくて、「できた」と思うときと「だめだ」と思うときが半々ぐらい。ある時にできたとしても次のときに出来るとは限らないのだ。
 「できた」と思うときは自然と左足に重心が移って、右足は左足のうしろのところで、ちょうど右足が短針で2時前、左足が長針で55分のところを指しているような足の格好になる。以前にお世話になった先生がステージに立たれるときの格好がこんな感じだった。細身の先生が脚を前後に重ねるように立たれると、スラッとしたスタイルが一層際立って美しく見える。憧れの立ち方だ。

 これで親指の付け根からは少し力が抜ける。うえに示した2パターンはどうしても力が抜けないのだが、全体的には抜ける方向に向いていると思う。そのかわりに左肘や腰には力が入るのだが、それが余計な力なのか必要な力なのかはわからない。

 しかし、この立ち方には大きな欠点もある。身体全体がふらつくのだ。左足にもある程度の重みが掛かっているときはいいのだが、指や腕の動きに気がまわると、つい、左脚が半ば背伸びをするような感じになって、右足が床から浮いてしまうようなことさえある。膝から上に重さがなければ、それでも十分に左脚だけで支えられるのかもしれないが、コレステロールと内臓脂肪を溜めまくっている身体を左脚だけで支えるのはなんとも不安定。

 それで、今日のレッスンでは、
親指のことは取り敢えずいいので
立ち方はちゃんとしましょう
ということになった。「ちゃんと」というのは、肩幅に開いて「ハ」の字に開く、ということのようだ。

 それと、音程が不安定なのだが、サードポジションになるとそれが顕著なので、音階練習を、という指示が出た。クロイツェルと並行してバッハのドッペルを見ていただいているので、ニ短調を中心に練習することになった。
 音を外したところは全部、楽譜に書く
ということなのだが、そんなことをしたら書くところがなくなってしまいますが・・・


2015年1月21日水曜日

初アンサンブルレッスン

 初めてアンサンブルのレッスンを受けてきた。
 ヴァイオリン教室でのレッスンで、メンバーはたぶん、そのヴァイオリン教室で個人レッスンを受けておられる生徒さんばかりだと思う。自分のレッスンのときに前後の方と言葉を交わされたり、発表会があったりで、お互いに知っているというところに、まるで門外漢の私が
はじめまして ヴィオラです
といって混ぜてもらうという体での受講だ。

 それにしても、みんな優しい!
 初めての私に誰一人として「なんやねん、こいつ」という態度を取られることなく、温かく迎えてくださる。音楽は人の心を丸くするのだろうか。先生も、初めての私に気を遣われているようで、
そこ、ヴィオラ音程外している。
そこ、ヴィオラ遅れてる。
ちゃんと弾けよ、アホ、ボケ
みたいなことは言われなかった。

 いつものスタジオでもそうなのだが、男性でもある程度の年齢から楽器を習っておられる方は結構おられる。ここの教室もそうで、男女比率はほぼ半々。中学生の女の子から私ぐらいのおじさんまで、年齢的にもいろんな方がおられた。どの人も何も目的なしに集まっている訳ではなくて、それぞれレッスンを受けに来ているのだから、余計な気を遣ったり「私下手だから」なんてエクスキューズで免責されようとするようなことではなくて、その音楽に自分の人格をのせるようなつもりでちゃんと弾く。そこがコミュニケーションの基本のような気がする。
 素人ばっかりだと、一応弾いたあとで「さて、どうしよう」となるのだけれど、ちゃんと指導してくださる方もおられるので、「次はここをこのように」と次々に課題が出てくる。そこに注意して弾くたびに演奏のレベルが少しずつ上がっていくような気がしないわけでもないような気がする。

(そこ! 声が小さい!)

 3時間の長丁場だったけれど、ちっとも長くは感じなかったし、「えっ、終わり?」ってぐらい短く感じた。参加する人の都合を合わせるのがたいへんらしく、次回は3カ月ぐらいあとのようなのだが、また行ってみたいと思うレッスンだった。

2015年1月12日月曜日

主よ人のなんちゃら

 昨年の11月にあったバヨ会が切っ掛けで、アンサンブルのレッスンを受けることになった。
 これも昨年からなのだが、いろんなアマオケの演奏会を聴きに行って、自分もいつかこの中のどれかに入ってステージに出ることがあるのだろうか、なんてことを考えたりしていたのだが、

  • ここは平日に練習しているから行けない
  • ここは遠くて行けない
  • ここは若い人ばかりでおじさんの出る幕がなさそう
  • ここは上手すぎて素人の出る幕がなさそう

などと、行かない理由ばかりが頭の中をぐるぐる回って、結局一歩も踏み出せていない。
 そこへ、バヨ会の録音を聴いてみて、自分の音がなんか気持ちわるくて、いや、これ、結構まわりに迷惑かけているよな、みたいな感じが沸々としてきて、そこにアンサンブルレッスンの話があったので飛びついてみた。

 言われた連絡先にメールをしてみて、何回かやりとりをしたあと、楽譜が送られてきた。バッハの「主よ人のなんちゃらのなんちゃら」って曲のようだ。楽譜には「主よ」としか書いていないけど、きっとそうだと思う。ヴィオラって主旋律がないから知っている曲でも何の曲か分からない。もうこの辺から
アンサンブル
って感じだ。
 知っている「主よ」は延々と三連符が続く(いや9/8拍子か?)のだけど、もらった楽譜は四分音符ばかり。途中に付点八分音符とか、八分音符がある。
あれ、これどうリズムを取ればいいんだ?
メトロノームを3拍子にセットして、それを上のパートと思って合わせて見るのだけれど、上手くリズムが取れない。もしかして、これ、思っている曲じゃないのかも…。なんてことも考えてみたのだけれど、どうやらやっぱりバッハのやつみたいだ。

見た目、四分音符が多くて簡単そうだけれど、
これ、意外と難しいじゃん。

アンサンブルのレッスンて、ふつう、それまでに各パートをちゃんと弾けるようにしてから行くんだな、きっと。いや、それにしてもあと1週間しかないぞ。ってことで
ちょっと焦り気味。

上手くいけばこうなるはず。



今日はこれを聴きながら自分のパートを弾くという無謀な試みをしているところだ。

2015年1月3日土曜日

ヴァイオリンの弾き初め

 いまさらながら、あけましておめでとうございます。
 今年もまた、役に立たない記事を垂れ流しにしていきますので、お暇な方だけ見てください。

 さて、予報では、元旦の未明から荒れた天候になるとのことだったが、幸い、風は強いものの雪はそれほどでもなく、初日の出も拝めたようだ。大晦日は、紅白を最後まで視てからウダウダして寝たのだが、目覚ましは元旦もいつも通りの時間に鳴った。まだ外は真っ暗。簡単に小腹を満たして、元旦の夜明け前にヴァイオリンの弾き初めに出掛けた。

 年末のレッスンでは、左手親指の力を抜くという宿題が出されたのだが、弾き初めからそんな練習をしていると気分が沈むばかりだ。その練習が大事なのは分かるけれど、正月だけはそれを忘れて、バッハのドッペルを1時間半ほど練習した。いくら練習しても弾けないこの曲は、もはや永遠に完成しないどっかの国の教会みたいになっているが、今年こそはこれが弾けるようになりたいものだ。

 元旦の午後からは、この辺りでは珍しい大雪。20センチほど積もって道路も真っ白になった。2日の昼間には、少なくともクルマが走るところはいったん融けたが、2日夜に再び積雪。いつも練習している朝の時間にクルマを出すのはちょっと危なくて、元旦以来、ヴァイオリンを弾いていないのだが、今年も年末までヴァイオリンを続ける、というささやかな目標にむかって精進していこうと思う。

 ある新聞のコラムでは、正月の雪は吉兆という伝承があるかのような記事があったが、それはあるいは稲作が日常生活や経済活動の中心だった時代の永年の経験の積み上げが背景にある「言い伝え」なのかもしれない。ま、当時の正月はいまの暦だと2月の始めぐらいだったので、それをそのまま昨日、今日の天候に当てはめて、今年は気候が安定するかもしれない、などということも出来まいが、この雪で正月早々幸先がわるい気分になるのではなく、「今年こそは」というぐらいのつもりでやっていきたい。