2013年6月8日土曜日

バヨ不足

 ブログをやっていると、やはり誰かに読んでほしい、と思う。読んでもらうためには、偶に記事も更新しないといけないのだが、このブログにはヴァイオリンのこと以外は書くまいと決めているから、バヨ会に行くとか、コンサートを聴きに行くとか、ヴァイオリンに関係する小物を買うとかヴァイオリンを買うとか以外に記事を更新しようと思ったら、ヴァイオリンの練習をするほかない。ところが、このところ、寝不足、練習不足、バヨ不足で、まったく記事が更新できない。そしてほとんど練習しないままレッスンを迎えるというマズいパターンになっている。

 レッスン前の昨日。ちょっと無理してでも練習をしたかったのだが、夕食を終えると倒れるように寝込んでしまった。何時に寝たのかも定かでない。朝起きたら5時半だった。シャワーも浴びていないので、まずはシャワーを浴び、家族が寝ている間に朝食を済ませてカラバヨへ。こういうときに24時間営業のカラオケボックスは有難い。2時間半ほど練習出来た。
 レッスンは朝の10時過ぎから。

 短い練習時間だったけれど、先週ご指摘のあった、楽譜を見ながら弾く、という課題には特に注力してきた。そして、ずっと言われている移弦の時の右肘の動き。ま、でも、今日も同じことを言われるんだろうな、と思いながら、ドッペルを最初から弾いてみる。
 いままでは、弾けないところを弾けるように、弾けないところから弾いていたのだが、今回は弾けるところをちゃんと楽譜を見ながら弾くというのが課題なので、最初から弾く。意外と褒められた。気持ちだけは伝わったのだろうか。

 今日はいつもと違って、スタッカートの弾き方が中心だった。

  •  スッと引いてピタッと止める。
  •  弓はたっぷり使う。
  •  止めた後で右肘を動かして移弦する。

 スッと引くというのがなかなか難しくて、最初に「溜め」を作ってしまう。そうじゃなくてスッと引く。そうそう、スッとね。止めることばっかり考えていると弓が動かない。たっぷり使う。上げ弓のときも下げ弓のときと同じように。
 じゃ、先生の手拍子に合わせて、とりあえず開放弦で・・・ ということになったのだけれど、こんなことがなかなか出来ない。これって、この前、ヴァイオリンを始めたばかりのうちの娘と同じことやってるぢゃん、と思うのだが、

先生、なんかその手拍子、意地わるしてません?

と、冗談でいってみたら、笑い出して

あはは、ごめんなさいね。
なんか途中から上手く拍が取れなくなって・・・

なんて仰る。やっぱり意地悪されていたのか。
 気を取り直してメトロノームでやってみるのだが、これもなんか意地わるされているみたいだ。なんか仕掛けがあるのか? 弓をたっぷり使い過ぎると拍が取れない、ということなのだが、なんだ、それなら早く言ってよ・・・  いや、でも、まてよ。下げ弓は上手い具合に弓を運んでいるのだけれど、上げ弓が良くない。弓を引く前に「溜め」が入るのも上げ弓の時、スッと大きく運ぶことが出来ず、次のタイミングが遅れてしまうのも上げ弓の時。先生が仰るのは、下げ弓の時の右手の動きは、日常生活の中でもよく似たものがあるけれど、上げ弓のときと同じような腕の動きは日常生活にはあり得ないとのこと。なるほど。それなら日常的に
エア上げ弓
の練習でもしないと、バランスが取れないわけだ。

 いままで、音をとるのに必死だったので、フレーズの表現とかをあまり考えてこなかった。移弦が拙いので、いったんそのときに弓が弦から離れて、そこで音が途切れてしまったり、運指の都合で勝手にプツッと切っていたり、ま、とにかく弾くのが精一杯だった。そこを指摘されて、先生にお手本を見せていただく。ちょうど曲の後半のちょっと憂いのあるフレーズだったのだけれど、その時の先生の表情が、どこか憂いのある曲の感じにぴったりの表情だったので、
先生、そこ、顔で弾きます
と言って、先生を真似て弾いてみることにした。
 憂いのあるフレーズを、憂いのある表情で弾いているのに、視界の隅に必死に笑いをこらえている先生が見える。おかしい。この顔じゃ駄目なのか、と思っていたのだが、弾き終わると「顔はとても良かったです」とお褒めいただいた。「気持ちは伝わってきました」ということだったので、いやそれが総てではないのか、とも思ったが、やはりその気持ちに技術がついて行っていないようだ。

 そんなことで、今日もあまり大した進歩はなかったが、楽しいレッスンだった。私がこのところ忙しかったのをスタジオの奥さんから聞いて、先生も心配してくださっていたようだ。元気そうで良かったです、と言ってくださったのが嬉しかった。
 次のレッスンも、めげずに元気に頑張ろ。


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