2020年1月19日日曜日

ボウイングとフレーズ感

 発表会目指して練習中の、ヘンデルのヴィオラコンチェルト。完成するとこうなる。
 YouTube画面の右下にある歯車ボタンを押すと再生速度がコントロールできる。最近、それを0.5倍にして、それに合わせて弾くという練習をしてみたのだが、
あかん 弾けへん 
しかし、これも何回かやっているうちに弾けるようになるか。いや、それでも随分ゆっくりだぞ。この速さだと発表で10分以上舞台に載っていないといけない。自分はいいのだが、これを10分も聴かされる聴衆のことを思うと心が痛む。
 こんな調子で大丈夫なのか…。

 先日のレッスンでは、ボウイングを大きく変更した。いままで適当だったわけではないが、先生から見ると適当に見えたみたいだ。譜面通りという訳ではないが、こことここはボウイングの形が違うから、その趣旨を活かして、こっちはこれでこっちはこう、みたいな感じ。フィンガリングの変更と違って、ボウイングを変えるとフレージングが変わる。いままでは16分音符を小節ごとに区切って練習し、それをくっつけていってひとつのフレーズにしていたのだが、実際には次の小説の頭で終わるようなフレーズもある。「ここで切ったら解決しないですよね」。「解決」というのはフレーズが何となく終わった、落ち着いたといった感じになること。確かにそういうことを意識しないで弾いていると、楽譜を楽譜通りに弾いているようにしかならない。実際には楽譜を楽譜通りに弾くことすらできていないのだが。

 発表会の日程がまだ決まっていないようなのだが、はたしてそれまでに一応の完成までたどり着けるのか。発表会だから、得意のトリアージが使えない。
 とにかく練習だな。練習。

2020年1月4日土曜日

3日サボると…



練習を一日休むと自分にわかる。
二日休むと批評家にわかる。
三日休むと聴衆にわかる。
といったのは、どこぞの国のピアニストだそうだが、素人ヴァイオリンの場合は、1日や2日練習を休んだところで自分では何も気づかず、しかし先生にはバレてしまう。それも、さすがに1週間休むと、自分でも劣化を感じずにはいられない。
そういえば、前回弾いたのは1週間前だったよな~
年末年始を挟むともっと遠い昔のようにさえ思える。嗚呼、思うように弾けない。
ま、1週間前もそんな弾けていたわけではないから、もしかするとこんなものだったのかもしれない。

 しばらくサボると劣化するのは、技芸だけではなく、身体能力全般に言えることで、普段は通勤で1万5千歩ほど歩くところ、この休みの間は、少ない日は千歩も歩かないという具合。体重がどうのこうのというのではなく、少し歩いても身体が重く感じられる。これはいけない。週明けから社会復帰するために、いまからリハビリだ。
 そんなわけで、このブログのテーマとは全然関係がないけれど、久しぶりに通勤定期で電車に乗って途中の駅で降り、そこから約13キロを歩いてきた。関係がないついでに、毎年、阪神大震災が起きた1月17日の前後に、会社から家まで歩いて帰る「ひとり避難訓練」というイベントをやっている。だいたい25キロほどある。計算のうえでは6時間ほどで歩けるのだが、往々にして計算通りにはいかず、とくに中間地点から後は、その前よりも5割り増しぐらい時間が掛かってしまう。それも、12月ぐらいから少しずつ歩く距離を伸ばしていって、長距離を歩くことに身体を慣れさせておいてのことなのだが、こちらの方は1日歩かないだけで、自分でも身体の重さを感じる。批評家や聴衆に分かるかどうかは知らないが。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、空、屋外、自然
 それで、そのリハビリウォーキングの途中にこんな石柱を見つけた。おっと、これはいままで何度も通っているのに気付かなかった。見た瞬間に、今年はまだ4日しか過ぎていないのに、もう
練習よりも神頼
というモードになっている。
 あまりメジャーな神社ではないようで、いつかの台風か何かで傷んだ茅葺にブルーシートが掛けられたままになっていたし、社務所のようなところは閉められた雨戸の隙間から青空が見えていた。しかし、神の力はそういう外見で判断するわけにはいかない。二礼二拍一礼でしっかりお詣りし、技芸の上達を祈ってきた。