2022年2月12日土曜日

はなしたくない

 発表会までもう数週間ともなってくれば、それなりに「落しどころ」みたいなのをみつけて、そつなく弾くことも考えていくフェーズになっていくのだが、それでも、ここだけは何としても弾きたいというところは出てくる。フィギュアスケートの羽生結弦選手がクワットアクセルにこだわるように、スノーボードの平野歩夢選手がトリプルコーク1440にこだわるように、いくらそつなく演奏できたとしてもこれだけはちゃんと弾かないと収まらない、というフレーズはある。いま、やっているモーツアルトでいえばこのフレーズ。
失礼、間違えました。。。
このフレーズ。
原曲は変ロ長調のところ、ヴィオラ用にト長調にアレンジされているので、
ソ#ファドーーラ#ファラソーー
となる。ソ#ファはD線1ポジだけど、その次のドはA線8ポジ3指という鬼フィンガリング。しかし、ここはさっきの尾崎紀世彦みたいに「はな⤴し~~~」とたっぷりビブラートをかけながら、マイクを離さないと音が割れるぐらいの声量、もとい音量で弾きたい。しかし、ご存じの通り、ポジションが上がれば音程も取りにくくなり、かつ音量も出なくなる。氷上雪上の彼らもこうして悩みつつそれを克服してきたのだろうか。。。自分にはあんまり関係のない世界だけど。

2022年1月22日土曜日

カプリオール組曲

  隣町にお気に入りのアンサンブルがあって、1年に1回か2回のペースで演奏会をされていて、いつも楽しみにしているのだが、くだんの病気が騒がれるようになってから演奏を披露いただく機会が失われていた。今日、約2年ぶりに演奏会があったので聴きに行ってきた。

 練習も苦労されているのか、曲は少なめ、時間も短め。エキストラの割合が多く、舞台ではみなさんマスクをされていた。

 いちおうアマチュア・アンサンブルとおっしゃっておられて、演奏会も無料なのだが、演奏の腕前はセミプロ級。エキストラはプロの方にお願いされてるようだ。

 その演奏会で聴いたのがこの曲(動画は、ここで紹介しているアンサンブルとは別のアンサンブルが演奏しているもの)。

  プログラムに書かれている説明によると、ルネサンス期のフランスで出版された処世術の本に載せられていた舞曲を、20世紀の初頭にアレンジしたものらしい。なんでも、真面目で処世術を知らない法律家、カプリオールに、処世術を教えるという内容の本だそうだ。いまでいうなら、自己啓発本の隅の方にある、真面目で能力はあるのに人づきあいがわるくて評価の芳しくないサラリーマンに理不尽な指示ばかりを出す上司が出てきて、ひとりアパートで悩んでいるところに、なんだか訳のわからないのが出てきて、同僚との付き合い方とか上司のあしらい方なんかを指南するマンガみたいなものか。ルネサンスの頃はいまと違って、付き合いと言えばダンスだったので、ダンスの指南書になっているらしい。

 そう聞くと、なんだか自分のために書かれた曲のようにさえ思えてくる。いつか弾いてみたいと思う曲だった。

2022年1月9日日曜日

自己表現ってなに?

  年明け早々、むずかしいタイトルにしてしまったが、このところいろいろ考えることがあって迷走中。いやむしろ瞑想かな。

 きっかけは、島根県隠岐郡海士町というところに行ったこと。本州からフェリーで3時間もかかる離島で、人口およそ2,400人のちいさな島なのだけど、島留学の高校生や子供たち、Iターン移住してくる人たちが、全国から吸い寄せられるように集まってくる、不思議な魅力のある島。コンビニもスタバもマクドも百均も、もちろんホームセンターもヤマダ電機もイオンモールもないのだけれど、島中に図書館がある。中央図書館のほかに分館が24館。煩わしい日常を離れてひねもす本でも読んで過ごすにはなかなかいい場所だ、と思って訪れたのだけれど、それがなかなか衝撃的だった。

 図書館と言っても個人の家の一室を開放されているようなところもあるみたいなので、いつ開館しているのかもわからない。それで中央図書館に行って分館の開館時間を尋ねると、司書の方が分館のお宅に電話をしてくださって都合の良い時間を訊いてくださる。その時間に合わせて訪問すると、玄関先で迎えていただき、いろいろお話を聞かせていただく、という塩梅だ。本を読むというよりも、お話を聞くという感じ。分館を営まれておられる「人」が「本」といってもいい。

 置かれている本の大部分は個人の持ち物。その方が読まれてきた本のタイトルを見るだけで、持ち主の人柄や考え方、生き方を垣間見ることができる。そこに中央図書館の本も置かれていて、それは貸出もできる。図書館の司書の方は、おそらく分館を営まれる方のお話をよく聞かれて、その館の雰囲気に合った本を選んで置かれておられるのだろう。個人蔵書にしっくり馴染むように中央図書館の本が並べられている。

 図書館と銘打っているので、どこか遠くから突然やってくる人もいるらしい。そうやってやってくる人にも、私にしていただいたのとおなじように、いろいろなお話をされているのだと思う。繰り返しお話をされているうちに、内容が推敲され、同時に自分の考えもまとまっていく。そこから「これでいいのだ」という確信が生まれてくる。

 それで思った。

 これって自己表現だよね。

 分館を営まれる方にとっては、図書館が自己表現の場になっている。そこにどんな本をどのように並べるのか、どんな空間を作るのか、訪れてきた人にどんな話をするのか、すべてが自己表現で、中央図書館の司書の方がそれをサポートしている。

 これ、ヴィオラも同じ。どんな曲をどのように弾くのか、どんな場所で誰と弾くのか、このブログもそうなんだけど、それについて何を語るのか。発表会で他の方の演奏を聴いていると、上手か下手かということではなくて、その方の人柄が見えてくる。それもやはりその方が自己表現をしている証だと思う。そして先生やスタジオの奥さんがそれをサポートしてくださる。

 こういう自己表現の場があることって大事だなぁ、と思う。年齢に関係なく。

 自分もいつか海士町にわたって図書館の分館をひとつ作ろうかと真剣に考えないわけでもないが、島でレッスンが受けられるのかだとか、いっしょにアンサンブルをやってくれる仲間はいるのかとか、いろいろ考えると躊躇してしまう。短い人生の中で二兎を追うことはむずかしい。

2021年12月25日土曜日

レッスン納め

  今年も年末までヴィオラを続けられそうだ。

 結構いい歳で、いくら練習しても上達しないのに、よくぞ続けられているものだ。それだけでも絶賛に値する。上手に弾ける人や上達の著しい人が続けられるのは当たり前だ。そりゃ練習した成果が目に見えて音に聞こえりゃ楽しいだろうし、人から褒められれば嬉しいだろうし、練習しようかという気にも、弾いてみようかという気にもなるだろう。いくら練習しても上達しない人の場合は、他人から、何が楽しくてギコギコやってんだ、うるさいんだ、ええかげんにしてくれ、と冷たい目で見られながら続けるのだから、相当な忍耐力が必要だ。

 ともあれ、毎年、年末まで続けられることを目標にしているので、今年も達成できてよかった。このブログも、いちおう毎月更新できた。1回だけという月も多かったけど。

 今日はスタジオの最後のレッスンだった。あしたは公民館を借りてアンサンブルのレッスンがある。それで今年のレッスンは終わり。

 ソロのレッスンもアンサンブルも、来年の発表会に向けて練習しているのだが、先生曰く
だいぶカタチはできてきましたね
ようやく何をしたいのかわかるようになってきました

という段階。「あ~この人、モーツアルト弾きたいんだ~」ということがわかるようになってきた、ということだった。あとは聞く人の想像力さえ秀でていれば素晴らしい演奏に聞こえるはずだ。

 パッヘルベルのカノンもようやく大過なく最後まで弾けるようになってきた。スタジオのレッスンでは人数が揃わないので、ちゃんとしたハーモニーにはならないけれど、いちおうパッヘルベルのカノンには聞こえる。

 明日ははじめてパートが揃ってカノンの練習。

 なんか、この曲をやっているとバヨ会をしていたころを思い出す。バヨ会のたんびにこれを弾くんだけど上手く弾けなくて、次のバヨ会まで弾けるようになろうとレッスンでも見ていただいたりして、なんとかかんとか弾けるようになって、そうなるとバヨ会が待ち遠しくて、なんて感じだった。

 いまもこうやっていちおう弾けるようになると、明日のレッスンが楽しみだったり、発表会が待ち遠しかったりする。

 あとは音色だな。

 って、これはかなり本質的で、これまでずっと何とかしたいと思ってきて何ともできなかったことなんだけど。


2021年11月14日日曜日

発表会の選曲

  レッスンの方は、目下、『ヴィオラ名曲31選』にあるモーツアルトの二重奏のアンダンテを見ていただいている。31曲のうちの3曲目。前から順番に見ていただいて、最初に躓いた曲だ。今年の1月に一度見ていただいたのだが、いちど見ていただいただけで「これはちょっと後回しにしましょう」と却下されてしまった曲だ。詳しくはずいぶん前の記事に書いている。私もそれを見ながら、いま「そうだったなぁ」と遠い目で昔を思い出していたところだ。

 もういちど動画を張り付けておくと、こんな曲。

 前回の記事にも書いているが、コロナでしばらくできなかった発表会を来年4月にすることになり、曲を選ぶことになった。これまでの発表会は、わりとテンポのある曲で、音色とか表現とかはそっちのけで、とりあえずこんな難しい曲を弾けるようになりました、という選曲が多かったのだが、最近のレッスンはわりとゆっくり目の曲をきれいに弾くことに主眼を置いている。ちょっと冒険かもしれないが、こういう曲をゆっくりと艶っぽく弾くというのもわるくはないと、この曲で挑戦することにした。

いちおう弾けている

というつもりだったのだ。

 しかし、実は弾けている状態までは程遠かった。レッスンのたびに毎回、リズムがおかしいと指摘される。アンダンテでゆっくりなのだけど、ところどころに装飾音符やら、横線が数えきれないぐらいついている音符が密集しているところやらがある。そういうところに来ると気が焦るばかりで、先生曰く、「6/8拍子に聞こえない」「伴奏する人に、どこを弾いているのかが伝わらない」などなど、とにかく致命的な状態になっている。レッスンの時は「タラタラタン、ターーーーン」とか先生に歌ってもらって何とかリズムをとるのだが、ひとりで弾いていてもそれがうまく再現できない。それで何とかしようと変なリズムを付けて、それで何度も繰り返し練習するから、次のレッスンでまた同じことを指摘される。

 選曲した時は、少しずつ完成に近づけていけば、発表会までにはそれなりに艶っぽくなるだろうと思っていたのだが、遅々として進まない。「ここのフレーズだけは弾けてるぞ~」みたいな実感もなく、どこから練習したものやら、という状態。やはり、1月の段階で後回しにしたのは正しい判断だったのか。きのうのレッスンでも

この選曲はちょっとしっぱいかもしれませんね

と、内角に鋭く剛速球が入ってきた。

 最近、仕事の帰りも遅く、練習量は圧倒的に不足気味。自宅の近くは田舎で、遅い時間になると人通りもないので、アンダンテのリズムでトボトボと歩きながら「タラタラタン、ターーーーン」と歌いながら帰る。これも練習のうち、のつもりなのだけど、あまりにリズムが取れなくて躓きそうになってしまう。まともに歌うこともできない。歌えない曲が弾けるわけはないので、やはり冒険が過ぎたというべきか。