ヴァイオリンを弾いている時間は、自分がこれまでは出来なかったことが出来るようになるのを実感できる、おそらく唯一と言っていい時間だ。3年前の発表会の先生のお手本演奏でバッハのドッペルを聴いて、いつか自分も弾けるようになったらいいなと思ったものだが、いまそのドッペルが手に届くところまで来ている。あともう少しで弾けるのだ。その「あともう少し」がなかなかゴール出来ない苦しみはあるが、3年前に出来なかったことがいまは出来ると思えるのは心地のいいものだ。しかし、それも少し練習を怠ると目に見えて弾けなくなる。最近、その3年前の発表会で弾いた曲を弾いてみたり、バヨ会の定番だったパッヘルベルのカノンを弾いたりしてみると、弾けなさ加減にびっくりする。それでも、そこそこの頻度でヴァイオリンに触れていれば、少し練習すればまた弾けるようにはなるのだが。
さて、今日は158回目のレッスン。上の娘がピアノを習い始めたのをきっかけにヴァイオリンを再開したのが2003年11月なので、もうすぐ10年になる。最近でこそ月2回のペースでレッスンを受けているが、最初のうちは月に1度受けるかどうかというペースだった。よくぞここまで続けたものだと思う。仕事で時間が取れない。家族の理解が得られない。四十路の手習いはそんなこととの闘いだった。それは何も合理的に解決できることばかりではない。パチンコに興じる父親が子供の給食費にまで手を出して家族を顧みないことに比べれば、夜な夜なカラオケボックスでヴァイオリンを弾いたり、レッスンやバヨ会で休みの日に家族を放ったらかして出掛けることなど、そんな大した罪にはならないように思えるのだが、家族からの、特に妻からの風当たりの強さがどちらが強いかといえば、一概に前者が強いとも言えない。
そんな暴風が吹き荒れる中で迎えたレッスン。とにかく悔いのないようにしておきたい。今日はヴァイオリンだけでなく、ヴィオラも持って行って、これまでの集大成のような気持ちでレッスンをしていただく。
音楽的センスのない私にとっては、どんな曲でも初見で弾けるようなものはない。合奏などしようものなら、CDを買ってきたりネットで音源を探したりして何度も聴き、楽譜を見ながら自分のパートの音を追って、ある程度聞き覚えが出来てから何度もその曲を弾いて、やっとみんなと同じレベル、いや、みんなの足を引っ張らない、というか、みんなに「ま、しようがないよね」と勘弁してもらえるレベルだ。それだけに、これまでに弾いた曲のひとつひとつに、まわりのみんな以上に強い思い入れが湧いてくる。その中でも、特にこれはといえば、やはりこの曲だと思う。
昨年の発表会で先生と弾いた曲。1年以上、ほとんど2年近く、レッスンでこの曲ばかりをご指導いただいた曲。ファーストヴァイオリンとセカンドヴァイオリンが交互に主役になって、まるで初々しいカップルが初めてデートをして会話をするような曲。発表会のときはファーストだったが、そのあとはファーストもセカンドも弾けるように練習をしていた。今日はこれを先生とハモらせたい。
先生は、ここのスタジオばかりではなく、いろんなところでいろんな生徒さんをご指導されているはずなのだが、ひとりひとりの生徒のことを本当によく見てくださっている。月に2度ぐらいのレッスンなのだが、前回のレッスンでどんな指導をしてどこが課題になっていたのか、すべて頭の中にメモをされているようだ。「今日はこれを弾きたいです」と楽譜を出したときに、「あ、懐かしいですね」と仰る。そう仰るだけでも嬉しい。
まずは発表会のときのように、先生にセカンドを弾いていただいて、ファーストを弾く。この1年ほど、ドッペルをやりながら、ボウイングや移弦などの基本的なところをいろいろ見ていただいた成果があって、発表会のときよりも上手く弾けたように思う。いま思えば発表会のときは「上手く弾かなきゃ」と緊張もしていた。初めてのデートで「手つながな~」と変に力が入っているみたいな感じだ。それに比べると今日は本当に自然体で弾けた。
次はセカンド。先生にファーストを弾いていただく。練習は時々していたが、合わせる練習はあまりしていないのでちょっとぎこちない。いちおう発表会の前には何度も先生とハモらせているので、始めて聴くメロディではないし、どこにどう被さってくるのかとか、そういうところは一応はわかっている。バヨ会で弾いたこともある。今回は先生に上手くリードしていただいて何とか最後まで弾けた。
最後にチェロパート。ファーストヴァイオリンが女の子でセカンドヴァイオリンが男の子とすると、チェロは二人が幼いころから親しくしている近所のおばさんだろうか。ヘ音記号だと弾けないので、先日、ハ音譜を起こしてヴィオラでも弾けるようにして練習し始めたところだった。先生にその楽譜を見せると「じゃ弾いてみましょうか」とハモらせてもらえることになった。でも、これはやっぱり上手くいかない。何度かやってみたが今日は出来なかった。
しばらくヴァイオリンから離れて、いつか久しぶりにヴァイオリンを弾く時が来たら、この曲から弾いてみようと決めた。今日、この曲は弾けなかった。だから、久しぶりに弾いてみて弾けなかったとしても、それは出来たことが出来なくなったわけではない。もともと出来なかったものだから、その練習の続きだ。そう思えばブランクも乗り越えられるはずだ。いつか、四十路テナライストのいろいろな逆境を乗り越えて、この曲を弾いてみたいと思う。