2022年1月9日日曜日

自己表現ってなに?

  年明け早々、むずかしいタイトルにしてしまったが、このところいろいろ考えることがあって迷走中。いやむしろ瞑想かな。

 きっかけは、島根県隠岐郡海士町というところに行ったこと。本州からフェリーで3時間もかかる離島で、人口およそ2,400人のちいさな島なのだけど、島留学の高校生や子供たち、Iターン移住してくる人たちが、全国から吸い寄せられるように集まってくる、不思議な魅力のある島。コンビニもスタバもマクドも百均も、もちろんホームセンターもヤマダ電機もイオンモールもないのだけれど、島中に図書館がある。中央図書館のほかに分館が24館。煩わしい日常を離れてひねもす本でも読んで過ごすにはなかなかいい場所だ、と思って訪れたのだけれど、それがなかなか衝撃的だった。

 図書館と言っても個人の家の一室を開放されているようなところもあるみたいなので、いつ開館しているのかもわからない。それで中央図書館に行って分館の開館時間を尋ねると、司書の方が分館のお宅に電話をしてくださって都合の良い時間を訊いてくださる。その時間に合わせて訪問すると、玄関先で迎えていただき、いろいろお話を聞かせていただく、という塩梅だ。本を読むというよりも、お話を聞くという感じ。分館を営まれておられる「人」が「本」といってもいい。

 置かれている本の大部分は個人の持ち物。その方が読まれてきた本のタイトルを見るだけで、持ち主の人柄や考え方、生き方を垣間見ることができる。そこに中央図書館の本も置かれていて、それは貸出もできる。図書館の司書の方は、おそらく分館を営まれる方のお話をよく聞かれて、その館の雰囲気に合った本を選んで置かれておられるのだろう。個人蔵書にしっくり馴染むように中央図書館の本が並べられている。

 図書館と銘打っているので、どこか遠くから突然やってくる人もいるらしい。そうやってやってくる人にも、私にしていただいたのとおなじように、いろいろなお話をされているのだと思う。繰り返しお話をされているうちに、内容が推敲され、同時に自分の考えもまとまっていく。そこから「これでいいのだ」という確信が生まれてくる。

 それで思った。

 これって自己表現だよね。

 分館を営まれる方にとっては、図書館が自己表現の場になっている。そこにどんな本をどのように並べるのか、どんな空間を作るのか、訪れてきた人にどんな話をするのか、すべてが自己表現で、中央図書館の司書の方がそれをサポートしている。

 これ、ヴィオラも同じ。どんな曲をどのように弾くのか、どんな場所で誰と弾くのか、このブログもそうなんだけど、それについて何を語るのか。発表会で他の方の演奏を聴いていると、上手か下手かということではなくて、その方の人柄が見えてくる。それもやはりその方が自己表現をしている証だと思う。そして先生やスタジオの奥さんがそれをサポートしてくださる。

 こういう自己表現の場があることって大事だなぁ、と思う。年齢に関係なく。

 自分もいつか海士町にわたって図書館の分館をひとつ作ろうかと真剣に考えないわけでもないが、島でレッスンが受けられるのかだとか、いっしょにアンサンブルをやってくれる仲間はいるのかとか、いろいろ考えると躊躇してしまう。短い人生の中で二兎を追うことはむずかしい。

2021年12月25日土曜日

レッスン納め

  今年も年末までヴィオラを続けられそうだ。

 結構いい歳で、いくら練習しても上達しないのに、よくぞ続けられているものだ。それだけでも絶賛に値する。上手に弾ける人や上達の著しい人が続けられるのは当たり前だ。そりゃ練習した成果が目に見えて音に聞こえりゃ楽しいだろうし、人から褒められれば嬉しいだろうし、練習しようかという気にも、弾いてみようかという気にもなるだろう。いくら練習しても上達しない人の場合は、他人から、何が楽しくてギコギコやってんだ、うるさいんだ、ええかげんにしてくれ、と冷たい目で見られながら続けるのだから、相当な忍耐力が必要だ。

 ともあれ、毎年、年末まで続けられることを目標にしているので、今年も達成できてよかった。このブログも、いちおう毎月更新できた。1回だけという月も多かったけど。

 今日はスタジオの最後のレッスンだった。あしたは公民館を借りてアンサンブルのレッスンがある。それで今年のレッスンは終わり。

 ソロのレッスンもアンサンブルも、来年の発表会に向けて練習しているのだが、先生曰く
だいぶカタチはできてきましたね
ようやく何をしたいのかわかるようになってきました

という段階。「あ~この人、モーツアルト弾きたいんだ~」ということがわかるようになってきた、ということだった。あとは聞く人の想像力さえ秀でていれば素晴らしい演奏に聞こえるはずだ。

 パッヘルベルのカノンもようやく大過なく最後まで弾けるようになってきた。スタジオのレッスンでは人数が揃わないので、ちゃんとしたハーモニーにはならないけれど、いちおうパッヘルベルのカノンには聞こえる。

 明日ははじめてパートが揃ってカノンの練習。

 なんか、この曲をやっているとバヨ会をしていたころを思い出す。バヨ会のたんびにこれを弾くんだけど上手く弾けなくて、次のバヨ会まで弾けるようになろうとレッスンでも見ていただいたりして、なんとかかんとか弾けるようになって、そうなるとバヨ会が待ち遠しくて、なんて感じだった。

 いまもこうやっていちおう弾けるようになると、明日のレッスンが楽しみだったり、発表会が待ち遠しかったりする。

 あとは音色だな。

 って、これはかなり本質的で、これまでずっと何とかしたいと思ってきて何ともできなかったことなんだけど。


2021年11月14日日曜日

発表会の選曲

  レッスンの方は、目下、『ヴィオラ名曲31選』にあるモーツアルトの二重奏のアンダンテを見ていただいている。31曲のうちの3曲目。前から順番に見ていただいて、最初に躓いた曲だ。今年の1月に一度見ていただいたのだが、いちど見ていただいただけで「これはちょっと後回しにしましょう」と却下されてしまった曲だ。詳しくはずいぶん前の記事に書いている。私もそれを見ながら、いま「そうだったなぁ」と遠い目で昔を思い出していたところだ。

 もういちど動画を張り付けておくと、こんな曲。

 前回の記事にも書いているが、コロナでしばらくできなかった発表会を来年4月にすることになり、曲を選ぶことになった。これまでの発表会は、わりとテンポのある曲で、音色とか表現とかはそっちのけで、とりあえずこんな難しい曲を弾けるようになりました、という選曲が多かったのだが、最近のレッスンはわりとゆっくり目の曲をきれいに弾くことに主眼を置いている。ちょっと冒険かもしれないが、こういう曲をゆっくりと艶っぽく弾くというのもわるくはないと、この曲で挑戦することにした。

いちおう弾けている

というつもりだったのだ。

 しかし、実は弾けている状態までは程遠かった。レッスンのたびに毎回、リズムがおかしいと指摘される。アンダンテでゆっくりなのだけど、ところどころに装飾音符やら、横線が数えきれないぐらいついている音符が密集しているところやらがある。そういうところに来ると気が焦るばかりで、先生曰く、「6/8拍子に聞こえない」「伴奏する人に、どこを弾いているのかが伝わらない」などなど、とにかく致命的な状態になっている。レッスンの時は「タラタラタン、ターーーーン」とか先生に歌ってもらって何とかリズムをとるのだが、ひとりで弾いていてもそれがうまく再現できない。それで何とかしようと変なリズムを付けて、それで何度も繰り返し練習するから、次のレッスンでまた同じことを指摘される。

 選曲した時は、少しずつ完成に近づけていけば、発表会までにはそれなりに艶っぽくなるだろうと思っていたのだが、遅々として進まない。「ここのフレーズだけは弾けてるぞ~」みたいな実感もなく、どこから練習したものやら、という状態。やはり、1月の段階で後回しにしたのは正しい判断だったのか。きのうのレッスンでも

この選曲はちょっとしっぱいかもしれませんね

と、内角に鋭く剛速球が入ってきた。

 最近、仕事の帰りも遅く、練習量は圧倒的に不足気味。自宅の近くは田舎で、遅い時間になると人通りもないので、アンダンテのリズムでトボトボと歩きながら「タラタラタン、ターーーーン」と歌いながら帰る。これも練習のうち、のつもりなのだけど、あまりにリズムが取れなくて躓きそうになってしまう。まともに歌うこともできない。歌えない曲が弾けるわけはないので、やはり冒険が過ぎたというべきか。

2021年10月28日木曜日

20周年

  時が経つのは早いもので、いま通っているスタジオが、来年、創立20周年になるそうだ。そういえば、長女が3歳になったら何か楽器を習わせようと思っていたところに、新しいスタジオができるというポストインがあって、それで見学に行ったのがご縁の始まり。その娘がもうすぐ23歳になるのだから、なるほど20周年だ。

 ちなみに私がレッスンを始めたのは、その2年ほど後なのだが、いま残っておられる生徒さんの中ではすっかり古株になってしまった。年齢は相変わらず四十路なのだが。

 それで、話はスタジオの話に戻るが、しばらく中断していた発表会を、20周年の来年こそは開催したいと、4月の開催が決まったらしい。いやホントに目出度い。コロナでいろいろ苦労されていることを知るだけに、ホントに嬉しいし、20周年に花を添えるつもりでしっかり練習して臨みたいところだ。

2021年9月23日木曜日

家庭内引っ越し

 

 いろいろ事情があって、家の中で部屋を替わることにした。人生の中で何度か引っ越し(家の中での引っ越しじゃなくて、トラックで荷物を運ばないといけないような本当の引っ越し)を経験しているのだが、年齢とともに荷物も増えて、だんだんと引っ越しが面倒くさくなってくる。私の場合、読み終わった本だとか、町内会の役をやったときの資料だとか、そういうものを捨てない性分で、とにかく荷物がたまる。いやだって、町内会の役は輪番でまた回ってくるし、そのとき前やったときの資料があったら楽じゃん、なんて思ってしまう。大学生のころ、友人とちょっとカッコつけて夜遅くまで飲んだあと、そいつの家に泊めてもらったのだが、そいつの部屋には文庫本が2~3百冊もあった。そのとき太宰治を勧められて初めて読んだ。なんかこいつカッケーぞ、と思った。それ以来、実用書の類だとかマニュアル本だとか雑誌とかは別にして、とにかく買って読んだ本は残している。本も随分たまって本棚からも溢れていた。

 今回の家庭内引っ越しに備えてかなりの整理はした。まず、ノートの類をすべて捨てた。大学の講義ノートだとか、ちょっと難しい本を読んだ時の読書ノートだとか、そういうものって、将来、私がノーベル賞でも取ったら大都学記念館の貴重書庫に収蔵されたかもしれないのだが、もうこの先そんな賞を取ることもなさそうなので捨てることにした。本棚に入りきらなかった本は、廊下の壁をくりぬいて本棚を作り、図書館みたいに分野別に並べて収めた。文庫本も廊下の壁に、作者の五十音順に並べている。1年間、着ることのなかった服を捨て、何かの役に立つかもしれないと思っていたもの(町内会の資料を含む)を捨て、とりあえず荷物3割減ぐらいのダイエットをした。

 さてさて、捨てられないものの中に楽譜がある。以前に「バヨ会」と称して素人(だいぶハイレベルな方もおられたが)ばっかりが集まり合奏した曲だとか、発表会や演奏会で弾いた曲の楽譜だ。最近のものは蛇腹式のホルダーに入れて整理している。演奏会で弾くものは、予め、プログラム順に製本しているので「確かあの時に弾いたな~」という曖昧な記憶から「ほら、これやろ!」と、何度練習しても弾けなかったところに赤ペンで丸印をしていたり、音名やら指番号やらをやたら書きまくっている状態で出てくる。

 そういえば、3年ぐらい前にパッヘルベルのカノンを弾いたことがあったなぁ、という記憶から楽譜を手繰り寄せる。普通の弦楽アンサンブル(1st,2nd,vla,vc)の構成で弾けるように、ヴィオラを3バヨにアレンジしているやつだ。なんでこれを探したかというと、いつものアンサンブルレッスンの3人(ヴァイオリン×2+ヴィオラ)のうち、ヴァイオリンの1人がチェロに転向されて、いつか弦楽四重奏曲を弾こうという遠大な計画があって、とりあえずその第1歩としてパッヘルベルのカノンが課題曲になっているからだ。私がもらった楽譜は初心者用で、16分音符が一切ない。そうすると、1stヴァイオリンと3度でハモる山場のところがなくて輪奏にもならない。初心者用とはいってもヴァイオリンの初心者用なので、ヴァイオリンならファーストポジションだけで弾けるのだが、ヴィオラは5ポジまで出てくる。そんなところで苦労するぐらいなら、ポジションの上がるところはオクターブ下げてでも、16分音符の山場のところを弾きたい。

 そんなわけで、4年前に演奏会で弾いた楽譜を引っ張り出してきて練習することにした。

 ほら、こうやって役に立つことがあるからなかなか荷物が捨てられないのよ。