前の記事の続きと言えば続き。別の話題と言えば別の話題なのだが、秋の定期演奏会では、オードリー・ヘップバーン主演のミュージカル映画「My Fair Lady」の主題歌を弾くことになっている。アマオケのメンバーや、このアマオケの演奏会を聴きに来てくださる主力層の世代にとっては、リアルタイムで観た映画。やはりコンテクストの濃い曲だ。比較的簡単な曲だ、と侮ってかかる訳にはいかない。映画のストーリーだとか、時代背景だとか、主演のオードリー・ヘップバーンのことだとか、この曲を聴いた人がどんなイメージを思い浮かべるのか、何をこの曲に重ねるのか、よく知って弾かないと、聴く人をがっかりさせてしまう。私の世代にはなかなか難しい選曲だといえる。
この映画は、ラヴ・コメディとして紹介されることが多いのだが、私の印象として、ヘンリーを演じたレックス・ハリソンが56歳とあっては、ちょっと設定に無理があるような感じがする。オードリー・ヘップバーンが演じる下町娘のイライザが、女性差別者で独身主義者で、階級社会を肯定する保守主義者でもあるヘンリーの心を開いていくというストーリーなのだが、イライザが上品な言葉遣いを覚えることで階級の階段を昇っていくというストーリーが前面にあるので、女性のサクセスストーリーのような印象を受ける。白雪姫やシンデレラの世界観でいえば、イライザが、上流社会の御曹司であるフレディと結ばれてハッピーエンドなのだが、そうはならない。フレディは最後まで袖にされ、結局、イライザはヘンリーと結ばれる。確かに、白雪姫やシンデレラとは異なる世界観が示されてはいるのだが、結局、女性は誰かと結ばれることでしか幸福になれない、というところが1960年代、日本でいうと昭和の限界かもしれない。いまなら、イライザはヘンリーを見捨てて、花屋を営み、自分目当てに店にやってくるフレディを袖にしながら、平凡だけれど自立した人生を歩んでいく、というサクセスストーリーになったのかもしれない。
こう考えると、コンテクストの濃い曲を弾くのはなかなか難しい。いっしょに演奏する方、聴きに来てくださる方とコンテクストを共有しながら弾いたときに、はじめて世界観を共有できるのだが、世代が違うとこうまで世界観は違うのか。
ひるがえって、エヴァンゲリオン世代から見て宇宙戦艦ヤマトの世界観はどう見えるのか。あるいは、私たちの世代は「鬼滅の刃」や「ワンピース」の世界観を共有できるのか。
なかなか音楽は深い。